第11章 戦略的提携:ルノー・日産アライアンスのケース
本章では,戦略的提携とリスクの観点から,1999年にルノーと日産が包括的提携を締結するまでの意思決定(リスクテーキング)について分析する。日産における財政破綻リスクの回避を大きな動機とした両者の戦略的提携は,ルノーにとっては,グローバル展開の遅れという脆弱性を解消するための一大リスクテーキングであった。このケースは,企業が@自らの脆弱性をカバーするために,A過去の失敗の教訓に学びながら,いかなる戦略を策定してリスクテーキングを行うのかを例示している。
キーワード 戦略的提携とリスク 関係リスク 成果リスク 脆弱性への対応としての経営戦略 失敗に学ぶマネジメント
ルノー・日産のグローバル・アライアンス
1999年の3月27日にルノーによる日産自動車の株式36.8%と日産ディーゼルの株式22.5%取得,ルノーからのカルロス・ゴーン以下3名の役員派遣などから成る包括的提携が発表された。同年10月18日には「日産リバイバル・プラン」発表された。以降,抜本的な経営改革による日産の経営再建が遂行され,2001年5月には,3月期連結決算で4年ぶりの黒字で,過去最高の当期利益を上げ「V字回復」を示した。ルノーと日産のアライアンスは「弱者連合」という当初の予想を覆し,現在,さらに連携を強め世界の自動車業界の五指に入るグループとして定着している。
第1節 戦略的提携とリスクマネジメント
1.戦略的提携
欧州における戦略的提携研究の権威であるガレットとデュソージュは戦略的提携を次のように定義している。(注1)
「戦略的提携とは,以下の2方策よりもむしろ,必要とされる技術や資源を互いに調整させることによって,ある個別のプロジェクトや活動を遂行することを選択した複数の独立企業間の連携である。
−1社でリスクを負担し,1社で競合他社に対峙するという独立した立場で,当該プロジェクトや活動を遂行する。
−当該企業間で合併するか,事業の譲渡ないしは買収を行う。」
デトリ−らの研究に基づけば,戦略的提携を表12−1に示す3類型に分類できる。(注2)
表12−1 戦略的提携の3類型
(1)
相互補完的提携(alliances complémentaires) |
特徴の異なる企業同士による相互補完を目的とする提携。 (例)ルノーとマトラとの提携によるエスパス生産。 (例)欧州市場で高シェアのルノーと日本市場と北米市場を主たる市場としている日産の提携。 |
(2) 統合型提携(alliances de co-intégration) |
よく似た特徴を持つ企業同士による規模の経済発揮のための提携。共同開発したコンポネンツを使用した最終製品を互いのブランドで販売する。 (例)プジョー,ルノー,ボルボ3社が設立したPRV社による大型エンジン開発。 (例)プジョーとルノーの提携に基づくソシエテ・フランセーズ・ド・メカニック社によるエンジン開発。 (例)ルノーと日産の提携に基づくプラットフォームの共有。 (例)ルノーと日産の提携に基づく日産開発エンジンのルノー車への搭載。 |
(3) 擬似集中型提携(alliances de pseudo-concentration) |
共同開発した製品を共同で販売する。多くの場合,発展途上にある小規模企業同士の提携。 (例)欧州における航空機製造の国際合弁企業であるエアバス。 |
2.戦略的提携とリスクマネジメント
M&Aは,企業内部の経営資源の不足による成長の限界を克服するため,外部資源を有効に活用するための手段である。しかし,一般に大規模な投資が必要となり,相応の成果が得られるかどうかも不確実であることから,大きなリスクを伴う戦略と言える。戦略的提携の場合,同様な外部資源の有功活用策ではあるが,M&Aと比較すれば,総体的にはリスクの規模は小さくなる。だが,これらを投機的なリスクに関する戦略的意思決定の観点から把握すれば,投機的リスクは「利得あるいは損失の可能性」(loss or gain risk)であるがゆえに,戦略的提携の場合,失敗に終わった場合の損失がM&Aの場合よりも限定されている一方で,成功した場合の成果もM&Aの場合よりも限定されたものとなってしまうことが考えられる。社内新規事業構築,戦略的提携,M&Aなど,経営資源不足の克服・内部資源有功活用・外部資源の有功活用のための戦略を策定する場合,目先の純粋リスク・「損失の可能性」(loss only risk)の観点から考慮するだけでなく,投機的リスクの観点から,失敗した場合の最悪のケースから成功した場合までのトータルなリスクテーキングの問題として把握することが肝要であろう。
ダスとテンの研究によれば,戦略的提携に関わるリスクは,戦略的提携のパートナー間の関係がうまくいかないかもしれないという関係リスク(relational risk)と,提携によって期待された成果が挙げられないかもしれないという成果リスク(performance risk)とに大別される。ダスとテンは,関係リスクと成果リスクの程度と戦略的提携に主としてどのような経営資源を投入しているかを基準にして,表12−2に示すような形で、戦略的提携のあり方・方向性について論考している。
表12−2 リスクの観点から見た戦略的提携と意思決定の方向性
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リスクの類型 |
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当該提携に主として投入する経営資源 |
関係リスク:提携パートナー間の関係に関するリスクの程度高 (High Relational Risk) |
成果リスク:提携に期待された成果が挙がらないというリスクの程度高 (High Perfoリスクマネジメントance Risk) |
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財務的 |
パターン1 |
パターン2 |
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目的 |
出資比率の増加 |
目的 |
解消時に備えた財務計画 |
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意思決定の方向性 |
主導権 (CONTROL) |
