社会学を考える

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目次(興味のあるテーマをクリックして下さい。)

第34章 社会学の入門書にはならないけれど――古市憲寿『古市くん、社会学を学び直しなさい!!』(光文社新書)を読む――(2019.2.3)

第33章 社会学はモラトリアムのための学問ではない(2015.11.2)

第32章 社会学不人気時代の到来か?(2015.2.19)

第31章 文学と社会学(2012.1.24)

第30章 ディシプリンが確立されると社会の見方が単眼的になる?(2011.5.30)

第29章 「社会学は常識を疑う学問である」という「常識」を疑う(2011.5.30)

第28章 吉田シューレ(2010.3.29)

第27章 名著選びは難しい――竹内洋著『社会学の名著30』(ちくま新書)を読む――(2008.5.21)

第26章 文学的な、あまりに文学的な……――見田宗介著『社会学入門――人間と社会の未来』(岩波新書)批判――(2006.5.22)

第25章 30秒でわかる社会学(2005.8.1)

第24章 まちづくりの現場で社会学に何ができるか2002.10.25

第23章 「虫の眼」と「鳥の羽」(2002.3.31)

第22章 昭和初期の社会学のイメージ――野上弥生子の視線――(2001.11.9)

第21章 機能分析はそんなにだめか?(2001.8.8)

第20章 文化へ走る都市社会学、環境に入れ込む村落社会学(2001.7.18)

第19章 比喩の魅力と危険性(2001.6.1)

第18章 社会と国家――あるいは幸福論――(2001.5.16)

第17章 大学院生のレベル低下を憂う(2001.4.1)

第16章 専門用語を学ぶことの重要性(2001.2.20)

第15章 固有名詞の社会学は難しい(2000.11.5)

第14章 現代社会の危機状況に関する仮想問答(2000.9.4)

第13章 概念へのこだわり(2000.6.21)

第12章 学問研究は何のためにするのだろう?(2000.6.16)

第11章 社会学的価値相対主義の潜在的逆機能(2000.6.16)

第10章 実感主義とミクロ社会学(2000.6.12)

第9章 「住民の立場」に立つ心地よさ?(2000.6.3)

第8章 社会はどのように成立したのか?――歴史的考察――(2000.5.11)

第7章 社会学的想像力の必要性(2000.5.9)

第6章 社会学の研究対象とその発見(2000.2.4)

第5章 全体社会の範囲(2000.1.31)

第4章 連字符社会学の発展と社会学の危機(2000.1.20)

第3章 社会学における客観的認識(2000.1.3)

第2章 政策科学としての社会学(1999.12.14)

第1章 社会学の実践性(1999.12.10)

34章 社会学の入門書にはならないけれど――古市憲寿『古市くん、社会学を学び直しなさい!!』(光文社新書)を読む――

 ここ数年もっとも一般の人に知られている「社会学者」古市憲寿氏が12名の著名な社会学者に、「社会学ってどういう学問ですか?」と聞いて回った対談集です。私は思った以上に面白かったのですが、社会学を学び始めたばかり、いや数年勉強した大学院生でも面白いと思うのは難しいし、一段と社会学がわからなくなったという思いにきっとなるのではないかと思います。でも、10年、いや20年くらい、社会学を勉強し、それを特に学生や一般の人にどう伝えられるかを考えてきた社会学関係者なら、「やっぱり、みんな同じようなことを考えているもんだな」と思うはずです。思えないとしたら、まだその人が社会学を会得していないからだと思います。

 ここで対談相手となっている人のうち、40歳代以下の若手の社会学観はまだ十分こなれていない感じがしますが、50歳代以上の人たち――特に社会学者を自覚してきた人たち――の社会学観は基本的に大きなずれはないです。ただ、それぞれが力を入れるところが違うので、表面的には違うことをやっているし、違うことを言っているように聞こえますが、基本の社会学観は一緒です。法学や経済学が扱わないニッチな領域――この言い方は嫌いですが――を扱う、個人と社会をつなげる、エビデンスを重視する、といったところが共通項でしょう。社会学という学問について真剣に考えた人の答えは似てくるというのは、社会学にディシプリンがそれなりに存在することを示していると思います。そして、それらは、私がいつも言っている社会学の3本柱――マクロな視野、機能分析、量的データの重視――ともそう大きくずれるものではありません。

 あとは、これらをどう発信するかなのでしょうね。メディアで注目を浴びるのは、それこそニッチなことを研究している人中心になってしまいます。でも、本当はちゃんと社会学をやっている人なら、そのニッチな対象を通して、みんな社会のあり方を見ようとしています。古市氏は現代を見るよい眼は持っていそうな気はしますが、大きな社会の仕組みとつなげてみようとする意識はやや低いのが残念です。まあ、テレビなどではそういう大きな議論は必要とされず、個人の感覚レベルで理解できるコメントが求められますので、どんどんそうなっているのかもしれません。ただ、この本を企画した――編集者かもしれませんが――のはよいセンスです。「自分は○○社会学者です」と領域社会学に逃げ込もうとする人にはあまり興味の湧かない本かもしれませんが、「自分は社会学者です」と自己規定する人にとっては、一読の価値のある本だと思います。(2019.2.3)

 

33章 社会学はモラトリアムのための学問ではない

 先日、関西大学社会学部で各専攻の2回生に調査が行われました。そこで出た結果が軽くショックでした。どういう結果だったかというと、社会学部の専攻を決めるのは入学時ではなくて入学してから1年後くらいが望ましいという意見や自分の専攻以外のゼミも履修できる方がよいという意見に賛成する割合が、社会学専攻と社会システムデザイン専攻の学生に多く、心理学専攻とメディア専攻では少ないという結果でした。私自身社会学を専門にしようと決めたのは大学1年から2年になる春でしたし、幅が広くいろいろな学びのできる社会学ですから、こうした志向性も一概に否定するものでもないのですが、この志向性が学びたいことがいろいろあってまだ決められないのでということなら理解したいのですが、最近はどうも学びたいことが何もないので早く決めろと言われると困るという風に、社会学を選んだ多くの学生たちが思っているのではないかという気がしてなりません。

 ゼミ選びでも研究テーマが明確に決まっているゼミが避けられる傾向にあります。私のゼミなどは、最終的にどんな研究テーマで卒論を書いてもいいと言っていますので、その点では避けられるゼミではないのですが、入ってきた学生たちを見ていると、関心がたくさんあっていろいろ勉強したいのでうちのゼミを選んだというより、特にやりたい研究テーマがないので、とりあえず研究テーマが決まっているところは避けた結果という人も少なくないような気がします。もちろん、最初はそんなきっかけで入ってもらっても構いませんが、ゼミで学ぶ中で、自分なりにこだわって研究できるテーマを必ず見つけてほしいと思っているのですが、これがなかなか期待通りになりません。いつまで経っても本気で研究できるテーマを決められない、一応決めても本気で研究に取り組まないうちにすぐ別のテーマに変えたがるといった事態が頻出します。

 こういう状況を総合的に考えると、どうも学生たちが、社会学という学問の幅の広さをモラトリアムのために使っているのではないかという結論が導き出されます。いろいろなテーマが研究できるということを、いつまでもテーマを決めなくていいという意味に読み替えてしまっているようです。非常に困った傾向です。確かに、大学で学ぶことの意義としては幅広く教養を身につけるということもありますが、他方で専門的に深く研究するという経験も持つべきです。後者の経験が得られないなら、カルチャーセンターで学ぶのと変らなくなってしまいます。それでは、大学の魅力を十分活かしているとは言えなくなります。

 社会学は確かにカルチャーセンターで学ぶ教養的知識に近いと思われる部分はあると思います。でもきちんと学んでもらえばわかるはずですが、ちゃんと社会学特有の思考法があるのです。それを身につけようともせずに、ただなんとなく面白おかしい知識が得られるだけと思わないでください。研究テーマは何を選んでもいいですが、最低1年かけて自分が選んだテーマに社会学的視点からしっかり取り組むことで、初めて自分なりに社会学的思考法を会得できるのです。社会学とはどういう学問かをきちんと考えてくれれば、この学問がモラトリアムのための学問ではないということがわかるはずです。(2015.11.2)

32章 社会学不人気時代の到来か?

 先日2月の入試が終わりましたが、関西大学社会学部は志願者が減りました。特に、社会学専攻は最近8年連続で志願者(4つの専攻に順位をつけて選ぶので、第1志望にした人の数)を減らしてきています。数年前から危機感をもち、なんとか改善したいと努力をしてきているのですが、事態は改善されません。社会学専攻の人気が落ちてきているだけでなく、社会学部全体の志願者数も小さな揺り戻しはありましたが、大きな傾向から見れば、基本的にはこの8年減少傾向は明らかです。関西大学社会学部の評価自体は決して低くはないと思いますし、オープンキャンパスなども、相当に力を入れてやっていると思います。にもかかわらず、じわじわ志願者を減らしてきているわけです。18歳人口も減り続けていますが、すでに減少期に入っていた1997年から2007年までは、社会学専攻の志願者数は多少の上下はあったものの、2500人から3000人強くらいの間で推移していました。それが、2008年以降減り続けて、今年の志願者数は1700人強でした。社会学部全体としても、2007年度入試では9500人近くいたのが、今年度は6000人強にまで減っています。

 この関西大学社会学部(社会学専攻)の不人気は、関西大学だけの問題ではないのではないかと思います。他大学の社会学部のデータをきちんと調べていませんが、総体として、受験生の選択肢の中で社会学部の優先順位が落ちてきているのではないかと思います。なぜそう思うかというと、大学の就職予備校化がこの10年ほどの間に急速に進んできているからです。私の大学生調査で、大学に行くのは「就職を有利にするため」という理由が一番多く選ばれるようになったのは、2007年の調査からです。それ以前の4回の調査(1987年、1992年、1997年、2002年)においては、「学びたいことがあったから」という理由がもっとも多く選ばれていました(参考:片桐新自『不透明社会の中の若者たち――大学生調査25年に見る過去・現在・未来――』関西大学出版部、29頁)。学びたいために大学に行くと受験生が考えていた時代には、自分が興味の持てそうな学びのできる専門分野を選ぶという選択をしますが、「就職を有利にするため」に大学に行くとなった際には、ちょっとおもしろそうかどうかよりも、資格が取れたり、就職活動にアピールしやすそうな専門分野が選ばれやすくなります。前者のような基準で選択がなされる場合には、高校生たちにとっても身近で興味深く思える、文化・流行などを研究できるというイメージが強い社会学部は人気学部となりえますが、後者の基準で選択がなされる場合には、なかなかその学問の正体がつかみづらくうまく説明もできず、アピール力のない社会学部の人気は落ちることになります。この10年、まさに後者のような選択をする受験生が増え続けている時代なのだと思います。

 たぶんこの受験生の志向性の分析は合っているのではないかと思いますが、私としては非常に残念です。それは、受験生たちの社会学のイメージが文化の社会学に偏っているからです。ただし、そういうイメージを広めてきたことに関しては、社会学をプロとして研究し、教育をしてきた人間の責任も大きいと思います。1997年に出された、別冊宝島『学問の鉄人 大学教授ランキング』という本でも、社会学は「文化の社会学」としてのみ紹介されています。関西大学社会学部は、この本の中で、私立大学でもっとも優秀な研究者がそろっていると評価されており、私も関西大学社会学部を宣伝するために、よくこの本を紹介してきました。しかし、いつも心の中で少し不満だったのは、社会学が文化の社会学だけで捉えられていることでした。私のように、社会運動論から研究をスタートさせ、環境社会学や理論社会学や価値意識論などをやってきた人間からすると、この社会学の切り取り方は狭すぎるという忸怩たる思いがずっとありました。しかし、関西大学だけでなく、どこの社会学部も、新規人事を起すたびに、若い人たちに人気があるからということで、どんどん文化、メディアなどにシフトしていき、社会学といえば、なんかよくわからないけれど、文化やメディアを扱う学問というイメージがしっかり普及してしまいました。その結果として、時代の空気が変る中で、社会学部の人気は落ちてきてしまったのです。

 今改めて宣言したいのは、社会学は決して、文化やメディアだけを扱う学問ではないということです。私が社会学の3本の柱として学生たちにいつも話しているのは、(1)マクロな視野、(2)機能分析、(3)量的データの重視です。社会学は日頃日常生活をしている時には気づかない、個々の人々や現象とマクロな社会の関わりを考えさせ、そのそれぞれが社会の中でどのような機能(役割)を果しているかを考えさせる学問です。そして、その思考のために、全体を捉えるのに必要な量的データを蒐集・分析する実証的な科学なのです。こういうイメージが受験生はもちろん、現在社会学を学んでいる大学生たちにも十分伝わっていないのではないかと思います。文化も流行ももちろん取り扱えますが、その他のテーマでも社会学は取り扱えるのです。『21世紀の資本』で今話題の経済学者・ピケティのような主張だって、まさにマクロな社会分析ですので、社会学の立場からも十分可能です。(実際似たようなことを言っていた人は少なくないと思います。)私の「KSつらつら通信・ジャンル別テーマ一覧」を見てもらうだけでも、社会学が実に幅広くいろいろなことが語れる学問だということがわかってもらえるはずです。

 社会学はおもしろ、おかしいだけの学問ではありません。そして、この学問を本気で会得すれば、生きていく上での力は確実に高まります。就職活動で話しやすいかどうか、すなわちFEV基準――すばやく、効率的に、目に見える形で結果が得られるかどうか――で高いポイントが得られるかどうか(参考:片桐新自『不透明社会の中の若者たち――大学生調査25年に見る過去・現在・未来――』関西大学出版部、127頁)だけで大学の専門選びをされたら、確かに社会学は不利かもしれません。でも、人生を生きていく上では、他の学問以上に役に立つ学問です。そして、こういう学びこそ、本当は大学で学ぶのにもっとも適した学問なのです。

 こんなことをいくらここで力説しても受験生にはほとんど影響がないだろうことはよく理解しています。このHPをまめにチェックしてくれているのは、私のゼミ生くらいでしょうから。でも、それでもその数人が、私のこういう社会学観を受け止めて、少しずつ機会があるたびに語ってくれれば、その影響力はゼロではないわけです。たとえ社会学や社会学部にとって厳しい時代がしばらく続こうとも、私は「社会学の伝道師」として、社会学を学ぶ意義を、これからも地道に伝え続けていきます。(2015.2.19

31章 文学と社会学

 先日、駒場にある近代文学館で行われていた「近代の名作 昭和」という展示を見てきました。昭和という時代にどういう文学が現れたかを時代順にわかりやすく見せてくれていました。芥川龍之介の自殺とともに始まった昭和文学は、プロレタリア文学の隆盛と弾圧、川端康成らの新感覚派、堀辰雄らの新心理主義と続き、転向文学、島崎藤村や志賀直哉といった大ベテラン達の復活、従軍作家たちの仕事を経て、戦後を迎えます。共産党寄りの民主主義文学運動が復活する一方で、太宰治や坂口安吾たちのいかにも戦後文学と言える退廃的な無頼派文学も生まれます。「第三の新人」と呼ばれた吉行淳之介や遠藤周作の後には、石原慎太郎や大江健三郎といった学生でありながら、芥川賞を受賞する新人が出てきます。その後も、様々な作家が登場してきますが、とりあえず文学史はこのへんまでにしておきましょう。この展示を見ながら、私がしみじみ思っていたことは、文学と社会学というのは、ともに「社会と人間の関係」に関心をもっているが、その焦点のあて方が異なるということでした。

 上記の簡単な文学史を見てもわかるように、文学史上で名を残す作家たちはその時代をよく反映した作品を書いた人々ばかりです。大正デモクラシーの自由な空気の中で輸入された社会主義、共産主義思想が、初期資本主義的要素を色濃く残していた昭和の労働環境の悲惨さを描くプロレタリア文学として花開くものの、軍国主義化を急速に進める大日本帝国のもとで弾圧され、共産主義からの転向を題材とする転向文学まで生みだすわけです。戦後もこれまでの価値観が崩壊した中で刹那的な快楽を求めるような生き方を自ら実践し、かつそれをそのまま題材とした無頼派の作家たちが現れ、「戦後が終わった」と言われた年には、若者の生と享楽を描く石原慎太郎が登場してきます。そして、1960年代には、政治と恋愛の二大テーマで悩む学生たちを主人公とした文学が次々に登場します。まさに、文学者たちは、時代(社会)に翻弄される人々に焦点をあて、彼らの苦境を描くことで、文学を成立させているのです。

 社会学者が昭和を語ろうとした時にも、同じように、時代(社会)に人々がどう影響されていたかを分析しようとします。メルクマールとする現象や事件は文学者たちが題材にしてきたものとほとんど重なるでしょう。ただし、社会学者は固有名詞をもった個人に主たる焦点をあてて研究することはしません。社会学にとって特定個人がどんな心情であったかについては強く関心を持つことはなく、全体としての、あるいはせめてある階層、ある集団の人々がどのような社会心理に陥り、どのような集合行動を起こしたかに、主たる焦点をおくのです。ここが、文学と社会学の一番大きな違いです。

 もうひとつ大きな違いがあるとしたら、文学は比喩を駆使して読者に理解をさせようとしますが、社会学では比喩の使用に関して禁欲的にし、論理と例示で理解をさせなければならないというところです。文学にとって比喩は生命線です。比喩のない文学なんて味付けのされていない料理みたいなものです。この比喩表現が巧みかどうかで、作家のセンスの良さが決まると言ってもいいくらいです。これに対して、社会学者は比喩でごまかしていてはいけないのです。比喩とは要するに言い換えにすぎませんので、説明したことにはならないのです。このあたりのことについては、「第19章 比喩の魅力と危険性(2001.6.1発表)」に書きましたので、そちらをお読み下さい。

 さてこのように、文学と社会学の共通点と相違点を明確にすることはできるのですが、ではどちらが実際の人々に時代(社会)に対する感性を高めさせるかというと、残念ながら、社会学に軍配を上げるわけにはいきません。大多数の人にとって、社会学より文学の方が手に取りやすく、理解もしやすく、影響もされやすいと思います。「物語」が人を引きつけるように、社会学の研究成果が人を引きつけうるかというと、なかなか難しいと思います。しかし、100%勝てないというわけでもありません。データが示す厳然たる事実によって、人々が事態の深刻さを初めて認識できることも少ないからです。人が文学から得るものは、実は自分の感覚で得られるものとそうは変わりないことが多いですが、全体を示すデータは自分が感覚では得られないような思いがけない事実を知らしめたりしてくれます。そういう時には、個人の物語より、全体のデータを提示する社会学が存在感を示しうるでしょう。

 最後に、ご存じの通り、私は「社会学者」としてのアイデンティティを強く持っていますが、ただ自分の人生のすべてを社会学者のアイデンティティに従ってのみ生きる必要はないと思っています。1回だけの人生ですから、多面的に生きてみたいという欲望も持っています。私のもうひとつの、より重要なアイデンティティは「大学教師」です。大学生たちへの教育を通して、社会に通用する人間を育てたい、そこにこそ自分の生きがいがあると思っています。その後者のアイデンティティからすれば、社会学的手法にのみこだわる必要はないと思っています。文学的なアプローチであっても、学生たちが社会により関心をもつようになり、個人と社会の関係を考えるようになってくれるなら、どんどん使っていきたいと思います。私が書き、このHPに掲載している2つの戯曲(「桜坂」「紫陽花」)も、それぞれ戦争に巻き込まれた時代の若者と、学生紛争時代の若者を描いていますが、これも社会と個人の関係を若者たちにわかりやすく伝えうるのではと思ったのが、執筆した一因でした。文学的手法を使って書いてみたいテーマは他にもいろいろあるので、いずれ時間ができたらまた書いてみたいと思います。(2012.1.24)

30章 ディシプリンが確立されると社会の見方が単眼的になる?

