Part25
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<目次>
第1010号 家庭内ポイ活(2024.12.31)
第1009号 PayPayでお賽銭?(2024.12.26)
第1008号 I君のこと(2024.12.25)
第1007号 やっぱり教師は素敵な仕事です(2024.12.24)
第1006号 居場所論(2024.12.19)
第1005号 いよいよゼミの集いです(2024.12.12)
第1004号 同期会やクラス会は消えていくのかも、、、(2024.11.23)
第1003号 「闇バイト型犯罪」が生まれる社会的条件(2024.11.7)
第1002号 現実となった「もしトラ」(2024.11.6)
第1001号 「KSつらつら通信」1000号の分析(2024.11.1)
第1000号 まだまだ続く政治の季節(2024.10.30)
第999号 衆議院選挙総括と今後の政局(2024.10.28)
第998号 あっという間に17年半(2024.10.25)
第997号 選択的夫婦別姓(2024.10.23)
第996号 佐藤栄作のノーベル平和賞(2024.10.18)
第995号 卒業25年目の謝恩会(2024.10.6)
第994号 日々落ちる石破茂への期待感(2024.10.4)
第993号 石破茂に期待(2024.9.28)
第992号 自民党総裁選挙終了(2024.9.27)
第991号 大谷翔平の社会学は難しい(2024.9.20)
第990号 団地という地域共同体(2024.9.15)
第989号 今後の政局を予測する(2024.9.7)
第988号 超鈍足台風(2024.8.30)
第987号 子宮頸がんってそういう病気だったのか(2024.8.25)
第986号 朝ドラ『虎に翼』に違和感(2024.8.22)
第985号 藤圭子ってすごい歌手だったんだ(2024,8.18)
第984号 転職時代(2024.8.16)
第983号 岸田文雄という総理(2024.8.14)
第982号 地震、怖い(2024.8.9)
第981号 惜しかった(2024.8.6)
第980号 細谷の1ミリ(2024.8.3)
第979号 アメリカ国民の良心が問われる闘いになった(2024.7.24)
第978号 ノンアルコールの時代がやってくる?(2024.7.22)
第977号 愛・地球博跡地探訪(2024.7.14)
第976号 私の貴重な情報源(2024.7.10)
第975号 石丸伸二の今後(2024.7.7)
第974号 山錦善治郎(2024.6.29)
第973号 イギリス王室の晩餐会(2024.6.27)
第972号 中途半端なNHK(2024.6.26)
第971号 東京都知事選(2024.6.25)
第970号 ITセンターシステム障害(2024.6.19〜25)
第969号 マスクに帽子(2024.6.14)
第968号 遅ればせながら、令和6年夏場所総括(2024.6.9)
第967号 吉永小百合を知らない学生たち(2024.6.7)
第966号 仏のお導き?(2024.6.5)
第965号 母を送る(2024.5.28)
第964号 0歳児に選挙権(2024.5.18)
第963号 サプライズ?(2024.5.18)
第962号 ハラスメントの乱発は潜在的逆機能を生み出すだけ(2024.5.17)
第961号 スココでトホホ(2024.5.10)
第960号 U23アジアカップ(2024.5.4)
第959号 立憲民主党が3勝したが、、、(2024.4.28)
第958号 最近書けない理由(2024.4.27)
第957号 いくらドラマとはいえ、、、(2024.3.28)
第956号 令和6年春場所総括というより今後を占う(2024.3.24)
第955号 萌え、キュン、エモい(2024.3.18)
第954号 不公平(2024.3.14)
第953号 哀悼・鳥山明(2024.3.9)
第952号 青春してますか?(2024.3.6)
第951号 相撲協会は白鵬に厳しすぎる(2024.3.3)
第950号 大谷結婚発表に思うこと(2024.3.2)【追記(2024.3.15)】
第949号 手紙は貴重な思い出(2024.2.14)
第948号 やはりコロナだったと確信する(2024.2.5)
第947号 セックス、恋愛、結婚を歴史的に考察する(2024.2.4)
第946号 恵方巻(2024.2.3)
第945号 令和6年初場所総括(2024.1.29)に
第944号 知的能力が低下する大学生(2024.1.26)
第943号 トランプを再び大統領にしようというアメリカ国民は信じられるのか?(2024.1.25)
第942号 「三無主義」(2024.1.24)[追記(2024.1.25)]
第941号 アジアカップ・イラク戦(2024.1.21)
第940号 派閥解散?(2024.1.19)
第939号 楽しかった!(2024.1.14)
第938号 LINE未読が嫌い(2024.1.10)
第937号 今年の大河ドラマへの期待(2024.1.8)
第936号 コロナだったかもしれない体験記(2024.1.5)
第935号 2024年波乱の幕開け(2024.1.2)
令和6年も今日で終わりですね。歳を取るたびに1年が過ぎるのが早く感じます。今年を振り返ると、やはり卒業生とたくさん楽しく付き合ってきたことが一番の思い出です。ゼミの集い、片桐塾、同期会のような公式行事ももちろんですが、インフォーマルに集まる会も一体何回やってきたか、すぐには思い出せないほどたくさん付き合ってもらいました。毎年思いますが、本当に卒業生たちとの付き合いがあるから、私は楽しく生きられています。感謝です。
付き合ってくれる卒業生たちも楽しんでくれているようで、特に片桐ゼミのタテつながりの飲み会にはなるべく参加したいとみんな思ってくれるようです。ただここで問題になるのが、結婚してさらには小さなお子さんがいたりする場合、家庭とのバランスを取らないとパートナーから参加の許可が出ないということです。何年か前に、まだ幼い子を持つある女性の卒業生が「片桐ゼミの飲み会に参加するために、日頃家庭のことを頑張って家庭内ポイントを貯めています」という発言をしたことがあり、最近この「家庭内ポイント」というのが、卒業生たちと集まる時にしばしば話題になります。
ふた昔くらい前なら、小さな子を持つ女性たちは、夜飲みに行くなんてありえないという感じであきらめざるをえなかったと思いますが、今はそういう時代ではありません。しかし、そうは言っても、かつての男性のように勝手に自由気ままに飲みに行けるわけではなく、ここぞという場に出かけるために、日頃はせっせと家事・育児をこなし、パートナーに文句を言わせないポイントを貯めるそうです。そして、これは最近は男性に関しても同じような状況にあるようです。もちろん、中には古い価値観で、家事・育児を妻任せにして飲みに行きまくっているような男性もいるのでしょうが、社会学を学んだ私のゼミの卒業生にはそういう人はほとんどおらず、子どもが生まれたら、育児にもしっかり関わる人がほとんどです。それゆえ、男性陣も「家庭内ポイント」を頑張って貯めて、ここぞという機会に参加するようにしています。先日も非常に楽しいタテつながりの飲み会を開催したのですが、終わった時に「また来年も片桐ゼミの飲み会に参加するために、これから家庭内ポイ活に励みます」とある男性卒業生が宣言していました。
世の中でいろいろな「ポイ活」が盛んな時代ですが、今子育て中の人たちにとって一番大切なのは、この家庭内ポイ活なんだろうなと思います。ワークライフバランスという言葉には、仕事に時間を取られ過ぎず家庭に居られるようになると幸せというイメージがありますが、実は家庭にも仕事が山のようにありますから、ライフの方をさらに分割して考え、家庭内の仕事と家庭外での楽しみの両立もはからないといけないのだと思います。男性も女性も、会社での仕事、家庭での仕事、そしてもうひとつ楽しい場が必要なのだと思います。それがサードプレイスなんでしょうね。もちろん、仕事も家庭も苦しいだけの場所だとは私は思っていません。仕事を通してしか得られない充実感もあるはずですし、家庭や子どもとの関わりでしか得られない幸福感もあるはずです。でも、仕事人間としてでもなく、家庭人としてでもなく、1人の人として楽しめる場もあった方がいいのだと思います。そういう場に出かけられるのは仕事時間以外ですから、家庭内の仕事とどう調整をつけるかが大事になってくるので、日頃家庭内ポイ活を頑張り、溜まったポイントを使って、楽しい場に出かけるということにせざるをえないのです。これからも、卒業生たちが貯めたポイントを使って出かけたいと思える場を作り続けていきたいと思います。
今年、我が家は喪中なので、年賀状作成という年末の大仕事がひとつないので、「つらつら通信」を書く余裕もあり、連日の投稿です(笑)
先日テレビを見ていたら、今年から寺社がPayPayでお賽銭を送れるようにしたという報道がなされていました。私は初詣もほとんど行かないし、お賽銭もほぼ投げ入れない無神論者ですが、さすがに「PayPayでお賽銭はないだろう」とツッコミを入れてしまいました。しかし、考えてみると、この方式の導入は確かに寺社にとってはいいことだらけのようです。お賽銭は集めて数えて銀行に持って行くという手間があり、かつ小銭が多いので今は預けるのにも手数料がかかるそうです。PayPayでお賽銭を送ってもらったら、数える手間も銀行で手数料を取られることもなく、実に合理的なようです。その上、お賽銭と違って、誰がいくら送ってくれたかまでわかるわけですから、その後の様々な金集めに関しての重要なリストもできることになります。
しかし、そんなに目的合理的な方法を積極的に導入していいんですかねえ?そもそも初詣なんて行為は、価値合理的行為か伝統的行為です。ご利益を本気で信じて行っているというよりは、年中行事のひとつとして行っている人の方が多そうなので、どちらかと言えば伝統的行為に近いように思います。その伝統的行為とは、寺社に出向き本堂や拝殿まで赴き、お賽銭を投じて拝礼して1年の無事を願うといった一連の行為です。お賽銭を投じるところでスマホを出してPayPayで送る、なんて行為をしたら、もう伝統的行為ではなくなってしまいます。
インタビューを受けていたある寺院の関係者は、混雑緩和にも寄与するのではないかと言っていましたが、それはどういうことなんですかね。本堂や拝殿まで来ずに、途中でPayPayでお賽銭だけ送ってくれればいいということでしょうか。少なくとも、賽銭箱の前で、みんながスマホを取り出してPayPayでお賽銭を送ろうとしていたら、余計に混雑しそうですから、混雑緩和になるというのは、本堂や拝殿まで来なくていいよということなのでしょうね。じゃあ、どこから送るのでしょうね。山門や鳥居にもPayPayのQRコードとか張り付けてありそうですね。無神論者の私ですら、なんかなあ〜って感じです。でも、きっとそのうち寺社のウェブサイトにもQRコードが示され、自宅に居ながら初詣ができますなんてことを言いだす寺社も出てくるのでしょうね。あ〜あって感じです。
まあでも、実際にPayPayを利用してお賽銭を送る人はどのくらい出てくるでしょうか。少ないんじゃないでしょうか。送り主の名前と金額がわかってしまうというのも嫌だと思う人も多いでしょうし。こんなシステムの導入は失敗に終わればいいなと思います。ついでに言えば、日本の宗教団体は金を集めすぎです。その上、税金がかからないという奇妙なシステムになっています。参拝料なんて観光収入以外の何ものでもないし、葬儀や法事のお布施にしても戒名代にしても実質的に宗教団体側が価格を決めて払わせているのですから、その収入に対してしっかり税金を取るべきです。寺社、特に有名寺院のがめつさには辟易します。以上、無神論者の意見でした。
今年のゼミの集いは、新ゼミ生がいない集いでしたが、実は新ゼミ生がいない集いは、これが初めてではありません。私は、1999年度の1年間ロンドンに在外研究に行くことになったので、1996年度入学生と1997年度入学生のゼミを募集していません。新ゼミ生がいないから、集いも開催すべきかどうか悩んでいたのですが、1997年度の3回生ゼミ生だった6期生が「ぜひやりたい」というので、1997年12月に新ゼミ生のいない第6回片桐ゼミの集いを開催しています。そして、その集いに、本当は片桐ゼミに入りたかったという当時の2回生5人が「心は片桐ゼミ」と言って参加してくれました。そのうちの1人がI君です。
2000年4月に私が日本に帰ってきてからたまにキャンパスでI君に会うことがあり、そのたびに「片桐ゼミに入れなかったので、人生変わっちゃいましたよ」と半分冗談でしょうが、いつも怒られていました。彼は大学卒業後、関大一中・一高の教員になったので、ある時期からの関大一高の卒業生は彼のことを知っていると思います。大学時代から柔道をやっていたので、たぶん一中・一高でも柔道部の顧問とかをしていたのではないかと思います。
実はその彼が、今年の11月初めに急逝しました。関大一中・一高の職員をされていた方が、なぜか私と彼が知り合いであることを知っていて――私はその職員さんに、彼との関係を喋ったことはなかったので、きっとI君が話したのだろうと思います――連絡をくれたので、彼が亡くなったことを知りました。急性心筋梗塞とのことですが、当日の午前中には大学の柔道の練習に参加していたそうですので、本当に急逝です。彼は1996年度入学ですから、まだ47歳くらいのはずです。若すぎます。残念です。私があの年に在外研究に行くことにしていなければ、片桐ゼミ生になっていたであろうI君なので、ここに記録して哀悼の意を表したいと思います。
第1007号(2024.12.24)やっぱり教師は素敵な仕事です
昨日1本のメールが、まったく知らない方から届きました。それは、私がこのHPの「本を読もう!映画を観よう!」で紹介した880.寺田眞智子・古川香美由編『若葉になりて――寺田隆士追悼遺稿集――』(私家版)を見つけて、この本が入手できないでしょうかという問い合わせでした。この本は、私の従兄である寺田隆士が67歳で亡くなった後、妻と娘がその遺稿集をまとめたものです。従兄は長崎県で高校教諭をし、島原高校と長崎東高校という名門高校の校長を勤めた後、長崎県の教育長まで勤めた長崎県教育界の重鎮でした。そんな地位のことはどうでもいいのですが、この本には校長時代に従兄が語った式辞や寄稿などがたくさん掲載され、かつ家族への愛に溢れた素敵な本だったので、私家版にもかかわらず紹介したくて、HPに載せたのでした。
昨日メールをくれた方は、島原高校の卒業生で高校時代の校長が従兄だったそうで、従兄の話が心に深く残っているそうです。一部引用させてもらいます。
「全体集会で寺田先生の講話がある度に、印象に残るお話を頂いたことを覚えています。豊かな言葉で綴られた美しい文章で、我々をいつも叱咤激励いただいたことが、高校時代の大切な経験の一つで、人生の糧になっています。……(中略)……私自身が青春時代に寺田先生からいただいた言葉をもっていれば心強いという思いから、寺田先生の遺稿集があることを知り、以前、入手できないか探しましたが、私家版とのことで諦めていました。今回、再び探してみたところ、先生のホームページにたどり着きました。」
こんな風に教え子に思ってもらえる従兄にも感動しますが、よくぞ私のHPまでたどり着かれたものだなあと、その点でも感動しました。早速連絡を取りましたので、きっとこの方のところには、近いうちに従兄の本が届くだろうと思います。こんな文字だらけの古臭いHPもこんな風に人を繋げる役割ができるんだなと嬉しくなりました。ちょっと幸せな気持ちになったので、ここにも書かせてもらいました。
「居場所」という言葉に強く思い入れを持つ人もいると思いますが、私はこれまであまり深く考えることはしてこなかったのですが、4回生が卒論で「父親の居場所」について考えるという卒論を書いていて、その論文を読んでいたら「居場所」についてちょっと考えてみたくなりました。彼の作ったアンケートに「あなたにとっての一番の居場所はどこですか?」という質問があったのですが、その質問の回答を考えていたら、結局「居場所」ってひとつじゃないよなと、当たり前のことに気づきました。「居場所」というのは、自分がリラックスして自分らしく居られる所だと思いますが、そういう場所が1か所だけあっても、そこにずっと居られるなんてことは普通はありえません。人は生活する上で、いろいろな場所に居ないといけないのですから、そうした様々な場所で「居場所」を必要としているのだと思います。しばしば夜、繁華街にたむろしている若い子たちが、「家庭にも学校にも居場所がないから、ここに来ている」というような発言をしていますが、あれも逆に言えば、家庭や学校に居場所があるといいんだけどなと思わせます。
きっとみんなそうです。家庭と仕事場――あるいは学校――というのはもっとも長く時間を過ごさなければならない場所ですから、そこに自分が心穏やかに居れる「居場所」が必要なのです。でも、家の中がすべて居場所でなくともいいのだと思います。1人になれる書斎とか寝室が気兼ねなくゆっくりできる居場所になっている人もいるでしょうし、人によってはリビングやキッチンが一番自分らしく居られる場所という人もいるでしょう。仕事場や学校の場合は、なかなか1人にはなりにくいでしょうから、そうした場所で「居場所」を作るためには人間関係が良好かどうか大事なポイントになるのでしょう。人間関係が良くなくて周りの人間が自分を好意的に受け止めてくれないと思えば、そこは決して「居場所」にはならないでしょう。しかし、逆に人間関係がよく、周りの人間が気の置けない仲間だと思えれば、リラックスして自分らしくそこにいられることができ、仕事場や学校にも居場所があるという気になるでしょう。もちろん、ずっと他人に囲まれているのは、どんなに人間関係が良くてもある程度は疲れるでしょうから、1人なれる場所があるといいのでしょうね。クラスに居るのがしんどくて保健室に行って休ませてもらうというような子が求めているのも、そうした他者の目のない所が居場所になるから行くのでしょうね。会社の化粧室なども、そんな役割を果たしていそうですね。
サードプレイスへの注目もしばしばされますが、これも要は家庭や仕事場でよい居場所を見いだせていない人にとって、特に大事な場所になるのでしょう。カフェ、居酒屋、その他気を遣わずにいられる場所がサードプレイスとしてよくあげられますが、考えてみると、これも特定の場所でなくてもいいのだと思います。なんでも話せる友人との関係性そのものが「居場所」になっている人もたくさんいると思います。そして、このサードプレイスは、家庭や仕事場にちゃんと居場所がある人でもあった方がいいと思います。「ここが自分の居場所だ」と思えるところがたくさんあった方が人は幸せになれます。「居場所」は決してひとつに絞る必要はなく、自分が過ごす生活圏の中で、いろいろなところに居心地が良い場所や関係があればあるほど、人は幸せだと感じられるのだと思います。
いよいよ明後日に「第33回片桐ゼミの集い」が迫ってきました。5年ぶりに立食パーティを復活させるのですが、準備をしながらこんなに大変だったかなと思っています。5年前までは毎年やっていたことで、忙しいけれどそれなりにこなしてきたわけですが、5年ぶりとなると運営の中心を担ってくれる現役生が、このパターンの集いに参加したことがなく、すべて教えなければならないので、5年前までよりも緻密に準備をしなければと思っているのかもしれません。たぶん、そこまで悩まなくてもなんとかなるはずですが、用意は周到にしないと気が済まない質なので、考え始めると「ああ、あれも伝えておかなければ。これもやっておかなければ」と次々に思いついてしまいます。性分なんでしょうね(笑)
まあ5年ぶりだから、特に大変だと思っているだけで、5年前までとそんなにやっていることは変わっていないはずですし、立食パーティではなかった最近4年間もそれなりに忙しかったはずです。結局、毎年この時期は卒論に赤を入れつつ、集いの準備をするという多忙な日々を送ってきたわけです。以前、他学部のある先生から「片桐さんのところはゼミのつながりがしっかりあるみたいだけど、ゼミ同窓会費とか取っているの?」と聞かれたことがありますが、もちろんそんなものは取っていません。大体そんなものを取ったって、そのお金で人を雇えるはずもなし、万一雇えたとしても、きっと自分でやりたくなる、やらないと気が済まないタイプの人間です(笑)
忙しいなあ、やること多すぎだな、せめてもっと早く返事くらい送ってくれよな、とか思ったりもしますが、遠方からもこの日のためにたくさん集まってくれる卒業生の笑顔を見たら、頑張った甲斐があるなときっと感激してしまうと思います。参加できなかった人たちも、「卒業生の近況報告」を読むのを楽しみにしてくれていますので、面倒くさくてもこれも欠かせぬ作業です。こんなことをやっても一切お金にはなりませんが、お金では買えない大切なものを得てきました。教え子は私の宝物です。彼らと卒業後もつながり続け、その成長を見ることができる、なんて幸せな教師だろうと思います。
もうあと1年3か月で完全退職ですので、今年は新ゼミ生がいない集いです。在外研究に出るためにゼミ募集をしなかった学年が2学年あるので、1997年にも新ゼミ生のいない集いをやったことがありますが、あの時はまた帰国後ゼミ募集が始まりましたので、また新しいゼミ生たちによって恒例パターンの集いは復活したのですが、来年以降はもうこれまでと同じ形での集いはできなくなります。ただの立食パーティならこれからもやろうと思ったらできると思いますが、片桐ゼミの集いは、参加メンバーをチームに分けて3回生幹事でゲームを進行するというのが恒例パターンです。こういう企画をすることで、タテのつながりも作ってくることができました。しかし、来年からは3回生がいなくなりますから、もうこのパターンはできません。恒例パターンは最後ですと案内したので、今年の集いは、卒業生が101人参加という過去最高の数になっています。本当に嬉しいです。パーティが始まるまでは企画運営責任者、始まったらホストとしてまた忙しくなりますが、幸せな忙しさです。片桐ゼミ生はもうこれ以上増えませんが、「片桐ゼミは永遠に不滅です!」と宣言させてもらいます。
第1004号(2024.11.23)同期会やクラス会は消えていくのかも、、、
先日中学校の同期会に17年ぶりに参加しました。あまりに久しぶりで、かつ17年前の記憶もほとんどなく、かなりハードルが高かったのですが、積極的に誘ってくれる同級生がいたし、ぼちぼち会えなくなる人も出てきてしまうかもしれないなと思い、思い切って参加しました。しかし、参加してみたら非常に楽しく、2次会はもちろん、最後は同級生6人となんと3次会まで行ってしまいました。
私は小学校、中学校と地元の公立でしたので、中学時代の友人の約半分が小学校からの付き合いです。でも、中学は7クラスもあったので、中学に入ってからはほとんど話もしていなかった人の方が多く、帰宅してから卒業アルバムを引っ張り出してみましたが、自分のクラスメート以外は名前を見ても8割以上は顔が浮かばないという感じでした。それでも、今回小学校時代に非常に仲良くしていた友人が「久しぶり!」と言って話しかけてきてくれて、嬉しかったです。彼とは小学1年生で転校してきた日が同じでそれ以来ずっと仲良くしていました。中学に入って、クラスが一度も一緒にならなかったので距離ができてしまいましたが、何十年ぶりかで――たぶん中学卒業以来――話しましたが、昔の記憶が蘇ってきてとてもなつかしく温かい気持ちになりました。他にも、「片桐君とは小1から中1まで同じクラスだったよ。妹さんはうちに遊びにきてたよ」と言ってくれた女性の方もいて、こちらはなんとなく名前に記憶が、、、程度で申し訳なかったのですが、いろいろ再会があり、楽しかったです。思い切って行ってよかったなと思いました。
帰ってきてからふと思ったのですが、こういう同期会やクラス会って、世代が若くなるほどどんどんやらなくなってきているんじゃないでしょうか。昭和の時代に価値観を作った世代は、40歳を過ぎたらクラス会や同期会が増えると言っていました。たぶん10数年前に40歳代に突入したくらいの世代だと結構クラス会や同期会をやっていたのではないかと思います。私の関大のゼミ生でも2000年代の早いうちまでに卒業した学年は同期会を割とやっていますが、2010年代卒業、2020年代卒業となると、本格的な同期会をやった学年はほんのわずかしかない気がします。親しかった人たち何人かが集まり、私がそこに呼んでもらっているというのはたくさんあるのですが、同期に広く声をかけてまさに同期会と呼べる会を作った学年というとほんのわずかしかありません。
なんでこうなったのかなと考えてみると、そこにはやはり社会的要因があります。スマホやSNSの利用が一般化した2010年代以降は、対面でコミュニケーションを取るのは親しい人だけでよく、たまたまゼミやクラスで一緒になったからといって、みんなと仲良くする必要はないという価値観が広まってきています。リーダーシップを取って「集まろうよ」と声をかけてくれる人もめったに出なくなっています。たまに頑張って1,2回は声をかける人が出てきても、つれない返事ばかり届くと、もう声をかける気力がなくなり、結局音頭を取る人がいなくなり、集まらないということになっているのだと思います。気になる人のことは、SNSを通して日常的に知ることもできるので、かつてのように久しぶりに会って「なつかしいね!」なんて感動する必要もなくなっています。わざわざみんなの時間を調整して同期会やクラス会をやる必要性はないよねという判断になるのでしょう。
しかし、それでいいのでしょうか。昭和の価値観と言われるかもしれないですが、せっかくたまたま知り合いになる機会をもったクラスや同期の人たちと対面でも会って語りたいという気持ちを持てるようになった方が人生は楽しくないでしょうか。同じ時に同じ場所で同じような経験をした人たちって貴重な共通の話題を持つ人たちです。SNSで同じ趣味の友達と知り合うのもいいでしょうが、偶然の出会いを深めて一生ものの――そんなに頻繁に会わないとしても――付き合いができるのは幸せなことだと思うのですが、、、
そういうことを考えて始めたわけではないですが、片桐ゼミには「片桐ゼミの集い」があります。年に1度の大同窓会として学年を越えて集まれる場です。3回生幹事団でずっとやってきた「片桐ゼミの集い」は今年で終わります。違う形ではまたなんとか続けたいと思いますが、恒例のパターンの「集い」はこれが最後ですので、行こうかどうか迷っている人はぜひいらっしゃい。音頭は私が取っているので、参加するだけでよいのですから。対面で同期や先輩や後輩とコミュニケーションを取る楽しさをぜひ味わってください。
第1003号(2024.11.7)「闇バイト型犯罪」が生まれる社会的条件
犯罪というのは、社会が生み出すものだとしばしば言われますが、最近頻発している「闇バイト型犯罪」もその典型ケースです。犯罪の実行役は、ネット上で集められた若い人たちがほとんどです。普通に考えたら絶対関わらない方がいい犯罪を彼らが実行してしまうのは、以下のような社会的条件があるからです。
(1)自分自身のスマホを持ち情報をそこからのみ得ている。/(2)すべてのことがスマホを通して簡単に手に入るのが当たり前と思うようになっている。/(3)「隙間バイト」のようなものが広まっている。/(4)長期的な視点に立ってものを考えない。/(5)本人確認のため、個人情報を提供するのは普通のことという思考になっている。
(1)の条件によって、個別連絡が可能になっているので、犯罪の指示などもできてしまいます。また、スマホばかり見てマスメディアに接触しないので、こういう「闇バイト」に引っかからないようにという警告がマスメディアでたくさん流されていても、それが若者にはあまり届かないという事態になっています。(2)によって、お金はコツコツ働いて稼ぐものだという意識が薄れ、簡単に稼ぎたいし、ユーチューバーのような人たちも現実にいるのでできるのだろう、という意識が生まれています。また、ジャンボ宝くじの大宣伝や株式投資を勧める宣伝なども、苦労せずに大金を入手してもいいんだという意識を高めています。(3)のような働き方ができる時代になり、「闇バイト」も「隙間バイト」の一種のように思いやすくなっています。(4)のような思考になり、今がよければいい、今をとりあえずよくしたいという意識ばかりが強くなり、もしも犯罪に加担した時に後々自分の人生がどうなるかといった思考をしないことで、目の前の犯罪に加担してしまう。(5)によって、自宅、氏名、顔などを知られることで、逃げられないという意識を持たされてしまい、抜けようと思っても抜けられなくなってしまっています。お金は汗水流してコツコツ働いて稼ぐものという価値観が圧倒的に強く、短期的な働き方は「日雇い労働者」という風に差別的に言われていた時代なら起きないような犯罪です。また連絡手段も手紙や一家に一台の電話しかなかった時代なら、こんな風に素人を集めて犯罪を行わせるなんて、まったく不可能なことでした。
こうした犯罪に加担する側の条件だけでなく、犯罪を生み出しやすい構造的誘発性も今の日本社会では、どんどん増えてきています。それは3世代同居の家族が減り、高齢者夫婦、高齢者の一人暮らしといった家庭が増えていることです。「闇バイト」がらみの犯罪の被害者は高齢者がほとんどです。子世代、孫世代と同居している高齢者なら狙われにくいでしょうが、高齢夫婦のみ、一人暮らしとなると、狙う方も狙いやすくなります。地域の繋がりも弱くなり、互いに気にしあう関係性もなくなっているのも、犯罪を計画する人間からすると、よい環境ということになるのでしょう。こうやって分析的に考えていくと、こういう「闇バイト型犯罪」は、まさに現代日本社会が生み出した犯罪と思えるわけですし、上記に挙げたような社会的条件が存在し続ける限り、増えることはあっても減ることはなさそうな気がします。
結局、トランプが勝ってしまいましたね。ハリスがバイデンに代わって大統領候補になった時は、これで面白くなったと思いましたが、この半月ほどは接戦という報道の裏で、最終的にはトランプが勝ちそうだという空気が伝わってきていて、今日の結果はある意味予想通りでした。すでに何度も書いていますが、あんなに暴言を吐き、自己中心的な人間を大統領に復帰させるなんて、アメリカ国民は何を考えているんだと非難したいですが、ハリスもこの4年間副大統領だったのに、戦争も物価高も止められなかったという責任を問われざるをえなかったので支持が伸びにくかったのもわからなくはないです。これまで副大統領として事態の悪化を止められなかった人間が大統領になって何を変えられるのかと懐疑の念を持つ人は少なくなかったでしょう。また、女性のトップは嫌だという、まさに「ガラスの壁」も働いたようです。アメリカで、この壁を突破するには、相当に魅力をもった女性候補でないと難しいのでしょうね。ただ、今回の選挙結果はトランプがいいという積極的支持の結果というより、4年間の民主党政権への否定的評価という要素が強いように思います。
さて、トランプが大統領に復帰していろいろ政策が変わるでしょうが、端的に現れそうなのはウクライナの戦争です。ウクライナへの軍事支援に否定的で、かつプーチンと話ができるトランプですから、ウクライナの戦争はロシアの主張が通る形で終わる可能性は高いです。ゼレンスキーはそんな終結の仕方は認めたくないでしょうから、ゼレンスキーは追い落とされるという形になる可能性も高いと思います。ウクライナにとって敗戦というような形で戦争が終わった時に、世界の人々はどう思うのでしょうか?日本人は、とりあえず戦争が終わってよかったという思いを抱く人が多そうな気がします。そういう人たちにとっては、トランプは泥沼化しつつあったウクライナ戦争を終わらせた人という高評価になるのかもしれません。
他方、イスラエルには全面的に肩入れするトランプですから、こちらは逆に泥沼化するかもしれません。もしくはパレスチナの土地としてのガザ地区が消滅するというような事態にまで進むかもしれません。そうなったらアラブの国々はどう行動するでしょうか。トランプは基本的に他国の戦争に関わりたくない人間なので、イスラエルを怒らせないようにアメリカは手を引くということもありうるのかもしれません。中東情勢は複雑すぎて、私の知識では分析しきれません。
