これまで書いてきた論文から

 

 これまで書いてきた論文を 〈著書〉〈共編著書〉〈共著書〉〈論文〉〈その他の共著書〉〈翻訳書〉〈辞典〉〈書評〉〈雑記〉に分けて、刊行のあたらしい順にならべてご紹介します。

  「こういう分野を研究しています」のページに記しました各分野ごとに表にすると、以下のとおりです。このうち、市販ルートにのらないもの、すでに版元品切れで重版の予定がたっていないものの一部は、全文をご参照になれます。「全文へ」とあるのが、それです。

 

〈哲 学〉

現象学

生活世界・故郷世界・異郷世界

解説

 

二分法の陥穽

解説

 

日常のコンテクスト

解説

 

隠れたしかたで働いている規範

解説

 

「つゆのふるさと」考

解説へ 

全文

他者の身体的現前と対他的態度 −シュッツの社会的世界論における」

解説

全文

ヴァルデンフェルス『異郷のなかの故郷』に寄せて

解説へ 

全文

対話における言葉について

解説

全文

意味のイデア性 −その確かさとそのゆらぎ

解説へ

 

人格的自我 −フッサール自我論における

解説

全文

フッサールにおける習性の問題

解説へ 

全文

個体について −フッサールを手がかりとして

解説へ 

 

〈倫理学〉

道徳規範の妥当根拠の研究

重なり合う合意か、それとも実践理性か 解説  

倫理、倫理学、倫理的なるもの

解説

全文

人間はいかなる意味で存続すべきか

解説

 

環境、所有、倫理

解説

 

組織と責任

解説

 

倫理学の応答能力 -生命倫理学を手がかりに

解説へ 

全文

生命と倫理 -生命倫理学と倫理学の生命-

解説

 

二分法の陥穽

解説

 

隠れたしかたで働いている規範

解説

 

生命倫理学

医師-患者関係関係における責任の概念について 解説  
尊厳死という概念のあいまいさ 解説  
責任 解説  
つかのまこの世にある私/私たち 解説へ  

生命の神聖 その失効とその再考

解説

 

生命と倫理

解説

 

生命倫理学における自由主義の検討

解説

 

「脳死は人の死か」再考 脳死・臓器移植再論

解説へ 

全文

生命と倫理 -生命倫理学と倫理学の生命-

解説

 

いのちはだれのものか

解説

 

生命はどのような場合にも尊重されるべきか

解説

 

哲学や倫理学の研究者は生命倫理学において何をすべきか

解説

 

論議なきはてに −臓器移植法の成立にさいして−       

解説

全文

二分法の陥穽

解説

 

生命と倫理

解説

 

先端医療と哲学

解説

 

生命倫理学ノート

解説

 

死の問題というよりはむしろ<ひと>の問題として

解説

 

新しい生殖技術と社会

解説

 

環境倫理学

ベルク教授との対話 倫理学(環境倫理学を含む)の観点から(A Dialogue with Professor Berque: from the standpoint of ethics (including environmental ethics)

解説

 

自然・環境・人間 ハンス・ヨナス『責任という原理』について

解説

 

倫理学は、なぜ、いかにして環境問題に関わるか

解説

全文

環境にたいする人間の態度

解説

 

環境を守るのは人間のためか −学生との対話から

解説

 

生命はどのような場合にも尊重されるべきか

解説

 

環境倫理の基礎づけ問題

解説

全文

正義、責任、ケアの研究

正義と境を接するもの 責任という原理とケアの倫理 (単行本)

解説 目次
 Der nicht omnipotente Gott und die menschliche Verantwortung   解説  
 内在と超越――ハンス・ヨナス哲学の展開    解説
 神にたいする人間の責任という概念は成り立ちうるか  解説
 ノモスとピュシスの再考――ケアの倫理による社会契約論批判  解説
 技術、責任、人間――ヨナスとハイデガーの技術論の対比  解説  
 ケアと介護の哲学  解説  
ヨナスの〈アウシュヴィッツ以後の神〉概念(二) 解説

 

ヨナスの〈アウシュヴィッツ以後の神〉概念(一) 解説  
ケアの倫理、ニーズ、法

解説

 

<ケアの倫理>考(二)ノディングスの倫理的自己の観念

解説

 

研究総括 現代の倫理的諸課題に対処しうる規範学の再構築

解説

全文

正義と境を接するもの 責任という原理とケアの倫理  (論文)

解説

 

<ケアの倫理>考(一)

解説

 

その他

存在の政治と絶対無の政治 解説  
The Status of the Human Being: Manipulating Subject, Manipulated Object, and Human Dignity 解説へ  
他者の人間性への尊敬 安彦一恵氏の問いかけに応えて 解説へ 全文
ハーバマスの類倫理再考 解説 全文
ふくらみのある尊厳概念のためのノート Persönlichkeit概念について 解説 全文
「仕事・職業・労働」をとりまく状況の倫理学的考察 解説  
応用倫理学に関わる理由 解説 全文
応用倫理学の意義とコンピュータ倫理学ないし情報倫理学の動向 解説  

 

1.〈著 書〉 

1.02 品川哲彦『倫理学の話』、ナカニシヤ出版、2015=平成27年10月27日、1-276頁: 第I部「倫理学とはどのような学問か」、第II部「倫理(道徳)の基礎づけ」、第III部「正義をめぐって」から成る倫理学の概説書。とりあげた哲学者は、プラトン、アリストテレス、トマス、ホッブズ、トマス、ロック、ヒューム、カント、ヘーゲル、ベンタム、J.S.ミル、ヘア、ロールズ、リバタリアニズム、コミュニタリアニズム、討議倫理学、ケアの倫理、ヨナス、レヴィナス、デリダなど。大学で学ぶ学生だけではなく、これから大学に入る高校生やすでに仕事についているひと、退職している方など広い読者層にむけて、敬体(です。ます調)で語るように書いた本。なお、本書のもくじを別途、掲載しています。

1.01 品川哲彦『正義と境を接するもの 責任という原理とケアの倫理』、ナカニシヤ出版、2007=平成18年10月25日、i-xv, 1-325頁:  ハンス・ヨナスの責任という原理は、非対称的な力関係に由来する責任を倫理の基礎において、地球規模の生態学的危機における現代世代の未来世代にたいする責任を提言した。キャロル・ギリガンに始まるケアの倫理は、道徳性(morality)の発達に関する性差への問いから出発して、どの人間も傷つきやすい存在としてとらえ、相互のケアのネットワークを倫理的理想として構想する。本書は、対等な独立した 個人間の関係を倫理の基礎にすえる近代の正統的倫理理論との差異に照らして、両者を「正義と境を接するもの」という題目のもとに論じた。なお、本書のもくじを別途、掲載しています。

 謝辞: この本については、川本隆史氏に、『図書新聞』2007年度下半期読書アンケートのなかで、「正義や権利ではなく「生身の人間の傷つきやすさ、生の損なわれやすさ」への配慮を共通の発条とした、ハンス・ヨナスの責任原理およびキャロル・ギリガンの「ケアの倫理」の射程を丹念に測る。各論者への評価の公正さと読者への行き届いた気遣い(ケア!)とを兼ね備えた、サーヴェイのお手本」と評していただきました。川本氏にはまた、『哲学塾 共生から』(岩波書店、2008年)のなかで「ケア対正義論争に関する必読文献」のひとつとして拙著に言及してくださいました(同書46頁)。

 安彦一恵氏には、『社会と倫理』22号(南山大学社会倫理研究所編、2008年8月29日、158−160頁)のなかで書評していただきました。「議論の”材料”は応用倫理であるとは言っていいが、むしろ一般倫理学の書であると思われた。しかも、本格的な」というコメントをありがたく拝読しました。

 江口聡氏、野崎泰伸氏、森岡正博氏、吉本陵氏には、研究会で書評をいただきました。このうち、江口氏のコメントと私の応答野崎氏のコメント私の応答、それに著者からのコメントをWeb上で読むことができます。

 森岡正博氏、吉本陵氏には、「将来世代を産出する義務はあるか? 生命の哲学の構築に向けて(2)」(『人間科学:大阪府立大学紀要』4(2008)、2009年2月、57−106頁)のなかで、拙著の提示した責任原理の遂行論的基礎づけについて立ち入ったコメントをいただきました。

 

2.〈共編著書〉

2.02 市川浩・小島基・佐藤高晴・品川哲彦編『21世紀の教養1 科学技術と環境』、培風館、1999=平成11年2月25日: 人文科学・社会科学・自然科学にわたる23名の著者が、第1章自然と人間のかかわり、第2章科学技術の発展−−光と影、第3章地球規模で考えるのなかでさまざまなトピックを展開している。そのうち、第1章には「環境にたいする人間の態度」(5-12頁)を掲載。人間を超越した存在にもとづく環境倫理(ホワイトの指摘したユダヤ−キリスト教と生態学的危機の問題、南方熊楠の神社合祀令反対運動)、対等の関係にもとづく環境倫理(未来世代の権利、動物解放論、レオポルドの土地倫理)を論じた。また、第2章には「いのちはだれのものか」(99-105頁)を掲載。インフォームド・コンセントの成立した背景とその倫理的根拠を論じた。第3章には「環境を守るのは人間のためか−−学生との対話から」(261-266頁)を掲載。生命中心主義、人間中心主義の論争を紹介し、ヨナスの責任という原理に言及した。

2.01 池上哲司・永井均・斎藤慶典・品川哲彦編『叢書エチカ第3巻 自己と他者 さまざまな自己との出会い』、昭和堂、1994=平成6年2月15日: 哲学・倫理学・心理学・霊長類学・文化人類学などの諸分野から自己と他者という共通テーマにアプローチした。そのうち第4章「生命倫理における自己と他者」(199-264頁)を編集。そのなかに論文「二分法の陥穽」(202-223頁)を掲載した。さしあたりは健康で正常な存在として自己を把握している日常の我々にとって、病・障害・死といった非日常は他者である。健康・正常という自己把握は実は堅固な根底をもっていないが、あたかも、堅固な根底をもっているかのように日常的にも把握され、また、それに応じた科学技術の開発と受容の結果、いっそう強められている。しかし、実はそのような自己把握は健康・正常な状態でも我々を抑圧している点を指摘している。