 これも学生たちとの議論から気づいたことですが、社会学がディシプリンを確立したら、社会学の魅力である多様な社会の見方ができなくなるので、社会学はディシプリンを確立しない方がいいと思う人がいるようです。ディシプリンという日頃まったく使わない言葉を聞かせたために、その意味内容が理解できていないというのが最大の理由だとは思いますが、場合によっては大学院生や研究者でも同じように考える人はいなくはないかもしれません。私が考える社会学のディシプリン確立のために最低限必要な要素は、「マクロな視野」「機能分析」「量的データの重視」なのですが、この3つを導入するだけで、社会の見方が単眼的になったりすることはありえません。むしろ、これらを含まずに研究したら、社会学にはならなくなるという程度の最低限の基準です。マクロな視野を含まずに個人レベルだけを見て社会学ができますか?その現象がどういう役割を果たしているかあるいは意味を持つかという分析をせずに叙述だけしていたら研究にはなりません。全体像を示す量的データなしで、社会を語ろうとするのは、「木を見て森を見ず」になってしまいます。この3要素を足場に、脱原発を唱える見方も原発推進を保持する見方だって出てきますし、新保守主義的な見方もマルクス主義的な見方だって可能です。学問としての共有財産とも言えるディシプリンがなくなってしまっては、独立した学問として存在できなくなります。社会学は社会の様々な現象を研究対象にできますが、社会学らしい見方というのはあるのです。法学的見方や経済学的見方があるように、社会学的見方もあるのです。(2011.5.30)

29章 「社会学は常識を疑う学問である」という「常識」を疑う

 最近の社会学専攻の学生たちに話を聞くと、社会学の説明をしなければならない時に、「社会学とは常識を疑う学問です」と言いながら、自分でもそれでいいのか疑問を持っていますという声をしばしば聞きます。確かに、社会学では「常識を疑ってみよう」ということをよく言います。しかし、それは「常識」「当たり前」と思って思考するのをやめているような事象に目を向けさせるためのきっかけにすぎません。社会学的思考が始まるのはそこからです。世の中の事で、どんな場所でもどんな時代でもどんな立場の人間にとっても「常識」と言えるようなことなどないと言っても過言ではありません。それが、ある社会や集団で「常識」のように思われているとしたら、それを「常識」と思わせる仕組みが、その社会や集団にあるからなのです。その仕組みがなんであるかに気づくためには、いったん様々な「常識」を取り払って、世の中を見てみる必要があるのです。なぜ、この事象を「常識」と思っている人たちがいたのか、その背景に何があるのかを語るのが、社会学の分析です。「常識」を疑っただけで終わりにしていたら、社会学をしたことにはなりません。こんなことはわざわざ強弁しなくとも、みんなわかっていることだろうと思っていたのですが、そうでもなさそうだったので、あえて書いてみました。(2011.5.30)

28章 吉田シューレ

 この3月に2人の社会学者の偲ぶ会に出席しました。1人は吉田民人氏、もう1人は木村洋二氏です。お二人とも昨年惜しまれながら亡くなられた社会学者ですが、実はこのお二人は師弟関係に当たります。吉田民人氏が京都大学で教鞭を取っておられた初期の頃のお弟子さんが木村洋二氏です。吉田民人氏の偲ぶ会でお弟子さんたちが集まって語られていましたので、事実とみてよいと思いますが、木村洋二氏が吉田民人氏の一番弟子にあたるそうです。二番弟子は上野千鶴子氏で、このお二人だけが京大時代のお弟子さんになるようです。吉田氏はその後、東京大学に移り、そこで15人のお弟子さんを育てています。宮野勝氏、川崎賢一氏、長谷川公一氏、正村俊之氏、志田基与師氏、桜井洋氏、松本康氏、宮台真司氏、石川洋明氏、奥山敏雄氏、坂本佳鶴恵氏、玉野和志氏、芳賀学氏、山田真茂留氏、市野川容孝氏の15人です。木村洋二氏、上野千鶴子氏を含め、吉田民人氏を師匠と慕う17人は、錚々たる社会学者ばかりですが、分野も方法論もまったくばらばらというのが、興味深いところです。ただし、分野も方法もばらばらですが、自由に好きなことをやるという点では、みんな似ている気がします。そのまま吉田理論を継承したお弟子さんはいなくとも、精神は受け継いでいるというところでしょうか。これが吉田流の研究者の育て方だったのでしょう。ご自身が権威主義的圧力に苦しめられたため、弟子には権威主義的な圧力をかけないと決めておられたような気がします。

 実を言うと、私は大学4年生の時は吉田ゼミに所属し、吉田氏の指導の下で、卒業論文を書いていますので、吉田氏の指導の仕方は実感でもつかんでいます。どんなテーマであっても、すべて吉田流に切ってみせてくれますが、かといって、ああしろ、こうしろと細かい指導はほとんどせずに、自由にやらせてくれるゼミでした。もしかしたら、私も吉田シューレの一員になっていた可能性は十分あったわけです。ただ、吉田氏を指導教官にしていたとしても、結局今のようなテーマで研究をしているような気がします。どこも似たようなものかもしれませんが、東大の社会学研究科の大学院では、研究は自分でするというのが基本にあったため、指導教官の影響力とはなるべく離れて、自分の研究を進めたいという考え方が大学院生全体にありました。しかし、指導教官の影響力から離れたいと思いつつ、なんとなく影響を受けているということもやはりあるような気がします。その意味では、やはり吉田シューレは吉田シューレらしい何か――独自理論への強い意欲?――があるのかもしれません。(2010.3.29)

27章 名著選びは難しい――竹内洋著『社会学の名著30』(ちくま新書)を読む――

 先日著者を囲む合評会があり、そこに参加して、著者である竹内先生には直接コメントしたのですが、影響力のある新書本ですので、ここでも取り上げて一言を述べさせていただきます。私たちのような社会学に関して自分の立場をすでに築いている人間からするとこの本はとてもおもしろい本です。名著と呼ばれる本を功成り名遂げた社会学者が若き日にどう読んだのかというエピソードを交えた内容は、自分の経験と比較しながら、自分もそうだったとか、なるほど時代が違うとそういう受け止め方だったのかと興味深いところだらけでした。しかし、この本が世間一般にどういう印象を与えるだろうかという別の観点から考えると、単純に「おもしろかった」では済まないという気がしています。この本は、あくまでも著者が「おもしろい」と思う社会学書を取り上げたのであって、他にも社会学の名著はたくさんあるということは、著者自身も「はじめに」で述べています。しかし、新書本を買う多少社会学に興味を持ってくれる学生さんや一般の方々は、その辺は深く気に留めずに、「これが社会学のスタンダード30冊なのだ」と思って読んでしまうだろうと思います。(売れるためには、出版社的にはそういう誤解はぜひしてほしいところでしょう。)そこがちょっと怖いです。この本のタイトルが、『おもしろい社会学書30』あるいは『一社会学徒の選ぶ社会学の名書30』であれば、私はこの本を何の躊躇もなく皆さんにお勧めしますが、現在のタイトルでは単純にお勧めできません。「営業妨害だよ」と竹内先生から怒られそうなので、言い方を変えましょう。買って読んでもいいですが、その際にはこれはあくまでも竹内先生がおもしろいと思った社会学書30冊であり、決して社会学者の間で多くの人がスタンダードだと思う本ばかりではないということを意識してほしいと思います。別の社会学者が選べば、半分ぐらいは入れ替わるだろうと思います。もしも私が選ぶなら、やはり機能主義関連の書物は必ず入れるでしょう。「おもしろい」という意味ではあまりおもしろくはないかもしれませんが、「社会学の名著」というタイトルをつけるなら、やはりその関連の本を一切入れないというのは問題だと思います。ちなみに、私がこんな新書本を書いてくれと頼まれることはないと思いますので、ここに著者風にパーソンズの『社会体系論』の思い出を書いておくと、この本は、大学3年の時に同じ学科のメンバーたちと自主ゼミで読みました。概念の説明ばかりが並んでいて頭の痛くなる本でしたが、こういう本をきちんと読めなければ、社会学は理解できないんだと思い、線を引きながら、わからないところを何度も何度も読み直し、みんなで解釈の仕方について議論した思い出があります。その自主ゼミのメンバーの大部分は研究者になったわけではありませんから、しみじみ昔はこういう専門書を学部学生が買ってちゃんと読んでいたんだなと思います。しかし、今の時代、こんな専門書を買って読めと言っても無理があるでしょうから、社会学の名著を知りたい初心者は、ちょっと粗いところもある本ですが、那須寿編『クロニクル社会学』有斐閣あたりから入るのがよいのではないかと思います。(2008.5.21)

26章 文学的な、あまりに文学的な……――見田宗介著『社会学入門――人間と社会の未来』(岩波新書)批判――

 これは一体誰に向けて書かれた「社会学入門」なのでしょうか?内容紹介代わりにちょっと目次だけ書いておきます。

序.越境する知/1.鏡の中の現代社会/2.<魔のない社会>/3.夢の時代と虚構の時代/4.愛の変容・自我の変容/5.二千年の黙示録/6.人間と社会の未来/補.交響圏とルール圏

東大駒場で33年と共立女子大学で7年、教養の社会学を担当し、その講義の中で学生の反響がよかった部分を集めたと「あとがき」に書いておられますので、共立女子大ではともかく、東大の学生たちには、これで社会学入門の役割を果たしていたのは確かなのでしょう。私もかつて駒場にいましたが、たまたまその年度は見田氏による社会学の講義は行われておらず、私は聞いていません。もしもこの内容で「社会学入門」の講義を聞いていたら、私は社会学を選んでいなかったかもしれません。(まあ当時は難しいことをわかった気分になりたい「頭でっかち」の東大生になろうとしていたところがありましたから、絵に描いたような軽やかに浮遊する知識人の典型である見田氏の講義を生で聞いたら、素直に感動した可能性もありますが……。)ちなみに、私は駒場の教養部時代に「社会学」という名の講義は受講していません。その年は見田氏ではない別の方が社会学の講義を担当していましたが、単位は取りやすいがおもしろくない講義だというのが先輩たちの一致した声でしたので、履修しませんでした。その講義も取っていたら、社会学に幻滅して専門に選んでいなかったかもしれません。さて、話を戻すと、この本は、決してつまらない本ではありません。この本が「人間と社会の過去、現在、未来」とでもいったタイトルで出版されていたら、別に批判することもありません。見田氏独特の思い入れたっぷりの文学的言い回しを駆使した知的刺激を与える本として、書店でパラパラと見て、そのまま購入せずに通り過ぎたと思います。しかし、この本には『社会学入門』というタイトルがつけられていましたので、社会学教育に、あるいは社会学がどういう学問であるべきかに関して一家言を持つ私としては、通り過ぎるわけにはいきませんでした。そして、読んでみた感想はと言えば、これで社会学がわかる人はほとんどいないだろうが、これでわかったと思われるのはもっと困るというものです。見田氏は卒論が単行本化されたという伝説を持つ若い時からの俊才で、本来私のような凡才が批判することのできるような存在ではありませんが、私も私なりに30年社会学と真正面から取り組んできましたので、私なりに社会学観を確立しています。そして、東大生のような何でもわかったふりをする学生ではない人たちを相手に、どうやって社会学の魅力を伝えていくかを常に考え続けてきましたので、どうしてもこの本を見過ごすことはできませんでした。はっきり言って、これは「社会学」ではなく「社会評論」です。確かに、私たちが学生だった頃には、こういう感じの知識人的言説がよく社会学として語られたりしていましたが、今ではこういう本は少なくとも「社会学入門」などというタイトルではもう出せなくなったはずと思っていたのですが……。見田宗介という「ビッグ・ネーム」ゆえに許されたことなのかもしれませんが、岩波新書という人口に膾炙しやすい媒体なので、この本がもたらす「社会学」イメージの30年前への回帰(勝手なことを好き放題に言うディシプリンの確立していない学問というイメージへの回帰)を私はおおいに怖れます。もちろん、オーソドックスな社会学を学んでちゃんと知った上で読むなら、この本も何の問題もないですが、おそらくそうではない読み方をする人が少なからずいるでしょう。社会のタイプとして「共同体」「集列体」「連合体」「交響体」という4つをあげていますが、これも見田氏が造った概念で一般に流布しているものではないのですが、社会学の基礎知識のない人が読めば、これが社会学者に共有されている一般的な社会の捉え方かと誤解されてしまいそうです。この本は、見田氏の愛弟子である大澤真幸氏の本と同じような社会学の応用篇の本として位置づけて読むべき本であって、決して「入門書」として読んではいけない本です。(2006.5.22)

25章 30秒でわかる社会学

 今はどこの大学でも「オープンキャンパス」というイベントをやっており、たくさんの高校生が大学選びの参考として、この機会に大学を訪問し、大学生活に関して、大学での学びに関して、いろいろな疑問を質問してきます。社会学に多少なりとも興味を持っている高校生たちがやってきて質問することと言えば、ほぼ間違いなく「社会学って、何を勉強するんですか?」「社会学って、よくわからないんですけど、何なんですか?」といった質問です。実は、この質問は高校生からだけでなく、いろいろな場面でいろいろな人から発せられて、そのたびに、社会学を専攻している学生たちを悩ませます。他の学問を専攻している友人から、親戚のおばさんから、そして就職活動の面接官から、さらには会社の同僚から、とどこまでもつきまといます。社会人になった卒業生の中には、「いやあ、私は劣等生で、社会学のことは結局よくわからないまま卒業してしまったので、私に社会学のことは聞かないでください」なんて逃げを打っている人もたくさんいそうな気がします。しかし、社会学に魅力とこだわりを感じ続ける人は、そんな逃げは打ちたくないはずです。実際私の教え子の中には、社会学を知らない人にもなんとか一所懸命社会学をわからせようと努力してくれている人がいます。その1人がこんなことを言っていました。「私でも10分ぐらい説明したら、相手も大体社会学のイメージをつかんでくれるのですが、もっと簡単に短く社会学を説明できないものでしょうか?」今回オープンキャンパスで高校生たちに説明をしながら、うまく喋れば30秒ぐらいで理解させることができるかもしれないという説明の仕方を考え出しました。ちょっとここに書いて公開してしまうのはもったいない気もしますが、自称「社会学の伝道師」ですから、この説明があちこちで使われるようになるとしたら、それは社会学の普及に大きな貢献をしたことになるので、よしとしたい思います。

 さてその説明ですが、まず「社会学って何を勉強するのか?」とか「社会学ってわかりにくい」という人たちに、最初に理解させなければいけないことは、社会学という学問が、他の社会科学(例えば、法学や経済学)のように、ある特定領域を対象とした学問ではないのだということです。ほとんどの人は具体的な物(事象)をイメージできたときにわかったという気になるものです。逆に言うと、具象物がイメージできないときはなかなかわかったという気持ちにはなれないものです。法は、法律、裁判を、経済は貨幣や銀行という具体的な物をイメージさせるのに対し、社会という言葉で、具体的な物を思い浮かべられる人はまずいないでしょう。社会という言葉はすべてを含み込んでしまっていますので、この領域を研究するのが社会学という限定の付け方はできないのです。具体的な物(=研究対象)をイメージできない社会学が自らのアイデンティティを確立させえているのは、独自の考え方、物の見方をすることによってです。その独自の見方とは、社会で生じている森羅万象を社会の仕組みやあり方と結びつけて捉える捉え方です。一見個人的と思われるようなことであっても、特殊だと思えるような事件でも、ほとんどの場合、その背景に社会の仕組みやあり方が関わってきています。そのつながりを見通すことができれば、どんな対象を研究しても社会学になるのです。(このタイミングで最近生じた個別の事例や聞き手にとって身近な事例をあげて具体的にこの捉え方をしてみせれば、相手の理解度は大きく増します。)これで基本的な説明は終わりです。時間があれば、この社会学の捉え方(社会学的思考)が、通常生活している中ではなかなか身に付かないものなので、まさに大学に入って学ぶ価値のある学問なのだという説明をするとよいでしょう。通常生活しているときに視野に入っているのは、自分、家族、友人程度で、社会との関わりなんて意識しないんじゃないですかと話を持っていくと、社会学的思考の価値も伝わると思います。いかがですか、理解していただけたでしょうか?自分でもうまく説明できそうですか?まだうまくできそうもないと思った人のために、最後に説明の手順をマニュアルのようにまとめておきます。

1.社会学が他のイメージしやすい学問と違って特定領域の研究ではないと話す。(聞き手の学問に対する「常識」を崩すことがポイントです。)

2.社会学は考え方を学ぶ学問だと話す。

3.その考え方とは、身近なことや個別のことをも、社会の仕組みやあり方と結びつけて捉える見方であると話す。

4.その考え方(=社会学的思考)ができれば、どんな対象でも社会学になるので、社会学ではいろいろなテーマが研究対象になるのだと話す。

【ここまで30秒で話せると思います。以下は、もう少し時間がある場合に、相手の理解度をさらに高めさせ、かつ社会学の価値を納得させるための手順です。】

5.身近な例をあげて、社会の仕組み・あり方と実際どうつながっているかを示してみせる。(聞き手がすぐに納得できるよい例を用意しておくことが必要です。)

6.こういう風に社会とつなげて考えるという考え方は、普通に生活しているときにはあまり考えないでしょ?と問う。(まず99%の人がそうだなという顔をします。)

7.日常生活をする中で、われわれは「自分、家族、友人」という身近な関係者のことは常に考えるようにトレーニングを自然と積んできているけれど、社会との関係は特別のトレーニングを経なければ、なかなか考えるようにはなれないものなのだと話す。

8.そのトレーニングこそ、大学での社会学教育で行われていることなのだと話す。

9.そして、この社会学的思考が身に付けば、これを身に付けていない人が気づかないような因果関係が見えてくるので、この社会を生き抜いていく上で大きなプラスになるのだと話す。(例えば、商品の開発を任された時に、「自分、家族、友人」の視野だけでは、限られた物しか思い浮かばないであろうといった例や、自分の子どもの学校の問題を考える際にも全体が見えていれば、近視眼的な失敗をせずに済みますよといった例を出すといいでしょう。)

以上です。聞き手の納得の度合は、具体例の出し方によって大分変わると思いますが、そこはあらかじめ準備できるところですので、いくつか事前にネタを用意しておけば、うまく説明できると思います。今度、誰かに社会学とは何かと問われる機会があったら、ぜひこのマニュアルに従って説明してみて下さい。これまでとは全く違う反応が返ってくると思いますよ。(2005.8.1)

24章 まちづくりの現場で社会学に何ができるか

 風光明媚な「潮待ちの港」として古代から有名な広島県東部の鞆(とも)という港町――鞆の浦とも呼ばれる――に、私がはじめて足を運んだのは1989年のことだったので、もう12年以上の月日が経つ。最初のうちは、鞆を含む福山市に関する社会学者グループの総合的な共同研究(1)の一環として出向いていたのだが、その共同研究が終了してからは個人として研究を続けてきた。いや、明確な意図をもって研究を続けていたというよりは、この町のもつ魅力――美しい自然景観、数々の歴史的資産、あたたかい人々――が私を捉え、離れられなくなっていたという方が正しいかもしれない。

そうこうしているうちに、この町の姿を大きく変えてしまうような港の埋立・架橋計画が再燃し(2)、その計画を阻止するために新たな住民団体が作られ、活発な動きを展開するようになった。しかし、住民と言っても、価値観は様々だ。計画に反対する住民団体もあれば、推進しようとする住民団体もある。異なる価値観と利害をもった集団が複雑に絡み合う組織連関関係がそこには生まれる。特に町が小さい場合は、厳しい感情的対立が生まれやすい。鞆の場合も、そうだった。地域の運動会をボイコットする自治会が出たり、関係者のお店の商品の不買運動が起こされたり、などということも現実に起こった。事態はいまだ現在進行形で続いているが、この鞆との関わりの中から、歴史的環境を守ることの難しさとその重要性を学ばせてもらい、『歴史的環境の社会学』という本をまとめた(3)

その中で指摘したことだが、歴史的環境を大事する事は、その地域の人々の、ひいては日本人としてのアイデンティティにも関わるものだ。歴史に愛着を持ち、歴史的資産が残されているところを旅したりするのが好きな人にとっては、こんなことは当たり前の認識だと思うが、逆にそんなことにまったく無関心な人も多い。特に若い人たちの中には、歴史と言えばただ年号を暗記するものでおもしろくないという認識を持っている人も少なからずいる。そこで、まずは自分のゼミの学生たちにきちんとした認識を持ってもらおうと、鞆に学生たちを連れていった。鞆の景観の美しさや豊富な歴史は彼らを魅了するに十分なものであったが、それだけでなくちょうどわれわれが鞆に滞在中に、「お手火まつり」という年に1度の迫力のある火祭りが開催され、学生たちは伝統の魅力をふだんの時以上に十分堪能することができた。

歴史的環境のすばらしさと重要性を認識させるという当初の狙いは十分達成できたのだが、他方で新たな課題が見つかった。それは、お世話をしていただいた地元の方から、「片桐研究室ではどんな研究をするのですか?」と問われ、学生たちがそれにうまく答えることができなかったということだ。鞆は昔から歴史研究者にとっては有名な町だったが、1990年代の後半からは、埋立・架橋問題で危機に瀕している歴史的港町として全国的に注目されるようになり(4)、様々な分野の研究者が訪れるようになっていた。日大工学部伊東研究室は土木史の観点から、焚場(たでば)(5)の発掘調査を行い、東大工学部西村研究室やハウステンボスを設計した池田武邦氏は都市計画や建築の視点から、この町の最大の問題とも言うべき交通渋滞を解決するためのまちづくり案の図面を示した。他にも、歴史学者、万葉集を研究する国文学者などが数多く鞆を訪れていた。そうした中で、私も20人近くの学生たちを連れて出向いたので、熱心な地元の方が、「社会学の観点から、片桐研究室はどんなことをするのだろう」と問いかけられたのは、自然なことだったと言えよう。

