「つゆのふるさと」考

 

品川哲彦

『人間存在論』、第3号、竹市明弘教授退官記念論集

京都大学大学院人間・環境学研究科総合人間学部『人間存在論』刊行会、1997年3月31日、43-54頁

 

 「つゆのふるさと」は、竹市教授が一九七八年に『理想』誌上に発表し、加筆修正のうえ一九九五年に『久野昭教授還暦記念哲学論文集』に収録した論文である(1)。題名は藤原定家の和歌「いかにせむみ山の月はしたへどもなほ思ひおくつゆのふるさと」によっている。み山の月は浄土を、つゆのふるさとは俗世を象徴し、聖なるものをながめつつ日常にとどまる生活態度が一首の趣意である。竹市によれば、作者定家は聖と俗とのあいだにゆらぐ平安末期の不徹底な信仰を出なかったかもしれぬが、しかし一首の趣意は、鎌倉仏教が到達するであろう「浄土と、現世における否定的生活と、俗生活との三つ」の「否定的統一の場としての俗生活のあり方」(78a:125/95a:355)にすでに通じている。そして、竹市は生のこのあり方に日本人の精神の在処、すなわち「そこにおいてわれわれの本質的なあり方が成就するという仕方で、われわれが安心して住みうる所」(78a:123/95a:352)をみてとるのである。人間がその本質を達成するのは神に面しうるときであり、日本では古来、神を迎える用意には水による清め、禊をもってした。だとすれば、つゆのふるさととは、清めの水であるつゆの繁く降る里にして慣れ親しまれた生活が営まれる古里の謂にほかならない。それは、いわば、日本の多湿な自然を地盤として成り立った、「日常性からの離脱自身が日常化され」(78a:133/95a:364)ることを特徴とする日常および超越の構造なのである。しかも、つゆは無常を象徴している。したがって、つゆのふるさとが清らかなのは恒久の存在として聖化されたからではなく、その無常のゆえであって、「自己自身を含めて露の里の一切の存在が、そのありのままの姿のままで清らかなものに転じる」(78a:134/95a:366)。現在、技術が製作したものが横溢し、製作にともなう自然破壊が全世界で進みつつある。このような趨勢をはばむために、氾濫する存在者が虚妄であることをあばくには、「露の身の自覚を通して、露の世、「つゆのふるさと」を覚知する道」(78a:144/95a:381)によるほかない。こうして、つゆのふるさとという観念は、日本人の精神の在処であるだけでなく、現代の技術支配と自然破壊に対抗するための世界的に妥当する原理へと進展していくわけである。

 さて、上述の議論の展開にたいしては、さしあたり、三つの論点を指摘できるだろう。第一に、日常がそのままに清められるというその超越は、いかなる意味で超越なのだろうか。第二に、日本人の精神の在処として導入された観念が、いかなる理由からその風土による制約を超えて普遍的に妥当する規範たりうるのだろうか。第三に、それが規範たりうるとしても、とりわけ現代において効力を発揮するのはいかなる理由からだろうか。もし、第一の問いにたいして日本の文化に特徴的な超越の構造をもって答えるなら、当然、第二の問いには答えがたい。一方、第二の問いにたいして、つゆのふるさとは風土や歴史を超えて自然の本質をとらえた観念だと答えるなら、今度は、それを現代の要請にかなうものとして推奨する必然性に乏しくなり、第三の問いに答えがたくなる。論文「つゆのふるさと」にはこのように少なくとも三つの襞が折り込まれている。

 以下、2、3では、日本文化論という性格を念頭において、論文「つゆのふるさと」のなかには言及されていない日本近代の小説や和辻哲郎の著作を参照しつつテクストの外から第一の問いと第二の問いとを今少し明確にする。4以降では「つゆのふるさと」に前後する竹市の一連の論考をたどりつつ論点の解釈を試みる。4では同論文の初出の年に発表された「無の現象学的分析から根源的日常性へ」を参看し、「日常性を脱した真実の日常性」(78b:231)、すなわち根源的日常性の現象学のなかにつゆのふるさとを位置づけて、第一、第二の問いへの答えをもとめる。5では個体論(85,86a,90a)の進展のなかに根源的日常性の分析の深まりを跡づける。6では技術論(71,86a,90b,95b)をとりあげて第三の問いを考察する。このように論文「つゆのふるさと」の内容を前後の論考から読み込もうとするのは、同論文が、十数年を隔ててふたたび発表されたことからも明らかなように、竹市の思索の行程のなかで、持続する確信としてとどまりながら、新たな考察に対応しつづけた開かれたテクストだからである。

 

 無常をたんに悲しみ嘆くだけでなく、無常を諦観し、そこに魂の平静を見出すことは、たしかに日本の文化の伝統にとって親しい境地である。「つゆのふるさと」には多くの文学作品が引用されているが、近代からのものはほとんどない。だが、近代以降にもこの伝統が流れている証左はたやすく見出される。

