From 大学キャンパス to ナース・ステーション

ケアとケアの倫理を考える 第7回


護婦として大学で学び得たこと


細岡智恵子(丸紅健康保険組合健康開発センター)
Emergency Nursing, vol.6, pp.82-86, 2002年6月1日、メディカ出版

 


 「看護婦さん、M君の様子がおかしいみたいやけど……。」

 M君と同室の患者さんが、ナースステーションまで知らせに来て下さいました。M君は、20代の男性。悪性腫瘍で子どものころから入退院を繰り返し、私の勤務していた病棟へは、骨転移した腫瘍を切除するための手術と、化学療法、放射線療法を行う目的で入院していました。

 病室へ行ってみると、M君はこわばった顔で一点をみつめたままです。4人部屋だったのですが、誰もが息をひそめ、部屋中に重苦しい雰囲気がたちこめていました。ちょうど薬を配る時間でしたので、薬を渡しながらさりげなく声を掛けてみましたが、こちらを見る様子もありません。とにかくしばらくの間、黙ってM君のそばにいることにしました。四人部屋で、他の患者さんもいらっしゃるのでどうしようかと迷いましたが、M君のただならぬ様子から、この時を逃すとM君は二度と本心を打ち明けてくれないのではないかと思ったからです。ベッドの横にある椅子に腰掛け、M君の反応を待ちました。

 どのくらい時間がたった後でしょうか、M君がやっと私の存在に気付いたかのように、こわばった表情のまま、怒りをぶつけるように早口で話し始めました。

「今日両親が呼ばれていて、これからの治療について説明があるらしい。自分の病気のことやのに、勝手に治療すると決められていることが納得できない。自分は癌が全身に転移しているからその治療は残された最後の方法かもしれないけど、それが本当に効果があるとは思えない。その治療を受けなかったら死ぬかもしれないということはわかってるけど、効果があるかどうかもわからないのにそんなしんどいことはもうしたくない……。先生たちは勝手に治療することを決めて今から親に説明するみたいやけど、治療は受けたくない。」

 そこまで一気に話し終えてしばらくすると、M君は何かから解き放たれたように、やっと先ほどまでのこわばった表情を緩めました。事の成り行きを黙って見守っていた同室の患者さんたちの緊張も緩んだようでした。M君からはっきりと“死”という言葉をきいて私は内心とても動揺していましたが、同室の患者さんたちは、私たち医療従事者よりもずっと前から、M君のこのような気持ちを察しておられたのかもしれません。それから、M君は少し落ち着いた様子でぽつぽつと自分の思いを話してくれました。とにかく自分も説明会に参加したい、そして治療は受けたくないということでした。私はナースステーションに戻り、先程までのM君の様子と、M君の思いを主治医に伝えました。主治医はM君が治療を受けたくないと思っていることに驚いた様子でした。

 この後、M君はご両親とともに説明会に参加し、話し合いの結果M君の意思が尊重され、予定されていた治療は行わないことが決まりました。M君は説明会の次の朝、「昨日はありがとう」と、とてもすがすがしい顔で笑っていました。この後しばらくして、腫瘍の腰椎転移による歩行困難、膀胱直腸障害などが出現し、車椅子、バルンカテーテル使用の生活となりました。とても受け入れがたくつらい状態だったのではないかと思われましたが、私たち医療従事者には不満を訴えることもなく、とても穏やかな表情で過ごしていました(もちろん、M君自身は苦しんでいたと思われます)。私の勤務していた病棟は外科病棟であったこともあって、M君は転院することが決まり、数ヶ月後、他病院で最期を迎えられました。

 私はその後も、説明会前にM君と話した時のことについて考え続けました。M君は治療を受けたくないときっぱり言っていましたが、一度だけ、「やっぱり治療受けたほうがいいんかなー」と、救いを求めるような目で問いかけてきました。あの時、私はどう答えていいかわからず一瞬言葉に詰まり、M君の気持ちは主治医に伝えるから、とにかくよく話し合って決めようとしか言えませんでした。あの時の私の対応は、あれでよかったのだろうか。もしもあの時治療を受けることを積極的にすすめていたら、M君は違う決断をし、もしかしたら治療の効果があったのかもしれない……。次々と身体に症状があらわれ、死の恐怖が迫ってきたとき、治療を受けなかったことを後悔しなかっただろうか。今度このような場面がおとずれた時、どうするべきなのだろうか。

 答えが見つからないまま日常の業務に追われていましたが、この事がきっかけとなり、一度病院をはなれ、自分自身が“死” ということについて見つめなおしてみるために、大学で勉強することを決めました。大学で勉強したからといって答えが見つかったわけではありません。むしろ現場での体験から得ることのほうが多いのかもしれません。しかし、講義のなかでの先生や仲間との討論や、たくさんの本を読んだなかから、私にとっては大事なことに気付くことが出来ました。

