オーストラリアのシドニー在住の3期生、王生早苗さんからのレポートです。

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11号〔タカハシナオコ〕(2001.9.10)

最近の面白かった話しを一つ・・・。

最近といってもかなり前ですが、私が働いている「GUCCI」にある日、ある人がやってきました。私は彼女の顔を見ながら「うーーーーむ・・・どこかで見たことがある・・・・でも思い出せない!!!誰だっけ????」としばらく考えていました。このお店は、免税品店なるものなので、商品を免税価格で購入するさい、パスポートと航空券の提示が求められます。もちろんこのお客さんにもそうお伝えしてパスポートのコピーを頂きました。その名前を見て、また「はて??タカハシナオコ??どこかで聞いたことがあるぞ!!」と思いつつも、全く思い出せなかったのです。そう、何を隠そう、彼女こそマラソンランナー「国民栄誉賞」の高橋ナオコさんだったのです。しばらく考えて考えてやっと思い出した私は少し興奮気味に他のスタッフに「あ、あ、あの人、金メダリストの高橋選手だよっ!!」と言ったものの、西洋人には「ただのアジア人」にしかみえなかったらしく、「あら、そう」と片付けられてしまいました。

それでも私は同じ日本人として、何か言わねばと思い「あのぅーーー、失礼ですが、高橋選手ですよねっ!!」と元気よく聞いたところ、何と、な、何と、マネージャーらしき女性が、いきなり口をとんがらかして、指を1本立てながら「しっっっーーーーーーーー」と私を睨み付けたのです。「・・・・・・・・・・」その時の状況といえば、店には他のお客さんが誰もおらず、しかも他のスタッフは気にも留めておらず私も10分たってやっと思い出したという始末・・・・笑いたいのを必死でこらえて「あ、そうですか・・・」と意味のない返事をして、カウンターを後にしました。

ところがその時、なんとも偶然というかよいタイミングというか、7,8人の日本人の団体客がワサワサと店に突入してきたのです。彼らは高橋選手の前を大股で歩きながら、彼女を一瞥したものの、気に留める風でもなく、鞄や財布にばかり気を取られていました。にもかかわらず、高橋選手がとった行動というと、いきなりトンボに変身したかと思われるようなでっかいサングラスを身に付け、さらに体をエビのように曲げて身を隠しながらこそこそと泥棒のように退場して行ったのです。私を含めて、他のスタッフは皆ボーーゼン・・・。その3秒後に、店中が笑いの渦に陥ったのは言うまでもないこと・・・。日本人のスタッフも含め「いやぁーーー、おもろいもん見せてもろたなぁ。」と楽しい1日でした。

10号「いろいろ」(2001.7.16)

ご無沙汰しています。すっかりここシドニーは冬になってしまいました。といっても爽やかな冬晴れの天気が続いています。

先週の土曜日、つまり7月14日は、イギリスのラグビーチーム「ライオンズ」とオーストラリアのチーム「ワラビーズ」のテストマッチが、シドニーのオリンピック会場で行なわれた日でした。まぁその2,3日前から、すごい人、人、人の山。特にイギリス人がシドニーの町を埋め尽くすという感じでした。

私の働いているロックスという場所は、以前にもお話した通り観光地で、現代美術館の中に設置されています。そのためツーリストの山です。しかもその隣は「カンタベリー」というフットボール専用のジャージーや小物が売ってるお店で、しかもその経営者がもとプロの有名な選手なんです。だからテストマッチに向けて、サポーターたちがワンサカと小物を買いあさっていました。何と私のお店の前にまで行列が作られるという有り様で改めてこの国、というかイギリス人とオーストラリア人のフットボール好きに気付かされました。もちろん私も友達たちと、パブで大騒ぎをしながらゲームを観戦しました。結果、ワラビーの勝利!私は個人的にフットボールに興味があるわけではないし、はっきり言ってどっちが勝ってもいいのですが、やっぱりオーストラリアに居る以上、こっちを応援せねばという感じです。先生はイギリスにおられた時に、フットボールに興味がありましたか。日本では野球やサッカーがメインだけど、こっちでは全く人気なしです。ホント国が変ればいろんなことが違ってきますね。

ところで、最近見た映画で面白かったもの、何かあります?この前テレビで「タイタニック」が放送されていました。思わず見てしまいました。さすがに5回目ともなれば涙はでなかったけれど、いい映画は何度見ても感動しますね。随分前ですが「CAST AWAY」もよかったですよ。これも感動しました。トムハンクスらしい映画でした。ごらんになりましたか??

日本のビデオも時々見ます。スパスパ人間学や、ためしてガッテン、知ってるつもり、あるある大辞典などの情報公開番組はホント楽しいですね。こっちではそういった番組があまり充実していません。イギリスのBBCや海外の放送などを取り入れたSBSは非常に興味深いですが、それ以外はとんとつまんないです。日本のアニメは朝の7時から1時間ぶっつづけでやってます。今はポケモンとドラゴンボールZです。もちろん英語です。とっても違和感がありますよ。でもたまに見てしまう私・・・

食べ物がおいしい季節です。魚や野菜がおいしくて、鍋などしたら最高です。薄切りのお肉とかも、韓国のお肉屋さんなら1kgで700円くらいで売ってます。食べきれませんよ、これは!!日本の高給霜降りには負けるけど、それでも日本の味を楽しむには十分のお肉が手に入ります。もちろん昆布やかつお、醤油、みりんなど、何でも買えます。白菜が丸ごとで100円とかの世界です。先生、白菜の値段って分かります??今度スーパーでチェックして下さいよ。まさか白菜ネタでメールの「しめ」に入るとは思ってもいませんでしたが、結構のんきに元気にやってます。次回はもう少し、社会学的な話題を送ります。ではご家族に宜しく!!

第9号「洗濯機と車」(2000.1.31)

ここオーストラリアには、コインランドリーと持ち込み専用のドライクリーニングが一緒になった店が多い。私の家のすぐとなりにも、この様な店がある。以前洗濯機が壊れた時、隣にこのお店があったおかげで、非常に便利と感じたことがあった。しかしスーツやコートを洗濯に出す以外に、私はこのお店を利用したことがない。こちらのドライクリーニングは、どのお店も非常に仕事がへたくそで雑だ。高いスーツの胸元に、平気で安全ピンで名札を付けられていた時、店先で私は怒り狂った。穴がポコっと開いてしまっているではないか!!しかし相手もつわもので、耳の遠いお婆さんが店番をしているので、私がギャーーギャーー怒っても、知らん顔。一人ゼーーゼーーいいながら、泣く泣く帰ってきた時のことを思い出すと、今でも腹が立つ。

とにかくこのドライクリーニング店。週末になると家族総出で、洗濯物で山積みになったバスケットを、2つも3つも持ち込んでいる人たちをよく見る。中にはかなりの高級車に乗ってくる人もいる。この光景が私にはいつも異常に映る。「車は買っても洗濯機は買わない」というそのプライオリティが、なんとも外国らしいという感じがする。日本だと、車はなくとも洗濯機ぐらいは、ビンボー学生でも持っていそうなものだ。一人暮らしでも、洗濯ものは毎日のように溜まっていく。ましてや家族や子供がいれば、山のような洗濯物が出るはずだ。にもかかわらず、洗濯機はかなりその地位を低く見られている気がする。日本だと「静御ぜん」なんていう名前の商品が数年前に出て、音が静かとか、手洗い洗濯もできるとか、いろいろ工夫されたハイテク洗濯機が登場した。このように日本では洗濯機の電化製品における地位は非常に高い。