 日本の自然主義はフランスの自然主義に触発されてこの新たな思潮を日本に導入する試みだった。前者は後者の追求した自然科学の思考法を継承できずに、たんなる事実の描写に終わったというのが文学史の常識である。だが、作品は事実にたいするなんらかの観方なしには構成されないのであって、自然主義の唱導者であった田山花袋が無常を諦観する伝統に属しているとしても驚くにあたらない。『時は過ぎゆく』の主人公良太は時勢の変遷、事業の蹉跌、娘の病死と息子の失踪といった相継ぐ不幸にみまわれる。けれども、良太は取り乱すことなく日々を送っている。しかし、良太を支えているのは克己や神仏への帰依ではなく、「過ぎ去つて行く年月の悠久なのを思はない譯に行かなかつた」(2)という平生の感慨である。同様の心境は、もちろん、自然主義以外の作品にも見出せる。久保田万太郎は反自然主義の潮流のなかで認められた作家のひとりだが、その『火事息子』の主人公は半生の幸不幸をかえりみて、「月のうえにかかる雲。……月のうえをかすめては消えゆく雲だ。……おれの一生のうえにふりかかったいろんな出来事は、しょせん、それだったんだ」(3)と述懐する。真如を象徴する月に自分をたとえた点で大胆ともいえるこの述懐は、しかし、主人公の脱俗悟入を表わしているわけではない。もともとの曇りのないあり方に帰ることで生まれ変わるのである。あるいは、反自然主義の白樺派によって文学に開眼した尾崎一雄の佳編「美しい墓地からの眺め」を引いてもよい。主人公緒方は作者自身がモデルで、三十七代続いた神主の家に生まれ、小さい子どもを抱えて不治の病を養っている。けれども緒方は、神仏によって安心を求めるとか現世の苦患を避けるという気にはならず、かといって自力本願でもなく、そもそも「別に救ってもらう必要を認めない」(4) 。緒方はつねに自分の死後のことを配慮しているが、それが生のためであるということに気づいている。なぜなら、死を体験する主体がない以上、人間は死を知らず、死のためになにかをなすこともないからである。この述懐の直後に、緒方が見慣れた故郷の景色を「初めて見るもののように、しげしげと眺め入る」(5)ところで、小説は終わる。体験はされぬが可能性においてすでにはっきりと把まれている死が、毎日のように繰り返されている所作を新たに甦らすのである。

 これらの作品がいずれも市井の人々を主人公として創作され、受容されているのは興味深い。かれらの心境が日本人の平均的理解にとっても手近にあることを示しているからだ。たしかに竹市の指摘するとおりに、日常の生活のなかでそれを超える次元へと到達する超越の構造は日本人の精神の在処であろう。けれどもその超越は、これらの作品にもみられるように、自然の経過の導きによって達成されるかにみえる。「日本文化は、本来オリジナルとコピーの弁別を持たぬ」(6)ということを考え合わせると、日本における超越は、現象のイデアへの類似、神の似像である人間と神の関係、キリスト者のキリストへのまねびなどに含まれる超越とは異なり、質の懸隔なき超越だということになろう。したがって、それは、何への超越であるかが明確に意識されていないかぎり、たんなる移行や反復に堕するおそれがつねにあるのである。

 

 風土から規範を導き出す「つゆのふるさと」の論理構造は、当然のことながら、和辻哲郎の『風土』を連想させる。後者が日本人の特徴とした「しめやかな激情」(7)は、前者の指摘した無常の常住への転化、悲嘆の諦観への転化に相通じている。だが、その結論だけをとりだして異同を論じるのは不毛である。ここでは、風土による制約から規範を導くその方法論に焦点をあてよう。

 『風土』では、まず、志向性という意味での超越が論じられる。私たちが志向するものは歴史的風土的に制約されている。それによって、私たちは自己のありようを了解する。だから、この超越は特定の風土と歴史の制約のなかに投げ込まれた自己を投げ返すことであり、私たちは「負荷されつつ自由である」(8)。人間は風土によって決定されるわけではない。和辻は「風土的限定を超えて己れを育てて行く」(9)可能性を明言しており、しかもそのさい、風土によって制約された各国民の長所と短所の自覚を促している。だが、はたしてどこへ向かって己れを育てるのだろうか。また、何を基準として長所と短所をいえるのだろうか。個々の風土、風土のなかで築き上げられる社会的生存(人間の間柄)、それを支える規範はこうした問いには答えられない。それらが示しうるのは各風土に即した生き方であって、だから、「我々はかかる風土に生まれたという宿命の意義を悟り、それを愛しなくてはならぬ」(10)という指示のほうがはるかに説得的である。「ロシア的日本人」にたいする批判も、戸坂潤が指摘したような(11)和辻のマルクス主義への反発がなくとも、むしろ、特定の風土に特定の規範を根拠づける論理から必然的に出てくるものではあるまいか。たしかに、和辻は相対主義を標榜したわけではない。人類性という普遍が国民という特殊をとおして実現されるという主張が和辻の本意であろう(12)。風土に制約されながら機能している志向性を第一の超越だとすれば、風土の制約からの自由は第二の超越といってもよい。しかし、第二の超越の向かうべき先は明示されてはいない。したがって、各国民がそれぞれの風土に即して生きることが全体として人類性に貢献するという、第一の超越の肯定にとどまるのである。