意思決定の方向性 |
収益性 (PROFITABILITY) |
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技術的 |
パターン3 |
パターン4 |
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目的 |
パテント保護 |
目的 |
ラインセンシング |
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意思決定の方向性 |
保全 (SECURITY) |
意思決定の方向性 |
有用性 (UTILITY) |
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物理的 |
パターン5 |
パターン6 |
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目的 |
提携相手の取り込み |
目的 |
提携解消の余地残す |
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意思決定の方向性 |
安定化 (STABILITY) |
意思決定の方向性 |
融通性 (FLEXIBILITY) |
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経営的 |
パターン7 |
パターン8 |
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目的 |
中心的ポジション |
目的 |
提携担当マネジャーの質 |
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意思決定の方向性 |
権威 (AUTHORITY) |
意思決定の方向性 |
効率性 (EFFICIENCY) |
(Das and Teng(1997), p.28より)
パターン1は,ある企業が戦略的提携に財務的資源を主として投入しており,かつパートナー間の関係悪化リスクが大きいケースである。財務的貢献の大きい企業の観点から見ると,当該戦略的提携に大きな投資をしているにもかかわらず,提携相手を信頼できないという状況である。この企業は,意思決定の方向として,資本関係を含めて,当該戦略的提携の主導権の掌握を指向する。
パターン2は,ある企業が戦略的提携に財務的資源を主として投入しており,期待した成果を挙げられないかもしれないというリスクが大きいケースである。財務的貢献の大きい企業の観点から見ると,当該戦略的提携に大きな投資をしているにもかかわらず,期待した成果を挙げられるかどうかきわめて不確実という状況である。この企業は,意思決定の方向として,期待した収益性が挙げられない場合を想定して,契約書に提携解消時にいかなる財務的分担・処理が施されるか明記することを指向する。
パターン3は,ある企業が戦略的提携に技術的資源を主として投入しており,かつパートナー間の関係悪化リスクが大きいケースである。技術的貢献の大きい企業の観点から見ると,当該戦略的提携に技術的に大きく貢献しているにもかかわらず,提携相手を信頼できないという状況である。この企業は,意思決定の方向として,パテントなどを通じて,当該技術の保護を指向する。
パターン4は,ある企業が戦略的提携に技術的資源を主として投入しており,期待した成果を挙げられないかもしれないというリスクが大きいケースである。技術的貢献の大きい企業の観点から見ると,当該戦略的提携に技術的に大きく貢献しているにもかかわらず,期待した成果を挙げられるかどうかきわめて不確実な状況である。この企業は,意思決定の方向として,複数のパートナーに対して,当該技術をライセンス化することを指向する。
パターン5は,ある企業が戦略的提携に原材料,設備,流通チャネルなどといった物理的資源を主として投入しており,かつパートナー間の関係悪化リスクが大きいケースである。物理的貢献の大きい企業の観点から見ると,当該戦略的提携にさまざまな物理的資源を提供をしているにもかかわらず,提携相手を信頼できないという状況である。この企業は,意思決定の方向として,パートナーを当該戦略的提携により深く関与させるよう努める。
パターン6は,ある企業が戦略的提携に原材料,設備,流通チャネルなどといった物理的資源を主として投入しており,かつ期待した成果を挙げられないかもしれないというリスクが大きいケースである。物理的貢献の大きい企業の観点から見ると,当該戦略的提携にさまざまな物理的資源を提供をしているにもかかわらず,期待した成果を挙げられるかどうかきわめて不確実という状況である。この企業は,意思決定の方向として,当該戦略的提携解消に関する条項を契約書中に明確にすること,すなわち提携解消についての融通性を指向する。
パターン7は,ある企業が戦略的提携に経営管理・人事管理・マーケティングのノウハウ・知識など,経営的資源を主として投入しており,かつパートナー間の関係悪化リスクが大きいケースである。当該戦略的提携に経営資源の面から大きく貢献しているにもかかわらず,提携相手を信頼できないという状況である。この企業は,意思決定の方向として,自社から派遣した人材を当該戦略的提携事業の要職に就かせることを指向する。
パターン8は,ある企業が戦略的提携に経営管理・人事管理・マーケティングのノウハウ・知識など,経営的資源を主として投入しており,かつ期待した成果を挙げられないかもしれないというリスクが大きいケースである。当該戦略的提携に経営資源の面から大きく貢献しているにもかかわらず,期待した成果を挙げられるかどうかきわめて不確実という状況である。この企業は,意思決定の方向として,自社内の最も優秀な経営管理社を当該戦略的提携事業に長期間コミットさせることにより,経営の効率性を高めることを指向する。(注3)
注
(1)Bernard GARETTE et Pierre DUSSAUGE, Les Stratégies d’Alliance, Les Editions d’Organisations, 1995, p.27 ; Pierre DUSSAUGE and Bernard GARETTE, Cooperative Strategy, Willey, 1999.