以前、私はホストファミリー宅にお世話になっていた時期があった。かなりの件数のファミリーにお世話になった。そのほとんどの家族は毎日洗濯をしないのだ。日本だと、どんなに忙しい共働きの奥さんでも、せめて1日おきくらいに洗濯をするだろう。でも彼らは、いくらお天気がよくても、時間があっても、洗濯はカゴ一杯になるまでほったらかしなのだ。これはもう習慣としかいいようがない。汚いものを溜めておく、ということに抵抗を感じるか感じないだけかのことだろう。それは日本人でも同じ事かもしれない。気にする人と、しない人。私がたまたま気にする人だけだったのかもしれない。

もう一つよく見かける光景は、雨がザーーザーー降っていても、洗濯物を干したままというもの。その後の晴天で自然に乾くまで待つ、というものなのだ。これには本当にびっくりした。私は今でも雨が降ると「わーー雨や雨や!!」と大騒ぎして、慌てて洗濯物を取り込んでいる。近所の人はそんな私を不思議そうに見つめているけれど…

洗濯を毎日して、雨が降れば大騒ぎをする私は、やっぱり日本人だねぇ、と自問自答している毎日である。

第8号「オーストラリアの祝日」(2000.1.31)

こちらに来て間もない頃、ホストファミリーに

「日本の祝日は年に何日あるの?」

と突然聞かれておろおろしたことがあった。カレンダーマニアでもない私はひたすら

「えーーーと、えーーーと」

と考えるだけで、冷や汗が出そうになった経験がある。(日本の祝日もろくに知らずに、何が日本語教師だ!)と自分を叱咤激励しつつ自室に戻り、早速カレンダーをめくった。なんとびっくり、日本には14もの祝日があった。つまり2週間は余分なお休みということになる。

子供の頃「6月になんで祝日がないのか」と不満に思ったことがあった。連休明けの6月、暑いさなかに祝日がないのが、妙に損した気分になっていた記憶がある。しかしよくカレンダーと見ると、実にうまい具合に祝日が組み込まれていることに気づく。祝日の名前も季節や日本の文化にあっており、実に好感がもてる。文化の日、体育の日、敬老の日、勤労感謝の日(といってもうちの父は働いていたらしいが…)その他いろいろあって面白い。誰がいつ、なんの根拠でこの様な名前を付けたのかまでは調べていないが、それでも改めて見ると、興味深いものがあった。

ではオーストラリアはいかに?なんと調べてびっくり。こんな怠け者の国にもかかわらず、祝日はたったの9日しかないのだ。これは州によって多少異なるが、ほとんどが8日か9日というから驚きだ。NSW州の祝日は以下の通りである。

1月1日       :New years day

1月3日:New Years day holiday   

1月26日:Australia day     (アボリジニにとっては侵略された日ということになる)

4月21日:Good Friday (イースターの前夜祭のようなもの)

4月24日:Easter Monday

4月25日:Anzac day (戦争で亡くなった人達の追悼式・パレードが行われる)

6月12日:Queens birthday(イギリスの女王様のお誕生日)

12月25日:Christmas day

12月26日:Boxing day (クリスマスの余韻を楽しむ為のオージーのいい訳??)

これを調べながら、「他の国はどうかなーー?」と興味を抱き始めた。イギリスは9日よりも多いのでしょうか?先生、また教えて下さい。

第7号「NSW州立美術館へ行く」(2000.1.31)

先日の「Australia Day」(祝日)に、NSW州立美術館へ行った。1月の終わりの2週間は、毎年「シドニーフェスティバル」が開催されている。といっても私の生活に何らかの影響をもたらすものではなく、ただあちこちのスタジオや会館で、劇やダンス、催し物が行われるというもの。この1月26日もこのフェスティバルのどさくさに紛れ、美術館で「レオナルドとミケランジェロが展示される」というイベントがあり、お尻の重い私も

「じゃ、行ってみっか」

という気になったわけだ。

NSW州立美術館は、シティーのど真ん中にある。ハイドパークという大きな公園を通りぬけ、大教会の向かいにある立派な建物がそれだ。その日のハイドパークは人でごったがえしていた。野外コンサートがあり、歩行者天国にはクラシックカーの展示があり、屋台があちこちにひしめいて、芝生の上には所狭しと人々が勝手気ままに座り込み、ワインを飲んでいる。すでに出来上がっている人もチラホラいた。まだ午後の12時なのに、一体彼らは何時から飲んでいるのか不思議に思いつつ、私はさっさとその公園を通り抜けた。目指すは「レオナルドとミケランジェロ」である。美術館はかなりの人がいた。1階の無料コーナーで、私は十分感動してしまった。素晴らしい絵画の数々である。そこにはオーストラリアの画家のものが展示されていた。周りにいた子供達も比較的静かで、落ち着いて絵を楽しむことができた。ところが2階には、突然降って沸いたように「アジアの芸術」のコーナーが、でーーーんと設置されていた。中はやたらと暗く陰気くさかった。日本の和室が隅っこのほうにひっそりと再現されており、その他屏風やら大仏やら、それも中国のものやベトナムのものがごっちゃになって展示されていたのには、正直がっくりした。その隣のコーナーは、これまたとって付けたような「アボリジニ」のコーナーで、お土産やさんなどで見かける、あの独特なデザインと同じような大きな絵が、あちこちに飾られていた。そして極めつけが「近代美術」である。異様な雰囲気だった。「これが芸術というものか」と納得しようとしても私にはできない。疲れてベンチに座ると大きなあくびが出た。ふと横を見ると、同じように大あくびをしている人が何人もいて正直ホッとした。しかし、このだらけきった「近代美術」のコーナーで、作品に関して真剣に議論をする人がいた。同性愛者らしき二人のとても素敵な「お兄さん」であった。きっと彼らぐらい美意識が高くないと理解できないのだろうと、私はさっさとその場を離れた。そして向かうは「レオナルドとミケランジェロ」である。大人ひとり12ドルを支払い中に入って、私は唖然とした。かなりの展示物ではあるが、それら全ては、折り紙くらいの大きさの紙が額に入れられて飾ってあるだけのものだった。近くで見ると、それはエンピツでスケッチされた、男の裸の絵だった。それが100点以上もあった。他にも若い男の裸があった。人の顔もあれば、人の手もあった。しかし全てが「スケッチ」だった。かなりがっかりしたが、とにかく気を取り直して進んでいった。私はここでも「これが芸術か…」と思いつつも「ふーーーーん」という感想しかなかった。やっとレオナルドの作品を見付けた時も、その両側に同じようなおっさんの裸があって、

「えっ?これがそうなん??」

という感じで、ただただ「ふーーん」「へぇーーー」を心の中で連発した。ピカソのスケッチもあった。これは私にも

「あ、これはピカソって分かる分かる」

と、少し満足できた。そしてこの裸の絵に飽き飽きして来た頃、私の目にとんでもないものが入ってきた。なんとドラゴンボールに出てくる「神様」が飾ってあるではないか!!