 

 つゆのふるさとでは何へ超越されるのか。その超越はいかなる意味で風土の制約を超えた普遍的なものを示唆するのか。これらの問いに答えるために、「無の現象学的分析から根源的日常性へ」をもとにして「つゆのふるさと」を読んでみよう。前者は竹市の思索の行程にとってひとつの節目となった論文だと思われる。というのは、ハイデガーの思惟の解釈を基調としたそれまでの論考(59,70,71,75)の積み重ねをとおして、根源的日常性という独自の主題がこの論文のなかで切り拓かれるにいたったからである。

 同論文は、ハイデガーが一貫して探求してきた存在の真理という根本問題について、その「の」が目的語的属格であること、つまり存在を見守るという意味であること、しかもその存在とはただ「顕わしにおいて生ずる与える働きによって始めて与えられる」(78b:217)のみであることを闡明することを主題とする。人間は日常のあり方においてつねに存在者に関わっている。そのかぎりでは、無はたんに存在者がないことにすぎず、存在者ならざる存在は思いもつかぬほど遠い。そこでの人間の自己理解は、「一切を自己の前に措定し表象」(78b:224)して目的連関を編み上げている主体である。しかし、自己の死へと先駆的に企投するとき、目的連関は失効し、自己を含めた一切の存在者にたいして、無が現前する。それでは、無の現前においていかなる事態が生じるのか。無は、無であるかぎり存在者ではないのだから、存在者のようには現前しない。存在するのは存在者のみだから、なにごとかによって指示されうるのは存在者でしかない。したがって、無の現前とは、存在者は無ではない、無は存在者を指示しないという拒否にほかならない。ところが、ほかならぬその拒否によって、無が存在しているのではなくて、存在者が存在しているということが隠れなく顕わに与えられるのである。こうして、無は現前するとともにその現前を閉じてみずから隠れることによって存在を見守り(wahren)、存在の真理(Wahrheit)が成立する。このとき、それぞれの物は「それにふさわしい独自のあり方で(中略)放たれる」(78b:227)。一方、死への先駆的企投によってこのことを惹起した人間は、もはや表象する主体ではなく、上述の事態がそこにおいて成り立つ現(Da)である。そのかぎりで、存在は人間に最も近い。

 存在忘却が日常性に、死への先駆的企投が「日常的な自己からその本来的な実存へ脱自することによって」(78b:217)無の現前に対応するとすれば、無の現前が閉じることは、存在者が存在しているという事態にそれまでの存在忘却を自覚しつつあらためて(主観的にははじめて)帰ることにほかならない。したがって、その事態は自己自身を自覚した日常性であり、根源的日常性である(78b:231)。竹市によれば、存在の問いを一貫して追究したハイデガーでは、以上のような無についての考察は示唆されていたものの、徹底して推し進められはしなかった(78b:227)。これにたいして、竹市は根源的日常性の「展開する姿を具体的な日常性において明らかにしていくこと」、「根源的な経験にたち返って、あるがままの事象自身へと迫ることを目指す、根源的日常性の現象学」(78b:232)をみずからの課題にひきうけたのである。

 さて、以上の考察をもとにして、「つゆのふるさと」を読みなおしてみよう。私たちは、日常、自己も物も存在しつづけることを自明とみなしている。いわば、露ならぬものを追い求めてやまない。だが、私たち自身が露の命であることをはじめとして、いかなるものも実は露と同じくはかない無常のものである。しかし、無常であるというそのことこそがすべてのものの本来のあり方にほかならない。そのことを自覚するとき、露は「経る」のであって、つゆのふるさとが現成する。だとすれば、つゆのふるさとは日本の文化の伝統のなかに見出された根源的日常性なのである。

 したがって、「つゆのふるさと」は、その冒頭に日本人の精神の在処の研究を標榜しているものの、日本文化を論じることが究極の目標ではない。在処という語自体、「無の現象学的分析から根源的日常性へ」では、存在の近さ、「存在と人間との相互相属」(78b:229)の場である現を意味している。それゆえ、1に記した第一の問いにここで答えるなら、在処としてのつゆのふるさとに帰ることによって成し遂げられる超越とは、日常性から根源的日常性への超越である。それが日本人の精神の在処と呼ばれるのは、つゆのふるさとが、たしかに日本人の平均的理解のなかに伝統を通じて確実にうけつがれてきた観念であるがゆえに、日本人を根源的日常性へといざなう最も身近な通路であるからにほかならない。いいかえれば、根源的日常性への通路として、日本の文化の伝統のなかにある観念を奪還したのであって、それがたんなる移行や反復に堕さないかどうかはひとえに根源性への志向、露の自覚にかかっている。