(2) Jean-Pierre DETRIE et al.(1997), Strategor , 3e édition, Dunod, pp.218-226.
(3)戦略的提携における関係リスク・成果リスクと主として投入する4種類の経営資源のマトリクスに基づく8つのパターンについては次の論文を参考にした。T.K. DAS and Bing-Sheng TENG, “Resource and risk management in the strategic alliance
making process”, Journal of Management,
Vol.24, No.1, 1997.
第2節 ルノー・日産グローバルアライアンスの評価
1.日産・ルノーの戦略的提携とリスク
戦略的提携に関わる不確実性は,大きな投機的リスク(成功・不成功の不確実性)の問題として把握される。戦略的提携に関わるリスクは,前述したように,ダスとテンの研究に基づけば,提携によって期待された成果が挙げられないかもしれないという成果リスク(performance risk)と,戦略的提携のパートナー間の関係がうまくいかないかもしれないという関係リスク(relational risk)とに大別される。
日産・ルノーの提携を例にとれば,当初,日産の非常に厳しい財務的状況から,成果リスクに絡んで悲観論が一般的に展開された。以下の藤本隆宏教授の論考(注4)に見るように,「粘り強く学習する組織」へと変身することが,この戦略的提携が期待した成果をあげるか否かの鍵を握ると考えられた。
「日産・ルノー提携のポイントを「相互学習」だとするならば,何段階かのステップでの企業体質変革のプロセスを想定すべきだろう。日産側は,@当面のキャッシュ獲得による財務体質の改善,A小さくても即効性のある連携プロジェクト,B相互学習の活発化と組織能力の向上。得に一貫した主張の商品群によるブランド力の再構築,Cこれらも通じた「粘り強く学習する組織」への変身である。」
同時に,提携企業間の人的交流に伴う,関係リスクも注視しなければならない。関係リスクについては,藤本教授は次のように論及している。
「 第一に,「選択的なトップダウン方式」である。性急に何でもルノー流を押し付けるのではなく,トップダウンで明確な方向性を示すもの(例えば製品政策や販売政策)と,日産の現有競争能力を前提に慎重に進めるもの(例えば購買政策,生産能力調整,労使関係)を明確に分けて考えるべきであろう。第二に過剰介入は避け,日産の潜在能力を引き出すよう心掛けるべきだ。例えば,全体の方向性を示して日産社員のポテンシャルを引き出し,良いアイディアを持った人間には明確なお墨付きを与える,といった攻めの体質改造を進めるとよい。」
2. ルノーにおける経営危機克服と戦略展開
ルノーは,1980年代初頭より続いた経営危機を脱して1987年に黒字転換した。しかし,1990年代に入り,欧州市場統合などに伴うグローバル競争時代が到来すると,高コスト体質のルノーにおける低競争力が露呈した。1993年のスウェーデン・ボルボとの合併計画の頓挫や1994年秋になって開始された国家保有株式の民間への売却への遅れなども相まって,1996年に再び赤字に転落してしまった。再び危機に直面したルノーは,ミシュランからスカウトしたカルロス・ゴーン副社長の指揮に基づいた1997年春のベルギー・ビルボルト工場閉鎖に代表されるような@徹底したコスト削減策を推進した。さらに同年発売した欧州初の中型ミニバン車「メガーヌ・セニック」に代表されるようなA独創的新製品開発を推進した。@とAの戦略展開により,ルノーは黒字に復帰した1997年以降,はっきりと競争力を向上していった。その勢いで,1999年に入ると,日産との提携に見る一大リスクテーキングにより,今度は積極的なグローバル戦略を展開するようになった。
3.ルノーにおける脆弱性への対応
1999年以前のルノーにおける脆弱性(注5)は,北米市場から完全に撤退しているなどグローバル展開の遅れにあった。 20年前にルノーは,1999年以降と同様のグローバル戦略を打ち出した時期があった。1979年に,当時米国第4位のメーカーであったアメリカン・モータース・コーポレーション(AMC)に46.1%資本参加し傘下に収めた。同時に,トラックメーカー,マックを傘下に収めた。この戦略的提携に基づいて,モデル「9」を文字通り「アライアンス(提携)」という名前で発売すると,低燃料消費効率が評価された。アライアンスの成功もあり,1984年におけるフランス車の米国における販売台数は20万台に上った。ところが,ルノーは1980年代前半に陥った業績不振による危機的状況を脱出するために,1987年にAMC株をクライスラーに売却した。この結果,米国販売は弱体化していき,1980年代半ばより,ドイツ車や日本車が北米市場で台頭し始めたこともあり,完全に撤退してしまった。プジョーも同様に1990年代に入り米国市場から撤退している。