「な・な・なんでこんなとこに鳥山明の絵が??」

と不思議に思い、私はものすごい近くまで行って、食い入るようにその絵を見たけれど、やっぱりそれは「神様」だった。しかもそれがなんとレオナルドの作品とあって、私はぶったまげた。本当にそっくりなのだ。他人の空似とは言うけれど、この場合作品の空似とも言うべき、ものすごい発見だった。300年の時を経て、同じ様な絵が存在することに私は興奮した。周りに日本人がいないか探したが、駄目だった。

鳥山明の前世はレオナルドだったのだろうか、とバカな事を考えながら、私は美術館を後にした。自分でもつくづく「華より団子」人間だなぁ、と情けなくなった。スケッチを見て、私は「おーーー」と感動できなかったのだ。しかし歴史を感じることはできた。300年の時を経て、今もなお彼らの作品は生きており、それが彼らの生きた時代、時間の証であるのだ。レオナルド・ダ・ヴィンチなんて、教科書や「世界不思議発見」で得た知識しかない私だ。しかし目の前に彼の描いた絵があると、昔むかし、大昔に、彼がこの絵の前に立ちエンピツを手に取り、考えにふけっていたと思うと「うーーーむ」となってしまう。私が10年かけておっさんの裸をスケッチしても、その後その大作が何年保管されるだろう?そう思うと、若くして人々を感動させる作品を世に残したレオナルドやミケランジェロは、やっぱりすごい人達なのだろう。今回は期待が大きすぎたが、これもまた芸術なのだ、と勉強になった1日だった。

第6号「肥沃な土壌地帯の国々に恵まれて…」(2000.1.9)

先生のロンドン通信には私もうなずくことが多いです。ここオーストラリアは、一応現在でもイギリスの領土国なので、あらゆる面でイギリスの文化や習慣が生活の中に密着しています。たとえば「chips & fish」という代表的な食べ物も、イギリスから来たものです。つまりこの「揚げた芋と揚げた白身魚」は、ほとんどすべてのオージーが好んで食べる体によくない食べ物です。これ一つ取り上げても、私は先生の通信を日本にいる時以上に「分かる分かる、揚げた芋なんてまずいわーーー」と、同感できたりするのです。幸いここオーストラリアでは、イギリスのように食事には苦労しません。本当においしいレストランがあちこちにあります。もちろん日本食もあり、そしてタイ・マレーシア・インディアン・中華・韓国・ベトナミーズ・イタリアン・スパニッシュ・ターキッシュ、メキシカン、あらゆる国の料理が楽しめます。中にはネパール料理屋なんてのもあり、一体どんなモノが出てくるのか興味津々なのですが、いまだに怖くてチャレンジしたことがありません。この多彩な料理の数々は、ひとえにこの国が移民の国であることと、豊かな海から取れる魚介類・広大な土地からできる穀物や野菜・果物に恵まれていることに由来します。

地図を広げると、私が上記したタイ・マレーシア・・・・すべてこれらを、一本の太い直線で結ぶことができます。中学の時に習った、「肥沃な土壌地帯」は、現在の私の食生活にまで影響を及ぼしているのか、とちょっと感動してしまいました。

以下、簡単に異国の料理をご紹介しましょう。

まずは私の大好きなタイ料理。怪しげなタイ人がタイ語で話しながら作ってくれる「ラクサ」というぴりっと辛い、ラーメンのような食べ物。とにかく初めて食べた時は「辛い」 といいつつ見事平らげた私です。いたるところにあるタイ食堂(レストランまではいかない、せいぜい食堂どまり)の「ラクサ」は日本人が味わったことのないものです。そしてタイ料理の特徴はココナッツミルクとチリ(唐辛子)。チリの辛さとココナッツミルクの甘さが混ざって、なんとも言えない味わいになります。とにかくタイ料理はかなり辛いです。

マレーシア料理。これは日本食に類似している気がします。中華料理をもっと食べやすくした感じで、日本人好みだと思います。私が初めてマレーシアレストランに行った時、そこの人が「このヌードルはすごくおいしい。一度試してごらん。」と自信満々に言ったのでそれを注文しました。なんと出てきたのは、フツーのそこらへんの屋台で売っている「日本の焼きそば」だったのにはがっくりきました。私が一人もくもくとこの「焼きそば」を食べていると、いっしょにいたオージー達が「ね、ね、おいしいでしょう??」と何度も何度も聞いてくるので、一応「うん。おいしいよ」と笑顔で答えたものの、マレーシア人の迫力あるあの笑顔に圧倒されて「焼きそば」を注文してしまったことを、私は今でも後悔しているのです。

インディアン料理。これも私のお気に入り。インド料理といえば、お母さんが作ってくれる、あのジャガイモやにんじんがごろごろ入った「カレー」くらいしか知らなかったので、本格的なインディアンを食べた時は意外なその「甘さ」に驚きました。全然辛くないのです。日本のカレー屋さんにあるような10倍カレーなんて、あんなもんそりゃ「インド人もびっくり」するでしょう。カレーといっても、チキンカレーやビーフカレー、マンゴカレーなんてのもあり、いろいろ選べます。香辛料が違うので辛さがちがうのです。それにもっとスープのようにさらっとしていて、ご飯はぱらぱら。そして「ナン」というでっかいタコせんべいのようなペタンコのパンにカレーを乗せてガブッといきます。他にもカレーだけでなく、ナスの揚げたものや、野菜やお肉を丸めてあげたものなど、発想はコロッケに近いものですが、味付けや使っている薬味が違うのでまたこれも楽しめます。

中華料理。ジャッキー・チェンなどの映画でもよく出てくるように、この中華料理屋というのは、とにかくうるさい。中華料理といってもピンからきりまであります。ちなみに大阪でおなじみの「王将」は中華料理ではありません。

朝食にぴったりのお粥専門店もあれば、大人数でいく高給レストランもあるし、激安から超高まで値段もピンきり。それは目的別に選ぶのがいいでしょう。でも絶対避けたいのがお昼時の「ヤムチャタイム」。これはいけない。もう11時頃から中国人でいっぱいになり、英語で「エクスキューズミー」なんて言っていても、誰も聞いてくれません。人をかきわけかきわけ、一番前までいき、担当の人に

「4(フォー)プリーズ、フォー、フォー!」

と、指を4本立てて大声で言わないと、振り向いてももらえません。中国に行ったことのある友達いわく、「私、結局バスに1度も乗れなかった・・」のだそうです。人口が多すぎて、みんな人を押しのけてモノを買ったりバスに乗ったりするので、お上品に「順番待ち」なんてしていたら、一生みかん1つさえ買えないそうです。

私は一度、この「ヤムチャ」をゆっくり食べたいと思い、友達と連れ立って、朝の9時にレストランに行ったことがあります。まさかこんな早くから「ヤムチャ」なんてこってりしたもの食べる人は私達くらいなもんだ、と思い意気揚々レストランに行くと、おそるべし中国人たち!なんとそこはすでにほぼ満員だったのです。中国人は早起きで働き者で、食欲旺盛なのでしょうね、きっと…。

韓国料理。これは私もまだ数えるほどしか食べていません。一体何が韓国料理かも分かりません。初めて行った韓国料理屋は、いわゆる「焼き肉」でした。次にトライしたのは、お鍋のような「なんとか」という、日本でも耳にしたことのある料理でした。キムチも白菜だけでなく、その他いろいろありますが、全体的にかなり辛いです。辛いものがあまり得意でない私には、少しつらい食べ物です。でも焼き肉は本当においしかったですよ。

ベトナム料理。これはひと好き好きでしょう。特にメインになるいくつかのハーブが非常に香りのきついものなので、レストランに入っただけで、「うぇっ」とくる人もいるようです。味付けはかなり淡白。たまに塩とコショウしか付けてないのとちがうか?と思えるほど、味の薄いものもあります。麺類も他のアジア国のモノとはちがい、味付けが中途半端なきがします。でもたまに食べるには「ちょっとかわっていていいかな?」という感じです。ちなみに私はベトナム料理がちょっと苦手です。