 

3.〈共著書〉

3.18  "The Status of the Human Being: Manipulating Subject, Manipulated Object, and Human Dignity", Ethics for the Future of Life: Proceedings of the 2012 Uehiro -Carnegie-Oxford Ethics Conference, ed. Tetsuji Uehiro, 2013, Oxford Uehiro Centre for Practical Ethics: Oxford University, pp.144-154)2012年5月18日に行われた国際会議での発表に加筆修正したもの。自然を操作する主体は人格と名づけられ、現代では、これを(人類や人間性という普遍的概念を媒介せずに)個人と解する個人主義的・唯名論的解釈が支配的である。しかし、個人の選択による行為の累積的影響は、地球の生態系全体や未来の人間にまでおよぶ。それゆえ、科学技術を介した自然(人間以外の自然ならびに人間の自然すなわち身体)の操作の是非を論じるには、人類や人間性という普遍的概念を媒介しなくてはならない。

3.17 "Der nicht omnipotente Gott und die menschliche Verantwortung", (in Dialog-Reflexion-Verantwortung. Zur Diskussion der Diskurspragmatik, Jens OleBeckers, ,Florian Preußger, ,und Thomas Rusche,  (Hrsg.), Königshausen & Neumann: ürzburg, 2013=平成25年4月,  S.427-S.442: ベルリン自由大学ハンス・ヨナス・ツェントルム所長Dietrich hler教授の退官記念論文集に収めたもの。世界を創造することに力を蕩尽してためにその後は世界の進展に介入する力を失い、世界の帰趨を気づかいながら見守る神というハンス・ヨナスの神概念がヨナス哲学のなかで成立する経緯をたどり、その無力な神にかわって世界の進行に影響を及ぼしうる力をもつにいたった人間の責任を解明した。

3.16  「責任」(『生命倫理の基本概念 シリーズ生命倫理学第2巻』、シリーズ生命倫理学編集委員会編、香川知晶・樫則章責任編集、丸善、2012=平成24年1月31日、176-190頁): 医師−患者関係についての規範は、ヒポクラテスの誓いの伝統では、医師の善意が、生命倫理学が登場してからのインフォームド・コンセント尊重の潮流では、患者の自律が、基礎とされてきた。善意を強調すれば、不完全義務のように受け取られてしまう。逆に、自律を強調すれば、医学知識に乏しい患者に治療法の選択等の責任がかかってしまう。本稿では、知と力に応じて要請される規範である責任を根本にすえることで、医師の患者をケアしようとする態度や医師としての能力の維持と向上に努めるべき医師としてのアイデンティティを含む医師−患者関係の規範を(医師の善意モデルや患者の自律モデル以上に)説得力あるしかたで説明することをこころみた。

3.15「ケアと介護の哲学」(『応用哲学を学ぶ人のために』、戸田山和久・出口康夫編、世界思想社、2011=平成23年5月20日、209-219頁):   老人介護を念頭において、介護をいっそう広範な概念であるケアのなかに位置づける試み。あたりまえと思われていることが、実は、そうなるように配慮している他のひとの気づかいなしには成り立ちえないことを、ケアの視点は指摘する。介護保険を例とするケアの社会化は支える論拠、だれもが他者に依存せざるをえない人びとをケアする者であるという自覚にほかならない。この自覚が効用だけに訴えることができないとすれば(老人介護は効用の観点から切り捨てられやすい営みである)、人間の尊厳を論拠とするほかない。ただし、ここにいう人間の尊厳とは、そのひとが生きてきた人生の統合性、そのひとの固有性に思いをはせることで賦活されるそのひとへの尊重の意識である。

3.14「つかのまこの世にある私/私たち」(『岩波講座哲学8 生命/環境の哲学』、岩波書店、2009=平成21年6月12日、87-105頁): 生物医学と医療技術の進展は、それに対処する規範、インフォームド・コンセントをもたらした。技術を利用するか否かについて意志決定する人格として、患者を尊重すべしという規範である。しかし、他方、この人格としての私にとって、私の身体は技術を介する操作対象に変容した。そしてまた、対応能力のある存在としての人格概念の外延からは、一部の人間が排除されていった。けれども、免疫系にみるように、いわば「身体における私」も存在する。これは人格のコントロール下におかれず、臓器移植では拒絶反応というしかたでその存在を示している。医学技術による身体の操作の進むなかで、 人間のおかれている条件はむしろ操作の限界として現われてくる。

3.13「生活世界・故郷世界・異郷世界」(竹市明弘・小浜善信編『哲学は何を問うべきか』、晃洋書房、2005=平成17年10月30日、187-206頁): フッサールは学の成り立つ基盤としての生活世界を指摘したが、生活世界はまた学の成果が流入する世界でもある。生活世界における生と学の交差を解明し、生活世界の具体相としての故郷世界と異郷世界の問題系を提示した。

3.12「生命の神聖 その失効とその再考」(中岡成文編『応用倫理学講義1 生命』、岩波書店、2004=平成16年7月8日、128-146頁): 生命の神聖(Sanctity of Life)、人間の尊厳(Human Dignity)という観念については、生命倫理学の問題を解くさいに無効な観念であると批判する論者も多い。資源の配分が焦点となっている文脈ではその批判はあたっているが、逆に、人為的には配分できないものに目を向けた場合に、これらの観念はなお意義をもつ。ドゥオーキンがLife's Dominionのなかで展開している生命の神聖論、ハーバマスがDie Zukunft der menschlichen Natur. Auf dem Weg zu einer liberalen Eugenikのなかで展開している人間の尊厳論を参照しつつ、二つの観念の意義を再検討した。 

3.11「組織と責任」(加茂直樹編『社会哲学を学ぶ人のために』、世界思想社、2001=平成13年5月20日、87-97頁): そのことに対して私は責任があるか。あるとすればどれほどか。それは他者から、私の力に応じて問われる。事態を予見できたか、回避できたかが責任の有無を確定する。現代では、どの職業につくにも、専門化した高度の能力を要求されるとともに、能力を発揮するのは組織の一員としてのことが多いだけに責任を自覚しがたい状況にある。それゆえ、組織には、無過失責任によって害悪を回避するいっそう重い責任を課することが必要であり、また、組織の内部の個人に対しては、組織内部の論理ではなくてつねに組織の外部の他者から責任を問われる事態を意識した行動が求められる。  

3.10「生命と倫理 −生命倫理学と倫理学の生命−」(有福孝岳編『エチカとは何か 現代倫理学入門』、ナカニシヤ出版、1999=平成11年11月10日、264-281頁): 医療というさしあたりは倫理学の外部の領域で生じる倫理的問題にたいする倫理学および倫理学者の対応をとおして、倫理学とはいかなる学問であり、どのようなしかたで悩ましい倫理的問題に答えを出すのか、というテーマについて論じている。 

3.09「生命はどのような場合にも尊重されるべきか」(佐藤康邦・溝口宏平編『モラル・アポリア』、ナカニシヤ出版、1998=平成10年2月20日、180-188頁): 「生命はどのような場合にも尊重されるべきである」という見解と「生命はどのような場合にも尊重されるべきだとは必ずしも言えない」という見解とがおりなすアンティノミー。二つの見解はどのような意味で対立し、また、すれちがうのか。菜食主義、人工妊娠中絶、安楽死、加療停止、臓器移植などの問題に言及しながら考察した。 

3.08「哲学や倫理学の研究者は生命倫理学において何をすべきか」(加藤尚武・加茂直樹編『生命倫理学を学ぶ人のために』、世界思想社、1998=平成10年1月30日、324-334頁): 生命倫理学とは、ひとの生命にたいする医学、生物学による人為的介入および不介入をめぐって価値と規範を含んで発せられる問いについて、論点を明確にし、それに答えようとする営みである。しかし、ただひとつの倫理が確立しているわけではない以上、問いにたいする答えは多様にならざるをえない。哲学や倫理学の研究者も唯一の倫理を提供できる地位にあるわけではない。それでは、哲学や倫理学の研究者は生命倫理学において何ができ、何をすべきか、を考察した。

3.07「日常のコンテクスト」(三島憲一・丸山高司編『講座現代思想第9巻 テクストと解釈』、岩波書店、1994=平成6年3月22日、319-343頁): すべての出来事がそこで生起する日常は慣れ親しまれているあまり忘れられている。日常がそのように日常化していく過程、日常のなかに含まれる複数の脈絡とその錯綜について分析した。

3.06「生命と倫理」(宇都宮芳明・熊野純彦編『倫理学を学ぶ人のために』、世界思想社、1994=平成6年9月30日、176-199頁): 脳死臓器移植、安楽死、妊娠中絶など賛否両論ある問題に一定の解答を示すものとして、尊重されるべき人間存在を自己意識、さらには、自己意識を可能にする脳の器質的・機能的状態にもとづけて画定する議論、パーソン論がある。だが、このパーソン論が実は近代の効率的な社会観・人間観と表裏一体のものであることを指摘した。

3.05「拝啓」(川本隆史・須藤訓任・水谷雅彦・鷲田清一編『マイクロエシックス −小銭で払う倫理学』、昭和堂、1993=平成5年9月30日、134-137頁): この本は各執筆者が見開き4頁を使って、身近な話を取り上げて、そこに倫理学の論じる問題を見出すしかたで、購読する読者(とくに大学生を念頭においている)の関心を呼び覚まそうと試みた本である。「拝啓」などの紋切り型のあいさつを取り上げて、それが人間関係のなかでもっている意義を示した。

3.04「先端医療と哲学」(中川米造編『講座人間と医療を考える第1巻 哲学と医療』、弘文堂、1992=平成4年2月15日、192-215頁): 先端医療の推進に対する賛否はそのままそれに関連する規範に対する賛否である。患者の権利、パーソン論、生殖技術、安楽死をとりあげて、それを推進することで従来妥当してきたどのような規範が弱められるかを論じ、医療についての広範な議論の必要性を主張している。