(注6)
また,1993年には競争激化する欧州市場における生き残りを賭けて,スウェーデンのボルボとの合併を発表するが,その年の暮れにボルボの株主総会で承認を得られず,計画は頓挫してしまった。当時の状況を如実に表す例として,1994年9月12日号のビジネス専門誌Expansionの表紙には,ルノーのシュワイツァー会長のさえない表情の写真の横に,「民営化もせず,戦略的提携もせず,ルノーは小さすぎる,孤立しすぎている,あまりにもフランス的である(Sans privatisation, sans alliance Renault Trop petit Trop seul Trop français)」と大きな見出しが付されていた。フランス的という言葉には,フランス国内市場依存という意味合いも込められている。これは,1993年末のボルボとの合併計画の頓挫,1994年の10月にやっと開始されることになる政府保有株の一部公開への躊躇など,当時のルノーの状況を端的に表現していた。これは,5年後,同じExpansion誌の1999年9月23日−10月7日号の表紙で,「どのようにルノーは日産を再建するか(Comment Renault redresse Nissan)」という見出し横に同じシュワイツァー会長が自身ありげに微笑んでいる写真が掲げられることになるのと好対照である。
さて,1997年来の徹底したコスト削減策と独創的新製品開発戦略により競争力を向上したルノーは,グローバル展開の遅れという脆弱性に対応するため,1999年から,「外的成長」(croissance externe)を指向して,明確なグローバル戦略を展開し始めた。まず,同年3月に,経営不振に陥った日産との戦略的提携(日産に36.8%,日産ディーゼルに22.5%出資,出資総額330億フラン)を発表し,7月に,ルーマニアのダシアに51%出資(出資総額3億フラン)して傘下に収めた。2000年の4月には,経営破綻した韓国のサムソンを買収(出資総額33億フラン)し,さらに,同月,トラック事業(RVIと米国子会社マック)について,スウェーデンのボルボとの事業統合(事業統合後の新会社はボルボ傘下。ルノーは新会社の筆頭株主として15%出資)を発表した。ルノーは,日産との提携によって,一気にグローバル企業へと脱皮し,サムソンを含めて,手薄であったアジア市場における戦略展開を図るほか,日産との提携を通じて北米市場での不在を補完することとなった。さらに,東欧向けのブランドとしてダシア,韓国市場向けブランドとしてサムソンを確立し,複数ブランドを所有するグループとなった。(注7)
なお,このような1999年からの積極的なグローバル展開する前提として,低競争力という脆弱性への対応に1997年来成功したことがある。@1997年のベルギー・ビルボルド工場閉鎖に見るような徹底したコスト削減が図られた。A同年発売のメガーヌ・ セニックに代表される様な独創的な製品コンセプトに基づく新製品開発体制(1987年P・ルケマン移籍加入後革新的なデザイン推進)が整備された。
@とAの要素について,さらに藤本教授の論考を引用しておこう。
「現在のルノーの強みは,斬新な製品コンセプトにある。特に「メガーヌ・セニック」は大ヒットし,欧州でのRVブームの火付け役となった。とりあえず日産が学べる部分はここだろう。第二に同社の大きな無形財産は,近年における企業体質改善の経験だ。70−80年代は確かに,雇用重視の国有企業的体質や大衆車薄利多売の戦略から,販売量が減るとたちまち赤字になる時代が続いた。だが80年代以降,日本的生産システム導入や人員・設備のスリム化,新しい製品デザイン戦略など試行錯誤を経て,利益の出やすい体質を構築した。日産もルノーの学習体験を参考にすべきである。」
ルノーは,グローバル展開ならびに戦略的提携の成功・不成功の不確実性という投機的なリスクに直面しつつも,積極的なリスクテーキングを行い,自らの脆弱性に対応するための戦略を展開してきたと。一般化すれば,「脆弱性←戦略(リスクテーキング)」という形で把握することができよう。(注8)
(注)
(4)藤本隆宏「日産・ルノー提携の積極的意味」『朝日新聞』1999年5月24日朝刊・論壇。
(5)マルミューズとモンテーニュは,「脆弱性は,競合者との関わり合いから,脆弱な市場におけるポジショニングと脆弱な企業行動に分別される」とし,経営戦略に伴う不確実性(投機的リスク)の処理として,戦略的意思決定に基づく脆弱性への対応を指摘している。Christian Marmuse et Xavier Montaigne(1989), Management du risque, Vuibertより。
(6) Expansion誌1998年2月5−18日号によれば,1996年に米国で販売されたルノー,プジョー,シトロエンを合計したフランス車の数はわずか8台であった。これは,フランスのメーカーによって販売されということではなく,米国のメーカーがフランス車のモデル研究のために輸入したか,あるいは,フランス車を好む米国人が個人輸入したかのどちらかであると推測される。 “1996, l’année où la France a