 通路というのは超越を促す契機という意味であって、つゆのふるさとと根源的日常性が別個にあるわけではない。したがって、両者の関係は、和辻における国民性と人類性との関係のような特殊と普遍の関係ではない。だから、かりに、日本におけるつゆのふるさとのような観念が他の文化の伝統に見出されても、それによって成就される根源的日常性はひとつであって、その観念とつゆのふるさとのあいだに長所や短所やたがいに補完する機能を論じるのはまったく無意味だろう。和辻が展開していった風土の類型論とそれに即した人間学に進む必然性は「つゆのふるさと」のなかにはない。いいかえれば、物との日常的にすでにある関わり、志向性が第一の超越だとすると、無常の自覚は第二の超越であって、その超越によって向かう先のつゆのふるさとは、その超越が根源的であるかぎりは、それぞれのふるさとの風土の相対性を脱して普遍性を獲得する。それゆえ、1に記した第二の問いにここで答えるなら、「つゆのふるさと」は、一見したところそうみえるのとは異なり、日本の風土の特殊性のみに立脚した論考ではないために、それが説くところの規範もまたその深層においては風土の独自性をはなれて妥当する可能性をもつのである。

 さて、日本人の精神の在処の研究でありながら、それを究極の目標とはしない論考として「つゆのふるさと」を読みなおすと、次の二つの点があらためて解釈されなおす。

 第一は、1に記した平安仏教と鎌倉仏教への評価である。後者が肯定されるのは、聖と俗との俗における統一、つまりつゆのふるさとに到達したからである。だが、神道はすでに平安期以前に水による清めによってそれを用意していたのではなかったか。神道と平安仏教はどう関係するのだろうか。神道への言及は竹市にとってたんなる落想ではない。日本文化にとっての神道的な自然主義の根本的意義はのちにも指摘されている(86b:196)。おそらくは、「つゆのふるさと」では、神道的な自然観をうけついだ平安前期の密教への論及を欠くゆえに、神道から浄土教への断絶が生じたのだろう。密教は生を主題とし、浄土教は死を主題とするという(13)。すると、「つゆのふるさと」は、無常を強調する一方、清めによる再生についてはじゅうぶんに分析できないまま終わったのではあるまいか。これは日本文化論としての疑義である。しかし、日本文化論という限定をはなれても、事情は相似している。というのは、根源的日常性という領野が切り拓かれたばかりの「つゆのふるさと」初出の時期では、そこに到達するまでの無の現前と無の現前の閉じる事態の分析に力点がおかれて、根源的日常性における存在者の新たな与えられ方を積極的に開陳するにはまだいたっていないからである。その開陳は、5にみるように、以後の根源的日常性の現象学によって補われなくてはならない。

 第二に、風土の特殊性が究極の主題ではないなら、日本の自然観にたいする分析の意義も相対的に弱まるだろう。「つゆのふるさと」によれば、ヨーロッパと中国では、自然と人為が峻別され、自然こそが真の自立した存在とみなされるのにたいし、日本の露けき自然は「無常性と無限な変様可能性」(78a:141/95a:378)を特徴とし、人工物はその変様可能性を失うことで自然の下位に立つ。だが、もし、この風土相対的な規範にしたがえば、ヨーロッパや中国では、人為が自然をまねて技術によって恒久不変の物を作り出そうとするのは当然で、そこからは現代の技術支配を批判することはできないだろう。そうした批判ができるのは、自然と人為(技術)の関係や風土ごとのその比較が真の主題ではなくて、露が自然と人工物を含めた一切の存在者を象徴しているからである。そこで、技術論は存在論、形而上学と結びつくのであって、しかも、技術支配と自然破壊がまさに現代の問題であるかぎり歴史と関係する。したがって、6にみるように、それらを論じた竹市の別の論考によって、「つゆのふるさと」は補われなくてはならないのである。

 

 「経験的現実としての個体」のなかで論じられる個体とは、同論文が「根源的日常性の現象学の試み」を副題とすることからもうかがえるように、存在者一般を意味している。経験的現実は、そのつど、われ、いま、ここを契機として成り立つ(80:95)。すべてはそこで経験されるがゆえに個体である。個体の意味はそのつどのコンテクストなかで決定され、その後の規定の改変の方向も示唆されている。したがって、個体には変様するさまざまな意味規定をうけいれる「開かれた自由」(80:100)があるのだが、それは個体の根底が虚無だからである。意味を固定すれば開かれた自由は閉じ、すると個体は個体性を失って一般化し、現実に経験されているものではなくなってしまう。

 この論考をつゆのふるさとの諸観念によって読み替えてみよう。存在者一般である個体はすべての物を象徴する露にあたる。同様に、ひとつのコンテクストに没入して個体の意味を固定することは露を露ならぬもののようにとりちがえる日常の澱んだ濁ったあり方であり、個体の根底が虚無だという認識は露の露であること、無常の自覚である。だが、ここでは、無常は否定的な意味をもつだけではない。個体が開かれた自由、「充実した虚無性」(80:101)を獲得するのは無常ゆえである。したがって、ここに、清めによる再生をとおした根源的日常性における存在者の新たな与えられ方がはじめて積極的なしかたで開陳されてきたわけである。

