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『関西大学商学論集』第47巻第1号,85-118頁,2002年。

ウジミナス建設プロジェクトと技術移転1)

―日本鉄鋼業による対ブラジル技術移転(1)―

Technology Transfer by Japanese Steel Industry to Usiminas, Brazil

長谷川 伸


I はじめに

 我々はこれまでにブラジル鉄鋼業の発展過程と技術水準の検討を行い,ブラジル鉄鋼業が一定の国際競争力を有するに至っていることを明らかにし,その背景に技術導入の一定の成功―適正技術を導入しえたことがあるとの仮説を提示した2)。そうした戦後におけるブラジル鉄鋼業の技術導入先としては日本が重要な位置を占めており,日本によるブラジル鉄鋼業への技術移転3)はブラジルで成功例として高く評価されている4)。日本が当初から資本参加・技術協力を行い,1950年代後半から60年代前半にかけて建設されたウジミナス(Usiminas)5)はその嚆矢かつ象徴である(図1)。一方で,ウジミナスは日本鉄鋼業にとって大規模銑鋼一貫製鉄所の建設・操業に対する海外技術協力の原点となり,その後の技術協力のモデルとなった6)。これを敷衍すれば,ウジミナスは戦後日本における海外技術移転・技術協力の原型の一つと言いうる。

■■■図1■■■

 こうした意義を有するウジミナスは,1958年に前身の設立準備会社を再編成して日伯合弁企業として発足し,翌年からミナス・ジェライス州イパチンガ (Ipatinga, Minas Gerais) において建設を開始し,1965年に完成をみた粗鋼生産50万トン規模の鋼板専門の銑鋼一貫製鉄所である7)。ウジミナスの建設はその関係者が口を揃えて言うように,人跡稀な原野を切り開く工事,異なる言語や習慣,風土の違い,激しいインフレ,資金難,政情不安,建設工程の遅延,日伯間の仕事の進め方や考え方の違いなど多大な困難が伴う事業であった8)。加えて,当時は日本企業にとって海外進出・海外技術協力事業の黎明期にあってモデルケースと経験に乏しく,しかも日本鉄鋼業は国内の大規模一貫製鉄所の新設ラッシュ9)と重なったため極めて厳しい条件下で進められた事業であった。にもかかわらず,ウジミナスの建設と稼働をやり遂げ,日本ではその後の技術協力のモデルとなり,ブラジルでも技術移転の成功例として稼働当初から評価されてきたのはなぜか。

 その答えは「人を通した・人から人への技術移転」10)にあるのではないか。日本鉄鋼業はウジミナスに対し欧米諸国の操業指導とは異なって例外的に高度な技術知識を含めて教えてきた11)。当初ウジミナスは「ウジミナス学校」 (Escola da Usiminas) と呼ばれて職業訓練学校の役割(産業界への人材の供給)を結果的に担うことになったとされている12)。また一般にも製鉄プラント建設・操業においては操業指導が極めて重要であるとされている13)。さらに,建設期に日本からの派遣員400人に対して現地日系社員が300人規模で採用され14),日系社員の大量採用と日本人派遣者と非日系ブラジル人社員を繋ぐ役割を果たしたことは「人を通した技術移転」を容易ならしめ,これをより強化したと考えられる。

 本稿はこうした問題意識の下,ウジミナス建設プロジェクトにおいて「人を通した技術移転」がどのような業務の下にどの時点で行われたのかを明らかにすることを目的とする。本稿の構成は以下の通りである。IIにおいて鉄鋼業における「人を通した技術移転」がどのような業務によって生じるのかを整理した後,IIIにおいて製鉄所建設におけるプロジェクト・ライフ・サイクルを検討し,IV・Vにおいて製鉄所建設プロジェクトにおける「人を通した技術移転」が生じる業務がどの時点で,何を前提として何の前提となって,誰によって誰に対して行われるのかを明らかにした上で,ウジミナスの場合はそれがどの時点で誰によって誰に対して行われたのかについて整理する。VIは結論である。


II 鉄鋼業における「人を通した技術移転」

1 林倬史の日本型技術移転システム論

 「人を通した技術移転」については林倬史の日本型技術移転システム論15)が示唆的である。林は日本の技術移転プロセスでは「人を通した技術移転」―実機訓練を含む技術研修とOJT―が重視されることを指摘し,そこに技術移転システムの日本的特殊性を見いだしている。そしてそうした日本型技術移転システムが東南アジアで有効に機能し,それが技術移転の成功の要因と見ている。より詳しく見てみよう。

 林は技術移転の形態を以下の3つに分けている16)。すわなち第1に,ドキュメント化された技術情報(特許・設計図・工程図・マニュアル等)の移転,第2に設備(機械・工具),構成部品,諸材料に体化された技術情報の移転,第3に人・組織に体化されている技術情報の移転(日本人技術者の現地派遣・日本への現地従業員の技術研修派遣による技術情報の移転)である。この3者の関係は,(1)のドキュメント化された技術情報の移転を具体的な製品へと体化させていくための物的条件としての,(2)資本財(設備機器類,構成部品,諸材料)に体化されたハード面での技術情報の移転であり,そしてそれら(1)と(2)の技術情報を用いて,製品へと仕上げる人・組織に体化されていくソフト面での技術情報の移転(3)である。

 林はすべての技術移転チャネルにおいて,この「人を通した技術移転」,特に「現地技術研修生の日本での研修」が極めて有効な役割を果たしているとする。その技術研修の重点は,OJT方式による現場での実習に置かれている。これは単に,ラインでの操作技能のみならず,設備機器類の自主保全能力をも高め,生産にともなう技能・技術の幅を広げていくことによって,製品ラインの切り替えや拡充に柔軟に対応しうる能力を身につけることを意味する。また大部分の研修内容にQC活動が盛り込まれていることにも注意すべきとしている。

 アジア現地での直接的な生産ラインの安定した稼働,品質の安定,ラインのバランス,生産性の向上,等に必要な生産技術・技能の向上にはこうしたOJTをベースに,QCC手法を取り入れながらライン従事者全体のレベルアップを恒常的に図っていく日本的技術移転システムが有効に機能している。「日本企業は職業訓練所」,「アジア諸国の技術研修学校」と呼ばれるゆえんである。

2 技術移転が行われる事業・契約

 では,実際に鉄鋼業において事業・契約として行われている技術移転を林の3形態に分類することにより「人を通した技術移転」を浮き彫りにしてみよう。鉄鋼業において技術移転を目的とする事業は主としてエンジニアリング事業に含まれている。ここでいうエンジニアリングとは「プロセスの開発,設計前コンサルティング,基本設計,詳細設計,機器・資材の調達,建設,操業指導・運転管理およびこれらに関わるプロジェクト・マネジメントなどの業務活動」17)のことであるが,このエンジニアリング事業と技術移転の3形態はどのように対応しているのか。新日鐵の場合,エンジニアリング事業本部に技術協力事業部があるが,その主たる販売品目として挙げられているのは,製鉄設備エンジニアリング,操業・整備指導,操業・設備診断,製鉄関連技術供与となっている18)。一方で,同じエンジニアリング事業本部に属する機械・プラント事業部の販売品目として挙げられているのは,製鉄プラント,化学プラント,タンク,環境プラント,FA物流プラント,溶接構造物,素形材である。技術協力事業はソフトウェア,プラント事業はハードウェアを販売するのである19)