日本との関係はどうでしょうか。安倍晋三とは非常に良好な関係を築いていたトランプですが、石破茂とはたぶんそんな関係にならなさそうな気がします。商売人なので表面的には適当にお愛想をしてくれるかもしれませんが、人間のタイプ的には合わなさそうです。大体、石破茂がいつまで総理を続けられるかもわからないという程度の情報はトランプも得ているでしょうから、会談の機会もしばらく設けないのではないかという気がします。まあ誰が総理になろうと、アメリカ・ファーストの人ですから、アメリカの有利になるような難題を日本にも押し付けてくることは間違いないでしょう。日本も本来はどこの国のトップが変わろうとも、動じずに我が道を行ければ一番いいのですが、「ジャイアン国」アメリカの顔色を伺いながら国家運営をしなければならない「スネ夫国」日本ですから、アメリカ大統領の交代は、自国の総理大臣の交代以上に神経をすり減らさざるを得ない検討事項です。とりあえず、4年間トランプを怒らせないようにやっていかなければならないのでしょう。
最後に、アメリカ大統領は二度までしかなれませんから、トランプ時代は来年からの4年間で必ず終わります。で、その後ですが、イーロン・マスクとかが共和党の大統領候補になって出てくるのではないかと、私は秘かに危惧しています。彼が、トランプの後を継いで、アメリカ・ファーストを掲げたら、また支持する人が多数派になるなんてことが起きるのではないでしょうか。何かあの2人には似たものを感じます。
実現してほしくなかった「もしトラ」ですが、もう決まってしまったのだから、仕方ないです。何が起きるのか、4年間しっかり見届けたいと思います。
第1001号(2024.11.1)「KSつらつら通信」1000号の分析
1000本の記事を書きましたので、この1000本からどのようなことがわかるか分析してみます。
まずは毎年の掲載数ですが、これを見てい
ると、この時期は忙しかったんだなとか、逆に時間的余裕があったんだなと思い出します。2002年から2009年まで基本的な傾向としては増加基調にあったのが、2010年から数年間掲載数が落ちますが、これは2010年10月から社会学部長になったことが原因です。学部長職は時間は取られるしストレスは溜まるしで、しんどい時期でした。そのあたりで一番掲載数が少なかった2011年は、日本社会学会大会を1年繰り上げで引き受けた年です。これも忙しさを増しました。「つらつら通信」を楽しく書く気持ちになれない時期が多かったのだと思います。学部長職は2012年9月末で終わりましたが、ちょうどその時期から今度は日本社会学会の研究活動委員長職につき、こちらもストレスの溜まる仕事だったので、しばらく「つらつら通信」に気持ちが向かなかったのでしょう。逆に最近4年間は毎年50本以上書いているのは、それだけ大学や学会の仕事が減って時間的余裕ができたからなんだなと改めて思います。
次に、ジャンル別掲載数です。ひとつの記事で複数のジャンルを指定しているものもたくさんありますので、総計は1300を超えます。ジャンルによって、やはり得手不得手があるのがよくわかります。100本以上書いているのは、政治、社会、スポーツ、家族話・身辺雑事の4ジャンルです。家族話・身辺雑事はジャンルというほどのものではないので、政治、社会、スポーツが、私がよく記事を書いてきたジャンルと言えます。確かに私の関心の高いジャンルです。次いで、学生・若者、生き方が90本を超えています。そして、制度・慣習、大学・教育、恋愛・結婚・男女が68本で並んでいます。自分の興味関心がどの辺にあったかがよくわかります。
ジャンル別も、ジャンルによっては時代の影響をしっかり受けています。右のグラフは、政治、社会、身体(脳・生理・病)のジャンルの記事をどの年に何本書いたかを示したものですが、社会に関しては様々なテーマがあるので時代の影響は特に見えませんが、政治に関しては、民主党による政権交代が起きた2009年を頂点に、安倍第1次内閣が崩壊した2007年から2010年頃までが一つの山になり、そして自公が過半数割れした今回の衆議院選挙が行われた2024年にまたたくさん書いています。まさに政治の記事が多い時は、政治がニュースになっていた時でした。身体(脳・生理・病)は、2019年までほとんど書いていなかったのですが、2020年と2021年にたくさん書いています。これは、もちろん新型コロナの流行によるものです。様々な社会的規制がかかり、社会学的にも語りたくなったわけです。
まあこんなところでしょうか。関心があったのは私だけかもしれませんね(笑)
1000号に到達してしまいました。まさか今年中にここまで来るとは思っていませんでしたが、最近は大学や学会の仕事が減っているので、書く余裕があったようです。いずれ1000号を振り返った記事を書きたいと思いますが、とりあえず今回は引き続き政治の話です。
日本の国政はまだどうなるのか読めませんが、可能性が高いのはやはり自公の少数与党政権に、国民民主党や維新の会が政策ごとに協力するというパーシャル連合です。たぶん、今の日本社会に合うのはこういう政治の形なのでしょう。二大政党制よりも自民党を中心とした少数与党が野党の要望もある程度聞きながら、緊張感のある政治になるというのが今の国民の多数派が望む政治なのでしょう。ただし、難しいのは国民の期待するような政策と言っても、様々な価値観と利害がありますから、すべての国民が満足するような政策が打ち出されることは決してないということです。特に今回の選挙戦では、どの党も財源は明示せずに、減税だ、教育無償化だ、給付金だ、と表面的な甘っちょろい政策ばかり掲げていましたので、そんなことを本当にやろうとしたら、日本の経済はどうなるかわかりません。まともなのは103万円の壁を壊して、被扶養家族でいられる上限を引き上げるべきと主張していた国民民主党の案はすぐにでもやった方がいいですが、他はどうでしょうか。政治と言うのは、本当は多くの国民にとって辛いことでもしなければならないことがあるはずです。1960年の新安保条約の批准も、1989年の消費税の導入も大反対されましたが、今は安保廃棄や消費税廃止は無理だろうと思う人の方が大部分でしょう。その時点では国民の意思に沿わない判断もしなければならない時が政治にはあるのですが、国民に迎合しようとするような政治家や政党ばかりになれば、日本の未来はより暗くなりそうです。
個人的には政党助成金の廃止、国会議員の削減などをやってほしいですが、こんな政治家にとって不利益になることはどの政党もやろうとしません。ちなみに、私は収支を明確にするなら団体献金も認めたって構わないだろう思っています。「団体献金=悪いお金」という考え方は疑問です。金を出す団体が、そのことによって見返りを期待していたとしても仕方がないことだと思うし、もしもそういうお金を出してくれた団体のためだけに働くような政治家がいたら有権者が落とせばいいのです。
さて、実は今日の「まだまだ続く政治の季節」というタイトルは、日本の国政だけを視野に入れてのものではありません。11月5日にはアメリカの大統領が決まります。なんとなくトランプが勝ちそうな雰囲気になってきています。感情(特に憎悪の感情)を露わにすることを評価しない多くの日本人からしたら、あんな他者を罵倒するようなおっさんがなぜ勝ててしまうのだろうと疑問を感じるところですが、アメリカにはああいう人物を求める素地があるんですよね。また、ハリスも立候補が決まった頃のような期待感はなくなってしまっています。私はハリスに勝ってほしいと願っていますが、逆の結果が出そうで不安を持ちながら見守っています。トランプになったら、少数与党の総理大臣・石破茂は軽く扱われるでしょうね。安倍晋三と仲が良かったトランプですから、安倍と対立していた石破茂のことは評価していないでしょう。まあでも、イデオロギーや友情なんてほとんど大事していない融通無碍な政治家ですから、適当には付き合うでしょうが。石破茂も持論だった日米安保の地位協定見直しや、アジア版NATOなど、この弱体内閣ではトランプの前で一切主張もできないでしょう。むしろ、米軍を日本に駐留させ続けたいなら、もっと日本が費用負担をしろと要求してくることでしょう。それなら米軍に撤退してもらっていいですよ、なんてことは、弱体総理の石破茂には一切言えないでしょうね。アメリカの言いなりになる石破総理の姿が目に浮かびます。
そして、もうひとつの注目の政治が、明日から始まる兵庫県知事選挙です。斉藤元知事が様々な問題の露見でやめざるをえなくなったわけで、問題が発覚し、知事の不信任案が可決した頃は、そもそも次の知事選挙に立候補することすら恥ずかしくてできないのではという世論でしたが、あれから少し時間が経ち、雰囲気が変わってきています。当選可能性を持った有力候補の1人にまで戻ってきているように思います。あのタイプの政治家はネット上ではかなり支持が上がってきているのではないでしょうか。今立候補を宣言している候補の中では、私は元尼崎市長の女性が有力なのではないかと思っていますが、明日の立候補メンバーを見てみないとわかりません。もしかしたら石丸伸二も立候補するのではという噂もあったりしますので、そうなるとまったくわかりません。
ということで、しばらくはまだまだ政治の季節が続き、この「つらつら通信」でも政治ネタで記事を書くことが増えそうです。
第999号(2024.10.28)衆議院選挙総括と今後の政局
少数のコア読者が楽しみにしているかもしれないので、今回の衆議院選挙を総括し、今後の政局を予想してみます。自公は解散当初の予測よりだいぶ減りました。解散当初は自公で過半数は維持できるだろうと思っていましたが、191+24=215とは驚きました。投票率も低いという報道だったので、当日の開票速報が出るまで、組織票の堅い自公はやはり過半数は獲得するだろうと思っていました。それが過半数に18議席も届かないとは、想像できませんでした。今日のマスコミ報道でも指摘していますが、非公認候補が支部長を務める支部に2000万円を配ったことでさらに票が逃げたのだろうと言われています。「なんであんなお金を配ったんだろう。バレたら厳しく批判されるのがわからなかったのか」と、みんな首を傾げていますが、配るという判断を下した森山幹事長は、バレないと思っていたのでしょう。でも、支部関係者にも疑問を持つ人がいて、「しんぶん赤旗」の関係者にリークしたのでしょう。
今回は裏金問題で自公は負けたわけですが、ある意味でその最大の貢献者である共産党は、その評価がまったく選挙結果には現れず、議席数でれいわ新選組にも負けてしまい、実はもっともショックを受けているのではないかと思います。共産主義の実現を前面に掲げた党名をつけている限り、共産党はさらに支持を失っていくことでしょう。このままでは、いずれ社民党と同じように政党要件を守れるかどうかという政党になってしまいそうです。ぼちぼち党名変更を本気で考えるべきではないでしょうか。今や共産党員でも日本を共産主義社会にしたいと思っている人はほとんどいないのではないでしょうか。護憲を前面に出しているわけですから、実質的に天皇制も認めているわけです。もう共産主義社会を実現しようとしているとは言えないと思うので、社民党やれいわと合流して「リベラル民主党」とでも名乗ったら、もう少し票が取れる気がします。
国民民主党の伸びも驚きの一つでしたが、実は私の2022年の大学生調査でも、国民民主党は7.1%の支持があり、立憲民主党の6.1%より高いという結果が出ており、その結果が出た時もちょっと驚いたのですが、リベラル色の濃い立憲民主党より保守的な面が強い国民民主党の方が大学生には、そしてやや保守寄りの一般の無党派層にも受け入れやすかったのでしょう。立憲民主党も2021年の選挙の時はリベラル色の濃い枝野幸男が党首で共産党と選挙協力をしていたのに対し、今回は中道保守を標榜する野田佳彦が党首になっており共産党とは距離を置いたことで、3年前よりは自民党離れした票を集めやすかったのだと思います。ただし、右表【比例区の獲得票数の前回衆議院選挙から今回衆議院選挙の変化】にあるように、トータルでの比例区の票は、立憲民主党はそんなに増えておらず、議席が大幅増になったのは、小選挙区で自民党に競り勝ったところが多かったからです。たいして支持者が増えているわけでないのに、議席数で見ると大勝ちに見えてしまう小選挙区制度のマジックです。ちなみに、国民民主党やれいわ新選組は比例区の票を大きく伸ばし、それが議席数に直結しています。
さて、最後に今後の政局ですが、とりあえず石破内閣の下で自公政権が継続するでしょう。石破茂に対する自民党内部での不満も高まっていますが、今総裁選挙をやる時間的余裕はありませんので、当面石破茂にやらせるしかありません。自公で過半数に足りないので維新の会か国民民主党を与党にするのではという予測もありますが、ほとんどの論者が言っているように、それはどちらの党もしないでしょう。政策の一部を飲ませることで、テーマによっては与党に協力するというパーシャル連合という形になる可能性が一番高いです。立憲民主党の野田佳彦は総理を取りに行くと言っていますが、安易な妥協をして細川内閣のようなものは作らない方がいいです。しっかり議論をして、与党や政府の政策に対しても是々非々で対応し、ちゃんと次の内閣を担えるという評価を得られるように地道に活動すべきです。そういう姿勢で活動できたら、国民民主党との距離も近づき、場合によっては再び合併し次の衆議院選挙で政権交代ということも考えられます。まあでも、政権交代までは行かなくても、与党が絶対多数を持ち、数にものを言わせて力づくで全て決めてしまうという政治がこれからしばらくはできなくなったことは喜ばしいことです。まあ、物事がスムーズに決まらず、国民がイライラすることもありそうですが、安易に自公が絶対的多数を持っている方が安定していていいなんて思わないでいてほしいものです。
石破総理の寿命は良くて来夏の参議院選挙まででしょう。自民党としては、こんな議席数のまま国会運営はしたくないので、衆議院を再び解散して衆参同時選挙を仕掛けてくるかもしれません。石破内閣の支持率が上がってこなければ、その前に石破茂を引きずり下ろし、新総裁の下で解散しダブル選挙ということもありそうです。新総理になった後、即解散総選挙は、今回と同様で非難される可能性があるので、交代させるならそれよりかなり早く来年度予算が通過した春頃に石破下ろしが始まるかもしれません。いずれにしろ、しばらく政治が面白そうです。ぜひ、みなさん注目してください。
昨日はNHKで、今日はテレビ朝日で、竹内まりやがたっぷりと紹介されていました。デビュー45年を記念して新アルバムを出した宣伝を兼ねてだと思いますが、どちらの番組もたっぷり彼女のインタビューが紹介され、相変わらず見事に生きている竹内まりやの魅力が伝わってきました。以前、この「つらつら通信」に、竹内まりやのことを書いたことがあったなと思って探してみたら、なんと17年半も前でした(第238号 竹内まりやの生き方は素敵だ(2007.4.13))。そんな前だったかと驚きました。あっという間の17年半です。今回の番組でもともに取り上げられていましたが、17年半前に「人生の扉」という名曲を彼女は発表し、私もその歌を聞き感動して、つらつら通信にも感想を書きたくなったのでした。知っている人もいるかもしれませんが、その素敵な歌詞を紹介します。
春がまた来るたび ひとつ年を重ね 目に映る景色も 少しずつ変わるよ 陽気にはしゃいでた 幼い日は遠く 気がつけば五十路を 超えた私がいる
信じられない速さで 時は過ぎ去ると知ってしまったら どんな小さなことも 覚えていたいと心が言ったよ
I say
it’s fun to be 20/ You say it’s great to be 30/
And they say it’s lovely to be 40/ But I feel it’s nice to be 50
満開の桜や 色づく山の紅葉を この先いったい何度 見ることになるだろう
ひとつひとつ 人生の扉を開けては 感じるその重さ ひとりひとり 愛する人たちのために 生きてゆきたいよ
I say
it’s fine to be 60/ You say it’s alright to be
70/ And they say still good to be 80/ But I maybe live over 90
君のデニムの青が 褪せてゆくほど 味わい増すように 長い旅路の果てに 輝く何かが 誰にでもあるさ
I say
it’s sad to get weak/ You say it’s hard to get older/ And they say that life has no meaning/ But I still believe it’s worth living/
But I still believe it’s worth living
この歌を発表した時、彼女は52歳でした。私と同い年の1955(昭和30)年生まれです。彼女は3月生まれなので、私より学年は上ですが、私は5月生まれなので、同じ時代を同じ年齢で生きてきました。つまり、この歌を初めて聞いた時、私も52歳が目の前でした。この時いい歌だなと思い、60歳、70歳が来ることも、彼女と同じように思いながら前向きに生きたいと思ったものでした。そして、今69歳になった彼女が歌う「人生の扉」を69歳になった私がまた聞き、かつ実際にこの歌のような70歳を迎えようとしている彼女を見て、素晴らしいなと思い、また書きたくなったわけです。
私もたぶん「fine」な60歳代を過ごしていて、「alright」な70を迎えられそうな気がしますが、「good」な80歳を迎えられるか、90過ぎまで生きられるのかどうかはわかりません。でも、同い年で素敵な生き方をしている彼女を見ていると、自分も頑張ろうという気になります。来年、彼女は「古希」を記念してツアーコンサートをやるようですが、ほとんどそういう音楽イベントに出かけない私ですが、彼女のコンサートはチケットが取れるなら行ってみたいなと思っています。
なかなか法制化されませんが、国連から勧告もされそうなので、さすがにそう遠くないうちに法制化されるのではないかと思いますが、先日3回生ゼミで、この選択的夫婦別姓について議論しました。その結果がちょっと面白かったので紹介してみます。まず、選択的夫婦別姓の導入に関して反対としたのは、19人(女子12人、男子7人)中2人(女子1人、男子1人)でした。理由はやはり家族で苗字が違うというのは一体感が薄れてしまうのではという意見でした。賛成の人たちも全員別姓が強制されるわけではなく、あくまでも選択でそうしたい人だけなのだからいいのではというオーソドックスな意見でした。
もちろんこれだけでは全然面白くないですよね。私としても予想通りの結果でした。そこで、質問を変え、「君たちが結婚するときに夫婦別姓での法的婚姻が可能になっていたら、別姓を選ぶ人は?」と聞いたら、誰もいませんでした。強いて言えば、女子学生が2人ほど「自分の下の名前と合わなさそうなら、今の苗字のままにする」と言いましたが、「元の苗字を通称で使えるならそれでもいいかな」という程度の意見でした。むしろ、女子学生の表情を見ていると、苗字が変わるのを楽しみにしている感じでした。まあでもこれも結構予想通りでした。他方で驚いたのは、男子学生に「結婚後の苗字を妻の苗字にしたいと言われたら変えられる人は?」と聞いたら、7人中7人が変えられると答えました。女子学生たちも「えーー」と驚いていました。「それじゃあ、妻側の苗字にすると言っても、親も認めてくれるかい?」と聞いたら、それでも3人の男子学生は「たぶん、大丈夫だと思う」と答えました。まあ、親とそんなことをちゃんと話したことはないでしょうから、実際にその時が来たら現実は違うかもしれませんが、今時は結婚しない人も増えていますから、息子を持つ親でも結婚してくれるなら、苗字はどっちでもいいという気になるかもしれませんね。イエ制度もほぼ消えてしまい、墓の継承問題すら最近は墓じまいしようという風潮になっていますから、苗字を受け継ぐことの必要性は薄れていますので、ありえなくはないです。
しかし、私の予測としては、選択的夫婦別姓を導入しても、95%は同姓になることを選び、その大部分は男性側の苗字を選ぶことになると思います。仕事上旧姓をそのまま使えれば、それがいいという選択をする女性が圧倒的なのだろうと思います。こんな予測をすると、選択的夫婦別姓の導入に慎重な保守派を喜ばせるようですが、それでも私は、それを望む人がいるのだし、その制度が導入されることで婚姻率が上がる可能性もあることを考えれば、導入すべきだと思っています。別姓夫婦の子がきょうだいで苗字が違うとか親のどちらかと苗字が違うと、一体感がどうだとか、いじめが起きるとか主張する人もいますが、今だって離婚、再婚した人の子どもは、きょうだいでも苗字が違ったり、親と苗字が違ったりしている人もたくさんいると思いますが、説明すれば普通に理解できることでしょう。また、結婚して苗字が変われば、きょうだいでも違う苗字になっていますが、苗字が違うようになったことで、きょうだいの関係が変わったりしていない人の方が普通でしょう。
このように考えてくると、選択的夫婦別姓のマイナスの影響は小さいと思うのでさっさと導入すべきです。週末の衆議院で自公は議席を大きく減らしますが、過半数は取り政権は維持するでしょう。石破総理は保守派からさらに追いつめられるでしょうし、来夏の参議院選挙後で交代になる可能性も高くなってきています。しかし、とりあえず9か月ほどは総理を継続できるでしょうから、総裁になる前に主張していたように、選択的夫婦別姓くらいは導入してからやめてほしいものです。
日本原水爆被害者団体協議会(被団協)がノーベル平和賞をもらい、ニュースになっていましたが、日本のノーベル平和賞は佐藤栄作以来ちょうど50年ぶり2回目なのですが、佐藤栄作のノーベル平和賞についてはマスメディアは一切報じなかったですね。まあ、理由はわかりやすいです。佐藤栄作は「非核3原則」(核兵器を持たない、作らない、持ち込ませない)を唱えたことが評価されたわけですが、実際には沖縄のアメリ軍基地に核兵器が持ち込まれていたこと、それを佐藤栄作総理も密約で認めていたことが2000年代に入って明らかになってしまったからです。受賞した1974年でもすでにその疑いは濃く、佐藤栄作のノーベル平和賞はおかしいという声も上がっていたくらいでした。なので、今回の被団協のお祝いムードの中で、佐藤栄作以来と報道して佐藤栄作のノーベル平和賞受賞について語らなくてはならなくなると、ノーベル平和賞自体の価値が疑われてしまうので、触れないようにしたということです。
佐藤栄作に限らず、ノーベル平和賞は授賞の基準が曖昧で、政治家が何人も受賞しており、なぜその人にノーベル平和賞なのかと疑問を持つ人は多いです。非常に政治的な意向が強く働いています。またちょっと和平の空気を出しただけで対立していた両者にノーベル平和賞を与えるなんてこともしてきています。そのならいでいったら、ロシアとウクライナが戦争をやめたら、プーチンとゼレンスキーに平和賞を与えるなんてこともありそうです。
授賞の基準が曖昧だからかもしれませんが、ノーベル平和賞を与えたからと言って、事態は何も変わりません。2017年にICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)がノーベル平和賞をもらっていますが、その後どんどん核兵器使用の危険は増してきています。核の悲惨さを訴え、核廃絶を唱えて努力してきた被団協が評価されたことはよいことだとは思いますが、これで世界が変わると思っている人はほぼ1人もいないだろうと言わざるをえません。うさんくさいノーベル平和賞なんて、もうやめにしてしまってもいいのではないかという気がします。
第995号(2024.10.6)卒業25年目の謝恩会
本日、1999年3月に卒業した6期生が、「卒業25年目の謝恩会」と銘打った同期会を開いてくれました。別に、25年前に謝恩会を開けなかったというわけではないです。立派な素晴らしい謝恩会をやってもらっています。要は、卒業25年目の同期会なのですが、こういう会名称にして実際に私は招待してもらいました。卒業後特別に何をしてあげたということもないと思うのですが、素敵な時間を過ごさせてもらいました。
この学年は19人ですが、本日集まってくれたのは半分以上の10人、メッセージを寄せてくれた人も含めると13人もいます。25年も経ってこれだけの人が集まれるなんて本当に素晴らしいことです。最近のゼミでなかなか構築しにくくなっている同期の仲間関係がしっかりできていて、久しぶりに会った人もあっという間に、25年前の気持ちに戻って語れます。1人1人が自分の25年を語ってくれました。やはり、25年もの時間となると、それぞれいろいろあり、興味深かったです。またパワポでなつかしい写真や文章も整理して見せてくれておおいに盛り上がりました。帰り際に、「次は、30年だね」というと、「もちろんです。50年まで行きますからね。先生、元気でいてくださいね」と言われました。後25年、無理だろうなとは思いますが、なんか励みになります。
6期生だけでなく、卒業10年目に1泊旅行をして同期会を楽しんだ4期生、毎年同期会を開いてくれる9期生、他にも時々同期会を開いてくれる学年は何学年もあります。そういう同期会に声をかけてもらえるだけで、本当に幸せだなと思います。個別に数人と会っている人ならすごくたくさんいますが、やはりこの同期会という形でたくさん集まってくれるのは格別です。現役時代に作った関係が卒業何年も経っても繋がっているというのは、ゼミを運営してきた教師にとっては何より嬉しいことです。上で述べたように、最近はそういう仲間関係ができにくくなっているのですが、卒業してから親しさを増した学年もありますので、現役時代にうまく仲間関係を構築できなかった学年も、今からでも構築しようとしてみてください。私もいつでも協力しますよ。ゼミ仲間は素敵なものですよ。
ちなみに、写真は、本日いただいたメッセージカードの貼られた色紙と、お菓子作りが上手な人が、私の新刊書に似せて作ってくれたクッキーです。幸せ自慢として掲載しておきます。
そろそろ次の投稿を期待していますとコア読者から言われたので、書きます(笑)総裁に決まってまだ1週間なのに、一瞬抱かせた石破茂に対する期待感が一気に落ちてきています。一言居士だった石破茂なら、過去に自分が言っていた発言の責任をある程度ちゃんと取るだろうと思っていたのですが、自ら言っていたことを忘れたかのように、党内の実力者たちの言うとおりに行動しており、「嘘つき」呼ばわりをされてしまっています。解散する前にしっかり与野党で議論をする――それは基本的には予算委員会を行うという含意があったはず――と言っていたにも関わらず、党首討論でごまかして早期解散を決めてしまったり、裏金議員の公認もあっさり認めてしまうようで、総裁選で言っていたことと違うじゃないかと言われても仕方ない状況です。唯一ある程度我を通して作ったのではないかと思われる石破内閣は、おっさんばかりという印象――特に総務大臣の村上誠一郎が目立つと印象が非常に悪くなります――でまったく高評価を得られず、発足すぐの内閣支持率は岸田内閣次いで2番目に低いという結果が出ています。ただし、岸田内閣の不支持率は20%とそれほど高くなかったのに対し、石破内閣は、世論調査の結果がよくなかったために早期解散を避けざるを得なかった麻生内閣についで2番目に悪い30%です。支持率も不支持率もワースト2ということです。特に、不支持率が30%を超えているのは、消去法で投票する不動票があまり取れないことに繋がりますので、気になる数字でしょう。
石破茂自身わかってはいるようで、支持率があまりよくないことは自分が総裁選で言っていたことが実行できていないことにあるのだろうと語っていました。また、昨日日本維新の会に合流した仲の良い前原誠司と会った時には、「石破カラーを出して頑張ってください」と励まされると、「石破カラーを出すと国民は喜ぶけれど、党内が怒るからね」なんて本音を言ってしまっていました。しかし、党内にばかり顔を向けていたら、それこそ石破茂が総理・総裁になった価値はまったくありません。かつて小泉純一郎が党内の予想を覆して世論の支持を受け総裁になった時には、そのままの勢いて、党内力学を無視して、「自民党をぶっ壊す!」とか「与党でも自分に反対するのは反動勢力だ!」と啖呵を切って、国民の拍手喝采を浴び、その前の森喜朗総理で落ちきっていて自民党の人気を回復し、結果的に自民党を立て直すといったことをしました。本来なら、石破茂もそのやり方に近いことをやるべきだったのに、まったく真逆の道を選択しており、これでは総裁の顔を変えて衆議院選挙に臨む効果はほぼなく、次の衆議院選挙では自民党はかなり議席を減らすことになるでしょう。まあ野党の方も、候補者の一本化はできませんので、自公で過半数割れにはならないと思いますが、自民党はかなり議席を減らすでしょう。そうなると、石破批判が噴出してきますが、さすがにまだ何もやっていない段階で総裁交代はできないので、火種がくすぶったまま、来年夏の参議院選挙までは行くでしょう。そこで、また自民党が議席大幅減となったら、もう石破内閣は持たないかもしれません。
前号で書いたように、石破総理になって、これまで自民党保守強硬派の妨害でできなかった選択的夫婦別姓や女系天皇問題などを国会で議論して改善してくれることを期待したのですが、その種の政策は一切言わないですね。一番力を入れたがっているのは、防衛関係ですが、アジア版NATOとか国民の誰も望んでいないことをやりたいと言っていてすっかり浮いてしまっています。論功行賞で作った閣僚たちも身体検査が済んでいない人が多いようなので、そのあたりからもボロが出てきそうです。短期で石破内閣が潰れたら、次はピンチヒッターのプロの林芳正あたりが総理になるのではないでしょうか。高市早苗は虎視眈々と狙っていると思いますが、彼女の保守強硬派的スタンスは、自民党の中でも危険視されているので、次もないと私は見ています。
昨日総裁に決まってから、石破茂に関する情報がいろいろ紹介される中で、私の中で石破茂に対する期待感が急速に高まっています。もともと、私は石破茂には期待感はほとんど持っておらず、世論調査で総理大臣になってほしい人でいつも上位に位置しているのがなぜだろうと不思議に思っていたくらいでした。見た目はぱっとしないと、喋り方も無理に落ち着いて見せようとしている感じだし、そもそも政治的立場は軍事オタクだからかなり保守なんだろうが、その割には安倍晋三とは一線を画している感じでよくわからないという印象でした。
まだ昨日総裁に決まったばかりで何もしていないので、評価を変えるのが早すぎると言われそうですが、高市早苗が総裁にならなかったことが若者を中心としたネット上で、「もうこれで日本は終わった」「経済はだめだ」という声が上がっているのを聞きながら、私はそうは思わないし、高市ではなく石破でよかったと強く思うようになりました。私も今の時代の中では保守派なんだろうと思いますが、保守強硬派は好きではないし、その立場の政治家に日本社会を任せたくはありません。昨日から石破茂に関する情報を集めていたら、彼は保守穏健派なんだろうなと確信するようになりました。その意味で、石破茂には期待できるのではないかと思っています。立憲民主党の党首となった野田佳彦とは政治的信条が近そうですから、与野党対決より協力して、今まで自民党内部の保守強硬派の反対で進まなかったことを進めてほしいものです。これまでの石破茂を見る限り、総理になったからといって、これまでの主張をひっこめることはしないのではないかと思いますので、期待したいです。人間的な部分でも、今までまったく知らなかったですが、大学生の時に出会った女性に頑張ってアプローチして結婚してもらった超愛妻家だったり、銀座の料亭で政治家仲間と酒を交わすより、カレーやインスタントラーメンが好きだという庶民派のようで、おおいに好感を持ちました。
それにしても、若い人は安倍晋三元総理が好きですね。そんなによかったでしょうか?今回の高市早苗に対する期待感も安倍の後継者という期待感ですよね?「アベ政治を許さない」と怒りまくっていた人たちにも疑問を感じますが、安倍晋三を「神」のように崇める雰囲気も怖いです。新自由主義的な方針を打ち出したアベノミクスでは日本の経済が浮揚はしなかったと思うのですが、そういう認識ではないのでしょうか?私の大学生調査でも、安倍内閣だった時に実施した2017年調査では、自民党の支持率は50%を超えていましたが、岸田内閣だった2022年調査では30%台半ばに落ちていました。安倍総理時代には、モリカケ問題や野党を罵倒する総理大臣らしからぬ感情的な姿など評価できないこともたくさんあったと思うのですが、、、まあでも安倍内閣時代は自民党はすべての選挙に勝っているわけですから、若者だけでなく安倍晋三は人気があったわけですね。その魅力は一体なんだったのでしょうか?