vendu huit voitures aux Etats-Unis...” L’Expansion,
le 5-18 février 1998 より。なお,同記事の中で紹介されているが,アメリカの人気ドラマの刑事コロンボの愛車が「プジョー403カブリオレ」であった。珍しいという象徴なのか,故障しやすいという象徴なのかは謎である。
(7)Expansion誌の1996年7月11日号では,さらにフランス自動車産業の苦境と脆弱性を浮き彫りにする特集記事が組まれた。表紙の見出しには「どうしてフランス人はフランス車に乗らなくなったのか?(Pourquoi les Français ne roulent
plus Français)」と掲げられた。かつて60%以上あったフランス市場におけるフランス車のシェアは,1990年に60%を割った後,60%ラインを前後して推移していた。しかし,皮肉なことに,1995年の秋に始まったジュッペ政権による新車買い替え補助政策が,価格競争力の外国メーカーの小型車の販売を後押しする形となり,フランス車はシェアを一気に落とし,この記事の執筆された1996年半ばの時期には56%にまで落ち込んでいた。当時のフランス車の低競争力の原因,すなわち脆弱性は,一般的に外国車(メーカー)と比較した場合の@価格競争力のなさ(同性能で高価格),A魅力に乏しい製品ライン(大型車の不振,四輪駆動車モデルの不在など),B訴求力のない広告(イメージ散りばめ型で肝心の車そのものに触れない傾向など),C販売店におけるサービス・営業力の乏しさにあった。フランス自動車メーカーにとって,そうした脆弱性に対応するための戦略として,価格競争力を向上するための「コストの削減」と,消費者に対する訴求力を向上するための「魅力ある新モデル開発」,そして品質面での「信頼性の回復」が急務となっていた。
そして,本文中で述べたように,1997年以降の徹底したコスト削減策,魅力ある新製品開発力向上により,ルノーは,一気に競争力をつけ信頼性を回復した。プジョー・シトロエングループも同様で,フランスの2大自動車グループは,21世紀初頭停滞する欧州自動車市場において,毎年好業績を挙げ現在に至っている。
(8)『日本経済新聞』2000年4月26日など。
(9)藤本隆宏,前掲。
第3節 ルノー・日産の戦略的提携と意思決定
1.戦略的提携に至るまでの意思決定への注目
ルノーと日産のグローバルアライアンスについては,学術的な研究も発表されている。特に,注目が集まっているのは,カルロス・ゴーン社長の経営手法と日産の経営再建の進捗状況であるのは周知のところである。ここでは,徳にルノーと日産の包括的提携に至るまでの戦略的意思決定(リスクテーキング)に焦点をあてる。
具体的には,戦略的提携に至るまでの過程を分析したケーススタディである『ルノー/日産 グローバル・アライアンスの構造』(慶應義塾大学ビジネス・スクール)に依拠しながら,本書の主題である経営戦略型リスクマネジメント理論の諸観点から,提携に至るまでのルノーと日産の戦略的意思決定(リスクテーキング)について分析する。
まず,ルノーと日産の提携に至るまでの動きをまとめると,表12−3のようになる。
表12-3 ルノー・日産「グローバル・アライアンス」に至る過程
1980年代後半以降:ルノー,アジアでの提携の試みはいずれも成功せず。
1990年2月から1993年12月: ルノー,ボルボとの合併交渉。結局,破談に。
1994年から1997年: ルノー,株式一部公開による民営化実現。1996年に赤字計上後,1997年以降,ビルボルド工場閉鎖に代表されるコスト削減・財務体質の改善と,セニックに代表される独創的モデルの開発により業績好調に。
1997年春〜: 企業戦略担当ドゥアン執行副社長がルノーのマネジメント・コミッティーに国際開発計画を提出。→世界の自動車業界のグローバル化シフトを確認。
→シュワイツァー会長兼CEOの意思決定:「国際的に拡大すること。それについてはアジアでの提携を含む。」=国際戦略計画の確認
1997年9月:ルノー,メルコスール地域におけるピックアップトラック生産に関して日産に事業協力打診(於パリ)。これはあくまで単なる事業協力の要請にすぎず。
1998年4月:日産,コーポレート企画部は,取締役会に「グローバル・ビジネス・リフォーム・プラン」提出。→塙会長の意思決定:「グローバルな戦略的提携を目指す。」
同4月:ルノーの代表団が日本企業視察→提携候補として,三菱と日産の2社に絞られる。
4-5月:ダイムラー・クライスラーの合併
6月 :ダイムラー・クライスラー,日産ディーゼル買収交渉開始。
同6月:ルイ・シュワイツァー会長,三菱の会長と日産の会長にパートナーシップを組む場合の条件の概要を書面で伝える。三菱→なかなか返事せず。日産→すぐ反応。