イタリア料理。日本ではせいぜい食べられてピザとパスタくらい。ピザはこちらでは「ジャンク(ごみ)フード」と見られがち。パスタは軽食。では何がイタリア料理かというと、これまた難しい質問。レストランで食べるイタリア料理というと、コースがほとんど。スープやオントレーから始まって、メイン、そしてジェラートなどのデザート。そして最後の締めは強いコーヒー。メインもお肉やお魚といった、いたってフツーの物ばかり。シドニーにある「ノートンストリート」という地域はイタリア人の街。ここにあるイタリアンレストランはどこに入っても外れなしの優れた地域です。イタリア料理というと「ピザとスパゲティー」しか知らなかった私です。世の中おいしい物はホントたくさんありますねーー。

スパニッシュ料理。これも日本では「パエリア」くらいしか知らなかった私。イタリア料理と似ているようで、ちょっと違う気がします。こっちはもっとトマトテイストという感じがします。色の赤い物がおおく、フルーツポンチのような果物の入ったアルコールを飲みながら食事を楽しみます。いくつかの大きなレストランでは若い女の子達がフラメンコを踊ってくれたりして、気分もエスパーニャ??イタリア料理もスペイン料理もかなりオリーブオイルをふんだんに利用しているので、日本食好みの人には少々こってりした料理といえるでしょう。ちなみにとあるレストランでパエリアを注文したら、直径が軽く50cmはありそうなパエリアが出てきました。いくらオーストラリアで大きなものに慣れてきたとはいえ、ちょっとびっくりした私です。

ターキッシュ料理。本格的なターキッシュ、つまりトルコ料理をまだ食したことがないので、私の知っているのが本当のトルコ料理かどうか分かりませんが、よく行くのはトルコのピザ屋さんです。これがめちゃくちゃおいしい!トルコ料理で有名なのは「ケバブ」というピザの薄い生地にお肉やレタスを乗せて、くるくる巻いて食べるもの。これもなかなかおいしいけれど、絶対お勧めがターキッシュピザ。30cmはあるような大きな長いパンにほうれん草や鶏肉などをつめて、最後にチーズをどっさりのせてオーブンで焼いたもの。そして焼きあがったのもにレモンを絞って食べるのです。サイコーーにおいしいです。でもカロリーもすごそうです。

メキシカン料理。メキシカンといえば日本でもお馴染みのタコス。英語では「タコ」になります。コーンがメインおこのお国。コーンチップスのものすごく大きなモノをオーブンで焼いてその中にレタスやニンジンやトマト、ミンチの炒めたものなどを入れてばりばり食べます。家で食べると、タコを各自が手に持ち中身の具を選んでつめるので、発想は手巻き寿司のような感じです。その他「ナチョス」というのもお馴染みメニューの一つ。コーンチップの小型の物にチキンやビーフを乗せ、そのうえにチーズをかぶせてオーブンで焼き、後はサワークリームや好みによってアボガドディップを乗せて食べるもの。メキシカンといえばやはり「タコ」ですね。

上記の国々の料理が必ずといって用いる薬味は、何といってもガーリック、ニンニクです。本来の日本食は、ニンニクをほとんど使わない料理といってもいいでしょう。そのため日本人は、ニンニクを食べた次の日は、口臭に注意するという習慣がついていますが、こっちの人はそんなことを全く気にしません。挨拶代わりにキスをする習慣があるにもかかわらず、それほど気にしているように思えないのです。それにひきかえ、食事中に席を立つことや、くしゃみや鼻をぐずぐず言わすとこは非常に失礼です。日本人はお寿司を手で食べることになんの抵抗も感じませんが、西洋人は「いいのかな?」という表情で寿司を手にとっています。日本人はお味噌汁を直接ぐいぐい飲むことになんの抵抗も感じません。しかし器からそのままスープを飲むとこに、西洋に人はかなり抵抗を感じるようです。希に味噌汁をスプーンで飲んでいる人を見掛けます。

「食は文化だ」といいますが、それはその国に行ってその国の人が作った物を食べないと実感できないでしょう。日本食といえば天ぷらやすき焼きしか知らない外国人同様、私も他の国の食べ物に関しては全く無知でした。しかしここでは様々な国の食事を楽しむことができます。それを通じてその国の文化や習慣を少し理解することができます。食事を通じて文化の違いを学ぶのは非常に大変です。失敗も数多くあり、その度にはらはらドキドキします。こんな事をしていいのだろうか?失礼な奴と思われないだろうか?これは食べる物か、添え物か?ソースはなにがいいのか?注文したら予想外の変なモノが出てきたり、意外とおいしかったり、などなど… 時に緊張して、レストランなどでゆっくり食事を楽しめないことも多々ありました。フォークで豆を突き刺したら、ピューーンとそのお豆さんが隣の人まで飛んでいった時は、顔から火が出るほど恥ずかしかったです。こんな事を経験しながら、今ではやっと落ち着いてレストランで食事ができるようになりました。

ローマは1日にしてならず。食事一つするにも、かなりの知識と経験がいることに驚かされます。

とにかく、オーストラリアに来られたら、オージービーフではなく、タイやターキッシュ、スペインなどの料理を楽しまれてはいかがでしょうか?

第5号「土足厳禁はいかに?」(2000.1.9)

私は、ここオーストラリアに2年半も住んでいながら、いまだに絶対我慢できないとこが一つだけあります。それは「土足で家に上がる」ということです。私の家では絶対的土足厳禁体制を強制しています。オージーの友達が来ても必ず靴を脱いでもらいます。中には嫌そうな顔をする人もいますが、他の何を我慢できても、この「土足で家に上がる」ということだけは鳥肌が立つほど嫌なのです。

しかし私はこの「靴を脱ぐ」という習慣を、うまく説明できずに困っています。日本という国が注目されるようになって、今では小学生のクイズ番組でさえも

「日本人が家に入る前に脱ぐ物はないか?」

という問題が出たりして、その問題にみんなすらすら答えているのです。しかしどうやってもこれをうまく説明できないのです。一番多い質問は

「もし日本で靴を脱ぐのを忘れて家に上がったら失礼か?」

というものです。初めてこの質問をされた時、私は思わず笑ってしまいました。なぜなら靴を脱ぎ忘れるなんていう日本人はいないからです。いくら酔っ払っていても靴ぐらい脱ぐでしょう。さらに靴を脱がずに他人の家に上がるなんて、失礼を通り越して、そんなことを考えたこともなければ、そういった事をした人がいるというのを聞いたこともありません。お金を取りたてに来たヤクザでさえも靴ぐらい脱ぐでしょう。この質問を私は何度も投げかけられて、本当に困っているのです。次に多いのは

「日本では皆、どこの家でも家族でもこの方法を取るのか?」

というものです。というのはここオーストラリアでも家で靴を脱ぐ家族が多いからです。しかしゲストにそれを強制するようなことはありません。あくまでも靴を脱ぐのは、家をきれいに保つ為、リラックスする為であって、絶対的ルールという訳ではないのです。日本では誰もが当たり前のこととして、生まれてから死ぬまで、家の中では靴を脱いで生活をします。家屋が西洋風になったといっても、おそらく日本人はこの習慣を次の世代へ受け継いでいくでしょう。言葉使いや生活習慣がいかに変ろうとも、家の中で靴を脱ぐということだけは、絶対に変わることのない習慣だと私は思うのです。しかしこの事をどうやっても彼らに理解してもらえないのです。