 設備(機械・工具),構成部品,諸材料に体化された技術情報の移転に相当するのは機械プラント事業部が担当するプラント製作・輸出である。人・組織に体化されている技術情報の移転に相当するのは,製鉄設備エンジニアリング,操業・整備指導,操業・設備診断である。技術研修はここでは操業・整備指導に含まれている。ドキュメント化された技術情報の移転に相当するのは,まずは製鉄関連技術供与(ライセンス供与)である。しかしプラント輸出の際にはマニュアル(取扱説明書)を中心とする技術文書が添付されるし,製鉄設備エンジニアリングのアウトプットとして購入仕様書などの技術文書,操業指導・技術研修にあたってもテキスト,作業標準等の技術文書が作成され使用されるように,この形態はどのような事業においても見られるといえよう。

 次に,技術移転の形態と契約との対応関係を見てみよう。樫渕隆によれば,大半の技術移転は移転元と移転先との何らかの契約(協定)に基づいて行われているので,以下のように整理することが可能である20)

 樫渕によれば,上記いずれかの単独技術移転契約から,投資決定前のフィージビリティ・スタディ(Feasibility Study, 事業化検討,以下F/Sとする)から工場経営まで一貫して一つの技術提供者から技術移転が行われる完全パッケージ契約までの間で契約内容が技術提供者および受入側の都合で決められる。実際締結される契約では,前述の各項目を組み合わせた形で技術移転が行われることが普通である21)

 先の技術移転の形態とこうした契約との対応関係は以下の通りになろう。設備,構成部品,諸材料に体化された技術情報は機械設備売買契約(B)によって移転される。人・組織に体化されている技術情報は,技術協力契約(A)によって移転される。ドキュメント化された技術情報は,製造ライセンス契約(C)によって移転される。ただし,技術協力契約(A)に基づく技術研修におけるテキストや機械設備売買契約(B)に基づいて売買される機械設備に付属するマニュアルに見られるように,ドキュメント化された技術情報の移転はどの契約においても行われる。逆に,製造ライセンス契約(C)ではドキュメント化された技術情報のみ移転する場合(ドキュメント売り切り)もあるが,ライセンスの価値を高めるために操業指導(人・組織に体化されている技術情報の移転)を行うことでノウハウを提供する場合がある22)。なお,直接投資契約(D)は内容としては,A,B,Cの組合せとなることが多いので,いずれの技術移転形態も含まれると見てよいだろう。

3 小括

 以上の技術移転形態の分類作業の結果,鉄鋼業における「人を通した技術移転」は,技術協力事業・契約(製鉄設備エンジニアリング,技術研修を含む操業・整備指導,操業・設備診断),プラント輸出・契約にともなう操業要員の訓練と据付指導員の派遣,ライセンス供与事業・契約にともなうノウハウ提供のための操業指導という業務によって生じると整理でき,鉄鋼業においても林が示唆するようにこの3形態(媒体)は例外はあるが基本的に相互に随伴する関係にあるようである。


III 製鉄所建設のプロジェクト・ライフ・サイクル

1 プロジェクト・ライフ・サイクル

 前章で整理した鉄鋼業における「人を通した技術移転」が生じる業務は,大規模製鉄プラント―とりわけ本稿がその事例とするウジミナスの建設プロセスにおいて,何を前提とし何の前提となり,どの時点で行われたのか。この問題を検討する際に役に立つのは,1942年の米国におけるマンハッタン・プロジェクトで適用されたことを端緒とするプロジェクト・マネジメントにおけるプロジェクト・ライフ・サイクルの概念である23)。プロジェクト・ライフ・サイクルとは,プロジェクトの始点(構想策定)から終点(目的達成)までの連続的な変化の全体を指しているが,プロジェクトを一連のフェーズに分けることは,特に大規模なプロジェクトを計画し管理していく際のフレームワークとして極めて有益であるとされている。このプロジェクト・ライフ・サイクルにおける各発展段階をプロジェクト・フェーズという24)

 ウジミナスについては,その建設プロセスをプロジェクト・フェーズとして意識されてはいなかったし,後追い的にも今日の時点においてもなおフェーズ区分がされているとは言い難い。本章ではこうしたプロジェクト・ライフ・サイクルの概念を利用する。ここでは本来プロジェクト管理のためのプロジェクト・ライフ・サイクルの概念をすでに終了しているプロジェクトの分析のために転用するのである。

 ところで,プロジェクト・フェーズの分割方法は,プロジェクトの種類,業界の特性などにより必ずしも定まっているわけではない25)。例えば,高林二郎はプラント建設プロジェクトを以下のように区分している26)。(1)プロジェクトが創造され,見積り・応札をへて契約されるまでの過程。(2)契約が発効し,設計,製作,調達をへて輸出国港から船積みされるまでの過程。(3)輸出国港での船積みが完了し,輸入港までの海上輸送,輸入国港荷下ろし,輸入国現地でのサイトまでの陸上輸送,サイトでのプラント建設工事をへて試運転,顧客に引き渡し納入されるまでの過程。(4)引き渡し納入以降の過程。これは,プラント輸出メーカー(設備供給業者)から見たプロジェクト・フェーズとなっているが,それは高林の区分目的がプラント輸出の位置づけを確認することにあるからである。

 したがって,我々は大規模製鉄プラント(製鉄所)建設プロジェクトに適し,かつ使用目的に適したフェーズ区分を設定することから始めなければならない。

2 製鉄所の技術的特徴

 以下,フェーズ区分における製鉄所建設プロジェクトとの適合性,フェーズ区分する目的への適合性を検討する。大規模製鉄プラント(製鉄所)建設プロジェクトに適合的なフェーズ区分をするためには,まず建設される製鉄所の設備・工場がどのような特徴を有しているのかを把握しなければならない。鉄鋼業は十名直喜によれば,3つの基本的工業(機械的工業,化学的工業,動力工業)の特質を生産プロセスのうちに含んだ複合型・統合型の産業として捉えることができる。鉄鋼業の上工程に位置する製銑―製鋼工程は「化学的工業」としての特性を持つ「装置産業」であり,下工程に位置する圧延工程は「機械的工業」としての特質を持っている「機械産業」であり,これら装置型―機械型の連続した生産プロセスからなる複合型産業である。加えて,鉄鋼業における製銑―製鋼工程は「動力工業」としても捉えることができる。なぜなら,コークス炉や高炉,転炉から発生したガスを生産の各プロセスで利用したり,エネルギーの有効利用の一環として自家発電設備を持つ製鉄所も少なくないからである。鉄鋼の生産プロセス(上工程)は石炭による複合目的のガス製造・利用のプロセスとしてもみることができるのである27)

 このことを踏まえた上で,ウジミナス製鉄所を構成する設備・工場を見てみよう。ウジミナス建設時の設備概要と工場配置概要(表1,図2)を見ればわかるように,製銑工程(主要5設備,4工場),製鋼工程(主要5設備,3工場),圧延工程(主要4設備,3工場)がそれぞれいくつかの設備と工場から構成されている。さらにこうした設備は,例えば分塊設備が灼熱炉と圧延機の2つの装置・機械で,冷延設備が酸洗装置,冷間圧延機,コイル焼鈍装置,冷間剪断機の4つの装置・機械で構成されているように,いくつかの装置・機械の組合せたものなのである。また,製銑―製鋼工程は「装置産業」,圧延工程は「機械産業」と括ることができるが,「機械産業」である圧延工程をよく見てみると,分塊設備における灼熱炉,厚板設備における加熱炉,冷延設備における酸洗装置・コイル焼鈍装置といった化学反応装置すなわち「装置産業」的部分が存在している。