同6月:シュワイツァー,再度,日産・塙会長に書面。
7月:塙,返事。ルノー,検討事項作成のために代表団,日本に派遣。
7月末:シュワイツァーと塙,東京で初会談。
7−8月:ルノーと日産,シナジーをもたらすと考えられる21の項目を特定:市場の地理的分布,製品レンジの補完性,共通のプラットフォームの共有など。
9月10日:シュワイツァーと塙が,戦略的提携を視野に置いたシナジーの財政的評価と費用に関する覚え書きを交わす。覚え書きは1998年12月末までの排他的交渉条項含む。
シュワイツァー,三菱へのアプローチを打ち切り。
「オペレーション・パシフィック」:ルノーと日産点協力項目の特定と費用計算を行うための活動開始。
10−11月:21の日仏チームが,共同調査という形で,主な項目を検討。
−12月:両社さらに詳細に提携の財政的価値と技術的実現可能性の査定,シナジーの評価。両社チーム,ノウハウ,専門性,プロジェクトに関する情報交換,具体的に節約可能な額算出。→生産面でのシナジー効果の大きな可能性の認識。組織・マネジメントでの融合困難の認識。→ルノー,日本企業の「面目を保つ」ことが交渉を理解する鍵と認識。
10月:シュワイツァー,ルノーと日産提携の実現性について明確な見解。
@「対等の地位」とA「マネジメントの参加」
10月末,シュワイツァーと塙:交渉期間の最後に作成されるルノーの意図表明状の草稿について話し合い→@3人の役員派遣の案を日産に伝える。Aルノーが日産のマネジメント・コミッティーに資本提携の概要を提出することを合意。
11月11日:東京での「オペレーション・ビッグ・ピクチャー」において,
シュワイツァー,ドゥアン,ゴーン 3時間にわたり,戦略的見通し,日産に提携が必要なこと,成功するための条件,ルノーのこれまでの体質改善の軌跡などを詳細に述べる。
12月15日:21の共同調査チーム最終報告書提出。
12月21−23日:シュワイツァー・塙会談(於東京)。
12月23日:提携の一般条件を定めたルノーの公式の意見表明状に関する議論に際して塙は,ルノーの提案には日産ディーゼルも含まなければならないとシュワイツァーに警告。→日産ディーゼルを契約に含めることに合意。
ルノーの排他的条項は更新されず。=6月以降,日産ディーゼルをめぐり交渉しているダイムラー・クライスラー社が日産自動車本体に関しても交渉を着手することの認識。
1999年1月15日〜:相当注意義務期間開始。ダイムラー・クライスラーとの競合に(日産ディーゼルの財政は危機的な状況を鑑みて,ダイムラー・クライスラー社は,日産グループの過半数を取得してグループ全体を支配する提案。)
ルノー,従来の方針を変更せず。@「対等の地位」:日産の独立保証。36%出資の対等の提携。A「マネジメントの参加」:1990年代の企業体質改善の経験を活かして日産の経営再建に関与したいという意思。
ルノー,日産ディーゼルを契約に含めることに躊躇なく合意。(日産の保有する日産ディーゼル株式を取得するという手法)
(一般ならびに自動車産業専門家の分析により,ダイムラー・クライスラー有利の傾向)ルノーは,日産の現状に対してより適切な答えを出しているとの認識から自社の長所を強調し,日本人の感受性にもっと順応する用意があることを示す。
1999年3月3日〜:ジュネーブ国際モーターショー
1999年3月10日: ユルゲン・シュレンプ(ダイムラー・クライスラー共同会長)「3ヶ月間の交渉の結果,日産との緊密な関係が提供するチャンスは,当初予測したほど迅速かつ順調には達成できない」と声明を発表し,日産との提携を断念。
ルノー,元からの立場を変えず提案を保持。
1999年3月27日:ルノー,日産との包括的提携を発表。
『ルノー/日産 グローバル・アライアンスの構造』(慶應義塾大学ビジネス・スクール)に基づいて筆者作成
2.第一の意思決定・リスクテーキング:グローバル提携の選択
戦略的リスクマネジメントの中心的な要素は,@調査・確認と評価・分析:自らが置かれた経営環境における脆弱性・リスク・不確実性の認識,A選択:意思決定・リスクテーキング,Bフィードバック:失敗に学ぶマネジメントである。この3つの要素を中心に,ルノーの戦略的意思決定(リスクテーキング)を分析してみよう。
まず,「失敗に学ぶマネジメント」として,ルノーは,1993年のボルボとの合併計画頓挫という失敗から多くのことを学んだ。ボルボとの合併交渉当時,ルノーは,国家が株式を100%保有する完全な国有会社であったので,フランス政府主導型の合併交渉であった。合併発表の席にも,経済担当大臣が同席し,対等合併というよりは,フランス主導の吸収に近い合併である印象をボルボ株主に与えた。結局ボルボの株主総会で反対意見が噴出し,合併計画は頓挫した。このときの失敗から得た教訓は,相手のプライドを考慮すること,相手に対等の地位を保証するということであった。またボルボがルノーとの合併を最終的に拒絶した最大の理由が,「株式を公開すらしていない企業に国を代表する企業が実質的に買収される」ことへの嫌悪感であったため,翌年には,ルノーは株式部分公開により,民営化を実現した。