3.03「隠れたしかたで働いている規範」(日本倫理学会編『日本倫理学会論集25 規範の基礎』、慶應通信、1990=平成2年10月10日、103-117頁): 道徳規範が顕在化する状況として自分が行った行為の責任を問われるという事態の分析を手掛かりにして、道徳規範がふだんはことさらに意識されずに機能していることを指摘し、その理由として、道徳規範が言語・文化的共同体の伝統のなかで受け継がれていく過程を論じた。

3.02「新しい生殖技術と社会」(塚崎智・加茂直樹編『生命倫理の現在』、世界思想社、1989=平成元年2月20日、188-205頁): 人工授精、体外受精、代理母、男女生み分けなど新しい生殖技術のそれぞれのケースについて、その問題点、許容ないし禁止する立場のあげる論拠を説明し、個人が自由にこれらの技術を利用した場合には社会的偏見が再生産される恐れのあることを指摘した。

3.01 対話における言葉について(新田義弘・常俊宗三郎・水野和久『現象学の現在』、世界思想社、1989=平成元年2月10日、170-185頁): 対話においては、話し手と聴き手は相互理解するとともに、両者の相違が際立ち、それぞれの世界理解が修正されていく面がある。その過程を分析することを通じて、対話のなかに人間の根本的に共同的な性格の現われをみてとることができる。

 

4.〈論 文〉

4.45  「存在と仮象――魚住洋一の仕事と文体」(『倫理学論究』、vol. 4, no. 1, 関西大学倫理学会、2017=平成29年5月15日、7−24頁): 自然、経験、感情、身体、自己、他者等のテーマについての犀利な現象学的記述とジェンダー、セクシュアリティ、日本、国家、芸術作品についての分析を行ってきた魚住洋一の仕事のなかから現象学と和辻哲郎論に関する仕事をとりあげて論評し、その文体の創造性を評価した。

4.44 「医師-患者関係における責任概念について」(『生命倫理・生命法研究資料集』III、芝浦工業大学、2017=平成29年3月31日、32-46頁): 患者の権利と並行して患者の責任が語られるようにもなっている。たとえば、アメリカ医師会が1993年に出した文書「患者の諸責任」では、医療情報について自分が理解できていない場合に情報を求めたり明確化を求めたりするのは患者の責任である。だが、これは患者にわかる言葉で説明する医師の責任を掘り崩している。医師-患者関係における医師側の責任を考える際、その責任はアギッチのいう任務責任ではなくて役割責任であるべきである。役割責任は、自分がどのような医師として生きるかという物語的自己同一性によって支えられるものである。本論はリクールの物語的自己同一性を援用して、医師-患者関係における責任概念の意義について説明した。

4.43 「重なり合う合意か、それとも実践理性か」(『文学論集』、66巻4号、関西大学文学会、2017=平成29年3月10日、51−73頁): ロールズは『正義論』のなかで提示した正義の二原理が原初状態が終わったあとにも、その正義の二原理にもとづいて設計された社会の構成員によって支持される根拠として、「重なり合う合意」の観念を提示した。ハーバマスは形而上学ではなくて間主観性による基礎づけという点ではロールズに賛同しつつも、正義の原理の基礎づけは偶然的な合意ではなく、実践理性にもとづかねばならないと反論する。本稿は、重なり合う合意を支持するリクールの所論も含めて、正義の原理の基礎づけ、倫理的妥当性と真理認識の関係、さらにこの争点が(重なり合う合意が想定する西洋近代のリベラルな伝統にただちに属するとはいえぬ)日本の哲学者にとってもっている意義について解明した。

4.42 「存在の政治と絶対無の政治」(『哲学』、67号、日本哲学会、知泉書館、2016=平成28年4月1日、9−24頁): 日本哲学会第75回大会でのシンポジウム「哲学の政治責任――ハイデガーと京都学派」にパネリストとして執筆したもの。哲学(者)の政治責任の概念を分析し、ハイデガーのナチズムへの関与、京都学派(高山岩男、高坂正顕、西谷啓治の座談会での発表や論文での発言をとりあげて、彼らの引用する西田幾多郎に言及)の大東亜共栄圏に関する発言をとりあげて、それぞれの政治的責任を指摘し、レーヴィットの一階と二階の比喩を介して、戦後ドイツ社会が人間の尊厳という理念をもとにして変革を進めてきたのにたいして、現代の日本には戦前の日本を克服するような理念が明確にあるのかと問い、現代の日本に生きている哲学者の担うべき政治責任を説いた。

4.41 「内在と超越――ハンス・ヨナス哲学の展開」(『京都ユダヤ思想』、6号、2016=平成28年1月31日、京都ユダヤ思想学会、62−87頁): グノーシス思想研究から晩年の神学的思索にいたるまでのヨナスの哲学を、世界への内在と世界を創造する神の超越を鍵概念として整理した。

4.40 「倫理的思考、存在論的思考、経済的思考の違い、また『唯名論』批判――森岡正博氏・吉本陵氏『将来世代を産出する義務はあるのか』への応答」(『倫理学論究』, vol. 2, no. 1, 2015=平成27年2月23日、1−11頁): 森岡正博氏・吉本陵氏による拙著『正義と境を接するもの――責任という原理とケアの倫理』に関わるヨナス解釈への疑問にたいする応答。

4.39 「神にたいする人間の責任は成り立ちうるか」(『倫理学論究』,vol.1, no.2、2014=平成26年4月22日、2-12頁): 人間の「神にたいする人間の責任」(responsibility for God)」という概念によってヨナスの思想を説明するJansohnやBernsteinの解釈にたいして、BultmannとJonasの間で交 換された書簡を援用して、人間は「神の前での責任」「神に面しての責任」ということはいいうるが、「神にたいする責任」という概念は成り立たないと論じた。

4.38 「尊厳死という概念のあいまいさ」(『理想』、692号、理想社、2014=平成26年3月5日、111-122頁): 尊厳死という概念について、多義的で家族的類似性によって成り立っている安楽死概念を整理したうえでそのなかに位置づけ、医師の援助による死・持続的な深い鎮静・自然な死・むだな治療といった安楽死および尊厳死と密接な関係にある表現の意味を考察し、そもそも尊厳概念がもっているあいまいさを指摘するとともに、人格および尊厳の概念を具体化することによって、尊厳死の選択というのでなくむしろ終末期の生き方の選択という方向でこそ、尊厳死概念が示唆する問題を考えるべきことを主張した。

4.37 「ノモスとピュシスの再考――ケアの倫理による社会契約論批判」(『法の理論』、32号、成文堂、2013=平成25年11月1日、3-25頁):  正義や権利を基底とする倫理理論にたいするケアの倫理の異議申し立てを概略した後、ケアの倫理からみた社会契約論とそれに対応する法的思考を要約し、ケアの倫理がそれにかわる社会構築の理論を形成するために平等、市民などの基礎概念をどのようなものとして描いているか、さらにその問題提起がノモス(法)とピュシス(自然)のどのような関係を基盤とするものか、について論じた。

4.36 技術、責任、人間――ヨナスとハイデガーの技術論の対比」(『Heidegger-Forum』、7号、ハイデガー・フォーラム、2013=平成25年6月1日、110-122頁): ハイデガーを師としたヨナスはグノーシス思想とハイデガーとの類縁性の指摘から哲学研究を始めたが、ハイデガーのナチスへの協力をみて決定的にかつての師から離反して、独自の生命哲学、さらには責任原理を展開するにいたる。ハイデガーの技術論とヨナスの技術論の決定的な違いの意味するところ をヨナスの哲学的経歴によって裏づけながら解明した。

4.35 他者の人間性への尊敬――安彦一恵氏の問いかけに応えて」(『Dialogica』、15号、滋賀大学教育学部倫理学・哲学教室、2013=平成25年3月31日、1-17頁): カントにおいて他者の人間性にたいする尊敬を動機づけるものは何かという問いに対して、カントでは、自己の人間性を尊敬する動機と他者の人間性を尊敬する動機とのあいだの区別はなく、むしろ現象としての人間にとって本体としての人間がすでに他者であることを指摘し、ひとりひとりの人間のなかにありながら、その人間を超越するものというこの発想の遡源のひとつをパウロの『ローマ人への手紙』に関連づけて論じた。

4.34 "Why and How Has Jonas Been 'Welcomed' in Japan?: A Reply from Japan to LaFleur's Interpretation", in Journal of Philosophy of Life, Institute for Contemporary Philosophy of Life, Research Organization for the 21 Century, Osaka Prefecture University, vol. 2, no.1 (April 2012), pp.15-31: 4.31を修正し、英訳した。

4.33「正義概念覚書」(『文学論集』61巻4号、関西大学文学会、2012=平成24年2月24日、23-48頁): アリストテレス、キケロ、トマス、ロック、カント、ロールズ、ノージックの正義概念の変遷について整理したもの。

4.32ハーバマスの類倫理再考」(『生命倫理研究資料集V 生命・環境倫理における「尊厳」・「価値」・「権利」に関する思想史的・規範的研究』、基盤研究(B)課題番号20320004報告書、2011=平成23年3月16日、富山大学、151-167頁): ハーバマスがその著Die Zukunft der menschlichen Natur. Auf dem Weg zu einer liberalen Eugenikのなかで提示した類倫理を論じた。そこで彼が示唆している生命倫理学における具体的な指針については、類倫理ではなく行為のもたらす帰結による基礎づけで十分ではないかという疑念を否定するまでにはいたっていないことを指摘するとともに、この構想が討議倫理学の文脈のなかで身体の位置づけや伝統の継承のもつ積極的な意義を認めている点を指摘し 、形而上学に依拠できない価値多元主義を守りつつ、形而上学が神との対比において答ええた人間の自己認識という問題にあえて答えようとする試みであることを評価した。

4.31ヨナスは、なぜ、いかにして日本に『積極的に受容』されたか――ラフルーアの見解と日本からの応答」(『宗教学研究室紀要2010』、2010=平成22年12月7日、京都大学、49-64頁) :宗教学者William R. LaFleurによれば、ヨナスの世代間倫理は、日本では、個人の自律を重視するアメリカにおけるよりもはるかに「積極的に受容」されている。ラフルーアはその理由として、日本の伝統的な倫理のなかにある人間関係の先行と世代間倫理の「親和性」にあるとする。この論文では、しかし、自然にたいする態度、神学的思索、超越を内に含んだ人間という人間観は、日本の伝統的な倫理とってむしろ非親和的であること、ラフルーアの指摘する親和性は、ヨナスよりもケアの倫理でも説明しうることを指摘して、ヨナスが日本でいっそう的確に理解されるにはそれらの点に注意しなくてはならないと論じた。