表1 ウジミナス立ち上げ時の設備概要
製銑工程
設備名 能力 主仕様
(1)貯炭及び選炭設備 石炭(常時)105,000t 50m x 500m
石炭(非常時)43,000t 25m x 500m
(2)コークス設備 1,470t/day 400mm幅
13,200mm長
50窯 x 2炉
(3)化成設備 コークスガス排送機 30,000Nm3/hour x 2基
硫安6,000t/year  
ベンゾール50,000t/year  
タール26,000t/year  
(4)焼結設備 2,200t/day 有効面積89.3m2
(5)高炉 700t/day x 2基 内容積885m3 x 2
炉床径7m
鋳銑機100t/hour x 2基
溶銑鍋65t
製鋼工程
(1)純酸素上吹き転炉 50t/heat x 2 煉瓦積後内容積48m3
廃ガスボイラー25t/hour
(2)混銑炉 800t x 2  
(3)造塊設備 500,000t/year 多線式台車注入
5-16t鋼塊
(4)石灰焙焼炉 50t/day x 2  
(5)酸素設備 2,800Nm3/hour x 2 酸素ホルダー440m3 x 2
圧延工程
(1)分塊設備 灼熱炉29,000t/month x 2 上部一方向焚4hole/bat
圧延機1,500,000t/year ロール寸法1,150 x 2,930
5,000HP x 2 ハイリフト2重逆転
(2)厚板設備 加熱炉 100t/hour x 1 3帯連続式
幅出圧延機4,500HP 二重逆転式46" x 120"
仕上圧延機3,500HP x 2 四重逆転式
24,000t/month 36" x 54" x 120"
(3)熱延設備 仕上圧延機31,000HP 四重連続式 x 6
120,000t/month 27"/55" x 80"
  仕上速度2,120t/min
巻取機 ダウンコイラー
9mm, 30"/60" x 2基
(4)冷延設備 酸洗設備12,000t/month 連続式
250ft/min
1.2/5mm x 20"/61"
最大コイル18.2t
冷間圧延機8,000t/month 66"逆転式
2,000ft/min
コイル焼鈍設備 筒型焼鈍設備 x 7基
冷間剪断設備7,000t/month  
上記の他に以下の設備がある。30MVA x 3基の受電変電設備,各プラント用変電設備,給水設備(取水設備,貯水池,ポンプ場,上水設備),ガス設備(40,000m3BFGホルダー,30,000m3COGホルダー),工作設備(鉄構,機械,鋳鍛造,木工,車両,修炉,電気設備の各工場),運輸設備(機関車,各種台車,鉄道施設,道路輸送機器・施設),管理設備(各種試験分析機器類)。

(出所)小林謙二「鉄鋼業(ウジミナスの例)」(大橋昌弘『海外職業訓練ハンドブック:ブラジル』海外職業訓練協会,1997年所収),129-130頁。

■■■図2 ■■■

 すなわちウジミナスも,多数の工場・設備・装置・機械で構成され,機械的工業,化学的工業,動力工業の特質を生産プロセスのうちに含んだ複合型・統合型の工場群なのである。一般に,大規模で複雑なプロジェクトにおいては各フェーズ間のオーバーラップが生じる場合があるとされ28),実際に製鉄所建設プロジェクトの場合,後述するように複数のフェーズが並行して実行されていることは日常茶飯事である。だが単一の設備に注目した場合,依然としてフェーズとして把握することが可能であり必要でもある。ここでは,日本鉄鋼業において使われている表現「業務形態」を合わせる形で,業務内容のあり様をも表現する「フェーズ(業務形態)」とでもすべきところだが,業務内容のあり様をニュアンスに込めつつも表現としては煩瑣なので単に「フェーズ」としておく29)

 製鉄プラント建設プロジェクトについてフェーズ区分を示した公表資料は実は数少ない。その数少ない例として,5フェーズ(事業化検討,建設計画,建設実行,操業開始準備,営業生産)30)に区分している古川九州男らによるものがある。これは上記に見た技術的特徴とフェーズのニュアンスをふまえた場合でもフェーズ区分としては適しているといえよう。

3 「人を通した技術移転」とフェーズ区分

 我々がフェーズを区分する目的は,鉄鋼業における「人を通した技術移転」が生じる業務が,大規模製鉄プラント(ウジミナス)の建設プロセスにおいて,何を前提とし何の前提となり,どの時点で行われたのかを検討するためであった。「人を通した技術移転」を問題とする以上,当該業務が誰によって・誰を対象(あるいは誰と共に)に行われるのかの視点が欠かせない。その点からいうと,前節の5フェーズ区分をそのまま適用するには問題がある。なぜなら,古川らの建設計画フェーズには,「人を通した技術移転」の視点からいって注意が払われるべき各フェーズの実行者(登場人物)が相互に異なるもの(後述する基本設計,詳細設計,調達)が1つのフェーズに含まれているからである。

 したがって,本稿の目的により沿ったフェーズ区分にするとすれば,この建設計画フェーズを基本設計,詳細設計,調達の3つのフェーズに分割することが必要である。すなわち,製鉄所(ウジミナス)建設プロジェクトのフェーズ区分(業務形態分類)は,F/S,基本設計,詳細設計,調達,建設,操業準備,商業生産となろう。

4 小括

 本章においては,製鉄所(ウジミナス)建設プロジェクトにおける「人を通した技術移転」を明らかにするためにプロジェクト・ライフ・サイクルの概念を用いてフェーズとその区分のあり方を検討した。その結果,製鉄所建設プロジェクトにおけるフェーズに業務形態としてのニュアンスを持たせた上で,製鉄所(ウジミナス)建設プロジェクトのフェーズ区分(業務形態分類)を,F/S,基本設計,詳細設計,調達,建設,操業準備,商業生産とすることとした。

 以下IVおよびVでは,ウジミナスが50万トン製鉄所として完成する(生産を開始する)時点まで,すなわち操業準備フェーズまでについて「人を通した技術移転」が生じる業務がどの時点で行われ,何を前提として何の前提となって,誰によって誰に対して行われるのか,ウジミナスの場合はそれがどの時点で誰によって誰に対して行われたのかについて整理する。ただし,以下で想定されているのはウジミナス建設プロジェクトと同様に,設備供給以外は投資決定前のF/Sから操業指導まで一貫して一つの技術提供者から技術移転が行われる契約の場合である。


IV 製鉄所建設フェーズ:F/S・基本設計・詳細設計・調達

 本章では,プロジェクトフェーズの前半,すなわちF/S,基本設計,詳細設計,調達の4フェーズについて整理する。

1 F/Sフェーズ

 F/Sとは,顧客がプロジェクトに着手するに際し,技術的に可能か,採算がとれるか,事業としての可能性があるか,などを事前に調査することを言うが31),その目的は,計画の見通しを検討し,問題解決に種々な代案を適用して検討し,実現可能な解決方法を発見することである。製鉄プラントに用いられるF/Sには大別して次の3段階,技術F/S,経済的なF/S,損益予想がある。このうち技術協力の対象とされているのは技術F/Sである。技術F/Sにおいては,資源と計画している工業の技術的要求との整合性,立地条件,工場の生産規模が検討される32)。経済的なF/Sにおいては,国内需要の予測,輸出の予測,製造原価比較が行われ,予想される競合企業対策が立案される33)。その検討結果は報告書(F/Sレポート)としてまとめられ,事業化(投資)するか否か(プロジェクトをこのまま進めるか中止するか)の意志決定のために利用される。自社のプラント建設のF/Sをコンサルタント(エンジニアリング企業)に発注した場合,このF/Sレポートが発注者(オーナー)に渡される。このことはF/Sレポートに体化している技術情報(技術F/Sの内容と方法)の移転を意味しており,F/Sレポートを通してコンサルタントから発注者へ技術移転が行われることになる。

