ガムシャラな自分と目立ちたがり屋の自分


 ガムシャラで目立ちたがり屋のヘンな奴。前橋東高校にいた15年以上も前の私を振り返ってみるとそうした姿が目に浮かぶ。あの頃は何かにとり憑かれたように、ガムシャラに勉強し、ガムシャラに部活動をし、ガムシャラに北風に向かって自転車を漕いでいた。立ち止まって後ろを振り返ることもなく、周りも見ずに、ただ前だけを見て突き進んでいた。

 ガムシャラだったのは、深く考えたり振り返ったりすることで自分の存在する意味や大学へ進学する意味を見失うことを恐れて、「今はこれしかないんだ」と思い込み、勉強や部活動に打ち込むことで自己を見つめる余裕を自分に与えまいとしていたのだろう。頑張ることそのものが目的となり「頑張る自分」に陶酔し「今はこれでいいんだ」と自分を納得させていた。それゆえに過程は苦しいものと思い込んでそれを楽しむことができずに、結果を出すことばかりに目が奪われていた。プロセスを楽しむことができる山行を山岳部で重ねていたにもかかわらず、である。

 またあの頃の私は目立ちたがり屋でもあった。生徒会役員選挙に立候補したり、山岳部の部長になってみたり、第1回澄流祭で弥生人に扮したり、頭を丸刈りにしてみたり、眠気覚ましにイスに正座をしてみたり。妙に他人を意識し、他人と異なるふるまいをして見せ、周囲の反応を楽しんでいた。他人と違うことをすることで自分の存在を示したい、これまでしたことのないことにチャレンジして「ガリ勉」ではない新しい自分を発見したい、そうした気持ちが私を目立ちたがり屋にさせていたのだろう。

 ガムシャラな自分と目立ちたがり屋の自分。おそらくガムシャラであることは、あの時期にありがちなことであり、大学受験を控えた高校生が順調に高校生活を送るためのあり方の一つであろうし、私の高校生活もガムシャラの一言で片付けられるものと今の今まで思っていた。しかしこうして振り返ってみると、あの頃のガムシャラな自分は自分探しから逃げようとしていたけれども、一方で目立ちたがり屋の自分は確かに自分探しをしていた。こんなことに15年もたって初めて気づくのもなんとも間抜けな話だが、今回私にとっての自分探し=「学び」の一つの原点を見つけることができたことは収穫であった。

 新米教師の私も未だ自分探しの旅の途中。これからもこの旅路を学生たちとともに歩んでいきたい。

(群馬県立前橋東高等学校創立20周年記念誌,1999年)