4.30「ふくらみのある尊厳概念のためのノート――Persönlichkeit概念について」(『生命倫理研究資料集』IV 生命・環境倫理における「尊厳」・「価値」・「権利」に関する思想史的・規範的研究、2010=平成22年3月15日、富山大学、1-12頁): Personalitätを「人格たる要件」という意味で用い、「その人格がその生のなかで示す固有性」という意味でPersönlichkeitを用いているMichael Quante, Ralf Stoeckerらの論文をとりあげ、後者を強調することによって、たんに合理的に選択する主体という意味だけではなく、その個人の生の統合性を含んだ「人格」概念、さらにまた、「人間の尊厳」概念の可能性を論じた。

4.29『仕事・職業・労働』をとりまく状況の倫理学的考察」(『倫理学年報』第58集、日本倫理学会、2009=平成21年3月30日、11-20頁):  2008年度日本倫理学会大会共通課題「仕事・職業・労働」でのパネリストとしての報告。伝統的には、私たちは、自分の能力に応じて職業を選び、訓練をへて、労働によって自分と家族を養えるようになって、「一人前」の仕事ができるひとと認められてきた。しかし、雇用の変化、さらには2007年以後のグローバルな経済的危機のもとで、この「物語」が失効したことを確認のうえ、種々の倫理理論の新たな状況への対応を概観し、大学教育の場での社会契約論的発想と人間の尊厳の観念の伝達の重要性を主張した。

4.28「ヨナスの〈アウシュヴィッツ以後の神〉概念(二)――全能ならざる神と人間の責任」(『文学論集』、58巻4号、関西大学文学会、2009=平成21年3月15日、1−24頁): ハンス・ヨナスの晩年の神学的論文「アウシュヴィッツ以後の神概念」「過去と真理」「物質、精神、創造」をとりあげ、これらとヨナスのそれ以前の著作『生命の哲学』『責任という原理』とを結びつけ、ヨナスとホロコースト神学とを対比し、さらに、ユダヤの神を論じる「アウシュヴィッツ以後の神概念」と哲学者の神を論じる他のニ論文との相違と関係に焦点をあて、ヨナス哲学全体の文脈のなかでこれらの論文についての整合的な解釈を示した。

4.27「ヨナスの〈アウシュヴィッツ以後の神〉概念(一)――ユダヤ人で哲学者であること」(『文学論集』、58巻2号、関西大学文学会、2008=平成20年10月20日、1−23頁): ハンス・ヨナスが晩年にあらわした「アウシュヴィッツ以後の神概念」等の神をめぐる論文についての論稿。(一)では、 まず、ヨナスの生涯の全体像を提示するために、「ユダヤ人として」「哲学者として」の二つの部分に分けて論じた。

4.26「ケアの倫理、ニーズ、法」(『法社会学』、64号、日本法社会学会編、有斐閣、2006=平成18年3月30日、102-115頁): ケアの倫理に立脚し、ニーズを権利の根拠において、社会哲学を構想しているノディングスのStarting at Homeをとりあげ、リベラリズムの立場に立つイグナティエフ、コミュニタリアニズムと目されるCh・テイラーのニーズ論と比較考察し、また、ケアの倫理と修復的正義(修復的司法)との関連に言及した。 加筆修正のうえ、『正義と境を接するもの 責任という原理とケアの倫理』に収録。

4.25 「倫理、倫理学、倫理的なるもの」(『日本倫理学会第56回大会報告集』、日本倫理学会、2005=平成17年9月20日、7-11頁): 日本倫理学会第56回大会共通課題「倫理学の現実(リアリティ)」での報告者としての発表要旨。特定の倫理規範の再生産、補強、説教を倫理と呼ぶなら、倫理のrealityとはその説得力にかかっている。倫理学が倫理に対する学問である以上、既存の妥当してきた倫理、これから流通すべく唱道されている倫理の根拠、基礎づけに対する異議申し立ての力が倫理学のrealityと呼ぶにふさわしい。この異議申し立てはたんに論理的な反省によるのではなく、対象となる倫理的言説に含まれる反倫理的含意に対する違和感から生じる。その源を倫理的なるもののrealityと呼び、区別したい。この意味での倫理学のrealityが最も強烈に意識されるのは、倫理的に尊重すべき範囲とそこから外れたものとの関係である。この脈絡から、私自身が目下注目している、正義と、責任、ケアとの相補的関係に言及し、今現在における私にとっての倫理学のrealityについて説明した。

4.24「人間はいかなる意味で存続すべきか――ヨナス、アーペル、ハーバマス」(『アルケー』13号、関西哲学会、2005=平成17年6月30日、1-14頁): 2004年度関西哲学会シンポジウム「人間は特異な存在者か」におけるパネリストとしての報告をまとめたもの。環境危機・核戦争の可能性、人類の質的変容をもたらしうる優生学的介入のもとで、人類の存続は現実的に脅かされている。人類が存続すべき根拠があるとすれば、それは何らかの意味で人間の特異性を伝えるものだろう。この意味から、人類の存続を倫理的に根拠づけようとする未来倫理として、ヨナス、アーペル、ハーバマスをとりあげ、比較検討した。アーペルの未来倫理は、カントの目的の王国を言語遂行論的に基礎づけた議論で、討議主体として人間を捉えている。これに対して、ヨナスは、なかばハーバマスも、人間が人間以外の生物と共有する自然(身体)を含めて人間の存続を守ることを主張する。ヨナス、ハーバマスでは、アーペル以上に、人間が傷つきやすい自然本性をもったものとして描かれている。人類の存続を基礎づける論証として、ヨナスは形而上学を要請しながら、形而上学をもたないゆえにミュートス、推測を語るにとどめた。人間の特異性を問う問いは不可避的に人間とは異なる存在への問いに通じる。しかし、問う者自身に向けられる問いを問う者を超越した存在へとむけることで、哲学的思索は形而上学へ転化せざるをえない。討議倫理学者アーペル、ハーバマスが形而上学にコミットせず、ヨナスもまたミュートス、推測を語るにとどめた点に、人類の存続が脅威にさらされ、かつ、特定の形而上学が支配していない現代の多元価値社会において、人間の特異性を問う哲学的問いの特性が表われている。加筆修正のうえ、『正義と境を接するもの 責任という原理とケアの倫理』に収録。

4.23「ベルク教授との対話――倫理学(環境倫理学を含む)の観点から」(『国際シンポジウム 風土と技術の近代 報告書』、関西大学、2005=平成17年2月28日、128-139頁): 和辻哲郎の風土論を継承し、非人間中心主義ではなく、人間と環境の関わりに根ざした環境論を「風土学」として開拓しつつあるフランスの地理学者オギュスタン・ベルクを囲むシンポジウムでの報告。ベルクの主張が歴史的に形成されてきた特定の風土の維持と再生産の主張に陥る可能性を指摘し、ベルク風土学のなかの「市民体」(cité)にそれを打破する討議の場としての役割を期待した。英訳は、"A Dialogue with Professor Berque : from the standpoint of ethics (including environmental ethics)", International Symposium: Modernity in milieux and technique, Kansai University, 2005, pp.285-297)

4.22「〈ケアの倫理〉考(二)」(『関西大学 文学論集』53巻、4号、関西大学文学会、2004=平成16年3月30日、39-62頁): ケアの倫理についての一連の研究の一環として、ネル・ノディングスのケアリングの倫理に焦点をあてて、ケアの倫理の根拠を問うたもの。ノディングスは、ケアの倫理の創始者ギリガン以上に正義の倫理と対立しており、それゆえ、その思想には正義に依拠しないケアの倫理の基礎づけと限界がみてとれるからである。通常、母性愛という自然な傾向がその基礎と理解されている。私見は自然なケアリングと倫理的ケアリングとの区別に着目し、ノディングスの倫理全体を「ケアする者としての自己=倫理的自己」への誠実に基礎づけた。これによって、他者に配慮するケアの倫理が自己志向に基づいている点について整合的な解釈を示すことができ、同時に、他者を倫理的自己と同格に捉えないゆえのその限界を露呈できた。加筆修正のうえ、『正義と境を接するもの 責任という原理とケアの倫理』に収録。

4.21研究総括 現代の倫理的諸課題に対処しうる規範学の再構築」(『現代の倫理的諸課題に対処しうる規範学の再構築』、関西大学、2004=平成16年3月20日、1-34頁): 平成15年度関西大学重点領域研究「現代の倫理的諸課題に対処しうる規範学の再構築」の研究成果について研究代表者として総括したもの。同報告書は非売品だが、国立国会図書館(資料問い合わせ番号0000354912)、関西大学図書館に納品されている。報告の目標その他については、報告書のはしがきをごらんください。

4.20「正義と境を接するもの 責任という原理とケアの倫理」(『現代の倫理的諸課題に対処しうる規範学の再構築』、関西大学、2004=平成16年3月20日、116-129頁): 原則的に対等な関係に立脚する正義とは対立しながら、正義と相互に補完しあう倫理として、「責任という原理」と「ケアの倫理」とを位置づけたもの。

4.19応用倫理学に関わる理由(『哲学の探求』30号、哲学若手研究者フォーラム、2003=平成15年5月17日、3-15頁): 哲学若手研究者フォーラム第30回、2002年7月13-14日、に「哲学の現場?」という題名のもとに行なったフォーラムでの講演。哲学とは何か、倫理学は哲学か、応用倫理学は哲学か、応用倫理学の「応用」の意味、という紙幅からすれば無理に決まっているテーマに真正面からとりくんでみた。高橋久一郎氏、森岡正博氏と私がパネリストだった。