この問いかけに私のゼミの学生がうまく答えられなかったのは、彼ら自身の責任ではなく、私の責任である。というのも、その時は、若い学生たちに歴史的環境の重要性に気づいてもらうことを意図して出向いていたので、特に研究の狙いのようなものを彼らに自覚的に考えさせていなかったからだ。ただし、ここで理解してもらいたいのは、現実を知るところからスタートしなければならない社会学にとって、第1段階としてまず現場を素直な目で見るということが、絶対に必要なプロセスだということだ。「百聞は一見に如かず」という言葉があるように、素直な目で見てどう感じるかという体験を経ることが非常に大切なのである。もちろん、私も学生たちを連れていく前に、この鞆という町についてある程度の知識を与えてあったが、私の見方や評価を彼らに押しつけないように気をつけていた。研究の方向づけをしなかったのも、まずは彼らに自分の感性で素直にこの町を見てもらいたいと思ったからだ。結果的に、やはり大多数の学生は、この町の歴史的資産のすばらしさや自然景観の美しさに魅了され、埋立・架橋計画は実施されない方がいいという考えをもつようになった。しかし、狭い道での交通渋滞を目の当たりにして、計画はやむをえないのではないかという考えを持つようになった学生も少数いた。

さて、学生たちはともかくとして、私自身を含めた社会学者は、同じ問いかけをされたら、どう答えることができるのだろうか。実際に私が自分の編書の中で発表した論文(6)では、鞆に関して、その地理的位置、人口・産業・歴史等を基礎データとして、1980年代後半以降の住民諸組織の活動やその他の団体との関わりを集中的に調べ、地域社会問題として現れる歴史的環境問題の一般的特質と鞆の個別的特質を明らかにした。その論文は、読んでいただいた地元の方からは、「よく調べていますね」とか「なるほど、こういう見方もあるんだなと感心しました」と比較的好意的に受け止められた。この論文はこれで良かったと思っているが、ただ、ここでひとつの言葉が私の頭をよぎる。「後付けの学問」。この言葉は、私の論文に対して向けられたものではなく、さるシンポジウムで環境社会学全般に対して向けられたものだが、確かにこの私の論文にもあてはまるだろう。この発言をされた須田春海氏は、次のように言われた。

「環境社会学をやっておられる方々は大変立派なことをやっておられると思いますし、後付けの学問としては私は非常に評価しているのですが、予防社会学とでも言いましょうか、現実に起こっている問題を解決するために社会学がどう役に立つのかが私にはさっぱりわかりません。社会学とは、分類学と後付けの学問でしかないのかと思えてくるわけです。」(7)

この発言は、社会学の弱点を鋭くついている。私自身も、鞆という地域で、独自のノウハウを持っている他の分野の方々が、様々な発見をされたり、まちづくりの計画案を発表されているのを見ながら、社会学の立場からは、優れた後付けはできても、地元の人々が求めるような将来に向かっての提案はできないのだろうかという思いを持っていたので、この指摘は私の心に響いた。もちろん、「後付け」は意味がないということではない。しかし、「後付け」のみをする学問なら、事態が終了するまで、何もできない。まちづくりの現場でアドバイスを求める人たちに、社会学は何も語ることができないということになりかねない。本当に社会学は未来に対して何も語れない学問なのだろうか。

一般的に言って、学者・研究者と呼ばれる人たちの仕事が、世間一般の人から注目され期待されるのは、一般の人たちが知りえない、あるいは気づかないことを発見する(明示化する)という点においてだろう。まちづくりの現場でも、やはり知らないことを教えてくれたり、新たな事実を発見してくれたりする研究者が、有用な存在となっていると言えよう。海中遺跡となっているものを発見する、古い家屋の建築年代を特定化する、都市計画の図面を引くといった調査研究は、有形のものを対象にしているので、一般の人たちにとってもわかりやすい。しかし、社会学が見いだそうとしているものは、そうした有形のものではなく、無形のものである。それは、地域の伝統的慣習であったり、そこに住む人々の価値観であったりする。こうした無形のものは、目に見えないので抽象的でわかりにくいという印象を与えがちだし、理解してもらえる場合は、その地域に住む人々にとってもともとよく知られていることであり、社会学者から指摘されても、特別な発見とは思えないことが多い。

確かに、ただ「こういう伝統的慣習がありました」、「こういう価値観の人が多くいました」ということを指摘するだけなら、現場にいる地元の方々にとってはなんら新しい発見とは思えないだろう。しかし、その同じ事実を広い視野の下に位置づけることができれば、まったく異なる指摘として受け止められうる。通常、人は毎日の生活の中で、「いま、ここ、わたし」という視点を無意識のうちに絶対視して生きている。「今ではない時代、ここではない場所、私ではない人」にとって、自分が体験している事実がどのように見えるかといったことはほとんど考えずに暮らしている。そういう人たちに対し、社会学が長期的な大きな視野から位置づけを示すならば、社会学もそれなりの「発見」をしていると認識してもらえるだろう。「虫の眼」とも言える現場密着型の丁寧なフィールドワークの手法(8)で興味深い事実を見いだし、「鳥の眼」とも言えるような大きな鳥瞰図(社会的連関)の中に位置づけ提示することが、社会学のなすべきもっとも重要な仕事である。

 こうした「発見」を常に示すことができれば、社会学も単なる「後付けの学問」ではないと認識してもらえると思うが、すぐれた「虫の眼」とすぐれた「鳥の眼」の融合がないと、わかりきったことを得々と述べている、つまらない「後付けの学問」というレッテルをやはり貼られてしまうだろう。こうしたレッテルをはずすためにも、社会学の立場からの政策提言が、もっと積極的になされるべきだと考えている。その際に、ポイントとなってくるのは、やはり大きな社会的連関の中で無形のものの重要性を強調するということになるだろう。まちづくりに関して言えば、長い歴史の中で、様々な地域と関わりを持ちながら、その町の文化や風土が作り出されてきたのだということを認識し、現在では、日本社会の、ひいては世界社会の一部として存在していることも認識した上で、住民が誇りと愛情を持てるような町にするためにはどうしたらいいのかという観点から将来の方向性を考えることであろう。

まちづくりと言うと、実際に有形のものがスクラップ・アンド・ビルドされるというイメージが強いが、長期的に見てより重要なのは、人々の意識の方であろう。きれいな公園や建物が作られても、そこに暮らす人々がその町に誇りと愛情を持てないなら、まちづくりは成功したとは言えないだろう。しばしば政策提言をなしてきた都市社会学が、地域におけるコミュニティ意識やネットワークの重要性を強調してきたのも、こうした点を認識していたためである。祭りをはじめとする地域行事や、町のことを学ぶ勉強会のようなものは、まちづくりにとって非常に重要なものと位置づけられる。つまり、社会学の観点からのまちづくりとは、無形のものの重要性に気づかせ、その価値をさらに高めていくことだと言えよう。そうしたまちづくりを進めていくために必要であれば、有形のものも作っていくという発想を持つべきだろう。

 では具体的に、私は、深く関わってきている鞆に対して、どのような政策提言をすることができるだろうか。鞆は上述の通り、港の埋立・架橋をめぐって非常に難しい状況にある。計画推進派の人々があげる鞆の問題点としては、交通渋滞、駐車場不足、働く場の減少等がある。そこには、有形のものに対する関心はあるが、無形のものに対する関心はあまり見られない。他方、計画反対派の主張の根拠は、港が埋められ、橋がかかったら、貴重な江戸時代の港の景観が崩れてしまい、それは、鞆のアイデンティティを揺るがす問題だというものである。ここには、景観や「鞆らしさ」といった無形のものに対する強い関心がある。当然、私は、反対派の無形のものに対する関心を共有するが、推進派が主張する鞆の問題点に対する配慮をまったくせずに、現状に一切手をつけないのが最善と主張することもできない。鞆のすばらしさは、江戸時代の港町の景観がふんだんに残されているところにあることはまちがいないので、この景観を一変させてしまうような埋立・架橋計画はなされるべきではない。しかし、古い町並みの中で、季節・曜日・時間帯によってはひどい交通渋滞になるのも確かであり、この解決は不可欠だろう。そのための一つの手だてとして、鞆を通過するだけの車を町中から排除し、許可を得ている住民の車だけが通れるようにするという対策が考えられる。もちろん、これを可能にするためには、新たなバイパス道路を作る必要があるが、それを海上に作るわけにはいかないので、やはり山側にトンネルを建設すべきだろう。次に、埋め立てが予定されている浜辺と海はもちろん保持すべきと考えるが、現行のままだと汚れがひどく親水空間として利用しにくいので、もっと清浄化する必要がある。できることなら、水に触れられたり、昔ながらの船に乗れたり、焚場の様子が観察できたりする空間として整備できるとよいだろう。第3に、港を含む古い町並みの残る地区を、急ぎ重伝建地区(重要伝統的建造物群保存地区)に選定させ、古い家屋を修復し、そうした家屋を、鞆に愛着を持ち住みたいという人であれば、地域住民か否かに関わらず貸し、居住者を適度に増やしていく必要がある。鞆は古い伝統的町で、最近は移住してくる人はほとんどいないが、過去に遡れば、港町なので、よそから来て、そのまま住み着いた人も少なからずいる。人口減少を危惧する町にとっては、鞆を愛する新住民を迎え入れることは、おおいに意味のあることだろう。最終的に、古きよき地域共同体としての機能を残しつつ、適度な観光の町になるというのが、鞆の進むべき方向ではないかと考えている。しかし、今述べたどの政策を実施するためにも、かなりの資金が必要になる。市や県はもちろん、国も鞆という町を日本の財産として評価し、それなりの予算をつけることが必要だろう。

 「社会学は後付け学問にすぎないのではないか」という批判に応えようと、思い切った政策提言をしてみた。それも抽象的な政策提言にとどまらず、具体的な地域の事例に関する具体的な提言をしたので、一般的な社会学の守備範囲からするとかなり逸脱したかもしれない。社会学には多様な立場があり、ここに書いたことはあくまでも私の社会学観に基づくものであり、異なる社会学観を持つ人もいることは断っておきたい。

(1)その研究の成果は、蓮見音彦・似田貝香門編『都市政策と市民生活――福山市を対象に――』東京大学出版会、1993年として発表されている。

(2)この計画は、日本社会が古い町並みや港の景観などに価値をほとんど見いだしていなかった時代である1950年に、都市計画道路の線引きがなされたときから実質的には存在した。そして、バブル期の始まりとも言える1985年に一度事業費予算がつき実現に向けて大きく動き出したが、その時は利害関係者の調整がうまく行かず、3年間の猶予期間を経て予算は流れていた。

(3)片桐新自編『歴史的環境の社会学』新曜社、2000年。

(4)200110月には、世界文化遺産財団(World Monument Fund)のプログラム「ワールド・モニュメント・ウォッチ」(World Monument Watch)の「危機にさらされている遺産リスト100」(List of 100 Most Endangered sites)に、鞆の浦が選定された。

(5)焚場とは、船底をいぶし、船底に張り付いたフジツボや貝等を落とすための場所であり、昔の船のドックである。

(6)片桐新自「港町の活性化と保存――鞆の浦を対象として――」片桐新自編、前掲書所収。

(7)この発言は、2000年6月10日に環境関連4学会の主催で開催された学際的シンポジウムの中で、現場での豊富な活動経験を持つ須田春海氏によりなされた。淡路剛久・植田和弘・長谷川公一編『環境政策研究のフロンティア』東洋経済新報社、2001年、p.74

(8)社会学的フィールドワークの手法については、佐藤郁哉『フィールドワーク』新曜社、1992年、佐藤郁哉『フィールドワークの技法』新曜社、2002年が詳しい。

[HP用注記]この章は、『建築とまちづくり』No.2972002年4月)に掲載されたものです。この号は、「まちづくりと社会の科学」という特集が組まれており、他にも社会学者が論稿を寄せていますので、興味のある方は読んでみて下さい。

23章 「虫の眼」と「鳥の羽」

 社会学はマクロな視野を持たなければいけないということは、このコーナーで何度も指摘してきたことですが、だからと言って、最初からマクロなデータだけ集めようとすると、社会学の研究はあまりおもしろいものではないなと感じる人が多いと思います。マクロなデータということになると、やはり統計的なデータが中心になり、そうした数字を見ているだけだと、個々の事例が持っている魅力というものを感じることは困難です。調べていて楽しいなと多くの人が思えるのは、個々の事例がもつ個別の魅力に出会う時でしょう。「こんなおもしろい所があったのか」とか、「こんな素敵な人と出会えた」なんて経験ができれば、研究することが実に楽しくなってくることは間違いありません。いや、そんな特別にすばらしいものに出会わなくとも、現実を見たり感じたりするだけでも、数字を眺めていることの何百倍も楽しい作業のはずです。実際、本を読むのが嫌いな今どきの学生たちも、現場に出かけていく「フィールドワーク」と聞くと、目を輝かせます。私は、学生たちのこの感性を否定するつもりはありません。むしろ、その感性をそれぞれがさらに磨いて、そこから社会学研究をスタートさせてほしいと思っています。そして、その感性をより生かすためには、地面を這う虫のような気持ちになって、徹底して細かいことも調べ出してほしいと思っています。大空を舞う鳥の眼では見つからないものが、虫の眼でならたくさん見つかるでしょう。社会学研究の第1歩をこうした「虫の眼」で始めれば、きっとおもしろいと感じることができるでしょう。(実際には、学生たちをフィールドに連れて行っても、8割方は「お客さんの眼」でしか見ておらず、虫の眼にはほど遠いのが現状ですが……。)

 このように「虫の眼」は、社会学研究にとって非常に大切なものですが、ずっと「虫の眼」のままでいいのかということになると、私は否と言わざるを得ません。虫の眼には鳥の眼に見えない様々なものが見えるでしょうが、「群盲、象に触る」とか「木を見て森を見ず」という格言があるように、一部しか見えていないのにそれで全体を判断してしまうというミスを引き起こしやすいのです。もちろん、学問の性質によっては、無理に全体について語る必要がないというものもあって、そういう学問においては虫の眼から見えたディテールだけが重要であるという場合もあるでしょうが、社会学はそういう学問ではありません。虫の眼から見える事実は大切だけれど、それを全体の中に位置づける視野というものがあって、はじめて社会学研究と言えると私は考えています。「虫の眼」に対応する比喩を使わせてもらえば、大空から全体を見渡すための「鳥の羽」も社会学にとっては不可欠なのです。つまり、「虫の眼」と「鳥の羽」を持つ社会学研究者が、私の理想とするところなのです。(2002.3.31)

22章 昭和初期の社会学のイメージ――野上弥生子の視線――

 野上弥生子が昭和3〜5年(192830年)にかけて書いた小説『真知子』は、当時社会学がどのように捉えられていたかをよく示しており、大変興味深い本です。「日本社会学史」を称するような書物では、どうしても学者・学説の紹介が中心になってしまい、時代が社会学をどう受け止めていたかという空気まではなかなか読みとることはできません。しかし、小説という形ですと、登場人物それぞれの立場から、社会学に対する印象が語られることになり、「学史」が語りきれないものを伝えてくれます。もちろんその際、作家の知識、認識、表現等によって伝えうるものは大きく異なるわけですが、私が読む限り、野上弥生子という作家は、実によく勉強していて、社会学についても自分なりにきちんとつかんでいたのではないかという印象を持ちました。おそらく、ある層――具体的には上流階級や上層中流階級――で当時抱かれていた社会学のイメージは確実に伝えられているのではないかと思います。

 古い小説ですので、お読みになっていない方が多いと思いますので、簡単にあらすじを紹介します。

「主人公の曽根真知子は23歳の美しい女性で、母親と2人暮らしである。高級官僚だった父はすでに亡く、兄1人、姉2人は結婚して家を出ている。年齢的に結婚適齢期ということで、母親や親戚筋から結婚の話が持ち込まれるが、真知子は結婚する本人の意思を無視して、結婚話が進むことを屈辱的であるとすら感じている。彼女は、専門学校を出たのち、東京帝国大学で社会学を聴講している。(実際、東京帝国大学では、大正9年(1920年)から聴講生制度を創設し、女性も講義を聴けるようになった。)社会に対する強い関心と上流階級の女性たちの俗物性に強い批判の気持ちを持ち、自分の生活も変えなければならないと考えている。恋愛と結婚、思想と現実が複雑に絡み合いながら、物語は展開していく。」

 さて、この紹介でわかるように、主人公は社会学を学んでいるわけです。そこで、そのことに関連して彼女に対して様々な言葉が投げかけられるわけです。そのいくつかを紹介してみましょう。

1.「真知子さんみたいなお美しい方が、社会学なんて似合いませんって」(兄嫁の母親である田口倉子=病院長の妻の発言)

2.「社会学という言葉を聞いたとき、柘植夫人の濃い尻上がりの眉は、何か不気味な毒虫の名前を耳にしたごとく、額で痙攣した。」(柘植夫人=子爵夫人)

3.「何も社会学なんて、そんなものを勉強なさらなくたってよさそうなものじゃありませんかって。だいち、誤解され易うございますからね。ちゃんとした家のお嬢さんで、そういう学問をなさっては」(田口倉子)

4.「どうしても哲学の方でなければお悪いんなら、美学なんかでもございましょう。それなら間違いのない学問でしょうし、社会学なんてものより聞いただけでも優美でよろしゅうございますわ。ねえ、そうお思いになりません」(田口倉子)

 ある階級の人々にもたれていたイメージにすぎないかもしれませんが、この時代ロシア革命の成功を受け、マルクス主義思想が日本でも急速に広まり、日本共産党の結成(1922年)、「3・15事件」(1928年)等もあり、社会主義思想やマルクス主義に対する警戒が強まっていました。そんな中で、社会学もそれらと近いところにある学問ではないかと警戒されていたことがわかるかと思います。しかし、現実に、東京帝国大学の教授によって語られていた社会学は、そんな危険なものとはほど遠いところにあり、むしろマルクス主義の立場からは、長く「ブルジョワ学問」として批判されていました。1898年から1922年まで東京帝国大学の社会学講座を担当した建部遯吾は、日露開戦を唱えた「帝大七教授」の一人で国粋主義的思想の持ち主として有名でした。(逆説的な話ですが、あの建部遯吾がやる学問なら、左寄りではないのだろうと思われ、講座が戦時中もつぶされずにすんだというのは、定説になっています。)後を継いだ戸田貞三は、はじめ心的相互作用論を中心とした形式社会学を講じ、後には家族に関する実証的研究を行い、いずれにしろ社会改善や政治に直接関わらない研究をなしていました。しかし、学んでいる学生たちの中には、こうした講義に飽きたらず、社会の諸問題を具体的に解決するための活動をすべきだという志向から、「新人会」や「セツルメント活動」に入っていく者も多かったようですので、田口夫人や柘植夫人の社会学に対する危険なイメージもあながち間違いであったとは言えないでしょう。

 田口夫人や柘植夫人の人物像の設定と認識に関しては少し揶揄するようなところも見られますが、かと言って野上弥生子は社会学を高く評価しているわけでもないことを明確に示します。それは、主人公の真知子にこう言わせているところによく表れています。

5.「哲学と経済学から常に挟み撃ちにされている社会学の独立科学としての基本的な欠陥が、このごろ漸く彼女の批判を刺激した。できたら、経済にかわりたかった。」(曽根真知子)

 70年以上前の小説で書かれたことなのに、もしかしたら社会学はまだこの基本的欠陥を克服できていないのではないかと思わされてしまう指摘ではないでしょうか。(2001.11.9)

21章 機能分析はそんなにだめか?

 「機能」という概念を使うと、それだけで反発する社会学者が結構いるのですが、機能分析のどこが一体そんなにだめなのでしょうか?ある人は、「機能」は社会システムのあるべき状態をあらかじめアプリオリに決めてはじめて使える概念で、「機能分析」とは結局その状態の維持存続にとって意味があるかどうかを語ろうとする保守的議論だからだめだと言います。確かに、機能的かどうかを語るためには、ある種の価値判断が入り込むと思います。しかし、そうした価値判断を一切拒否して本当に社会の研究はできるのでしょうか?現在、「価値観の多様化」「共生の時代」等々、口当たりのよい言葉がいろいろあり、こういう言葉を使いたがる人たちは、さも「価値観の押しつけはしないよ」と主張しているようです。しかし、実は彼らも、「どの立場にも優先順位をつけてはいけない」という平等主義や、「どんなに立場が異なる人とでも仲良く暮らさなければいけない」という共同主義の価値観を押しつけているとも言えるのです。最近話題の教科書問題や靖国神社参拝問題でも、進歩派(一般的に多様な価値観を認める立場)を自認する人たちが、言論と信仰の自由を弾圧しにかかっています。かつて迷惑をかけた近隣諸国の意向こそ最重視すべきだという価値観の押しつけになっていることに、本人たちは気づかないのでしょうか?

