学生にひと仕事任せる学生参画型は波乱万丈

 「長谷川とゼミ生全員にとってのわかりあいと自己変革への険しき道―道半ばだか確かに前進した一年間」。これは昨年度三回生のゼミをふりかえっての印象である。思えば、波乱万丈、ハラハラ・ドキドキ、スリルとサスペンスに満ちた一年間であった。

学生が企画・実施・伝承

 長谷川ゼミは、毎回の授業展開も年間スケジュールも、さらには授業運営方法や成績評価方法さえも教員とゼミ生が協議して決定する。すなわち、教員の教育的配慮のもとに、ゼミ生が主体的に、ゼミの企画・実施・伝承に参画する学生参画型ゼミをめざしている。これまで授業の実施にだけつきあわされてきた学生は、授業という「場」をつくり出すところから始めなければならない。

 毎回のゼミは、事前に学生によって企画会議が開かれ、そこで作成される授業企画書に基づいて、決められた役割分担の下に学生の手で行われ、終えての評価も学生が行う。教員は、企画書や実際の運営や研究について発問・コメントしつつ、学生を信じてひと仕事任せるのである。研究のための運営であり、運営なくして研究はできないので、運営と研究の両立が求められる。授業時間以外にゼミの運営と研究について打ち合わせを週に二三回行いつつ、本来の研究活動(資料収集や現地調査)もすすめるので学生生活はゼミ一色に近いものとなる。

ふりかえり・わかりあい・ 思いやり・やり甲斐

 もちろんその道のりは平坦ではない。すぐに他の授業やアルバイトとの両立、仕事の効率化に迫られる。一人で仕事を抱え込んで疲れ果 ててしまったり、ゼミに出てこなくなったり、仕事を人任せにしてサボるゼミ生が出てくる。こうした問題を放置するとゼミがたちまち崩壊するので,「荷の分かち合い」が切実な課題として浮上し、ゼミでそれを正面 からとりあげ議論するため、「ふりかえり」「わかりあい」「思いやり」がどれだけできるかが問われる。

 一方で、一人ひとりの学びの姿勢も常に問われる。まず、研究も運営も自分たちでやらなければならないので、それだけの時間と資金を投入する価値がある研究テーマを選ぶことも求められる。ゼミ生は「なぜとりくみたいのか」「どこにやり甲斐があるのか」「どこが面 白いのか」と教員から口うるさく問われる。一般に学生は手ごろで、自分と切り離されたテーマを選びがちであるが、長谷川ゼミではそれは許されない。ゼミ生一人ひとりにとってのっぴきならないテーマ、傾倒できるテーマが求められるのである。

 テーマ決定後も、研究の質と姿勢が問われ続ける。例えば九月の中間発表で、やっつけ仕事で無意味なレポートを作成したグループに対しては、ゼミを辞めることを要求した。また、ストリートチルドレンについてのベトナム現地調査、環境ベンチャー企業に対する訪問調査が行われたが、こうした調査も教員が引率するものとは違い、学生自らが企画・実行しなければならないので、挫折寸前までいくこともあった。

居場所と学びの主人公

 こうして見てくると、長谷川ゼミは時間と体力が必要なだけではなく、自らを振り返り、自分の学習観、生き方を問い直す勇気と覚悟も必要なのである。これは教員も同じであり、ゼミは教員とゼミ生の学習観や生き方のぶつかりあい、真剣勝負の場となる。

 こうした「商学部で最もハードな」ゼミを彼らが一年間続けてこれたのはなぜだろうか。それは、学生参画型すなわち、最初から最後まで責任をもってやり遂げることの中に、「学びがい」と「わかりあい」を求め、わかる喜び・学ぶ喜びを感じ、そこに自分の「居場所」と「学び」の主人公としての自分を発見し続けたからだろう。

(関西大学教育後援会『葦』第116号,2000年8月)