私が思うに、日本は内と外を分けるという考えがあるのではないでしょうか。つまり内は神聖なもの、外は汚いもの、だから汚い外の世界のものは内に持ち込まないというこではないでしょうか。さらに昔は下駄を履いていた事(床を傷つけやすい?)と、畳の部屋という2つの理由があいまって、そのようになったのか…いつ頃から靴を脱ぐという習慣ができたのか知りませんが、西洋人の考えている「靴を脱ぐ」というのと、日本人が考える「靴を脱ぐ」というのには、説明できない食い違いがあるように思えるのです。

その一方、確かに他人の家に行って、臭い、靴に蒸れた足をさらけ出すのも失礼といえば失礼です。日本人は所かまわず靴を脱ぐ癖があります。映画館や公共の乗り物、長時間座る場合、日本人は靴を脱ぎたがります。これも西洋人には失礼に映るのです。他人の前で臭い足を出すとは何たること!となる訳です。日本では電車で子供が座席に立つ時、靴を脱がせます。これは微笑ましい光景ですが、私はそんなことをする人をこの国で見たことはありません。ここでは電車の座席のほうが汚いかもしれませんが…

この問題に対して、ここオーストラリアに滞在する他の日本人はどう考えているのでしょうか。私はよくこの質問を皆に投げかけます。私の予想通り、ほとんどの人たちが靴を脱ぐという習慣をこちらでも続行しているのです。そして中にはゲストにも強制するという、絶対的土足厳禁を施行している人もいます。

まず賛成派の意見として、

  1. きれい。衛生的。当たり前のこと。
  2. 家の中で靴を履いているのが窮屈。
  3. 掃除が楽。
  4. (幼児のいるところ)子供にとって安全かつ衛生的。
  5. 引越しする時、絨毯がきれいなほうが、敷金礼金がたくさん返ってくる。
  6. 絨毯に寝転んでも、ダニや虫に刺されることが少ない。

日本人以外でこの「家で靴を脱ぐ」とこに賛成している人も多数にのぼります。みな衛生的で合理的な考えだ、と口をそろえて言います。つまりこの事に対して肯定的なのです。しかし日本人は「家の中で靴を脱ぐこと」に肯定的というよりも、土足で家に入ることに対して極度に否定的なのです。つまり「絶対にいや!おかしい!」事なのです。

「家で靴を脱ぐのはいい考えなんじゃないの?」という彼らの肯定的見解と、「家に靴で入るなんて信じられない!」という否定的見解及び嫌悪感が、お互い今一つ理解しあえない溝になっているのではないでしょうか。

一方反対派の意見として

  1. 外国にいるのだから、こちらの様式に従うべき。
  2. また一つ自由になれる。(日本にいる時の常識や、その他のもろもろのものからの開放感を意味しているのではないでしょうか)
  3. 忘れ物をした時や急いでいる時に楽。
  4. 気にならない。シェアメイトがそうしているから。

私も他人と家をシェアしている時は、土足軟禁状態でしぶしぶ我慢していましたが、それもストレスの原因になることに気づきました。現在の家に移り、私は徹底的に土足厳禁を実行していますが、家の修理や商品のお届けなどで、どうしてもこっちの業者と関係をとらなくてはならない時があります。その時が一番辛いのです。まず彼らは絶対時間通りに来ないし、修理を頼んでも直っていないことがほとんどです。そして来ても靴のままどかどかとはいってくるのです。一度それで私が怒ったら「何でこんなことで怒るの?」とアブナイ人を見るような目で見られてしまいました。この前もベットを買い、その時も靴を脱いでくれなかったので私は一人ぷりぷりし、「ちょっとーー脱いで下さいっ」というと、そいつは一言「嫌だ」と言い放ったのです!!!人の家に土足で入るとはなんたること!フツー日本だとお客さんの家に行くのだから、そこの人が言うことを多少面度臭くても聞くものですが、こっちの人はお構いなし…

日本の家がいかにきれいであるか、清潔であるか、またそうあることがどれほど大切なことか、彼らには想像もつかないのでしょう。おそらく、日本は世界で一番掃除用品の需要供給が高い国ではないでしょうか。

さて、先生はいかがですか?イギリスの家でもやはり靴を脱ぐことを続行されていますか?外でイヌやネコのウンコを踏んづけた靴のままで、汚い公衆トイレに入った靴のままで家の中に入れますか?またそのカーペットにごろごろ寝転ぶことができますか?私はまだこの事に対して自由になれないでいるのです。とにかく誰がなんといおうが、ゴウにいればゴウに従えだろうが、私は靴のままで家に入ることだけは嫌なのです!!許せないのです!!

第4号『スプーンとフォーク、あなたならどっち?』(1999.12.10)

突然ですが、目を閉じて「カレーライス」を想像して下さい。あのおいしそうなカレーライス。横に添えられているのは、おそらくスプーンでしょう。私は26年間「カレーライスはスプーンで食べるもの」と信じて疑わなかったのですが、ここオーストラリアに来て早くも2年半、今ではカレーライスをフォークで食べるようになりました。

まだこちらに来て間もない頃、とあるオージーファミリーに夕食に招待された時、初めてこの事件は起こったのです。その日、そこのお母さんは「ビーフストロガノフ」というモノを作ってくれました。友達いわく「日本でも誰だって知っているメニュー」らしいのですが、私には生まれて初めて食するもの。牛肉をサイコロステーキみたいにして焼き、別のフライパンでマッシュルームと玉ねぎを炒め、それを最終的に全部混ぜ合わせ、サワークリームで味付けをする、という簡単な料理です。それをご飯の上にドカッとのせて食べるのですが、この日彼女はお皿の横にフォークだけを置いたのです。私は

「あれ??スプーンは?」と不思議に思い、

「スプーンはどこでござるか?」

と聞いたところ

「あら、今日はデザートはなくってよ、早苗。おほほほほほーーーーーー」

とわけのわからんことを言われてしまって、私は一人タジタジしてしまいました。しかしそこに居合わせた人たちは何のためらいもなく、あのどろどろしたカレーライスのような食べ物を、フォークで食べはじめたのです。私はこれには感動してしまいました。「カレーライスのようなものをフォークで食べる」という発想そのものが、私にとってとても新鮮だったのです。この日私は生まれて初めて「ビーフストロガノフをフォークで食べよう」に初挑戦してみました。ところがびっくり、これが意外に食べやすいのです。この日彼女は、日本人がするような方法でご飯を炊かずに、お鍋に白米を入れて、茹で上がったら水を捨てるという西洋の方法で、白米をパスタのように茹で上げました。そのためご飯は日本のそれのように、ねばねばしていません。しかしソースが混ざり合って、ご飯もちょうどねっとりしてきて、フォークの間からこぼれる心配もなく、しかもたまに出くわす、大きなお肉や玉ねぎの芯を「ブスッ」と刺して食べられるので、私がよく母に叱られた「スプーンからお肉をコロッと落として、シャツにハネを飛ばす」といったこともないのです。

私はいろいろ考えました。確かに、幼児は何でもかんでもフォークで食べるということがあるので、私もひょっとしたらとてもちいさい頃は、カレーライスをフォークで食べていたかも知れません。しかし記憶にないのです。子供の頃からカレーライスはスプーンで食べる習慣があったように思うのです。先生の住むイギリスではどうなのでしょうか?イギリス人もやはりビーフストロガノフをフォークで食べるのでしょうか???かなりどうでもいいことなのですが、私は気になって仕方がないのです。