 ウジミナスに関する構想は,1955年のブラジルの製鉄所建設に関する日本への最初の協力要請があったパウリスタ計画にその端緒を見ることができるが,ウジミナスのF/Sが本格化したのは翌1956年からである。1956年にはクビチェック政権による経済開発5カ年計画が作成され,ミナス製鉄所建設計画が浮上する。それを受けて日本鉄鋼連盟を代表して八幡製鐵の湯川常務による現地調査が4月に行われ,1956年8月のブラジル経済ミッションの来日,1956年10月の第1次調査団渡伯,同年11月に日本側調査団長とブラジル側交渉委員団長の間で「鋼塊50万トン,広幅鋼板ならびに帯鋼を生産することを当初目標とする新製鉄所を,ミナス・ジェライス州に建設することが適切にして望ましい」との共同声明を発表,1957年4月の第2次調査団渡伯の後,この第1次・第2次調査団によるF/Sの結果が1957年7月1日付の『ミナス製鉄所建設調査団調査報告書』としてまとめられた。日伯間の製鉄所建設についての合意である「日伯合弁製鉄会社設立に関する協定」(いわゆる堀越・ラナリ協定)がこの報告書に基づいて1957年6月3日に調印された34)。したがって,この『ミナス製鉄所建設調査団調査報告書』35)をもってF/Sが完了したと見てよいので,1956-1957年7月の期間ウジミナスはF/Sフェーズにあり,主たる作業は日本側(日本鉄鋼連盟)の手によって行われ,『ミナス製鉄所建設調査団調査報告書』に体化した技術情報が移転されたと見ていいだろう。

2 基本設計および詳細設計フェーズ

 基本設計(Basic Design)はF/Sで得られた「解決方法および代案について検討して,その中から成果が期待できる方法を選定し,設備機械それぞれの設計条件を最も目的に適合したものとした上で,各々の主要能力,主要寸法,個数および基本仕様を決定する。更に工場配置図(レイアウト),設備配置図等により相互の関連性を定め,干渉を排除する。このようなエンジニアリングが基本設計である。この基本設計によって,購入仕様書36),限界寸法図,系統図37),実行予算,工場別建設工程などが立案される」38)。こうした基本設計の成果物は基本設計集成 (Basic Engineering Design Package, BEDP) にまとめられる39)。鉄鋼業においてこの基本設計集成は基本設備計画と呼ばれる。基本設計をコンサルタントが行う場合でも,コンサルタントは発注者の合意のもとに業務を推進していくのが基本であることから,基本設計の成果が得られるまでにオーナーの技術的な理解を得ていることが前提である。この合意と理解を得る過程で基本設計に関わる技術(情報)の移転が行われている40)

 詳細設計 (Detail Design) は「基本設計に基づき製作図を作成することである。機械および部品は,すべての寸法,公差が定められ,また使用材料も決定される」41)。したがって,基本設計フェーズによって立案される購入仕様書,限界寸法図などの技術文書の存在を前提としているので,単一の設備で見た場合,基本設計が終わらないままに詳細設計を開始することは事実上できない。詳細設計においては,設備供給業者・建設請負業者と発注者・コンサルタントと設計打ち合わせ (Design meeting) を行うが,この場においては機械であれば,運転席の向き,ハンドルの取付位置,「表示は英語ではなくポルトガル語で」といったことを,土木建設であれば,水道の配管位置,排水処理方法などが議題となる。その上で,メーカー(設備供給業者)および建設請負業者は図面化―例えば機械設備の場合には機械製作図を作成することになる42)。こうした製作図を中心とした詳細設計の成果物は詳細設計集成 (Detail Engineering Design Package, DEDP) にまとめられる43)

 詳細設計の場合も基本的には基本設計と同じで,これをコンサルタントが行う場合でも,随時行われる発注者(オーナー)との打ち合わせにおけるやりとりと,発注者(オーナー)にも渡される基本設計の成果物である詳細設計集成 によって,詳細設計に関わる技術(情報)が移転される。

 ウジミナス建設における基本設計の開始時点は,日本ウジミナスが設立される1958年1月あるいは八幡製鐵,富士製鐵,日本鋼管(以下鉄鋼3社)の建設分担(図3)が決まる1958年4月44)と考えられる。最後に工事が開始された冷延工場の建屋加工鋼材の輸出契約がなされたのは1961年9月であるので45),その時点までに冷延工場(すなわち製鉄所全体)についての基本設計が終了していたとみることができる。主要設備基本設計は図3に見るように,基本的には鉄鋼3社によって行われた。

■■■図3■■■

 詳細設計は,鉄鋼3社と設備供給業者(メーカー)・建設請負業者によって行われることになっていたから,設備供給業者の決定(契約)以降となる。後述するようにウジミナスの機械設備は主に日本から買い付けることになっていたが,その国内買付業務は1959年10月より始まり,最初の機械設備輸出契約がなされたのは1960年4月であった46)。最後に工事が開始された冷延工場の工事(仮設工事)開始時点,すなわち1963年2月47)までには詳細設計は終了していたとみることができる。したがって詳細設計フェーズは1960年4月以降に始まり1963年2月までに終了したとみてよいだろう。詳細設計は図3に見るように,基本的には日本国内を中心とする設備供給業者(メーカー)によって行われ,これに対する設計製作中の技術的折衝,工程管理は鉄鋼3社が行った。

3 調達フェーズ

 調達フェーズは,基本設計で作成された調達要求書(購入仕様書)などの技術資料に基づいて引合書類を準備し,購買・(工場製作)・検査・輸送の各業務を経て購入機器・資材を建設現場へ搬入する一連の業務活動である。この活動の全期間を通じて納期確保を主な目的として随時エキスペダイティング(発注品の工程管理)が行われる48)

 したがって単一の設備で見た場合,調達フェーズの前半部分(購買)は調達要求書(購入仕様書)などの基本設計で作成される技術資料の存在を前提とする設備供給契約・発注を含み,これにより設備供給業者が決定されるので,設備供給業者が担う詳細設計フェーズの前提となる。一方で調達フェーズの後半部分(検査・輸送)は詳細設計フェーズを前提とする。調達フェーズの担い手は購買とエキスペダイティング,検査は発注者(オーナー)ないしコンサルタントによって行われる。輸送については契約によって異なるが,製鉄プラント建設に最も一般的なFOB+S/V契約では,設備供給業者が船積港までを担当し,これ以降が発注者(オーナー)ないしコンサルタントによって行われる。調達をコンサルタントが行う場合でも,コンサルタントはオーナーの了解を得て業務を推進する以上,その了解を得る過程で技術移転がなされるのは明らかである49)

 ウジミナスの場合,日本ウジミナスとの間の「株式会社ミナス・ジェライス製鉄所と日本ウジミナス株式会社との間における東京駐在買付委員会に関する協定」の締結・同買付委員会発足(1958年11月15日),「株式会社ミナス・ジェライス製鉄所と日本ウジミナス株式会社との間の機械および設備ならびに資材の購入,供給,引渡しおよび支払いに関する議定書」(1959年8月17日調印)が調達フェーズの始点と考えられる。この議定書ではウジミナスの機械設備は主として日本より日本ウジミナスを窓口として購入されることとなったが,日本ウジミナスからウジミナスに供給された機械設備はCIFベースで総額361億8492万6000円,契約件数は136件にのぼった。これら機械設備の国内買付業務は,1959年10月より1963年12月にいたる4年余にわたっておこなわれた。またその輸出は,1960年3月4日の第1回船積みより1965年8月17日の最終船積みまで延べ72船によって実施された50)。買付委員会を解消する代わりに1962年2月に設置され1967年5月には閉鎖された買付事務所の業務は最終船積み以降,交換部品の買付を行っていたに過ぎないので,主たる調達フェーズは1965年8月に終了していたとみることができる。したがって,調達フェーズは主として1959年8月から1965年8月まで行われたと考えられる。