次に「第一番目の意思決定・リスクテーキング」である。ボルボとの合併後,ルノーにとっての選択肢は,@世界市場シェア約5%の欧州限定の企業(販売の80%は欧州)であり続け,製品レンジ拡大によってシェア向上を目指すのか,A世界の自動車業界のグローバル化ゲームにおける主要プレーヤーになるために,他の経済地域のパートナーとの戦略的提携の模索するかであった。@の選択肢におけるリスクは,欧州企業に留まれば,世界自動車業界の合従連衡とグローバル化の流れの中,大グループが決めた市場のルールに従わざるを得ず,資金不足から長期的に独立性を失うかもしれないということであった。Aの選択肢におけるリスクは,ボルボとの合併破談に続いて,グローバル提携にもう一度失敗すれば,戦略的かつ財政的損失を被るだけでなく,信用面で深刻な打撃を受け,その後の提携のチャンスは少なくなり,かつ交渉も困難となるというものであった。ルイ・シュワイツァー会長兼CEOは,Aを選択し,アジア地域での提携も視野に入れた国際戦略計画の確認された。
3.第二の意思決定・リスクテーキング:交渉相手の選択
「第二の意思決定・リスクテーキング」は,パートナーの選択に関わるものであった。当初,候補に挙がったスバル,三菱,日産の中から,まず,スバルは技術面での独創性ゆえにシナジー効果が期待できず候補から外れた。三菱は,ボルボとの合併交渉中に,ボルボの提携先であった関係で接触したことがあるので候補に残った。三菱と共に候補に残った日産は,ルノーにとっては規模が大きすぎる感が持たれていた。シュワイツァーは,1998年6月に三菱と日産の双方の会長に書面を送りった。反応が早かった日産にルノーは好印象を持った。7月の塙会長とのトップ会談をはじめとする作業を経て,9月10日に12月末日までの排他的条項を含む覚え書きを交わし,日産を交渉相手として選択した。同時に,三菱との交渉を打ち切った。
4.第三の意思決定・リスクテーキング:原則の選択
日産という日本企業を交渉相手に選択したことに伴うリスク要因・不確実性は,まずシナジー効果を発揮できるのかという点にあった。21項目についての,日仏共同調査チームの詳細な検討により,生産・マーケティング面において,予想以上にシナジー効果が期待できることが判った。ルノーは,専門能力として,@コスト管理,Aグローバル・プラットフォームと購買戦略,B革新的製品,Cマーケティングとデザイン,主力モデルのタイプとしてD小型車,展開地域はE欧州,F南米であり,一方の日産は,専門能力が@エンジニアリング能力,Aテクノロジー,Bプラント生産性,C製品とプロセスのクオリティーマネジメント,主力モデルのタイプとしてD中型・大型車と四駆・ピックアップ,展開地域はEアジア,F北米であり,両社は明確に相互補完関係にあった。
生産・マーケティング面でのシナジー効果は期待できることが判ったが,もう一つの不確実性として,組織面・経営面で良好な関係を築くことができるか否かが懸案となった。日産の組織・経営の持つ問題点として,損失計上続きの財政,負債,ピラミッド型の系列関係,合理的な購買方針やサプライヤーとの関係の欠如,高製造コスト,製品レンジの過度の多様化,高価格に支えられた品質,世界シェアの低下(1990年6.4%から1998年4.9%に),過度の技術指向,売り上げ・シェア至上主義,品質の追求がコスト計算に優先,年功序列,取締役37人体制による戦略的意思決定能力の乏しさなど,数多くのものが指摘できた。ルノーにとって,日産が抱える財政面や肥大化・硬直化した組織の問題に対処しえるかどうかは,大きな不確実性要因であった。
同時に,日産にとってのリスク要因を考えると,まず,戦略的提携を含む抜本的改革案をまとめるデッドラインは,会計年度が終了する1999年末日となっていることであった。これは短期クレジットラインの再交渉が実施される日であり,市場に何らかの改革案を示し得なければ,格付けを落とされるる可能性があった。そうなれば,一気に資金調達難に陥り,財政難・業績悪化から経営破綻は避けられなくなることが予想された。日産のジレンマは,卓越した製品と技術力を有しながら,財政破綻から競合企業の傘下に陥る可能性に瀕していることであった。日産の緊急課題は,@収益力向上のための,生産システム,購買方針,系列関係全般の抜本的改革,A短期間に財政面での救済をしてくれるパートナーを見つけることであった。
次に,脆弱性という観点から分析すると,交渉を通じての良好な関係構築・産業面でのシナジーの可能性の認識とはうらはらに,日産のパートナーをとなる上での,ルノーの弱みが認識できた。それは,@日本でルノーの知名度が低い,A日産と比較して資本が少なく規模が小さい,B1980年代は経営危機に瀕するなど,かつては赤字体質の国営企業であった。こうした脆弱性から派生するリスクとして,(a)いくら対等な提携であっても,日本におけるルノーの知名度の低さゆえに,「日本第二位の自動車メーカーが外国企業に買収された」という悪印象を与える可能性,(b)ルノーの財政力では日産の債務改善には不十分で,ルノーの財政まで悪化する可能性があった。
