震災ボランティアに参加して


 3月中旬,神戸へボランティアに行ってきた。1月17日以来,居ても立ってもいられなくなり,焦るばかりで何も手が付けられない日々が続いた。「自分は現地で何ができるのか」。ボランティアの難民化が言われる中,この言葉がしばしば自分を踏みとどまらせた。ようやく仕事と受入先とを見つけ,ボランティア活動に活躍している高校生や学生と神戸で行動をともにした。

 ボランティア希望者が難民化するのは,彼らが何でもやるつもりで被災地に入るものの,何をやるべきなのかわからず,その一方で「何とかしたい」思いが強いので帰るに帰れないからである。こうしたボランティア難民は青年の消極的側面の現れとする見方がほとんどであった。確かに彼らの「何でもやる」「何とかしたい」という言葉は,「自分に何ができるのかわからない」ことを表明してはいるが,一方で,「とにかく役に立ちたい」ということでもある。ここには,関心の高さ(すなわち無関心なんかではないこと)が反映されている。いうならば彼らは,奇しくもその一人が言い当てたように,関心は高いがそれを表現する手段を知らない「だけ」なのだ。

 だから「ボランティア難民」現象を一面的否定的に評価するのは間違いだし,高校生・学生の関心の高さ=潜在的積極性についてもっと評価してしかるべきで,「表現する手段はいろいろと知っているが関心が低い」大人がなんと多いことか(自分もその 一人だ)。

 彼らは関心をますます高めながら,表現手段を学んで帰っていった。だが自分はどれだけ変わることができたのか?ニブイ自分の被災地で見聞きしたことを受けとめる作業は,これから始まる。

(『院ふぉるめ』Vol.3,1995年)


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