どの教科書にも編纂の目的がある(はずである)。いっぽう、どの授業にも必ず目的がある(はずである)。しかし、教科書は万人向けに作られるので、自分が使うことになった教科書の編纂者の目的が、自分の授業の目的に合致することは、めったにない。
そこで、教師は、自分の授業の目的に合うように、教科書を料理しなければいけない。教科書は、そのままでは、ほんとうの意味での「教材」ではない。いわば、板にくっついたままのカマボコのようなものである。そのカマボコをいかに調理するかで、教師の腕が問われる。このワークショップを開催する目的は、その調理法の知識と技術を共有するためである。
本ワークショップでは、発表者は、「課題作品」と「自由作品」の2種の発表をする。
課題作品は、あらかじめ、特定の教科書の特定の個所を題材とすることを決めておき、そこをどういう意図でどう料理したかをまとめたものである。自由作品は、発表者が、それぞれ自由に、課題となる教科書を選んで、それをどういう意図でどう料理したのかをまとめたものである。
各発表者が、それぞれ、自分がどのように教科書を調理したかの概要を、「課題作品」と「自由作品」のそれぞれについて、簡単に紹介します。参会者のかたは、それを参考にして、第2部のポスターセッションでは、お好きなポスターの前で、発表者の説明を聞き、意見を交換してください。全員の説明を聞くのに十分な時間は用意してあります。
「課題作品」の素材は、全発表者共通です。下記の教科書を使わせていただきました。
学習を効果的に進めるためには、学習者と教員が目標を明確にし、かつそれを共有することが重要であるといわれているが、果たして学習者および教員はどのようなゴールを設定しているのであろうか。多くの学習者は「日常会話程度話せるようになりたい」といった漠然としたゴールを描いているが、「日常会話程度」とは具体的にどのようなことが中国語でできることを指すのであろう。一方、教員は年間の到達目標を明確に意識せず、ただ1課から淡々と教科書を順に進め、終わったところまでを試験範囲としていたり、「一年間でピンインを正確に読み書きできるようにすること」という学習者とは別の目標を設定していたりする。また、両者ともに、使用する教科書の選択権がない場合も多い。
本発表では、与えられた教科書を(1)「年間目標(大目標)を設定する」→(2)「全12課を5つのユニットにまとめ、単元目標(中目標)を設定する」→(3)「ユニットごとに小目標を設定する」というシラバスデザインの例を示し、さらに課題である第8課の本文や単語、文法事項を文化的側面、社会言語学的側面等に留意しながらどう扱うかの例を提示してみたい。
基本的な語彙や文法事項の習得は外国語学習において不可欠であるが、それらの習得がそのまま学習のゴールになっている教室は多いのではないだろうか。学習者は、教科書で扱われている単語や例文の暗記、本文の暗唱に終始し、定期試験もそれらの知識の多寡のみを問われることが多い。そのため、学習者は、自分が中国語で何ができるようになったのかを自覚できず、達成感を得られないまま学習が進み、徐々にモティベーションが下がってしまうこともある。また、既習の語彙や文法事項を適切に組み合わせて使用することも苦手であるが、これらは、実際に使用する場面を意識しながら学ぶ訓練が不足していることが一因であると考える。
本発表では、初級段階で扱われることの多い、自己紹介や学校紹介に関する語彙や表現を使って、自分たちのキャンパスや学校生活、先生や友人を紹介するビデオや冊子を作成し、交換留学先に送るというプロジェクトを紹介したい。教科書の学習項目に加えて何をどのように補充すれば、4技能をバランス良く学びつつ、よりよい作品ができるか、学習者が自発的に協働して取り組むために工夫した点、評価方法などを例として提示したい。
課題教科書第8課は“了”を「完了」と記述するが、提示例文(“我去了”“我去学校了”等)とその日本語訳(「私は行きました」「私は学校に行きました」等)は、学習者が「“了”=過去」と理解することを誘導する。これまでと同様に、学習者は必ず「“了”は過去ですか」「“了”は過去ですよね」と質問してくるであろうし、“了”の導入以後に産出される中間言語において、過去の事態の表現に必ず“了”を生起させるか、非過去の事態の表現で“了”の生起が必要な時に“了”を使用しないことが予想される。
