「音楽喫茶」なるもの
大学生のころ、よく「音楽喫茶」に通った。
「音楽喫茶」なるもの、今ではめったにみかけない。この商売が成り立つには、いくつかの条件がそろっていることが必要なのだろう。すなわち、@ステレオ・コンポが高価すぎて学生の手には届かない。A届いても機械が大きすぎて狭い下宿に置くことができない。B置いても下宿の壁がうすいために思う存分の音量で聴くことができない、などなど。
私の学生時代は一九七〇年代の後半から八〇年代にかけて、ステレオ・ラジカセが出まわっており、そろそろ条件@がほりくずされていたころである。すでに音楽喫茶は衰微しつつあった。就職してから
CD用の小型のステレオを買い、その明澄な音質におどろいた覚えがある。さらに、CDだ、MDだ、DVDだとすすんできて、今、なにも音楽を聴くために喫茶店に行くまでもあるまい。音楽喫茶をみかけないのも無理はない。
R
(出町柳)私がよく通ったのは、京都の出町柳の
Rという店である。客の椅子はみな一方向を向いていて旅客機の機内を思わせる。三四十人は入れたろうか。席が向かい合わせではないと、話ができにくい、って? 話をしてはいけないのです。音楽を聴くために、みなさん、来ているのだから。客の視線のむく先、店の奥には、だいたい一メートルほどの高さだったろうか、スピーカーが二台。スピーカーのまえには、黒いレースのカーテンが天井から垂れている。スピーカーは、二〇センチくらいの高さの教壇のような台のうえに鎮座ましましている。スピーカーを台にのせるのは、椅子にすわっている客の耳の位置に合わせるためだろうし、レースのカーテンは、ほこりよけのためであったろう。しかし、なんだか御簾越しに玉音を拝聴するかのごときけはいも感じられる。コーヒー一杯の値段は高いが、追い立てをくらうことはなく、一時間も二時間も、本を読んだり、あるいは、勉強したり、あるいは、ひたすら音楽に耳を傾けたりするのである。本を読み、勉強するには、大学の図書館があり、学科の閲覧室があった。だが、そういうところに長くいると気分転換したくなり、ふらふらと街に出て音楽喫茶に入り込む。
「
Rのスピーカーは音がこもる癖がある」というのが定評で、そういう音質、床を震わすような音量でブラームスの交響曲第一番を聴いたりする。それはあまりけっこうな音楽環境ではなかったかもしれないが、それでもその聴いたときの感動をとりけすわけにもいかない。テレビ番組のなかで敗戦後のニュース映画を放映するのをみていたら、焼け跡の東京を映し出す場面に、ブラームスの交響曲第一番の出だしの部分が使われていた。だれが選曲したのか、あの旋律の重さ、悲壮感から選ばれたにちがいない。選曲は客のリクエストによる。まえの客がマーラーやブルックナーの大曲をかけるとなかなか自分の望んだ曲にならない。それでも辛抱強く待っている。どうも、
Rでは、曲によっては「場違い」という印象をもっていたようだ。レコードの準備をしているアルバイトが、「次は何だい? シューベルトのアルペジョーネ・ソナタ? だれだ? こんなの、リクエストしたのは」とつぶやいているのが耳に入って、おやおやと思ったことがある。リクエストしたのは私だったからだ。そのころ、ゲーリー・カーがコントラバスで演奏するその曲をくりかえし聴いていたのだった。たしかに、音楽喫茶で聴くには向き、不向きがあるようで、つまりは、先に記した条件Bからすれば、ある程度の音量で聴きたい曲が音楽喫茶向きということになろう。私の好む曲のなかには、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ三二番やブラームスのクラリネット五重奏曲ロ短調などがあるが、どちらかといえば、そうした静かな曲を音楽喫茶で聴く気にはあまりなれなかった。一方、楽器の構成がヴァイオリンとピアノだけでも、オイストラフが演奏しているフランクのヴァイオリン・ソナタを
Rで豊かな音量で聴いたときには、その旋律に体ごとひきずりまわされるような心地になったものである。
S
(岡崎)岡崎には
Sという店があった。プラタナスの並木のある通りに面して、窓が大きく、瀟洒な造りだったが、「喫茶室ではお話はできません」とドアに記している。その貼り紙をみて帰っていった客もいた。ここは十人あまりくらいしか入れそうもなかったが、やはり椅子は一方向を向いていて、その先にはスピーカーがあり、あいだにルノワールのイレーヌ・カエン・ダンヴェールがかかっている。ひとによっては、音楽喫茶? うへっ!