 こうした調達フェーズは図3に見るように,購買についてはその中核をなす契約,発注を日本ウジミナスが,引き合いを日本ウジミナスと鉄鋼3社が共同で行い,その他を鉄鋼3社が行った。検査についてはウジミナスと鉄鋼3社が行い,輸送についてはFOB+S/V契約に基づき船積みまでは設備供給業者(メーカー)が,これ以降荷揚げ陸上輸送までは日本ウジミナスが担当した。

4 小括

 本章は,F/S,基本設計,詳細設計,調達の4フェーズにおいて「人を通した技術移転」が生じる業務がどの時点で行われ,何を前提として何の前提となって,誰によって誰に対して行われるのか,ウジミナスの場合はそれがどの時点で誰によって誰に対して行われたのかについて整理することが目的であった。以下,整理する。[]内がウジミナスの場合である。

 F/S[1956年から1957年7月まで]・基本設計[1958年前半から遅くとも1961年9月まで]・詳細設計[1960年4月以降に始まり遅くとも1963年2月まで]・調達[1959年8月から1965年8月まで]の各フェーズにおいては,コンサルタント[鉄鋼3社(ただしF/Sは日本鉄鋼連盟)]ないしメーカーから各種のやりとりによって発注者(オーナー)[ウジミナス]へ「人を通した技術移転」が生じる。これは,各フェーズにおける特定の技術文書作成の前提となる一方で,特定の技術文書の存在を前提とする。


V 製鉄所建設フェーズ:建設・操業準備

 前章において,F/S,基本設計,詳細設計,調達の4フェーズについて整理を行ったので本章では,製鉄所完成に至るまでの残るプロジェクトフェーズ,すなわち建設,操業準備の2フェーズについて整理する。

1 建設フェーズ

 建設は設計・調達の後続役務として,プロジェクトの目標物を具現化する活動であり,限られた制約された時間と費用の中で,設計・調達で残された問題を解決しながら,目標とする品質を実現しなければならない。建設の具体的な活動はいくつかの専門化された工事によって構成される51)。建設フェーズは,仮設工事,土木工事,建屋工事,架構工事,据付工事などを経て,「プラントを構成する機器および資材類が,設計図面および仕様に従って据付または組み立てられ,所定の静的な機械的性能を証明する個別の試験および検査が完了した状態」52)となるメカニカル・コンプリーションまでである。建設フェーズの初期に 行われる土木工事に含まれる基礎工事開始の時点で,据え付ける設備の重量や位置などがわかっていなければならないため,当該の工場・設備の基本設計・詳細設計とも完了していることになる53)。また,設備機器を建屋に搬入し据え付ける据付工事は,土木・建屋・架構工事で施工された基礎および架台が完成していることを前提とする一方で,配管・計装・電気工事などはこの据付工事が終了して初めて可能となるという関係にある。また当然のことながら土木・建設工事の際には建築用資材・重機などが,据付工事の際には当該設備機器が現地に到着していなければならないので,そうした調達フェーズが前提となる。

 最も一般的なFOB+S/V契約54)の場合,実際の土木工事や建屋工事,据付工事などの工事は現地の土木・建設・据付業者が行う。その際,機械設備の供給業者(メーカー)からの派遣者が据付指導にあたり,発注者(オーナー)およびそのコンサルタントも操業する立場から建設・据付工事に助言を与えるなど指導にあたる。その任務は「エンジニアリングの考え方を工事に反映させること,機械納入業者間の工事範囲のつなぎを明確にすること,全体工事工程,試運転工程を把握し推進すること」55)などである。

 したがって,このフェーズでは主として設備供給業者(メーカー)側とコンサルタント側双方から建設・据付のための指導要員が現地派遣されることになる。高林二郎によれば,プラントの建設工事には機械装置を据え付けるという重要な任務があるとし,プラントの機械装置には,高速回転,低速回転,往復動,重量物,耐高熱,耐粉塵,さらには煙突,高所塔槽類,計装・自動制御までさまざまなものがあり,その各々に専門化された据付上のノウハウがあると指摘する56)。こうした建設技術と据付技術が建設・据付指導を行うことによって相手側に移転されることになる。一方で,設備が据え付けられることによって,その設備に体化された技術情報が移転される。

 ウジミナス製鉄所の建設は,1958年4月13日に日本ウジミナスが製鉄所総合計画作成に関して協力方を鉄鋼3社に依頼したことに基づき,八幡製鐵が総合とりまとめ,製銑部門,圧延部門,付帯部門を担当し,富士製鐵が化工部門(コークスおよび副産物設備),日本鋼管が製鋼部門を担当した(図3)57)。ウジミナスの建設フェーズは森林の伐採,整地作業が開始された1958年58)から開始され,1965年10月の冷延工場の完成で終了したとみることができる。ただし,製鉄所を構成する各工場毎にみれば当然のことながら建設の期間は相異なっている(図4)。例えば,第1高炉は1959年9月に工事が開始されて1962年10月26日完成59),第1コークス工場は1959年9月に工事が開始されて1962年10月1日完成60)している。熱延工場は1963年7月1日に工事が開始されて1965年4月に完成している61)

■■■図4■■■

2 操業準備フェーズ

 操業準備フェーズでは,建設工事への操業する立場からの助言,作業標準,作業手順等の作成,生産関連計画(生産計画,生産諸元,工程管理など)の作成,操業のための要員採用と技術研修(教育訓練),資材と予備品の調達,試運転調整が行われる。F/Sが終了し,製鉄所建設の計画が決定された時点から建設グループと操業グループとが組織されて設備計画作成作業(基本設計)と操業準備作業が始まる。操業準備は設備計画と車の両輪の関係にあり,相互に緊密な連携の下に推進すべきものとされている62)

 要員の採用と技術研修・教育訓練について。機械メーカーが指定する工場あるいは操業技術協力者側の工場で,操業要員の訓練が行われる。訓練要員の人数は,設備あるいは作業の特性,スタートアップ後の生産の増大速度等から,1交代要員数,場合によっては更に多くの人数が選ばれる。訓練は,機械設備の単独無負荷試運転の開始時期までには終了して帰任し,実際の工場設備の試運転に立ち会いさせることが良策とされている。操業技術協力側の要員も,このフェーズにおける試運転の開始時に,工場現地に到着して指導を開始する63)。技術研修(教育訓練)と操業指導は,研修先(日本)における研修担当者,現地での操業指導者から研修生・訓練生(発注企業の従業員)への操業技術の移転が目標である。

 資材と予備品の調達とは,潤滑油や切断部分の刃や圧延ロールなどの消耗品といった操業準備品の手配と準備が行うことである64)。圧延機の圧延ロールはすぐに折れてしまうことがあり,そうならなくても例えばホットストリップミルのワークロールの場合,3週間で磨耗して交換しなければならない状態になってしまうので,予備ロールを3-4組用意しておかなければならない65)。この作業を発注者とコンサルタントで行う場合には,その際にコンサルタントから発注者への操業技術が移転されると考えられる。「人を通した技術移転」が生じるのである。