4.18「応用倫理学の意義とコンピュータ倫理学ないし情報倫理学の動向」(『哲学』22号、関西大学哲学会、2003年3月30日、103-125頁): 応用倫理学と呼ばれる領域は、およそ1960年代に生命倫理学が、1970年代に環境倫理学が分野として確立した。それら応用倫理学が登場してきた倫理学史上の経緯と必要性をまとめ、それらに比べて後続の応用倫理学である1980年代にはじまるコンピュータ倫理学ないし情報倫理学の動向をまとめ、先行する応用倫理学と共有する問題点、および、問題点の変容的継承について、とくに、「応用」の意義、職業倫理という位置づけの可否、徳倫理学に対するスタンスについて論じた。

4.17<ケアの倫理>考(一)」(『関西大学 文学論集』51巻、3号、関西大学文学会、2002=平成14年1月19日、1-28頁): 心理学者キャロル・ギリガンが、とりわけ女性に顕著にみられる道徳性発達モデルとして提示したケアの倫理は、道徳発達理論だけではなく、むしろ、近代の“正統的”な道徳モデルである正義の倫理にたいする異議申立てとして倫理学においても注目されている。本論は、ケアの倫理の内容を特徴づけ、ケアの倫理と正義の倫理とが統合可能であるかという問いを論じている。規範としてのケアと正義とは、両立可能であり、相補的な関係にあるといえるが、倫理が拠って立つ根底を正義におくか、ケアにおくか、また、倫理的判断の不可欠な特徴として普遍妥当的な原理をあげるか、個別状況への対応をあげるか、という意味では、両者は択一的な選択肢である。また、本論は、ケアの倫理と徳の倫理との関係に言及している。加筆修正のうえ、『正義と境を接するもの 責任という原理とケアの倫理』に収録。

4.16 「環境、所有、倫理」(『思想』923号=2001年第4号、岩波書店、2001=平成13年4月5日、69-88頁): 人間は環境のなかに労働によって自己の所有を確立する。所有が正当化されるのは、労働する人間と労働を混入される自然とを分つ境界が、同時に、倫理的に尊重されるべき存在とそれ以外の存在とを分かつ境界と重ね合わせられているからである。自然の権利を主張するタイプの環境倫理はまさにこの前提に疑念を投じる。この論文では、ロックの労働所有論を読みこむことで、そこにも、人間は自然に負うているという意識が窺われることを指摘し、環境と所有という観念が人間だけを視野におさめた倫理と正義に対してその外部からあらためて問いなおす契機であることを確認した。しかし、だからといって、そうした異議申立てがただちに人間と人間以外の自然とをともども支配する正義の実質的規範を確立できるわけではない。したがって、権利や正義という観念をただちに自然に適用するタイプの環境倫理は批判されねばならない。なお、この論文は、2001年4月26日朝日新聞夕刊論壇時評「私が選んだ3点」のなかで、的場昭弘氏に「自然と人間との関係を古典を通して新しい角度で展開して見せてくれる」と紹介されました。加筆修正のうえ、『正義と境を接するもの 責任という原理とケアの倫理』に収録。

4.15「生命倫理学における自由主義の検討」(『研究助成報告論文集』第11集、上廣倫理財団、2000=平成12年10月、17-34頁): 生命倫理学における自由主義の傾向とそれに批判を加える共同体主義的見解について、エンゲルハート、ペレグリノ、トマスマらをとりあげて論じた。

4.14 「倫理学の応答能力 −生命倫理学を手がかりに」(『日本倫理学会報告集』1999年号、1999=平成11年9月15日、76-81頁。日本倫理学会第50回大会、シンポジウム共通課題「20世紀−倫理学への問い」1999=平成11年10月17日での「全体討議」のための基調報告骨子): 標題のシンポジウムでは、戦争と革命、国家はなぜ必要か、日本的なるもの、科学技術と倫理学、ジェンダーとセクシュアリティ、情報社会の六つのテーマがとりあげられた。これらのテーマを、社会生活に根ざした、したがって、だれでも当事者たりうる実践的問題と位置づけ、実践的問題にとりくむ倫理学的考察のなかで、倫理学および倫理学者の果たす役割は、20世紀の倫理学をふまえたときに、何でありえ、何であるべきかということを論じた。なお、「全体討議のための報告補遺」(『倫理学年報集』、第49号、2000=平成12年3月30日、266-269頁)には、大会で報告したさいにいただいたご質問への応答を記している。

4.13 自然・環境・人間 ハンス・ヨナス『責任という原理について』」『アルケー 関西哲学会年報』、No.7、1999=平成11年7月26日、145-154頁。関西哲学会第51回大会、シンポジウム共通課題「環境としての自然」1998=平成10年10月11日での基調報告をもとにしたもの): 人間は、あらゆることから身を離すことのできる特性(プレスナー)によって、自然全体を人間は自分の環境として捉えることができ、そして、科学技術とそれを享受する生活様式から自然全体を地球規模で不可逆ともなりうるしかたで改変できるようになった。科学技術時代に求められる新たな倫理は、人間の行為が未来の人類と自然へおよぼす影響を配慮する倫理である。そのような倫理へのひとつのアプローチとして、ハンス・ヨナスの『責任という原理』をとりあげ、考察する。加筆修正のうえ、『正義と境を接するもの 責任という原理とケアの倫理』に収録。

4.12 「論議なきはてに −臓器移植法成立にさいして−」『広島大学総合科学部紀要III 人間文化研究』第6巻、1997=平成9年12月20日、77-104頁): 1997年、臓器移植法の成立まで、「脳死はひとの死か」という問いは繰り返し発せられたが、そこに含まれている「ひと」の概念の多義性は明るみにされてこなかったように思える。それを視点にして、前述の問いに対するさまざまな答えの論拠を分析する。

4.11 「「つゆのふるさと」考」『人間存在論』第3号、京都大学人間・環境研究科、1997=平成9年3月31日、43-54頁): 竹市明弘教授の退官記念論集。教授の提示された根源的日常性の観念をその思索をたどりながら解明しようとした。

4.10 「環境倫理の基礎づけ問題」(『応用倫理学の新たな展開 −倫理学におけるミクロ的視点とマクロ的視点の総合をめざして− 平成7年度科学研究費補助金・総合研究(A)研究成果報告書』、東洋大学、1996=平成8年3月、46-57頁): L.ホワイトの指摘、森の思想、ロールズを援用した未来世代の権利論、ヨナスの責任の原理、動物解放論、土地倫理、討議倫理学をとりあげて、それぞれにおける環境倫理の立脚点を考察した。

4.09「類似による把握と人格概念」(『表現におけるアイコニシティと意味作用 平成5・6・7年度科学研究費補助金(一般研究B)研究成果報告書』、広島大学、1996=平成8年3月29日、61-74頁): ひとをひととして捉えるのは、抽象的な象徴記号を駆使して理解される人格観念を媒介とする以前に、自他の類似による直接的な把握があるからではないか、という問題をとりあげた。

4.08「生命倫理学ノート」(『比較文化研究』第17号、広島大学比較文化研究会、1994=平成6年11月20日、1-15頁): インフォームド・コンセントの根拠は自分で決める能力があるということだが、それだけを根拠にしてさまざまな難問に答えを出していけるのか、出していくとすれば、どんな問題がつきまとってくるのか。

4.07「死の問題というよりはむしろ〈ひと〉の問題として−「脳死はひとの死か」論争をめぐって」(『和歌山県立医科大学紀要』21巻、1992=平成4年3月20日、33-49頁): 日本の脳死(および臓器移植)論争では「脳死はひとの死か」という問いがしばしば繰り返されたが、その議論のなかに「ひと」という概念についての反省が欠けている点を指摘した。

4.06 「他者の身体的現前と対他態度  −シュッツの社会的世界論における(『和歌山県立医科大学紀要』20巻、1991=平成3年3月20日、1-15頁): 現象学的社会学者シュッツは知覚をもとにして自他の関係のさまざまなあり方を整理して論じたが、その知覚をもとにするアプローチが自他の関係を理解するのに有効な点と不適切な点とを指摘した。

4.05 「ヴァルデンフェルス「異郷のなかの故郷」に寄せて」(『和歌山県立医科大学紀要』19巻、1990=平成2年3月20日、1-7頁): 特定の空間が固有の意味をもつことがある。その特徴を示す概念としての故郷世界、異郷世界についての現代ドイツの現象学者の研究をとりあげて、その概念の肥沃性とその研究の問題点を指摘した。謝辞:なお、この論文については、水野和久先生からコメントをいただきました。そのコメントは水野和久『現象学の視座 他性の現象学』白菁社、1997年のなかに収録されております。

4.04「意味のイデア性−その確かさとそのゆらぎ」(『理想』636号、理想社、1987=昭和62年10月1日、78-88頁): 意味は超時間的に不変の本質をもつとともに、文化歴史的な背景の変化とともに動揺する。前者であるとともに、なぜ、後者のようなことが起こるのか、意味を共有する共同体と関連させて考察してみた。

4.03 「人格的自我 −フッサール自我論における」(『哲学』第37号、日本哲学会、1987=昭和62年5月1日、199-209頁): フッサールの自我概念の上に記した二面性は、ばらばらなのではなく、自我の自由な機能(認識・評価など)とそれを可能にし制約する条件とのあいだのダイナミズムとして捉えられることを指摘した。

4.02 「フッサールにおける習性の問題」(『関西哲学会紀要』第21冊、関西哲学会、1987=昭和62年3月25日、23-29頁): 習性(Habitus)、つまり時を超えて保たれつづける確信は、フッサールの自我論のなかで、純粋自我から人格的自我が形成されるために重要な意義をもつことを指摘し、一方、フッサールでは十分には展開されなかった論点(確信の否定、確信の体系化)を指摘した。

4.01 「個体について −フッサールを手がかりとして」『哲学論叢』、XIII号、京都大学哲学論叢刊行会、1986=昭和61年7月1日、21-31頁): かけがえのないこのものである個体が個体として把握される根底を現象学的時間論を援用して体験の流れのなかに根拠づけた。

 

5.〈その他の共著書〉

5.01「卒業研究に向けて」「社会人になってから」(『知のナヴィゲーター』(中澤務・森貴史・本村康哲編、くろしお出版、2007=平成19年4月1日、93-94,171-172頁): 関西大学文学部の1年生向け授業「知のナヴィゲーター」がもととなってできたテクスト。この授業の設置時に学務委員として関わったこともあって、若い編者の執筆した本体にコラム2編をそえさせてもらいました。