野田佳彦はもともと好感をもっていた政治家ですし、石破茂と有意義な論戦をして、保守穏健派的路線で日本の行き詰まりを解消してほしいものです。(その路線では、絶対に解消はしないと新自由主義政策を支持する保守強硬派は思っているのでしょうが。)しかし、衆議院選挙や参議院選挙で自民党が大幅に議席を減らすことになったら、「石破下ろし」が始まるのでしょうね。その時は、前号にも書いたように、自民党が分裂してくれるといいのですが。まあ、まだ石破内閣も立ち上がっていないのに、先読みしすぎですね(笑)
非常に興味深い展開をした自民党総裁選挙が、石破茂が当選ということで終わりました。第989号に書いたように、20日ほど前に、小泉進次郎が立候補した時はこれで新総裁は決まりだと思ったのですが、公の場に出れば出るほど「こいつで大丈夫か?」という印象を与えてしまい、保守的な年配男性が多いであろう党員票が逃げていき、結局決選投票に残れないという予想外の結果になってしまいました。決選投票は、高市早苗と石破茂の争いになり、1回目の投票で2位だった石破茂が逆転で自民党総裁に決まったわけです。ここでひとつだけ強調しておきたいのは、高市早苗が総裁になれなかったのは、女性だからというようなことを言う人がいたら信じてはいけないということです。きっと誰か「やっぱりガラスの天井がある」とか言いそうな気がしますが、高市早苗の敗戦は女性だからではなく、保守強硬派だからです。立憲民主党が穏健保守的な思想を持つ野田佳彦を党首したので、高市早苗が自民党のトップになると、穏健な保守層が立憲民主党に流れてしまうのではないかと怖れたからです。高市早苗は選択的夫婦別姓にも断固反対しているような政治家です。決して女性の味方になってくれる人ではありません。
さてこれから、石破茂は党役員人事や内閣を組閣していかなければいけないのですが、小泉進次郎がなった場合のようには想像がしにくいです。まずは党の幹事長を誰にするのか。2012年に安倍晋三が総裁に返り咲いた時に、総裁選で決選投票まで争った石破茂を幹事長にしましたが、その轍で言えば、高市早苗をということになりますが、たぶんないだろうなと思います。あの2人はまったく合いそうにありません。高市早苗や麻生太郎、旧安倍派で高市早苗の推薦人になった議員たちは党内野党になりそうな気がします。今回の選挙は終わったからと言って、ノーサイドにならない気がします。石破茂は、菅義偉や小泉進次郎、そして旧岸田派あたりが主流派を形成することになりそうです。でも、小泉進次郎総理なら、菅義偉が副総理格として入閣するだろうと思えましたが、石破茂はさすがにそんな重鎮を入閣はさせないでしょう。小泉進次郎はきっと入ると思います。あと、河野太郎も前回の総裁選では手を組んでいたので、重要閣僚か党三役あたりで起用しそうです。しかし、そのくらいしか読めません。
むしろ、一言居士で通してきた石破茂には、その路線を維持して、変に女性を多めに起用するとか、刷新感を出すとか言わずに、ちゃんと仕事のできる人を入閣させてほしいものです。そして、小泉進次郎ほど前面に掲げていなかったですが、選択的夫婦別姓法案を提案して、党議拘束を外して審議してほしいものです。自民党内のパワーバランスを無視してでも、自分がやらなければいけないと思うことをやってほしいです。結果として、自民党内部がごたついて分裂でもしてくれたら面白いのですが。今回の総裁選に立候補した人たちの主張を聞いていると、この党はいろいろな立場の人を含みこみ過ぎていると改めて思いました。保守系と中道系に分かれた方がすっきりします。それぞれに日本維新の会と、国民民主党がつき、立憲民主党の一部も中道勢力として合体したらいいのです。立憲民主党の一部と共産党が合流して、リベラル政党を作り、保守、中道、リベラルの3派に分かれたらわかりやすいのです。
まあこの後も、いろいろ思いがけない事態が起きそうで、しばらくは政治が面白いと思いますので、ぜひ興味を持ち続けてください
昨日(というか日本時間では今朝でしょうか)の試合で、大谷翔平選手が6打数6安打、3打席連続ホームラン、2盗塁、10打点と大活躍をして、夢の「50-50」を達成しました。だいぶ前から、もうマンガの世界でしかないような活躍をする選手となっていましたが、みんなが期待していた「50-50」の達成の仕方は、もはやマンガすら超えている感じです。
大谷選手や藤井七冠のような特別な人たちは社会学の考察対象には向きません。社会学では、その社会現象がなぜ起きたのか、そしてそれはその後何を社会にもたらすのかを考察しますが、まず彼らのような超絶な才能を持った人の出現は社会的に説明がつけられません。もちろん、個人的努力やご両親の育て方といったことが多少は影響したというようなことは言えると思いますが、それは個人的要因で、社会学的な要因とは言い難いです。でも、スポーツや芸術ごとはすべて説明がつけられないというわけではありません。たとえば、最近日本の男子サッカーは非常に強くなっていますが、これはこの30年間ほどの間に、日本社会でサッカーの人気が高まり、かつ海外で多額の契約金や年収を得られることが知られ、運動神経に優れた多くの子どもたちがサッカー選手をめざすようになった結果という説明ができます。しかし、野球はここ数十年間に人気が増したスポーツではないですし、将棋においてはむしろやる人は少なくなっているくらいでしょう。その意味で、大谷選手や藤井七冠の登場は社会学的には説明しにくいのです。
しかし出現の説明ができなくても、その存在や現象が社会的影響力を持つなら、それを社会学的に分析することはできます。たとえば、よく阪神タイガースが優勝したら経済効果はいくらくらいなんて話がありますが、あれも一種の社会的影響力分析です。そういう意味で、大谷選手の活躍がどのような社会的影響を与えているかを考えてみたいと思ったのですが、あまりこれといったものが浮かばないんですよね。彼がCMに出ている商品が売れるとかは多少あるだろうと思いますが、そんなに大きな社会的影響とも思えません。彼のことはマスメディアやネットメディアで毎日のように大々的に報道されていますが、みんな「すごいですね」「日本の誇りです」とか言っていますが、あまりに凄すぎて、大谷選手に負けないように自分も頑張りたいです、なんて思う人はほとんどいない気がします。
今どきの時代に明るい話題を提供してくれていることは間違いないですが、その結果として日本が明るい社会になっていくなんて誰も思わないでしょう。どうもこれといった「大谷効果」が見つからず、大谷翔平の社会学は難しいなと思っている次第です。
日曜日午後10時からNHKBSで放送されている「団地のふたり」というドラマがとてもいいです。小泉今日子と小林聡美がダブル主演で、団地で起きるちょっとした事件とも言えないような事態をめぐって物語が作られています。毎回よいのですが、今日の第3話は特によかったです。認知症になったおばあさんを、団地の人たちが楽しませたり、行方不明になったりしたのをみんなで探すというストーリーでしたが、ドラマの中で何度も「お互い様だから」とか「みんなで助け合わないとね」という言葉が出てきました。今回のストーリーは特にそうでしたが、これまでのストーリーも、60年近く経った団地で、みんなが助け合って暮らしているという物語です。このドラマを見ていると、この団地は伝統的地域共同体のような役割を果たしているんだなと思います。
団地というと、地域共同体を崩壊させた都市型生活を生み出した元凶のように思われがちですが、よく考えてみるとそうではなかったなと認識を改めました。私も1960〜70年代の子ども時代、青年時代を団地で過ごしましたが、私の住んでいた団地でも様々な催しが作られ、地域共同体として機能していたなと思い出しました。1960年代から70年代前半あたりまでに団地に住み始めた人たちは、団地で地域共同体を形成することに何の疑問も持っていなかったような人ばかりでした。
団地が憧れの存在ではなくなって、マンションと名乗る建物が一般化するようになってからは、集合住宅は一気に地域共同体としての面を薄れさせたように思います。建造物の造りの問題というよりは、人々の意識・価値観の変化による影響の方が大きいのかもしれませんが、80年代、90年代を過渡期に、2000年代に入ってからは、地域共同体を構築する必要性を感じる人が激減してきています。
このドラマを見ていて楽しく幸せな気持ちになるのは、60年近く経った団地に長く住み続けてきた人たちは、そこを自分たちの大事な故郷と思い、地域の繋がりをちゃんと継続していこうという思いを持っているというストーリーが描かれているからなのだと思います。もちろん、今でもそういう繋がりがあるところにはあるのだと思いますが、そういうものは必要性も感じないと思っている人もまた多い気がします。でも、こういうドラマを見ていて温かい気持ちになるのは、こういう地域の繋がりってやっぱりいいものだなと思えるからなのでしょう。
ちょうど昨日の片桐社会学塾で、そういう地域のあり方について、みんなでいろいろ考えたところだったので、特に今日のストーリーは心に残りました。「お互い様」って思えなくなっている「不寛容の時代」を見直すきっかけにもなりそうなドラマです。
小泉進次郎が自民党総裁選の立候補を表明しました。他にも立候補する人は出てくるかもしれませんが、これでほぼ今後の政界構図が見えてきました。小泉進次郎はまだ経験が少ない、小者だという声もありますが、圧倒的な大衆人気がありますから、近いうちに選挙の洗礼を受けなければならない国会議員たちの多くは自分が再度当選するためには人気のある総裁になってほしいので、小泉進次郎にどっと票が流れ、小泉総裁、そして小泉総理大臣ということになります。まあここまでなら、しばらく前からどこでも言っていることですので、私はその先を予測してみたいと思います。それは、小泉内閣の顔ぶれです。
「刷新感」という言葉が頻繁に使われ、小泉進次郎への期待感の中では、この刷新感が一番大きいので、内閣の顔ぶれも中堅・若手が多めに入ることが予想されますが、さすがに40歳代、50歳代ばかりの内閣を作るわけにいかないでしょう。何人かは重鎮・実力者と呼ばれる人を内閣に取り込むことで、軽量内閣と言われないようにしたいはずです。で、ここからが私の予測になりますが、まず菅元総理を副総理格として内閣に入れるのではないでしょうか。過去の例だと、宮澤喜一、麻生太郎が総理経験者でありながら、財務大臣をやっていますが、菅も入るなら財務大臣の可能性が高いと思います。菅が影の総理として、小泉進次郎を操る「実質菅内閣」ということになる可能性は高い気がします。
菅義偉1人では十分ではないです。他にも実力者・経験者を内閣に入れておく必要があります。私の予測では、上川外務大臣は留任するのではないかと思います。女性であり、この間海外でも名を売ってきましたので、彼女にそのまま外務大臣をやってもらうのは手堅い選択です。石破茂、林芳正あたりも内閣に入れる可能性がかなりあるのではないかと思います。石破茂はなぜか人気がありますので、とりあえず小泉内閣の重みを増すためにも入れておこうと考えるのではないでしょうか。林芳正は何でも器用にこなす上に、喧嘩を売らないタイプなので、若い小泉総理の下でもそれなりに働くでしょう。他方で、茂木敏充や高市早苗は使いにくそうですから、内閣には入れないと思います。そして、ひとつの重要政策として選択的夫婦別姓を1年で実現させると言っているので、法務大臣にはその主張に賛同する女性議員を持ってきそうです。野田聖子はこの法案改正の主導者なので適任ですが、彼女が走ると周りがついていかない感じもあるので、別の女性議員を置くかもしれません。最近選択的夫婦別姓に理解を示している稲田朋美くらいの保守派が法務大臣になり、この改正を進めれば、うまく行くのかもしれませんが、保守を標榜し、もともとは大反対派だった稲田朋美では最後は腰砕けになる可能性もあるので、難しいかもしれません。小泉が本気なら、やはり野田聖子を持ってくるべきです。
中堅・若手もたくさん内閣に入れるはずです。総裁選に立候補している小林鷹之や、福田達夫は入ってきそうです。官房長官には、斉藤健が有力でしょう。党の幹事長は河野太郎あたりを据えるかもしれません。小泉―菅―河野の神奈川内閣・自民党ということになる可能性もありそうです。ただ、河野太郎は「なぜ俺が進次郎の下で働かなければならないのか」と不満に思いそうな人物なので、河野は使わないか、使っても総務会長あたりが無難かもしれません。思い切って福田達夫を幹事長に持ってくるというのもおもしろいかもしれません。
まあ、こんな感じで組閣したら、それなりに評価され、総選挙では自公が圧勝することになるでしょう。立憲民主党は、野田佳彦が代表選に勝ってトップに立つと思いますし、政治をそれなりに理解している人間からすると、野田佳彦は信頼に足る政治家ですが、この小選挙区比例代表選で自公政権を揺るがすほどの勝利を立憲民主党が得ることは、今の状況ではとうてい不可能です。「政治とカネ」の問題ばかり立憲民主党は言っていますが、国民はもうたいして気にしていません。10月、遅くとも11月には行われるであろう総選挙で、自公が過半数を大きく超え、小泉内閣が本格的に船出することになるでしょう。選択的夫婦別姓や憲法改正を宣言通り1年でやり遂げたら、長期政権政権も夢ではないかもしれません。
台風10号が発生したのはもう10日くらい前だったでしょうか。当初の予報では、今週初めくらいには通り抜けているだろうと言われていましたが、ものすごく遅い台風で週末になった今でも近畿には到達していません。台風は動きが複雑で、これまでにも「迷走台風」だの「逆走台風」などいろいろありましたが、ここまでスピードの遅い台風は初めてのような気がします。本当は、今日から六甲セミナーハウスで、4回生恒例の「卒論特訓合宿」の予定でした。当初は、今日あたりは台風はもう通り過ぎているだろうから、合宿はできるだろうと思っていましたが、非常に台風の進度が遅く、ちょうど合宿日頃に台風が来そうだなと思ったので、3日前に中止を決めました。しかし、実際に、今日になってみたら、台風はいまだ到達せず勢いも弱まってきていて、これなら合宿もできたなと思うような天気になっています。この10日ほどずっと台風情報を追いかけていましたが、九州や関東では大雨や暴風で被害が出ていて大変そうでしたが、ここ吹田は雨がほんのちょっとぱらつくくらいで台風の影響を感じさせることはほとんどありませんでした。これからもう少し近づいてくるでしょうから、多少影響は出るかもしれませんが、勢力がだいぶ弱まっているので、この辺ではもう警報が出ることはなさそうです。
雨雲の動きなどを予測する天気図の推移とか見ていると、大阪という地域は線状降水帯は発生しにくいのかもしれないなと感じました。雨雲は南東の方から発生してくることが多いですが、大阪は南を紀伊山地が、東を生駒山地が守ってくれていて雨雲は大阪には入ってきにくそうです。ついで言えば、冬の北から入ってくる雪雲は箕面山地が守ってくれています。その意味では、大阪は雨や雪に関しては防御の堅い地域のような気がします。ただし、南西方面は空いていますので、この方面から台風とかがやってくればそれなりに被害も出ます。2018年の台風21号はまさにそういうコースをたどってきましたので、大阪でも甚大な被害が出ました。
自然相手なので仕方がないですが、この夏はお盆の南海トラフ地震警戒と、今回の台風10号警戒で、ずいぶん予定が立てにくくなりましたね。日本は、自然から恩恵をたくさん受けている国ですが、他方でその脅威も受け止めないといけない国だということを改めて感じた夏でした。
第987号(2024.8.25)子宮頸がんってそういう病気だったのか
無料で受けられるのが2025年3月末までということで子宮頸がんのワクチンを受けましょうというCMを最近よく見るのですが、なんとなく女性しか関係しない病気だと思っていましたが、違うんですね。気になり始めたら、そもそもワクチンでガンが防げるっていうのもどういうことだろうと、この病気について何も知らなかったことに気づきました。
認識を改めるきっかけになったのは、今はまっているドラマで、主要登場人物である若い母親が子宮頸がんで亡くなったということがわかった回のネット上の感想で、その女性との間で子どもをつくった主人公の男性や、その彼と今付き合っているヒロインの女性は大丈夫なのかという感想が上がっていたことでした。なんとなく乳がんのように、女性自身の身体状況の変化によって生じるがんなのだろうと勝手に思っていたので、元彼とがどうして関係するのだろうと思ってちょっと調べてみたら、子宮頸がんというのは性交を通してヒトパピローマウィルスがうつされ、がんに発展するケースが多いのだということを初めて知りました。性交を通してウィルスがうつされ、がんに発展するかもしれない、というのは衝撃的な事実でした。性交を通してうつると言えば、性病でしょと思っていましたが、がんにもなることがあるとは、驚きました。また、ウィルスからがんになるというのも、まったく認識していませんでした。がんは原因が特定されない病気だと思っていましたので、そうではないがんもあるんだと初めて知りました。世の中、まだまだ知らないことだらけです。
がんって何なんだろうとよくわらかなくなってきたので、定義を調べてみると、要するに「生体の自己制御を外れて自己増殖する細胞集団が引き起こす病気」ということのようですが、そういう悪性腫瘍を作る原因はいろいろあるけれど、制御の効かない細胞増殖が生じてしまうと「がん」と呼ぶようですね。タバコとがんの関係もよく言われますが、そういう外在的要因で生じることが多いのでしょうか。遺伝子検査でがんリスクがわかるというような話も聞いたことがあったので、先天的な要素も大きいのかなと思っていましたが、調べたら生活習慣などの後天的な原因でのリスクの方がはるかに大きいようです。「生活習慣病」という言葉は、耳にタコができるほど聞いてきましたが、勝手に血中脂肪とかが高まって脳や心臓に負担をかける病気につながるのだろうと思っていましたが、がんにもつながることがあるんですね。まああまり怯えて暮らすのも楽しくないので、個人的には特に生活を大きく変えるつもりはないですが、認識は改めないといけないなと思いました。
実在のモデルがいる朝ドラには興味があるので結構見ており、今期の『虎に翼』も見ているのですが、回が進めば進むほど違和感が強くなってきています。それは、ドラマの時代が70年くらい前なのに、現代の価値観を持ち込み過ぎているからです。今日の話で、寅子が星航一と籍を入れない実質婚を選択しましたが、実際にはドラマのモデルとなった三淵嘉子氏は、41歳で元最高裁長官を父に持つ三淵乾太郎氏と再婚しています。もちろん、ドラマですから史実と違うところがあってもいいですが、姓が変わることを疑問視して、事実婚を選び、周りの人たちがその選択を気持ちよく受け入れるという展開は、この時代の価値観がこういうものだったんだと間違って伝えてしまうと思います。多少の史実との違い――三淵嘉子氏の実子は男性だったのですが、ドラマでは女性――は目をつぶりますが、時代の空気感を間違って認識させるような作り方には、社会学者としては非常に違和感を持ちます。
第985号(2024,8.18)藤圭子ってすごい歌手だったんだ
今どき、藤圭子なんて名前を出しても「誰?」って思う人の方が多いでしょうね。1969年に「新宿の女」でデビューし、「女のブルース」「圭子の夢は夜ひらく」と続けざまに3曲も大ヒットさせた歌手です。でも、若い人にはこんな説明より、宇多田ヒカルの母親と言った方が関心を持ってもらえるかもしれませんね。なんで、急に藤圭子の話かというと、たまたまBSで藤圭子の特集をやっていて、見始めたらとても興味深かったからです。
藤圭子のデビューからの3曲はよく覚えています。私が中学2年から3年の時でした。色白の綺麗な顔をしているのに、声はドスの聞いた声量のあるハスキーな声で、一度聴いたら忘れられないような歌手でした。笑顔を見せることは少なく、不幸な生い立ちの少女(当時18歳だったようです)という設定で、まさにそういう雰囲気を漂わせていました。そろそろ女性に対する恋心なども芽生えさせていた中学生男子にとって、藤圭子は鮮烈な印象を与えてくれました。
しかし、1971年にクールファイブの前川清と結婚、1年後にはもう離婚という人生になり、スターダムからははずれてしまい、私もその頃から後の藤圭子の歌は、ほとんど覚えていませんでした。しかし、今日特集番組を見ていたら、改めて藤圭子って歌手は素晴らしい歌唱力をもった人だったんだなと気づかされました。藤圭子の歌を初めて聞いた五木寛之が「これは、演歌でも艶歌でもなく怨歌だ」と評したそうですが、それは藤圭子の声にはまさにぴったりな表現だと思います。社会に対する何か怨みのようなものがあるのではないかという気になる歌声です。歌っている最中に、笑顔はなく、カメラを見ないので、どこか遠くを見ているような視線なのも演出なのかもしれませんが、歌声と合っていました。
さらに、今回こんな魅力もあったんだと知ったのは、歌謡浪曲「刃傷松の廊下」を聞いたことです。歌謡浪曲なんて三波春夫ものくらいしか知りませんでしたが、藤圭子の歌謡浪曲もかなりいいです。父親が浪曲師だったそうですから、子ども時代から学んでいたのでしょうが、こんな才能もあったんだと感心しました。また、男性も含めた他の歌手の歌のカヴァー曲も少し流れていましたが、これもよかったです。デビュー前に流しで歌を歌っていたそうなので、いろいろな歌を歌えるのでしょうが、上手いなあとしみじみ思いました。いわゆる歌唱力が抜群なんだということに、今頃気づきました。娘の宇多田ヒカルが小さかった頃から、藤圭子はこの子は天才だと売り込んでいたそうですが、曲作りの才能の方はともかく、あの少しハスキーな声の魅力は母親の血を受け継いでいるんだなと思いました。
Z世代に昭和歌謡ブームがあると聞いていますが、松田聖子や中森明菜あたりでは本当の昭和歌謡とは言えません。その辺で止まらずに、藤圭子あたりまで関心を持ってみてください。このあたりが、本物の昭和歌謡です。
最近はテレビを見ていても、転職エージェントのCMが非常に多く、転職のハードルが下がり一般化しているんだろうなと感じます。教え子たちからも転職を考えているという話をしばしば聞きます。まさに、転職の時代なんだなと感じます。ただ、いろいろ話を聞いていると、やはり男女で転職についての考え方はかなり違っているような気がします。男性で転職を考えているという教え子の話を聞いていると、確かに仕事が本当にしんどそうで、それは転職するしかないだろうなという気持ちにこちらもなります。でも、この転職パターンは、ある意味昔からの転職パターンで、もともとは転職をまったく考えていなかったし、決まった会社でずっと頑張るつもりだったけど、あまりにきつすぎるので辞めたい、転職したいという気持ちになっているパターンです。あと、これも昔からの転職パターンですが、ヘッドハンティングされて、あるいはより条件の良い企業に転職するというパターンが見られます。これらの転職パターンは、決して今どきの転職のハードルが下がったから、なんとなく転職してみようかなというパターンではなく、私たち世代でも共感できます。
他方、女性陣の転職パターンは非常に現在的な気がします。職場の環境が悪すぎるという形で転職を考えているという話はあまり聞こえてこず、それぞれいろいろな考えから、別の職業、生活を試してみたいという転職パターンが多い気がします。地元で就職したけれどやはり東京や大阪という都会で働いてみたい、ワーキング・ホリディを経験してみたい、別の仕事をしてみたい、等々。確かに、今は人手不足の売り手市場ですから、次の仕事を見つけるのもそう大変ではないのでしょう。就職して1年以内に辞めるようでは、次も難しいかもしれませんが、2〜3年働いてからの転職なら、受け入れる側もそれほどマイナスイメージはないでしょうから、仕事は見つかるでしょう。でも、こういう転職を繰り返していると、職場での立場は上昇できず、ほぼ使われるだけの仕事になってしまいそうです。男性の転職が、自分が本気で腰を据えて長く勤められるよりよき職場を求めての転職なのに対し、女性たちの転職は、仕事以外の自分の人生を楽しむための転職という感じがします。
しばしば「マミートラック」などが話題になり、ずっと勤めている会社なのに女性は出世もさせてもらえないという指摘がされますが、教え子たちを見ている限り、女性でも――母親になっても――長くひとつの会社に勤めている人はそれなりに出世しています。転職をしたいと話している若い女性の教え子たちも、みんな就活を頑張って、それなりに納得の行くところに勤めたはずですが、そこで一生働くという人生設計は念頭にないようです。15年くらい前頃までに卒業した人たちはまだ育児休暇も取りにくい企業も少なくなく、そうしたハードルを越えながら転職もせずに初職の会社で頑張って働き続けていた人が多かったですが、就職状況が良くなったここ7〜8年以内くらいに卒業した現在20歳代の女性たちは、もう価値観が違うようです。仕事は自分の人生にとってそれほど大きな価値は持っていないと考えているように思います。なんのかんの言っても、多くの女性たちはいつか結婚し、子どもをもつ未来像を漠然とながらも描いていて、その私生活にフィットする働き方でいいと思っているのではないでしょうか。仕事で自らのアイデンティティが形成されるとはまったく思っていないので、一つの職場で立場を得てバリバリ仕事をする未来像は描いていない気がします。
私はこういう若い女性たちの選択を別に残念なことだとは思っていません。もちろん、ひとつの職場でバリバリ仕事をしたいという女性もいるでしょうし、それもいいと思います。しかし、他方でそこまで仕事に比重を置かない人生選択をする女性たちがいるのもそれはそれでいいと思います。いい、悪いということではなく、こんな時代になっても、仕事の位置づけが男女でかなり違うということが、転職問題からも見て取れるということを指摘したかっただけです。最後にしいて言えば、30歳代でも40歳代でも改めて働きたいと思った時に、ちゃんと充実した仕事が見つかるような、新卒採用重視でない社会にどんどんなっていくといいなと思っています。
誰もが予想していたことで驚く要素はほとんどないですが、岸田総理が秋の自民党総裁選に立候補しないと表明しました。せいぜい、このお盆休みの最中に急に発表するとは、という驚き方をマスコミはしていましたが、私は、発表を今日にしたのは前々から決めていたんだろうなと何の不思議もありません。パリ・オリンピックが終わるまでは、国民がみんなオリンピックに関心を持っている時期なのでやめておき、メダルを取った選手たちを慰労した翌日に発表というのは、わかりやすい発想だと思います。マスコミの記者たちは、お盆休みから急遽帰らなくてはならなくなったと言っていましたが、記者の予定など岸田総理は視野に入れていません。国民の関心がどこにあるかを考えているだけです。であれば、今日はぴったりの日です。
それにしても、岸田文雄という人は、総理としての評価が低かったですね。私もたいして評価はしていませんが、考えてみると、彼は一体どんな大きなミスをしただろうかと思うと、特に大きなミスはなかったと思います。内閣支持率もどんどん下がり、マスコミから酷評ばかりされる中でも、報道陣に対していらだった姿勢をみせることもなく、冷静に対応していました。考えようによっては、非常に精神的に安定した落ち着いた総理大臣だったと言えるのではないでしょうか。彼の経済政策が素晴らしかったわけではないですが、安倍総理が8年近くの時間を使ってもできなかった賃上げが岸田総理の最後には実現したわけですから、経済政策も失敗したわけではありません。昭和の時代なら、落ち着きのある名総理と言われたかもしれません。
でも、今の時代は昭和とは総理に求めるものが違うのでしょうね。落ち着きのある安定的な総理大臣より、派手なパフォーマンス上手の総理が人気のある総理と国民が見る時代になっています。小泉純一郎からそうなりました。安倍も小泉のすぐ後に総理になった時は、パフォーマンス下手で評価が低く自民党下野のきっかけを作ることになりましたが、2012年に復活してからは、前回の反省を生かしてパフォーマンスがうまくなり、評価を高めました。安倍の後の菅も、そして今の岸田も、小泉や第2次政権後の安倍のように国民受けするパフォーマンスができなかったので、不人気な総理となってしまいました。
こうした総理総裁の人気に乗っかって選挙に勝ちたいと自民党政治家がこぞって思うなら、次は小泉進次郎とかが来る可能性もあります。しかし、麻生太郎のような自民党の年寄りを中心に、そういう浮ついた人気取りなんか要らない、党の中でどれだけ汗をかいたか大事だと言うような考えをする人も結構いますので、そういう親分たちの意向が強く出れば、茂木とか林とかが浮上してきそうです。まあとりあえず、どんな候補が出てくるか見守りたいと思います。
昨日の宮崎沖の地震は、関西ではほとんど揺れなかったのですが、南海トラフ大地震の注意報が出されることになり、昨日のテレビ放送はNHKを中心にずっとその情報を流していて、見ていると不安がどんどん増してきてしまいました。地震は怖いです。1995年1月の阪神淡路大震災と2018年6月の北大阪地震で、2度も家の中がめちゃくちゃになった経験をしているので、トラウマが蘇ります。2度も被害を受けているのに、地震対策はちっともちゃんとできていません。また地震が起きたら同じような被害が生じてしまうだろうなと思いつつ、どこをどう手をつけていいのかわからず、何もできていません。
今回すぐに起きるかどうかはわかりませんが、30年以内に東南海地震が起きる可能性は80%以上って言われてから、もう10年以上経っている気がしますので、そう遠くないうちに必ず起きるのでしょう。怖くて仕方ありませんが、どこかに逃げるわけにも行きません。日本国内なら、地震から逃れられるところはないでしょう。20歳代後半まで関東に住んでいて、震度3くらいの地震はちょくちょく起き、半分慣れてしまったような気がしていましたが、阪神淡路大震災と北大阪地震の怖さは、そんな慣れの感覚を吹き飛ばすものでした。それ以降は、震度1程度の揺れでも怖くて仕方ありません。地震恐怖症といった心理状態になっています。
たまたま1週間くらい前から、「地震が来たら嫌だなあ」となんとなく不安感に捕らわれていたところに、昨日からの注意情報なので、なんか妙な予感が働いていたわけではないよなあと心配になっています。地震はいつか必ず起きるのでしょうし、死ぬことはないかもしれませんが、いろいろなことがめちゃくちゃになった後に、気持ちを立て直すことができるのか不安です。阪神淡路の時はまだ39歳で、子どもも小さく、地震に負けてはいられないと気力が出ましたが、2018年の北大阪お時は63歳で、子どもたちも独立していたので、阪神淡路の時のように復活への気力がなかなか出てこず、しばらく落ち込んでいました。70歳近くになった今、三度被害を被ったら立ち直れないのではないかと自分で不安に思っています。まだやり残したことはあるので、少なくともあと1年半はまだ落ち込んでなどいられないですが、退職後に被害を被ったら危ないです。
前号で、男子サッカーくらいしか見てないと言いましたが、最近はもうちょっと見始めています。きっかけは女子サッカーのアメリカとの準々決勝でした。圧倒的にアメリカが強いだろうから見なくてもいいや、まあ前半で2点くらい取られたらテレビを消そうと思ってみていたら、前半0-0で「おっ、頑張ってるな。もう少し見てみようかな」と思いながら、そのまま見ていたら後半も0-0で延長戦になり、それも一方的に攻撃される感じでもなかったので、もしかしたらと思って最後まで見ました。最後は0-1で負けましたが、いい試合でした。女子サッカーが終わったタイミングで、チャンネルを変えたら、ちょうど柔道団体の決勝戦が始まるところだったので、思わずそのまま見続けてしまいました。フランスの方が大きな選手を用意していて、これは勝てないだろうな、すぐ終わるかなと思って見ていたら、なんと3勝1敗で王手をかけて、阿部一二三の登場で、これは勝ったなと思いました。しかし、ご存じのように、その後3連敗をして優勝を逃したわけですが、見応えはありました。このあたりから、やっぱり、オリンピックはそれなりに面白いなと思い、昨日の男子バレーです。