 もっとも、開かれた自由と虚無とは、「経験的現実としての個体」が論じるようには、つねにあわせて認識されるとはいえないのではあるまいか。個体の意味規定の開放性は、たとえば反転図形を例として、したがって、日常のなかでも気づかれうる。一方、個体の虚無の認識には通常の日常性からの超越を要する。この二つの次元は区別されなくてはならないのであって、おそらくそれを理由のひとつとして、「個体の意味」では、現実性の現象学と根源的日常性の現象学との区別が導入される。現実性の現象学は「経験の構えと枠組を返り見つつ個体の意味を明らかにする道」(85:162)である。それが「現実性の内的な超越構造に着眼される時」(ibid.)に根源的日常性の現象学となる。そして、「個体の意味」では主として前者が、「日常性と超越」では主として後者が展開されてゆく。

 さて、個体の意味規定を経験の構えと枠組から捉える発想は、たんにコンテクストと呼ばれていた事態をいっそう細分化して、客観空間、行為空間、存在空間を分析することを可能にした。現実性の現象学という名称はフッサールの形相的な現象学との対比による。フッサールでは、個体は時間・空間のなかに定位する、本質の一事例にすぎない。客観空間とは個体をこのように捉える枠組である。そこでは、個体はいま、ここにあるという唯一性と現実性を失ってしまう。これにたいして、行為空間とは、ハイデガーが日常性の分析のなかでとりだした、物を道具とみなす経験の枠組であって、そこでは、個体の意味は行為の目的に帰趨する指示連関のなかでのみ定められ、やはり開かれた自由を失っている。だが、道具は壊れたり見失われたりすると、指示連関からはずれて、そのものとして際立ち、これとかあれとしてそれぞれの近さと遠さにおいて把握される。このように物が「一つの個体として現前する」(85:173)場が存在空間と呼ばれる。遠近は同時に空間の中心であるわれを示唆し、われ、ここ、いまを契機とする経験的現実の一体性の意識を促す。しかし、重要なのはこれらの空間の区別ではなくて、これらの空間がたがいに入りくんで経験的現実の「重層的構造」(85:175)を作り上げていることである。こうした重層的構造は、その後の論考でも、あるいは身体の一部となった道具を例にして(90a:13)、あるいはエリアーデの聖なるものの顕現にふれて(86a:9)、あるいはシュッツの生活世界の多元的現実の分析を引きながら(86a:10)、繰り返し確認される。重層的構造は個体を手がかりとしてとりだされたが、根源的日常性の現象学にあっては、主題はもはや個体の意味の変様ではなく、経験を一変してそれをひきおこす重層的構造の一から他への移行である。というのも、この移行こそ日常性の「自己超越構造」(86a:13)だからである。

 根源的日常性とは、その名のとおり、日常性と本来性との二分法を超えて、本来性への超越を孕んだ日常性にほかならない。それゆえ、根源的日常性の現象学をみずからの課題とした竹市の考察のまえに現われてきたのは、日常の構造の掘り抜きがたい厚みであった。その思索がとりわけ困難なのは、もはや、日常性がふだん忘却されているからではない。それだけなら、本来性への超越において、つまり「無の現象学的分析から根源的日常性へ」の段階で考察はすんでいたはずである。むしろ困難は、日常性が本来性への超越によって見出されると同時に、超越によって飛びこえられてしまう点にある。そのことによって、日常性は本来性から省みられ貶められる。したがって、それを防ぐには、日常性のなかに日常性からの超越の道を確保しておかなくてはならない。そのために、竹市はエリアーデやシュッツを聖と俗とを峻別する点で批判し、さらにハイデガーについても、日常性と本来性とを実存的変様とみた点を高く評価しながら、日常を行為空間に一面化している点で批判する(90a:7)。ところが、このように日常性の根源性を主張するかぎり、当然それとひきかえに、日常性を超える本来性にたいする強調は相対的に弱まらざるをえない。