私はこの「ビーフストロガノフ事件」以後も納得がいかず、一人で新たな実験を試みました。「日本のカレーライスをご馳走します」という理由で何人かのオージーを夕食に招待したのです。そしてカモフラージュにサラダを用意し、お皿の横にスプーンとフォークの両方をセットしました。日本人ならきっと、サラダはフォークで、カレーはスプーンで食べるでしょう。私は一人どきどきしながら事の成り行きを見守っていましたが、やはりここでも皆さん誰一人として、カレーライスをスプーンで食べようとはしないのです。わざわざ食べやすいスプーンがあるにもかかわらず、みーーんなフォークでカレーライスを食べ始めたのです。この日は皆さん、「日本のカレーライス」に大満足のようでした。私がスプーンを紛らわしくセットしたので、友達は

「デザートは?」

などどすうすうしい事を言っていました。

このようにスプーンとフォークに対する、私達日本人の感覚と彼らのそれとは、ずいぶん違いがあるようです。私がその後この「不思議な発見」をとあるオージに話すと、その方は非常に的確と思われるご返事をして下さいました。その方いわく

>西洋の食事において、基本のサービスはフォークとナイフ。スプーンはあくまでもスープとデザートに使う物で、普段家族の食事でフルコースはあまりないので、スプーンは非常にフォーマルなものとなる。そしてナイフとフォークは日本で言うところのお箸に相当する。すると今回のようなカレーライスといういたってラフな場合には、普段通りフォークとナイフが適当であり、まさかカレーライスをナイフで食べることはできないので、フォークだけを右手で食べるのが最適。しかし日本においては、フォークとナイフのほうがなんだかかしこまったかんじなので、おそらくデザートなどでおなじみの、スプーンのほうが先に身近に定着してしまい、家族でわいわいと食べる「カレー」などの洋食にはスプーンのほうが登場しやすくなったのではないか。だから日本人も、洋食のレストランでライスを食べる時は、きちんとしたサービスのフォークを使うのではないか。<

以上が彼の意見なのです。私はこれを聞き、一人「なるほど」と納得しました。

一方私の意見としては、

>日本において、カレーライスのような食事は「白いご飯」がかなり重要視されており、そのため、スープのかかったご飯という感覚なので、スプーンを使うのではないか?しかし西洋人にしてみれば、カレーライスのような食事はあくまでも、上にのっているソースの中身部分がメインであって、ご飯は添え物。つまり肉を食べる感覚なので、フォークで突き刺して食べるのではないだろうか?<

私がこの意見をシェアメイトに話すと

「さぁーーー?そんなとこ考えたとこもない。おいしく食べられれば、フォークでもスプーンでもどっちでもいいんでないの?」

とあっさりかわされてしまい、私は今でもこの「スプーンとフォーク」に一人うずうずしているのです。

という以上のいきさつで、私は今ではカレーライスをフォークで食べるようになりました。「日本にいたら、きっと一生私はカレーライスをスプーンで食べて終るところだった」と、かなりどうでもいいことに一人得した気分になっている私です。

さて、次回カレーライスを食べる時、先生は「スプーンとフォーク」どちらを使われますでしょうか??

第3号『ジェントルマンの館』 (1999.12.10)

私は時々気がむくと、近くの公園を散歩する。その公園はちょうどシドニーシティーを全貌出来るすばらしいロケーションにある。家から公園まで普通に歩いて片道15分。公園内をぐるっと一周して15分、全部あわせて45分ほどの散歩は適度な運動といえる。その公園はメインストリートの突き当たりに位置しているので、私はこのメイン通りである、グリーブポイントという道をずっと下って行かなければならない。公園に行き着くまでのこの道には、様々なものがある。パン屋さんや酒屋さん、図書館、喫茶店、そして通勤バスを待つ人達が、時々パンを買い食いしているに出会ったりする。もちろん普通の民家もある。可愛らしい花壇があちこちに手入れされている家もあれば、雑草がボウボウのだらしのない家もある。人が本当に住んでいるのか?と疑問に思う家もたまにある。私はそれらを眺めながら歩くのが、結構好きなのだ。

そして、公園に差し掛かる最後の角のところに、まるで人に忘れられたようにひっそりと建つビルがある。この国では、日本のようにどデカイ看板を掲げているビルはあまりないので、私も最初はこれが何の建物なのか検討もつかなかった。

ある日そこを通りかかると、一人の紳士がビルの前のベンチに腰を下ろしていた。彼はまさしく毅然とした様相で、きちんと背広を身にまといハットをかぶり、手にはスティックを持ち、さらにピカピカに磨かれた靴を履いていた。いわゆる日本でよく見かける、メリヤスのシャツにパッチ、あるいはステテコ姿の波平さんみたいなお父さんとはまるで違う。その紳士は何をするでもなく、ただ顔を下に向けてひたすら座っていた。私はこの日を境にそのビルを「ジェントルマンの館」 と呼ぶ事にした。

次の日、また別の紳士がそのベンチにチョコンと腰を下ろしていた。その日の紳士はベストを着たかわいいおじいさんで、あたりをキョロキョロ見ながら「何か面白い事ないかなーー」という感じに見えたので、私は「おはよう、サー」 と声をかけた。すると彼もにっこり笑って「おはよう」 と言ってくれた。そして「あーー私もそうやって歩けたらいいのに…」と悲しそうに言ったのだ。

そのまた次の日、私は紳士に会う事は出来なかった。その日は変なアロハシャツに短パン姿の小太りの、ちょっと怖そうななおじいさんが座っていた。私はここにいたり初めてここが「老人ホーム」である事に気づいた。おそらく男性専用の老人施設だと思う。特別な介護を必要としていない人達が滞在しているようで、おそらく身寄りがないか、あるいは家庭の事情で一人なのか、理由はさだかでないが、そこにはそういった人達がいるのだと思う。そう思ったとたんに、私の足は急に重くなり、気分も一気にドヨーーンとしてしまった。

私は公園を歩きながら考えた。あの紳士たちはきっと毎日背広にアイロンをかけて、靴を磨いて、後は何をするのだろうか?おせっかいだが、趣味はあるのだろうか?もうすぐクリスマスなのに、その日もまたいつもと同様、一人あのベンチに腰掛けて過ごすのだろうか?そう考え始めると、なんだかやりきれないものを感じる。

この国の離婚率は40%を越えているらしい。この40%という数字も当てにならないと地元の人はいう。それは離婚した人が再婚し、その再婚相手ともまた離婚するかららしい。そうしている内に、家族はだんだん増えていき、結局子供や老人の居場所がなくなという事なのだ。確かに私が知り合ったオージーの友達(20代〜30前半)で、かれらの両親がまだ初婚の相手と続いている、というのはほとんど聞いた事がないように思う。日本のように「老後は二世帯住宅で娘夫婦と」とか「長男夫婦の家に居候」なんていう事があまり起こらないのが外国である。もしかしたら日本以上に、一人暮らしの老人が多いのかもしれない。

「ジェントルマンの館」の前にあるベンチには、いつも誰かが座っている。ほとんどのおじいさんは難しい顔をして、横に他の紳士がいても、話し掛けようとしたりしない。みーーーんなジェントルマンなのだ。紳士だからペチャクチャと世俗の話をせず、ただひたすら時の流れるのをじっと待っているのかも知れない。私の父が年を取ったら、きっと老人会の筆頭にたって、あれこれおせっかいをして、この様な紳士おじいさんに嫌われるのだろうなーと思う。でもステテコにシャツでもいいから(誤解をしないで下さい。別に私の父がステテコにシャツ姿で近所をうろうろしているわけではない。家の中だけにしてもらっている)、近所の人に「イヤーーー今日は暑いですなーーはははーー。」とか言いながら、おやじギャグの一つでも言えるくらいのおじいさんがいい!と思ったのだ。