 社会学でも同じことです。機能主義には保守的偏向があると批判している人たちにも、間違いなくイデオロギー的偏りはあります。第3章「社会学における客観的認識」で述べたように、そもそも価値判断なしでは研究対象の選択すらできないのですから。現代のように価値観が多様化した時代においては、どれが保守的でどれが進歩的な立場なのかも、一義的には決められません。とりあえず、ある社会現象を研究対象として取り上げた際には、誰でもその社会現象がどのような因果関連で生まれてきたのかを研究するとともに、今の時代の中でどのような意味を持っているかを研究するはずです。その意味というのを機能と言い換えてもいいのです。私は、基本的には社会学は社会の多くのメンバーにとって意味のあること――社会的機能を持つこと――を研究すべきだと思っていますが、中には大多数のメンバーにとっては意味はないが、ある少数集団にとって意味があるという場合もあるでしょうし、そうしたものを社会学の研究対象から排除すべきだとは思いません。その場合でも、機能の考察は可能です。ただし、社会にとっての機能というより、集団にとっての機能、極端な場合は個人にとっての機能と呼べるものになるかもしれませんが。

 このような機能概念の使い方は、機能概念の内実を失わせてしまうという批判がなされるかもしれません。T.パーソンズのように、社会システムに普遍的に必要とされる機能的要件を確定すべきだという立場に立つ人なら、そういう批判をするでしょう。しかし、現実の社会システムで必要とされる機能的要件はもっと複雑です。たとえば、パーソンズが不可欠と考えた目標達成機能は、確かにあった方が社会システムがスムーズに動くかもしれませんが、明確になくても社会システムは動きます。逆に、パーソンズはあげていませんが、社会システムの問題点を指摘し、それを修正していくというような機能(これを私は「活性化機能」と呼んでいます)などは、多くの社会システムで必要とされていると思います。それゆえ、私はいかなる社会システムにも不可欠な機能的要件を確定しようとするリジットな機能主義ではなく、サイズも形態も様々な個々の社会システムごとに、その内部にある諸要素がいかなる機能を果たしているかを考えていく素朴な機能主義(機能分析と言った方がいいかもしれません)が、社会学には必要だと考えています。もちろん、いかなる機能を果たしているかを語るときに必ず研究者の価値判断が入り込みます。しかし、先に述べたように、そうした価値判断を一切せずに研究はできないのですから、そのことを怖れ躊躇する必要はないでしょう。

 当事者が気づいていない潜在的機能を発見することこそ社会学の醍醐味だという人と、そういうものを発見できると思っていることが社会学者の傲慢さだという意見があります。私はどちらかといえば、もちろん前者に近い立場です。ただし、自分の発見した潜在的機能がすべての人たちにとっての真理であるというような主張をするつもりはありません。ただ、私が意識的・無意識的に選択した価値観からみた場合にという前提をおけば、当事者が思ってもいないような機能を指摘できる可能性は十分にあると思っています。日常生活を生きている当事者たちは、通常あまり大きな社会的連関などは視野に入れていません。それゆえ、自分の行為が社会的にどんな意味(機能)を持つかなどを自覚して行動しません。他方、社会学者は常にそうした発想で行為や現象を眺めるわけですから、当事者に見えないものが社会学者に見えることは十分あるわけです。(もちろん、行為そのものについては、当事者の方がよく知っているわけですから、当事者にはわかっているが、社会学者にはわからないということも多々あるわけですが……。)いずれにしろ、社会学的意味の探求とも言うべき機能分析を捨て去ってなしうる社会学の仕事がそれほどあるとは私には思えません。(2001.8.8)

20章 文化へ走る都市社会学、環境に入れ込む村落社会学

 社会学の伝統ある連字符領域として、「都市社会学」と「村落社会学」(農村社会学という場合もありますが、山村・漁村の存在も考えるなら、村落社会学の方がよいでしょう)があります。ともに地域社会を扱っているのだから、両者を「地域社会学」として合体させうると唱える人もおり、そういうタイトルのついた本もたくさん出されています。私もある時期まではいずれはそうなるのかなと思っていましたが、ここ10年ぐらいの両分野の趨勢を見ながら、どうやら「地域社会学」という連字符領域が「都市社会学」や「村落社会学」に取って代わることはなさそうだと認識を改めました。というのも、都市社会学系の研究者――特に若手――は、都市の文化に対する関心を強めているのに対し、村落社会学系の研究者は、環境問題への関心を強めているからです。つまり、ともに地域社会を扱うという共通性が、焦点を当てる要素の相違によってかき消えて、両領域の進む道はどんどん離れていっているのです。

 しかし、両領域のこうした研究趨勢は一時的、特殊的なものではなく、それぞれの対象がもつ本質的な部分を追求していくとどうしてもそうならざるをえなくなるという類のものなので、中長期的に見ても、両者の距離はより離れることはあっても近づくことはないと予想できます。まず、都市は人口密度の高い地域と規定できなくもないですが、都市化が進んだといったときにイメージされているのは、単に人口が増えたということではなく、都市的生活様式が普及したということです。その都市的生活様式を可能にするのが様々な文化なのです。「都会に行きたい」と田舎に住む人があこがれるのは、人の多さにではなく、都会(都市)にある文化に対してなのは明らかです。つまり、現代の都市にとって文化はその本質にすら関わるものと言っても過言ではないのです。それゆえ、現代の都市について考えようとする研究者が、文化研究へ流れるのは必然と言えるのです。もちろん、意識して行えば、文化研究ではない都市研究も可能です。しかし、そのように意識しなければ、都市という場に関心を持つことは、自動的に都市の文化に関心を持つことになっていると思います。

 次に、村落ですが、農村、山村、漁村、そのいずれにもある魅力的なものは何かと言えば、自然環境です。都会に住む人が「田舎にいってゆっくりしたい」と思うとき、必ず念頭に浮かんでいるのは、豊かな自然の光景です。その自然は、必ずしも人の手が一切入っていないものでなくても構わないのです。むしろ、人に恐れを感じさせない人とともにある自然の方がいいのかもしれません。「ふるさと」の歌詞が思い浮かぶような里山の風景、きれいに整備された棚田の景色、見事に植林された杉林、小舟が連なる港の風景、いずれも先人たちが生活の必要性から生み出してきた人間の手の入った自然です。そうした人間の営みとの関わりをもつ自然が村落には豊富にあります。いや、ありました。今、社会全体が都市化していく中で、こうした村落の自然環境が急速に失われてきています。村落を魅力ある場所と捉え、研究対象にしようとした人たちが、こうした自然環境の問題に敏感にならないはずはありません。こうして、村落社会学は、環境社会学へと怒濤のように向かっていくのです。

 文化研究も環境研究もここ10年、社会学においてもっとも人気がある分野で、業績もたくさん出てきています。こうした講義を聴きたいという大学生の需要も高まってきており、大学でもポストが増えてきています。都市社会学と村落社会学をひとつに統合するためには、それぞれの地域社会構造の特質などを語らなければならないのですが、そういう時流に乗っていない堅苦しい研究は、今後増えていくことはないでしょう。このように考えてくると、都市社会学と村落社会学が地域社会学という名で統一されることは期待薄だという結論がいやでも出てくるのです。(2001.7.18)

19章 比喩の魅力と危険性

 抽象的な話をわかりやすく伝えるためには、具体的な話に置き換えることが必要です。その置き換え方には2種類あります。ひとつは例示で、もうひとつは比喩です。この2つの違いを意識せずに使っている人が少なからずいるように思いますが、この2つは全く異なるものです。まず、例示とは、ある抽象的事象に包摂される具体的事象を示すことです。例えば、「代表的な国際的大都市としてはニューヨークがある」と言えば、例示したことになります。これに対して、比喩はある事象に対する理解度を高めさせるために、説明を受ける人にとってイメージしやすい類似事象を示すことです。例えば、「ニューヨークは、日本で言えば東京のような都市である」といった言明が比喩にあたります。ともに、日常的に非常によく使われるコミュニケーション・スキルですが、厳密さを要請される研究者の文章の中で使う場合には、この2つのスキルの違いをしっかり認識しておかなければなりません。

 例示の方は、正確に使う限りたくさん使ってもわかりやすくなるだけで問題はないですが、比喩の方はたくさん使うことには慎重にならなければいけません。というより、比喩はなるべく使うべきではないと思います。というのは、比喩は説明ではないからです。例えば、上にあげた「ニューヨークは東京のような都市」という言明にしても、なんとなくわかったような気になりますが、実際には全く正しい説明になっていないどころか、誤解すら与えかねません。例えば、この言明を聞いた人の中には、ニューヨークを東京と同じく首都だと思ってしまう人が必ずいると思います。確かに両都市には似たようなところもありますが、異なる点も山のようにあるのです。比喩というのは、そういう相違点を無視して、類似点だけを意識してなされている非科学的な(説明的ではないという意味で)言明なのです。あえて言えば、文学的な(イメージをふくらましうるという意味で)言明です。

 文学にとって比喩は不可欠でしょう。比喩を全く使わずに詩を書いたら、おそらく味もそっけもないものになると思います。しかし、社会学という学問は科学です。説明になっていないこうした比喩を使うことはなるべく避けるべきです。ところが、「社会学は科学である」という見方に懐疑的な立場を取る社会学者も少なくなく、こうした「社会学者」の書く文章には、比喩が何の躊躇もなくたくさん出てきます。たぶん、その方が文章にふくらみが出て、読む人にとっておもしろく思えると考えているのでしょう。その気持ちはよくわかります。私のように比喩の乱用を避けるべきだと思っている人間でも、きちんと意識していないと、比喩を使って説明した気になっているときがしばしばあります。数学のような学問では、比喩の入り込む隙間もないでしょうが、コントの示した「学問の階梯論」で言えば、一番最後に実証的段階(科学)に到達した社会学は、比喩の入り込む余地がもっとも大きい科学です。研究対象が人々の営む生活なのですから、同じく人々の生活を叙述する文学との境目が曖昧になりやすいのです。(研究者によっては、意図的にその境目を取り払おうとしている人もいます。)

 しかし、比喩が読み手にどれほど豊かなイメージを与えようとも、社会学の研究論文であるなら、比喩の使用には十分すぎるほど慎重になるべきだという立場は崩すべきではないと思っています。比喩はそれを使っている人と同じレベルで理解できないことが多くあります。時には、その比喩が使われたゆえに、何が言いたいのかよくわからなくなってしまうということも少なくないのです。抽象的な話、難しい話をわかりやすくするために使うべきなのは、例示であって比喩ではないということをよく理解してほしいと思います。(2001.6.1)

18章 社会と国家――あるいは幸福論――

 私は、現代社会は危機だと主張し続けていますが、では「危機が続くといずれ社会は崩壊するのか?」と問われれば、「崩壊はしない」と答えざるをえません。なぜなら、社会はその起源から言えば、人が集まって自然発生的に生み出されたものであり、その社会を構成する人間がすべて消えてしまわない限り、社会は存在し続けるからです。ここまで読んで、「なあんだ。崩壊しないなら、別に危機じゃないじゃないか」と思い込んで安心してしまう人が増えないことを祈ります。崩壊はしない、しかしだからと言って危機ではないということにはならないのだという主張をしたいと思います。

 人の集まっているまとまりを、社会学では社会集団と言います。集団にはいろいろなものがありますが、大きく分けると、基礎的集団と機能的集団(組織的集団)という2つに分けられます。後者はある目的を持ち、その目的達成のために人々が活動している集団です。これに対して、前者は目的的に作られた集団ではなく、地理的条件や生物学的要因(出産)によって自然発生的にできあがった集団です。具体的には集落や親族集団がそれに当たります。さて、社会はどちらに入るかと言うと、起源的には地理的条件に左右されて自然発生的に生み出された集落がその原点として考えられますので、強いて言えば、基礎的集団の方に入ると思います。この集落という形で始まった社会は、時代が下るに従って、その規模を拡大してきました。現在、社会という言葉は、一般的には「全体社会」の範囲を指して使われており、日本人が使う場合は、特に注釈しない限り「日本社会」という「国民国家社会」のことを指すことが暗黙の前提となっています。さて、ここまで来ると、社会は単純に基礎的集団とは言いにくくなってきます。というのは、「国民国家社会」は、決して完全に自然発生的に生み出されたものではないからです。国家という特殊な機能的集団がその範囲を人為的に決めている社会なのです。アメリカやカナダ、あるいはアフリカ諸国のように国境線が直線になっているような「国民国家社会」を思い起こせば、これが自然発生的な社会の範域でないのはすぐわかることと思います。また、日本でも、歴史を振り返れば、その地理的範域を変えてきたことは容易に知れるでしょう。しかし注意しなければいけないのは、だからといって社会というものが完全に人為的に作られたわけでもないということです。地理的条件などが影響して、まとまりやすかった範囲が自然にまとまったという側面も確かにあるのです。

 この辺の複雑さを利用して、日本国家という機能的集団を日本社会という基礎的集団(の側面を強く持つ集団)と一緒くたにし、社会を愛することを国家を愛することと同義にしてしまう人がいます。日本社会が好きだというのは、この日本社会に存在する風景が好きで、日本の言葉が好きで、日本の食べ物が好きだという風に捉えることができますが、これが日本国家になってしまうと、国家を象徴する存在である天皇や日の丸や君が代を愛さなければならないという論理に化けやすいのです。別に私は天皇制反対論者でも日の丸・君が代否定論者でもありませんが、国家と社会の同一視は、好ましくないと思っています。国家と社会を切り離して考えてはいけなかった戦前の日本は問題外ですが、戦後の日本においてもこの弁別がうまくできず、国家に対する懐疑精神が社会に対する懐疑精神を引き起こしてしまったという気がします。もちろん国家と社会は現実には深く結びついていますが、理論的には弁別できるのです。また、それをする必要があるのです。

 社会は基本的には自然発生的な基礎的集団なのでその存在理由(目的)は問えないとしても、国家は機能的集団ですから、どのような目的を果たすために作られた集団(組織)なのかを語ることができます。「夜警国家論」的考え方からいけば、国家の果たすべき最低限の機能は治安維持と対外防衛なので、国家という組織の存在理由は、国民国家社会の成員の安全を守ることになります。しかし、現実の国家ははるかに多面的な機能を果たしていますので、成員の安全を守ることだけが国家の目的だというわけにはいかないでしょう。おそらく、民主的な国家の共通した目的は「国民国家社会の成員の集合的幸福度を最大化すること」(昔ながらの言い方をすれば「最大多数の最大幸福」)と言えるでしょう。その際に考えなければならないのは、他の国民国家社会と如何に折り合いをつけるかということと、幸福とは何かということです。他の国民国家社会と折り合いがつかなければ最悪の場合は戦争になります。パレスチナ問題のように今でもこうした戦争は生じていますが、20世紀の2つの大戦を経て、先進諸国は戦争が勝っても利益の上がるものではないことに気づき、以前よりは戦争状態に入ることには強い自己抑制をかけるようになったと思います。しかし、経済競争等で国家同士がぶつかり合うことはしばしば起こっています。各国家は、他の国民国家社会に犠牲を強いることなく、社会成員の幸福度を増すことを考えるべきなのですが、必ずしもそう考えていない国家も少なくないのです。というより、いまだにほとんどが自国家の利益のみを考えていると言っても過言ではないでしょう。

 次に「幸福」についてです。どういう状態にあるとき、人は幸福を感じるのでしょうか。国家は成員に何を与えれば幸福感を増すことができるのでしょうか。やはりまずは生理的欲求を充足させることでしょう。大多数の成員がたっぷり食べられる、安心してゆっくり寝られるという状態を作り出すことは、国家の重要な目標です。日本に暮らしていると、その程度のことは当たり前と思われてしまうかもしれませんが、国際的に見た場合、こうした生理的欲求が大多数の成員によって十分満足されている社会なんて、そんなにたくさんあるわけではないことに気づきます。その意味では、現在でも多くの国家の目標は、成員の生理的欲求を充足することにあると言えます。しかし、日本に限定して国家目標を考えようと思ったら、生理的欲求の充足では済みません。より高次の欲求充足をさせなければ、幸福度は増しません。では、その高次の欲求とは何なのでしょうか?マズローは、生理的欲求の次は、安全の欲求、所属と愛情の欲求、自尊の欲求、自己実現の欲求という欲求段階説を唱えましたが、生理的欲求の充足と密な関係のある安全の欲求は別として、他の3つは必ずしもこの順番通りかどうかわからないように思います。人によっては、所属や愛情の欲求よりも自尊や自己実現の方が、優先目標と考える可能性は決して小さくないと思います。つまり、基礎的な欲求以外で誰もが納得する優先順位をつけるのはかなり難しいのです。

 しかし、難しいからと言って、国家が幸福度を増すための方針を打ち出さなければ、国家という組織のするべき仕事をしていないということになります。国家は、社会が育ててきた文化を継承し発展させ普及させることで、日本人としての自尊心を高め、それによって成員の幸福度を増すことができるという考え方もあるでしょうが、現在の日本国家の行き方を見ると、結局生理的欲求充足の延長線上にある経済的豊かさのさらなる充実を目標としているとしか見えません。しかし、こうした行き方で自分の幸福度が増すと思えなくなっている人が増えてきていることが、現代日本の危機なのではないでしょうか。つまり、一般化された言い方をすれば、生理的欲求が十分充足された社会では、どのような状態に向かうことが集合的幸福度の増大につながるのかを国家は示すことが困難であること。そして、集合的幸福度は低下し、その状態がずっと続くと社会は危機状態になるということです。そして、下がるところまで下がれば、国家は組織として十分機能していなかったということで、古い国家が崩壊し、新しい国家が取って代わらざるをえないわけです。つまり、社会の崩壊はなくとも、国家の崩壊はありうるということです。現に、「ローマ帝国」は崩壊したし、「大日本帝国」も「ソビエト連邦」も崩壊しました。(ただし、いずれも生理的欲求が十分充足されていた中での崩壊ではなく、逆に生理的欲求を充足させられなかったゆえの崩壊のケースです。)

 国家なんか崩壊しても構わないと主張する人は結構いると思いますが、それが社会の幸福度の増大につながるならいいでしょうが、低下につながるならそう簡単には国家が崩壊しても構わないと言い切れないはずです。「大日本帝国」や「ソビエト連邦」の崩壊は、社会の幸福度の増大につながったと言えるかもしれませんが、今の日本国家が崩壊してどのような新しい国家が立ち上がったら、日本社会の成員はより幸せになれるのでしょうか?日本共産党は、社会主義・共産主義国家にすることで、集合的幸福度が増すと考えているのでしょうが、大多数の日本人は今やそんなことは信じていません。ソビエト連邦や東欧諸国の社会主義国家の崩壊や、北朝鮮国家の危うさをみんな知っています。一時的な例外期間を除いて、1955年以降40年以上にわたって自由民主党という政党が政権を担い続けているということは、結局この日本社会の成員は、「自由主義」と「民主主義」という2大理念のバランスを取りながら進んでいく国家体制を望んでいるということなのです。この2つの理念は、決して補完的な理念ではなく、ぶつかり合うことの多い理念です。それゆえ、2大政党制になっている社会では、このいずれかをより強調した2つの政党間での政権交代を行っています(ex.アメリカの共和党vs.民主党、イギリスの保守党vs.労働党)。日本は、自由民主党がその両方を同等の比重で抱え込んでいるため、自民党内部の権力争いで「自由主義」重視型の政治家と「民主主義」重視型の政治家との間で交替が生じることで、実質的な政権交代が行われたような印象を与えることができるのです。(換言すれば、自由民主党という政党がある限り、民主党の管直人や自由党の小沢一郎がいくら頑張っても、日本に「2大政党制」の時代は来ないと予想されるわけです。)

 異なる理念を2大テーゼとして持ち込んだ自民党が政権の中心にある限り、理念的な国家目標は立てることはできず、結局永遠に経済的豊かさを増加することで、人々の幸福度を増しますとしか言えないのは無理のないことなのでしょう。人間の欲望は無限で、腹が満ちたら、着飾りたい、良い家に住みたい、果ては宇宙旅行へ行きたいとまでなってくる、いくら豊かさを与えても「もう十分だ」とは決して言わず、どこまでも欲しがってくれる、これが自民党(多数派)のイメージする人間モデルなのでしょう。実際そんな風に生きている人たちはいるでしょうし、そういう人たちは今の日本社会が危機だなんて思わないでしょう。せいぜい、買いたいものが買えなくなるような経済的状況の悪化のみが危機と認識されるのだと思います。でも、本当にそんな人間ばかりなのでしょうか?幸福って、永遠に経済的な豊かさの延長線上にあるものなのだろうかと疑問を持ち始めている人がたくさんいるのではないでしょうか。でも、どこにあるのか、どこに向かえばいいのかわからない、そんな漠然とした不安が人々の心を捉えている、そんな時代なのではないでしょうか。(2001.5.16)

17章 大学院生のレベル低下を憂う

 社会学を勉強しはじめてから25年、社会学を教えはじめてから18年も経ちました。いつのまにやら、社会学の中堅研究者となり、最近はいろいろな論文の審査に携わる機会が多くなりました。そうした中で気になっているのは、審査する論文のレベルの低さです。一昔前なら、こんな論文は、指導教官がチェックして、投稿させなかったはずだと思う論文が次から次に審査論文として回ってきます。投稿者は若い大学院生が多いはずですので、なるべく良いところを見つけて、全体的な筋は変えずに改善をなしうるようにコメントしてあげたいと思うのですが、どう頭をひねっても、このままでは無理と思わざるをえないような論文が少なからずあります。中には、ワープロの変換ミスをそのままにしてあるような論文もあります。思わず、一度ぐらい読み直しをしてから、投稿しなさいと言いたくなってしまいます。

