日々雑記


与謝蕪村

2010-11-1

さっそく安中新田会所跡旧植田家住宅から過日の講演会の概要を送付していただいた。感謝。

ただ、一か所、聞き取り違いがある。
大坂で活躍した画家を「大坂画人」とした点で、「ですから、京都出身の与謝蕪村や播磨出身ともいわれる森一鳳なども大坂画人に含まれてきます。」(p4中段5~6行目)は正しくない。

講演では(レジュメでも)、東成郡毛馬村出身の与謝蕪村は、諸国を歴遊した後、42歳の頃に京都に居を構えて活動したので大坂画人に含まれず、(逆に)播磨出身の森一鳳は大坂画人に含まれるということを述べた。これは当日聞かれた方も確認済。

読まれてヲイヲイ!と思われる方もおられるだろうが、そんなことは話していない…。
出す前にゲラをちょっと見せてくれればよかったのに、残念。

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上村松園

2010-11-1

事情により今日はもうひとつ。

「東の清方、西の松園」と称され、日本女性の美を追究した日本画家。明日から開かれる京都国立近代美術館「上村松園展」の内見会へ。

無知を承知で言うのだが、鏑木清方、伊東深水は男性であるのに対して、松園は女性。女性が同性の「美」を描くと、そこには美しいだけにとどまらない何かが描かれている。同性としての共感や眼差しであり、時には業であったり、愛憎と呼ばれるものなど様々だが、どの作品にも決して男性には窺い知ることのできない何物かが表現されている。

入ってすぐに《序の舞》がお出迎え。江戸時代の余韻が残る明治の当世女性像、感情は表情だけではなく、姿態、仕草でも存分に表出され、その後モチーフをそぎ落としてもなお馥郁たる日本女性の心と気品・・・。
その前では我々男性はやはり茫然と立ちすくむしかない。

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貝摺奉行・大龍柱

2010-11-2~4

沖縄へ。今年の那覇は涼しい。

貝摺奉行。
琉球王府の工芸部門を所管する。名前の如く琉球漆器のほか、絵画、木彫などを担当。
琉球漆器の時期判定はそう難しくはない。1609年の島津侵攻までは朱漆+沈金・螺鈿、17~18世紀では、黒漆+螺鈿、18世紀から1879年の沖縄県設置まで朱漆+箔絵・堆錦という技法的変遷。琉球漆芸は、李朝漆芸や中国漆芸と一見しただけでは、区別がつき難いが、そのデザインから判別が可能。
もちろん本土ではあまり関心はないが、既に海外では薄い空色の表紙をもつ詳細な報告も。Garner Harry Ryukyu Lacquer Percival David Foundation of Chinese Art:London(1972)

この下絵を描いたとみられるのが絵師。
絵師としては、王府の絵師と八重山蔵元絵師。前者の中には、田名宗経(仏師)の名も。蔵元絵師には下絵が現存。おおむね19世紀以降のものだが、図様はそう変わっていないはず。なかには白澤図も。

今年の首里城は向って右側が修復中。
毎年、ここで学生に説明しているが、正殿の朱漆を改修しているにも関わらず、どうして大龍柱・小龍柱を改めないのだろうかと不思議に思う。
現在は阿吽向かい合わせで立つ龍柱だが、種々の検討・考察から本来はともに正面を向く配置である。首里城の再建中から龍柱の向きに対して疑義が出ていたが、この際改めるべきだろうと思うのだが・・・。

沖縄到着の夜、大学より至急、科研費申請の修正を乞うとの連絡あり。大いに弱る。
いま、那覇なんですが・・・・。

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豊国大明神

2010-11-5

京都・西方寺豊臣秀吉像。

両脚部材に「慶長四年六月廿八日」と康厳、康住の銘、後頭部にも「慶長八年六月中旬」の日付と康住と猶子 大貳、実子 康巌の銘。
不在中、色々とあったらしい・・・。

秀吉没後の翌年に制作が開始され、頭部を4年かけて制作。
なにしろ「豊国大明神」なる神様ですから、慎重にも慎重を重ね・・・、問題は髭の有無。周知のように秀吉の髭は付け髭。
秀吉画像でも髭の有る画像と髭のない画像が存在。制作途中、「豊国大明神」たる容貌をどうするかということで議論百出。修復前の顎には手を加えた痕跡も。

そうした議論や痕跡をおもんばかってか、今回の修復時には髭を添える・・・。大きさ(像高81cm)といい、制作時期、作者からみて「豊国社」の御神体という気もしないではないが・・・。

西方寺・豊臣秀吉像は「京都非公開文化財特別公開」で11月14日まで公開。

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住吉さん

2010-11-6

大阪の人は「すみよっさん」という。大阪市立美術館特別展「住吉さん-住吉大社1800年の歴史と美術-」を見学。

神奈川歴博「 神々と出逢う-神奈川の神道美術」でも出品された鶴岡八幡宮の「住吉神像」など様々な資料が居並ぶなか、注目は「天橋立・住吉社図屏風」。
「天橋立図」隻には、宮津城に入場する武士の一団が描かれる。これは寛文9年(1669年)に丹後宮津藩に移封された永井尚征だろう。そうすればこの屏風は17世紀後半に制作されたもの。講演会でも映し出されたグラーツの「大阪城図屏風」と同じ頃の作品とみられる。