 試運転調整は,メカニカル・コンプリーションの後,設備供給業者(メーカー)の指示に基づいて始まる。その作業内容は,無負荷で試運転をし細部の調整(ネジの増締め,センサーの位置調整,潤滑状況の確認など)を行ったり,製品にはしない材料を使って負荷をかけた状態での様子を見る期間(負荷試運転)を行う。試運転期間中に当該プロセスで処理された材料が品質的に合格であれば,注文されたものでなくとも生産計上され,この時点が生産開始(Start-up)と見なされる。ここで注意しなければならないのは,試運転調整は生産開始時点(操業準備フェーズ終了時点)以降も続けられることが多いことである66)。この試運転調整には設備供給業者,発注者(オーナー),コンサルタントが立ち会うことになるので,その際に設備供給業者およびコンサルタントから発注者への操業技術が移転されると考えられる。試運転調整においても「人を通した技術移転」が生じるのである。

 以上のことからわかることは,操業指導は技術研修(教育訓練)と試運転調整を前提67)とし,技術研修(教育訓練)終了→試運転調整開始→操業指導という順序になることが想定されている。要員の採用は設備・作業の特性,生産開始後の生産の増大速度を踏まえた職制と定員の決定を前提とする一方,技術研修(教育訓練)の前提となる。試運転調整はメカニカル・コンプリーションが前提となる。予備品・資材の調達は詳細設計を前提とする。

 ウジミナスにおける操業準備フェーズは,最も早く見て1958年1月の日本ウジミナス設立の時点から始まったと見ることができる。1950年代末にはコークス,化成,焼結,高炉,製鋼,冶金管理,分塊,厚板,炉材を専門とする幹部候補のエンジニアが日本に派遣され,鉄鋼3社において技術研修が行われた68)。ただし,その操業準備フェーズが現地で本格化したのは,操業開始をほぼ1年後に迎える見通しがついた1961年4月に製鉄所職制が整備確定し69),同月に操業技術の井上誠氏グループ11名70)が,6月には操業事務の平孝純氏グループ12名71)が,大規模派遣グループの第1陣として現地に着任してからだろう72)。現地での要員訓練は要員採用が遅れたためスタートアップ前の半年から3ヶ月程度行われたと考えられる73)。なお,操業開始フェーズは終了時点は1965年10月の冷延工場稼働の時点である。ただし,操業指導については以降も続けられた。

3 小括

 本章は,建設,操業準備の2フェーズにおいて「人を通した技術移転」が生じる業務がどの時点で行われ,何を前提として何の前提となって,誰によって誰に対して行われるのか,ウジミナスの場合はそれがどの時点で誰によって誰に対して行われたのかについて整理することが目的であった。以下,整理する。[]内がウジミナスの場合である。

 建設フェーズ[1958年-1965年10月]。FOB+S/V契約の場合,現地の土木工事・建設工事においては,建設指導員(コンサルタント)[鉄鋼3社]から建設指導によって現地建設業者へ。据付工事においては,据付指導員(設備供給業者とコンサルタント[鉄鋼3社])から据付指導によって現地据付業者へ。こうした指導につきあうことでコンサルタント[鉄鋼3社]と設備供給業者から発注者(オーナー)[ウジミナス]へ「人を通した技術移転」が生じる。建設フェーズでは上流の基本設計と詳細設計および調達を前提とし,このフェーズに含まれる各種工事も据付工事を中心として定められた順序にしたがって行わなければならない。

 操業準備フェーズ[1958年-1965年10月]。作業標準などの技術文書作成作業,資材・予備品調達を共同で行うことによって操業指導者[鉄鋼3社から派遣された操業指導者]から操業要員[ウジミナスの操業要員]へ。製鉄所での技術研修・教育訓練において,研修・訓練担当者(コンサルタント)[鉄鋼3社]から研修生・訓練生(発注者の操業要員)へ。試運転調整ないしスタートアップ後および商業生産フェーズにおける操業指導において,操業指導者(コンサルタント)[鉄鋼3社]から操業実行者[ウジミナスの操業要員]へ。この操業準備フェーズにおける技術研修(教育訓練)と操業指導は,研修先(日本)における研修担当者,現地での操業指導者から研修生・訓練生(発注企業の従業員)への操業技術の移転が目標である。


VI むすびにかえて

 本稿の目的はウジミナス建設プロジェクトにおいて「人を通した技術移転」がどのような業務の下にどの時点で行われたのかを明らかにすることにあった。

 これまでに,IIにおいて鉄鋼業における「人を通した技術移転」は,製鉄設備エンジニアリング,技術研修を含む操業・整備指導,操業・設備診断,操業要員の訓練と据付指導員の派遣,ノウハウ提供のための操業指導によって生じると整理した上で,IIIにおいてフェーズ区分(業務形態分類)した製鉄所(ウジミナス)建設プロジェクトについて,IV・Vにおいて各フェーズ毎に検討を加えてフェーズに含まれる業務内容を整理しながら,ウジミナスにおける各フェーズにあたる期間を明らかにするとともに,「人を通した技術移転」が生じる業務の位置を確認してきた。

 この結果,以下の点が明らかとなった。各フェーズとそれを構成する各業務は一方ではオーバーラップしながら,他方では前後関係を有している。しかも「人を通した技術移転」が生じる業務は,機械設備あるいは(および)技術文書を前提としている。そうした関係にある「人を通した技術移転」が生じる業務は,全てのフェーズにおいて存在しているが,技術移転の3形態のうち最も「人を通した技術移転」が生じると見られる指導的・教育的業務である建設指導,据付指導,操業指導,技術研修(教育訓練)は建設および操業準備のフェーズに含まれる。

 こうして見てくると,関係するドキュメント化された技術情報の移転や機械設備に体化された技術情報の移転が生じる業務に支障がでれば「人を通した技術移転」が困難になるだろうし,上流のフェーズ・業務における遅延が下流のフェーズ・業務における遅延に繋がり,それが「人を通した技術移転」を遅らせることになると考えられる。

 では,こうした製鉄所建設プロジェクトにおける各フェーズ・各業務間の密接性と技術移転形態の相互随伴性は,日本企業の海外進出の黎明期に,しかも極限状況下で進められたウジミナス建設プロジェクトにどのような影響を与えたのだろうか。建設フェーズにおける建設指導,据付指導,操業準備フェーズにおける操業指導,技術研修(教育訓練)といった「人を通した技術移転」が生じる業務は,ウジミナスにおいてはどのような困難を抱えながら,どのような方法と内容でもって遂行されたのか。とりわけ林が重視する日本での技術研修はどのようなものであったのか。次稿の課題である。

※本稿は,日本学術振興会科学研究費補助金(奨励研究A)を受けた「製造技術と技術研修・OJTに着目した日本鉄鋼業の技術移転システム研究」(課題番号12780004),および平成10年度関西大学学部共同研究費の助成を受けた研究の成果の一部である。


