テクノセンターの歩み(増補版)*
(2001年3月現在)
1987年2月8日 | 異業種交流会八日会発足(8社)。 |
1991年1月 | 八日会(80社)の席で零細小日系企業向けの工業団地を中国に建設する構想を発表。賛同を得て代表幹事3名にて計画書作成。 |
1991年3月 | 『日本工業新聞』に「深セン近郊で工場アパート」の記事。記事の翌日JETROを始め日本各地からの問い合わせ受ける。 |
1992年7月 | 予定から半年遅れで深セン市龍崗区布吉鎮水経上八約華興工業区に工場(4,440m2)を借り,入居企業5社で操業開始。 |
1993年2月 | 入居希望が殺到したため,隣接する工場(4,440m2)を借り増し,更に6社入居。 |
1994年5月 | 最初に入居した企業(自動車用アクセサリ製造)が卒業し近くの工場に移転。大手企業が人材育成と工場運営を学ぶため,自社工場立ち上げまでの半年限定で入居。 |
1994年10月 | 入居希望が多く,3棟目(4,440m2)を借り増し,5社入居合計16社となる。現状では入居希望に応えられないために,テクノセンターから5kmほど離れた場所(深セン市龍崗区布吉鎮下李瀾萬事達工場区)に工場を借り増し,名称を第2テクノセンターとし,最初に稼働した場所を第1テクノセンターとする。第2テクノセンターは総面積16,000m2,5社にてスタート。 |
1995年2月
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初期目標であった自社工場ビル建設の計画に着手。名称を第3テクノセンターとする。場所は同じ深セン市で第1テクノセンターから15kmほど内陸に入った宝安区觀瀾鎮桂花村。土地面積第1期80,000m2―3工場棟5,000名,第2期80,000m2―4工場5,000名規模を予定。 1994年5月に入居した大手企業が予定を半年延長し卒業,近くで工場稼働。 |
1995年8月 | 第1,第2に入居している各企業から拡大要求が強くなるもスペースに余裕なし。やむなく,第3テクノセンター建設前に隣接地にある空工場の借り増しを決定,名称を第2.5テクノセンターとして半年後の稼働を目標にスタート。 |
1996年3月 | 第1テクノセンターの4社卒業,転出後に3社入居,残る空きスペースは稼働中の企業の工場拡大にあてられる。 |
1996年5月 | 第2.5テクノセンター稼働,テクノセンター総計23社,3,500人となる(土地面積:25,000m2,工場面積:13,500m2)。 |
1998年5月 | 第3テクノセンター工場着工(第1棟) |
1999年6月 | 第3テクノセンター第1棟完成(22,000m2)3社入居で稼働開始,従業員1,500名。 |
2000年3月 | 第3テクノセンターヤマウチ工場着工,2001年1月稼働。 |
2000年9月 | 第3テクノセンター第2棟着工。 |
2001年1月 | 第3テクノセンターヤマウチ工場完成,第2.5から移転し操業開始。 |
2001年3月 | 第2テクノセンターを返却(入居企業が現状のままで独立)。 |
2001年6月 | (予定)第3テクノセンター第2棟完成(12,000m2),第2.5から1社移転。 |
2003年末
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(予定)第1テクノセンターを第2.5,第3テクノセンターに集結させ,香港株式市場上場。 |
2001年3月
現在 |
第1,第2.5,第3を合わせて28社が稼働,従業員4,800名。 八日会加入企業150社,毎月の参加者80-100名。 |
*註:この文書は,2001年3月13日大阪で行われたジェトロ講演会 「中国珠江デルタ最新事情」で配付されたもので,テクノセンターの許可を得て若干修正・増補しデジタル化したものです(長谷川)。