最近バレーボール、特に男子が大人気と聞いていたのですが、予選もあまり調子がよくなかったようなので、きっと今日で終わりだろうな、どんな試合をするか、一応見ておこうかなと思い、軽く見始めたら、2セット先取して、第3セットも3点差をつけてマッチポイントを握り、これは勝ったなと思ったら、追いつかれ逆転されてしまいました。そして第4セットも、第5セットもデュースになる熱戦になったので、目が離せなくなりました。最後は負けてしまいましたが、こんなに真剣に男子バレーボールを見たのは、1972年のミュンヘン・オリンピック以来でした。特に、あの時の準決勝のブルガリア戦を思い出しました。あの時は、日本が2セット先取されて、その後3セット取り返して逆転勝ちをしました。深夜の放送でしたが、高校2年生だった私は真剣にずっと見ていました。あの時の日本は今回のイタリアの立場で大逆転勝利をしたわけですが、今回は残念ながら逆の立場になりました。ただ、試合としてはミュンヘンの時の試合より接戦で、負けた日本にとっても納得のできる素晴らしい試合でした。後々まで記憶に残る試合になったと思います。
でも考えてみると、私が真剣に見ていた試合は全部いい試合でしたが、日本が負けるという結末になっています。体操とかフェンシングを見ていたら違う結末だったのでしょうが、それらの競技は生では見てないので、善戦したがだめだったというのが、私のパリ・オリンピックの観戦記憶になりそうです。
毎日暑いですね。まさに酷暑という感じです。こんな時期にオリンピックですから、みんなテレビで観戦というところでしょうか。でも、パリとは時間差がよくないので、決勝戦やここぞといった試合は日本時間だと深夜の時間帯が多くなるので、なかなか生では見られないですよね。私ももともとそこまでオリンピックに興味はないので、あまり見てないのですが、男子のサッカーだけは予選3試合とも録画して全部見てきました。そして、昨日のスペインとの準々決勝は、日本時間午前0時キックオフだったので、頑張って生で見ました。
結果は0‐3で負けてしまいましたが、点差ほどの差はない試合で、勝てる可能性も感じさせた試合でした。前半早い時間に見事なミドルシュートを決められて、これはやはり厳しいかなと思いましたが、その後前からプレスをかけ続けボール支配率も上がり、前半終了間際にFW細谷が相手DFを背負ってからの見事な反転股抜きシュートでゴールネットを揺らし、同点になったと誰もが思いました。しかし、藤田からのパスが出された際に、細谷の右足がほんおわずかだけ相手選手より前に出ていたとVARで判定され、オフサイドとなり、得点は取り消されました。これには、日本選手だけでなく、スペイン選手も観客も唖然という感じでした。通常オフサイドに判定が変わる場合は、相手チームがオフサイドを主張しているということが多いのですが、細谷のシュートに関してはスペインも一切そうした主張はしておらず、納得の失点という感じだったのに、主審なのか、ビデオ判定員なのかわかりませんが、誰かがVARチェックの必要性を認めたことで取り消されてしまいました。
オフサイドというのは、守備陣よりもゴールに近いところで攻撃者がパスを待つというような安易な作戦を取らせないために必要なルールですが、今回のようなどちらのチームも納得しているようなシュートを取り締まるものではないはずです。人間の目で見てもめるようなケースにはVAR判定が使われるべきだと思いますが、今回は過剰な適用だった気がします。まあ映像を確認する限り、確かにほんの少し足先が前にあったようですので、ルール適用としては間違ってはいないのでしょうが、すっきりしない結果になりました。もしもこの1点が取り消されていなければ、1‐1となり、その後の試合展開も変わってきたように思います。
さて、昨日の試合についてはこの程度の感想にして、今後伸びてきそうなU-23の選手について語っておきます。今年4月に行われたアジアカップ以降、このU-23のチームの試合をたくさん見てきましたので、選手の特徴もだいぶつかめてきました。この3か月半くらいの間だけでも、各選手はかなり自信をつけ、能力も高めてきましたので、今後A代表で活躍する選手が何人も出てくるでしょう。私が期待する選手をあげておきます。まず、GKの小久保がいいです。反射神経が抜群で、若き日の川口能活を思い起こさせます。川口より無理なプレーをしないだけ、小久保の方が安定感もあるよいキーパーになれそうです。しかし、GKはたった1人しか出られない狭き門ですから、すぐにA代表でレギュラーとはいかないと思いますが、ぜひ育ててほしい1人です。次いで、CBの高井がいいです。まだ19歳だそうですが、192cmの高身長にもかかわらず、足元も安定していて、すぐにでもA代表で使ってみたい逸材です。そう遠くないうちに、A代表にも召集されるでしょう。
両SBの関根と大畑も使えると思います。今、A代表はSBの人材不足ですから、彼らが入っていけるチャンスはおおいにあると思います。MFでは確かにキャプテンを務めた藤田が視野も広く、球扱いもうまいですが、ここはA代表も人材がひしめいていますから、A代表でデビューするのは簡単ではない気がします。もう少し体を作り、ぶつかりあいにも負けないようにならないとなかなか厳しいのではないでしょうか。他のMFもみんなそれぞれ能力はあると思いますが、今のA代表のMFたちを押しのけてA代表に定着できるかというと、これも厳しそうな気がします。
最後に、FWの細谷です。彼に関しては、アジアカップの頃は動きの鈍い、ボールに絡めないFWだと酷評していたのですが、この3か月半の間に自信を取り戻したのか、最後のスペイン戦では輝きを見せていました。幻に終わった得点シーン以外にも、スペイン選手を背負ってポストプレーをし、ボールをキープするという強いFWであるところを何度も見せてくれました。大迫以来ポストプレーヤーにこれといった人材が見いだせていないので、上田と競わせる形でA代表に召集されるべきだなと考えを改めました。
9月からA代表のW杯アジア2次予選が始まりますが、そこに今回のU-23メンバーが召集されるかどうか、また試合に使われるかどうか、森安監督の判断を楽しみにしたいと思います。
第979号(2024.7.24)アメリカ国民の良心が問われる闘いになった
バイデン大統領が民主党の大統領候補を辞し、カマラ・ハリス副大統領が民主党の大統領候補になることがほぼ決定しました。バイデンのままではまったく勝ち目はないと思っていましたので、これで面白くなりました。ハリスは副大統領としてたいした仕事をしていないといった声もあるようですが、大部分の有権者はそこまで深く考慮して投票する人は少ないでしょうから、あまり大きなマイナスにはならないと思います。多様性の重要さと国際協調を唱える非白人で今年60歳というまだ働き盛りの女性政治家vs.アメリカ・ファーストと叫ぶ今年78歳の白人男性政治家というのは、非常にわかりやすい対決構図で、アメリカ国民がどちらを選ぶのか、アメリカ国民の良心が問われる選挙になりました。
私はトランプのような権威主義的な政治家が嫌いなので、ぜひハリスに勝ってほしいのですが、非白人の女性大統領を果たしてアメリカ国民がしっかり支持するのかは微妙な気がします。トランプは先の銃撃事件でも無事だった不屈の神に選ばれし男というイメージも作られています。白人&キリスト教徒からしたら、トランプは支持したくなる存在でしょう。
常々多様性ばかり叫ぶ世論に疑問を持ってはいますが、だからと言って、他者や友好国も批判し、自分とアメリカが一番だ、正しいと叫びまくるような男に、世界最強国の舵取りを任せるのは絶対嫌です。アメリカ国民の良心に期待したいと思います。
第978号(2024.7.22)ノンアルコールの時代がやってくる?
日曜日の朝日新聞に「醒めゆく時代」というタイトルで3頁に渡って、今先進国でアルコール離れが進んでいるという特集が組まれていました。特に、Z世代はアルコール離れが進んでいると指摘されていました。確かに、大学のゼミ等でも飲み会の頻度は減っていますので、そうなんだろうなと思います。講義の履修者の中には、「上司との飲み会があるようなブラックな会社には勤めたくない」なんて感想もありました。アメリカの社会学者の分析では、Z世代は常に生産的でありたいと思い、オンの状態でいるためには、飲酒が社会的リスクになると考えるのだそうです。若い人たちを見ている限り、常に生産的でオンでいたいと思っているようには見えないので、必ずしもこの分析は的確ではない気がしますが、酔うことや飲み会自体にはあまりよいイメージを持っていないことは確かな気がします。飲み会と言えば、酔っ払いが必ず生まれ、迷惑な行動をする人が出るというマイナスの印象は、多くの人が持っているように思います。
まあ確かにそういうケースも多いですよね。私の長い飲み会の経験の中でも、自分が潰れた時、ひどい潰れ方をした人が出た時、ハラスメント的行為が起きた時など、思い出せば良くない印象を残した飲み会も多々ありました。でも、最近の私はいろいろな人との飲み会をするのが趣味のようになっていますので、少なくともトータルでは飲み会にマイナスイメージはないどころかプラスイメージを持っています。せっかくなので、この機会に飲み会のプラス機能について考察してみたいと思います。
まずZ世代の代表である今の学生との飲み会について考えてみます。今どきの学生たちは自由参加にすると参加してくれない人がかなり出るので、ゼミで飲み会をやるときは合宿や正規授業の一環のような感じで企画しています。(もちろん、どうしても嫌な人は不参加も許容しています。)半分渋々参加した学生もいるとは思いますが、参加すればそれなりに楽しかったと思わせる自信はあります。通常の授業では見られない表情が互いに見えて、新鮮な楽しみを感じるはずです。ゼミ1年目の3回生のうちに、そういう飲み会ならではの楽しみに気づくことができれば、卒業後も十分付き合っていけます。
私が飲み会をするのはゼミ生やゼミ卒業生ばかりではなく、授業で出会った社会人や新たにやってきた同僚の教員などにも声をかけて飲み会をやったりしています。誰でも彼でも声をかけているわけではなく、対面での付き合いが好きそうな人を選んでいますが、まあ大体人選は外れません。基本的に話好きなオープンな雰囲気の人を選んでいますので、いつも楽しい時間を過ごしています。他にも昔からの友人とも、アルコールを介して昔話や現状報告を楽しくすることができています。
飲み会ではなく、ノンアルコールの食事会や飲食なしでも懇親会はできるのではと言われそうですが、やはり適度にアルコールが入って、日常とは違う雰囲気になることが大事です。飲食なしの懇親会なんて、ただの会議になってしまいますし、ノンアルコールの食事会も日常とあまり空気が変わらない気がします。(たとえば、ゼミ合宿でもノンアルコールの夕食時とアルコールのある懇親会時はまったく違う空気になります。)
もちろん、飲み会にも節度は必要です。好き放題飲んで周りに迷惑をかけるような飲み方(特に、他者に過剰に攻撃的になるような飲み方)をする人間は百害あって一利なしです。私が一緒に飲む人にそういう人はほとんどいませんが、万一そういう飲み方をする人だと知ったら、もうその後は一緒に飲みません。お酒は楽しく飲める程度の量だけ飲み、軽い非日常気分を味わい、トークを楽しむ場です。なお、飲めない人でも、飲み会の空気を楽しめることができるなら、ウェルカムです。
飲み会は「ハレ(晴れ)の場」とまでは言えないと思いますが、「ケ(気)」が枯れた「ケガレ(穢れ)」を回復する場としての機能は果たしていると思います。日常で溜まったストレスを解消するためには、非日常気分を生み出せるアルコールには一定の役割があると、私は思います。
追伸:最近のビールのCMって、妙にZ世代の若い女優さんが使われていますよね。なんとか、その世代の若い女性たちに飲んでほしいという意図からなんでしょうね。
2025年の大阪万博開幕まであと9か月ほどに迫ってきましたが、いろいろ問題が多いようですね。この万博に関して触れる報道は、しばしば1970年に同じ大阪で開かれた日本万国博覧会と比較することが多いです。この1970年の日本万国博覧会は、高度経済成長期の真っただ中に行われたこと、多くの奇妙な建築物や太陽の塔の存在があったことで、いまだにファンも多く、日本の現代史において無視されることはない歴史的事実として記録されています。
しかし、実は1970年の日本万国博覧会以来、日本で国際博覧会が開催されていなかったわけではなく、1975年には沖縄海洋博、1985年にはつくば科学博、1990年には大阪花博、そして2005年には愛・地球博が開催されています。私は、歴史的環境についての本も出し、吹田の万博記念公園には、毎年3回生ゼミ生とともに「EXPO ’70 夢の跡を追う」という企画もやっているので、他の博覧会跡地が、それぞれの跡地がどうなっているのかを調べてみたくて、4年前には花博跡地の鶴見緑地公園に、昨年は筑波まで出かけました。そして、今回愛・地球博の跡地であるモリコロパーク(愛・地球博記念公園)に行ってきました。
名古屋駅から地下鉄東山線で終点の藤が丘まで行き、そこからリニモに乗って、愛・地球博記念公園駅に行きました。リニモって、愛・地球博の時に造られた交通機関でリニアモーターカーの仕組みで動いているんだよなとワクワクしながら乗りました。2005年に愛・地球博に行った時には、車で行ったので、リニモに乗っていなかったので、おおいに期待してました。しかし、当たり前ですが、スピードがすごく出るわけでもなく、リニア感は全然ありませんでした(笑)
3連休の初日でしたが、人出はそれほど多くはなく、のんびり回れましたが、ジブリ関係の施設のある方はそれなり人が来ていて、コスプレ的な要素を身に着けている人も結構いました。無料で入れる「愛・地球博記念館」はガラガラだったのに、ジブリの方はにぎわっていたので、今やこの記念公園はジブリの公園という位置づけになっているのだろうなと思いました。
しかし、私の目的は、愛・地球博の方なので、当時を思い起こさせるものを紹介します。記念館は当時展示していたものなどをある程度残してあってなかなか見応えがありました。当時の会場のジオラマ模型もありましたが、1970年の日本万国博覧会と違い、各国が独自にユニークな建物を建てたりしてないので、ジオラマ模型はそれほどワクワクはしませんでした。企業館の方はちょっと変わった建物もあり、当時も人気だったようです。ロボットによる演奏が行われていたり、ロボットやコンピュータ技術を使ったものが話題でしたが、今見ると、まだまだこの時代はコンピュータもこんなレベルだったんだなと、とてもしょぼく感じました。あと、受付ロボットや司会役ロボットの現物が記念館に展示されていましたが、みんな女性の姿で、それもかなり女性性を強く強調し過ぎたようなものになっていて、今の時代ではこんな化粧やファッションはさせられないだろうなと思いました。
1970年の日本万国博覧会の時に造られた日本庭園は、今でも吹田の万国博記念公園の中で心地よい空間になっているので、愛・地球博の日本庭園も期待して見に行きましたが、なんか池が無駄に大きく、小さな空間に世界をイメージさせる日本庭園の良さが全然出ていませんでした。もともと、この愛・地球博は、この長久手の青少年公園をメイン会場にする予定ではなく、海上の森を開発して開催する予定だったのが、いろいろな問題からメイン会場を移し、規模を縮小し、テーマも変えて行うことになったものなので、付け焼刃的な造りのところも多かったようですが、この日本庭園もちょっとなあ、という感じでした。そもそも1970年の頃のように、外国人や外国の文化と出会って新鮮な喜びを感じるというような時代ではなくなっていたので、話題性といった面では欠けるところもあったようです。入場者数も開幕当初が悪くて、終わりに近づく従って、人気が多少出てきたようです。それでも目標人数の1500万人は大きく超え、決算も黒字になったそうです。いろいろツッコミどころ満載でしたが、自然を大事にしたのんびりできそうな広い公園として再生されているのは悪くないなと思いました。
このつらつら通信や、その抜粋をまとめた「社会学的エッセイ」を改めて読み直していると、我ながら本当にいろいろなことを書いてきたなと思います。社会学を教える限り、世の中の様々な出来事になるべく関心を持ち続ける必要がありますので、その意味ではなんとかやれてきたなと思います。しかし、教育以外でお金を稼いだことのない狭い世界を生きてきた人間ですから、自分の経験だけでは気づけないことだらけです。どうやって情報を得ているかというと、まずは一般的なマスメディアのニュースです。つまり、テレビ、新聞です。今の時代は、若い人を中心にマスメディアよりはネットメディアの方が重要な情報源になっているのだと思いますが、私はネットメディアからの情報はyahooニュースをさらっとチェックする程度なので、SNSで話題になっていることなどは、マスメディアが取り上げるようになってからようやく気付くという感じです。その意味では最先端を行っていませんが、最先端の出来事はまだ社会学的に取り上げるべき問題かどうかがわからないので、そこまで最先端を知りたいとは思っていません。私が興味があるのは、大衆が関心を持つような問題なので、マスメディアを中心にしていてもそれなりに情報は得られます。ただし、大事なのはマスメディアの情報を鵜呑みにしないことです。なるべく複数のメディアから情報を入手すること、またメディアが触れない視点からも、ニュースや出来事を分析してみることです。
マスメディア情報以上に、私にとって重要な情報源は教え子たちです。卒業後30年以上経ち50歳を超えた教え子たちから20歳を過ぎたばかりの現役大学生まで、様々な経験を持った教え子たちがざっくばらんに付き合ってくれて、いろいろな話を聞かせてくれます。そんな話から、自分が経験できない社会の実態を知り、分析してみたことがたくさんあります。「小1の壁」も「大企業の転勤制度の実態」も「セックスレス」も「子連れ離婚」も「マッチングアプリの実態」も「最近の恋愛事情や婚活事情」も、みんな教え子たちの話から知り、社会学的に分析してみたくなったものです。これは、社会学者(社会学教育者)として生きていく上では、本当に貴重な財産です。よき社会学者であるために計算してやってきたことではないではなく、教え子たちと飲んで話したり、メールやLINEで交流したりするのが楽しいからやってきただけのことですが、結果として、教え子たちとの付き合いは私をよき社会学者にしてくれたと思います。異なる世代と付き合うことは新鮮な情報が得られる貴重な機会です。若い人たちも、異なる世代である私と話をすることで、今まで考えていなかったような視点を得てくれていたら嬉しく思います。
あと1年8か月ほど大学教員という立場ではなくなりますが、このHPはどこかサーバーを変えて続けていきたいと思いますので、こうした現代社会分析はボケない限りやり続けたいと思います。50歳近く年齢の違う最後のゼミ生たちともこれから10年以上付き合って、どんな30歳代になるのか見守りたいなと思います。そのためには、現役の今も卒業後もざっくばらんに付き合える関係にならないといけないですね。付き合ってもらえるかな(笑)
東京都知事選の大勢が判明しました。小池百合子の当選は誰もが予想していたことでしたが、2位が蓮舫ではなく、石丸伸二になりそうだということが大きな話題となっています。各民放の出口調査では、10〜20代、30代という若い世代では、石丸伸二が小池百合子を抜き1位だったようです。石丸伸二という人物に何か特別な魅力があるのかどうか、私にはよくわかりません。むしろ、2年前の参議院選挙でも参政党が小さなブームを起こしたのと基本的には同じ期待感なのではないかと思います。つまり、単に既成政党にノーという空気を強く出すと、それなりに人気を得られるというパターンです。
しかし、とりあえず石丸伸二という個人は、しばらくはスポットライトを浴びることになるでしょう。国政への進出は?と問われ、選択肢としてはありうると答えていましたし、これだけ顔と名前が売れたので、立候補すれば当選する確率は高いでしょう。岸田首相の選挙区からの立候補もありうるなんてことも言っていましたが、本当にやったら最大の注目選挙区になるでしょう。ただ、彼の今の人気は既成政党から独立して活動しているから得られているものなので、もしも国政選挙に出る場合にも、完全無所属の方が票が集まるでしょうが、完全無所属で国会議員になった場合、実質的には何もできません。国会は多数決で決めるところです。たった1人で、いやもしも新党を作ったとしても少人数では何もできません。
そう考えると、彼が賢ければ、国政には出ないという選択をするのではないかと思います。しばらくは、橋下徹のようにコメンテーター的仕事で食いつなぎ――彼の場合はYoutubeで十分稼げるのかもしれませんが――、次に行われる都市部の知事選挙か大都市の市長選挙あたりを目指すのが賢い戦略だと思います。ただ、いつまでメッキが剝がれずにいられるかはわかりません。新鮮なものには、大衆は引き付けられますが、飽きるのも早いですからね。とりあえず、しばらくは注目してみたいと思います。
先日朝日新聞で最近の相撲界では、学生相撲出身者が活躍しているという記事があり、そうした学生相撲出身力士の一番最初にあたる力士として、山錦善治郎が紹介されていました。山錦という力士、どこかで名前を聞いたようなくらいの知識でしたが、調べてみたら非常に興味深い力士だったので、紹介しておきます。
まず新聞で知って一番驚いたのは、彼が関西大学の出身だったということです。戦前、それも1917(大正6)年に初土俵を踏んでいますので、まだ関西大学が大学に昇格する前で、彼は関西大学専門部に進学し、学生相撲で活躍した後、大学を中退して相撲界入りをしたそうです。1922年に十両昇進、翌年に新入幕。1926年には小結に、1927年には関脇に順調に出世し、1930年夏場所にはなんと平幕で全勝優勝を飾っています。(この優勝以降長らく大阪出身力士の優勝はなく、2016年秋場所の豪栄道の優勝が83年ぶりだったそうです。そのまま行けば大関昇進の可能性もあったのではないかと思いますが、1932年の春秋園事件で、天龍たちと行動をともにし、相撲協会を脱退してしまいます。(春秋園事件については、下記の本紹介で詳しく書きましたので、そちらをご覧ください。966.大山眞人『昭和大相撲騒動記 天竜・出羽ヶ嶽・双葉山の昭和7年』平凡社新書)
力士たちの待遇改善を求めたこの行動は結局十分な成功はせず、多くの力士が相撲協会に頭を下げて戻ってしまいますが、山錦は天龍の懐刀として最後まで意思を貫き、大相撲には復帰しなかったそうです。天龍は非常に頭がよくリーダーシップもあった人だったそうですが、大学出身力士だった山錦は、その参謀格だったそうです。相撲界引退後は、旅館や工場経営などをしていたそうです。
ついでに関西大学の相撲部のことも調べてみたら、関大相撲部は日本でももっとも古く創設された相撲部ですでに130年以上の歴史があるそうです。関大相撲部の歴史には山錦のことも当然紹介されていました。1950〜60年代には3人の学生横綱も出したそうですが、大相撲界に入門したという事実は記録されていないので、戦後は関大出身力士はいないのかもしれません。今前頭上位で活躍する宇良は関西学院大学出身ですが、関大出身は今後もなかなか現れそうもないですね。関大相撲部で稽古を積んでいたというウクライナ出身の安青錦に、関大相撲部関係者として期待するしかなさそうです。(安青錦については、「第931号 令和5年九州場所総括(2023.11.26)」に紹介していますので、ご参照ください。)
メディアで一切指摘していないのですが、私は、天皇・皇后を迎えてのイギリスの晩餐会の席順が気になっています。中央にチャールズ国王夫妻が座り、チャールズ国王の右隣に天皇が、カミラ王妃の左隣に皇后が座っているのですが、通常国賓を迎えての晩餐会の席順はこういう席順ではなく、国王と天皇が中央に並び、国王の右隣に皇后が、天皇の左隣に王妃が座るものではないでしょうか。日本で、天皇主催で国賓を迎えた時の晩餐会はそうなっています。そうでないと、中央に座る国王夫妻が主役で天皇夫妻が脇役になってしまうので、この席順は万国共通だと思っていたのですが、イギリスは違うようです。韓国の大統領がイギリスに行った時もやはりイギリス国王夫妻が中央に座っていたようです、大英帝国時代のなごりでしょうか。イギリス王室事情に詳しい人でないとわからないでしょうね。
先日放送していたNHKスペシャルはひどい番組でした。「ヒューマンエイジ第4集 性の欲望 デジタル技術解放か堕落か」と題された番組で、冒頭はオンラインポルノやAI搭載のセックスドールの存在が、生身の異性との交流にマイナスの影響を与えているという話でスタートしたのですが、後半になって研究者みたいな人たちが出てきてからは、性の多様化やそもそも性的行為に興味がないという人たちもちゃんと認めてあげないといけないという話になってきて、一体どういう危機感を持っていて、どういう方向に向かわせたいのか、さっぱりわからない番組になっていました。
最後の方だけ見ていたら、オンラインポルノにどっぷりはまるのも、AIセックスドールやAI恋人と一生を共にするのも全然いいよねという印象になります。でも、本当にそれでいいのでしょうか。素朴におかしくないですか?AI恋人とかは、すべてこちらの要望に応えてくれるようになっているようですが、そんな相手とだけ付き合うなんてことは、恋人関係だけでなく、通常の人間関係でもできないのに、そんな関係だけでもいいんだよとささやかれ続けたら、まともな人生は送れなくなります。人間も動物種の一種です。もっと生物としての本来の機能を大切に考えるべきです。頭でっかちの人類に、未来はないです。
知事選の勝負自体は、小池百合子の3選でほぼ間違いありませんが、むしろ今回の都知事選の話題は、NHK党の掲示板売買問題になっています。正直、この話を最初に聞いた時に、選挙を冒涜し利益をあげようという最低の行為だと思いましたが、最近になって党首の立花孝志が後付けかで言い始めた「そもそもこんなに掲示板を作ることがいかに無駄かを知らしめるために、こういうことをやったのだ」というのは、彼の行動の肯定にはつながりませんが、ある意味問題提起の意味は確かに持っているかもしれないと思うようになってきました。
最初に、このニュースを聞いた時は、この選挙が終わったら、公職選挙法が改訂され、候補者以外は絶対にポスターを貼れないようにすべきだと思いましたが、そもそも今の時代、こんなに掲示板を作る必要はないのだから、掲示板自体を廃止してしまえばよいというのは一理あると思います。完全廃止は、ネットとか見ない人もいるのでまずいでしょうから、投票場前だけ設置するということでいいように思います。掲示板の大幅な削減と掲示個所を使用できるのは候補者だけで、それ以外の人が使用した場合は罪に問うという法改正で多少事態の悪化は防げるでしょう。ただし、東京都の有権者は1150万人以上いるそうですから、3000〜4000か所くらいは残ってしまうかもしれませんが。
しかし、問題は掲示板だけではありません。東京都の衆議院補欠選挙でめちゃくちゃやりたい放題のことをやった「つばさの党」の党首もこの都知事選に立候補しています。また、何かやらかすのではないかと思います。彼らの狙いはSNSの動画再生数を稼いで、それで広告収入を手に入れようということです。こんなくだらない動画は見なければいいと私は思うのですが、見たがる人はたくさんいるんですよね。「つばさの党」に限らず、候補者が56人もいるというのはそういうことを狙っている人がたくさんいることを示しています。(NHK党から立候補している24人を抜いても32人は過去最高の候補者数です。)
街頭活動も危ないですが、それ以上にSNSでの動画再生回数を狙っている候補者は、NHKの政見放送で何かしでかすことを狙っているはずです。基本的に、候補者は好きな格好で好きなことを喋れる機会ですので、ここで耳目を集めることをして、それを録画してSNSに流すと考えていることでしょう。
結局こういうものを面白がって見てしまう人たちが、こういう候補者たちを生み出しているわけですが、見ているだけの人たちは、そんな風に思っていないでしょうね。まともに、日本の政治や社会のことを考えず面白いものだけを探して消費している大衆が生み出している状況です。民度の低い社会の民主主義は、こんな風になってしまうんだということを見せつけられている感じでぞっとします。世界的に、社会関心が低下しているという新聞記事もありましたので、日本だけのことではないと思いますが、空しく嘆かわしい気持ちになります。
第970号(2024.6.19〜25)ITセンターシステム障害
今朝起きたら、ITセンターと繋がらなくなっていました。気づいてITセンターに連絡してからもう8時間ほど経ちますが、まだ復旧していません。メールが読めない、LMSにも、インフォメーションにもアクセスできない、そして大学のWIFIも拾えなくなりました。ITセンターと繋がらなくなるとこんなに不便なんだと実感させられています。本日は合同演習という大学院の授業があったので、大学に行ったのですが、WIFIが使えないと大学ではZoomにも入れず、資料を見ることもできません。仕方がないので、WIFIが使える自宅に帰るという選択をせざるをえなくなりました。大学院生の人数も増えたこともあって、合同演習という授業は、最近は紙に印刷した資料を配布することをしなくなり、LMSにアップした資料をそれぞれが教室に情報機器を持ってきて見るようなやり方に変わっていますが、こういう風にITセンターにシステム障害が起きると、どうしようもありません。Zoomで資料提示がありますが、自分の読みたいところを読めないので、報告がよほど上手でないと、十分理解ができません。一見便利そうに見える現代の利便さがもつ陥穽です。大学院の合同演習は教員が他にも多数参加していますので、今日は他の先生方にお任せして、なんとかなっていますが、明日の自分の授業のために、LMSにアプローチできないと非常に困ります。一体いつ復旧するのやら。特に、今回のシステム障害が気持ち悪いのは、使えない人がいる一方で普通に使える人たちもいるということです。ITセンターの情報にも、「一部の利用者において、インフォメーションシステムや関大LMS、ku-wifi等にログインできない障害が発生しております。」と出てます。こんなに復旧に時間がかかっているのは、原因がわからないからでしょうか。使えている人たちもいると思うと、相対的剝奪感が増します。
まあでも、ITと繋げられない間は、この文章もアップできませんので、この文章がアップされた時には、復旧したということになるわけですが。一体、何時にアップできることやら。
[追記]17:30にLMSにアクセスできるようになりましたが、メールやインフォメーションシステム、そしてHPへの転送もはまだだめです。とりあえず、合同演習の資料は見れるようになり、明日の講義の準備はできました。
20:00 いまだメールやインフォメーションシステム、そしてHPへの転送できず。可哀そうだけど、担当の方は残業してでも復旧してほしい。
21:00 いまだ復旧せず。明日に復旧しているのだろうか?