 この脈絡から、「個体の意味」のなかで、死への先駆的企投ではなく、純粋自我を介して根源的な虚無が剔出されたことは注目される。先にみたように、個体の個体としての現前がそれを経験するわれを示唆する以上、純粋自我が言及されるのは不思議ではない。だが、たとえ、その分析が超越そのものを主題とする根源的日常性の現象学ではなくて、現実性の現象学であることに留意すべきだとしても、はたして、純粋自我の反省不可能性による純粋自我の虚無の説明は、死への先駆的企投にかわるものとなりうるだろうか。たしかに、フッサールにおける自然的態度、その現象学的還元、それによって顕わになる意識体験は、ハイデガーにおける日常性、そこから死への先駆的企投、それによって顕わになる現と、したがってまた、日常性、そこからの超越、それによって顕わになる根源的日常性と構造的に相似する。それゆえ、還元を死に比する解釈もありうる(14)。だから、還元の還帰する先の純粋自我が否定的媒介を務めることはできないわけではない。しかし、反省もまた一種の表象作用である以上、反省不可能性は表象不可能性にほかならない。すると、それによっては、4に記したようなもはや表象する主体とは無関係な現を説明することはできないのではあるまいか。さらに、フッサールでは、純粋自我はそれだけでは独立しておらず、つねに対象とのノエシス−ノエマ的相関関係のなかにあり、この緊張した関係全体が構造的には現に対応している。意味規定の開かれた個体とは、この関係の一方の極、対象X(15)だといってもよい。とはいえ、主観と客観との区分のなお残るフッサールの分析は竹市にとってうけいれがたいものかもしれない。それゆえ、純粋自我という観念はノエシス−ノエマ的相関関係から抽象されて、転用されたにとどまる。「個体の現象学」では、同様に反省不可能性から出発しながらも、純粋自我を介さずに、経験的現実の「根拠をもたない根拠」(90a:18)が指摘されている。いずれにしても、このように死への言及なしに超越を説明しようとする試みは労して繰り返された。なぜなら、根源的日常性がまさに日常性であるままに根源的であることを示すには、「不安や死のような特別の「限界状況」的な経験にのみ、限定」(90a:16)されない日常性内部での自己超越が説かれねばならなかったからである。

 

 ところが、技術論という別の脈絡からも、死への先駆的企投による超越にたいする見直しは要請される。

 技術は、ハイデガーによれば、「「立てる」働きが次々と「立てる」働きを呼ぶ」(86a:25)組み立てを本質とする。そこで、技術によって支配された現代は、存在の根拠の虚無ないし無常を忘れはてた時代であり、したがって、存在忘却の完成された歴史の終末である。竹市は「つゆのふるさと」に先立つ論考「ニヒリズムの根源について」のなかで、現代の「有るものの洪水の底に流れる根柢的な虚無性」(71:46)をすでに指摘している。それにたいする処方は、その洪水をもたらす人間の業の個々人の自覚である。つづく論考でも、組み立てが人間を含めた一切の存在者につきつけてくる用立てにあらがうすべは、「主体的な自己存在の超克」(75:27)だった。けれども、技術支配がまさに歴史的なものであるなら、それに対処するすべもまた現代の特殊な歴史的性格のなかに見出されなくてはならない。その方向は「無の現象学的分析から根源的日常性へ」において「ハイデッガーに従って存在の歴史に対する問い」(78b:233)をうけつぐ決意によって示唆される。しかし、この問題が正面きってとりあげられた「日常性と超越」では、ハイデガーもまた批判されざるをえなかった。というのは、「死を本来的な仕方で理解した決意性」(86a:26)による存在忘却の克服というハイデガーの下した処方は歴史のどの段階にも妥当しうるから、現代に特有の社会的問題にたいする的確な理解を保証できないし、そもそも問題を実存の次元にゆだねているゆえに、個人の実存ではない現代における共運の問題に対応できないからである。死は実存を否定するが、技術支配は歴史を否定しない。実存における死のように、問題を反転させて解決する否定的媒介は歴史には見出せない。

 このかわりに竹市が提示するのは根源的日常性である。なぜなら、「本来性の理念を、ハイデッガー的に最も自己的な仕方で存在しうることと解するのでなく、日常性自身に見られる、あるべきあり方に向けての自己超越性であると考えれば」(86a:29)、それが実現された場こそ根源的日常性だからである。

 それでは、根源的日常性は現代の技術支配にたいして何を指示するのだろうか。それまでの論考を集成した「技術と技術を超えるもの」のなかには、「つゆのふるさと」には明瞭には打ち出されていなかった積極的な提言が見出される。すなわち、個体論から導き出された個体の意味規定の開かれた自由を確保しようとする態度が、「自然の本質が無常なる無限の形象であったことを常に見てとる、我々の根源的な伝統文化」(90b:201)のもともと追求してきた姿勢として解釈され、それにもとづいて、日本の科学技術が「技術のなかにあって技術を超えるものを、技術的産物の個体化という方向で求めうる」(90b:179)方途が示されている。自然と人工の対比はなお残るものの、4の末尾に記したように、実質的には、自然は個体つまり存在者一般を意味しており、つゆのふるさとが技術のために指示する規範となりえたわけである。