以上のような不確実性と脆弱性を背景に,「第三の意思決定・リスクテーキング」として,1998年10月,シュワイツァーは,日産との提携について明確な原則を確立した。それは,ボルボとの合併計画頓挫の失敗に学んで,出資比率を株式の36%とする@「対等の地位」の保証と,1990年代におけるルノーの経営体質改善の経験を活かしてのA「マネジメントの参加」による日産の経営改革である。
5.第四の意思決定・リスクテーキング:原則堅持の選択
ルノーの日産との交渉に対する大きな転機は,まず第一に,1998年12月15日に,21の共同調査チームが最終報告書を提出した後,12月23日になって,日産側がルノーの提携案には日産ディーゼルも含まなければならないと主張し始めたことであった。第二に,排他的条項が更新されなかったので,日産との提携を目指す上で,ダイムラー・クライスラーとの競合が明らかになったことである。1999年1月 相当注意義務(due diligence)期間開始となった。この環境の変化に対して,「第四の意思決定・リスクテーキング」として,ルノーは,まず第一に,日産ディーゼルを契約に含めることに合意し,日産の保有する日産ディーゼル株式を取得する手法を提案した。第二に,ダイムラー・クライスラーとの競合関係となっても,日産にこびることなく,「対等の地位」と「マネジメントの参加」という二大原則を堅持することとした。
日産の視点から見ると,この時期,合併(ダイムラー・クライスラー)か提携(ルノー)かの二者択一の大きな意思決定迫られる状況になった。新たに本格的な交渉に入ったダイムラー・クライスラー社と合併した場合,日産のアイデンティティをどのように残してくれるのかなど,大きな不確実性要因に直面していた。
6.第五の意思決定・リスクテーキング:信頼関係重視の選択
1999年3月3日に開幕したジュネーブ国際モーターショーにおける最終的な接触を経て,3月11日にダイムラー・クライスラーは日産との交渉を打ち切ることを表明した。競合相手がいなくなったという転機を迎えて,ルノーには,@交渉におけるこれまでの原則・提案を変えない,A提案を変更するが,それは競合関係が消滅したからではないと主張するという2つの選択肢があった。シュワイツァーは@を選択し,圧倒的に有利な展開になっても,従来からの原則・提案を何ら変更しなかった。
これは,フランス政府を伴った尊大な態度ゆえに頓挫したボルボとの合併交渉の失敗の教訓に基づき,1998年秋以来の共同調査で築いてきた信頼関係の維持が最も重要と判断した結果であった。ルノーは,自動車メーカーのリーダーとしては異質のソフトな紳士であるシュワイツァーが塙と初会談してすぐに信頼関係を築いて以来,共同調査を通じて育んできた両社の関係を大切にし,日産の立場を尊重して日産に最も的確な問題解決策をもたらしうる安定した信頼できるパートナーであることを示すのが最もプラスになると判断したのである。
信頼関係の重視に基づく「対等の地位」という原則をルノーが一貫して保持したことが, 1999年3月27日の調印という形で結実する10ヶ月に及ぶ戦略的提携交渉が成功した要因であった。提携に関わり一貫して堅持されたもう一つの原則「マネジメントの参加」は,提携後,ルノーから派遣されたカルロス・ゴーンを中心に,ルノーの1990年代における経営体質抜本的改革の経験を十分に活かした日産の再建という形で発揮されることとなった。
7.フランス企業の日本進出戦略の事例として
ルノーから派遣された日産の社長兼CEOであるカルロス・ゴーンは,自らの経験から,フランス人の特性として,ものごとを批判的に考えること(remise en question)と独創性(créativité ou l’attrait pour l’innovation)を挙げ,抽象的なコンセプトから戦略を創出するのが得意であると述べている。一方,日本人については決定したことを綿密に実行する力(mise en oeuvre)や品質管理(contrôle de qualité)に優れ,労働者の勤勉性では世界一であると指摘している。(注11)フランス企業の日本進出戦略の展開という観点から見れば,このような日仏の特性を活かした融合的な企業経営が実現し,アメリカ型のグローバルスタンダードとは異なる企業経営や経営戦略が産み出される可能性もあろう。
(注)(10)
Carlos Ghosn, “Nous savons nous remettre en question” Le Figaro, 21 fevrier 2001 ; 『日本経済新聞』2000年10月1日「収益本位の経営を徹底 系列の存廃,コストで判断 日産自動車社長カルロス・ゴーン氏」。