 こういうレベルの低い投稿論文がたくさん現れるようになった原因はいくつか考えられれます。第1に、ワープロの普及で、時間的には論文を書くことが非常に簡単になったことがあげられます。私は、ワープロが普及する以前に大学院生時代を過ごしていますから、1本の論文を書くということは、大変な作業でした。構成を練ってから書き始めても、何度かの推敲が必要になり、最後にようやく1本の論文にたどり着くという時代でした。今の若い人だと、ひとつの調査研究で何本も論文を書く人が少なくありませんが、私などは、ひとつの調査研究の結果は、たった1本の論文にそのもっとも重要なエッセンスを詰め込むことで、完結させてしまうという形で来たので、今になっても、ひとつの調査研究で何本も論文を書くことができません。

 第2の原因としてあげられるのは、社会学の蛸壺化です。すでにこのコーナーで幾度か指摘したことですが、本来幅広い知識と分析を必要とする総合学であるべき社会学が、連字符分野で分かれ、さらにアプローチでも分かれ、小さなグループ化してしまっているため、その小グループのみに通用すれば、それで社会学として成立すると思いがちな若手研究者を生み出してしまっているのです。似たような関心を持った人が集まった小グループのみを意識して研究すると、どうしても重箱の隅をつつくような研究が主流になります。はじめに大きな問題意識をもって研究をスタートさせるのではなく、如何にして他の人がやっていないことを見いだすかにのみ熱心になります。まだ他の人が扱っていない資料を書庫から探し出してきて、その資料を使って研究できる研究課題を後付のように考えていく、あるいはまだ他の人が扱っていないフィールドに入り込み、そのフィールドのことをただひたすら紹介する、そんな論文に頻繁に出くわします。たまに論文としての体裁が整っているものがあっても、なぜこの対象を研究しようとしたのか、なぜその資料のみに限定して研究しているのか、なぜそのフィールドを選んだのか、という根本的な疑問に答えていない場合が少なくありません。

 第2の原因ともからんでくる第3の、そしてより重要な原因が、大学院生の急激な増加です。旧文部省による、日本の高等教育の現実とはかけ離れた「大学院大学構想」に、名門国立大学がこぞって乗っかり、大学院の拡充化をはかってきました。「拡充化」と言ったって、大学院入学と博士号授与のハードルを下げ、たくさん大学院生を取り、多くの「課程博士」(注1)を出すことで、予算を確保し、教授たちは「○○学部教授」ではなく、「××大学院教授」と名乗り、地位が上がったような快感を得るというだけで、実質的には何も充実させていない改革だったわけですが、ここに来て、その潜在的逆機能が顕在化してきました。文部省と名門国立大学による安易な発想での大学院生の増加は、間違いなく大学院生全体のレベルを落としました。理科系の大学院のように、修士課程終了後、企業や研究所に即戦力として就職して行けるならいいのですが、社会学ではそんな道もありません。本来なら、「大学院の拡充化」という形で入口を広げたなら、就職という出口に関しても整備をし拡張しなければならないはずなのに、それを全くしていないので、大学院に入ってきた若い人たちは、みんな、かつての大学院生と同様、いつの日か大学の教師になることを夢見つづけています。結果として、何が起こるかと言えば、大学教師を夢見る実力のない大学院生の急速な増加です。修士であきらめて他の道を探してくれればいいのですが、本人があきらめない限り、結局は博士課程に来てしまいます。そうなると、もう必死で論文を書いて、何とか大学教師という職を得るチャンスをうかがうわけです。しかし、現実には大学は倒産もありうる「冬の時代」に突入しています。どんどん市場は狭まるばかりです。

 そういう過剰な競争の中で、若い大学院生は自分の評価を高めるために、論文をレフリー制度のある学会誌等に投稿してきます。しかし、十分な実力を養わないまま博士課程に来てしまった人も少なくないため、論文の書き方の基礎も身についていないような投稿論文が出てくるわけです。たぶん、これは今もあまり変わっていないのではないかと思いますが、社会学の大学院生は、修士課程の頃は自信喪失気味なのですが、博士課程に入ると、妙に過剰な自信を持つようになります。もちろん、昔の博士課程の大学院生の自信も実力からすれば過剰気味でしたが、今の大学院生に比べれば、まだましだったと思います。今の大学院生ははっきり言って「水割り院生」です。博士課程にいるからと言って、天狗にならず、努力を積み重ねないと、この厳しい競争主義の中では生きていけません。課程博士の取得を目指すというのもわかりやすい努力目標かと思いますが、私は個人的には、この課程博士取得を目指すという行き方が、逆に現在の大学院生の社会学者予備軍としての実力をそいでいるのではないかと危惧しています。かつてなら、課程博士など取れっこないので、少し幅広く勉強し、社会学研究者としての実力を養う期間としての意味も持っていた博士課程が、今やひたすら博士論文を書くための期間となっているとすると、幅広い社会学の素養はどこで養ったらよいのでしょうか?理系の研究のように、ある分野の徹底的した専門家になれば済む学問と違い、社会学には幅広い知識が絶対必要です。それをどこかで身につけないと、よき社会学者にはなれません。博士論文を書くななどとは言いませんが、近視眼的にそれだけをするのではなく、ぜひ、社会学内部での他流試合をしてください。領域もアプローチも似ている仲間内だけで傷をなめ合っているような研究会より、いろいろな問題関心をもった人が集まる研究会に出て、自分の議論のひとりよがりなところに気づくことが必要です。自分のフィールドを持つのは大事なことだと思いますが、それだけに留まらず、「社会学には何ができるのか、どうあるべきなのか」という自問自答もしつづけて下さい。これからの時代は、本当に社会学もわかっていて、自分のフィールドも持っているような人のみが、職を得られるような時代になると思います。(2001.4.1)

(注1)大学院博士課程修了後3年以内に博士号を取得したものを「課程博士」とよぶ。かつて日本の社会学界では、博士号は社会学史上に残るような著書を書いた、その分野の達人のような研究者にのみ与えられるもの(こういう博士を「論文博士」とよぶ)と位置づけられ、大学院を出て3年程度ではとうてい取れるものではないという認識が共有されていた。欧米の社会学界では、以前から、博士号はもっと簡単に出していたので、日本もそれに近づけ、アジアの留学生を日本の大学院に来させようという狙いもあると言われる。

16章 専門用語を学ぶことの重要性

 理論社会学という講義を担当していて、しばしば学生から言われるのが、専門用語がたくさん出てきて、覚えきれない、抽象的でおもしろくないということです。確かに、専門用語というのは、日常生活であまり使わないものなので、学ぶ意義というのが実感できないのかもしれません。私も、「第13章 概念へのこだわり」で書いたように、新しい概念づくりに明け暮れたり、アカウンタビリティを無視したような専門用語の羅列には大いなる疑問を感じますが、概念を学ぶこと自体の重要性は、軽視してはいけないと思っています。なぜなら、私たちがもしも概念を一切知らなければ、他人に話を伝えることもできなくなってしまうからです。「猫」や「犬」だって概念です。もしこれらの概念を知らなければ、「猫が犬に追いかけられていた」というエピソードも、「四つ足の丸い顔をした動物が、同じ四つ足だけどもう少し顔のとがった少し大きい動物に追いかけられていた」なんて、ややこしい表現をしないと伝えられなくなります。いや、「動物」「足」という概念や「丸い」「とがった」という概念も知らなければ、もう言語自体を発することが不可能になります。もちろん、「猫」「犬」「動物」「足」といった具体的なものを指示する概念と、社会学の抽象的な専門用語は大分異なります。しかし、「丸い」「とがった」というのは、よくなじんだ言葉なのでそう思われていないかもしれませんが、明らかに抽象的概念です。他にも、「青春」「恋愛」「仕事」「かわいい」「おいしい」「ラッキー」だって抽象的概念です。こうした概念を使わずにコミュニケーションをとるのは非常に困難であることは容易に理解してもらえるでしょう。

 では、社会学の専門用語はそうした概念と同程度に必要なものでしょうか?そう問われれば、確かに生きていく上で知らなければならないというものではないと答えなければならないでしょう。しかし、小学1年生には1年生なりの、6年生には6年生なりの覚えなければならない言葉があることからもわかるように、年齢とともに私たちは使える概念を増やし、表現力を豊かにし、分析力を鋭くしていくのです。ことわざや格言だって、知らなくても生きていく上では困らないと思いますが、知っていれば、知らない人より多くのことに気づきます。たとえば、「朝令暮改」という格言が中国の故事から来ていることを知っていれば、昔からこういう安易な法改正に悩まされてきたこと、日本だけの問題ではないことにはすぐ気づきます。ことわざや格言には、人間の行動や心理が陥りやすい問題点を指摘したものがたくさんあります。それゆえ、知っていると、自分を相対化して見ることもできますし、場合によっては対処法まで見いだせます。社会学の専門用語も、ことわざや格言程度には、あるいはそれ以上に使いでがあるものだと思います。「潜在的機能」も「カリスマ的支配」も「価値合理的行為」も「フリーライダー」も「権威主義的パーソナリティ」も「AGIL図式」も、ちゃんと理解していれば、この複雑な社会と社会現象をかなり整理して私たちに示してくれます。すべて学べとは言いませんが、使いでのある社会学の基本概念ぐらいはしっかり学んで駆使できるようになってほしいと思います。そうすれば、他者とのコミュニケーションもしやすくなるし、社会もよく見えて生きやすくなります。小学生に社会学の専門用語を学ばせる必要はありませんが、高校生や大学生ならしっかり学ぶ価値があると思います。最後にもう一言。学ぶというのは、暗記するということではなく、理解するということです。(2001.2.20)

15章 固有名詞の社会学は難しい

 私は、この複雑に絡み合った現代社会の中で、社会的にみて重要なテーマを自分で見つけだせるようになることが、社会学の第1歩と思っているので、3年次ゼミ生には、まず全く自由に夏のレポートをまとめさせています。今、提出されてきたレポートを読みながら、改めて思っていることは、固有名詞をレポートのタイトルに据えてしまうと、社会学的研究をするのは難しいということです。そこに地域社会がある地名の場合はまだいいのですが、それ以外の固有名詞のつくものを研究対象にしてしまうと、その対象の持つ特殊性を十分に相対化できなくなり、社会学になりにくくなります。もちろん、それが社会的影響を与えるほどのものであるならば、その対象の社会的影響を社会学的に分析することはできます。しかし、その対象の出現に関する社会的原因の方は、必ずしもうまく見いだされるとは限りません。というより、たったひとつの固有名詞のつく対象だけで社会的原因を語ろうとするなら、それは無理があると思われてしまうことがまずほとんどでしょう。

 ひとつ例をあげてみましょう。かつて、「巨人の星」、「あしたのジョー」、「柔道一直線」などの大人気スポーツ漫画のストーリーを生み出した梶原一騎という漫画原作者がいました。彼の描き出すストーリーは、1960年代の日本社会に広く受け入れられ、日本に「スポーツ根性漫画」(スポコンもの)と言われるジャンルを根付かせました。また、彼の人気によって、それまでストーリーも作画も一人の漫画家が生み出すものと思われていた漫画界に、ストーリーを担当する原作者と作画を担当する漫画家という分業制度が広く普及することとなりました。そういう意味で、間違いなく彼の登場は大きな社会的影響力を与えており、その社会学的分析は可能です。他方、彼がなぜ登場しえたか、あるいは彼がなぜ受け入れられたかということに関しては、一般的には、当時の高度経済成長に突き進んでいた時代背景と東京オリンピック前後のスポーツに対する関心の高まりなどから、説明がなされます。もちろん、この関連性は私もあると思っていますが、この因果関係の説明に説得力を持たせるためには、梶原一騎だけに注目してはだめなのです。もしも、当時の社会――そこで生きていた子供や青年たち――がこういう漫画を求めていたのだとしたら、それは梶原一騎に止まらず、似たようなスポーツ根性漫画をたくさん人気漫画に押し上げていなければならないのです。そして、実際に当時はそういう状況でした。それゆえ、その中の代表格として、梶原一騎と当時の社会状況の関係は説得力のあるものとして認めることができるのです。もしも、梶原一騎だけで、他には当たったスポーツ根性漫画がなければ、果たして時代が要請していたから当たったのか、それとも梶原一騎に優れた個人的才能があったからなのか、説明はつかなくなるでしょう。

 10年ほど前に「たま」というバンドが当たったのを覚えていますか?妙な歌を歌っていましたが、「たま」が日本の音楽シーンを変えると主張する人も結構いました。「たま」を分析する本というのも何冊か出たように記憶しています。でも、結局「たま」は日本の音楽シーンを変えませんでした。「たま」に高い評価を与え、「たま」で社会学をやろうとしていたら、見事にはずれてしまったことでしょう。(ちなみに、私は「たま」の音楽を高く評価していなかったし、「たま」が日本の音楽シーンを変えるなどとは、毛頭思っていませんでした。当時の社会状況が「たま」を求めているとは、私には思えませんでしたので。)

 このように、固有名詞のついた対象をタイトルに据えなければならないような研究は、社会学的にはなりにくいのです。もちろん、最初の研究動機が固有名詞のついたものへの関心から出発することはいっこうに構わないと思います。そして、社会学的な研究にする気がないなら、そのまま固有名詞をタイトルに持ってきても、何の問題もありません。ただ、あくまでも社会学的研究にしたいと思うならば、最終的には一般名詞をタイトルに持ってこられるようなところまで、視野を広げる必要があると私は思います。(2000.11.5)

14章 現代社会の危機状況に関する仮想問答

(現代社会の危機状況に関して、仮想問答を考えてみた。Aは、危機状況にあると見る人、Bは、単純に危機とは考えない人という想定である。)

A1:現代社会は非常に危機的な状況にあると思うのだが……。

B1:社会の危機とはどのような状態を言うのか?

A2:社会システムが機能不全に陥っている状態で、長期的にみると社会システムの存続すら危ぶまれるような状態を言う。

B2:どういう点が機能不全に陥っていると思うのか?

A3:パーソンズの図式を使えば、AGILのいずれもうまく機能しなくなっている。経済は不安定。政治は目標を喪失している。家族や地域のつながりは薄れ、文化は継承されなくなっている。

B3:社会システムの存続が絶対視されていないか?社会システムは何のために存続する必要があるのか?そこで生活する人間のためではないのか?古い社会システムが解体しても、人間が幸福に暮らせれば何の問題もないのではないか?

A4:確かに社会システムの存続が個々人の幸福より重視されるならば、主客が逆転していると言えるかもしれない。しかし、社会システムがまともに機能せずに、個々の人々が幸福に暮らせるということがあるのだろうか?少なくとも、大多数の人々は、社会システムがまともに機能していることで、安心して幸福に暮らせるはずではないか。

B4:そこで考えられている社会システムとは、日本社会という近代国民国家社会の範囲だろうが、日本という国民国家社会が解体しても、あるいは解体した方が人々は幸せになれるということもあるのではないか?

A5:本当にそんなことが言えるだろうか?われわれ日本人と呼ばれる人間が、日本の文化・慣習を失っても、幸福だということがありうるだろうか?その場合、どのようにして人々は生き方の指針を獲得しうるのだろうか?

B5:文化はともかく、政治的にはこの国民国家という枠の存在が、対立の火種になっていることは多いのだから、国民国家の境界がなくなることによって、国際的対立関係は緩和するはずだ。文化にしても、圧倒的な影響力をもつ日本人的な価値観というのが薄れれば、生き方の指針は、各自がより自由に見つけることができるようになってよいのではないか。

A6:最近は、国民国家の枠内での民族や人種、宗教の違いが厳しい対立を引き起こしていることも多い。国家という枠が解体されれば、対立がなくなるとは言えないだろう。価値観も、後天的に自力で獲得できる人はほんのわずかではないだろうか。多くの人は、ある価値観(生き方の指針)が前提となっている社会の中で育つことによって、その社会の価値観を身につけていくはずだ。そうした相対的に圧倒的影響力をもつ価値観が消失してしまっている社会では、大多数の人々は生き方の指針を得られず、右往左往することになるのではないか。こうした状態こそ、まさに社会の危機ではないのだろうか。

B6:そうした主張が異なる価値観を認めない全体主義的抑圧を導くのではないか。

A7:しばしば言われる「進歩主義的」主張だが、逆にその通りにしたら、社会的混乱が引き起こされるだけではないか。特殊な状況を除いては、社会の価値観のほとんどは意図的に作り出されたものではなく、長い時間をかけて、自然発生的に生み出されたものだ。そうした価値観に疑問を持つ少数の人がいるからと言って、すべての価値観を一般的に適用できない価値観のように言ってしまうのはいかがなものか。

B7:では、逆に問いたいのだが、どのような価値観が大多数の人が受け入れられる一般的なものなのか?

A8:それに答えるのはなかなか難しい。男と女でも違うし、世代も違えば、一律に適用できる価値観はないかもしれない。ただ、今の時代に疑われはじめているいくつかの事項については、擁護することはできる。たとえば、「小学校や中学校は、集団生活のルールを知り、知識力と思考力を高めるために――つまり社会に適応できるようになるために――、子供たちが通う必要のある集団である」とか、「親は自分自身を律してきた価値観で子供をしつけるべきだ」とか、「将来の目標を持ち、そのために努力をすべきだ」といったことは、もっと素直に受け入れられていい主張ではないだろうか。

B8:そうした一見受け入れやすそうな言明が疑われはじめた背景を考えてみる必要があるのではないか。学校は過剰に集団のルールを子供たちに押しつけて、個性を殺していないか?学校という集団の中に生まれる仲間集団のルールが子供にとってつらいものになっている場合はどうしたらいいのか?親自身が確固たる価値観を持ち得ていないケースも多いのではないか?その場合のしつけはどうなるのか?こんなに不安定な時代に将来の目標を持つことは容易ではないのではないか?

A9:そうした難しいケースが現実に少なくないことは認めるのにやぶさかではない。だからこそ、今の時代は危機状況だと認識している。しかし、こうした危機状況を克服するためにも、先ほど述べたような主張はきちんとなされるべきなのだ。

B9:マイノリティに対するセンシビリティに欠けていないか?

10:そんなことはないと思う。メジャーな価値観にどうしても合わせられない人がいることは了解できるし、そうした人々に無理に価値観を押しつけるつもりもない。しかし、それが強調されすぎることによって、価値観を見失っているだけの人を増やしているのではないかと恐れる。

10:結局、伝統的価値観に従って生きろ、そうすればすべてうまく行くということではないか。非常に保守的な主張だ。従来の支配―被支配関係を肯定し、抑圧された者をそのまま抑圧された状態に留めることになる。

11:そうした極端な主張が現代社会の危機を加速させている。何でもかんでも過去を肯定しろなどとは言っていない。従来の価値観のうち、正すべきものは正し、継承すべきものは継承すべきだと言っているだけだ。”All or Nothing”のような主張をすべきではない。

11:百歩譲って、現代社会が危機状況にあると認めたとしても、それでどうにかなるのか。ここまで来てしまっている社会を今更逆には戻せないだろう。伝統的価値観も新しい価値観も受け入れて共生していくしかないだろう。その意味では、今の時代を危機状況と認識してもしなくても何も変わりはないのではないか。

12:確かに異なる価値観の持ち主たちが共生していくという考え方は必要だろう。しかし、だからといって危機状況ではないと認識してしまうことは問題が多い。現代が危機ではなく、肯定しうる状況にあると見てしまうなら、この状況は維持されるばかりでなく、さらに強化される可能性がある。

12:この状況のどこがそれほど問題なのか?経済か政治か社会か文化か?どこを直したいのだ?バブル時代のような豊かさを取り戻したいのか?戦時期や高度経済成長時代のような国家目標をもう一度立てたいのか?性別分業を前提とした家族を強化し、隣組制度のような近隣連帯を復活させたいのか?日本の伝統文化を若者に学ばせたいのか?

