は る
敬語は自分と相手との間合いをとるような働きをもつ。使いそこねると、間が近すぎればなれなれしいし、逆に、間が遠すぎれば敬遠しているようにもきこえる。そこがむずかしい。
フェルメールの展覧会、行かれましたか?
フェルメールの展覧会、いらっしゃいましたか?
フェルメールの展覧会、お出かけになりましたか?
フェルメールの展覧会、お出ましあそばしましたか?
フェルメールの展覧会、御出駕あらせられたまひしか?
最も軽便なのは助動詞「る」「らる」だけですます言い回しだが、お手軽だけにいかにも敬意を倹約したようにもきこえる場合もあるだろう。「いかれましたか」では、相手の精神状態の安否を気遣っているようにきこえないわけでもない。また、「る」「らる」とも意味が多様だから、受身や可能に聞きまちがえられる場合もあるかもしれない。かといって、はっきりと尊敬語としてのみ使われる別の動詞を用いると仰仰しくなりすぎる懸念もある。
そういう場合に、関西では、「はる」という便利な尊敬の助動詞が使われる。このひとつのことばで、多くのケースをカヴァーできるようだ。もちろん、「はる」ひとつですべてのケースをカヴァーできるとまではいかない。もともと、敬語は関係の親疎に応じてことばを使い分けようという意識から使うのだから、親疎の段階をさらに細分化しようという志向もまた働いてくるので、「はる」ではカヴァーできないいっそう程度の高い尊敬表現も要求されるからである。けれども、「はる」と他の表現を併用することで少しは細分化することもできる。
例文1 フェルメールの展覧会、行かはりましたか?
例文2 フェルメールの展覧会、行かはった?
例文1なら、やや目上の、あるいは、さほど親しくない相手にも使えるし、例文2なら、敬意をこめながらも同僚・友人づきあいのなかにおさまる軽い言いまわしである。
はじめて関西のことばに接したころ、私には、関西のひとは概して声の調子が高いように感じられた。
例文3 いっしょに来てくれはらへんやろか。
こういう文を早口でいわれると、いくつもの母音(アイウエオすべてが使われていることに注意)が続けざまに発音されて、あたかも、万華鏡のなかの細かな色紙の紙片を目のまえにちりばめられたかのようなおもむきである。
ところで、「はる」が「なはる」に、さらには「なさる」に由来することは明きらかなのだが、さて、そうだとすると、もとは動詞、用言なのだから、連用形に接続したはずである。実際、「なはる」は連用形に接続する。
例文4 鯵の二杯酢わては嫌いや云うのんに、僕好きやよってに拵えてほしい云いなはったやろ。(谷崎潤一郎『猫と庄造と二人の女』新潮文庫、一六頁)
しかし、「はる」は例文1のように未然形に接続する。例文1は五段活用動詞「行く」だが、五段活用動詞の未然形活用語尾の母音は「ア」である。「はる」が未然形に接続するのは、「なはる」の「な」がとれたかわりになお、「はる」の上に母音「ア」を要求したい気持ちからではないかと思われる。もちろん、上一段活用動詞や下一段活用動詞では、語尾の母音が「ア」になることはない。そういう場合には、「はる」は「イ」なり「エ」なりの音に接続する。けれども、カ行変格活用動詞では、連用形と「はる」のあいだに「や」を入れて「きやはる」とする。依然として、「はる」が接続する母音を「ア」に保とうとする力がはたらくのである。サ行変格活用動詞でも同様である(「しやはる」)。また、一段活用動詞で一音節の動詞に接続するときにも、「や」を入れる(「居やはる」)。この「や」はどうみても間投助詞だろうが、特有の語意(たとえば、感動)があるとも思われない。まったく語調を整えるために入れられるのだろう。
「はる」の活用表を書くとこうである。
未然形 |
連用形 |
終止形 |
連体形 |
仮定形 |
命令形 |
はら |
はり はっ |
はる |
はる |
はれ(?) |
はれ(?) |
仮定形と命令形に疑問符をつけたのは、実際に、その活用形が使われているか、心もとないからだ。
命令形はもしかすると欠けている。それでは、「何々なさい」といいたいときにはどうするか。「なはる」という(語源は同じだが)別の助動詞の命令形「なはれ」を用いるだろう。
例文5 はよ、行かはれ。(?) はよ、行きなはれ。(○)
仮定形については、おそらく、次の例文のような表現であれば、使われても違和感なくききとれるように思う。
例文6 フェルメールの展覧会、よかったわぁ。青い布を髪に巻いた女の子、ほんま、愛らしうて、あどけのぉて。まだ、みてはらへんのん? 今度の休みにでも、行かはればええのに。
しかし、いっそう自然なのは、次の表現であろう。
例文7 今度の休みにでも、行かはったらええのに。
なぜ、「行かはれば」よりも「行かはったら」のほうが好まれるのだろうか。
まったくの推測だが、「ば」よりも「たら」のほうがいっそう口語的であり、(「なさる」からくずれたかたちの「なはる」がさらにくずれてできた)「はる」とよく調和するからではあるまいか。「ば」は、文語では、未然形に接続するときには仮定条件、已然形に接続するときには確定条件をあらわした。完了の助動詞「たり」の未然形に「ば」がつけば、「たらば」である。その「たらば」から、「ば」がはずれて「たら」だけで独立して使われるようになり、仮定条件をあらわす口語の助動詞「た」の仮定形「たら」ができあがったわけである。だから、「はる」には「たら」がよく似合う。
万一、この説明が当を得ているとすれば、ひとつのことばがなにげなく使われる際にも、なんと微妙に歴史的な経緯が意識されているものか。うたた感慨に堪えない。
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