 しかし、日常のなかに超越を孕んだ根源的日常性という観念は、はたして、現代の特殊な歴史的性格にとりわけ対応するものだろうか。

 日常のなかの超越はそれ自体が日常化するゆえに、たんなる移行や反復に堕してしまうおそれがあることは明らかであって、こうした世界の内への頽落と戦うための条件として、竹市は、第一に死の自覚、第二に「超越的な次元と自覚的にかかわる訓練を、絶えず日常性のうちで実行すること」(86a:33)を挙げている。第二の条件は、日常のなかのありとあらゆるものに無常を観じ、それによってすべてを清めて再生するつゆのふるさとの現成の再強調にほかならない。一方、第一の条件は依然として個々人の実存にかかっている。たしかに、日常性からの超越という第二の超越は志向性ないし世界内存在という第一の超越を前提するのだから、後者を全面的に否定しうる死への先駆的企投、露の命の自覚が超越の契機にならざるをえない。しかし、この契機はけっして現代に特有ではない。したがって、それによって獲得された根源的日常性はやはり超歴史的な性格をまぬかれない。論考は、穿ったいい方をすれば、根源性というみ山の月と歴史的状況というふるさとのあいだを往復している。ただし、竹市は最後に両者をともども考察する方途を示唆してもいる。頽落を促す契機そのものを根源的日常性のなかに探究する道がそれである(86a:35)。すると、根源的日常性の歴史的性格は頽落を促す要求の歴史的性格とともに明らかにされることになろうが、しかし、それは根源的日常性の現象学にとってなお残る課題である。

 

 「つゆのふるさと」は日本人の精神の在処の研究として出発した。それにたいして、私は1で、第一にその超越の意味を、第二にその観念が日本の風土を超えて妥当する根拠を、第三にその観念がとりわけ現代の技術支配を批判する規範として妥当する根拠を問うた。そして、4では、つゆのふるさとが日本の文化の伝統のなかに見出された根源的日常性であることを指摘した。このことは「つゆのふるさと」の日本文化論としての意義を否定するものではない。そこには、日本文化の的確な解釈がみられるのであって、一例をあげれば、存在者つまり物を露つまり無常とみなしたことは、物のあはれの物をイデアという語を援用しつつ永遠として説き明かした和辻の解釈(16)に比べて、とりわけ「もの」が接頭語として用いられたときや霊を意味するときのそこはかとなさにかなうものであろう。しかも、つゆのふるさとは根源的日常性であることによって、第一の問いには日常性から根源的日常性への超越をもって答えとし、第二の問いには根源的日常性が根源的であるゆえに風土による相対性を超えて獲得する普遍妥当性をもって答えとすることができた。

 しかし、第三の問いにたいしては、じゅうぶんな答えが見出せない。つゆのふるさとは、たしかに技術支配に対抗しうる観念だが、それはこの観念が超歴史的な普遍妥当性をもつからであって、とりわけ現代の状況のなかから摘出された処方だからではない。しかも、つゆのふるさとという観念は、2に示したように、あまりにたやすく清めによる再生が可能であるような傾向、したがってまた、一切の経緯を超えて始原に帰りうるような傾向をもともともっている。根源性にただちに没入しうるようなそうした錯覚にとらわれず、歴史的な状況を忘れないようにするためには、6の末尾に言及された課題を「つゆのふるさと」論でも展開しなくてはならない。

 私たちがつゆのふるさとに帰ろうとするのは、なんらかの要請があって、伝統と現代との地平融合をもとめるからである。何が、いかなるしかたでそうした地平融合を要請しているのか。何が限定された状況のなかで私たちに超越を促すのか。そのことをそのつど闡明しようとする試みが、逆に、状況を照らし出すにちがいない。それは日常のなかに沈殿していて現在を成り立たせている意味の厚みを掘削する作業である。この作業は現実性の現象学に属す。現実性の現象学がじゅうぶんに展開されることで、根源的日常性の現象学は、その現象学的な透徹さをつうじて、現代における根源的日常性の歴史的性格を明らかにするという解釈学的な成果をあげることができるだろう。「解釈学は、歴史にまで反省の眼が向けられた、超越論的哲学の一形態である」(81:385)。だとすれば、根源的日常性の現象学も超越論的哲学なのであって、ただしそれがめざしているのは、認識つまり志向性という第一の、また通常の意味での超越の制約の解明ではなくて、日常性からの超越という第二の超越の制約の解明である。

 

(1) 文中に言及した竹市の文章は、左のリストにより、発表年の下二桁とコロンのあとに引用した頁を記す。

1959 「聖と死」、『理想』三一九号、理想社。

1970 「ハイデッガーとニヒリズムの問題」、『理想』四四四号、理想社。

1971 「ニヒリズムの根源について」、『理想』四五七号、理想社。

1975 「Aleteia−有忘却の根本経験から」、『理想』五〇〇号、理想社。

1978a 「つゆのふるさと」、『理想』五三八号、理想社。

1978b 「無の現象学的分析から根源的日常性へ」、『思想』六五二号、岩波書店。

1980 「経験的現実としての個体」、『理想』五六〇号、理想社。

1981 「解釈を迫るもの」、梅原猛・竹市明弘編『解釈学の課題と展開』、晃洋書房。

1985 「個体の意味」、『新岩波講座 哲学4』、岩波書店。

1986a 「日常性と超越」、『新岩波講座 哲学14』、岩波書店。

1986b 「現代ドイツの哲学者たち」、『理想』六三二号、理想社。

1990a 「個体の現象学」、『現象学年報5』、日本現象学会。

1990b 「技術と技術を超えるもの」、『岩波講座 転換期における人間7』、岩波書店。

1995a 「つゆのふるさと」、竹市明弘・金田晉編『久野昭教授還暦記念哲学論文集』、以文社。

1995b ‘Das kuenftige Bild von Mensch und Natur', in: Das Bildvon Mensch und Natur im 21. Jahrhundert, Takeichi, A.(Hrsg.), Universität Kyoto.

