地蔵菩薩の違い(日中仏教相違点2)

地蔵菩薩について

地蔵菩薩といえば、日本では「お地蔵さま」として各地に祀られているのを見ます。 菩薩のなかでも、ひときわなじみやすい、身近な存在であると言えましょう。

地蔵菩薩は、地獄に落ちた人々を救済する菩薩であると考えられています。そのため、地獄に関連する物語には、必ずと言ってよいほど登場します。

<天橋立智恩寺の地蔵像>


その点については、日本でも中国でも変わらないのですが、なじみやすい「お地蔵さま」として出現することは、中国、あるいは東南アジアも含めた中華圏ではあまりありません。

中華圏での地蔵菩薩は、他の菩薩同様、かなり地位の高い存在となっています。

またその背景として知られる説話も、ずいぶん日本のものとは違います。

ここでは、その違いについて簡単に追ってみたいと思います。

<シンガポールの廟の地蔵菩薩像>

地蔵の化身金喬覚

まず簡単に中華圏でよく知られている地蔵説話について紹介します。

唐の時代、安徽の九華山(きゅうかざん)という山に、ある修行僧がいた。その僧は、新羅(しらぎ)から来た者で、金喬覚(きんきょうがく)という名であった。この金氏は、新羅の王子であったが、わけあって出家したものであった。

その激しい修行ぶりは評判となり、周囲に弟子や信徒が集まっていった。やがて金喬覚は老いて亡くなるが、その遺言から、彼は地蔵菩薩の化身であったことがわかった。人々は驚き、その残された身体を肉身仏として供養礼拝した。

いまでも九華山には、地蔵菩薩の肉身仏が残されていて、人々の篤い礼拝を受けている。

肉身仏とは、いわゆるミイラ仏のことで、日本にも数多く存在します。


新羅の王子さまなので、たとえば韓国の人がこれを聴いたら喜びそうなものですが、実はそうでもありません。

日本の地蔵とも、韓国の地蔵ともかけ離れたこの中国の地蔵菩薩は、中国で独自に説話が発展したものですので、結局共有されませんでした。実はこの話が形成されたのは、明(みん)末から清(しん)代にかけてのことなので、日本にも韓国にも伝わらなかったのです。

同様の現象は弥勒(みろく)菩薩でも起こっています。

中国に行くと、弥勒菩薩像だと言われて、大きな腹を持った布袋和尚(ほていおしょう)の像を見せられると思います。

布袋が弥勒の化身であるという話が広まって、「弥勒=布袋」になってしまったわけです。しかし、この説話を共有していない日本や韓国の人に、「これが弥勒だ」と見せられても通じません。日本や韓国では、もっと細身の弥勒像が当たり前だからです。

九華山とミイラ仏

中華圏では、文殊(もんじゅ)・普賢(ふげん)・観音・地蔵の四菩薩を特別視しています。弥勒はやや違って仏扱いになります。

それぞれの聖地があります。文殊が山西の五台山(ごだいさん)、普賢が四川の峨眉山(がびさん)、観音が浙江の普陀山(ふださん)。

そして地蔵菩薩は、見たように安徽の九華山になります。

いずれも有名な観光名所になっています。


九華山は安徽の黄山(こうざん)の近くにあり、同様に観光地にもなっていますが、日本では意外に知られていません。

こちらには、化城寺(けじょうじ)、祇園寺(ぎおんじ)など、多くの寺院が存在します。

ただ、よく知られているのは肉身殿(にくしんでん)です。

こちらには、地蔵菩薩のミイラ仏が祀られているとされます。すなわち、いまでも新羅から来た金喬覚のミイラがあり、崇拝を受けて歴代祀られてきました。肉身殿には、そのミイラ仏がいまでも保存されているそうです。

もっとも、その本体は仏塔で覆われていて、見ることができません。まあ、よしんば存在したとしても、唐代のミイラとなると、おそらくあまり形は残っていないと思われます。

九華山はミイラができやすい土地と言われています。かつては地蔵にならい、14体のミイラ仏があったとされますが、ほぼ全部文化大革命の時に壊されてしまいます。

現在は、残った百歳殿に明(みん)の無暇和尚(むかおしょう)のミイラ仏が保存されています。これを参拝する人は多いです。また、いまは他の殿にも文革後に作られた新しいミイラ仏が幾つか存在します。