1) 本稿が依拠する聞き取り調査に快く応じていただいた元新日本製鐵技術協力事業部K氏,貴重な資料を提供していただいた日本ウジミナス事務局長U氏の協力なくして本稿はなかった。記して感謝したい。
 本稿は,2001年11月から2002年3月にかけて行った元新日鐵技術協力事業部K氏からの聞き取り調査の結果に基づいている。そのため事実関係についてK氏による草稿のチェックを受けた。ただし,本稿の内容に対する一切の責任は筆者にある。
2) 長谷川伸「政府系三大製鉄所体制とブラジル・モデル」『研究年報経済学』第55巻第1号,1993年。「政府系鉄鋼企業の経営危機と輸出志向」『研究年報経済学』第56巻第2号,1994年。「ブラジル鉄鋼業の生産構造」『ラテン・アメリカ論集』第24巻,1994年。「ブラジルにおける鉄鉱資源と鉄鋼生産技術」『研究年報経済学』第57巻第3号,1995年。
3) 「技術移転」とは何か。「実は技術移転の研究は20年前と比べて特に目新しい変化を遂げているわけではない。その訴えるフィーリングとは逆に,地道な実証的研究の積み重ねだけがこの研究に必要な方法論である,という昔と変わらない結論しか出し得ない」(小林達也「展望:技術移転研究」『科学史研究II』第29巻,1990年,129頁)。このことは10年以上経った現在でも同様である。そうである以上,小林に従って技術移転(Technology Transfer)とは「技術の場所的用途的移行と環境への適用現象」と簡単に定義しておいて事例研究を積み重ねることを通じて「技術移転」「技術」を再定義していくことが重要である(小林達也「テクノロジー・トランスファー・その研究動向と展望」『科学史研究II』第2巻,1972年,237頁)。我々は当面,「技術」「技術移転」と鉄鋼業において呼ばれているものが技術,技術移転であるとしておく。
 では何をもって「技術移転」が成功したと見るか。抽象的には,ある特定の社会的文脈の中に埋め込まれた技術が,別の社会的文脈に移植されて定着しえたことをもって技術移転の成功と見なしうる。これを製鉄プラント建設に引きつけて具体的に考えれば,生産開始後,派遣された操業指導者が引き上げた後においても製鉄所の安定操業が一定期間維持できていることをもって技術移転が成功したとみなすことができよう。