13:そんなことは言っていない。あえて、どこを直したいかと問われるなら、個人と社会をつないで考えることのできる思考力を身につけさせたい。人は一人では生きられないのはもちろん、自分の身の回りの家族や仲間だけでも生きられないということに、きちんと気づかせたい。きれいな服は誰が作ったものか。おいしい米は誰が作ったものか。自分が作っていないものを享受できるのはどうしてか。車の多い都市で事故を起こさずに走れるのはなぜか。あげていったら、きりがない。ちょっと社会学的想像力を働かせれば、自分はひとりであるいは仲間たちと勝手に生きているわけではなく、社会の仕組みの中で生かされていることに気づくはずなのに、その想像力が極端に欠如してしまっており、欠如していることに気づかない人が多くなりすぎた点が、現代社会の最大の危機なのではないか。

13:社会学的想像力の欠如か……。しかし、それでは過去の時代においては、人々はそんな社会学的想像力を持っていたのか?そうとは信じられない。

14:確かに持ってはいなかっただろう。しかし、四半世紀前までは、そうした社会学的想像力などを意識せずとも、大多数の人々が個人目標に転化しやすい社会目標があった。明治維新から第二次世界大戦以前は、豊かになって強くなって先進国の仲間入りをすること、戦時中は、国家間戦争に勝利すること、戦後は経済復興を実現すること、1960年代頃からは、アメリカに追いつき追い越すんだという目標があった。こうした目標が1970年代半ば過ぎから薄れていき、1980年代の終わり頃にはほぼ完全に消えた。それから、10年。相変わらず日本社会は目標を失ったままだ。どんな社会をめざしたらいいのか、未だ暗中模索の状態だ。というより、ここまで豊かになってしまった社会は、もはや大多数の人々の個人目標に転化しうるような社会目標を提示しえないのではないかと思う。そして、そんな時代だからこそ、各人が社会学的想像力を持つことが、より必要になっているのだと思う。その想像力なしでは、人々は自分と自分に関係のある他者だけが良ければそれでいいという近視眼的な生き方をし、社会的には望ましくない結果を引き起こしてしまうだろう(社会的ジレンマの発生)。つまり、こういう時代だからこそ、社会学がより必要とされるのだ。(2000.9.4)

13章 概念へのこだわり

 学者研究者を自称する人と話していて不毛だなと思うのは、無用なまでに概念にこだわった議論をしたがる人と話しているときです。確かに、概念はいい加減に扱ってはいけないと思います。しかし、だからと言って、厳密な定義にこだわりすぎていては、概念構築の罠から抜け出せなくなります。学者研究者は基本的に言葉を使ってしか、自分の考えを表すことはできません。すべての言葉を厳密に定義してからでないと使えないなんて思い始めたら、1歩も前に進めなくなります。もちろん、新語・造語の類を使うなら、きちんと定義してからすべきでしょう。しかし、何十年も使われ、一般社会でもあまり大きな偏差なく受け入れられているような概念に、相変わらずこだわりすぎるのは、百害あって一利なしです。

 最近私が困惑させられたケースをあげると、ひとつは「アイデンティティ」という概念をめぐっての議論です。私がこの概念をどのような意味で使ったかと言えば、たとえば、自分は日本人であるとか、大学教師であるといった「自分が何者であるかという自覚的意識」程度の意味で使っていたのですが、何か納得してもらえないようでした。でも、この「アイデンティティ」という概念は、すでに一般社会でもこういう意味で使われていると思うのですが、私の認識が間違っているでしょうか?もうひとつ困惑したのが、「生活者の視点」という時の「生活」と「生活環境主義」の「生活」は異なるという一部の環境社会学者にしかわからない――いや、言っている人以外はほとんど誰にもわからない――議論です。こういう議論をすることにあまり意味があるとは私には思えません。

 社会学はあまりに概念を造りすぎてきました。もうこれ以上あまり増やす必要はないでしょう。変化してしまった現実を記述する上でどうしても必要な概念なら、造ることに反対しませんが、理論的概念などはもう十分すぎるほどあります。これ以上はどう考えても不要でしょう。私はできる限り、定着した日常用語を使って社会学を語るべきだと考えています。語りかけるべき相手は、仲間の学者研究者ではなく、社会学に興味をもってくれるすべての人たちであるべきです。専門用語を濫用していては、一般の人たちには社会学の魅力は伝わらず、ひいては社会学を研究する価値も失われます。人によって意味の受け止め方がまったく異なるような曖昧すぎる日常用語は、使うのを避けるか、定義し直す必要があるでしょうが、大多数の用語に関してはそこに含まれている意味を多くの人々は一応ほぼ共有化しているはずです。でなければ、日常生活におけるコミュニケーションが不可能になってしまいます。たとえば、ここまでこの文章を読んできて、辞書を引かないとわからないなと思われたのは、「生活環境主義」ぐらいでしょう。他の言葉に関しては、ほぼ意味は共有化されていたはずです。

 社会学の専門用語が必要とされるのは、一般化した抽象的議論を展開しようとする時でしょう。確かに多様な現実を整理して見せるために、あるいは社会の仕組みを理論的に説明するために、専門用語は必要です。しかし、その際に、自分で新しい概念を造りだすのではなく、なるべく長く使われて定着した概念を使うようにすべきです。研究者が微妙な違いを強調して次々に新概念を造りだしていたら、過去の蓄積が継承されず、混乱するばかりです。1980年代以降の社会学の状況というのが、まさにそれではないかと思います。余程の新しい発想がない限り、無理に新しい概念を造りださなくても、過去の用語を使って説明できるはずです。たとえば、ここ10数年の間でもっともよく使われてきたブルデューの「ハビトゥス」という概念も、社会化によって内面化される集団の価値観と言い換えても何の問題もないという気がして仕方がありません。

 言葉は造られると、一人で走り出し、時として現実が言葉に合わせて変容したりします。また、言葉に威光のようなものまでついてしまうと、その言葉をわかりやすく説明しようという気持ちが研究者になくなり、その言葉を知らない人たちには、話がまったくわからないものになってしまいます。私は、自分ではもうあまり社会学の専門用語を造ろうとは思いません。むしろ、一般の人にわからないものになってしまっている現在の社会学の専門用語をわかる言葉に翻訳して伝えることが大事な仕事だろうと考えています。(2000.6.21)

付記:この文章中で使われている「概念」と「用語」と「言葉」はほとんど同義で使っています。科学的に厳密に書くなら、1語に統一した方がいいのですが、堅苦しく読みづらい文章になりそうなので、文章の流れがスムーズになるような言葉(用語?概念?)を選んでいます。また、概念(用語?言葉?)にこだわる人は、「一般の人」とはどういう人を指しているのか、あるいは「学者」と「研究者」はどう違うのかと尋ねてくるかもしれませんね。本文中にも書きましたが、「一般の人」とはここでは、社会学に興味をもって本を読んでみよう、話を聞いてみようという人たちすべてということになるでしょう。また、「学者」と「研究者」はほとんど同義です。このように、概念(用語?言葉?)をいちいち説明しなければいけなくなると、いかにうるさい文章になるか、わかっていただけるでしょう。

12章 学問研究は何のためにするのだろう?

 大学勤めの研究者はよくこう言います。「大学の事務的仕事や授業担当時間が増えると、研究時間が奪われることになるので困る!」確かにそうです。私もしばしば気心の知れた友人とは自嘲気味に「僕らは本当によく使われるよね。これじゃ、『事務系教員』だよね」などと話しています。「学究肌」(本音で言えば、「事務能力に欠ける研究者」)なんてレッテルを貼ってもらえると、随分事務的な仕事が減るんですが……。教育も熱心にやろうとすれば、それだけ時間を取られます。いくら一所懸命教育しても、その教育された人間が研究者にでもなって活躍してくれない限り、学会というところでは全く評価してくれません。「よい」研究者になるためには、なるべく教育にかける時間も減らして、研究論文をせっせと書いた方がいいわけです。

 でも考えてみると、われわれはなぜそんなに必至になって学問研究をしなければならないのでしょうか?もちろん、大学教員としての地位をまだ得ていない若い研究者は、まずは大学に職を得る――生きていくために必要な収入を得る――ために、研究業績をあげなければいけないでしょう。でも、もう大学に職を得ている研究者の場合は、どうなのでしょうか?中には、確かに大学に職を得たため安穏として研究をほとんどしなくなる人もいなくはないですが、多くの人は、一応一所懸命研究しているように見えます。なぜなんでしょうか?より有名な大学に移るため?学会で有力な地位を得るため?そういう人もいるでしょうが、そんな人ばかりとは思えません。問いかけたら、皆さんもっと美しい理由を言うでしょうね。「学問を究めたいから」とか「純粋な知的好奇心から」なんかが出てきそうな答えですね。要するに、内面からわき上がってくる知的欲求を満たすために、学問研究は行われているというところでしょうか。

 私は何のために学問研究をしなければならないと考えているのか、自分自身に問いかけてみました。「知的欲求」はありますが、社会学をすることで知的欲求を満たしたいとはあまり思っていません。私にとって知的欲求は、むしろ社会学以外の本を読んだり、話を聞いたり、TVを見たり、新聞を読んだりすることで満たされています。言うなればそれは趣味です。また、「名誉欲」みたいなものも皆無とは言えないような気がしますが、それほど強いものではないです。そもそも、「知的欲求」にしても「名誉欲」にしても、欲求である限り、それを満たすためには、むしろコストを支払うべきであって、利益を受け取れるはずはないと思います。つまり、学問研究の目的がこうした個人的欲求を満たすことだけであるならば、学問研究をするために、給料をもらっている大学での仕事を減らせという主張は正統性がなくなってしまうような気がしてなりません。こうした理由に正統性がないというならば、いかなる理由で、私は学問研究を続けることができるのでしょうか?

 今この問いかけに私が用意している答えは、学問研究を通して人々の幸福度を増すことができるからということです。これは、社会学に関してのみ言えることではなく、学問研究すべてに対して言えることです。いやもしかしたら、人間の仕事全てに対して言えることかもしれません。しかし、とりあえずそこまで話を広げず、学問研究だけで考えておきましょう。なぜ、物づくりをしない学問研究が、社会的に存在を許容されているのか、いやそれどころか厚遇されている――たずさわる人には高い地位とそれなりの給料が与えられている――のかと言えば、やはり学問研究が人間社会の役に立つからでしょう。別に直接すぐに役に立たなくても構いませんが、少なくとも研究をしている本人は、いつか必ず役に立つはずだという強い思いは持っていなければならないと思います。(たとえ、実際にそうならなかったとしても。)自然科学の基礎研究などでは、かなり後の時代になってからはじめて応用可能になったものなども少なからずあると思います。錬金術なんかもそうしたもののひとつですよね。研究していた学者たちが期待していた他の物質を金に変えるという目的(顕在的機能)は達成されませんでしたが、潜在的機能として化学を発展させ、次の時代の発展を導くことになったのです。

 社会学ももちろん役に立つ学問でなければなりません。社会学の研究が進むことによって、人々の幸福度が増さなければなりません。単なる趣味、おもしろいからではいけないと思います。では、社会学はどのように人々の幸福度を増すことができるのでしょうか?幸福の測り方は人によってかなり異なるでしょう。私は、自分の経験から言って、社会学を学ぶことで、物事が、人間がよく見えるようになると確信しています。そして、よく見えるようになれば、評価や行為選択にミスが減り、生きる上でのコストが小さくなり、楽しく生きられる時間が増すという経験をしてきています。なぜ社会学を学べば、物事や人間がよく見えるようになるのかと言えば、日常生活をしているときには頭に浮かんでこないような社会の連関を考え、人間行動のパターンを分析的に思考するからです。常に大きな社会の枠組みの中で問題を比較分析し、自分の置かれた状況を相対化して見られるようになれば、近視眼的な判断ミスをおかさずに済むのです。

 こうした社会学的思考法を広めるために――つまり人々の幸福度を増すために――、今私は社会学という学問研究をしているわけです。自分が研究対象としている地域の問題に、こうした社会学的思考を適用し分析することで理解を深めてもらう、また、自分自身の使えるツールのレベルを上げるために、理論的に社会学を考えるという営為をしつづけることが必要なのです。しかし、もちろんこうした観点に立つ私の学問研究の立場からすれば、自分が直接語りかけることのできる学生たちに対する教育は、一番大切な仕事のひとつです。大学の事務的仕事もそんなにたくさんやりたくはありませんが、学生たちを育てる上で必要な改革を考えるためなら、多少時間を取られることになっても嫌な仕事だとは思いません。そういう仕事から逃げてする「学問研究」が立派なものになるとは、私は思えません。(2000.6.16)

11章 社会学的価値相対主義の潜在的逆機能

 1980年代以降ポストモダン言説が普及し、近代社会が社会構成の前提としてきた価値観の自明性が疑われるようになってから、社会学でも徹底した価値相対主義にはまりこんでしまっています。いや、そんな被害者のようなポジションに社会学を位置づけるのは正当ではないでしょう。むしろ最近の社会学は、率先して近代の価値観の自明性を壊してきたと言った方がいいように思います。私も多様な価値観が存在することを認めるのにやぶさかではありませんが、単純にすべての価値観を並列に並べるのではなく、メジャーな価値観とマイナーな価値観とをきちんと区別して語るべきではないかと考えています。そうしないと、社会をいたずらに混乱させることになると思うからです。大多数の人々が自然に身につける価値観と、極少数の人々のみが持ちうる価値観とを同列に並べて知識人と称する人々が論じて続けていると、大多数の人々は生き方の指針を失い、生きづらくなるだけだと思います。たとえば、「男らしさ」も「女らしさ」も否定し、「自分らしく生きよう」と社会学者に語りかけられ、そうしなければと思い込んだ多くの人々は「自分らしい生き方」を見いだせずに、不安な毎日を送ることになります。

 社会学者を名乗り、マイナーな事例を出して、メジャーなあり方を批判している人は、自分の出している例がマイナーな例だということをちゃんとわかって言っているのだろうかと疑問を持つことがしばしばあります。いくつか例をあげてみましょう。@女性が狩猟をし、男性が家事・育児をする部族があるから、性別役割分業など全く自然なものではない。A染色体の組み合わせが通常の男性や女性とは違う人がいるから、同性愛や性同一性障害もしばしば生じるのも無理はないし、人間を男か女かという2分法では分けられない。B援助交際をしている女子高生の中には、親や学校や社会に対する異議申し立てとして行っている人もいるので、援助交際も一概に否定できない。

 確かにこうした例外的な事例はあるのでしょう。しかし、大多数の社会は性別役割分業を採用してきましたし、大多数の人々は生物学的に見て男か女に分けられるし、異性を愛することを自然なこととして受け止めています。援助交際をする大多数の少女たちは遊ぶお金欲しさにそうした行為を行っているはずです。マイナーな例を持ち出して、メジャーなあり方を批判する場合、その言説がどういう効果を持つかについて、熟考してから行ってほしいものだと思います。

 もちろん、自明と思われてきた近代の価値観の中にも、行きすぎた不当なものがあったことも事実です。たとえば、性別役割分業の名の下に、女性役割が男性にとって都合がよいように制限されてきたことなどは、批判されてしかるべきでしょう。しかし、だからといって、男と女の肉体的構造の違いを全く無視した「性別役割無分業」や「男らしさ・女らしさ」の全否定にまで行ってしまうのは、飛躍のしすぎでしょう。伝統的な価値観であっても、批判すべきは批判し、継承すべきは継承するという精神で行かなければならないと思います。「すべてか無か」という発想は、建設的ではないと思います。

 メジャーとマイナーを同列に並べるのではなく、区別した上でともに生きづらくならないようにすることが大切です。もちろん多数派が正しいと主張したいわけではありません。ただ、多数派が受け入れやすい価値観はこれで、それが受け入れられない人が別の価値観を選択することも認められるようにしましょうという主張をすればいいと思っているだけです。少数派を救うために、不当に多数派を攻撃することは、社会に混乱をもたらすだけです。社会学者は、自分の主張の潜在的機能にもっと敏感になるべきです。(2000.6.16)

10章 実感主義とミクロ社会学

 自分と自分にとって身近な人との関係性にしか興味がなくなっていく時代の中で、社会学の研究にもそうした趨勢を反映した傾向性が強まっているという気がしてなりません。1960年代にパーソンズの構造―機能主義が批判され、メイン・ストリームを失った社会学は、70年代以降、「多元的パラダイムの時代」に入ったと言われています。そうした状況の中で、相対的に人気を増してきたのが、ミクロ社会学です。理論的には、「意味学派」とも総称される行為や相互作用の意味解釈を重視する立場であり、実証的には、身の丈の生活実感で捉えられる「実感主義」を重視する立場です。1970年代に『思想の科学』あたりでよく使われていた言葉を使えば、「鳥瞰的視野から虫瞰的視野への転換」ということになるでしょう。

 確かに、マルクス主義をはじめとするマクロ社会に関する言説が、現実社会の分析としてはずれてしまっていたにも関わらず無用に幅を聞かせていた時代には、こうした身の丈の研究を進めることに大きな意義があったことは確かでしょう。しかし、それから四半世紀以上経った2000年という現在においては、もはや「虫瞰的ミクロ実感主義」はプラス面よりマイナスの面の方がはるかに大きくなってしまったと思います。特に、社会学という本質的にマクロな問題を考えなければならない学問にとって、「ミクロ実感主義」に多くの研究者が流れていくことは、社会学という学問の将来にとっては、非常に危険な傾向と言えます。(いや、単に社会学という学問のためだけでなく、現在の行き過ぎた個人主義が跋扈する社会状況をさらに悪化させることにもなりかねないと思っています。)

 社会学が何らかの実践に役立つ学問になることがあるとしたら、それは身の丈レベルのアドバイスをすることによってではなく――そうした仕事は、臨床心理士やケースワーカー、ソーシャル・ワーカーといった人々に任せた方がいいでしょう――、表面的には見えにくい複雑な社会システムの連関を明示することによってでなければならないはずです。普通に生きている人たちが考えもしないマクロな社会との連関を示すことによって、大きな根本的な問題点の指摘と対策が提示できるのです。それが、社会学がなすべき本来の仕事です。ところが、「ミクロ実感主義」が広まる中で、こうした大きな発想を持とうという研究者が育たなくなってきているように思います。

 確かに実感を把握できるのは、楽しいことです。それこそ、研究しているという「実感」を持つことができ、充実感を味わえます。たとえば、「地球温暖化問題」と「ゴミ問題」なら、後者の方が実感で把握できることが多く、調べている、研究しているという「実感」を間違いなくより強く持てるでしょう。私も、研究者になるつもりのない学生の卒業研究などでは、こうした実感を把握しやすい研究を勧めます。しかし、社会学という学問を担っていかなければならない研究者なら、話は別です。安易な「ミクロ実感主義」にいつまでも止まり続けてはならないと思います。最初は、「ミクロ実感主義」からスタートしても構わないと思いますが、社会学という学問が何をしなければならないのかということを真剣に考えていけば、「ミクロ実感主義」のままではいけないということに気づくはずです。

 「実感主義」のもうひとつの問題点は、実感を感じられないようなことは研究してはいけないという主張が、まかり通るようになることです。たとえば、昔学会で実際に聞いた発言ですが、有名な女性研究者が、今は著名となった男性フェミニズム研究者に「男の研究者には、フェミニズムは研究できない」といった主張したことがあります。もちろん、理由は「女の実感」が捉えられないからです。聞きながら、「おやおや」と思っていました。その轍で言ったら、高齢者の問題を語るためには、高齢者になるまで待つしかないし、犯罪社会学をやるためには、犯罪を犯さなければならないことになり、自殺の研究をしようと思ったら、自殺してみなければならないというパラドックスに陥ります。こんな主張が、ナンセンスなのは容易にわかってもらえるでしょう。実感を把握できればそれに越したことはないですが、実感だけ把握できても、社会学はできないということを強調しておきたいと思います。(2000.6.12

第9章 「住民の立場」に立つ心地よさ?

 住民運動を中心に社会運動の理論的・実証的研究を行いはじめてから、もう二〇年以上経ちました。今はどちらかというと、理論家のように思われている節もあるようですが、最初は何の理論的背景もないまま、中学生の時にテレビや新聞を通して目に焼き付き、耳に残った、公害に苦しむ人たちの苦しみに耐えている姿や、腹の奥底からほとばしり出てくるような憤怒の声に対する自分自身のシンパシーのみからスタートした研究でした。

 社会運動にもいろいろなものがあります。自分自身がシンパシーを持てるものもあれば、「何かおかしい」と反発心の方が強く湧いてくるものもあります。人は、それぞれ育った時代・環境・経験等から自らの価値観をいつのまにか形成しています。それゆえ、自分の価値観と合う運動は受け入れることができ、合わない運動は受け入れられないのは当然のことでしょう。研究対象としても、やはりシンパシーを持てない対象を扱う気にはなりません。それゆえ、私も自分の価値観に合わせて、研究対象を選び取ってきたと言えるでしょう。

 ただし、頭で考えて「あれは悪い運動だから研究対象にしない、これは良い運動だから研究対象にする」と決めるのではなく、自分の感性を鋭敏に研ぎ澄まし、自分自身が無理せずに受け止められるかどうかという基準を大事にしようと考えてきました。また、自分の感性に合わない運動や考え方でも、はじめから否定してかからないことも大切なことと考えてきました。実際、自分の感性に合った運動を研究対象にして調べていても、必ずその運動に対する異論を唱える対抗運動や人々に出会います。そうした人々の声を無視して調査研究を進めるならば、捉え方は非常に一面的なものになってしまうでしょう。

 もちろん限界はあると思いますが、社会学はできる限り総合的な視野から現象にアプローチすべきであると考える私にとって、自分自身の価値観に合う立場があるとしても、それ以外の様々な立場にも立って考えてみるということは、もっとも重要な社会学的思考のひとつです。それゆえ研究者として関わる限り、たとえどんなにシンパシーを感じても特定の運動のメンバーにならないようにすべきだと自己規制をかけてきました。

 ところが、今研究対象にしているさる瀬戸内の港町の、港を含む歴史的環境を守ろうとする運動にはかなり肩入れしてしまっています。「いかん、いかん」と思いつつ、だんだん研究者としての成果をあげることより、この運動の目標達成に何かお手伝いをすることの方が大切なような気がしてきつつあります。もう、こうなると研究しているとは言えないのかもしれませんが、心地はよいのです。苦労されている少数派の住民の味方をしている自分が、何かとてもよいことをしているような気持ちになれるからでしょう。しかし、この心地よさに安住してしまってもいいのでしょうか……?

