学生による授業評価アンケート結果から

 全学共通教育推進機構は、2000年度から全学規模で「学生による授業評価アンケート」を担当教員と受講学生の協力を得ながら実施してきました。これは、より質の高い教育を行うためには、直接学生の声を聞き授業に反映させることが必要であるとの認識に基づいて実施されるもので、現在では講義科目と外国語科目がその主たる対象となっています。

 このアンケートは、前期(春学期)科目は6月、後期(秋学期)科目は11-12月の授業時間中に「学生による授業評価アンケート」、「自由記述」用紙が担当教員の手により配布され、出席している学生がその場で記入します。記入された「自由記述」用紙は担当教員が保管・活用し、「学生による授業評価アンケート」用紙は集計のため事務室に渡され、その結果は後日担当教員に渡されます。

 実施期間中、学生は授業の度にアンケートを記入しなければなりませんが、出席した学生たちは概ね協力的です。学生たちは授業の進め方などについて自分たちの声を反映させるいい機会と考えているのでしょう。私たち教員はその期待に応えなければなりません。

 こうしたアンケートの科目で見た実施率は約9割に達しており、ほとんどの科目においてアンケート調査が実施されています(表)。一方、回答者数で見た実施率(履修者数に占める回答者数の比率)は約3割と低くなっていますが、これはこの調査が特定の一回の授業においてアンケートを配布・回収するという方法をとっているため、回答者数で見た実施率は、アンケートを実施した回の出席率と等しいかそれ以下になるからです。アンケート調査期間が最も出席率が高い時期に行われることと合わせて考えれば、この回答者数で見た実施率の低さは履修者数に対する出席者数の比率が日常的に低いことを示しています。ただし、これをもって多くの学生たちが授業を「サボっている」と考えるのは早計です。なぜなら第一に、単位は足りているし出席するつもりもないが、時間割に空白があるので、「とりあえず」履修手続きをする学生が多いためです(いざというときには試験だけで単位修得を狙うちゃっかり学生もいるようですが)。第二に、とりわけ講義科目について出席をどの程度重視するかは科目や担当教員によって異なり、それに応じて学生たちの出席状況も変化するからです。

 次に、講義科目について最新のアンケート結果(2001年後期(秋学期)実施分)において、評価が最も低かった項目を二つ取り上げます(図)。それは「黒板(白板)の使い方は適切でしたか」(全学生3.28点―出席良好者3.32点)「あなたは予習・復習をするなど、この授業に意欲的に取り組みましたか」(同2.93点―3.01点)です。学生たちは質問項目について5段階で評価し、「強くそう思う」5点、「そう思う」4点、「どちらとも言えない」3点、「そう思わない」2点、「全くそう思わない」1点と記入しますので、左記の二つの設問について全学平均としては「どちらとも言えない」との評価がされていると見ていいでしょう。ともかく、最も評価が低かったのですから、授業改善の重要課題であることは確かです。

 まず、質問項目「黒板(白板)の使い方は適切でしたか」は板書をめぐる問題です。板書に問題ありと見えますが、それは教室や黒板など施設・設備や教員の板書技術の未熟さが原因かも知れません。ただしそれ以前に、授業において教員と学生は互いに相異なった板書の位置づけをしていることが、こうした結果を生んでいるのではないかと考えます。

 学生は高校までの習慣なのでしょう、板書をもれなくノートに書きとることを授業だと思っており、教員の話は単なる「おしゃべり」なのでノートにとる必要がないと考えている節があります。一方で、教員は授業においてはわかりやすく説き聞かすことが大切と考え、板書は学生が耳慣れない用語を書き示すためだけに用いているのかも知れません。学生にしてみれば全くもって不適切な板書が、教員にとってみれば適切なものだったりするわけです。その結果、「講義がすべて終了した後に、ノートを見返して、講義の内容の流れがわかる板書をお願いします。単語だけ書く先生が多いので」(中南米経済論、2002年4月6日)という声が寄せられることになるのです。

 私自身は、この学生の板書の授業における位置づけ―板書観―は改めるべきだと考えますが、いずれにしても教員と学生の板書観を付き合わせてみて、ある程度一致させる取り組みが必要です。教員としては、板書も改善しなければならないと頭を抱えて一人悩むのではなく、これを教員と学生との間で対話を進めるチャンスと捉えたほうがいいのかもしれません。

 次に、質問項目「あなたは予習・復習をするなど、この授業に意欲的に取り組みましたか」に対しては全質問項目中最も厳しい評価を下しています。授業に対する学生の姿勢に対して学生自身による厳しい評価は、多くの学生にとってやる気が出ずに授業に意欲的に取り組めていないこと、いわば授業についての自己肯定感が低いことを示しています。事態は深刻です。

 しかし、ここには「本当はやる気を出して授業に意欲的に取り組みたいが、うまくできない」という学生の健全な葛藤もあります。だからこそ、最も厳しい評価を自分自身の姿勢に対して与えているのです。教員はともすればそうした学生に対して「やる気を出せ」と言いがちですが、そう言われたからといって、やる気は出てくるものではありません。「そんなことわかっている」と反発されるのがオチでしょう。学生は何らかの理由でやる気を出せない状況に置かれているに過ぎないと理解し、そうした理由を取り除くことが大切です。その際、本当にやる気が湧いてこない場合と、やる気は湧いているがそれを周囲に気付かれまいとして表情や態度として表さない場合とがあるので、この二つを区別して、まずやる気のある後者がやる気を表に出せない原因を明らかにすることが必要です。

 授業において、やる気を秘めている学生たちは少なくないのですが、彼らは「自分はやる気があるのに、周囲はやる気のない学生ばかり。授業で下手に動くと目立ってしまう」とお互いに思いこみ、相互不信に陥っています。教員の側も、やる気を「秘めている」学生をやる気の「ない」学生と誤認することによって、学生不信になっているかも知れません。このように、教室において教員と学生との間および学生間の充分な信頼関係を築けていないことがやる気を秘めた学生がやる気を表に出せない最大の原因です。

 信頼関係を築くためには、まず充分なコミュニケーションが必要です。教員が学生を信じて学生との対話を進めると同時に、学生同士のコミュニケーションを組織すると、学生相互の誤解が解けて信頼関係が生まれ、「この場ならやる気を見せても大丈夫」という雰囲気になり、やる気を秘めていた学生はやる気を見せるようになり、やる気が本当に出せない学生も少しやる気が湧いてきます。教員に対する信頼関係も、そうした場を設定したことで生まれてきます。さらに信頼関係が築かれてくると、学生もそれぞれ責任を持って授業に参加するという姿勢も生まれくるから不思議です。こうして教室において信頼関係が築かれ、お互いに責任を持つようになれば、今回のようなアンケート調査を待つまでもなく、授業改善は教室毎に日常的に自然に進みます。

 「学生による授業評価アンケート」は授業改善のゴール地点ではなくスタート地点です。このアンケート結果からスタートして、授業改善を教員だけの仕事とせずに、学生を信じて、学生と共に進めていく。こうした形での授業改善が今求められているのかもしれません。

(関西大学教育後援会『葦』第122号,2002年8月)