 

6.〈翻訳書〉

6.08 ハンス・ヨーナス著、品川哲彦訳、『アウシュヴィッツ以後の神』、法政大学出版局、2009=平成21年9月20日、1-224頁。論文「アウシュヴィッツ以後の神概念」「過去と真理」「物質、精神、創造」の訳に、「ハンス・ヨーナスの生涯」(論文「ヨナスの〈アウシュヴィッツ以後の神〉概念(一)――ユダヤ人で哲学者であること」を加筆修正)、「解題」 (論文「ヨナスの〈アウシュヴィッツ以後の神〉概念(二)――全能ならざる神と人間の責任」を加筆修正)、「訳註」「あとがき」を付す。なお、本書のもくじとあとがきを、別途、掲載しています。

6.07 パオロ・ベッキ著、品川哲彦訳、「技術の時代における倫理学の位置」、『応用倫理学研究』4号、応用倫理学研究会、2007=平成19年4月、59-75頁。

6.06 スティーヴン・G・ポスト編、生命倫理百科事典、生命倫理百科事典翻訳刊行委員会編、丸善、2007=平成19年1月31日、「被験者としての軍人」 (2495-2497頁)の項を担当。

6.05 アレク・フィッシャー著、岩崎豪人・品川哲彦・浜岡剛・伊藤均・山田健二・久米暁訳、『クリティカル・シンキング入門』、ナカニシヤ出版、2005=平成17年12月19日、第2章「理由と結論を見分ける 推論に用いる言葉」(20-40頁)と第5章「表現と考えを明確にし、解釈する」(77-98頁)とを担当。

6.04 ロバート・M・ヴィーチ著、品川哲彦監訳、品川哲彦・後藤博和・岡田篤志・伊藤信也訳、『生命倫理学の基礎』、メディカ出版、2004=平成16年1月1日、はじめに、第1-2、4、6,9、11章、付録の訳(iv-xi、1-38、68-90、213-282頁)、解説(283-289頁)を担当。第8、10章を伊藤と共訳(175-212、240-265頁)。

6.03 デヴィッド・カー著、磯江景孜・品川哲彦・松尾宣昭・松田毅訳、『フッサール−批判的・比較的研究−』、晃洋書房、1993=平成5年2月30日、第6章「生活世界について −フッサールと最近の解釈者たち」、第7章「われわれは思考する、ゆえに、われわれは存在する −一人称複数の志向性」(141-192頁)。

6.02 リチャード・J・バーンスタイン著、丸山高司・木岡伸夫・品川哲彦・水谷雅彦訳、『科学・解釈学・実践 客観主義と相対主義を超えて』、岩波書店、1990=平成2年8月24日、第III章「解釈学から実践へ」(243-368頁)。

6.01 ヘルマン・シュミッツ著、魚住洋一・品川哲彦(共訳)、小川侃編、小川侃他13名訳、『身体と感情の現象学』、産業図書、1986=昭和61年9月25日、第4章「時間経験の身体的源泉とアウグスティヌスの問題」(91-216頁)。

 

7.〈項目執筆〉

7.01 『現象学事典』(木田元・野家啓一・鷲田清一・村田純一編、弘文堂、1994=平成6年3月15日、「或るものについての意識」「空虚な志向」「作用」「思念する」「対象X」「ヒュレー/モルフェー」)

 

8.〈書 評〉

8.16 ミヒャエル・クヴァンテ『人間の尊厳と人格の自律』、加藤泰史監訳、法政大学出版局、2015年(『図書新聞』、3219号、2015=平成27年8月15日)

8.15 奥田太郎『倫理学という構え――応用倫理学原論』、ナカニシヤ出版、2012年(「倫理学者はつねに倫理学者であり、それ以外ではないのか」、『応用倫理――理論と実践の架橋』7号、北海道大学大学院文学研究科応用倫理研究教育センター、2013=平成25年10月1日、29-35頁)

8.14 有賀美和子『フェミニズム正義論 ケアの絆をつむぐために』、勁草書房、2011年(『社会と倫理』27号、南山大学社会倫理研究所、2012=平成24年10月31日、213-214頁)

8.13 「M.P.Battin, "Terminal Sedation: Pulling the Sheet over Our Eyes", J. T. Berger, "Rethinking Guidelines for the Use of Palliative Sedation"」、( 『生命倫理研究資料集VI 世界における終末期の意思決定に関する原理・法・文献の批判的研究とガイドライン作成』、平成23年度基盤研究(B)(一般)課題番号23320001、研究代表者盛永審一郎、富山大学、2012年6月29日、19−26頁)

8.12 小松美彦・香川知晶編『メタバイオエシックスの構築へ 生命倫理を問いなおす』NTT出版(『週間読書人』2871号、2010=平成22年6月4日)

8.11 香川知晶『命は誰のものか』ディスカヴァー・トェンティワン(『週間読書人』2807号、2009=平成21年10月2日)

8.10 ヘルガ・クーゼ『生命の神聖性説批判』飯田亘之訳者代表、東信堂(『週刊読書人』2651号、2006=平成18年8月25日)

8.09 ハリー・G・フランクファート『ウンコな議論』山形浩生訳・解説、筑摩書房、(『週刊読書人』2629号、2006=平成18年3月17日)

8.08 川本隆史編『ケアの社会倫理学』有斐閣、(『週刊読書人』2609号、2005=平成17年10月21日)

8.07 安彦一恵・谷本光男編『公共哲学を学ぶ人のために』序論と基礎理論的考察、世界思想社、(『応用倫理学研究』2号2005=平成17年7月29日、106-112頁)

8.06 松田純『遺伝子技術の進展と人間の未来』知泉書館、(『週刊読書人』2587号、2005=平成17年5月20日)

8.05 越智貢・金井淑子・川本隆史・高橋久一郎・中岡成文・丸山徳次・水谷雅彦編『応用倫理学講義』岩波書店、(『倫理学研究』35号、関西倫理学会、2005=平成17年4月20日、135-143頁)

8.04 ジェームズ・レイチェルズ『現実をみつめる道徳哲学 フェミニズムから安楽死まで』古牧徳生・次田憲和訳、晃洋書房 (『倫理学研究』34号、関西倫理学会、2004=平成16年4月20日、149-153頁)

8.03 篠原俊一郎・波多江忠彦編『生と死の倫理学 よく生きるためのバイオエシックス』、ナカニシヤ出版 (週刊読書人、2437号、2002年=平成14年5月17日)

8.02 大庭健・安彦一恵・永井均『なぜ悪いことをしてはいけないのか why be moral?』、ナカニシヤ出版(週刊読書人、2363号、2000年=平成12年11月24日)

8.01 ハンス・ヨナス『責任という原理』加藤尚武監訳、東信堂(週刊読書人、2350号、2000年=平成12年8月25日)

 

9.〈雑 記〉

9.09 〈ケアと正義の反転図形〉と〈ふくらみのある正義〉――川本・伊佐のコメントへのリプライ(『法の理論』、33号、成文堂、2015=平成27年3月20日、167−174頁): 論文「ノモスとピュシスの再考――ケアの倫理による社会契約論批判」(『法の理論』、32号、成文堂、2013=平成25年11月1日、3-25頁)にたいして、川本隆史・伊佐智子両氏から寄せられたコメント(『法の理論』33号に掲載)にたいするリプライ。

9.08 倫理的思考、存在論的思考、経済的思考の違い、また「唯名論」批判――森岡正博氏・吉本陵氏「将来世代を産出する義務はあるのか」への応答(『倫理学論究』、vol.2、no.1、関西大学倫理学研究会、2015=平成27年2月23日、1-11頁): 森岡正博氏・吉本陵氏が論文「将来世代を産出する義務はあるのか」のなかで提示された拙著『正義と境を接するもの――責任という原理とケアの倫理』へのコメントにたいするリプライ。

9.07 倫理とはどういうものか(『要約筆記問題研究』25号、特定非営利活動法人全国要約筆記問題研究会、2014=平成26年3月31日、3-9頁): 口頭で語られたことを聴覚障害者のために要約して文字化する要約筆記の仕事にとりくんでいる団体からの依頼を受けて、「倫理と法の違い」、「専門職の倫理」、 「「ヒポクラテスの誓い」を参考に、現代における対人援助職の専門職倫理向けて」の三節に分けて記したもの。、

9.06 教養教育カリキュラム改革の動向 critical thinkingが授業として期待され、意味をもつ一要因(PROSPECTUS、5号、京都大学文学部哲学研究室紀要、2002年12月1日、1-11頁): クリティカル・シンキングについての特集号に、クリティカル・シンキングのような推論、修辞を分析し、洞察する技能の修得をめざす授業が待望されている背景にいささか言及したもの。

9.05 渡部菊郎氏との遅すぎた対話の試み(『哲学』21号、関西大学哲学会、2002年3月20日、35-56頁): トマスの研究者で同窓の先輩、関西大学では同僚であった渡部菊郎教授を追悼し、その思い出を記し、渡部氏の中世哲学の研究と生命倫理学をはじめとする近代以降の倫理学についての私自身の研究とが共有しうる論点を模索した。

9.04 <ケアの倫理>の語られる理由Emergency Nursing、14巻、11号、メディカ出版、2001年=平成13年11月1日、51-55頁): 関西大学生命倫理研究会のメンバーとともに、ケアの倫理について、日本救急看護学会準機関誌『エマージェンシィー・ナーシング』に連載しました。その第1回です。連載記事のプランナーとして連載内容の紹介をした記事もごらんになれます。また、連載最終回は、<ケアの倫理>の語られる理由、ふたたび(Emergency Nursing, 15巻、8号、メディカ出版、2002=平成14年8月1日、58-62頁)

9.03 倫理学は、なぜ、いかにして環境問題に関わるか21世紀フォーラム、74号、政策科学研究所、2000年=平成12年7月20日、32-37頁): 表題のテーマをあつかい、特集「環境倫理 協調と進化の課題」の一部として掲載されたものです。