(2) 田山花袋『時は過ぎゆく』岩波文庫、一九五二年、二五七頁。

(3) 久保田万太郎『火事息子』中公文庫、中央公論社、一九七五年、一一二頁。

(4) 尾崎一雄「美しい墓地からの眺め」、『日本の文学』第五二巻、中央公論社、一九六九年、四七頁。

(5) 同、五一頁。

(6) 三島由紀夫「文化防衛論」、『裸体と衣装』新潮文庫、一九八三年、二九〇頁。

(7) 和辻哲郎「風土」、同全集第八巻、岩波書店、一九六二年、一三八頁。

(8) 同二一頁。

(9) 同一一九頁。

(10) 同二〇四頁。

(11) 戸坂潤「和辻博士・風土・日本」、同選集第五巻、伊藤書店、一九四八年、一五六頁。

(12) 吉沢伝三郎『和辻哲郎の面目』筑摩書房、一九九四年、二四四頁。

(13) 山折哲雄『日本人と浄土』講談社学術文庫、一九九五年、二〇頁。

(14) Boehm, R., “Husserls drei Thesen über die Lebenswelt", in: Lebenswelt und Wissenschaft in der Philosophie Edmund Husserls, Ströker, E.(Hrsg.), Frankfurt am Main, Klostermann,1979, S.24.

(15) Husserliana, Bd. III, S.270.

(16) 和辻哲郎「日本精神史研究」、同全集第四巻、岩波書店、一九六二年、一五〇頁。 


Zusammenfassung

Durch den Tau gereinigte Heimat

SHINAGAWA, Tetsuhiko

Die vom Tau gereinigte Heimat ist Takeichi nach ein dichterisches Symbol der geistigen Haltung der Japaner. Der Tau funkelt und vergeht so gleich. Indem man alles, was ist, so vergänglich wie Tau findet, nimmt man es als von der alltäglichen Selbstvetständlichkeit gereinigt, d. h. so, wie es ist, an. Die Transzendenz aus der Alltäglichkeit vollzieht sich immer wieder, so daß man in dieser Einstellung heimisch werden kann. Sie kann heute sogar normative Funktion gewinnnen; denn sie verweist uns auf die Eitelkeit der Überschwemmung der technischen Produkte in der Welt. Nun stellen sich drei Fragen. (1) Wohin transzendiert man dabei? (2) Warum kann die aus der Tradition der japanischen Kultur übernommene Norm nicht nur in Japan, sondern auch in der ganzen Welt gelten? (3) Warum bedeutet sie gerade heute viel?

Heideggers Verständnis nach geht man durch den vorlaufenden Entwurf zum Tode von seiner Alltäglichkeit zu seiner Eingentlichkeit über. Dabei enthüllt die Präsenz (das Anwesen) des Nichts, das das Seiende ist. Man wird sich nun seiner früheren Seinsvergessenheit in der gewöhnlichen Alltäglichkeit bewußt. Da erneuert sich alles, was ist. Dies nennt Takeichi die ursprüngliche Alltätigkeit. Seine eigene Aufgabe sieht er in der Phänomenologie dieser ursprünglichen Alltäglichkeit. Einen Zugang zu ihr bietet die Idee der vom Tau reingewaschenen Heimat, obwohl sie aus der Tradition der japanischen Kultur stammt. So werden die Antworten auf die Fragen (1) und (2) gegeben; (1) man transzendiert zur ursprünglichen Alltäglichkeit, und (2) wegen dieser Ursprünglichkeit kann die traditionelle japanische Idee für jedermann gelten.

Die Frage (3) ist aber noch nicht klar genug beantwortet. Die Herrschaft der modernen Technik vollendet die Seinsvergessenheit, die der Erkenntnis der Vergänglichkeit alles Seienden immer bedürftiger geworden ist. Sie ereignet sich doch nicht erst heute, sondern hat sich schon seit je ereignet. Wir müssen also näher untersuchen, was die Tradition und die Gegenwart zu einem Horizont verschmilzt, um dann die ursprüngliche Alltäglichkeit hermeneutisch zu erforschen.

 

Menschenontologie Bd.3, 1997, Festschrift aus Anlaß der Emeritierung von Professor Dr. h. c. Akihiro Takeichi, Graduierten-Schule fur Menschen-und Umweltforschung und Fakultät für gesammte Menschenforschungen Universität Kyoto, S.43-S.54.


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