日本でもミイラ仏は即身仏と呼ばれ、信仰の対象になっています。

中国では、あと広東の南華寺のミイラ仏が有名ですね。

伝承の変化

金喬覚の伝説については、まったくの作り話ではないと思われます。

唐の時代、九華山に新羅から僧がやってきて修行したことについては、幾つか書物に記載があります。

その僧は釈地蔵(しゃくじぞう)といいます。この当時、菩薩の名を号とする僧侶は結構いました。ただ、この地蔵という号が、おそらく後世では「地蔵の化身であった」という事に変わっていったのだと考えられます。

釈地蔵は王族ではありませんが、この時期新羅から来た僧侶のなかには、王族であったものも存在しました。

そういった幾人かの僧侶の伝承が合わさって、後の世になると金喬覚という伝承に変化していったものと推察されます。


それから、中国の地蔵菩薩の像には、長者の姿をした老人と、若い僧侶の像が脇侍として備えられていることが多いです。

老人のほうを閔公(びんこう)といい、若い僧侶は道明(どうみょう)といいます。

閔公は九華山周辺の土地を有する長者で、地蔵菩薩の法力に驚き、寺院として土地を献じたとされます。また道明和尚は閔公の息子で、出家して地蔵に従ったとされます。

中国の寺院の場合、この両者が地蔵の脇に立つのはお約束なのですが、日本ではほとんど見たことがありません。

<平遙鎮国寺地蔵殿の地蔵と閔公・道明>

地蔵の騎獣

寺院に行くと、文殊菩薩が獅子に乗り、普賢菩薩が象に乗る様子はよく目にすると思います。

では、観音と地蔵はどうでしょう。

観音の像は動物に乗っているものは少ないですが、一般に朝天吼(ちょうてんこう)という龍の子である異獣であるとされます。

そして、地蔵は諦聴(たいちょう)という獅子に似た動物に乗るとされます。

この諦聴は独角獣(一角獣)で、『西遊記』にも出てきます。森羅万象(しんらばんしょう)、すべてのことを知る動物です。

ニセの孫悟空(六耳獼猴・ろくじびこう)が現れたときに、天界の神々が誰も見抜けないのに、この諦聴は看破しました。もっとも、その場で解決は難しいとして、如来に判断を仰ぐことになります。

<シンガポールハウパーヴィラにて諦聴に乗る地蔵>

地蔵と十王

地蔵菩薩は冥界の教主とされます。

そして、地獄を支配する十王(じゅうおう)の上に立つものとされます。

十王は、インドの閻魔(えんま)が中国で発展したもので、それぞれの地獄を支配します。

第一殿 秦広王(しんこうおう)

第二殿 初江王(しょこうおう)

第三殿 宋帝王(そうていおう)

第四殿 五官王(ごかんおう) 

第五殿 閻羅王(えんらおう)

第六殿 卞城王(べんじょうおう)

第七殿 泰山王(たいざんおう)

第八殿 平等王(びょうどうおう)

第九殿 都市王(としおう)

第十殿 五道転輪王(ごどうてんりんおう)


第一殿には孽鏡台(げつきょうだい)という大きな鏡がありまして、ここに生前の罪業が映し出されるます。

そして罪の重さによって行く地獄が決まります。

五道転輪王は、人々の転生を扱います。

この地獄に落ちた人々の救済を行うのが地蔵菩薩です。

十王の思想は日本にも輸入され、お寺で地蔵と十王を祀るところは珍しくありません。

また「十王町」などの十王が入った地名は、日本のあちこちにありますね。

ベトナムやシンガポールでも、地蔵と十王の組み合わせはよく見られます。

<シンガポールの廟の祭祀に設営された十王>


ですので、中国の寺院の地蔵像は日本とかなり印象が異なります。

もと王子さまで、一角獣に乗り、十王や閔公・道明を従え、さらにその肉身はミイラ仏となっているわけで、いや、想像以上に波乱含みです。

これだけいろいろ条件が揃っているのに、なぜか『封神演義』には登場しません。

他の普賢・文殊・慈航(観音)は出てきているのに。地蔵も、地蔵道人とかいって強力な宝器を持って出てくるとよかったと思います。

そのぶん、『西遊記』では目立っているかもしれません。