 この運動に肩入れすればするほど、この運動に異論を持つ他の住民たちに接触しにくくなってきています。古い町並みは確かに交通が不便で、それを改善したい、そのためには多少港の景観が変わるのもやむを得ないと考える人たちの意見は、決して無理な意見ではないにもかかわらず。そもそも私は、「住民の立場」に立っているのかと不安になることもあります。この町がどうあるべきかについては様々な意見がありますが、やはり多数派は、便利な生活を求めているように思います。そうした主張をする人々は住民ではないのでしょうか?そんなことはありません。彼らも間違いなく住民です。

 地域の問題に関しては、このように住民の間で意見が分かれることがしばしば生じます。そうした場合、「住民の立場」に立とうとする社会学者はどちらを選べばいいのでしょうか。一般的には、権力と結びついていなさそうな住民の側に立って分析する社会学者が多いように思われます。しかし、市町村という権力主体と対立していても、都道府県や国という権力主体が味方をしてくれる場合――私が研究している港町はこのケースに近い――もあるし、逆に都道府県や国が実施しようとしている事業に反対している住民たちを、市町村が支援すること――最近全国各地で生じている産業廃棄物処分場の建設問題などは典型的な例――もしばしばあります。さらに現代社会における強大な権力の持ち主であるマス・メディアが味方になってくれることも多くあります。このように考えていると、権力から遠い立場にいる住民は誰なのか、判断は容易ではなくなるわけです。

 私が安易に「住民の立場に立つ」と言いたくないのは、こうしたことを勘案するからです。「住民の立場に立つ」と言うのは簡単だし、心地よいです。しかし、実際のところ、それは自分の価値観に基づいてある立場を選択したにすぎないのです。研究者はこのことをきちんと自覚すべきだと思います。学問に完全な中立性を求めることが不可能なことは、社会学者ならもはや誰もが知っています。立場は選択しなければならない。しかし、自分が選択した立場を単純に「住民の立場だ」と言い切ってしまうこと――そこには、暗に「正しい立場だ」というニュアンスが込められている気がして仕方がないのですが――に、私は社会学者として誠実な躊躇を感じ続けていたいと思っています。マックス・ウェーバーが「価値自由」(Wertfreiheit)という概念を使って、社会(科)学の研究者に価値と学問の関係について熟考を求めていたことを、何度でも思い出しながら、今後の研究を続けていきたいと考えています。

[注記]この章は、『ソシオロジ』第44巻第1号に掲載されたものを加筆・修正したものです。なお、ここで紹介した研究は、片桐新自編『歴史的環境の社会学』新曜社、2000年に、その中間報告的な内容の論文を収録しているので、興味のある方はご覧下さい。

第8章 社会はどのように成立したのか?――歴史的考察――

 個人と社会の関係を考察する難しさは、現時点において存在する社会制度を個人行為から説明できないことがひとつの大きな理由でしょう。どんな社会制度も人間によって作られたことは間違いないはずなのに、現時点で社会制度を考えようとすると、デュルケームが指摘したように、どうしても社会制度は個人にとって外在的で制約的なものという位置づけをせざるをえません。この行き詰まり状態から脱却するためには、人間が社会というものをどのように成立させたかを歴史的に考察してみる必要があると思い至りました。データ的には十分ではありませんが、もっとも選択されやすい目的合理的行為を大多数の人間は行ってきたものと考えて類推してみたいと思います。

 人間は雌雄別体の生物です。雌雄別体の生物は種族維持の本能から別性との性的交渉を持ちます。雌の妊娠期間は長くその間体力的な無理はききません。また、新生児は自力では生きられません。それゆえ、雌と新生児を庇護する存在が必要となります。妊娠も授乳もしない雄が、雌と新生児を庇護する存在になったのは自然だったでしょう。おそらく初期の頃には「近親相姦のタブー」も不明確なまま、性的交渉が行われ、新しい世代が生み出されていたと考えられます。妊娠させた雄が自分の遺伝子を存続させるために、妊娠した雌を庇護する本能はあったと思いますが、一夫一婦制という形ではなく、血縁関係と性的交渉関係とが不分明に絡み合った集団全体で庇護している状態であったと考えます。

 雌の妊娠・授乳期間の肉体的ハンディキャップが、雄による支配と性別役割分業を集団の中で必然的に生み出したのでしょう。雄はより多く自分の遺伝子を残すために、特定の雌だけではなく、複数の雌と性的交渉を持つように本能づけられています。すべての雄がこの本能のままに行動すると、そこには雌をめぐっての絶え間ない争いが続くことになりますが、現実にはそうはならなかったと考えられます。なぜなら、人間には、種族維持の本能ばかりではなく、危険を回避しようとする個体維持の本能も備わっているからです。また、生活環境は決して楽なものではなく、狩猟で大きな獲物を仕留めるには、複数の人間――特に筋力・敏捷性において雌よりも相対的に優れた雄――の協力が必要ですから、雌をめぐっての争いをし続け、集団全体が生存の危機に陥ることは避けられたと考えられます。大脳(思考)の発達がこうしたコスト・ベネフィット計算を容易にさせたことと思います。ここに、1匹の雄は、限定された数の特定の雌とのみ性的交渉を行うという習慣が誕生してきました。特に、1匹の雄と1匹の雌という一対の組み合わせを基本にすると、あぶれるもの――性的交渉の相手を得られないもの――が減り、集団内部での摩擦は大きく軽減されることが経験的に知られるようになり、一夫一婦制が普及するようになったと推測されます。性的交渉関係が整理されることにより、血縁関係と性的交渉関係が切り離され、血縁関係で作られた集団同士が性的交渉によって結びつき、より大きな集団になるという形ができあがったのでしょう。(レヴィ・ストロースは、こうした集団と集団の関係性を良好に作っていくために、血縁集団内部で雌を消化してしまわないように、「近親相姦のタブー」が生まれたと述べています。私は、人類が長い歴史的経験から近親婚を繰り返すと劣性遺伝子が出現しやすいことを知り、避けるようになったのではないかと推測しています。)

 この頃の食料確保は、狩猟・採集によるものなので、目の良い者、耳の良い者、足の速い者、手先が器用な者、投げるのがうまい者、記憶力が良い者などがそれぞれに合った役割を演じていたはずです。大きな獲物(食料)を確保できる狩猟活動をするに際しての総合力が優れた者が集団の指導者となっていたと考えられます。総合力は、身体能力だけでなく、いやそれ以上に経験的知識の豊富さが重要な役割を果たします。それゆえ、それなりの年齢の雄がリーダーになっていたと考えられるのが自然でしょう(長老支配)。集団を律するルールも慣習に基づくのが基本であるため、過去のことをよく知っている者が集団のリーダーとしてもっとも適任だといういうことになります。

 百万年以上の時間をかけ、先行世代から後続世代に知識・経験が伝達される中で、不安定な狩猟・採集生活から、安定的な農耕・畜産生活を可能にする知識も蓄えられ、漂流生活から定住生活への変化が起きました(約1万年前)。狩猟・採集生活時代とは異なり、生存に必要な量以上の余剰資源を常時所有することが可能になり、所有に関するルールが必要とされるようになってきました(私有財産制)。こうした保有資源量の差が貧富の差となって現れ、豊かな者が集団の中心になる体制が確立します。自分自身が身体的能力に優れていなくても、余剰資源を活用することで、身体的能力に優れた者に自分を守らせることができるようになるからです。

 集団の中心になったものは、その地位を維持し、集団を運営するために、自らの正統性と規範(ルール)と物理的力を必要とします。自らの正統性としては、特別な能力の持ち主だと主張し、自然現象に関する予知能力があるなどと思わせることがもっとも人々をひきつけやすかったと考えられます。それを権威づけるために人間を超えた存在とのコミュニケーションが可能だと思わせたのです(神と宗教の誕生)。しかし、予知能力などは実際には経験と知識に基づいたものにすぎないので、それほど人々をいつまでも感心させておくことはできません。それゆえ、そうしたカリスマ的能力よりも、現実的な争いを解決する調停能力を示すことの方が体制を維持する上でより効果的だということに気づきます。調停を毎回毎回ケースごとに行うのは、非常に煩雑で、基準も狂う――結果的に調停能力に対する信頼を失う――可能性があるので、法を作る必要が出てきます。集団も小さく単純な構造ならば、口頭で伝えられてきた慣習法で済みますが、集団が大きく構造も複雑になってくると、どうしても文書化された法が必要になってきます(成文法の誕生)。しかし、どんなに正統性と規範を整えても、それに従わない人間は必ずいます。そのため、そうした人間を物理的に抑える力が必要となり、集団の指導者は、武力を行使する人間たちの組織を作り、それをコントロールするようになります(軍隊の誕生)。こうした正統性と規範と物理的力が整った時、古代国家社会が成立したと言えるでしょう。この時点で、社会の基本形態はできあがったと言えます。(2000.5.11)

第7章 社会学的想像力の必要性

 一昨年以来、漫画家小林よしのり氏の『戦争論』をめぐって、様々な議論が戦わされてきました。私も非常に興味を持ったので、学生たちとともにこの本を読んでみました。マンガの持つ特有のイメージ操作などに問題はありますが、戦後社会において「常識」となっていた考え方をくつがえした主張をするこの本は、様々なことを考えさせるいいきっかけになると思いました。特に、この本の本来のテーマは、「個と公」の問題をどう考えるかということですので、社会学を学ぶものにとっては一読に値する本と言えるでしょう。

 学生たちに書いてもらったレポートの中に、こんな文章がありました。「国のためには死ねない。……これは個人主義ではなく、自分にとっての損得勘定をしてみると、国に何かをしてもらったと感じたことがない。だから、守っても仕方がない。」本当にそうでしょうか?「国=国家」と考えると、自民党の政治家や○○総理大臣の顔でも思い浮かんで、彼らに何かをしてもらったわけではないと考えてこう書いたのでしょうが、国は社会でもあります。(小林よしのり氏は、時々混用していますが、基本的には「国家としての国」ではなく、「社会としての国」という側面を強調していると思います。)我々が安全に豊かに便利に暮らせるのは、自分と自分の家族だけのおかげなのでしょうか?そうではないでしょう。この日本という社会が長い時間をかけて作り上げてきた様々な価値観や制度――ひっくるめて言えば「社会システム」――のおかげではないでしょうか。(近年、この日本社会を支えてきた社会システムが急速に崩れつつあり、「安全で豊かで便利な生活」を容易には享受できなくなりつつあります。)そうした社会の仕組みを想像することができないという人はこのレポートを書いた彼ばかりではないでしょう。いや、むしろそんな想像はできないという人が圧倒的多数でしょう。中国の故事に同じような話があったことを覚えています。殷より前の伝説的な王の時代の話だったと思いますが、ある時王が身分を隠して民の生活を視察に行くと、民の一人が相手が王とは知らず、「われわれは豊かに平和に暮らしているが、これは誰のおかげでもない。もちろん王のおかげなんかではない。王なんて知らない」と豪語します。それを聞いた王は、その場を離れてから「これでいいのだ。本当の統治とは、このように統治されていることに民が気づかないような統治の仕方なのだ」と言ったという故事です。この例をあてはめると、日本の若者が「俺は国に何もしてもらったことはない」と豪語できるということは、まだ日本のシステムは機能しているということでしょう。しかし、最近の様々な事件を見ながら、このシステムが急速な崩壊に向かっていることを感じるのは私だけではないでしょう。このままでは、本当に危険だと思います。うまく行っている――よりよくなっているか、あるいはせめて現状維持――なら、幸せな無知な民のままにしておいてもいいかもしれませんが、日本の社会システムは悪くなっていますので、もうそんなのんびりした気持ちではいけないと思います。日頃あまり実感できない社会システムが、我々個々人の生活を支えていることに思いを至らしめ、おかしくなりそうになっているところは、修復するようにしなければいけません。そのためには、「社会学的想像力」が必要です。個人の行為は社会に規定され、また社会に影響も与えるのだということを想像できる力が、社会学を学ぶ者だけではなく、社会を生きる者に必要です。

 そんなことを言われても、日本社会なんて大きすぎてそんな想像はできないというなら、小さな社会から出発してみたらいいと思います。例えば、20人ぐらいの集団を考えてみて下さい。その集団で何かをしようという時、誰か世話役が要ります。小さな集団でもみんなのスケジュールを調整して計画を作るのはそれなりに面倒です。自分以外の誰かがやってくれたら、それに越したことはありません。でも、いつもいつも誰か他の人間に頼っていたら、その人は集団のなかで「フリーライダー」(ただ乗りをする人)と位置づけられ、集団で居場所を失っていくことでしょう。そうならないためには、自分も適度に世話役を買って出て苦労を共有しないといけません。そして、世話役をしているときに頑張れば、それなりに自分の努力の結果が具体的な形で見え、充実感も得られるでしょう。このように小集団であれば、「(非)貢献の結果が見えやすい」(社会学的想像が容易な)ので、個人の行為と集団という小さい社会との関係が明確に見えるでしょう。実は日本社会と個人の関係もこれと同質な関係なのです。ただ、スケールが全く異なるので、(非)貢献の結果が見えにくく(社会学的想像が困難に)なり、結果として貢献しないで済ましてしまう者が多数出ることになります。しかし、もしも日本社会を構成するすべての人が、社会学的想像力を働かせず、個人的に勝手気ままに行動をするなら、社会は悲惨なことになります。「自分の1票など何の影響力も持ちはしない」と99%の人が投票に行かなくなったら、どうなるでしょうか?「自分は社会の恩恵など感じたこともないから、この社会がどうなろうと構いはしない」などと言い出すのでしょうか?それは絶対に間違っています。社会学的想像力を働かせれば、勝手にやっていると思っていた行為が社会のルールに水路づけられ、また次の時代の社会のルールを作っていくのだと言うことに気づくはずです。もっと社会学的想像力を世間に普及させなければならないと心から思っています。(2000.5.9)

第6章 社会学の研究対象とその発見

 社会学はどんなものでも対象にしうるおもしろい学問だというのは私の持論ですが、たまにそれはおもしろいかもしれないけれど、社会学になっていないんじゃないのと突っ込みを入れたくなる研究に出会います。かつてNHKの「面白学問人生」という番組で、ある社会学者が「食パンの食べ方を研究している」と得々と語っておられましたが、正直言って私にはその面白さがわかりませんでした。もう少し正確に言えば、社会学的にみてどこがおもしろいのかわからなかったのです。もちろん、サンドイッチにするとか、トーストにする、あるいは焼かずに食べるという話であれば理解できるのですが、その人の研究は、角から少しずつ食べるか、1辺の真ん中から食べるか、はたまた4隅を先に囓るかといった食べ方の研究でしたので、とうてい私にはおもしろいと思えませんでした。確かに人によって多少食パンの食べ方に癖はあるかもしれませんが、その癖が社会的に形成されてきたとは私には考えがたいのです。どんな現象を取り上げてもいいですが、その現象がどのように社会的に形成されてきたか、またどのような社会的影響を与えているのかという視点なしには、社会学的研究はできません。逆に言えば、そうした視点さえ持ち得れば、どんなものでも対象にしうるのです。たとえば、食パンの食べ方ではだめですが、「食嗜好」や「食様式」であれば、家族や地域をはじめとする所属集団の影響を強く受けているので十分おもしろい社会学的研究テーマになると思います。また、天体の運行は社会的な原因によって影響されていませんが、重要な社会的結果は持っているので、社会学的研究テーマにしようと思えばできると思います。

 このように社会学の研究対象は広くいろいろな研究が可能なのですが、意外なことに自分なりの研究対象を見いだすことは実際にはなかなか難しいようです。私のゼミでは、研究対象を見いだすことから社会学の研究は始まるという姿勢でやっていますが、毎年卒業研究のテーマが決められず悩む学生が続出します。どうしたら社会学的研究対象を見いだせるのでしょうか?まず第1に、今自分の生きている社会で何が起こっているかをしっかり見てほしいと思います。新聞やテレビのニュースに関心を持つのが一番いいのですが、そういうものは堅苦しくて苦手だという人は、ワイドショーでも週刊誌でもいいと思います。堅苦しく書いてあるものだけが時代を語っているわけではありません。ただし、どのような情報であっても、それを受容するときには感性を研ぎ澄ましておいて下さい。現代のような情報化社会では、大量の情報がわれわれの周りに遍在しますので、感性を研ぎ澄まし、「あれ、これはなんか変じゃないか」とか「これはおもしろうそうだ」と意識しなければ、すべて何の意味も持たないものとして通り過ぎて行ってしまいます。たとえば、新聞の大きな見出し文字ですら、関心を持たなければ、まったく目に入らないという経験は誰しも持っていることと思います。

 感性の鋭い人はこうしたやり方で、社会学的な興味深い対象を発見できるでしょうが、感性の研ぎ澄まし方がよくわからないという人には、「常識を疑ってかかる」という思考トレーニングを勧めたいと思います。人は誰でも、ある物事を常識だ、当たり前だと思ってしまった瞬間に、それについて考えることをやめてしまいます。当たり前のことなのだから、それ以上考えることも説明することも必要ないと思ってしまうわけです。しかし、今ここで自分にとって常識と思えることが、異なる時代、異なる場所、異なる立場でもいつでも常識として通用するかという発想を持ってみて下さい、まずほとんどの常識が常識ではなくなってしまうはずです。常識が常識として通用するするためには、それなりの社会的背景が必要なのです。常識を共有できる時代、社会、人々が存在するとしたら、そこにはどのような共通点があるのか、共有できない時代、社会、人々との間の違いは何なのかといことを考えていけば、自ずと社会学的考察に入っていくことになります。日常生活において無意識のうちに絶対化している「いま、ここ、わたし」を相対化する思考を意識的に行えば、必ず社会学的研究対象は見つかると思います。(2000.2.4)

第5章 全体社会の範囲

 社会学はマクロな視野を持たなければなりませんが、その際に視野の範囲となるマクロな社会(全体社会)は、どの範域に設定したらよいのかという問題が生じます。全体社会とは、理念的にはその社会に所属する人々の生活がほぼその中で自己充足できる社会と考えることできます。交通手段の発達していなかった前近代は地域社会が、近代になってからは国民国家社会が、そして交通手段ばかりでなく情報網も発達した今日では世界社会が全体社会の範囲として考えられるというのが、ひとつのオーソドックスな見方ではないかと思います。

 しかし少し考えてみればすぐわかることですが、近代社会はもちろん前近代社会においても、地域社会どころか現代の国民国家社会の枠を大きく超えた範域での重要な人と物と文化の交流がありました。「シルクロード」や「海の道」の存在ばかりでなく、広範な地域に伝わる神話の同型性、人種的類似性などが、人類の誕生以来の人と物と文化の交流をよく示していると言えます。その意味では、いつの時代でも全体社会の範囲は、世界全体でなければならなかったということになるでしょう。にもかかわらず、つい最近まで、世界社会を全体社会として捉え、その社会構造や社会変動を語ろうとする社会学が生まれなかった――さらに言えば現在でもまだうまく展開できていない――のはなぜなのでしょうか?