4) 「ブラジルで,しばしば私は聞かされたことでありますが,ブラジルにはずいぶんとアメリカとかいろんな国が技術移転をした。で,結局何も残らなかった。日本人は腰を落ちつけて長いこと付き合ってくれて,ついにおらが技術が出来上がった。この,ついにおらが技術が出来上がるまでにどれくらいの時間がかかるのだろうというと,だいたい30年ぐらいかかっています。これはブラジルだけではありません」(冨浦梓「鉄鋼業の海外への技術移転」日本鉄鋼協会学会部門社会鉄鋼工学部会『鉄鋼の技術と社会動態―海外への技術移転はどのように行われたか―(社会鉄鋼工学部会1996年度春季シンポジウム論文集)』日本鉄鋼協会,1997年,12頁)。
5) Usinas Siderurgicas de Minas Gerais, あえて訳すならば「ミナス・ジェライス製鉄所」となる。
6) 米山喜久治『適正技術の開発と移転―マレーシア鉄鋼業の創設』文眞堂,1990年,43頁。
7) 日本ウジミナス,第1部58-65頁。なお,ウジミナスについては日本の国家プロジェクトとしての位置づけもあった関係から,投資会社として日本ウジミナスを海外経済協力基金,鉄鋼メーカーやプラントメーカーの出資によって設立し,この日本ウジミナスがウジミナスに対して出資をする形をとっている。後述する鉄鋼メーカーによる技術協力は,この日本ウジミナスからの協力要請に基づくものである(日本ウジミナス,1969年,第2部第1章)。
8) 「ウジミナス小史」(ウジミナス回想録編集グループ(編)『ウジミナス回想録』1997年)。中川靖造『ウジミナス物語―ブラジルに製鉄所を築いた男たちの記録―』産業能率短期大学出版部,1974年。
9) 「当時,八幡製鐵が戸畑,光,堺に,富士製鉄は中京地区に,日本鋼管は水江に,それぞれ新製鉄所建設,もしくは拡張工事を進めていた。したがって各社とも人手不足の状態にあり,ウジミナス建設のための計画策定に対する協力や職員を出向させることは,並々ならぬ負担であった」(日本ウジミナス,1969年,第2部103頁)。
10) 「人を通した技術移転」と「人から人への技術移転」はいずれも同じものを指している。ただし「人を通した」と言った場合,人が技術情報媒体となっている(したがって他の媒体を想定している)ことに着目した表現である一方で,「人から人へ」との表現は人が技術移転の経路(発信者と受信者)となっていることに着目した表現である。本稿では,技術情報媒体としての人という視点を重視するので,以後これを「人を通した技術移転」とする。
11) このことは,ウジミナス建設当時の1961年から1964年にかけて鋼片課長として派遣された湯元馨の発言からもわかる。「あの工事は,鉄鋼3社のほか,三菱重工,石川島重工,住友機械,東芝,日立など日本の超一流メーカーの技術があらゆるところでいかされている。そのため向こうの業者や技術者にとって物すごく勉強になったはずです。だが,日本人は人が好すぎるという見方もあった。アメリカも国立製鉄所の技術指導をやっていたが,実際にやっていたのは機械を動かすことだけで,品質面とか管理面,施工上の秘密など全然教えていない。ところが,われわれは製鉄業のイロハから高度な技術まで,それこそ持っている知識を全部教えてきた。おかげで帰るころには何も教えることがなくなってしまった。ヨーロッパのある業者など“これだけ丁寧に教えるのは日本だけじゃないか”と目を丸くして驚いていましたよ」(中川靖造,186-187頁)。
12) K氏によれば,ウジミナスはブラジルの公的な工業系職業訓練機関SENAIと同様の役割を果たしている,として「ウジミナス学校」と半ば揶揄されていたという。K氏は同業他社コジッパ(Cosipa - Cia. Siderurgica Paulista) の現地のスタッフからこの言葉を聞いたという。製鉄所のあるイパチンガは当時生活環境が整っておらず,大都会の生活に慣れた人々には厳しかったからでもあったろうし,給与条件も離職の一つの理由であったと思われる。入社して2-3年で別の企業に転職する例はかなり頻繁に見られ,1960年代前半に全従業員12,000-13,000名のうち1,000名規模で離職していった。離職する者はオペレータに多く,地元出身者には少なかった。ウジミナスで身につけた知識・スキル(例えば電気や鋳物)は製鉄所以外でも生かせるので,転職先は製鉄所に限られていたわけではなかった。ただし,ウジミナスがブラジルにおいて特段に離職率が高いわけではない。例えば1970年代においてコジッパよりもウジミナスの方が離職率は低い。にもかかわらず,ウジミナスが「学校」と呼ばれていたのは,ウジミナス退職者が産業界で仕事するための「しつけがされている」(いわゆる5Sができている)からであろう。実際にK氏は,ウジミナス退職者は「しつけがされている」とコジッパから聞いている(元新日鐵技術協力事業部K氏,2002年2月12日)。
13) 「セメントプラントの場合現地に引き渡しますと,彼らで何とかできます。マレーシアのセメントだとか,インドネシアだとか,いろいろ私ども入れておりますけれども現地だけでやっています。しかし,製鉄プラントの場合,私どもカタールでジョイントベンチャーをやったり,エジプトで日本鋼管さんと今やっているものだとか,メキシコの鋳鍛鋼プラント,こういう製鉄プラントはどちらかと言いますと,設備を納めるだけではノウハウが移転しなくて,操業指導が非常に大きく,大げさに言えば半分以上を占めておりまして,それも数年にわたって操業指導が行われております。従ってカタールの場合も,数年を経て人間が減っていくという状況なもんですから,これはプラントサプライヤーとしてもどうしても会社としてはやらなければならないサービスなのです」(1992年9月25日,海外派遣経験者座談会での薮中芳夫(神戸製鋼機械エンジニアリング事業本部次長)の発言,海外職業訓練協会(編)『財団法人海外職業訓練協会10年史』1992年,85頁)。
14) 日本ウジミナス「ウジミナスにおける日系人(日本企業,派遣員を含む)の関わり」1997年,4頁。
15) 林倬史「東アジアの技術蓄積と日本的技術移転システム」林倬史・陳炳富『アジアの技術発展と技術移転』文眞堂,1995年,43-73頁。
16) 林は技術移転の「形態」を,技術情報を運ぶ「媒体」(medium)に着目して分類している。
17) エンジニアリングプロジェクト・マネジメント用語研究会(編)『エンジニアリングプロジェクト・マネジメント用語辞典』重化学工業通信社,1986年,3頁。
18) 新日本製鐵エンジニアリング事業本部『エンジニアリング事業20年の歩み』新日本製鐵,1994年,19頁。
19) 元新日鐵技術協力事業部K氏,2001年12月17日。新日本製鐵エンジニアリング事業部,前掲書の67頁には「ソフト(技術協力契約)」「ハード(プラント供与契約)」と言う表現が見られる。
20) 樫渕隆「途上国に対する技術移転の特色」『事例研究―途上国への技術移転で留意すべき問題点考察』ニホンブレーン,1985年,8頁。
21) 樫渕隆「途上国に対する技術移転の特色」,8-9頁。
22) 元新日鐵技術協力事業部K氏,2001年12月8日。
23) エンジニアリングプロジェクト・マネジメント用語研究会,23頁。
24) エンジニアリングプロジェクト・マネジメント用語研究会,26-27頁。
25) エンジニアリングプロジェクト・マネジメント用語研究会,28頁。
26) 高林二郎「プラント建設からみた後発国技術形成―ビルマとインドネシアの比較を通して」『国際研究論叢』第14巻特別号,2001年,211-230頁。
27) 十名直喜『鉄鋼生産システム―資源,技術,技能の日本型諸相』同文舘,1996年,3-4頁。
28) エンジニアリングプロジェクト・マネジメント用語研究会,28頁。
29) 日本鉄鋼業において「業務形態」という表現が使われていることは,元新日鐵技術協力事業部K氏(2002年2月25日)による。
30) 古川九州男・田中正文・榊豊和「川鉄の海外エンジニアリングにおける歴史と特色」『川崎製鉄技報』第28巻第3号,1996年,129頁。
31) エンジニアリングプロジェクト・マネジメント用語研究会,74頁。
32) この技術的F/Sは,C/S(Conceptual Study)とも呼ばれている(元新日鐵技術協力事業部K氏,2001年12月8日)。
33) 樫渕隆「途上国が望む技術移転」『事例研究―途上国への技術移転で留意すべき問題点考察』ニホンブレーン,1985年,17-18頁。
34) 日本ウジミナス,1969年,第1部4-42頁。
35) ただし,この報告書はF/Sレポートとしてみると不十分なものであった(元新日鐵技術協力事業部K氏,2002年2月25日)。
36) 購入仕様書とは調達要求書とも呼ばれ,機器の仕様書・図面ならびに標準化されて別の名称を与えられた文書を除き,これらに記載されていない事項であって,プロジェクト発生の都度,そのプロジェクト固有の事情に併せて作成しなければならない買付条件(方針)を明示する文書である(エンジニアリングプロジェクト・マネジメント用語研究会,312頁)。
37) 設備構成・製造プロセス・作業手順などを図式で表現したもの(エンジニアリングプロジェクト・マネジメント用語研究会,297頁)。
38) 樫渕隆「途上国が望む技術移転」,21頁。
39) エンジニアリングプロジェクト・マネジメント用語研究会,297頁。
40) 元新日鐵技術協力事業部K氏,2002年3月2日。
41) 樫渕隆「途上国が望む技術移転」,21頁。
42) 元新日鐵技術協力事業部K氏,2001年12月8日。
43) エンジニアリングプロジェクト・マネジメント用語研究会,301頁。
44) 日本ウジミナス,1969年,第2部104-105頁。
45) 日本ウジミナス,1969年,資料編38頁。
46) 日本ウジミナス,1969年,資料編35頁。
47) 「建設関係工事概況1963年2月分」『時報いぱちんが』第33号,1963年3月10日付,4頁。
48) エンジニアリングプロジェクト・マネジメント用語研究会,307-308頁。
49) 元新日鐵技術協力事業部K氏,2002年3月2日。
50) 日本ウジミナス,1969年,第2部196頁。
51) エンジニアリングプロジェクト・マネジメント用語研究会,338頁。
52) エンジニアリングプロジェクト・マネジメント用語研究会,352-353頁。
53) 元新日鐵技術協力事業部K氏,2002年2月12日。
54) 製鉄プラント輸出契約の形態としては,FOB + S/V契約が最も多い。この契約形態は,サプライヤーが機械設備の据付まで責任を持つ。具体的には,サプライヤーが渡す設計諸元に基づいて発注者が機械の基礎工事と建屋の基礎工事・設計・資材の調達を行う。一方でサプライヤーは据付指導員を現地に派遣して,必要であれば工事のやり直しをさせる(設計諸元の誤りに基づくものはサプライヤーがコストを負担する)。次に多いのがターンキー契約で,これはスイッチを入れれば稼働する段階までサプライヤーが責任をもつ。ただし,この場合には建屋及び基礎の設計ノウハウが移転されないことに注意しておく必要がある(元新日鐵技術協力事業部K氏,2002年1月28日)。
55) 樫渕隆「途上国が望む技術移転」,25頁。
56) 高林二郎,215頁。
57) 日本ウジミナス,1969年,第2部104-105頁。
58) 日本ウジミナス,1969年,第1部45頁。
59) ウジミナス回想録編集グループ,27頁。日本ウジミナス,1969年,45頁。
60) 日本ウジミナス,1969年,第1部45頁。
61) 保永定雄「ホット・ストリップ・ミルの試圧延を迎えて」『時報いぱちんが』第48号,1965年9月30日付,2-3頁。
62) 元新日鐵技術協力事業部K氏,2002年1月28日及び2002年2月12日。ウジミナス回想録編集グループ,28頁。
63) 樫渕隆「途上国が望む技術移転」,22頁。
64) 元新日鐵技術協力事業部K氏,2001年11月26日。
65) 元新日鐵技術協力事業部K氏,2002年1月28日。
66) 元新日鐵技術協力事業部K氏,2002年1月28日。なお,試運転調整は機械設備が発注者に引き渡される時点,すなわちFAT (Final Acceptance Test) に合格する時点まで続く。FATにおいて設備供給業者(メーカー)から派遣される据付指導員は「性能保証」を行う(システム全体としての機能について設備供給契約に定められた条件を満たす)ことが必要である(元新日鐵技術協力事業部K氏,2001年11月26日)。
67) ここで,技術研修(教育訓練)が操業指導の前提としているのは新規プラントの立ち上げ時の場合であって常に前提されていると言うことではない。それ以外の場合には,技術研修のみや操業指導のみの技術協力契約もありうる。
68) 小林謙二,139頁。元新日鐵技術協力事業部K氏,2002年1月28日。
69) 日本ウジミナス,1969年,第2部265頁。
70) 「新派遣員着任」『時報いぱちんが』第11号,1961年4月10日付,3頁。
71) 「新派遣員続々着任」『時報いぱちんが』第14号,1961年7月10日付,4頁。
72) 元新日鐵技術協力事業部K氏,2002年2月12日。ウジミナス回想録編集グループ,27頁。
73) 小林謙二,141-144頁。岡村義孝「厚板工場でのあけくれ」『時報いぱちんが』第27号,1962年8月10日付,3頁。中川靖造,138-139頁。


Author: Shin Hasegawa
E-mail: shin@ipcku.kansai-u.ac.jp
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