今度もまた「ジェントルマンの館」の前を通るかどうかいつも迷って、結局私は同じ道を行ってしまう。でも次はどんな紳士に会えるのか、ちょっと楽しみでもあるのだ。

第2号『世界レベルの肥満』(1999年11月26日)Australia ・Sydney より

ここシドニーで私を日々驚かせるのは、肥満人間の多さである。日本人のいう「太っている」のとはわけが違う。こちらはもっと深刻なのである。「ベルトの穴が一つこっちによった」とか「あっちにいった」とかのレベルではない。日本でも最高10kgくらいなら「ストレスから」とか「妊娠」などで一気にボヨーーーンといくかもしれないが、こっちの人のいう「太っている」というのは、たとえば以下のような人たちである。

「結婚当時はモデルみたいだった人が、この10年で140kgまで太った」

210kgもあった体重を手術でとりあえず50kg取り除き、頑張ってこの体型をキープし、半年後にまた手術を受ける予定である。」

「太りすぎて、車のドアに体が入らない。だから病院に行けないので救急車を呼んだ。」

「来年で50歳になるけれど、医者にこのままだと心臓発作でやられるといわれた」

とかいうものすごいことになっている人を「太っている」と呼ぶらしい。私はこの人たちを「砂漠デブ」と名づけた。「砂漠デブ」とはつまり「果てしないデブ」を意味している。言い換えると「かまぼこデブ」とも言える。これは早い話「板についたデブ」のことである。そして最終的に彼らは「宇宙デブ」すなわち「終わり無きデブ」となっていくのだ。今でこそ私に陰で「砂漠デブ」とか「かまぼこデブ」といわれている彼・彼女たちも、こうなってしまうまでに、きっといろいろあったのだろうなーーと思う。

今、私がこっちではまっているテレビ番組の一つに「Weighting Game」というもがある。まさしく「体重との闘い」という感じで、出演者は全員デブばかりなり。見ていると体重との闘いというよりも「怪獣との闘い」というくらいみんな巨大なのだ。彼らは現在必死になって痩せようとしていて、これがまた笑える。本人にしてみれば真剣勝負で笑うどころではないのだが、私にしてみればゲラゲラとではなくて、悲しくなって笑えるのだ。一番驚異的だったのは、290kgという超肥満、超巨大な男性の登場だった。私は彼のような人を、日本のテレビ番組の「世界びっくり人間ショー」とかいうもので見た事はある。身長が250cmもあったり体重が300kgもあったりして、日本人を「おーー」と驚かせていたが、私のすぐ側にもこんな人がいたのだ。それだけでもオーストラリアがすごいところのように感じられる。

とにかくこの「290kgおとこ」は歩くことすら困難な状態なので、とにかくゴルフから始め、文句タラタラでやっと50kg減量に成功した。。私は彼が数ヶ月後に貴金属用の計量器(人間用ではもちろん重量オーバー)に乗る瞬間胸がワクワクした。彼は何と言うのだろうか?と。しかし彼は一言

wow? I have lost 50kg. I am very happy. Thank you .」

だけなのである。50kgも減ったのにたったのそれだけ??もっと狂喜乱舞してもいいのに…と私は彼の反応に期待外れのものを感じた。確かに彼はそれほど必死になっていなかったように思う。インストラクターにいわれるがままに「ハイハイ」と言うことをきいて、まるで彼は「まな板の上の巨大錦鯉」という感じだった。とにかく晴れて彼は第一目標を達成し、次の3ヶ月、ないし半年で100kg代まで落とす予定らしい。ちなみに彼は50kg痩せたとはいうものの、見た目は今でも「ものすごいデブ」なのである。彼の中には「ボクはどうしても痩せたいんだぁー」という願望があまりないように感じられた。どちらかというと「太ってもいいから、オイラは食べてぇーんだ。」という印象を受けた。私の個人的意見として、彼は非常に他人任せで、自分の体を健康にするためにしているダイエットにもかかわらず、まるでそういった自覚がないように感じられる。あれでは50kg痩せても意味がない。ダイエットとはあくまでも自発的な行動でなければならないし、他人にとやかく言われてやるのでは、長続きしないだろう。

そして私を毎週苛々させる、一番タチの悪い中年女性のデブ講座。太った男性はなぜかまだ救いがあるのだが、女性はひどい。男性側にはそれこそ余裕のようなものが見られるが、女性の場合、必死になってわけが分からなくなっているか、あるいはひらきなおって諦めてしまっているパターンが多いような気がする。とにかくその肥満の女性陣は今週の番組でこんなことを言い合っているのだ!

デブ1----「あー痩せないわ。こうして頑張っているのにちっとも痩せないの。でも最近思うのは、私がこうなったのはやっぱり主人と離婚したからよね。それに息子も全然言うこと聞いてくれないし、ストレスが溜まっているのよ。だからチョコレートが私を呼んでいる気がするのよ。あーーどうして痩せないのかしら???」(そりゃ努力が足りんからじゃ)

デブ2-------「でも考えてもごらんなさいよ。もし世の中に細い人ばかりなら、こんなつまらないことってないと思わない?そうでしょう?」(思わない!!多少のデブなら「ぽっちゃりしていて可愛らしい」という可能性もあるけど、あんたのは「金魚デブ」よ!!「すくい難いデブ」なのよ!!)

デブ3-------「そうよねーー私達がいるから、細い人が際立って美しくなるのよ。私達がいるからスキニーが目立つのよね。」(デブのほうがもっと目立ってるわい!!)

とまぁ、こんな風に悠長に喫茶店でコーヒーなんぞ飲みながら愚痴をこぼしているのだ。腹が立った。これにはまったく関係の無い私が腹を立てた。なぜってダイエットしているなら喫茶店でコーヒーなんぞ飲んでないで、とっとと散歩にでも行きゃいいし、それが出来なければせめて飲み物を水にずるべきだし、ランチもキッシュではなくて寿司や麺類、その他の油やチーズの入っていないものを選ぶべきである。そして自分の自己管理の怠惰を男のせいにするとは、何というものすごい責任転嫁!コリャ太っても当たりまえの神経の図太さだ。旦那と別れたから太り始めたのか、それとも太り始めたから旦那に愛想をつかされたのか、どっちが先かは分からないが、とにかく彼女たちは思いつく限りの言い訳を披露し、できる限りの慰めをお互いにし合ったようだった。

かなり肥満度の高い女性によく見られる現象は「うつろな目」である。彼女たちが一様に持っているのは、くすんだどんよりとした「目」なのだ。これは肉体的不健康というよりも精神的な不健康・不健全さを印象付ける。

この番組で驚異の「3ヶ月間何も食べない」ダイエットに挑んだ49歳の女性がいる。彼女は年齢よりもずっとずっと老けて見えた。そしてこの哀れな女性は3ヶ月間食事を断ち、ヨーグルトみたいな飲み物(病院指定の)だけを飲みつづけて、150kgあった体重をなんと85kgまで落とした。次に彼女がすることは、いきなりお肉がしぼんでしまい残った部分がヒダヒダしているので、それを手術で切り取るらしい。私は彼女の水着姿を見てびっくりした。腕・太股・お腹・お尻にまさしく「干からびた鏡もち」のようなデーーーーンとしたお肉がぶら下がっていたのだ。いわるゆ小錦の太股の裏側のヒダヒダを想像してもらいたい。それを手術で取っ払ってしまおうという計画なのだ。彼女はヒダヒダした、二の腕のお肉をビローーンと引っ張りながら嬉しそうに

I wanna get normal arms」

と少し鼻にかかった声で、ゆっくりのっそり言った。果たして彼女は本当にabnormalでない腕を手にすることが出来るのだろうか?