 世界社会を全体社会と捉えた社会学を展開する上で最大のネックとなっているのは、各社会ごとに異なる言語の多様性だと思います。言語はもっとも重要なコミュニケーション手段であって、言語が異なる人々の間では、単純な相互作用は行いえても、永続的な集団を形成することは困難です。つまり、言語が異なる人々は、同じ社会に属しているという実感を十分に持ち得ないのです。さらに、様々なパターン化された様式(=制度)は、基本的には言語を使って表現されるので、共有された言語を持ち得ない範域では制度も共有されにくいことになります。言語の共有がすべてではないと思いますが、社会の範域を決める非常に重要な要素であることは間違いないでしょう。その意味で、原則的にひとつの言語を公式の共通語として定めている国民国家社会が社会学の誕生以来、全体社会として措定されて現在まできたのは当然のことだったと言えるでしょう。

 しかし、言語を共有しているのに複数の国家に分かれているケースもあります。こうした場合は言語による範域か、あるいは国家としての地理的範域か、いずれを全体社会の範域と考えたらよいのでしょうか?結論から言ってしまえば、やはり国民国家社会の範域で全体社会を捉えておくのが良いでしょう。ある範域に全体社会としての統合を与えているのは、法政治制度です。ある法政治制度が拘束および保護しうる人々によって、ひとつの全体社会が形成されているのです。こうした拘束的な法政治制度の共有がなければ、たとえ言語が共通していてもひとつの全体社会と考えることはできないでしょう。(ex.アメリカとイギリス、ドイツとオーストリア)ひとつの国民国家社会の中に複数の使用言語がある場合に、その国民国家社会がひとつの全体社会と見なせるかどうかという問いも、この拘束的な法政治制度の共有性を基準にすれば容易に答えが出ます。

 このような論理展開からすると、「国民国家社会=全体社会」ですべてすっきりすると思われてしまうかもしれませんが、実際はそんなに単純ではありません。そもそも「国民国家」というのが実に曖昧な概念で、実際の歴史上でもその線引きは幾度となく変更されてきました。それゆえ、国民国家社会を絶対的な全体社会の範域として措定することにはかなり問題があります。EU(ヨーロッパ連合)というのは、ある意味ではそうした狭く変わりやすい国民国家の境界を有名無実なものとして、より大きく安定的な全体社会を作ろうとする試みと見ることもできるように思います。確かにキリスト教文化圏として考えるなら、全ヨーロッパでひとつの全体社会が構成されていると考えるのは、素直な発想と言えるでしょう。また、経済や環境に関してはまさに世界社会という範域で考えなければ有効な手だては打てなくなっているという事実もあります。今後、世界社会――あるいは国際社会――という視野がますます必要になってくることは間違いないと思います。

 一般論として全体社会をどの範域に措定すべきかと問われれば、やはりまだ国民国家社会の範域でと答えざるをえませんが、「国民国家社会=全体社会」という発想で、現在の社会学の様々なテーマに十分答えうるかと言えば、これまた「否」と答えざるをえません。結局テーマごとに全体社会の範域は定めるしかないのだろうと思います。(2000.1.31)

第4章 連字符社会学の発展と社会学の危機

 社会学には、連字符社会学と呼ばれる様々な研究分野があります。連字符とはハイフンのことで、要するに家族社会学とか都市社会学とか教育社会学とか環境社会学とか、社会学の前に○○とハイフンで結びつけられる言葉が付くような社会学のことです。社会学の領域は幅が広すぎるので、ほとんどの社会学者は、いずれかの連字符社会学を専門にしてます。最近しばしば思うのは、現代の社会学は連字符社会学の発展によって細分化されすぎてしまい、危機的状態に陥ってはいないだろうかということです。

 そんなことを言ったって、この情報の氾濫する社会の中で、個別分野に絞っても読まなければならない本や資料は無尽蔵にあり、「良い研究者」たらんとすれば、より狭くより深く入り込んで行かなければならないことは事実です。しかし、仕方のないことなのかもしれませんが、連字符社会学の世界にどっぷり浸かってしまうと、他の連字符社会学をやっている人との間でコミュニケーションができなくなるという不幸な事態が生まれやすくなります。同じ社会学をやっているはずなのに、互いが使う専門用語がわからないなどということがしょっちゅう起こります。専門用語はそれを自由に駆使できるようになると、何かその連字符分野の一人前の研究者になったような錯覚を起こす効果を持つため、研究者――特に若い人――は、一所懸命修得しようとします。そして、こうした専門用語を理解できない人間を見て、「こんな用語も知らないの?まともに話をするに値しないな」という顔をします。しかし、これはおかしくないでしょうか?わかりにくいことをわかりやすく説明するのが、学者・研究者の役割なのではないでしょうか?少数の仲間内だけで理解される用語で語り自己満足しているなら、仲間内だけで通用する言葉を使って遊んでいる高校生とやっていることは変わりません。他の連字符分野の社会学者はもちろん、社会学に興味を持ち、本を読んでみよう、話を聞いてみようという気持ちのある人々にはわかる程度の言葉で社会学は語られなければならないと思います。

 こうしたコミュニケーション不能状況は、異なる連字符分野間で生じているだけでなく、各連字符分野内部でも依って立つ理論的立場が異なれば生じてしまいます。全くおかしな話です。このままでは、社会学は、連字符社会学ごとの、あるいはその中でもパースペクティブを同じくする仲間内だけの「タコツボ」に安住する危機的状態に陥ってしまうかもしれません。かつてコントをはじめとする第一世代の社会学者たちが目指したような一人の社会学者がすべての分野に精通する「総合社会学」を構築することは当然不可能ですが、志向性としては、分野――社会学の分野だけでなく、他の社会科学の分野も含む――横断的に発想していく「総合社会学」的なものがもっと求められてもいいように思います。もちろん、すべての社会学者がそれを目指さなくてもいいとは思いますが、少なくともそうした志向性をもった人がいなくならないように、社会学のあり方に警告を発し続けることは必要でしょう。そんな大それた社会学はできないと言う人も、社会学として研究する限りは、自分が選んだテーマについては、特定の連字符社会学の枠をはみ出してでも総合的に考察していくというスタンスを取るべきだと思います。(2000.1.20)

第3章 社会学における客観的認識

 社会学で客観的な認識が可能かと問われれば、不可能だと答える人が多いのではないかと思います。確かに「客観的」という言葉を「一切の恣意を排除した」という意味で使うなら、社会現象に対する客観的な認識は不可能でしょう。認識対象を他から完全に隔離することはできないこと、認識主体が自分の価値観から完全に自由になれないことなどから、完全な形での客観的認識は不可能です。このため、客観的な把握を最初からあきらめ、主観主義に流れる傾向も見られます。曰く、「質問紙調査の客観性は疑わしい」、曰く「何が社会問題かは客観的には決められない」。こうした「客観性」に対する厳しい規準は、自然科学をモデルにして作られています。しかし、自然科学の対象把握でも厳密に考えたら、完全に恣意が排除されているかどうかは疑わしいと思います。天動説が地動説に取って代わられ、ニュートン力学がアインシュタインの相対性理論で書き換えられたりなどといった難解な例を出さなくても、青い目の科学者と黒い目の科学者には、観察対象の明度は異なって見えているはずだということを考えれば、自然科学においては完全な恣意の排除がなされているという見解も疑わしいものになってくることは容易に理解されるでしょう。

 翻って、社会学の対象はそんなに異なるものとして人々に認識されているのでしょうか?確かに自然現象よりは偏差が大きいでしょうが、多くの社会現象に関して大多数の人々はほぼ同じ認識を持ちえているはずです。でなければ、人々は相互作用ができなくなり、ひいては社会生活を送ることができなくなります。このように大多数の人々によって同じように認識されているものを把握することを、社会学では「客観的把握」と呼んできたのです。もちろん個々の人々にとって認識は主観的なものとしてしか存在しませんので、この「客観的認識」とは厳密に言えば、「大多数の人々によって共有された主観的認識」ということになるのですが。いずれにしろ、社会学において「客観的認識」は不可能だと考える必要はないと思います。社会学者に必要なことは、多くの人々が曖昧な形で主観的に認識しているものをわかりやすい形で示すことだと思います。よく社会学的知見が披露された時、「そんなことは知っていたことばかりだ」と言われることがありますが、別にそう言われることを恥じる必要はないのです。なんとなく知っているという状態と明確な形で表現された状態は、おおいに異なるのです。社会現象に関して「大多数の人々によって共有された主観的認識」を明確にすることは、社会学の重要な仕事です。

 こうした形での社会学的客観認識が理論的に可能だとしても、難しいのは、認識と評価がごちゃごちゃになりやすい点です。「今、こういう状態になっている」という認識(ここにも価値観は入ってきますが)と、「社会にとって、それはプラス(or マイナス)だ」という評価が一緒くたになりやすいのです。そもそも言葉――特に形容を示す言葉――自体が評価を含んでいることが多いので、どの言葉を使って認識を表現するかで、すでに評価が入り込んでしまいます。例えば、「今時の若い者は、享楽的な生活を送っている」と表現するのと、「現代の若者は、日々の生活を楽しんでいる」と表現するのとでは、全く印象が異なります。しかし、認識を表現するために言葉を使わないわけにはいきません。なるべく評価の入り込まない言葉のみを使うことにすると、かなり無味乾燥な官僚的な表現になり、読みづらい文章ができあがることでしょう。私は個人的には、あまり窮屈な形で認識を表現するよりも、認識主体の価値判断が入り込んでしまうとしても、その人が一番適切だと思った言葉で表現すればいいのではないかと思っています。表現されたものを読む方が、必要に応じて言葉にまとわりつく評価を剥ぎ取って行くしかないのではないかと思っています。(2000.1.3)

第2章 政策科学としての社会学

 「政策科学」とは何でしょうか。「政策を研究する科学」という解釈の仕方もありうるかもしれませんが、一般的には、「政策提言をなしうる科学」という意味で使われているだろうと思います。では次に、後者の意味で「社会学は政策科学たりうるか」という問いかけをしてみましょう。答えはもちろん「YES」です。しかし、問いを変えて、「社会学は政策科学たりえてきたか」と問えば、答えはそう単純に「YES」にはならないように思います。

 確かに社会学は、いろいろな形で実践に関わってきました。ある社会学者は住民の立場に立つことによって、ある社会学者は行政の審議会の委員として、多くの実践的提言をなしてきたと言えます。にもかかわらず、「社会学は政策科学か」と問われると、素直に「YES」と言えないのは、どこに問題があるのでしょうか?それは、一言で言ってしまえば、社会学に科学であろうとする姿勢や意欲が十分でなかったことにあるように思います。ですから、実践的提言がなされていても、それはある価値観・イデオロギ−からの主張と見なされ、科学的な政策提言としては受け止められなかったのです。

 こういう言い方をすると、当然おまえは科学の中立性・客観性を自明視しているという批判の矢が飛んでくると思います。しかし、それは全くの誤解です。科学が完全に価値観から中立でありえようはずはありません。なぜなら、どのテーマを研究するかという選択からして価値に関与しているからです。研究者が自分の価値観に照らして重要だと思うものを選択しているわけですから、すでに価値に関与しています。しかしだからといって、「どうせ価値中立的に研究を進めることなどできないのだから、ある立場を選択してその立場からのみ見えることを語ろう」と開き直ってはいけないと思います。ここが重要なポイントです。確かに意識的、無意識的に、研究者は価値を選択している、しかしだからといって、自分の価値観に拘泥しすぎてはいけないのです。

 なぜいけないかといえば、特定の価値に拘泥しすぎると、それとは異なる価値観を持つ人々の意見、考え方を受け入れられなくなってしまうからです。(研究者ではありませんが、自分の価値観に過度の自信をもった政治的指導者が、社会を混乱と疲弊に至らせた例は数多くあることを思い出して下さい。)様々な価値観を持つ人々がその立場から思考し行動し、それが絡み合って、社会的事象は生じています。なるべくそれぞれの人々の行動の規範となった土俵(価値観)の上に立って考えるように努力しないと、彼らの行動の意図、リアクションに対するさらなるリアクションなどを正確に解釈することができず、ひいては社会的事象を正確に把握することが困難になります。その意味で、「科学的」たらんとするならば、できるかぎり「価値自由」(「価値への自由」でもあり、「価値からの自由」でもある)的でなければならないと言えます。

 もうひとつ社会学が「科学的」であるためになされなければならないことは、因果連関を把握することです。「なぜなのか?」という問いに答えを出すために、科学的研究は行われなければなりません。こういう事実があったという記述だけに留まっていては、科学たりえません。「なぜそんな社会的事象が生じたのか」という社会的原因をしっかり把握することが必要です。そして、この作業を進める上で、データに基づいて語るという原則が守らなければなりません。豊富なデータを集め、そこから帰納法的に法則性を見いだし(=仮説を形成し)、その仮説を演繹法的に検証し、しっくりいかなければ仮説を微調整してまた検証し、ということを繰り返して、最終的には適用力の高い法則にしていくという作業がなされなければなりません。

 こうしたスタンスと作業を通じて社会的事象の因果連関に関する法則が提示できれば、その法則を使って政策提言は容易になせるようになるはずです。(もちろん、政策提言をするためには、価値観が改めて意識的に選択されなければなりません。また、政策の実行が容易かどうかはまた別の問題です。)学問も「象牙の塔」に籠もって自己満足しているだけではだめです。役に立つ学問になるために、社会学は上で述べたような意味での「政策科学」として認められていかなければならないと思います。(1999.12.14)

第1章 社会学の実践性

 最近日本から送られてきたものを読んでいて、軽いショックを受けました。ある人が書いた文章でしたが、そこにはこんなことが書いてありました。「実践的意味合いをもった質問に上手く答えられなかったときや、相手にほとんど発言の真意が伝わらなかったとき、『私の専門は社会学だから……』と呟く。」えっ、それってどういうこと?社会学はどうせ役に立たない学問だからしょうがないって、自分で自分をなぐさめるってことでしょうか?1人前の社会学者がそんなことを言うなんて、それはないんじゃないのというのが正直な感想でした。別にこの人を個人的に批判したいわけではありません。確かにこうした自嘲的な言説は社会学に関してはよくなされており、どこかでそれを聞きかじった学生たちもしばしば「先生、社会学って何の役に立つんですか??」と「どうせ役に立ちませんよね」といった気持ちを顔にありありと出して質問をしてくることがあります。冗談じゃないと憤りたくなります。もっと社会学という学問の良さを語っていかなければならないと思います。

 もちろん社会学は万能の学問ではありませんので、苦手なことはいろいろあります。今回の文章を書かれた方は、現在は社会福祉を看板にしているそうなので、実践的意味合いというと、たぶん個々の家庭や個人などのケースにおいてアドバイスを求められたりした際のことを念頭において書かれたのではないかと思います。確かに、そういうケースワークにおいて、社会学の理論はそんなに有効な回答を示してはくれないでしょう。なぜなら、社会学は個人の問題を解決するために生み出された学問ではないからです。精神分析学や臨床心理学とは視野の範囲が全く異なります。個人の悩みに理論的に答えてあげたいと思うなら、社会学ではなく、精神分析学や臨床心理学を学ぶべきです。自分の今なすべき課題がそこにあるなら、もはや社会学に拘泥せずに、自由に他の学問の成果を利用すべきです。相手を納得させられないことを社会学のせいにしてはいけないと思います。(ただし、私は精神分析学や臨床心理学の理論というのが、どれほどすばらしいのかは知りません。正直言うと、たいしたことはないだろうと思っています。にもかかわらず、精神分析医や臨床心理学者が個人の問題に多少なりともアドバイスをなしうるのは、他の人よりケースを多く知っているからだと思います。新米の医者に手術してもらいたくないのと同じ意味で、新米の臨床心理学者などにもカウンセリングはしてほしくないと思いませんか?)

 話がちょっと横道にそれました。戻しましょう。では、個人の問題を解決できない社会学は結局実践的な意味を持ち得ないのでしょうか?いえ、そんなことはありません。「実践」という言葉を個々の人々が考えると、どうしても個人的問題の解決ということが念頭に置かれやすいですが、もっと広い視野で捉えることもできるはずです。社会的問題を解決するためには、社会学は大きな寄与をすることができるはずです。例えば、「少子化」という社会にとっては死に至る病とも言うべき問題に対策を打とうとする時、社会学の知見はおおいに役に立つはずです。社会学的思考をすれば、女性の高学歴化、婚姻制度の実質的不平等と硬直化、家庭と仕事の両立の困難さ、子育てを社会的に支援する体制の欠如、価値観の変化といった社会的要因がすぐに浮かび上がってきます。どんな社会的問題に対しても社会学はそれなりの分析をし、それなりのアドバイスをすることができます。こんなに実践的なことのできる学問なのに、なぜそう思われていないのでしょうか?その最大の原因は、社会学にではなく、社会的問題の方にあるのです。というのは、何が社会的問題であるかということに関しては、イデオロギーが絡んできてしまうからです。ある立場の人から見れば大問題だと思えることでも、別の立場の人から見れば全く問題はないなんてことはしばしば起こります。というより、すべての社会的問題は、そういうものだとも言えます。「少子化」などは、かなり多くの人が「社会的問題」と認知しうるものですが、近代的国民国家をベースにした世界社会は不安定になりやすいので、その解体が進むことは地球の未来にとって望ましいと考える人なら、日本の「少子化」は全く問題とは思わないでしょう。(個人的問題も厳密に言うと、こうしたイデオロギー問題はあるのですが、最終的には、その精神と肉体の所有者が問題だと自分で判断すれば、個人的問題は成立するわけです。)

 このように「何が社会的問題なのか」が明確にならないうちは、社会学も出て行けないのです。患者の来ない医者が街へ出ていって、「あんたは病気だから、うちに診察に来なさい」と言っても、誰も行かないでしょうし、彼のことを名医とは呼ばないでしょう。それと同じで、社会学が勝手に「これが社会的問題で、対策はこうだ」などとやっても、誰も本気で聞いてはくれないでしょう。社会学は社会の名医になりうるのに、真剣に診察に来てくれる人がいなければ、その優秀さを証明することができません。社会を人間に見立てれば、社会として思考し判断する頭脳の役割を果たすのは、政治でしょうが、日本の政治担当者たちは相も変わらずお腹を膨らませることばかりに熱心で、経済学者にはよく相談に行きますが、社会学者にはあまり相談に来ません。しかし、現在の日本社会の病は、ひもじさから来ているのではなく、むしろ肥満になりすぎ、それに慣れてしまった怠惰な精神から来ているように思います。その意味では、経済学者の病院に相談に行くより社会学者の病院に相談に来るべきでしょう。ただし、社会学の与える薬は、個人が期待するような即効性はありません。というより、社会は個人とは段違いの長期的サイクルで動いていますので、10年、20年を単位として考えていかなければならないのです。人間の医者はよく4日分くらい薬をくれますが、社会学が社会に与える薬は、40年分ぐらいだと思ってもらうとちょうどよいのだと思います。人間の病なら4〜5日で快復したかどうか判断がつくわけですが、社会の場合は最低でも4050年は見てもらわないと薬が効いたかどうかわからないのです。こうした社会学の特徴を考慮せずに、1〜2年で結果が出ないからといって、社会学は役に立たないだの、実践性が欠けているなどというのは、社会学に対する不当な批判でしょう。

 さて、では社会学の方には何の問題点もないのでしょうか?残念ながら、現在の社会学の状況を見る限りそうは言えないでしょう。もしも同じ病気で診断を受けに行っても、診察してくれる社会学が異なると全く見立てが異なり、処方も異なるということが十分起こりえます。人間の病気でもこうしたことは起こりえますが、一応複雑な病気でなければ、大体どの医者も同じような診断をしてくれるはずだという信頼感を一般の人は持っています。(私は、個人的には、医者の見立てだって結構怪しいものだと思っていますが……。)社会学はこんな信頼感を持ってもらっていません。これにはいろいろな原因が考えられますが、やはりディシプリンが確立していないということが大きいと思います。医者になるには国家試験があり、一定の知識と技術を身につけていることを国家が保証してくれています。これに対して、社会学者になるにはほとんど共通した知識や技術を要求されません。(だから、社会学者でもない人が安易に「○○の社会学」とか名づけた本を出せてしまうのです。)それどころか、新たに社会学の世界に割って入ろうとする人は、過去の蓄積を批判する方がより効果的だとでも思っているかのように、従来社会学が積み上げてきた成果を批判することばかりに熱心です。曰く、計量的調査なんてだめだ、機能主義なんてだめだ、あれもだめ、これもだめで、自分が見つけたものだけが価値があるといった感じです。一見新しく見える概念も実はすでに言われていることがほとんどで、単に言い換えただけに過ぎないということが多いと思います。下手に理論的にやってそんなことは以前から言われていると言われたくない人は、とにもかくにも他人が手をつけていない自分だけのフィールドとやらを見つけて、それだけを近視眼的に研究し、オリジナリティを誇るという道に逃げ込むことになります。現在、大学院が拡充され、社会学の道に入ってくる若い人がどんどん増えていますが、こういう人たちが社会学の基礎をきちんと身につけずに、ひたすら自分を売り出せる「新しいもの探し」に明け暮れているなら、社会学の将来は暗いでしょう。

 社会学も本来はディシプリンを確立しえたはずなのです。1960年頃まではその方向に確実に進んできたのですが、1960年代以降の文化と価値観の大きな揺らぎが社会学のディシプリン確立への志向性を雲散霧消させてしまいました。もちろん、それ以前のディシプリン確立の方向性には問題点もありましたから、ある種の批判は建設的なものとして受け止められるものもありました。しかし、一度始まった既成の権威に対する反乱は、受け入れられるとなったら、留まるところを知らずに進んでいきました。混乱の6070年代を経て、80年代には、社会学はメイン・ストリームのない奇妙な学問になってしまいました。2000年を前にして、社会学の再生を果たされなければならないという思いが私には強くあります。再生のためには、もう一度ディシプリンを確立させる方向へハンドルを切るべきだと思います。ディシプリン確立のための核になるのは、「マクロな視野」、「機能主義」、「計量的調査」なのではないかと思っています。(1999.12.10)