21:50 Outlook(メール)にアクセスできたが、受信トレイも連絡先アドレスも空っぽ。どういうこと?復旧しなければ、やばすぎる!インフォメーションとHPへの転送はいまだできず。
23:00 前時間帯と事態は変わらず。もう今日はあきらめよう。
6月20日7:30 ようやく修復がなる。メールの画面が一昨日までとは違うところがあるが、とりあえず使う上では問題はないので、よしとしよう。
9:30 大学でWi-Fiが使えることを確認する。
20:00 この「つらつら通信」をアップしようと、大学のサーバーにアクセスするがアクセスできない。まだ完全修復ではないようだ。なんとかしてほしい。
23:00 結局、今日は繋がらないようだ。明日に期待しよう。
6月21日11:00 今朝もサーバーにアクセスできず。ITセンターに連絡をし、対処してもらえるように依頼する。
16:00 事態改善されず。ITセンターに電話するが、まだ調査中とのこと。今日もだめなのかな。
21:00 どうやら今日もだめらしい。あきらめよう。
6月23日 21:40 相変わらず、サーバーにアップできず。HPが更新できない。
6月25日 19:00 ようやくログインできることを確認する。長かったなあ。
コロナ禍の3年ほどを経て、ようやく日常が戻っているわけですが、すべて戻ったわけではなく、慣習が一部変わってしまいました。私が気になっているのは、いまだにマスクをし続ける学生たちです。コロナ以前は、咳がでるとかでなければマスクは外すのが基本だったのに、今はゼミ中もずっとマスクという学生が何人かいます。「外そうよ」と声をかけてみるのですが、「嫌です」と拒否します。マスクを外してコミュニケーションを取るのが苦手だと言います。そんなの、おかしくないですか?これから就職活動や社会人生活もずっとマスクをして過ごすのですか?コミュニケーションはシンボルのやり取りです。語られる言葉だけでなく、表情も重要なシンボルです。それを隠してたら、まっとうなコミュニケーションが取れないじゃないですか。笑顔を見せないコミュニケーションで相手に好印象を与えることなんて絶対できません。さらに、ひどい学生は帽子を目深にかぶったまま授業を受けていて、目すら見えません。もうこうなると、こちらもコミュニケーションを取る気がなくなります。これを正すことができない今の時代はおかしいと思います。マスクや帽子で表情を隠すのはコミュニケーションを取る相手に失礼なことなのだという常識を再確立させたいです。
第968号(2024.6.9)遅ればせながら、令和6年夏場所総括
夏場所中に、いろいろ私事で忙しくなってしまったために、「片の富士コラム」も途絶え、夏場所総括もしていませんでした。しかし、記録魔としては、後々この場所の総括がないのを残念に思うのが目に見えているので、遅ればせながらですが、夏場所総括をしておきます。忙しい中でも、主要な取り組みはNHKプラスや取組動画再生で見ていたので、たぶん書けると思います。
新小結・大の里の初優勝で終わったわけですが、正直言って、今場所フル出場した力士の中ではもっとも実力ある力士が実力通りに優勝したという印象でした。彼は怪我でもしない限り、このまま横綱まで駆け上がるでしょう。通常はこういう若手が伸びてきた場合、非常に相撲が面白くなるものですが、それは上位陣が適度に壁になるからで、「おおっ、この壁も破ったか」「おおっ、この力士は壁になったか」という上位との戦いが面白いからです。しかし、今は誰も大の里の壁になれる力士がいません。壁のない舗装道路を彼は進んで行くだけで、あまり面白くないです。
横綱まで一気に行くと思いますが、じゃあ大の里時代になるのかというとまだよくわかりません。負けた相撲や勝ちを拾った相撲を見る限り、まだまだいろいろな弱点はあると思います。高安や朝乃山の体が万全になれば、大の里が一人勝ちもできないと思いますし、今場所も大の里を投げ飛ばした豊昇龍の抜群の運動神経も黙ってはいないと思います。琴櫻も体は負けてないわけですから、立ち合いをもう少し厳しくしたら、今場所のような負け方はしないでしょう。その意味では、これからの場所は大の里の成長を誰が止めるかという場所になりそうです。
さて、他の力士にも触れておきましょう。休場して大関陥落が決まった霧島は、自信を取り戻せるかがポイントです。すっかり負け癖がつき、自信を失い、動きも悪くなってしまっていますから、来場所10勝をあげて大関に戻れるかは、五分五分以下の確率だという気がします。初日から3,4連勝したら行けそうな気がしますが、初日から黒星となったらたぶん駄目でしょうね。元大関だったというプライドは捨てて、初めて三役に上がった力士のような気持ちで向かっていくことができるかどうかですね。貴景勝は来場所がカド番で、また8勝7敗くらいで残るのかもしれませんが、すっきり落ちた方がいいのにと思います。どうも応援する気にならない力士です。来場所の楽しみは幕内下位ですね。今場所全休の朝乃山、十両から再入幕する若隆景が元気で出てきてくれたら、ともに勝ち進むでしょうから、この辺が楽しみです。十両に落ちる尊富士は出場できるのかどうか。あの細い膝から下は心配です。
最後に、宮城野部屋を早く復活させてあげてほしいと思います。1力士の不祥事への対応としては罰が重すぎます。未成年の後輩力士に酒を無理やり飲ませた大の里や、それを監督できていなかった師匠の二所ノ関親方には甘く、宮城野親方には厳しすぎるのはおかしいです。大の里を応援する気がなくなります。今場所の大の里がヒールに見えていたのは私だけではないと思います。このまま二所には甘く、宮城野には厳しい状態のままで行くなら、通の相撲ファンにとって大の里はヒールのままになってしまいます。そうならないためにも、宮城野部屋の再興を早く認めるべきです。
先日3回生ゼミ生と飲み会をした時のことです。「先生は、どういう女優さんが好きなんですか?」と聞かれたので、「そうだなあ。小さい時から好きだったのは、吉永小百合かな」と言ったところ、近くにいた4人の女子学生が揃って「吉永小百合?誰ですか?」と言うので、驚いてしまいました。彼女たちはすぐにスマホで調べ始めて、何人かが「見たことあるかも」という反応でした。
確かに学生からしたら60歳近く年上の女優さんですし、テレビやネットで最近そんなに情報が流れてこない方なので知らないということもありうるのかと思い直しましたが、日本でもっとも有名な女優さんだとずっと思っていたので、なんかもう今どきの学生たちは別世界を生きているんだなという気分になりました。
私に置き換えると、私が大学3年の時に亡くなった田中絹代あたりに当たるのかなと思いますが、私は亡くなる前から田中絹代のことは知っていたと思います。私が若いころはマスメディア全盛期で、みんなマスメディアを通して同じような情報を得ていたのですが、ネット全盛期の今、人々――特に若い人たち――は、自分の関心のある情報だけにアクセスするようになっているので、こんなことも起きるんだなと改めて思いました。長嶋茂雄も知らなかったりするのかなあ。
らしくないタイトルをつけました。日本の葬式仏教が嫌いで、価値合理的行為もほとんどしない人間である私なのですが、今回、母を見送るにあたっては、「えっ、こんな奇跡的なことが起きるの?」と思うことがありましたので、それについて書き残しておきたいと思います。
もともとそこまで仏教や僧侶が嫌いだったわけではないのですが、父の葬儀の時にやってきた僧侶がどこかの大学で英語を教えているとかで、私が大学の教師と知ると、父の死でショックを受けていた私の気持ちなど一切考えもせずに「最近の大学はああだ、こうだ」と語りかけてきて、「なんなんだ、こいつは!」と思ったことがきっかけで、さらにその後社会学者で僧侶も兼任している人が「檀家の阿保どもからいっぱい金を出させた」なんて自慢気に話しているのを聞いて愛想をつかし、かつ古都税問題の時の京都仏教界の傲慢な圧力行動なども見て、なるべく仏教や僧侶とは関わらないで生きようと思うようになっていました。
今回も私は僧侶など呼ばずに家族で送ればいいのではと思っていましたが、姉が「ちゃんと送ってあげたい。お母さんもそう望んでいたと思う」と言うので、まあそうかもしれないと思い、僧侶を呼んでの通夜、告別式にすることにしました。そこで気になったのが戒名です。実は、父の戒名は漢字博士だった父が自分で考えたものでした。しかし、そんなことは許されないと親戚の住職から非常に怒られ、それ相応の戒名代を払うことになりましたが、ただ一応その住職がつけたという名目で、父が考えた戒名がそのまま採用してもらえました。「修岳院編雲大舟居士」というのが父の戒名です。この戒名は、父の父(私の祖父)の戒名「棟岳院梁雲慶舟居士」を意識して父が考えたことは明らかです。
私は父のように漢字に詳しい人間ではないですが、やはり血筋は受けているので、母の戒名は父と並べた時に呼応しているような戒名になってほしいと思っていました。今回は親戚の住職を呼ぶことはしませんでしたので、通夜・告別式だけ来てもらう僧侶がそこまで考えて戒名をつけてくれるはずはないし、父と同じように最終的にはそれ相応の戒名代を払えば、こちらが考えた戒名でもつけたことにしてくれるのではと思い、ひとつの案を作りました。姉と妹に相談したところ、2人とも「いい戒名だと思う」という感想だったので、ぜひこれでお願いしようということになりました。
しかし、対応してくれることになっていたお寺さんに相談したところ、やはり「戒名は資格のある人しかつけることはできないので、参考にはさせてもらいますが、、、」という返事だったので、最終的にはどうなるのだろうと、通夜の日を待つことになりました。お金は払うわけですし、頭も使わなくていいのだから、こちらの案通りの戒名になる可能性も高いのでは、と思っていたのですが、通夜の時用意された戒名は、私が考えた案からは1文字しか使われていませんでした。しかし、さすがにこれにクレームをつけて付け直してくださいとは言えず、その戒名を受け入れることになりました。「慈穏院縫徳智照大姉」というのが母の戒名です。悪くはないなと思ったのですが、縫い物が得意だったというエピソードから「縫」を入れてくれたようですが、私は短歌を読んでいた母のイメージを入れたかったので、「縫」より「歌」がよかったなと心の中では思っていました。
しかし、父と母の戒名の入った位牌を作ってもらうために、「修岳院編雲大舟居士」と「慈穏院縫徳智照大姉」並べてみると、4文字目がともに「糸」へんになり、「糸」と「糸」でつながっていることになっていたのです。母の戒名を考えてくれたお寺さんは、父の戒名のことは一切知らなかったので、驚きました。かつ、この「糸」と「糸」でつながるという話は、かつて私の父親が、私のところに双子の娘が生まれた時に実際に言った言葉でもあるのです。「美緒」と「紗和」という娘たちですが、最初「紗和」の「紗」の字を「沙」で考えていたのですが、父が「紗」にしたら、2人とも「糸」へんが名前に入って、糸と糸でつながっていることになるから「紗」にしたらいいよ、と言ってくれて「紗和」になったという忘れられないエピソードがあるのです。それが、なんとここでまた出現したわけです。そして、まさに中島みゆきの歌通りに、この2人の「糸」で織りなされた布が、我々子や孫なのですから、あまりに象徴的です。「歌」でなくてよかったです。
さらにもうひとつ。「慈穏院」というのもお寺さんが考えてくれたものですが、「穏」の方は私の案から唯一採用された字でした。「慈」はお寺さんが考えてくれたものです。ところがなんと父の母(私の祖母)の戒名が「慈雲院」というのです。なんとよく似た音でしょうか。正確には、「慈雲院慶室貞吟大姉」と言い、これもたぶん父の考えが反映された戒名だろうなと思うのですが、もちろん今回のお寺さんはこの戒名のこともまったく知りません。こんな偶然があるんだなと思ったら、これも仏になった誰かのお導きかな、なんて思ってしまった次第です。今、父は「慈穏院」と「慈雲院」という大好きだった妻と母に囲まれて、きっと幸せなんだろうなと嬉しく思っています。合掌。
母が亡くなりました。満94歳でした。1年ほど前からいつその日が来てもおかしくないと言われていましたので、心の準備はできていました。むしろ、ようやく大好きだった父のもとに行けるね、よかったねという気持ちで、家族、親族で集まり、穏やかに見送りました。きっと今頃は、父との久しぶりの再会を喜んでいることと思います。
思い起こせば、1991年12月に父が64歳で逝ってから32年5ヶ月、母は立派に生きてきました。父を亡くした時、母はまだ61歳でした。今、3人の子どもはすべてその年齢を超えています。自分がその年齢を超えた今、61歳はまだまだ若い年齢だと実感できますが、当時は勝手に老いた母のように思っていましたが、それは子どもの勝手な見方でした。
母は、父を失ってから、父への思いを託すためにも熱心に短歌を詠み始め、70になってから2冊も歌集を出版しました。今、読み返すと、夫や子、孫への愛情にあふれた素晴らしい歌集です。若いときから、与謝野晶子や石川啄木が好きだった母は、情熱的な人だったのだと思います。私たち子どもにとっては、穏やかで安定した母でしたが、若い頃の父との恋愛の経緯なども知ると、秘めた情熱にあふれた人だったのだろうと今は思っています。
70代になってから携帯電話もワープロも使えるようになり、「すごいね、70の手習いだね」と感心するほどでした。歌集の原稿も全部自分で打ったワープロ原稿でした。「私は、100まで生きるわよ」と笑ってましたが、本当に100まで元気いっぱいで生きるのではと、当時は思っていました。
しかし、70代の後半になってから、「あと何年で80よ。嫌だわ」とよく言うようになり、まるで自分の運命を知っていたかのように、80を境に認知症の気配が出始めました。最初のうちはしっかりしている時も多かったのですが、だんだんと忘れてしまうことが多くなり、きょうだい3人で、「このまま1人暮らしは危ないよね」と話し、何度か姉が一緒に住もうかと声をかけてくれましたが、母は「1人がいい」と断固として拒否していました。
しかし、2013年2月に階段で倒れ、頭を打って意識不明になり、それをきっかけに、姉夫妻との同居が始まりました。認知症の母との同居は本当に大変だったと思いますが。5年の同居、さらには6年のホームでの生活、すべて姉夫妻が丁寧にケアをしてくれたおかげで、母は穏やかに晩年を過ごせたことと思います。長男としては、本当にありがたく、ただただ感謝しかありません。
私は、母が認知症になり、立派に生きてきた頃の母のイメージがどんどん認知症の母に上書きされていくのが辛くて、認知症になって以降の母をうまく受け止められていなかった気がします。しかし、今改めて母が認知症になって以降のこの14年ほど振り返ると、楽しい思い出もたくさんあったことに気づきました。孫の結婚式、ひ孫の誕生、関西や九州への旅と、母はたくさん思い出を作りました。認知症になったからと言って、すべてを失ってしまうわけではないんだということを今感じています。
母がどんな人だったかと尋ねられたら、私は「良妻賢母」の人だったと答えたいと思っています。今、いろいろと批判されることもあるこの言葉ですが、昭和5年生まれの母は素直にそういう女性でありたいと思い、見事にその役割をこなした人でした。たくさんの仕事をこなした父でしたが、すべて母の支えがあってのことでした。そして、その支えは母の父への愛情に基づくものでした。母の第1歌集『若葉の萌えに』を読むと、その愛の深さがよくわかります。子どもたちからしたら、なかなか扱いの難しいところがあった父でしたが、母と結婚したからこそ、あれだけの仕事もできたのだとしみじみ思います。
子ども、特に私にとっての母は、まさに「賢母」でした。子育ての基本は自立心を養うことだと、私は常々思っていますが、母はまさにそれを実践していたと思います。細かい注意はほとんど受けたことがありません。高校生くらいまでは、時々「ちゃんと勉強してる?」と言われたくらいで、大学に入ってからは、たまに飲んで遅く帰っても「しんちゃんのことは信頼しているから」の一言で、一度も怒られたことなどありませんでした。でも、この「信頼している」という言葉は、何よりのコントロールキーでした。母の「信頼」は絶対に裏切れないと、自らを律する気持ちになったものでした。ある意味、見事な子育て法だったと思います。
自ら選んだ「良妻賢母」の道を見事に完遂して、3人の子、8人の孫、9人のひ孫に後を託して、母は旅立ちました。みんな母が居たから生まれた命です。これからもさらに広がっていくことでしょう。後を託された我々は、父と母のことを時々思い出し、感謝の気持ちを持って生きていきたいと思います。いい人生だったね、ありがとう。
少し前に、維新の会の吉村大阪府知事が言い出した案ですが、あまりにも馬鹿々々しく、ここで取り上げる必要もないだろうと思ってスルーしてましたが、今日のテレビ番組で、橋下徹が大賛成とか言っていたので、一応その馬鹿々々しさをきちんと指摘しておきたいと思います。
0歳児に選挙権を与えるべきだという主張の根拠になっていたのは若い人の声をもっと政治に届けるためということでしたが、結婚して子どもを持った人でないとこの権利を得られないわけですが、投票に行かない若い人たちの大部分は結婚していない人ですから、こんな制度を導入されても何のメリットもありません。そもそも政治について意思表示をできない年齢層に選挙権を与え、親が代わりに投票するなんてどう考えてもありえません。世界のどこでもそんな投票制度にしているところはないでしょう。
正直言って0歳児選挙権についてはこれ以上語ることはありません。まったく馬鹿々々しい提案です。しかし、若い人にもっと政治に関心を持ってもらわないといけないという問題認識は共有していますので、そのためのまっとうな改善策を提案します。まず、被選挙権を18歳にまで引き下げることです。なぜ選挙権だけ18歳にして立候補する権利は18歳にしないのでしょうか。一体、どういう理屈でそれが可能になるのか、私にはよくわかりません。もちろん、選挙権が20歳以上だった時から被選挙権は25歳だったり、30才だったりしたわけですが、若い人にもっと政治に関心を持ってもらいいたいなら、立候補もできるようにすべきです。18歳で立候補している若い候補者がいたら、1票入れようという気持ちになる若い人は結構いるはずです。
次に考えられるのは、選挙権、被選挙権ともに16歳からにすることです。高校生になったら政治に関心を持ってもらっても問題はないはずです。むしろ選挙権をもつ地域に住んでいる人が大部分である高校生時代に選挙に行く癖をつけるのは良い効果をもつはずです。実際、今でも18〜19歳の方が20歳代より投票率が高いという結果が毎回出ていますので、16〜17歳はきっとかなり投票率は高くなるはずです。
3つ目は大改革ですが、選挙権を登録制度にすることです。今の選挙権は18歳になると自動的に与えられ大事な権利を得たという意識を持てません。登録制度にして登録に行った18歳――上の提案とセットにするなら16歳――以上だけが選挙権、被選挙権を与えられるとしたら、もう少し自分たちが主権者なのだということを自覚するようになるでしょう。もちろん登録に行かない人もかなり出るでしょう。でも、登録にも行かない人は政治をお任せしているだけの人と考え、彼らの利害が政治に反映されないとしても仕方ありません。それが嫌なら登録に行けばいいのです。少しは政治に関心を持とうという意識になるでしょう。
こんなことを書いたら、「なんてずうずうしい!」と批判されるのはわかっているのですが、ここ数日ずっともやもやしていたので、思い切って書いてしまいます。ちゃんと書けば、このHPをまめに読んでくれている人には理解してもらえるだろうと信じてチャレンジしてみます。
今週火曜日に69歳の誕生日を迎え、たくさんの教え子たちからお祝いをしてもらいました。卒業生はメールやLINEでメッセージをくれましたし、現役生は月曜日に4回生が、火曜日に3回生がゼミの授業終わりやタイミングを見計らって、出席者みんなで祝ってくれました。この年齢で、こんなに教え子から祝ってもらえる教員もあまりいないと思いますので、本当にありがたく幸せなことだと思います。にもかかわらず、今週もやもやしていたのは、そのお祝いについてです。
卒業生は誕生日を思い出してメッセージをくれるだけで十分なのですが、現役生に関しては、ちょっと違う思いを持っています。どういう思いかというと、「私の誕生日を祝ってほしい」というより、「私の誕生日をネタにゼミ生が一体感を持って何かするという楽しさを感じてほしい」ということなのです。かつての現役生たちは、いろいろ面白いことを考えてくれました。ゼミ教室に行ったら、真っ暗でドアを開けた瞬間にクラッカーが鳴ったり、教室中に派手な飾り付けがしてあったり、黒板いっぱいにお祝いの絵が描いてあったり、別の教室に来るようにと指示があったり、ゼミ生全員が私の似顔絵のお面をつけていたり、それぞれが故郷の名産品を用意してくれていたり、手作りケーキや似顔絵ケーキを用意してくれたりと、まさにサプライズそのものだった時が幾度もありました。
今年の4回生と3回生は、まるで打ち合わせをしたかのように、ほぼまったく同じパターンでした。クラッカーが鳴り、ハッピーバースデイを歌ってくれて、6と9の数字風船とお酒をくれて、みんなで集合写真を撮りました。ありがたいです。嬉しいですよ。でも、私が密に期待していた、この企画でみんな楽しんでくれただろうかという点では、たぶんそこまでは行ってないんだろうなと思い、ちょっと残念に思ってしまったのも正直な気持ちです。本気で私をびっくりさせようという気にまではならなかったのかもしれませんが、こういう遊び企画的なことに豊かな発想力を持つ学生が減ってしまっていること、またそういうことを仕切っていける学生も減ってしまっていることも重要な原因のように思います。
私のゼミは「学遊究友」(学べ、遊べ、究めよ、友と)をモットーにしていますが、最近の学生さんは卒論とかは一所懸命書こうとするので、学ぶ方はまあまあですが、遊ぶこと、友とともに究めることがかなり物足りない気がしています。以前は「学」なしの「遊遊究友」ゼミだな、なんて感想を持った学年もあったものでしたが、、、社会に出てから大事になる型にはまらない発想力を鍛えるのはむしろ「遊」の方なので、そこも育てていきたいと思ってゼミをやっているのですが、最近はその点での達成感が得られません。
そんなことを常日頃考えているので、5月半ばというある意味ちょうどよい時期にやって来る私の誕生日をネタに昔のようにゼミ生たちが楽しんでくれないかなと思って期待しているわけです。もちろん、今年やってくれたお祝いでも十分と思うべきだというのはわかっています。でも、もう少し面白がってほしかったなあと思ってしまった次第です。もう現役生に誕生日祝いをしてもらえるとしても、来年4回生として残る31期生だけですので、この文章を読んで、彼らが「なんてずうずうしい先生だ。二度とお祝いなんかしてやるものか!」と思われて、来年はスルーされることになるかもしれませんが、それはそれで仕方ありません。こういう思いを伝えるのも、私の指導の一環ですので。
第962号(2024.5.17)ハラスメントの乱発は潜在的逆機能を生み出すだけ
厚生労働省が「カスタマーハラスメント」への対応を企業に義務化させる検討に入ったとニュースになっていました。しかし、セクハラやパワハラと違い、加害者が組織の中にいないわけですから、企業ができることも限られていると思うのですが、どうなんでしょうか?そもそも、「カスタマーハラスメント」なんて言葉にせずに、これまで通り「クレーマー」という言葉でもよかったのではないかと思います。今や「○○ハラスメント」が多すぎて、ハラスメントの一種にしてしまうと、逆に軽く扱われそうな気もします。学校にクレームを入れる「モンスターペアレント」も「カスタマーハラスメント」の一種とも言えるので、もしもこれも「カスタマーハラスメント」と言い換えてしまうなら、「モンスターペアレント」ほどの重みを持って受け取られなくなりそうです。
ハラスメントという言葉が広く知られるようになったのは、1989年に生じた福岡の「セクハラ裁判」からです。これは会社内の上下関係を利用して性的関係を求めるという典型的に悪質なセクハラでした。そして、この言葉が知られると、確かに会社内では性的言動が安易になされていて、女性たちが嫌な思いをしているということが次々に明らかになり、改善が求められるようになります。その後、パワハラやアカハラという言葉も生まれ、ともに権力関係をベースにした不当な行為が行われてきたことが浮かび上がり、改善することが求められようになりました。
この初期段階でのハラスメントの使用は、権力関係を背景にした不適切な言動を浮き彫りにし、状況を改善する上で大きな役割を果たしました。しかし、こうした初期のハラスメントも乱用されすぎるようになると、良好なコミュニケーション構築を阻害したり、適切な指導すらしにくいという潜在的逆機能を生み出すようにもなりました。
そしてさらには次から次に「○○ハラスメント」という新語が生まれるようになり、最近では「ハラスメント」という言葉を使っても、そこまで誰も気にしないという状況になりつつあります。ハラスメントについて調べたら出てきた「スメルハラスメント」(体臭や口臭の臭いで他人を不快にさせる行為)、「ヌードルハラスメント」(麺類を食べる時に「ズズッ」と音を出して他人を不快にさせる行為)、「告白ハラスメント」(告白することで相手を不快にさせること)なんて、ほとんどの人は嫌がらせ(ハラスメント)とは思ってもいないことなのに、極少数の気にし過ぎの人が嫌がっているだけで、ハラスメントとしてあげられたりしています。
本来、ハラスメントは社会の多くの成員が「それはハラスメントだよね」と思えるようなものだけに使うべきものです。個人的な感覚で使うべき言葉ではなく、社会的に共有されうる場合のみに使われるべきです。極少数の人の感覚に合わせて、社会を作って行ったら社会は大混乱を来たします。
奇妙なタイトルで「何?」と思ったでしょうね。それが狙いでつけました(笑)なんの話かと言えば、大学生文化が変わってしまったという話です。変えた原因が「スココ」にあるのではと言いたいのです。「スココ」とは「スマホ」「コロナ」「コンプライアンス」です。
2010年頃から大学生の間に普及し始めたスマホはあっという間に大学生――というか日本人――の必需品となり、スマホですべてを済ませるようになってしまいました。このスマホは大学生文化を大きく変えました。様々なSNSが登場し、学生たちはそのSNSを通してつながることが基本となり、対面をコミュニケーションの基本とする気持ちを持つ学生が激減してしまいました。関西大学社会学部の授業で言えば、かつては1回生の少人数クラスである基礎研究クラスは、みんな同じクラスのメンバーとして仲良くしようと思ったものですが、対面関係が軽視されるようになってからは、25名程度のクラスで毎週顔を合わせていたのに、ほんの一部の人しか顔と名前が一致しないといった状況になっています。そしてまたこのSNSばかり見ている大学生たちは、下手なことを言ったりアップしたりしたらすぐに誰かから批判されるのではという不安感を持っています。結果として、周りの人と同じような行動を取り、決して悪目立ちしないようにしようと考えて行動する人ばかりになっています。何か面白いこと、ユニークなことをしようと考える人はほとんどおらず、周りに合わせるといった大学生だらけになってきています。
そんな状況の中で2020年から3年以上続いた新型コロナ対応の生活がさらに大学生文化を変えてしまいました。この間に一気に進んだオンライン利用型授業は学生たちに好感を持って受け止められ、大学の講義はなるべく行かずに済ませたいという気持ちを持たせました。また、コロナ下で一般化したマスクの常時使用は、コロナに関係なく、顔を半分以上隠す行動を正当なものとさせてしまいました。本来顔をちゃんと見せずにコミュニケーションを取るのは、相手に対して失礼だったはずなのに、今はマスクを外しなさいと言えなくなってしまいました。未だにマスクをしているのは女子学生の方が男子学生より圧倒的に多いですが、ほとんどの子はコロナの心配より、すっぴん隠しだったり、表情をすべて見せない方が自分の存在を隠せて楽にいられるからそうしているはずです。私はそういう姿勢が大嫌いなのですが、今は「外しなさい」と強制できない時代になってしまいました。それから、コロナ以降、ちょっとでも体調が悪かったら大学の授業は休むのが当たり前になってしまいました。もちろん、本当にしんどければ休むべきですが、コロナ以前と比べると、休む人がかなり増えており、中には微熱程度のそれほどたいしたことでない場合も休む人が出てきているように思います。