そして彼女は家に帰りこの報告をする。私は彼女の家族を見て、またまたびっくりした。娘二人ともが彼女のように太っているのである。上の娘さんは母親以上に太っていて、彼女が懸命に痩せようとしているのにもかかわらず、目の前で大きなハンバーガーをほおばりながら、非難がましい「うつろな目」で母親をにらんでいた。そして「食事をし始めたら、またもとに戻るに決まっているわ。ふん。」と言って母親を怒らせていた。その娘さんはこうも言った。

「私がこうなったのは母親のせいよ。彼女が作る料理ばかり食べていたから、私も母親みたいにデブになったのよ。遺伝子が違うのよ。彼女の娘として生まれたことを怨むわ。あーーどうして細い人の娘に生まれなかったのかしら…」と。

そして下の女の子は母親いわく、少し問題があるようだった。学校にもなじめず、母親のことにも無関心で、彼女もまた「うつろな目」をしてチョコレートをほおばっていた。旦那さんだけが唯一協力的で、

「妻には早く昔のようにきれいになって欲しい。」と健気なことを言って妻を喜ばせていた。

同じくダイエットに挑みながらも、ノイローゼのようになっている女性もいる。私と同い年の26歳の女性は、現在90kgも体重がある。彼女は今までの人生ずっと肥満だったらしい。それがゆえに自分にも自信が持てず、おしゃれをしても、希望の仕事に就いても、彼氏が出来ても、とにかく何をしても満足できないらしい。私が思うに、彼女くらいの肥満の人は街にうじゃうじゃいる。石を投げれば「デブ」に当たるといっても過言ではないくらい、ここには太った人が多いのだ。とにかく彼女は豆腐を食べたり、寿司を食べたり、数多くの日本食を「太らないモノ」と思い込んで、手当たり次第チャレンジしている。彼女も同じく「うつろな目」をして、何度も何度も専門医に会いに行っては「痩せないんですぅ」と文句を言っていた。

「「肥満」。恐ろしい言葉である。極端に太ってしまった女性達に起こる、あの「うつろな目」現象。もし自分の母親があのように毎日よどんだ「目」をしていたら、家族はきっと不幸になっただろう、と私は思う。誰かが言った言葉に「母親は太陽のようでなければならない」というのがある。太っていても「はつらつ」とした元気いっぱいの人ならいい。

私が出会ったたくさんのオージー女性の中にも、本当に肥満体の人がたくさんいた。彼女たちの多くもまた「うつろな目」をしていたし、なんだか「生気」があまり感じられないのも共通した印象だった。(これはあくまでも私の印象である)

今の世の中、「太っている人」は「ダメな人」と見られがちである。「自己管理が出来ていない」と思われてしまう。そのことに対するプレシャーや羞恥心などが、彼女達を現実逃避へと走らせ、あのように精神的に追い討ちをかけているのは明らかである。この国でも肥満の人を「自業自得」と言って相手にしない人もいる。でも私には同じ女性として「あんたが悪い!!」と言い切ってしまえないものを感じる。誰だってぶくぶくと太った、醜い中年女性なんか嫌いである。しかもそれが文句タラタラならなお更だ。誰だって若くてピチピチしていて、すらりとした美しいものが好きに決まっている。しかし現実として、アメリカでは40%の人が肥満状態らしい。ここオーストラリアでも30%くらいいっているのではないだろうか?世の中食べ物がなくて苦しんでいる人がいる中、290kgの体重に苦しんでいる人もいる。世界はやっぱり広いんだなーーと、まさしく私は海外を「体」で味わっているの今日このごろである。

第1号:『夫の七光り』(1999.11.26)

私も先生の意見に賛成です。[「ロンドン便り」第110号を参照。]ヒラリー夫人が絶対に勝つと思います。「現大統領の妻・ファーストレディー」という最大の宣伝力を持ち、さらにクリントン大統領よりも賢そうなあの顔つきをみていると、私も彼女が必ず勝つと思うのです。ヒラリー夫人は夫である大統領を踏み台にして、台頭してくるはずです。

クリントン大統領を踏み台に有名になった、もう一人忘れてはならない女性がいます。世を騒がせたあの「モニカ・グミンスキー」です。彼女はクリントン大統領の元秘書であり、彼にセクハラを受けたとして告訴し、テレビやマスコミを大旋風に巻き込んだ、おそるべし女です。日本やイギリスで、彼女がどれほど知名度があるのか私は分かりませんが、ここオーストラリアでは大変なゴシップネタでした。なんとモニカの旧友やモニカ本人が登場するトークショーなど(アメリカのTV番組)がゴールデンタイムの7時や8時に放送されたり、雑誌の表紙に彼女がでかでかと現れ、とにかく1日に1度は彼女の名前、あるいは写真をどこかで見かける、というくらいすごいものでした。しかも彼女のファッションセンスがどうのこうの、今日着ていた服はどこのデザイナーのものだ、などなど。途中から見た人は、一体誰の話をしているのか分からない内容の番組もしばしばありました。挙げ句に、イギリスで映画出演の話が持ち上がっていると聞いた時、私は我が耳を疑いました。それだけ、この「大統領」という言葉の持つ影響力が強いということになるのです。

しかし、旦那がゴシップの渦に巻き込まれている中、ヒラリー夫人はひたすら毅然とした態度でインタビューに答え、着々と我が道を切り開いていったのです。すごい!!

私はこの騒動を見守る中、なぜか野村監督の妻「サッチー」を思い出しました。彼女もまた夫の七光りを利用し、世を騒がせた(今も?)女の一人です。彼女はヒラリー夫人とは月とスッポンですが、それでも、彼女はいまだにマスコミに大きく取り上げられています。私がこの前日本に帰国した時も、彼女をバッシングする番組が2時間のスペシャルであり、しかもワイドショウなどに、かなりとりあげられているのには驚きました。そして笑えたのは、サッチーに対抗して、ミッチーなる女性が現れていたことです。野村夫人が選挙に出馬する際に「履歴を偽った」として、このミッチーが告訴したとのこと。

「日本ってほーーんと平和だねーーー」と、父と苦笑いしながら、この番組を見ていた私です。

アメリカ発の有名なジョークを一つ。

ある日クリントン大統領夫妻が、街の視察に出かけた。すると、あるコンビニエンスストアの前で、ヒラリー夫人が急に立ち止まったのだ。

「どうしたんだい?ハニー」と大統領。

「あの店員、私の昔の恋人だわ」とヒラリー夫人。

するとクリントン大統領は嬉しそうにこう言った。

「君はラッキーだったね。もし彼と結婚していたら、今ごろ君はファーストレディではなく、コンビニの店員の妻になっているところだったよ、ハニー」

すると、ヒラリー夫人がこう言った。

「あーーら、あなたのほうこそラッキーだったわね。もし私が彼と結婚していたら、彼が大統領になって、あなたはコンビニの店員だったでしょうに…」

ちゃんちゃん