 ある講義のなかで、こんな意見をもらいました。

「そんなに看護婦さんばかりが強くなってどうするのかな……。患者はおいていかれるばかりで、どうしたらいいかわからない。何も言えなくなってしまう……。」

「死に直面している人に対してよりよい援助ができるように、医療従事者は、死について成熟する必要がある」というような内容の、私の発表に対しての意見でした。その時は言われたことの意味があまりよく理解できていなかったのですが、この言葉はとてもショックで、ずっと心に残っていました。そして、このことの意味が私なりに理解できたのは、卒業間近の、卒業論文作成中でした。私は、『Death Educationに関する一考察 ―アルフォンス・デーケンの「死への準備教育」をめぐって―』というテーマで論文を書いていましたが、はじめは、以前の発表の時と同じような主張で論をすすめていました。しかし、岸本英夫氏の著作である『死を見つめる心 ガンとたたかった十年間』(1)の次の箇所を読んでいた時、自分のなかで何かがくずれていくかのような虚脱感におそわれたのです。

 第一の立場は生死観を語るにあたって、自分自身にとっての問題はしばらく別として、人間一般の死の問題について考えようとする立場である。これは、いわば、一般的かつ観念的な生死観である。(中略)
 しかし、もっと切実な緊迫したもう一つの立場がある。それは、自分自身の心が、生命飢餓状態におかれている場合の生死観である。
 腹の底から突き上げてくるような生命に対する執着や、心臓をまで凍らせてしまうかと思われる死の脅威におびやかされて、いてもたってもいられない状態におかれた場合の生死観である。ギリギリの死の巌頭にたって、必死でつかもうとする自分の生死観である。
「生命飢餓状態」に置かれた人間が生死観に求めるものは「はげしい死の脅威の攻勢に対して、抵抗するための力になるようなものがありはしないか」ということ(中略)「それに役立たないような考え方や観念の組み立ては、すべて無用の長物である」
 「死が真正面から自分を襲って来た時に、人から借り物の生死観では、これを乗り越えることはできない」

 読みながら、多くの患者さんのことが思い出され、論文の提出期限間近だというのにいっこうに先へ進めなくなっていました。私は今まで、患者さんの気持ちを理解しよう、理解したいと思いながら、このような気持ちに思いがおよんでいなかったことを思い知らされました。医療従事者だけにでなく、どこかで患者さんにも、いわゆる“死”について成熟すること、“死”を受容することを求めていたのかもしれません。たとえ医療従事者であっても、それは難しいことなのです。私はずっと、M君の問いかけにどう答えればよかったのかと悩んでいましたが、M君は私に答えを求めていたのではなく、誰かに自分の思いを聞いてほしかったのかもしれません。自分のことを自分で決めるということはとても重要で、尊重されるべきことですが、それは、とても難しく、つらい選択でもあるのです。自分で決められないこともあるでしょうし、自分で決めた後でも、気持ちが揺れ動いたり、取り乱したりしたとしてもあたりまえのことなのです。

 死への準備教育はとても意味のあることだと考えていますし、私自身、医療従事者としてだけではなく一人の人間として、自分自身のこととして、今後も取り組んでいきたいと考えています。しかし、人がまさに“死”に直面した時に求めるのは、立派な知識を備え、ともすれば自分の考えをおしつけるような人ではなく、“死”に対して恐れや不安をもった同じ無力な人間として、しかし、目をそらしたり、逃げ出したりせず、そばにいてくれる人なのではないでしょうか。これが正しいという答えは誰にも出せないのだけれど、その答えをその人なりに見つけられるように、最後までその人らしく生きられるように、そっと傍らにいることの大切さ、そして難しさについて考えさせられました。

 


コラム ことばを用意してはいけません

 E.キューブラ=ロスは、死の近づいた患者を看護するナースにむけて、「何をいってやろうかと、ことばを用意して患者の部屋に入ってはいけません。何をいっていいか分からないときは、何をいっていいか分からないという事実を率直に認めるのです」と語っています(2)。いかなる準備も役立たないかもしれないと考えると、ケアはとてつもなく難しく思えます。しかし、それは逆に、身構えず、相手に身を添わせることを通して、誰にでもケアできる可能性のあることをも示しています。

1)岸本英夫、死を見つめる心 ガンとたたかった十年間、東京、講談社、1973、11-3
2) E,キューブラ=ロス、死ぬ瞬間の対話、東京、読売新聞社、1975、15-6(E、キューブラ=ロスがナースたちの質問に答えている書)


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