そして、新型コロナ対応の厳しい生活規制でみんな規制慣れしたのか、コロナ後、コンプライアンスの縛りがコロナ以前より厳しくなってきています。関西大学で昨年できたコンプライアンス・ルールに、学生を女性と男性で「さん」と「くん」に分けずに、全員「さん」で呼ぶようにすることとか、「男子学生としての意見を」とか「女子学生としての意見を」と聞いてはいけない、などができました。なぜそこまで決めないといけないのでしょうか。本人たちが嫌でない呼び方で呼べばいいはずですし、男女の意見の違いを知ることは社会学的には基本の考え方です。コンプライアンスの縛りはもう20年以上前くらいから徐々に増え厳しくなってきましたが、コロナ以降一気に基準が上がってしまった気がします。最後はやや尻すぼみ感もありましたが、「不適切にもほどがある」なんてドラマが生まれる必然性もあったのでしょう。第1話で鋭く指摘していた「頑張れ」って言っちゃいけないとか、「君は優秀だ」と言っちゃいけないとか、そんな縛りまでかけられた、どうやって大学生や若者を伸ばせるのか、私はおおいに疑問です。
学びも遊びもハードルを上げ、それを頑張ってクリアしながらそれぞれの学生が成長し、集団としての仲間意識も高め、卒業後も付き合える関係を作り上げてきたと自負してきている片桐ゼミが最近はそれらしくできてないなと悩むトホホの日々です。社会学はしっかり指導できるのですが、人育てがしにくいです。もう新ゼミ生は入らないし、時代についていけなくなっている人間としてはちょうどよい去り際なのかもしれませんが、まだ4回生と3回生がいます。もう一度、いいゼミができたなと思って卒業させたいのですが、、、
U23アジアカップが今朝終わり、日本が優勝しました。この大会は、パリ・オリンピックの出場権もかかっているということで初戦から注目して見ていました。3位以内に入らないとパリに行けないという条件でしたが、グループリーグは中国、UAE、韓国が同じ組で、そもそも決勝トーナメントに行くのも簡単ではなさそうだなと思っていましたので、優勝はちょっと意外な結果でしたが、その分見ていて面白かったです。
初戦は中国が相手で、これは普通にやったら勝つだろうと思っていたのですが、前半早い時間にCBがレッドカードで退場し数的不利の状態で80分以上戦うことになり、中国に攻められ続けましたが、GKの小久保の素晴らしいプレーがあって勝ちきれました。小久保というGKをこの試合で初めて知りましたが、反応のいい優れたGKだと思いました。今朝の決勝戦も、この小久保の活躍で勝てたわけですし、将来のA代表のGKになっていける選手だなと思いました。第2戦のUAE戦は2-0と比較的楽に勝ち、グループリーグは突破できたわけですが、3戦目の韓国には負け、決勝トーナメント初戦(準々決勝)は、避けたかった開催国カタールとの戦いになり、危ないのではないかと思いながら見ていました。カタールのGKが前半のうちにレッドカードをもらい、日本が数的有利になったにもかかわらず、1-2と逆転されはらはらしましたが、追いつき、延長戦で2点を取り、結局4-2で勝ちました。ずっと不調で結果を出せていなかったFW細谷が点を取り、次の準決勝イラク戦でも2戦連続で得点を取れたのはよかったですが、彼は将来のA代表でそこまで活躍する選手になれるかというとちょっと難しいだろうなという気がします。勝てばオリンピック行きが決まるイラク戦は意外に楽に勝てた感じで、決勝もこのまま行けるかなと思って見ていたのですが、ウズベキスタンは非常に強く日本は攻められる時間が長く、よく勝てたなと思う試合でした。6戦フルに見ましたが、見応えがあって面白かったです。
もう30年以上サッカーを見ていますが、A代表とオリンピック代表の試合しか見ない人間で、Jリーグや海外サッカーは見ていません。それでも、オリンピック代表で目に付いた選手が、その後A代表で活躍するのではという見方をして楽しんでいます。中田英寿や川口能活がという素晴らしい選手がいるんだと知ったのは、アトランタ・オリンピックの時でした。今のA代表のキャプテンの遠藤の存在を知ったのも、リオのオリンピック予選の時でした。今回のメンバーでは、個人的にはGK小久保が輝いているなと思います。後は、キャプテンをやっていた藤田でしょうか。でも、今回のメンバーがすべてオリンピックに行けるわけではなく、ここから選考が始まるんですよね。それも、今回の代表は、オーバーエイジは使わずに23人選ばれていたのが、本番のオリンピックでは18人の枠でオーバーエイジが3人まで可能ということになりますので、今回のU23代表メンバーで、実際にパリに行けるのは半分強なのではないかと思います。選手にとっては辛いことだと思いますが、誰が選ばれるのだろうというのは、代表だけに注目し特定の選手のファンではない私のようなサッカーファンにとっては非常に興味深いところです。
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第959号(2024.4.28)立憲民主党が3勝したが、、、
本日の衆議院補選で立憲民主党がすべて勝ちました。最近10年間くらいしか記憶にない人には驚きの結果でしょうが、今回の結果は予想通りで驚く結果ではないし、立憲民主党が2009年の民主党のように次の衆議院選挙で政権交代ができるほどの人気になっているわけでもないということはきちんと認識しておくべきです。
自民党vs.立憲民主党という与野党対決になった島根1区は保守の堅い地盤ですが、今の自民党にはお灸をすえるべきと考える人が多かった上に、立憲民主党の女性候補者はもともと父親が自民党の代議士だった人ですから、保守層にとっても受け入れやすかったので勝利は当然でした。
長崎3区は、立憲民主党vs.日本維新の会の対決でしたが、関西――特に大阪――圏から離れたら、維新の会は人気がありません。コロナで大変だった時期に、吉村大阪府知事がやや全国区になり好印象を与えましたが、もうその記憶は大阪以外では薄れています。むしろ、最近はうまく進まない大阪万博の責任者ということで、評価は落ちています。さらに、大阪臭がつきまとう日本維新の会は他地域では敬遠されることの方が多いのです。なので、長崎の有権者は特に立憲民主党が好きでなくとも、消去法で立憲民主党に1票を入れざるをえなかったわけです。
そして9人も候補者が乱立した東京15区ですが、ここは小池百合子の戦略ミスで、立憲民主党の勝ちが決まったようなものでした。他地域以上に東京では人気のない日本維新の会の候補が勝つことは絶対ありえませんし、その他の諸派や無所属に勝ち目など最初からありませんでした。唯一勝つ可能性があったのは小池百合子率いる都民ファーストの会が適切な候補者を出して、陰ながら自民党も公明党も応援するという形だったはずですが、乙武洋匡では無理です。彼には、複数の女性との性行為のイメージが強くつきすぎています。女性票が逃げてしまいます。なぜ彼を候補者にしたのか、小池百合子の戦略がよくわかりません。また、共産党が候補者を下ろし、実質的に立憲民主党の候補者の応援に回ったのも大きかったと思います。投票日が来る前に、立憲民主党の勝ちは決まっていました。
さて、3勝もした立憲民主党は今浮かれていると思います。確かに、今回の選挙結果を受けて立憲民主党から立候補してもいいかなと考える人は増えて小選挙区の候補者数はかなり増えるでしょう。それでも全選挙区に候補者を立てられるところまでとうてい行かないでしょうし、野党が分裂して何人も候補者を立てたら、結局自公候補者が勝つことになるでしょう。2009年の時のように、立憲民主党単独で議席の過半数を取れるような状況ではまったくありません。
しかし、ちょっとだけですが面白くなったのは確かです。今年中に行われるであろう衆議院選挙でも有権者が今の気持ちを持ち続けて、自民党に一度お灸を据えようと思って投票したら自民議席の大幅減という事態は起きそうです。野党が候補者調整をしたら、自公で過半数に届かないということもありえなくはないですが、政治信条のバラバラな野党がまとまれる可能性の方が低いので、もしも自公で過半数割れしたら、維新の会が連立政権に入り、「自公維」政権ができるのではないでしょうか。
最後に、今速報で、今回の補選は、3選挙区ともに過去最低の投票率だったと流れてきました。GWの真っ最中ということもありますが、こんなひどい政治に対して自分の意志を1票で示そうという気持ちを持つ有権者が少ないことに、やはり日本の政治の最大の問題点があると思いました。こんなに政治関心の低い有権者たちでは、まっとうな民主主義はできません。なんともならないですね、日本人。
ごくわずかでしょうが、この「つらつら通信」の更新を楽しみにしていてくれる人たちは、「先生、最近まったくつらつら通信を更新しないなあ」とがっかりしていることと思います。なので、今日はなぜ書けないのかについて書いてみます。
特に書けていないのが、社会的テーマですよね。これまでに書いた今年の23本もスポーツ関連とか私的な思い出話とかでお茶を濁していますよね。社会的テーマを書けないのには以下のような理由があると思っています。ひとつには、あまり興味を惹かれるニュースが少ないこと。自民党の裏金問題のニュースも長くやっていますが、何を今更という感じで、特に分析したくなりません。政権交代のない政治であれば、政権党に金が集まるのは当たり前です。ちゃんと二大政党にしようという民主主義の主権者としての自覚のない、安定ばかりを求めてきた有権者の罪です。岸田首相も毎日顔を見ますし、なんの魅力もないですが、厳しく批判したくなるほどのパフォーマンスもなく、彼について書きたいという意欲が湧きません。スポーツニュースも大谷ばかり。一体、誰が大谷の打球速度なんかに関心があるのでしょうか?
次に、多少このニュースは面白いなと思っても、大体前に同じようなテーマで書いてしまっています。最近なら、夏の高校野球が中途半端な二部制を導入するなんて話はツッコミどころ満載ですが、夏の高校野球をどうすべきかについては「第339号 夏の甲子園への疑問(2009.8.5)」で書いています。他にも、このテーマは語りたいけどと思っても、かなりのテーマについてすでに書いてしまっています。もう950本以上書いていますからね。
そして、一番のネックは、世の中の空気がおかしすぎることです。「いやいや、それは変だろ」とツッコミを入れたくなることがマスメディアで紹介されたりしていますが、「多様性を認めよう!」という「金科玉条」の下、水戸黄門の印籠が出された時のように、みんな「ははあ!」となってしまっています。おかしいよと言いたい気持ちがふつふつと湧いてくるし、かつてなら書いていたのですが、最近の空気は、こんな地味なHPにすら書きにくいという気持ちさせられています。具体例を書くと批判されそうなのでやめておきますが、最後に一言だけ。「多様性が社会を滅ぼす。」 解釈はご自由に。
「大奥」というフジテレビ系で今クール放送されていたテレビドラマを見ていた人はほとんどいないと思いますが、あまりに歴史改ざんがひどすぎたので、いくらなんでもここまでいい加減なものを作っていいのかと一言書きたくなりました。歴史的事実をベースにした時代劇はもちろんわからないこともたくさんあるので、そういう部分に関しては、創り手の解釈がかなり自由になされてもいいところです。しかし、事実としてわかっていることがあるのに、それを無視して物語を創るのは、少数と言えどもこのドラマをそれなりに事実に基づいているのだろうと思って見ている人もいるはずですから、間違った知識を持たせることになり問題です。それは、いくらフィクションの部分が入り込まざるを得ない時代劇でもやってはいけないことだと思います。
このドラマが如何に歴史的事実を無視して作られていたかをいくつか指摘しておきます。物語の主人公は徳川第10代将軍・徳川家治の御台・倫子(ともこ)ですが、このドラマでは家治が死んだ後も倫子は15年以上長生きをしていますが、実際の倫子は1771年に33歳で亡くなっており、家治の方は1786年まで生きています。こんな歴史的事実の無視はあってはならないと思います。他にも家治の子で世継ぎとなっていた家基は16歳で亡くなっているのですが、このドラマではまだ5,6歳くらいの時に殺されてしまいます。そして、このドラマでは次男が家治の命で一橋家の養子になり、その子が家治なき後15年ほど経って元服して家斉として即位するということになっていますが、もちろん史実はまったく違います。家治が死んだ翌年に、一橋治済の実子ですでに15歳だった家斉が将軍になっています。また、現実には倫子や家治の20歳以上年下の松平定信が倫子と幼馴染で、家治の子どもの暗殺の黒幕として描かれています。あまりにも史実を無視すぎていて、ちょっと腹が立ってしまいました。
いくらフィクションのドラマとはいえ、歴史を題材にする限り、その人物が生きた時代や年齢までは無視してほしくありません。NHKで昨年放送していた男女逆転版の「大奥」は男女逆転というフィクションでしたが、主要人物の年齢や生きた時代は大体史実に忠実だった気がします。まあでも、こういういい加減な時代劇があると、実際はどうだったのかとか調べたくなるので、知識が増えるという点ではよい刺激剤にはなります。
第956号(2024.3.24)令和6年春場所総括というより今後を占う
尊富士が110年ぶりの新入幕優勝、初土俵からわずか10場所という最速記録での優勝を飾りました。こんな結果になるとは、まったく予想していませんでした。尊富士は、2場所前の九州場所はまだ幕下力士だったのに、先場所は十両優勝、今場所は幕内最高優勝です。どうなっているの?と言いたくなるほどの結果です。尊富士が強いのか、他の力士が弱いのか。千秋楽まで優勝を争ったのは、入幕2場所目の大の里ですし、なんだか勢力図が一気に変わってしまいそうです。
さて、今場所も「片の富士コラム」をまめに書いてきて、総括として新たに書きたいことが少ないので、むしろ今後の予測をしてみたいと思います。まず今場所優勝の尊富士ですが、脚に大怪我さえしなければ2年後には大関、うまく行ったら横綱になっていることもありそうです。あのスピードと運動神経の良さは頂点を極められる力士のものです。ただ怪我が心配です。高校時代も大学時代も膝に怪我して十分な成績を残せなかったようですが、あの細い脚を見ていると、大相撲でもやってしまうのではないかという気もします。今場所の怪我もどのくらいで完治するのか心配です。次に大の里ですが、彼の立ち合いの威力は抜群ですが、今場所も何番か逆転されたように、あの勢いだけの相撲では大関になるのも厳しいです。ぼちぼちまわしを取って腰を下ろして攻めるという相撲を覚えていくべきです。抜群の体力とパワーがありますので、まわしを取って相撲を取れるようになったら大関、さらには横綱もありえます。
大関陣では今場所一番成績のよかったのは豊昇龍ですが、彼の相撲は柔道の癖が抜けないですね。体力もそれほどないので、ほとんど相手に攻められて足腰の良さで柔道的な投げ技で逆転するという相撲ばかりです。前に出て勝てるようにならない限り、横綱はないです。そのためには、体をもっと大きくしないといけないです。次いで琴ノ若。体力とパワーは十分ありますが、運動神経がもうひとつです。あと、尊富士や大の里に比べると、前に出る力が弱いです。腰が重くかつ柔らかい体なので押されにくいですが、全体に受け身の相撲になりやすいです。今の大関陣の中では横綱の可能性を一番持っていますが、もっともっと前に出る力をつけてほしいです。霧島はまずは来場所です。今場所の負け癖をきっちり払拭できないと、横綱どころか大関陥落が現実になってしまいます。霧島はこういう形になったら必ず勝てるという型を見つけないといけません。相手力士に合わせてもちゃもちゃ相撲を取っている感じです。これでは、よくて万年大関です。
関脇以下幕内上位陣では、朝乃山について語りたいと思います。尊富士に圧勝したように、この元大関はやはり実力があります。今場所の負けも土俵際の逆転がほとんどなので、あの勢いで無理に一気に持って行こうとせず、まわしが取れない時は無理をしないという相撲に変えたら、大関に戻れると思います。体力とパワーは十分あるし、右四つの型もあるので、自信を持って落ち着いて相撲を取ったら、三役で二桁勝つのも容易なはずです。若元春は好きな力士ですが、関脇までの力士ですね。大栄翔も今場所を見ていたらパワーが落ちました。もう大関候補として戻ってくることはないでしょう。熱海富士はまだしばらくかかるでしょう。もっと前に出るパワーが身につかないと大関には届きません。
あと十両に戻った若隆景についても触れておきます。今場所、初日から7連勝した時は、このまま全勝優勝して来場所は幕内かなと思ったのですが、8日目から2勝6敗で結局9勝6敗に終わりました。大怪我をした膝が途中から悪くなったのではないかと思います。相撲が軽くなってしまいました。やはり膝は怖いです。まあ少しずつはよくなってくるのではないかと思いますので、そう遠くないうちに幕内上位には戻って来られるのではないかと思いますが、再び大関候補にまでなるのはもう難しいと思います。同じく今場所十両に戻った伯桜鵬はすっかり相撲が変わってしまいました。新十両、新入幕の頃のような鋭い立ち合いが影を潜めました。怪我の影響と言われていますが、怪我は肩ですし、むしろ気持ちの問題ではないかと思います。宮城野部屋問題が有能な若手力士を潰しかけている気がします。
2年後にはどんな番付になっているか楽しみにしたいと思います。(2年前には、尊富士も大の里もまだ角界入りしていなかったことを考えると、まったく新しい力士が出てきている可能性もありますね。)
妙なタイトルで始めましたが、上記のような言葉を最近若者たちがよく使うようですが、どういう場面でどういう感情になると使えるのか、よくわかりません。「若者言葉なんだから、先生はもうわからなくてもいいんじゃないですか?」と言われてしまいそうですが、一応まだ現役大学教師ですし、なるべく若者の感性を理解したいと思っているので、ちょっと気になります。特に、数年前に「先生、エモいですね」と言われたことがあり、その時は「エロい」との区別がつかず、「えっ、どういうこと?」と聞き返しました(笑)「褒めているんですよ」と言われましたが、どういう感情でその言葉を言ったのかがわからず、なんかもやもやしたままでした。それに比べれば、「萌え」や「キュン」は多少わかる感じもしますが、自分の感覚では、湧いてきたこともない言葉たちなので、正直に言うと、どういう感情で使っているのかよくわからないです。
いつの時代でも、若者たちは新しい言葉を作りたがるもので、1960年代後半あたりには「ナウい」とか1970〜80年代には「ダサい」とかも広まったと思います。1980〜2000年代には「かわいい」が若い女性たちの高評価を表す言葉としてありとあらゆる場面で使われ、本来なら「かわいい」で表すようなものではないものに使われ、「エロかわいい」や「キモかわいい」なんて言葉も生まれたりしていました。新しい言葉を使うと時代の先端を歩んでいるような気になるので、常に生まれてくるのは仕方ないことですが、個人的にはあまり好きではないです。日本語には感情を表す豊かな表現があるのに、こんな新たな感覚的言葉ばかり使っていたら、ちゃんとした文章が書けなくなるのではないかと心配です。
言葉は時代とともに変化していくものですから一切変わるべきではないとは思いませんが、なんかよくわからない言葉が幅をきかせるのは嫌だなあと思います。まあ、まさに世代の異なる年寄りの愚痴のようなものですが、少なくとも「先生、エモいですね」なんて言わないでほしいなと思います。褒めてくれるなら、ちゃんとこちらにもわかる感情表現を使ってほしいものです。
十両の相撲を見ながら、なかなか好力士である「欧勝海(おうしょううみ)」と「欧勝馬(おうしょうま)」の名前が似すぎているし、いくら鳴戸親方がブルガリア出身の元琴欧州だからと言って、ヨーロッパ出身でない力士に「欧」をつけるのはちょっとなあと気になって、2人の力士のことを調べていたら、大変な事実がわかってしまいました。鳴戸部屋こそ宮城野部屋以上に崩壊しているようで、この部屋の問題が大きく取り上げられず、元白鵬の宮城野部屋問題だけが問題視されるのは不公平すぎないかという思いが一段と強くなりました。
鳴戸部屋では、2019年に兄弟子による暴力事件が起き、その加害力士は引退勧告を受け辞め、鳴戸親方も3か月の減給を受けています。そこまでなら、一応処分もされたしそこまで問題視することはないですが、鳴戸部屋の問題は最近も起きています。昨年8月から3人も幕下力士がやめ、そのうちの1人がインタビューを受け、現在十両にいる欧勝馬が粗暴行為をしていて、それを鳴戸親方がまったく注意できていないため、幕下力士はもうこのままここにはいられないと次々に引退を選んだそうです。宮城野部屋の北青鵬の子どもじみたいじめもひどいものでしたが、3人も幕下力士がやめ、さらに引退を考えている力士が他にもいるという話なので、この鳴戸部屋問題も相撲協会はちゃんと対処しなければいけないのではないでしょうか。鳴戸親方は欧勝馬が粗暴行為をしていても注意もできないそうですので、まさに親方としての指導力を問われる事態です。宮城野親方を処分するなら、鳴戸親方も十分処分対象だと思います。
鳴戸親方もブルガリア出身で元外国人という点では、特に贔屓される理由はないと思いますが、あまりの対応の差の違いに、元白鵬の宮城野親方を相撲協会執行部が非常に嫌っているのだなと改めて思います。まあ強いて両部屋の違いを探すなら、北青鵬のいじめは稽古と関係ないところで行われていたのに対し、欧勝馬の粗暴行為は稽古がらみでなされている点でしょうね。稽古が多少荒っぽくなっても、それは仕方がないことだというのが相撲協会の見解かもしれません。ただ、指導という名での暴力的な行為は許されない時代になっていますし、3人もの力士が引退を選んでしまうほどの行為は見過ごしてしまうのはまずいのではないかと思います。伸びそうな力士だなと思っていた欧勝馬ですが、応援する気がすっかりなくなってしまいました。
本日、マンガ家・鳥山明氏が亡くなったとニュースで報道されていました。「ドラゴンボール」というマンガは世界的にファンがいて、彼の死は世界中で悲しまれているようですが、私にも特別な思いがあります。というのは、彼は私と同学年の人なので西城秀樹に次いで2人目の同学年の著名人がなくなってしまったんだなという思いと、彼が一気にメジャーになった「Dr.スランプ」は1980年に雑誌連載が始まった時から見ていて、その明るく豊かな表現力と躍動感あふれる絵に魅了され、このマンガ家は絶対売れると確信し、この年は、いろいろな人に鳥山明の「Dr.スランプ」というマンガが面白いよと宣伝しまくっていたという思い出があるからです。その証拠というほどでもないですが、右図にあるように、1981年の私の年賀状は、鳥山明の絵を使わせてもらったものばかり作っていました。(この頃は、年賀状に凝っていた時期でしたので、投函前にコピーを取ってました。)
「Dr.スランプ」で一躍人気マンガ家になった鳥山明ですが、そのほのぼの路線をやめ、バトルものの「ドラゴンボール」を書きはじめ、これでさらに人気を高め、海外にも知られるようになっていくわけですが、私はバトルものに興味がないので、「ドラゴンボール」はほとんど読んだことがありません。たぶん、「ドラゴンボール」を単純にバトルものなんて言ってしまうと、ファンに怒られるでしょうが、ちゃんと読んでないのでその辺はお許しください。いずれにしろ、才能ある同世代人がまた1人亡くなってしまいました。いずれは、自分にもその日が来るんだよなとどうしても思ってしまいます。鳥山明氏は、素晴らしい作品を残したので、その作品とともに永遠に生き続けられるのかもしれませんね。翻って自分はどうなのだろうということも、つい考えてしまいます。自分が生み出し、残したものは何なのだろう、と。たぶんあるとは思っていますが、ここに自分で書くのはちょっとずうずうしいので、いつかその日が来た時に、周りから自然にそういう指摘がされたらいいなと思っておくことにします。
先日歌番組で、森田公一とトップギャランの「青春時代」という歌が流れていたのですが、その歌を聴きながら、今の若い人たちって青春しているのかなとふと考えてしまいました。そもそも、最近「青春」って死語になりつつあるのではという気すらしてきましたので、「青春」についてちょっと考えてみたいと思います。
おそらく、今「青春」のイメージを尋ねたら、多くの人が、高校生が「○○甲子園」とかをめざして必死に仲間と努力している姿とかを思い浮かべそうですが、大学生以降の年齢の人たちはどうなのでしょうか?大学生や若い社会人で「青春してます!」と堂々と言える人ってどのくらいいるのでしょうか?「青春時代は高校で終わりました」とかさとり顔で言う人が結構いそうな気がします。(ちなみに、ある時期から自分たちを「さとり世代」とか言いたがる若者が出てきましたが、それはよくないよということを、「第690号 さとるな、あがけ!(2018.10.13)」で書いています。)それは早すぎますよ。大学生も若い社会人もまだまだ青春時代を生きているはずです。
陰陽五行説では「春」は15〜29歳なのだそうですが、このくらいの年代が青春時代だというのは、私の実感ともよく合います。「第949号 手紙は貴重な思い出(2024.2.14)」に書きましたが、まさに私はその時期が青春時代そのものでした。その時期を青春時代として思い出せるのは、やはり恋愛を求めていたからだろうと思います。上記の「青春時代」という歌も大学生の恋愛が前提にあります。しかし、今や高校生が仲間と一緒に目標に向かって頑張る姿が典型的な青春になってしまい、恋愛の比重がかなり下がってしまったように思います。「恋愛は面倒」「相手はマッチングアプリで探す」「推しがいれば幸せ」「ゲーム命」etc.うーん、、、「青春時代」の歌詞にあったように「青春時代が夢なんて あとからほのぼの思うもの」にはとうていなりそうもないですね。
どの時代の若者もその時代の中で生きやすい生活、楽しい生活を求めているわけですから、こうなってしまっているのも自然なことなのでしょうが、なんかなあ、、、という思いが払拭できません。大学生たちをずっと見てきている私の眼には、やはりスマホの出現が「青春」の退潮を一気に促してしまったと見えます。恋愛でなくとも、今の高校生たちの目標をめざす姿が青春に見えるのは、やはり対面関係で悩んだり、喜びを分かち合ったりできてるからですよね。「青春」って濃い対面関係での様々な感情が湧き出る中でしか得られないものだと思います。
ガラケーの頃はまだ携帯電話は他者との連絡手段の意味が強かったので、対面の人間関係もそこまで変化した気はしませんでしたが、スマホになってからは1人時間を過ごすための道具になっており、対面の人間関係を激減させたように思います。1人で過ごしていて「青春」を感じることは難しいでしょう。スマホが日本で普及してもう10数年経ちます。さらには、2020年からの新型コロナの流行も対面関係を激減させました。高校生まではまだみんな学校に行くので、対面関係も生まれ、青春もしやいですが、オンデマンド授業や在宅勤務が可能になってしまっている大学生や若い社会人たちが青春する機会は大幅に減りました。このままでは、日本の青春時代は高校生までということになってしまいそうです。
宮城野部屋所属の北青鵬の弟弟子いじめが露見し、彼は実質解雇になり、白鵬の宮城野親方は指導者、親方の資格なしとして、部屋運営をさせてもらえなくなり、この後、宮城野部屋は解散させられるのではという話にもなっています。確かに北青鵬をちゃんと指導できなかったことの責任は取るべきでしょうが、部屋を解散させるまでの罰は重過ぎると思います。他の部屋でも、パワハラやいじめのようなことはこれまでにも起きたのに、部屋解散までの重たい処分を受けた親方はいません。明らかに相撲協会は白鵬を排除しようとしているように思います。