本発表では、当該教科書が記述する「“了”=完了」を学習者により容易に理解させ、「“了”=過去」というイメージにもとづく中間言語の産出を可能な限り抑制するためには、どのような例文をどのように提示すればよいかを検討する。検討対象には当該教科書の提示例文も含まれる。発表の趣旨を従来の教授法と対比させると、以下のように記述できる。
このアプローチをもとに、文法事項の重要概念をシンプルかつ直感的に理解するには、(一)教科書が提示する全ての例文を使用する必要はないこと、また、教科書以外の例文を必要とする場合もあること、(二)例文の供給源としての教科書を授業用教材にするためのテキストブック・アダプテーション(教科書の教材化)が必要になることを考える。
多くの教科書では、“谁愿意去谁就去”のような表現形式を疑問詞の一用法としてとらえ、疑問詞の不定用法・呼応用法、連鎖・連用などと記述する。そのうち、文法説明に紙数をついやす教科書においては、当該表現形式について、(ⅰ)同一の疑問詞を従属節と主節に用い、(ⅱ)任意の事物や事柄について、従節で述べる条件にかなうものはすべて主節で述べる命題に該当するという意味を表すと解説する。しかし、このような説明は全ての中国語学習者が理解可能なものではない。そこで、教育文法のユニバーサルデザイン化という見地から対処方法を考えたい。
本発表は、学習者がより容易に当該表現形式の文意を導きだせるよう、「環境が行為を引き起こし得る」「環境に存在する情報をピックアップする」というアフォーダンスの認知ストラテジーを利用する。本発表の趣旨を従来の教授法と対比させると、以下のように記述できる。
このアプローチをもとに、(一)疑問詞呼応構文の導入時においては、上記(ⅱ)のような難解な文法説明は必要不可欠なものではなくなること、(二)文法項目の中には、文意の理解のために理詰めによる推論をボトムアップ式につみかさねる必要のないものがあり得ることを示す
発表者はまだテキストを教えることから抜け切れない教師である。テキストを教えるにしても、そこから使える表現をしっかり教えていれば、文法事項とともに学習者が身に着けてくれると信じてやまない。
本発表では、現状テキストをよりコミュニカティブなものにするために、どのような展開方法があるか、発表者なりの学習者への注意の傾け方を模索する。とりわけ、単語学習、フレーズ学習をしっかりおさえていけば、テキストの内容、さらなる表現のパターンを増やしていけるのではないだろうか。
現状テキストの良さを存分に発揮させることも大事なことであるが、さらに学習者へのモチベーションを上げる「何か」を注入していかねばならない。その「何か」について、考えてみたい。
高校生の教材を使って、道をたずねるタスクは現実社会と合致しているのか、もし足りないならどこを追加すべきか、実際のレアリアやネイティブの発話パターンをみながら、どこまで近づけるか、実態にみあった授業展開を考えてみたい。
現実社会に照準をあわせることだけに意識すると、初級学習者に難しいものになってしまうかもしれない。学習者の消化可能な学習事項を提示することも別の意味での実態にみあった授業展開と言うのだろう。
本発表で、現実社会とのギャップを確かめた上での学習者の無理のない段階的な習得方法について提案したい。教授者がどこまではできる、どこからはさらなるステップであることを把握していれば、無理のない授業の展開をできるのではないか。
初級の段階では、学習者にインプットされている中国語の単語、文型等の数が圧倒的に少ないため、タスクやロールプレイなどのコミュニケーション活動を授業に導入しにくい、と言われることが多い。しかしそれは、文法項目を基準にした「構造シラバス」で編まれた中国語テキストが依然として大多数だからであり、「機能シラバス」や「場面シラバス」または複合型シラバスで編まれたテキストであれば、初級であってもペアやグループでのコミュニケーション活動が十分可能である。
本発表では、多くの学習者、そして教師自身が依然として持っている「中国語を学んで(から)使う」という発想から「中国語を使って(いく中で)学ぶ」という発想への転換を目指し、扱うテキストの内容を「機能シラバス」に見立て、一課全体の再編成を試みる。あるコミュニケーションの機能(ここでは「予約する」)とその型を提示し、中国語のコミュニケーションスキルの習得を目指したタスク活動の例示を行いたい。
本発表では、形式重視の「伝統的教授法」と意味重視の「コミュニカティブアプローチ」の反省の元に生まれたアプローチである「フォーカス・オン・フォーム」を取り入れて、「コンパのお店を選ぶ」タスク(ディスカッション形式)を例に、文型の導入方法を提示する。