9.02 脳死は人の死か」再考 脳死・臓器移植再論週刊読書人、2309-2311号、1999=平成11年11月5日、12日、19日): 週刊読書人で1999年9月から15回にわたって連載されたシリーズ読物「脳死・臓器移植再論」の一部として掲載されたものです。シリーズの執筆者は、順に、村上陽一郎氏、西島建男氏、私、粟屋剛氏、山口研一郎氏、波平恵美子氏でした。

9.01『学問の鉄人が贈る 14歳と17歳のBookガイド』(河合塾編、メディアファクトリー、1999年=平成11年1月11日、169頁): 引用するのがはばかられるような題名ですが、さまざまな分野の研究者が中高生および大学生にむけてお勧め本(専門分野にかかわるもの1冊とそれ以外を1冊)をあげた特集本です。私は、デカルト『方法序説』とT・ヤンソン『ムーミンパパの思い出』をあげました。

 

10.〈おもな学会発表〉

10.15 「存在の政治と絶対無の政治」、日本哲学会、第75回大会、シンポジウム「哲学の政治責任――ハイデガーと京都学派」、2016=平成28年5月14日、京都大学。

10.14 「ハンス・ヨナスという問い」、京都ユダヤ思想学会、第7回学術大会、2014=平成26年6月21日、関西大学。

10.13 「技術、責任、人間」、第7回ハイデガーフォーラム、2012=平成24年9月16日、東北大学。

10.12 ”What is the status of the human being?: manipulating subject, manipulated object, and human dignity", in Uehiro Carnegie Oxford Conference 2012 (Life: Its Nature, Value and Meaning -- No Turning Back? Ethics for the Future of Life), 2012=平成24年5月18日、東京:国際文化会館。

10.11「ハンス・ヨナスのアウシュヴィッツ以後の神概念」、実存思想協会、ドイツ観念論研究会共催、第19回シンポジウム「20世紀の宗教哲学を再考する」、2010=平成22年10月3日、同志社大学。

10.10「価値多元社会における倫理、形而上学、宗教」、宗教倫理学会、第11回学術大会シンポジウム「宗教倫理と倫理学」基調講演、2010=平成22年10月2日、キャンパスプラザ京都。 この内容は、『宗教と倫理』11号、5-24頁、宗教倫理学会、2011=平成23年10月29日に掲載されています。

10.09「『仕事・職業・労働』をとりまく状況の倫理学的考察」、日本倫理学会、第59回大会共通課題「仕事・職業・労働」、2008=平成20年10月5日、筑波大学。

10.08「倫理、倫理学、倫理的なるもの」、日本倫理学会、第56回大会共通課題「倫理学の現実(リアリティ)」、2005=平成17年10月9日、岡山大学。

10.07「ケアの倫理の問題提起とその位置づけ」、日本法社会学会、2005年度学術大会全体シンポジウム「法主体のゆくえ」第2分科会「主体・ケア・物語」、2005=平成17年5月15日、専修大学。

10.06「ベルク教授との対話 倫理学(環境倫理学を含む)の観点から」、国際シンポジウム「風土と技術の近代」、2004=平成16年10月30日、関西大学。この記録は、『国際シンポジウム 風土と技術の近代 報告書』(2005=平成17年2月28日、関西大学)、128-142頁に収められています。(英訳は同じくp.285-p.299)

10.05「人間はいかなる意味で存続すべきか」、関西哲学会、第57回大会シンポジウム、共通課題「人間は特異な存在者か」、2004=平成16年10月24日、立命館大学。

10.04「倫理学の応答能力−生命倫理学を手がかりに」、日本倫理学会、第50回大会シンポジウム、共通課題「20世紀 倫理学の問い」、1999=平成11年10月17日 、大阪大学。

10.03「自然・環境・人間」、関西哲学会、第51回大会シンポジウム、共通課題「環境としての自然」、1998=平成10年10月11日、大阪大学。

10.02「隠れたしかたで働いている規範」、日本倫理学会、第40回大会シンポジウム共通課題「規範の基礎」、1989=平成元年10月21日、京都大学。

10.01「フッサールにおける習性の問題」、関西哲学会、第39回、1986年=昭和61年10月10日、名古屋大学。

 

11.〈最近の講演〉

11.18 「ケアの倫理からみたアドボカシー」、第9回日本看護倫理学会、2016=平成28年5月22日、京都テルサ。

11.17 「ケア関係、可塑的な自己、ケアと生」、麗澤大学道徳科学研究所特別研究会、2016=平成28年3月24日、麗澤大学。

11.16 「ハンス・ヨナスの自然哲学」、第8回一橋フォーラム、2014=平成26年9月5日、一橋大学。

11.15  「ケアと正義」、第14回Handai Metaphysica、2012=平成24年2月2日、大阪大学。

11.14  「Hans Jonasとの対話――グノーシス、生命、未来倫理、アウシュヴィッツ以後の神」、名古屋哲学会、2010=平成22年1月9日、南山大学。

11.13  「アウシュヴィッツのあとに、神を考えうるか 哲学者ハンス・ヨナスの思索」、大谷大学西洋哲学・倫理学会、2009=平成21年6月25日、大谷大学。

 11.12  「ケアの倫理の問題提起」 、南山大学地域研究センター共同研究、ヨーロッパ研究センター共催「EU統合の理念と現実」2008年度第3回研究会、2008=平成20年12月27日、南山大学。

11.11 「ハンス・ヨナスの《アウシュヴィッツ以後の神》概念」、関西大学哲学会、2008=平成20年6月28日、関西大学。

11.10 「ケアの倫理について」、楽学舎、2005=平成17年11月19日、アメジストホール。

11.09 「倫理とリスク・コミュニケーション」、公開ワークショップ「原子力リスクコミュニケーション活動の新たな成果を発信する」、原子力安全基盤調査研究「原子力の社会的リスク情報コミュニケーションシステム」プロジェクト(独立行政法人 原子力安全基盤機構安全基盤調査研 究)主催、シンビオ社会研究会(京都大学大学院エネルギー科学研究科)共催、2005=平成17年10月26日、キャンパスプラザ京都。

11.08 「環境倫理学の観点から」、公開ワークショップ「安全・安心のためのリスク管理・倫理とコミュニケーション」(主催:「原子力の社会的リスク情報コミュニケーションシステム」プロジェクト(経済産業省原子力安全・保安院安全基盤調査研究)、共催:シンビオ研究会(京都大学大学院エネルギー科学研究科)、2004=平成16年12月8日、京大会館。この記録は、平成16年度原子力安全基盤調査研究「原子力安全基盤調査研究「原子力の社会的リスク情報コミュニケーションシステム」に関する研究」、2005=平成17年3月、京都大学、176-179頁、公開ワークショップ報告書「安全・安心のためのリスク管理・倫理とコミュニケーション」、2005=平成17年1月10日、京都大学、122-127頁、に掲載されています。

11.07 「応用倫理学各分野の基本的概念に関する規範倫理学的及びメタ倫理学的研究」(科学研究費補助金基盤研究(B)(2)、課題番号16320001、研究代表者坂井昭宏、北海道大学)第1回研究会ワークショップ「応用倫理学の倫理学研究への貢献」(北海道大学、2004=平成16年8月30日)で「倫理学「者」の役割」と題して話題提供。この記録は、『応用倫理学各分野の基本的諸概念に関する規範倫理学的及びメタ倫理学的研究 平成16年度研究成果報告書』、2005年2月、北海道大学、13-18、34、45-46、52頁に収められています。

11.06 「産業保健にかかわる個人情報」、サンユー会「産業医・実務担当者合同セミナー」、サンユー会、万有製薬主催、第9回、2003=平成15年10月16日、大阪朝日生命ホール、10月23日、銀座ガスホール。 この講演内容は、「科学と社会」溝口宏平編、大阪大学大学院文学研究科広域文化形態論講座文化基礎学専門分野、2004=平成16年2月 、27-34頁に掲載されています。

11.05  「正義と、正義と境を接するもの」、関西公共政策研究会、第23回例会、2003=平成15年4月5日、京都大学。

11.04  「看護の本質がケアにあること」、佐賀医科大学附属病院看護職員研修、2002=平成14年12月2日、佐賀医科大学。

11.03  「応用倫理学の意義と情報倫理学の位置」、FINE(情報倫理の構築)千葉フォーラム、第29回、2002=平成14年11月8日、千葉大学。

11.02 「応用倫理学に関わる理由」、哲学若手研究者フォーラム、2002=平成14年7月13日、大学セミナーハウス。

11.01 「脳死はひとの死か? この問いのあいまいさ」、在日本朝鮮人医学協会、第22回学術報告会、1999=平成13年12月3日。

 

12.〈その他、シンポジウム・特定質問・拙著合評会〉

12.09 「品川哲彦著『倫理学の話』(ナカニシヤ出版、2015年)」書評、(『社会と倫理』第31号、南山大学社会倫理研究所、2016=平成26年11月30日): 拙著にたいする奥田太郎氏、永守伸年氏、岡本慎平氏の書評とそれにたいする品川の応答。

12.08  「ヨーナス哲学を考える」、第13回「生命の哲学」研究会、2009=平成21年7月4日、大阪府立大学中之島サテライト教室。拙論「ヨナスの<アウシュヴィッツ以後の神>概念(一) ユダヤ人で哲学者であること」「同(二) 全能ならざる神と人間の責任」の合評会。コメンテイターは、森岡正博氏、細見和之氏、吉本陵氏)。

12.07  ワークショップ「『生命の哲学』の可能性を考える」、応用哲学会、第1回研究大会、2009=平成21年4月26日、京都大学。森岡正博氏とのセッション。当日の私の資料はこちら。森岡氏のサイトにも紹介あり。

12.06  William LaFleur 教授(ペンシルヴェニア大学)"Peripheralized in America: Hans Jonas as Philosopher and Bioethicst"の特定質問、2009=平成21年1月23日、京都大学。(英文での質問はこちら

12.05  拙著『正義と境を接するもの 責任という原理とケアの倫理』合評会、平成20年度科学研究費基盤研究(B)「生命・環境倫理における『尊厳』・『価値』・『権利』に関する思想史的・規範的研究」(課題番号20320004、研究代表者盛永審一郎)第1回研究会、2008=平成20年7月27日、桜美林大学淵野辺キャンパス。質問者、江口聡氏。 当日の応答は、『生命倫理研究資料集III−II 生命・環境倫理における「尊厳」・「価値」・「権利」に関する思想史的・規範的研究』、富山大学、2009年3月16日、264-308頁に収録されている。

