フランス紀行
1983年7月15日
1983年7月15日 学生時代、水野良太郎さんの「フランス語がスキになる本」(三修社)に、 「フランス語の最も効果的な上達方法は、フランス人、特に異性のフランス人 の文通相手を見つけて、文通をすることだ」と力説されているのに感化された 僕は、フランス人のペンパルを求めて、無謀にも(当時はほんとになんも考え ずに行動していた...)、France SoirのRedacteur en chef宛に "Je voudrais un correspondant francais, si c'est possible, une corres- pondante francaise..."てな感じの失礼極まりない文面の手紙を書きました。 幸いにも、ひとつきほど経って、Beauvais在住のLyceenneから「France Soir からあなたのことを紹介してもらった」と手紙が届いて文通が始まりました。 今から考えると、楽しかったですね、これは。 文通開始から、1年程経って、大学3年の夏休みを利用して、いよいよフラン スに行くことになりました。 もちろん、その女の子とパリで会う約束をしま した。 折しも、到着した翌日が14 Juillet。 その彼女が案内してくれ るはずでした。 ところが、待ち合わせがうまくいかず、14 Juilletの日は会 えなかった、という先日お話した一生ものの後悔談となってしまったのです。 今も、この方とのお付き合いは続いていますが、二十歳の頃に「フランス人の 高校生の女の子と手紙をやりとりしているんだ」と喜びを感じながら、一生懸 命辞書を頼りに拙い手紙を書いていた頃がとても懐かしいです。 (19995.4.30. Katsuyuki Kamei)