これまでの伝統的教授法(特に文法訳読法)に則ったテキストは、文法を説明するために本文が提示されていることが少なくなかった。コミュニケーション重視を謳うテキストにおいても、本文を対話形式にしただけのものや、文法説明を簡素化し学習者に声を出して練習させることを中心にしているだけのものが多く見られる。コミュニケーション能力は形式(form)、意味(meaning)、機能(function)の3つが揃わなければ成り立たないものであるが、現行の大部分のテキストでは、特に「機能」の部分が欠けている。文法や文型は提示しても、それをどこで、いつ、どのように使用するか、という部分が示されていないのである。教わっていない(インプットがない)のであるから、学習者は当然のことながら使えない(アウトプットできない)。
本発表では従来、疎かにされがちであったコミュニケーションの「機能」の部分も重視しながら、学習者主体の授業のあり方を模索する。
課題作品の素材になっている教科書は、第1課で“是”を使った文や人称代名詞をポイントとして取り上げ、第2課では指示代名詞や構造助詞の“的”を導入し、第3課では形容詞述語文、第4課ではお金の数え方、第5課では場所代名詞や動詞“在”、助動詞“想”などを導入する…と、このように各課のポイントの設定のしかたは、文法積みあげ的である。この構成は、構造シラバスとして見た場合、しごく穏当であろうと思われる。
しかし、この教科書をなぞっているだけだは、「この課を終えたら、何ができるようになりますか?」という問いに答えるのは難しい。「第1課を終えたら、自分の名前を名乗って、相手にも尋ねられるようになり、自分の身分を名乗って、相手にも尋ねられるようになる」「第4課を終えたら、買い物ができるようになる」と言えるようにするためには、この教科書に載っている語彙や練習方法だけでは不十分である。
また、第1課で初対面のあいさつをして、第2課でお茶について尋ね、第3課で服の色を論じ、第4課で露店で買い物をする、という場面設定は、相互に何の関連性があるのか、学習者も理解に苦しむと思われる。
そこで、今回の発表では、以下に述べる方法で、この教科書を「調理する」方法を紹介したいと思う。
例えば、ゴールを「自分がいったい何者なのか、今ここで何をしようとしているのか、説明できる」という点に絞ったとすると、そこから、各課のゴールは「自分の名前・身分の同定/所持品の説明/何がいくつ欲しいのか」をできるようにする、と派生的に設定できる。そして、課題作の素材に指定した第8課であれば、文法積み上げ方式で考えれば、助詞の“了”を導入しなければならない(常識的に考えれば、ここは山場になるはず)が、上述のコミュニケーションゴールからの派生ゴールを考えるなら、むしろここで重点を置くべきは“××”であり、“了”はやらなくても…という判断も生まれてくる。そのようなアプローチを紹介したい。
中国語の動作動詞の辞書形(ハダカの形)は、習慣的行為を表す場合と、これからする行為を表す場合とがある(例: 我吃面包。)。しかし、これを別個の学習項目として、異なるコンテクストを与え、学習者に意識させる初級教科書を見たことがない。述語動詞が同じく辞書形をしている文を2度取り上げるのは、「同じこと」を2回教えるように思われるのであろう。
“我小时候不喜欢吃青椒。”という文を正しく産出できる初級者は少ない。日本語の用言の語尾は時制の表示をせずにはいられないが、中国語には日本語のような時制辞がない、という相違は、自然に習得できるものではないからである。しかし、具体的なシチュエーションを設定して、意図的にこれを習得させようとする初級の教科書を見たことがない。中国語の教科書の学習項目の設定は、特定の形式が現れると、それについて機能を解説するという伝統的な方法に忠実である。既習の言語形式を無標とし、新規に導入する形式を有標とするこの方式は、常に有標な形にフォーカスが当たるようになっている。この枠組みの中では、ゼロ形式にフォーカスが当てることは難しい。言葉を換えれば、形式中心の教授法では、形式の不在を教えるのは難しいということである。
本発表では、このような伝統的な方法に対し、"SFMC(Single Form, Mutiple Contexts)"という考えかたに拠った、同一の言語形式にできうる限り多数のコンテクストを与え、同じ形式の多様な機能を習得させるアプローチを披露する。
(終わり)