12.04  拙著『正義と境を接するもの 責任という原理とケアの倫理』合評会、大阪府立大学現代思想研究会と「生命の哲学」研究会共催、2008=平成20年7月21日、立命館大学大阪オフィス。質問者、森岡正博氏、野崎泰伸氏、吉本陵氏。

12.03  Nikolaus Knoepffler 教授(イエナ大学)”Das Prinzip der Menschenwürde und das Klonen mit therapeutischer Zielsetzung"(「人間の尊厳という原理と治療目的でのクローニング」)、平成19年度科学研究費補助金・基盤研究B(一般)「生命の尊厳をめぐるアメリカ対ヨーロッパの対立状況と対立克服のための方法論的研究」(研究代表者:盛永審一郎、課題番号18320008)、2007=平成19年1月27日、東京大学での特定質問、『続・生命倫理研究資料集II』(富山大学、2008=平成20年3月21日、225-253頁)に当日の応答を収録。

12.02  シンポジウム ヘルガ・クーゼ『生命の神聖性説批判』、平成19年度科学研究費補助金・基盤研究B(一般)「生命の尊厳をめぐるアメリカ対ヨーロッパの対立状況と対立克服のための方法論的研究」(研究代表者:盛永審一郎、課題番号18320008)、2006=平成18年12月26日、京都女子大学でシンポジストを務めた。『続・生命倫理研究資料集I』(富山大学、2008=平成20年3月21日、23-85頁)に当日の応答を収録。

12.01  関西哲学会第59回大会共通課題「倫理と現実」、2006=平成18年10月22日、神戸大学で、特定質問。『アルケー』15号、関西哲学会、2007=平成19年6月30日、42-45頁にその内容「現象学的方法でカント倫理学は発見できるか――工藤和男氏への質問」を収録。

 

13.〈研究助成〉(研究代表者および研究分担者として関わったもの。研究協力者として関わったものは除く)

13.16 科学研究費補助金、基盤研究(C)、「ヨナス哲学の反時代的見解のもつ時代的意義の解明」、研究代表者品川哲彦、課題番号26370038、2014=平成26年〜2016=平成28年。

13.15  科学研究費補助金、基盤研究(B)、「世界における『患者の権利』に関する原理・法・文献の批判的研究とわが国における指針作成」、研究代表者小出泰士、課題番号26284006、2014=平成26年〜2016=平成28年。

13.14 科学研究費補助金、基盤研究(A),「尊厳概念のアクチュアリティ――多元主義的社会に適切な概念構築に向けて――」、研究代表者加藤泰史、課題番号25244001、2013=平成25年〜2017=平成29年。

13,13  科学研究費補助金、基盤研究(C)、「ハンス・ヨナスの哲学の統合的かつ重層的な理解の構築」、研究代表者品川哲彦、課題番号23520044、2011=平成23年〜2013=平成25年。

13.12 科学研究費補助金、基盤研究(B)、「世界における終末期の意思決定に関する原理・法・文献の批判的研究とガイドライン作成」、研究代表者盛永審一郎、課題番号23320001、2011=平成23年〜2013=平成25年。

13.11  科学研究費補助金、基盤研究(C)、「ヨナス哲学の展開と統合――グノーシス、生命、未来世代、神――」、研究代表者品川哲彦、課題番号20520032、2008=平成20年〜2010=平成22年。

13.10  科学研究費補助金 基盤研究(B)、「生命・環境倫理における『尊厳』・『価値』・『権利』に関する思想史的・規範的研究」、研究代表者盛永審一郎、 課題番号20320004、2008=平成20年〜2010=平成22年。

13.09  科学研究費補助金 基盤研究(C)、「ケア・責任・正義の相補的連関に関する倫理学的研究」、研究代表者品川哲彦、課題番号16520030、2004=平成16年〜2006=平成18年。

13.08  科学研究費補助金、基盤研究(B)、「比較文明史的アプローチにおける技術と自然の変容過程序説」、研究代表者木岡伸夫、課題番号16320015、2004=平成16年〜2005=平成17年。

13.07  科学研究費補助金、萌芽研究、「ケアの倫理の基礎づけ」、研究代表者品川哲彦、課題番号14651006、2002=平成14年〜2003=平成15年。

13.06  関西大学重点領域研究助成、「現代の倫理的諸課題に対処しうる規範学の再構築」、研究代表者品川哲彦、2003=平成15年。

13.05  関西大学学術研究助成基金奨励研究、「気づかうこと(care)についての倫理学的考察」、研究代表者品川哲彦、2002=平成14年。

13.04  倶進会研究助成、「21世紀の大学における”新”教養教育の構築――教養教育の目標の明確化および継続的改善のための具体的方策の確立、研究代表者札野順、2001=平成13〜2003=平成15年。

13.03  上廣倫理財団研究助成、「生命倫理学における自由主義の検討」、研究代表者品川哲彦、2000=平成12年。

13.02  科学研究費補助金、総合研究(A)、「応用倫理学の新たな展開 −倫理学におけるミクロ的視点とマクロ的視点の総合をめざして−」、研究代表者佐藤康邦、課題番号06301005、1994=平成6年〜1995=平成7年。

13.01  科学研究費補助金、一般研究(B)、「表現におけるアイコニシティと意味作用」、研究代表者金田晋、課題番号05451012、1995=平成5〜1997=平成7年。

 

14.〈本務校以外での研究活動〉

大阪府立大学21世紀科学研究機構、現代生命哲学研究所、客員研究員 2009(平成21)年7月1日〜

ケルン大学客員研究員 2007(平成19)年4月1日〜2008(平成20)年3月31日

 

15.〈大学教育・大学行政に関わる仕事〉

役 職

関西大学社会連携部副部長、高大連携センター長、地域連携センター長、2016年10月1日−

関西大学学長補佐、2003年10月1日−2006年9月30日

平成17年度文部科学省「特色ある大学教育支援プログラム」、「人間性とキャリア形成を促す学校Internship 小中高大連携が支える学外型実践教育の大規模展開」、取組代表者、2005年7月−2007年3月

日本学生支援機構平成17年度大学等の地域的な連携を促すための事業 学校インターンシップ導入マニュアル作成編集委員長、2005年6月29日-12月1日

・講 演

「関西大学高大連携10年間の歩み――模索、成果、展望」、関西大学高大連携10周年記念シンポジウム、2013=平成25年12月14日、関西大学。

「大学は入試小論文に何を求めているか」、第一学習社、小論文指導研修会、2012=平成24年7月30日、静岡県コンベンションツアーセンターグランシップ。

「大学は入試小論文に何を求めているか」、第一学習社、小論文指導研修会、2010=平成22年8月20日、就実高校。

「人間の尊厳」、関西大学夏休み教員研修、関西大学、大学コンソーシアム大阪主催、大阪府教育委員会後援、2010=平成22年8月3日

「大学は入試小論文に何を求めているか」、第一学習社、小論文指導研修会、2008=平成20年7月31日、キャンパスプラザ京都。

「学校インターンシップ 学生・学校・大学にとってのメリット」、日本学生支援機構平成18年度「大学等の地域的な連携を促進するための事業――支部における学生生活支援プログラム」シンポジウム「学校インターンシップの意義ともたらす効果」(日本学生支援機構大阪支部・大学コンソーシアム大阪共催、2006=平成18年11月9日、大阪大学中之島センター)

「人間性とキャリア形成を促す学校Internship 小中高大連携が支える学外型実践教育の大規模展開」、平成17年度「特色ある大学教育支援プログラム」フォーラム、2005=平成17年10月24日、アクロス福岡。

「人間性とキャリア形成を促す学校Internship 小中高大連携が支える学外型実践教育の大規模展開」、毎日新聞大学教育改革フォーラム、2005=平成17年10月22日、梅田スカイビル。

「学校インターンシップ――大学コンソーシアム大阪の新たな試み」、第1回全国大学コンソーシアム研究交流フォーラム「連携でこそ実現可能な新たな学びの探求」、第5分科会「高大連携」、2004=平成16年11月27日、キャンパスプラザ京都。この内容は、冊子「連携でこそ実現可能な新たな学びの探求」に収録されています。

「大学から見た高大連携の理念と目的」、大学コンソーシアム大阪、第9回大学・高校間交流専門部会と府内高校の校長会等の懇談会、2004=平成16年10月22日、大阪教育大学。

「高大連携について」、民主教育協会(IDE)近畿支部2004年度学生生活研究セミナー「少子化時代における大学教育」、民主教育協会近畿支部、京都大学共催、2004=平成16年8月20日、京都大学百周年時計台記念国際交流ホール1) この講演内容は、「大学改革 教員渡世」に掲載。

 

16.〈研究評価・学会に関わる仕事〉

・研究評価

大阪大学大学院文学研究科・文学部外部評価委員 2011-2012

日本学術振興会特別研究員等審査会専門委員、国際事業委員会書面審査委員 2005-2007、2011-2013

日本学術振興会科学研究費委員会専門委員 2002-2004

・所属学会

日本哲学会   (編集委員 2011-2015、常務編集委員 2012-2014)

日本倫理学会 (年報編集委員・和辻賞選考委員・自由課題選考委員 2001-2003、企画実行委員 2007-2009、 監事 2009-2011、評議員 2011−2017、共通課題設定委員 2012-2014、共通課題実行委員 2012-2014、共通課題実行委員長 2013-2014

日本現象学会

関西哲学会  (委員 2010−、編集委員 2010-2016、編集委員長 2013-2016)

関西倫理学会 (委員 2002− 、編集委員 2006−2010、2015-2019、編集委員長 2008-2010)

応用哲学会  (理事 2010-2012)

京都ユダヤ思想学会

 

17.<その他の社会的活動>

関西医科大学ヒトゲノム・遺伝子解析研究倫理審査小委員会委員(2004-)

関西医科大学疫学研究倫理審査小委員会委員(2004-)

八尾市職員倫理委員会委員(2002-2006)

 

 

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