朝青龍が現役でいた頃は、やんちゃな朝青龍に対して優等生の白鵬という位置付けでしたが、朝青龍が引退してからは、徐々に白鵬への批判が増え、小さなことでも問題視されてきました。勝負の判定に疑義を申し立てとか、優勝インタビューの際に万歳三唱をしたとか、そこまで目くじら立てることなのかと疑問でした。今は大人気の相撲界ですが、野球賭博と八百長相撲などが次々と明らかになり、国技館に閑古鳥が鳴き、場所が開催できなかったりした時代に大相撲界を支えてきたのは白鵬でした。双葉山をはじめとする過去の大横綱のことも勉強し、自分の相撲にも取り入れようとするくらい研究熱心な力士です。何よりも優勝45回の大横綱です。まあ確かに現役最後の方は、いろいろ批判されるべき言動も多少あったとは思いますが、本来なら一代年寄が与えられなければおかしいほどの見事な成績を残した力士です。一代年寄を与えないどころか、宮城野という親方株まで奪い取ってしまおうというのでしょうか。もしも部屋解散にさせられた時に、白鵬が裁判に訴えたら白鵬が勝てるのではないかと思います。ただし、相撲協会というのは江戸時代以来の慣習をいろいろ引きずっていて、そこが魅力にもなっていますが、また一方では非常に不透明な組織になっていますので、通常の法的判断が可能かどうかわかりませんが。
監督不行き届きによる降格や減給の処置は仕方ないと思いますが、部屋解散は重すぎます。すでに日本国籍を取得しており日本人になっている白鵬ですが、明らかに相撲協会も世論も、白鵬はモンゴル人といった目で差別的に扱っている気がしてなりません。別に白鵬のファンではないし、白鵬が指導力のある親方とも思っていませんが、あまりの不公平を誰も指摘しないので、書いてみました。メディアも世論も偏りすぎていておかしいです。
大谷翔平選手が結婚発表しましたね。みんな驚くとともに相手は誰だろうと話題にしています。ネット上では大分特定化されてきているようですが、なんで大谷選手はちゃんと発表しないのだろうと私はおおいに疑問を持っています。プライバシーだから話さなくてもいいと考えているのかもしれませんが、ちゃんと2人で出てきて記者会見とかやった方がその後絶対楽になります。今のように、相手の名前も素性も発表しなければ、なんとか探ろうと芸能マスコミも必死になります。候補と見られる女性の実家や友人たちへのしつこいアプローチも続いてしまうでしょう。大谷夫妻も堂々と街を歩けないのはもちろん、パートナーの女性はずっと日陰の女のように暮らさなければならなくなります。ご両親やごきょうだいも大谷選手が言わない限り、何も言えないでしょう。みんな大谷選手のことになると、「素晴らしい」としか言いませんが、この結婚発表の仕方は現時点では間違っていると私は思います。近いうちに、ぜひ2人で会見すべきです。長嶋茂雄にしても王貞治にしても映画界の人気俳優たちも、かつての大スターたちはちゃんとお相手を紹介していました。オープン戦が始まったばかりでいろいろスケジュールもあるのかもしれませんが、パートナーの女性のためにも、その関係者のためにも、近々大谷選手はお相手をちゃんと紹介すべきです。
もうひとつ誰も突っ込んでいないですが、他の人が言っていたら問題になったのではないかと思う発言も彼はしたと思います。それは「至って普通の日本人です」という発言です。この多様性が絶対的正義のように振りかざされる時代においては、「普通」とは何か、ということがしばしば議論されます。「うちの孫息子が普通の日本人女性と結婚してくれたたよ、嬉しいなあ」と森喜朗のような保守的な政治家が言ったりしたら、必ずその「普通」とは何かと批判されるでしょう。ましてや、彼は「日本人」もつけていますので、「そうかあ。ハーフの人とかではないんだな」と無意識に思った人は多いでしょう。「普通の日本人」はかなり危ない発言のはずですが、いつもコンプライアンスで山のように揚げ足取りをするマスメディアもネットメディアも何も指摘せず、ただただ笑顔で「素晴らしい」とだけ言います。ちょっとおかしくないかと思ってしまいます。
あんな中途半端な囲み取材で答えるからいけないのです。最初から2人で出てきてちゃんと結婚報告会見をしたら、「普通の日本人」なんて紹介をする必要はなかったのです。大谷選手の判断ミスです。大谷選手のことになると、メディアも国民も目が曇ってしまうので、あえて厳しい指摘をさせてもらいました。
【追記(2024.3.15)】今朝起きたら、大谷選手が奥さんとの2ショット写真が公開し、「さらっとした紹介の仕方で好感度爆上がり」とか話題になっていましたが、私は全然納得できません。写真を公開しただけで、妻であるとか名前とか、大谷選手自身はまだ何も伝えていません。球団が奥さんだと発表したようですが、本来は本人がちゃんと伝えるべきです。大谷選手自身が言わない限り、奥さんのご両親やきょうだいも何も語れません。もう実際は誰だかわかっているようなものですから、芸能レポーターは奥さんの実家に押しかけているでしょう。しかし、今の段階ではご家族はまだ何も発言できない状態になってしまいます。大谷選手のこの少しずつ情報を出すやり方は間違っています。最初から名前やどういう人なのかは紹介すべきだったのです。
昔から、婚姻は3つあると言ってきました。籍を入れる法的婚姻、一緒に暮らす実質的婚姻、そして家族、親族、知人に知らせる社会的婚姻の3つです。かつては、この3つの婚姻はほぼ間を空けずに一気に行われたものですが、最近は様々な事情で3つ揃わない婚姻も増えています。大谷選手の場合、法的婚姻と実質的婚姻はすでになされているのでしょうが、社会的婚姻がまだちゃんと行われていません。囲みの記者会見で「普通の日本人」と紹介し、今回は写真で紹介しましたが、これではまだちゃんとした社会的婚姻になりません。もちろん家族や友人には知らせているでしょうが、ファンに支えられている有名人の場合、ファンたちもある意味知人のようなものです。細かい情報まで紹介する必要はないと思いますが、最低限、一般の人に対しても奥さんの名前くらいは紹介すべきです。たぶん、韓国にいる間に情報を流しそうな気はしますが、なんでこんな小出しにするんだろうと非常に疑問です。最初に必要情報を出してしまえば、後はそんなに追われなくなるのに、こんな小出しにしていたら、しつこく追われることになります。どう考えてもうまいやり方をしているとは思えないのに、「大谷選手は素晴らしい」とタテマエしか言わないメディアと大衆の「大谷はすべて正しい」みたいな見方がおおいに疑問なので、追記させてもらいました。
50年以上増やし続けてきた本、資料類をあと2年でリデュースしないといけないので、少しずつやろうと思い、片付け始めたのですが、ひょんなところから、すっかりその存在を忘れていた青春時代の私信が出てきてしまい、思わず半日読みふけってしまいました(笑)時代的には、1970年〜1984年までの15年間で、私が十代後半から二十代終わりまでの15年間のもので、まさに青春そのものでした。
以前にも、自分の日記を読んで青春を思い出したことがあります(「第511号 青春とは悩むこと(2014.8.28)」)が、手紙は人間関係そのもので、そこには送り手の気持ちが書かれているので、日記とはまた違う思いが蘇ります。女性からの手紙の方が多いですが、男性の友人からの手紙もたくさんあります。昔は、みんなよく手紙を書いたものでした。便箋というか大学ノートに5〜6枚も熱い思いを書いているものもざらにありますし、内容だけでなく、葉書なんかだとデザインを工夫しているものも多く、こういう手紙や葉書のやり取りを楽しんでいたことを思い出しました。私自身も、今は年賀状は印刷物にしてしまっていますが、大学院生くらいまでは1枚、1枚手作りで、特に親しい人には、毎年かなり工夫した年賀状を送っていました。一度だけですが、宛先に沖縄のどこか実際にありそうな住所に私の名前を書き、送り手欄に友人の正しい住所と名前を書き、宛先不明で友人のところに、その葉書が届くというようないたずらをしたこともあります。(郵便屋さん、ごめんなさい。)
残っていた手紙類の中に、名前だけではこの人誰だろうと思い出せない人も結構何人もいました。中身を見たら、旅先で出会って、写真を撮って、その写真を送ったお礼の手紙だったり、旅先で楽しかったというメッセージがほとんどでした。今の若い人には信じられないでしょうが、昔は旅先で若い男女が出会ったら、なるべくコミュニケーションを取ろうとしたものですし、互いの住所交換なんかも普通にしていたものでした。中には、その後本格的に文通を続けて何通もやりとりした人もいます。今はそんな旅先での出会いなんてないですよね。青春時代が1970年代でよかったなとしみじみ思います(笑)私も今ではできません。当たり前か(笑)
付き合っていた――あるいは友人として仲良くしていただけ人も含めて――女性からの手紙は、やはり一番読み応えがありました。悪趣味だ、廃棄すべき、と言われそうですが、青春の貴重な思い出です。記録好きの私としては、とても廃棄する気にはなれません。ほとんどの私の恋は振られて終わってますので、ちょっと辛い思い出が蘇るのではと思われるかもしれませんが、そんなことは全然ありません。振られたことも、青春の貴重な1ページで、「ああ、あの時かあ。そんなこともあったなあ」と思い出せて楽しい時間でした。恋をしていた――恋をしようとしていた(?)――ことが、まさに青春でした。恋を抜きに私の青春は語れないし、それを思い出せる手紙たちは、今となればすべて宝物です。
でも、もうそういう文化もなくなってしまいましたね。30歳代以下の方々は、ちゃんと手紙(私信)を書いたことがないのではないでしょうか。メールやLINEを記録として残している人なんてほとんど誰もいないでしょうから、今の若い人たちが私のような年齢になった時は、どんな風に過去を思い出せるのでしょうね。スマホで写真は撮りまくっているでしょうが、それをちゃんと見ることはあるのでしょうか。デジタル・タトゥーになるような黒歴史なら探せるかもしれませんが、淡い素敵な思い出なんかは逆に探しにくそうです。しみじみ、今の時代の若者じゃなくてよかったなと思います。まあもちろん、今の若い人は若い人なりに楽しく生きているのでしょうから、これはただの年寄りの「昔はよかった」論のひとつと思い、聞き流してください。
年末・年始の体調の悪さは、やはり新型コロナに感染していたんだろうなと最近確信しました。というのは、コロナ後遺症がいろいろ出ているからです。熱やひどい頭痛や咳などは1週間程度ですべてなくなりましたが、その後も喉の違和感と時々出る咳はさらに2週間ほど続きました。その喉の痛みや咳はなくなりましたが、その後現在に至るまで出ている症状が、腹部や脇腹の筋肉痛です。筋違いの時のような痛さが体勢によっておきます。寝てれば楽かというとそうでもなく、一時は寝ている時の方が痛くて寝返りも打てないという日もありました。数日前あたりがきつかったのですが、ここ1〜2日はだいぶましになってきましたが、今でも横隔膜のあたりや脇腹のあたりに力が入ると悼みます。
こんなに長く様々なところが不調になったことなど、これまでの人生で一度もなかったので、「なんなんだ、これは?」と思い、もしかしてコロナの後遺症でそういうのも出るのかなと調べたら、やはり出るようで、となるとやはり、年末年始のあの体調の悪さは、新型コロナに感染したせいだったんだと確信するにいたりました。自分がこういう状態になるまでは、ニュース等で「コロナ後遺症」が紹介されていても、「半分気のせいでは?」とか思ったりもしていましたが、実際あるんだと認識を改めました。味覚や臭覚は一番体調が悪かった時でも大丈夫でしたが、こんな筋肉痛が出るとは思いもしませんでした。やはりコロナ、なかなか厄介なウィルスです。なめちゃいけませんね。
第947号(2024.2.4)セックス、恋愛、結婚を歴史的に考察する
現代社会だけ見ていると、セックス、恋愛、結婚も、必ずしも異性間で行うものとも言えないという状況ですが、人類の歴史を遡って考えてみたらどうなのだろうかということを思考実験としてやってみたいと思います。
人類は雌雄別体の動物ですから、まだホモサピエンスではなかった時代から、男女(雌雄)が交尾を行ってきたことは間違いない事実です。そこには結婚はもちろん、恋愛もなく、ただ本能のおもむくままに交尾をしてきたと考えられます。つまり、この時代は「セックス」のみの時代と言えるでしょう。異性選択の基準は動物と同様に健康であるかどうかくらいだったことでしょう。
そうした時代が何万年も続いた後、徐々に美意識が芽生えてきました。古代文明からは様々な身を飾る宝飾品等が出てきますので、豊かな階層を中心に美意識が存在したと推測できます。そうなってきた時に、動物的本能に基づく交尾から、美しいものを自分のものにするセックスへと変化したと考えられます。そして、それは相手に対する恋しさ、愛おしさのような感情をも生み出し、恋愛的なるものが誕生したと言えるでしょう。恋愛は近代社会が生み出したものと見る見方もありますが、万葉集や平安時代の和歌に詠まれた気持ちを知ると、こうした異性を慕う感情は、やはり恋愛感情と言ってよいのだろうと思います。
一方、婚姻制度は戸籍制度などを整えなければならなかった近代社会がまさに必要とした制度ですから、それ以前は厳密にはなかったと言ってもいいと思いますが、保存できる食料の発見から財の考え方は出てきていますので、古代文明の頃には、豊かな階層において、異性(女性)も財の一種として特定の異性(男性)のものであるという縛りは十分生まれていたことでしょう。ただし、男性が女性を自分の家で所有するというより、女性は生まれ育った家にそのままいて、男性が通うという形式の方が多かっただろうと思います。日本の平安時代の貴族たちは、まさにそんな生活をしていたようです。そして、通う家は1軒だけではなく、何軒かある方が一般的だったようです。他方で、庶民はセックスをし、子を持った間柄の2人は一緒に暮らす方が多かったかもしれません。江戸時代の宗門人別帳などは実質的に戸籍の役割を果たしていたので、婚姻関係に近い関係は成立していたかもしれません。江戸時代の武士に関しては、イエ制度の維持のためにも、近代的婚姻制度にかなり近い慣習を生み出していたと言えるように思います。儒教が浸透していく江戸時代の武士の社会では、セックスは正式的な婚姻を経たうえでしかなされるべきではないものという位置付けになっていたのに対し、庶民の社会でははじめにセックスをして相性がよければ、その後実質的な夫婦として生活をともにするというパターンが多かったのだろうと推測します。
明治期に入って、儒教の倫理観が染みついた元下級武士たちが政府の要職につき、近代的な婚姻制度を導入するにあたって、西洋のキリスト教道徳観とも合致する儒教的な道徳観を庶民にまで広げて、結婚せずにはセックスをすべきではないという価値観を広めていったわけです。恋愛は推奨されてはいなかったので、「結婚→セックス」だけの男女もいたかもしれませんが、異性を恋しく思う気持ちは大多数の人に自然に生まれるものであり、セックスを前提としない近代的な恋愛というものも誕生してきたと考えられます。なお、儒教でもキリスト教でも男女の間のダブル・スタンダードは激しく、女性には貞淑さや純潔さを求めるのに対し、男性は婚姻の相手である正妻以外に女性を囲おうとも何ら問題視されない時代が第2次世界大戦終了後までしばらく続くわけです。
終戦後、民主的な政策を日本に導入したGHQの方針に基づいて、恋愛の解禁、婚姻制度の男女平等化などがはかられましたが、性別役割分業に関してはGHQも疑問視はしておらず、「男は仕事、女は家庭」を基本とした男女関係が確立します。外で仕事をし金を稼ぐ男が亭主関白として家庭内権力者の座にあり、妻は夫の性的欲求を受け入れる、あるいは夫が外で浮気をしても許さないといけないという不平等な関係にありました。この頃まで多かった見合い結婚の場合、結婚後じわじわと愛情が湧く夫婦も多く、「結婚→セックス→恋愛」という順番だったと言えるでしょう。
1970年代に入った頃から、第2次フェミニズム運動が始まり、こうした男女間の不平等への疑問の声も起きてくるようになりますが、70年代はまだ一般の人々にとっては、性別分業は当たり前、性に関するダブル・スタンダードも当たり前でした。この頃までは、「恋愛→結婚→セックス」というのが、女性やまじめな男性にとってはもっともオーソドックスなコースでしたが、男性の中には「恋愛→セックス→結婚」というコースを求める人もかなりいたと思います。
ようやく1970年代後半あたりから先進国の方で女性の地位を向上させる動きが強まる中で、日本でも1980年代以降男女平等化に向けて少しずつ取り組みが進むようになってきます。そうした流れの中で、1980年代後半、1990年代となると、恋愛、結婚関係において、女性の立場が強くなり、それまでの男性主導だった関係性が変わっていくようになります。この時期になると、家庭内での父親の権威がなくなっていくことを危惧する書物が次々に登場し、そしてセクハラ、ストーカーなど、男性の性的関心に抑制をかけるような流行語が広まります。さらには、セックスレス夫婦、草食系男子と次々に恋愛やセックスから遠ざかる人たちが出てきて、当然のことながら、未婚率もどんどん上昇していくことになりました。
こうした状況の中で、1970年代までのように時間をかけて恋愛をし、結婚する、あるいは性的関係になるというのは、タイパもコスパも悪いと考える男女が増え、とりあえずマッチングアプリで簡単に出会い、セックスをするという関係を作るという人も出てきているようです。1回だけで終える人もいれば、その後恋愛関係になり、結婚に至るというパターンも少なくないようです。つまり、そういう人たちの場合「セックス→恋愛→結婚」という順になっているわけです。ちなみに、1980年代以降急速に増えてきた「できちゃった結婚」になった男女の場合は、「セックス→結婚」というパターンと言えるでしょう。
そして、今はセックスも恋愛も結婚もかつてのように異性間でしか生じない関係と言えなくなってきています。しかし、雌雄別体の動物である人類が異性間のこうした関係を当たり前に作らなくなってしまった場合、50年後、100年後は一体どんな社会になっているのでしょうか。想像するのが怖いので、ここでやめておきます。
恵方巻にかぶりつくという風習を、私は一度もやったことがありません。みなさんはやっているのでしょうか?もともと私はこんな風習があることを関西に来るまでまったく知りませんでした。先ほどウィキペディアで調べたら、発祥はあまりはっきりしないが大阪ではないかと考えられていて、1989年にセブンイレブンが「恵方巻」と名付けて広島県で売り出し、その後その名前とともに全国的に知られるようになったと書かれていました。確かに、この経緯はここ40年ほどの私の関西暮らしの記憶とも合致します。しかし、一体いつからこの風習は関西ではあったのでしょうね。以前、私と同い年くらいの知人は子どもの時からやっていたと言ってたような記憶もありますが、正確ではありません。手巻き寿司とかが出てきて太巻き寿司が売れにくくなってきた1980年前後くらいに、どこかの太巻き寿司の販売業者が仕掛けたといった方が納得はしやすいのですが、、、私は縁起をまったく担がない人間なので、どっちの方角がいいとかも知りませんし、そもそも、なんであんな太い巻きずしをかぶりつくなんて、美味しくも感じられないだろう食べ方をしなければなないのだろうと、まったく興味が湧きません。たぶん、これから先もやることはないだろうなと思います。
風習とか習慣とかは、やはり育った家庭で大事していたことを自然と身につけるものです。私の場合だと、年末年始で大事している習慣はいろいろあります。年賀状を書くこと、つまらないと思いつつも毎年紅白歌合戦を見ること――テレビをつけていること――、簡素でも正月料理らしいものを食べること、これらは生まれて以降現在まで欠かさずやってきています。他方で、自分が子供時代になかったような風習・習慣・行事などにはまったくはまれません。恵方巻以外にも、ハロウィンだの、イルミネーションを見に行くだの、若い人たちが好むような新たな習慣には個人的には全く興味がありません。ただし、社会学者としては、そういうものに、なぜ若者がはまるのかという点では興味がありますが。
かつてやっていた家庭内行事も子どもが巣立ってしまうと、やらなくなるものが多いです。節分も、恵方巻は食べなくても、豆まきはしていたものですが、子どもたちが成長してからはまったくやらなくなりました。雛人形ももちろん出さないし、七夕も子どもが小さかった時は、わざわざ笹を買ってきて部屋の中で願い事を書いた短冊を吊るしたりしたものですが、もういつからやっていないのか思い出せないほどです。クリスマスも、子どもたちが独立してからはまったく何もしなくなりました。他にも何もやっていない年中行事日だらけになっている気がします。こうやって考えると、やはり年中行事の実施には子どもの存在が大きいですね。家庭というのは、子どもの成長とともに大きく変貌していきます。子どもが喜んでくれるうちはいろいろやっておいた方がいいですね。
「片の富士コラム」を作ってまめに相撲について書いていたので、これまでのように場所総括をしなくてもいいかなと思いましたが、まあこれも定期的記録になるので、やはり書いておくことにします。
今場所の総括としては、やはり照ノ富士は強いということですね。かつて「照ノ富士は令和の雷電だ」と書いたと思いますが、今場所もそう思わせてくれました。特に、終盤戦の強さは圧倒的でした。千秋楽の霧島戦、優勝決定戦の琴ノ若戦は力の違いを見せつけました。この2人は近い将来横綱になるかもしれませんが、照ノ富士に一度も勝てないままでは、本物の横綱とは言えないと言われてしまいそうです。これまで横綱になった力士で、5回以上対戦した上位力士に対して一度も勝てなかったという力士はいないのではないかと思います。照ノ富士の壁を破った力士が横綱になるのでしょう。
霧島の横綱昇進は白紙に戻りましたが、それでよかったと思います。まだ横綱としてしっかりやっていく力は霧島にはありません。体重もあと10s以上は増やして立ち合いも相手に合わせていろいろ変えるのではなく、こういう形に持っていくという型がほしいです。器用で運動神経がいいので、照ノ富士以外の相手ならどの相手とも五分以上の勝負ができると思いますが、横綱は五分以上程度ではだめです。下位の力士ならどの相手でも7〜8分で勝つだろうと思わせるくらいの強さがないと、万一横綱になれても長続きしなくなります。もっとどっしりした強さを身につけ、照ノ富士とも五分で渡り合えるようになってから横綱になった方がいいです。
琴ノ若は強くなりました。大関としては十分やっていけるのはもちろん、案外横綱昇進も一番早いかもしれません。霧島と違って照ノ富士とも渡り合える体が琴ノ若にはありますので、照ノ富士の壁を突破する可能性も一番ありそうに思います。今場所のようにどっしりと落ち着いた相撲を取れるなら、毎場所優勝争いに絡んできそうです。
1年間で3人の新大関ができ、1年前の次の大関は誰と言われたころの大関候補はこれで結論が出た感じです。大栄翔や若元春も魅力的な力士ですが、大関には届かなさそうです。他にも朝乃山や高安の大関復帰を求める人も多いですが、怪我がちなので2人とも実力はありますが、復帰はかなり難しいと思います。次の大関候補には大の里が一気に来そうな気がします。あの体力と馬力に、幕内上位に通用する技を会得したら一気に大関まで行ける気がします。来場所もかなり活躍するでしょう。
「片の富士コラム」には書かなかった十両以下の力士についても少し書いておきます。13勝2敗の好成績で新十両優勝した尊富士は来場所新入幕になりそうです。確かによい力士だと思いますが、膝から下の足の細さが私には気になります。なんかいずれ致命的な怪我をしてしまうのではないかと心配です。幕下優勝は若隆景でした。膝の状態が大分よくなったのか、幕下では敵なしでした。膝の状態さえ問題なければ、来場所は十両優勝でしょう。このまま順調に幕内上位、三役に戻ってきてほしいものです。怪我で同じく幕下まで落ちていた伯桜鵬も来場所は十両に戻ります。ただまだ脱臼癖が怖いのか、相撲をおそるおそる取っている感じで、新入幕した頃のような迫力にかけていました。大の里のような体はないので、上手さはありますが、先々大関まで行けるのかという点はもう少し見てみないとわかりません。
さらに下位では、先場所序の口で全勝優勝をした安青錦が今場所は序二段で全勝優勝し現在14連勝中です。とりあえず、幕下上位までは一気に上がるでしょう。しかし、幕下上位は実力者がたくさんいますので、そこをそのまま抜けきれるかどうか、まだあまり彼の相撲自体を見たことがなく、どの程度の力を持った力士かよくわかりませんので、幕下に上がってからじっくり観察してみたいと思います。あと、今場所初めて知った力士で将来大化けする可能性があるのではと思ったのは、三段目筆頭の丹治という17歳の力士です。非常にバランスのよい体をしています。相撲自体も幕下力士と何番か取ったのを見ましたが、なかなか強いです。すでに幕下に上がったことがあったようですが、負け越して三段目まで落ちましたが、来場所以降は幕下で勝ち越しを続け徐々に番付を上げていくと思います。ただまだ17歳で体も出来上がってはいないので、すぐには十両、幕内とはいかないかもしれませんが、5年後くらいには幕内上位で活躍していそうな気がします。超先物買いですが、こういう予測が大好きなので書いておきます。
自分の講義の試験の採点をしながら、最近急速に大学生の知的能力が落ちてきているのを感じています。まず質問の狙いを正確に把握できない学生が多いです。質問文には、キーワードになる語句が入っているものです。そのキーワードをきちんと捉えて、それに応える形で解答を作成すべきですが、そこができておらず、勝手に連想ゲームのように質問に関連したことを書いておけばいいだろうという感じで解答を作っている学生がたくさんいます。論理展開がちゃんとしてないのは仕方ないと思っています。短い時間で早く記述しようと思うと、丁寧な論理展開はなかなかできないのはやむをえないですが、ポイントを把握せずに論述し始めるのはまずいというくらい考えないのかなと思います。あと、字が下手な学生が多くなりました。スマホばかり使っていて、手書きで文字を書く機会が減っているのでしょう。汚い字は、内容も読み取りにくいです。
卒論の指導をしていても知的能力が落ちているなと感じます。社会学は自分で研究テーマを決めていかなければならない学問ですが、魅力的な研究テーマを自分で見いだせる学生が滅多にいません。研究対象をなんとなく見つけても、その対象にどうアプローチをしたらいいかがまったく思いつかない学生だらけです。自分で考える能力が大きく落ちています。関連しそうなデータは簡単にたくさん探してきますが、それらのデータを使って、どう論理展開をしたらいいのかがわからず、ただデータを羅列しているだけになっているものも少なくありません。こうした問題発見力、論理展開力、思考力の低下は、今の大学生の生活から言えば必然的なことなのだと思います。スマホですべてを済ませている学生たちは、情報には受け身で接するのが当たり前になってしまいました。自分で発信する場合は、映える写真や動画に無難な短いコメントをつけるだけで、長い文章をまったく書かなくなってしまいました。そんな生活をしていたら、論述問題を解けなくなり、卒論もうまく完成させられないのは当たり前です。
教員側の対応の変化も、学生たちの知的能力の低下に一役買っています。というのも、コロナ以降、LMS(Learning Management System)というネット上の教育システムで課題を出す教員が増え、その課題への解答で成績評価をし、学期末に試験をする人が減っています。私も2020年春学期はすべてオンデマンド授業でしたので、そういう形で成績評価をしたことがありますが、あれだけでは学生の力は本当に測れないし、伸ばすこともできません。今は対面の授業に戻りましたが、LMSに毎回感想を書かせそれをきっちり読んでいますが、それだけで成績評価をする気にはなれません。ただ授業に出ただけでなくちゃんと理解したのかどうか、論述する力はどのくらいあるのかどうかは、試験をしないとわかりません。論述試験がどんどん減ってしまうと、ますます学生の能力は落ちてしまいます。教員もぜひ考え直してほしいものです。
外見を魅力的に見せることとダンス能力は高くなっていると思いますが、大学生が一番伸ばすべき能力はやはり知的能力だと私は思っています。就活の時は、コミュニケーション能力が大切と言われますが、それはサブです。高い授業料を払って伸ばすべきなのは、知的能力です。特に思考力、考える力をつけるべきです。知識を自分のものにし、そうした知識の組み合わせから柔軟な思考ができるようになっていってほしいものです。今のようにスマホをいじって時間潰しをしている生活では、大学生はどんどん駄目になります。意識して生活を変えてください。
第943号(2024.1.25)トランプを再び大統領にしようというアメリカ国民は信じられるのか?