ルノワール? てへっ!
イレーヌ・カエン・ダンヴェールって、あの横向きの美少女の肖像かい? しひょー!
とでも反発するかもしれないが、鼻もちならない芸術談義や文学論や哲学もどきを声高に語る学生がいるような雰囲気を想像してはまちがいである。なにせ、店内では、だれもことばを発しない。静かなものだ――流れている音楽は別として。
Sでは、女主人がレコードをかけるまえに、曲名、指揮者、演奏者をアナウンスした。「こほん」。まず咳払い。「次のリクエスト、モォツァルト作曲、ピアノ協奏曲第二十七番、ピアノはマウリツォ・ポルリーニ・・・・・・」。すこし鼻にかかった高い声で、ところどころ語尾といっしょに息がもれる。ああいう発声法をこのごろあまり耳にしないが、小津安二郎監督の映画などに登場する女優、たとえば、原節子などの発声法である。この店では、前日に
FM放送ではじめて知ったラフマニノフのピアノ協奏曲の第二番をリクエストしたのを覚えている。「長いですよ」といわれて、そういえば九時閉店だったと気づいたが、かけてくれた。聴きながら、この曲を聴くにはある程度の音量が要るとあらためて思った。感に堪えた。曲が終わったら、九時を十分ほどまわっていた。この店は、しかし、私が大学を出るまえにつぶれてしまった。
G
(銀閣寺道)銀閣寺道には
Gという店があった。ここはRやSほど禁欲的ではない。ごくふつうの向かい合わせの座席を配しており、「小声のお話ならかまいません」という貼り紙があった。しかし、この貼り紙はどうも店を切り盛りしている奥さんのためにあったように思える。というのも、あまり客数も多くなく、客がいたところで――私もそうであったように――たいていはひとりで本を読んでいたからである。ところが、客のなかには奥さんの知り合いの女性も来るようで、そうするとこんな会話がかわされる。それで、あんた、黙って帰ってきたのん?
ううん、あんまりやさかいな――
そら、そうや。思い切って、言うたり!
そやけど、うち、泣いてしもたんや・・・・・
そうした切れ切れの会話のうしろで、モーツァルトの弦楽四重奏曲十五番がながれている。
ちなみに、ここは「音楽喫茶」ではなく、「名曲喫茶」と名乗っていたのではなかったかしら? 違いがあるわけでもなかろうが、だいたい、「名曲喫茶」というほうは、客の選曲ではなく、店が
BGMとしてクラシック音楽を流しているところが多かったようだ。一部、口やかましい聴き手にとっては、曲はつねに「だれそれの何々」という固有名詞をもっていて、一般に「名曲」なるものはない、といいたいところだろう。
にわか指揮者
知人から聞いた話だが、そのひとの入った音楽喫茶には、スピーカーのまえ、最前列の席にすわって、タクトを振っている客がいたそうだ。タクト持参で来店していたのである。この場合、タクトに合わせて曲が演奏されるのではなく、演奏に合わせてタクトが振られる。
見てて、おかしくありませんでしたか?
ふき出しそうだった。でも、ふき出したら、みんな振り返ってこちらをみるだろうから、椅子につくなり目をつぶって、一所懸命、ほかのことを考えた。
しかし、その客はタクトを振りながら三昧の境地に入っていたにちがいない。
別の友人の話だが、彼は自室でステレオにむかってタクトをふる。そして、ときに「チェロ、出が遅い! やりなおし!」などとさけんで(チェリストの方、気を悪くなさらずに。ここで、出が遅いのがチェロなのは、宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」の影響だと思います)、もう一度、曲のはじめからかけなおす。録音だから先ほどと同じはずだが、今度は「うまくいった」という思い入れでタクトをふりつづける。それでストレス解消を図るという話だった。
焼け残りの看板(西条)
一九九三年、広島大学に赴任した。広島大学の最寄りの駅は山陽本線西条。その西条駅のプラットフォームから「音楽喫茶」の看板をみつけた。けれども、どうやら、火事にあったらしくみえる。看板のかかっている二階の屋根には、青いビニール・シートがかかっていて、その陰からところどころ焦げついた柱がのぞいている。なんとなく営業しているようには思われない。こちらも、学生時代のように音楽喫茶に腰をおちつけているいとまがない。駅からつい手近なところなのに確認しないまますごしていると、あるとき、店先がすっかり明るくなっている。レンタル・ビデオが開店したのである。
その後、新たに「音楽喫茶」の看板をみつけた記憶はない。
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