アメリカ大統領選挙の年で、共和党の予備選挙が始まりましたが、すでにトランプ1人に候補が絞られるのは時間の問題です。2016年の選挙の時は、トランプは最初泡沫候補扱いだったのが、時間が経つにつれて有力候補となり、ついには共和党の候補、そして大統領にまでなったわけで、あの時は全世界が驚きを持って受け止めました。しかし、今回は最初から最有力候補でそのまま共和党の大統領候補になるのは確実と思われ、実際そうなりそうです。民主党は、半分呆けかけているようなバイデン現大統領が候補になりそうですので、そうなるとトランプが勝ってしまうという結果になりそうです。
それにしても、あんな自己中心主義的で自分にとって都合の悪い相手のことは過剰に非難するような人間を、なぜアメリカ国民は支持するのでしょうか?個人的には決して上に立ってほしくないと思う人物です。アメリカのことだけ考えると叫ぶ大統領でいいとアメリカ国民の半数以上が思っていると思うと、ぞっとします。世界最強国のトップがあんな狭量で自己中心的な非人格者では、世界が混乱しそうで怖いです。アメリカ大統領は、民主主義と自由主義を大事にする良識的な博愛主義者になってほしいものです。比較的最近の大統領で例をあげればオバマ元大統領あたりでしょうか。民主党の方がそういうタイプの大統領が多かったとは思いますが、共和党の大統領でも、トランプほどひどい大統領はいなかったと思います。そのトランプを再び大統領にしたがっているアメリカ国民はもはや信じるに値しない気がしています。
このままトランプ大統領が復活したら、その後の4年間はおおいに不安です。民主党に魅力的な大統領候補が出てきてくれないでしょうか。
理論社会学のテストの解答で、「三無主義」について触れる学生が毎年いるのですが、そのすべてが「三無主義」とは「無気力・無関心・無責任」のことであると書いているので、いつもおかしいと思っています。確かにネットの辞書ではそう出てくるので、学生もそう書くわけですが、まさに「三無主義」と言われた私たち「シラケ世代」が若い時には、三無主義とは「無気力・無関心・無感動」だったはずです。「無感動」だからこそシラケているように見えた世代だったのであって、「無責任」では「シラケ」とは遠くなります。「無責任」な世代とは言われた覚えはほとんどありません。一体、なぜ「無責任」で広まっているのか、ちゃんと調べてみないといけないなと思い、新聞記事検索をしてみました。
「三無主義」という言葉はいろいろな場面で使われており、まったく違う意味のものもいろいろ出てきます。1961年5月4日の『朝日新聞』に、横浜国立大学の教員が「無試験、無採点、無賞罰」の「三無主義」を唱えているとか、1968年6月の『読売新聞』には、東映という野球チームの監督が「サインなし、門限なし、罰金なし」の「三無主義」を撤回したという記事があったりします。もちろん、これらは私が探している「三無主義」ではありません。1970年前後からようやく私の探している「三無主義」が出てきます。1969年3月20日の『読売新聞』で、高校生が「無気力、無関心、無規律」の「三無主義」に陥っているという記事が見つかりました。その後は、1970年4月30日の『朝日新聞』、1970年8月5日の『読売新聞』で、やはり最近の高校生の話として、今度は「無関心、無気力、無責任」の「三無主義」がはびこっていると述べられています。私の覚えていた「無気力・無関心・無感動」の「三無主義」が出てくるのは、1974年6月4日の『読売新聞』で、「新入社員の意識調査」という見出しの記事で登場します。しかし、1970年代の記事で、この3つを並べているのは、この記事しかありません。一方、「無関心、無気力、無責任」の「三無主義」は、1971年8月3日と1976年1月15日と1976年1月25日の『読売新聞』でも出てきます。1971年のものは上記と同様に高校生の話ですが、2本目は新成人に向けた社説、3本目は『自信のないシラケ世代』という見出しで、若い社会人の話として紹介されます。
「うーーん、そうなのか」という印象です。まずは1960年代末から1970年代はじめにかけて高校生の態度として「無関心、無気力、無責任」の「三無主義」が語られるようになり、その後1970年代半ばあたりから大学生や若手社会人にも当てはめられるようになってきたということなのでしょうが、その時点でも「無関心、無気力、無責任」の「三無主義」と言われることが多かったということになりそうです。この事実は、私の記憶とは合致しません。まあ、記憶なんてものは主観的なものですので、自分の思い込みだったということになるのでしょうが、「無責任」より「無感動」の方が、「シラケ」には合っているという思いは消えません。「無責任」は行動の責任を取らないというイメージだと思いますが、「シラケ世代」は行動できないのが特徴だったと思うので、「無責任」は合わないと思うのですが、、、同世代が若い時に「三無主義」をどう認識していたか、友人たちに聞く機会があったら聞いてみたいと思います。
[追記(2024.1.25)]博識の同年の友人から得た情報です。「三無主義は、団塊の世代の学生運動の連中が、ノンポリどもに使った言葉で、我々の世代まで含まれているという意識はありませんでした。ノンポリどもに発する場合は「無気力・無関心・無責任」であったと思います。団塊の世代後の我々世代について三無主義をいうのであれば、「無気力・無関心・無感動」というのは当たっているなぁ、と思います。」この情報は貴重ですし、説得力があります。1970年ごろから「三無主義」という言葉が出てくるわけですが、原点は大学紛争時の活動家たちがノンポリに使った言葉であるなら、確かに「無気力・無関心・無責任」がぴったりです。それが、我々「シラケ世代」に適用された際に、「無責任」より「無感動」の方がぴったりしていて「無気力・無関心・無感動」としても使われるようになったのでしょう。当時の私は、政治や大学の問題に関しては、まさに「無気力・無関心・無感動」のような態度を装っていましたので、ぴったりだと思ってそう覚えこんだということだったのでしょう。なんかすっきりしました。
久しぶりに、サッカー日本代表について書いてみます。いつ以来かなと思ったら、2019年に開催された前回のアジアカップ以来でした。カタールに負けて優勝できなかった時でした。森保ジャパンが始まって初めての公式大会だった時です。そこから5年。第2次森保ジャパンになって以降、再び初めての公式大会ではないかと思います。5年前は、本当に森保監督で大丈夫かと、みんな半分疑いながら見ていたわけですが、優勝はできなかったものの、それなりの結果を出し、これで森保監督でも行けるかなと思ったものでした。
しかし、今回のアジアカップは一昨年のワールドカップでドイツ、スペインを破り、その後も絶好調で10連勝で迎えた大会でしたので、優勝は当たり前、アジアのチームに負けることなんてないだろうと思いながら、みんな見ていたところでのイラク戦敗戦という結果は、そんなにアジアも甘くないよと言われている感じでした。初戦のベトナム戦も一時は1-2でリードされたわけですし、意外だと思った人は少なくないでしょうね。テレビでしかサッカーを見ないので、ベトナム戦はスポーツニュースでしか見ていないのですが、イラク戦はしっかり見ましたので、感想を述べたいと思います。
正直言って、最初にスターティングメンバ―を見た時から、「うん?この布陣で大丈夫か?」と少し不安なりました。イラクはグループステージでの最強ライバルと見られていたはずなので、今のベストの布陣がこれか?とかなり疑問でした。トップ下でいい仕事をする南野を左に移して久保をトップ下というのは機能しないのではないか、CBは富安でなくて谷口で大丈夫か、と不安に思いましたが、やはり上手く機能せず0-2になってしまったので、珍しくCBが途中交代、前線も南野をトップ下、左に伊東純也を右から移し、右に久保という布陣に変えました。まあしかし、これも十分機能せず、その後の交代も十分効果が出ず、後半アディショナルタイムにようやく1点を返すのが精一杯で、実力で負けたような印象の試合になりました。
前半からロングボールを放り込まれ、それをうまく納められ、かつ高い打点のヘッドができる選手のところにいい球が行ってしまい、見事に決められてしまいました。攻める方はうまくボールを繋げず、決定的チャンスを数多く作れませんでした。珍しいことですが、イラク戦は森保監督の選手起用の失敗による敗戦だったのではないかという感想を持ってしまいました。GKの鈴木はまだ若く、日本代表の正GKとしては不安です。今回は招集されていませんが、私はシュミット・ダニエル推しです。とりあえず、今回はシュミットはいないので、せめて前川で行ってほしいです。CBは富安、板倉しかないです。SBが左右ともに厳しいですね。伊藤洋輝はもともと買ってないんですよね。SBの選手ではないです。バックパスや横パスが多く、自信なさげにプレーしているように見えます。でも、中山も魅力がないし、左SBは日本の弱点です。右SBの菅原は買っていたのですが、この2試合、完全に裏を取られて日本チームの弱点になっています。代わるなら毎熊なのでしょうが、こちらも守備は不安です。酒井、長友のようなSBがまた出てきてくれないかなと思うばかりです。
ボランチの遠藤と守田は、みんなよくやっていると言うのでしょうが、イラク戦は2人とも輝いていなかったです。この2人の組み合わせだとボランチがかなり守備的になりすぎます。ボールを繋いで攻撃的に来るチームならこの2人の組み合わせでボールカットからショートカウンターというパターンが有効ですが、イラクのようにロングボールやサイドに振って攻めてくるチームだと、この2人の組み合わせが適切ではない感じがします。でも、攻撃センスのあるボランチを招集していないので、結局この2人でいくしかないのかもしれません。鎌田とかいればここで使えたのですが。あともうひとつずっと気になっているのは、遠藤のキャプテンシーです。負けている時に、チームを鼓舞している雰囲気がないです。吉田がキャプテンだった時代は、吉田はよく声を出していたように思います。遠藤はキャプテン向きなのかなと疑問に思います。
前は、右に伊東、トップ下に南野、左に三苫、ワントップは上田でしょう。三苫が怪我で出られないなら、中村を使うべきです。私は昔から小さくちょこまかドリブルをしたがる久保タイプの選手を評価できません。久保は日本代表ではレギュラーの位置にすべきではないと思います。後半の交代で、浅野や堂安というのは効果的ですが、久保は後半で出しても使いようがないです。スペインで活躍しているからと言って、日本代表の戦術に合わなければ出さなくてもいいはずです。イラク戦は交代もよくわからなかったです。伊東純也を引っ込めて前田では効果が出ません。守田と旗手の交代もよくわかりません。負けているのだから、もっと攻撃的選手を投入すべきでしょう。珍しく、森保監督の采配ミスで負けたとも言える試合だったのではないかと思います。
今朝の新聞に、岸田派と安倍派が派閥解散を検討しているというニュースがトップ記事になっていました。正直言って、派閥なんていったん解散してもまたできるに決まっているのでここで取り上げるほどの価値もないのですが、最近政治関連のテーマで何も書いてなかったなあと思い、ちょっと書いてみることにします。
岸田派解散を岸田首相が打ち出すというのは、1か月ほど前に岸田派を離脱すると宣言したことが実際は行われていなかったことを意味します。本当に離脱していたなら、もう岸田首相には岸田派の解散を検討する資格はないはずです。あと、岸田派には次を狙う林芳正がいるので、彼にとって総裁選の地盤になる派閥の解消はなんとでも阻止したいところでしょうから、もしも形式的に岸田派を解散したなら、すぐにでも林派を立ち上げたいと思うことでしょう。まあ、岸田を排除した形で新派閥を創れたら、林官房長官にとってそれはそれでラッキーかもしれませんが。
安倍派の解散は現実味があります。今回の問題が露見する以前から、安倍晋三の後継者を決められず、トップのいない組織ですから、今回の問題が起きなくても、いずれ解散、再編が起きやすい状況でした。今回の問題でも、派閥として一番問題のある行為をしていたわけですから、これをきっかけに派閥解散、5人衆のうちの何人かが新たにグループ――実質派閥――を創ることになるのでしょう。グループを作りそうなのは、西村康稔と萩生田光一あたりでしょう。保守系の安倍チルドレンの多くは萩生田についていきそうな気がします。
まあいずれにしろ、派閥はいったん解散とかになっても、いずれ復活します。誰もが言っていますが、多人数の組織には、組織内集団ができる方が自然です。永遠になくなるわけはないです。そもそも政党だって、政治という世界に生まれている派閥のようなものです。そして、どの政党も内部にグループができているものです。ないのは日本共産党くらいですが、そうなると逆に党内民主主義がないと批判されたりします。派閥がなくなれば、今回のような政治資金問題が起きなくなるなんて、まったく的外れな対策です。派閥が解散するかどうかなんてことが焦点になっているようでは、問題の本質がごまかされている感じです。
政党助成金を与えるなら、一切の政治資金獲得のためのパーティは全面的に禁止すべきです。でも、私はどちらかと言うと、どうせ隠れて資金を提供する企業、受け取る政治家はいるの決まっているので、政党助成金を与えるのを一切やめて、自力で資金を集めさせる昔の形でいいのではないかと思っています。献金を受けて、そういう企業のためにだけ働く政治家なのかどうかを、有権者がしっかり見極めるしか、政治家をまっとうにする手はないのではないかと思っています。こういう問題が起きるのも、結局国民がちゃんと政治に関心を持って、投票行動を行っていない結果だと思います。そこが変わらない限り、こんな問題はこれからも何度でも起きることでしょう。
今年は出だしから、災害、事故、自分の病気と暗いスタートで、予定していた新年会も3つもキャンセルしてちょっと鬱々と過ごしていたのですが、ようやく昨日、今年初の新年会ができました。60代1人(=私)、40代3人、30代2人、20代2人という飲み会でした。1次会で美味しく食べ飲みし、盛り上がったままカラオケにまで行き、さらに大盛り上がりになり、みんな終電ギリギリまでいるという楽しい晩になりました。参加メンバーの笑顔を見ていて、本当に幸せな気持ちになり、鬱々とした気持ちが消えていきました。やっぱり、対面で会って適度にアルコールも入れながらコミュニケーションを取るって楽しいですよね。
しかし、考えてみると、上記のような年齢の組み合わせでの飲み会って、今はあまりないのかもしれませんね。昔なら、上司も含めた職場の人たちとの飲み会だと、こういう年齢のばらつきのある飲み会もあったのでしょうが、最近は少なくなっているみたいですからね。昨日の飲み会の場合、みんな私の教え子たちですが、それぞれみんな違う学年の人です。私にとっては、しばしば行うタテつながりの飲み会のひとつですが、こんな関係性を続けているゼミというのも、改めて考えると珍しいでしょうね。年齢差があるのに、若い20代も40代に気楽にツッコミを入れられる関係って、実にいいものです。
そして、こういう関係が生まれるにあたって、私という存在が必要だったんだよなと思うと、幸せな気持ちにならせてもらえます。もちろん、個々の人たちがそれぞれ魅力的だからではありますが、たぶん私を含めて特別な人は誰もいなくて、人はみんな魅力的なので、それを素直に発揮できる場があるかどうかの問題なのだと思います。そういう場を作ってきたという自負心は持っています。対面の人間関係、特に年齢の違う人との飲み会なんて苦痛以外の何物でもないと思っているような若い人たちに、こういう場を経験させて楽しさを知ってもらいたいなと思います。まあそうは言っても急には無理ですから、少しずつ私との距離を縮めてもらうところから始めてもらうしかないですが。4月から始まる31期生が最後のゼミ生ですが、その中からもいつかこういうタテつながりの飲み会に喜んで参加してくれる子が出てくることを期待したいと思います。
基本的にメールを中心にコミュニケーションを取っている人間ですが、今の時代、メールはあまり見ない人も多いので、どうしても連絡しなければと思う時は、LINEで連絡しています。しかし、しばしばそのLINEを何日も未読のままにしておく人がいて、それがすごく嫌いです。
以前LINEの機能をあまりわかっていなかった時は、ずっと未読って何かあったんじゃないかと本気で心配したりもしましたが、通知でも読めてしますし、さらには未読のまま内容を確認する方法もあると知り、未読にしておくって、気づかなかったふりをしているだけなんだと知ってからは、未読のままにしておく人に対しては評価を非常に下げています。
たぶん若者文化の中では、返事ができるようになるまでは「既読スルー」のように思われて失礼になりそうだから、返事するときまで未読にしておこうというマナーなのだろうと思いますが、私はすぐに返事できなくても既読にしてもらった方が安心します。すぐに返事できないのは忙しかったり、スケジュール調整が必要だったりで、時間がかかっているんだろうなと理解しますので、既読になった後2,3日後の返事でも不快感はありません。
しかし、未読にしたまま、2,3日どころか、下手すると4,5日以上放置している人もいます。私はこういう人が非常に苦手です。こういうことを何回かされると、「もういいや。この人に連絡を取るのはやめよう」と思います。もしも、これまでの私とのやり取りでそういう経験を持つ方で、今後も私と付き合っていきたいと思う方は、今後は直していただけたら幸いです。
紫式部を主人公にした「光る君へ」が始まりました。今年はちょっと楽しみにしていました。紫式部にはほとんど興味がないのですが、平安時代の政治に最近非常に興味があるので、そこをどう描いてくれるかが楽しみです。昨日の1回目を見る限り、かなりしっかりと描いてくれそうで、楽しみが増しました。
奈良時代から平安時代にかけての天皇家と藤原氏との関係は非常に興味深いです。どうやって藤原北家――特に藤原道長の子孫――が摂関家と呼ばれる圧倒的な権力を持つ立場になりえたのかは調べれば調べるほど面白いのですが、映像としてはどう描いていくのだろうという別の興味があります。昨日の放送では、後の花山天皇になる皇太子が奇矯な行動を取る若者として描かれていました。実際に、花山天皇やその父親の冷泉天皇は精神的におかしかったと記録があるようです。この花山天皇の廃位を藤原兼家が企み、天皇を騙して出家させるという計画を、次男の道兼が実行し、一条天皇を帝位につけるわけですが、ここはひとつの見せ場になるでしょう。(ちなみに、この花山天皇が失脚したことで、せっかくその家庭教師役になっていた紫式部の父親・藤原為時は出世の道が途絶えてしまいます。)
今の天皇家だけ見ていると、政治的権力とは無縁の世界に生きているように感じますが、武家政権が確立するまでは天皇家は最大の政治的権力者でした。(鎌倉時代に、後鳥羽上皇や後醍醐天皇が武家から権力を奪取しようとしたのは、まだ天皇家は政治的権力者だという意識があったせいでしょう。)昨日のドラマの中でも、役人の任官をいちいち円融天皇が認めないといけないという場面があり、実際がどうだったかはわかりませんが、形式的にはまさにこうした役割があったことが描かれていました。(ある意味、今でも大臣の任命とかを天皇がするのはその伝統を引き継いだものと言えるでしょう。)
今回のドラマでは、藤原道長が権力を得ていく過程が描かれるのでしょうが、もうドラマの始まった時点で藤原北家は藤原四家の中で、すでに圧倒的力を持っていて、権力闘争は北家の中での争いになっています。気になるのは、一体どのあたりから北家が力を持ち始めたかです。道長の父親・兼家の高祖父にあたる良房が嵯峨天皇(のち上皇)におおいに評価され出世を遂げ、娘の明子を嵯峨天皇の孫にあたる文徳天皇の后とし、のちの清和天皇を生んだあたりからです。清和天皇は文徳天皇の第4皇子であったにもかかわらず、わずか8か月で皇太子に立てられ、9歳で即位します。正式の任官はもう少し後になりますが、実質的にこの段階で良房は、人臣初の摂政となります。これ以降、北家の藤原長者が摂政関白を務め、権力を集中させていく歴史が始まります。良房は男子がいなかったので、甥である基経を養子にして後を継がせ、その後直系で、忠平、師輔、兼家、道長と繋がっていきます。ただし、忠平以下の4人はいずれも長男ではないので、実際にはそんな簡単に継承がされたわけではなく、兄弟間の争いもいろいろありましたし、成人した天皇との権力闘争とかも起きています。調べていると面白くてやめられなくなります。
戦国時代や幕末のような武力闘争が激しかった時代に若い時は興味を引かれますが、もうその辺の時代は、私にとってもはや新鮮味はなく、わかりにくいと思っていた平安時代の政治闘争が今や非常に面白いです。今年の大河ドラマが、滅多に描かれたことがない宮中の権力闘争をしっかり描いてくれることをおおいに期待したいと思います。
第936号(2024.1.5)コロナだったかもしれない体験記
前号で書いたように大晦日から体調不良になり、この正月は誰とも会わずひたすらおとなしくしてました。おかげさまで体調はほぼ通常に戻りました。まだ少しだけ喉の痛みと頭痛がありますが、生活するのに支障はないです。治りかけですが、一応検査してもらおうと思って、今日から行きつけの病院が開いたので、人の少なさそうな時間を見計らって受診に行ったのですが、「コロナだったかもしれないのですが、、、」といった瞬間に、日頃愛想のよい先生が「うちは検査も対応も何もできないから」と言って、検査してくれる病院と薬局で抗原検査キットが売ってるからという情報だけくれましたが、ほぼ追い返されてしまいました。5類に移行したと言っても、まだこんな風に扱われるんだなと初めて経験しました。インフルエンザと同じ5類になったはずですが、インフルエンザとは対応は大分違うんですね。ちなみに、私が最初に「コロナだったかも」と言わなければ、普通に診察してくれたと思いますので、そうしたらどんな判断が下っていたのかなとちょっと興味深いところです。まあ、病院からしたらコロナ対応のできない病院には、コロナの可能性のありそうな人は来ないでくださいという感じなのでしょうね。病院の対応から見ると、コロナはまだ5類になりきってない感じですね。もうほぼ治りかけているので、知らない病院に行ってまで検査してもらうこともないなと思うので、今回の体調不良は「コロナだったかもしれない」という認識で終わりそうです。
コロナだったかどうかはっきりしませんが、せっかくなので症状の記録だけ残しておこうと思います。大晦日から風邪っぽい症状が出てきたなと思っていたのですが、その晩寝ている時の頭痛がひどく、翌日元旦に熱を測ったら37.5度でした。一般的にはそれほど高い熱とは思われないでしょうが、人生で39度台が1回だけ、38度台も3回くらいしか出したことのない人間なので、37.5度は私としては結構高熱です。結局1月3日くらいまでは、37度台前半の熱がありました。4日以降はほぼ平熱に戻りました。一方で長く続いた――今もまだ少し続く――のは、喉の痛みです。特に、2日の夜から3日の朝にかけては喉の痛みで眠れないほどでした。相当腫れていたと思います。横になっている時に「これ、ちょっと肺の方まで来てないか?」と少し心配になったほどです。ゼミ生でコロナに罹った子が、やはり喉が痛かったと言ってましたが、私もその症状が一番きつかったです。他には鼻水、くしゃみ、関節の痛み等は多少ありましたが、通常の軽い風邪の時と変わらない程度でした。味覚障害、臭覚障害とかが出るという話も聞いていましたが、私はまったく出ませんでした。胃腸の調子も悪くなく、普通に食事はしてました。そうは言っても、買い物は行けないし、手間のかかるものも作りたくなかったので、大晦日に大量に作った筑前煮が大活躍で、昨日まで5日連続で食べています。あと残りもう少しになりました(笑)
まあこんな症状だったので、コロナだったのか、あるいはインフルエンザだったのか、ちょっとひどい風邪だったのか、はっきりはわかりませんが、とりあえず12月30日から今日病院で医師と一瞬話した以外は誰にも会っていませんし、この後も1月8日まで人に会う予定はないので、コロナだったとしても誰にも感染させずに完治できると思います。予定していた新年会を2つキャンセルして、映画ばかり見ているという地味な正月となりましたが、仕方ないところですね。前号の「つらつら通信」を読んで心配してくださった方もそれなりにいると思いましたので、ほぼ病状は回復しましたという報告を兼ねて書かせてもらいました。来週からは元気にやっていきます。
第935号(2024.1.2)2024年波乱の幕開け
元旦から大きな地震があり、驚きましたね。元旦に大きな地震で正月特番が放送中止になるのは、私が記憶する限り初めてのことです。正月気分がすっかり飛んでしまいましたね。被害もかなり出ているようなので心配です。大阪もかなり揺れました。感覚的には震度4くらいあった気がします。1995年の阪神淡路大震災と2018年の北大阪地震と2度の大きな地震で家の中がめちゃくちゃになるという体験をしてから、地震が怖くて仕方ありません。ちょっと揺れただけでも、びくっとします。なので、昨日くらいの地震が起きると本当に怖いです。
その上、実は個人的にも大晦日の晩くらいから体調が悪くなってきて、元旦はものすごい頭痛と咳、熱も37.5度まで上がり、かなり弱っていた時だったので、特にしんどかったです。今日は昨日よりはましですが、まだ熱が37度を超えるくらいあり、のどの痛み、咳、くしゃみ、頭痛、関節痛と悩まされています。年賀状の返信やこの「つらつら通信」を書く程度のことはできますが、参加予定だったある学年の同期会は急遽欠席せざるをえませんでした。寝込むほどではないですが、体がだるく、ちょっとしんどいです。滅多に病気をしない人間なのですが、12月はものすごく忙しかったので、そのすべてのスケジュールをこなしきったところで、体が休息を求めたのかもしれません。とりあえず大人しく過ごして回復につとめます。
【追記】昨日の地震の被害が非常に大きかったことがどんどんわかってきて、どこまで被害は広がるのだろうと一段と心配になっているところに、今日も日航機が全焼する大事故が起きてしまいました。こんなにひどいことが元旦から2日続けて起きるなんて、私の記憶どころか、日本の歴史でもなかったのではないでしょうか。二度あることは三度ある、なんてことだけはないように祈りたいです。