そのほか、住吉大社に奉納された庭山耕園ほか大阪画人による奉納扁額も。平面資料が多いものの数少ない大阪の神社における歴史と美術を展覧。

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意外に汚い現代アート

2010-11-7

現代アートは意外に汚い。
公園の枯葉や廃材置場の廃材などを拾って来てペタペタ貼って「アート!」とのたまう作家の作品に限って美術館に展示したいなどと詰まらぬ「ラベル」にこだわる。ご法度である「土」を持ち込んでカビを繁殖させ、あまつさえ作品からクモ(蜘蛛)も登場し館長が罷免された事例も目新しい。
今回の一件(展示前燻蒸)も毎度のことのようで、計らずも現代アートは美術館にとって汚いものであることが露呈。

原因の一端はN社にも。各「美術品センター」所属の社員もそうでない社員も美術品を扱わない普段は「引越し」担当。煩雑期には「fine art」の帽子を被っただけの美術品素人集団となることも。引越しがメ インなので「燻蒸」と聞いてトラックの荷台内を燻蒸する「引越しサービス」としか思っていない。だから下請けも「リン化アルミニウム」という穀物用燻蒸剤を使う。

一部上場企業なのだから、美術品輸送をいつまでも「引越しセンター」の延長の扱いじゃなくて、Y社のように「美術品センター」を集約、子会社化して早く専門家集団を作り上げるべきである。
技術の低下(特に美術品センターでない支店クラス)はこのところ目に余るばかり。研修ぐらいでは、どうにも回復し得ない状況である。

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春夏冬

2010-11-9

朝より風強し。

誰かが言っていたが、今年は「秋」がなかったという。
夏からいきなり冬支度である。すでに「雪やこんこん・・・」と灯油の巡回販売車も走っている・・・。
この時期は法文坂の紅葉が見頃ながら、今年は色付きも悪く、落花(葉)さかん。
週末に行くお寺さんからは「境内の木々も色付き始めておりますので楽しんで頂けると存じます」と連絡があった(実際に紅葉の名所である)のだが、どうだろうか。

最寄駅前の居酒屋には「春夏冬 二升五合」の色紙が貼ってある。「あきない ますますはんじょう(しょう)」と読むのだが、来年の時間割や諸々のお仕事も登場。
日も暮れすっかり肌寒くなったなか、「今宵はダイコン!」と思いつつ帰宅。(「大根はまだ高い!」との由で、大ハズレ)

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雀牌

2010-11-11

大阪・金剛寺不動明王坐像。「天福二季」「造立大佛師法眼行快」。ほかに小仏師たちの名も。
こちらもようやく解禁。
記者発表資料の銘記と写真では小仏師の箇所がちょっと違うのだが・・・。(「興心」の下に「實圓。)

ともかく、不謹慎ながら麻雀でいうところの「頭」が出来た。金剛寺二天像、法道寺金剛力士像・・・と続き、あともう少しでテンパイ。「両面待ち」といったところか。
この時期の大阪の作品群は複雑だけれど興味深い。本社が京都に移っても、なお先代の得意先であるエリアは大切な顧客・・・。

山口・佐賀での『運慶流』をみると各作品が雀牌のように見えて仕方ない。麻雀は全く知らないが、末端研究者とは思えぬ暴言。

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清水寺

2010-11-12

島根県へ。「黄砂」で折角の秋景色も霞む。残念。

足立美術館「横山大観-Yokoyama Taikan-展」を見学。
平日にも関わらず大勢の人でごった返している。

「庭園」で有名ながらもいつも「巨大な盆栽」にしかみえない。京都の寺院などでみる「庭園」とは似て非なるもの。まわりで感嘆の声を聞くものの、そうか?と思ったり。
大観展。数多くの大観作品が並ぶなか、「無我」(東博)や「南溟の夜」(東近美)の最終下絵っぽいものも。個人的には ?(真贋ではなく出来不出来) という作品も並ぶなか、先ほど食べた出雲蕎麦のお店に飾ってあった「平山郁夫」の色紙が思い浮かぶ・・・。
なるほど。

清水寺へ。
山陰唯一の三重塔に初めて登閣。境内の紅葉はこれから・・・。収蔵庫で久しぶりに十一面観音像や丈六阿弥陀如来坐像、阿弥陀三尊像とご対面。片隅には小さな畳座も新しく出来ており、冬にはご帰還、安座の由。
夕暮れとともに出雲市へ向う。

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腐れ縁の夫婦

2010-11-13

神迎祭まじかで賑わう出雲大社を参拝後、古代出雲歴史博物館で午後より講演会。展示資料にもふれての神道美術の魅力。

一般の人にとって「神仏習合(神仏混淆)」とか「本地垂迹」といっても馴染みが薄く、作品が展示されてもどれが「神」の影向であるのかの判別も難しい。まして「なんで仏像が展示・・・」といわれても、ひとひねり、ふたひねりあるので、なおさら。

スライドを準備しながらこちらもどう話(講演内容)を進めるべきかと思い悩む。そんな折に梅原猛氏と景山春樹氏との対談(『芸術新潮』1974.11)を寓目。
梅原氏曰く「神と仏が結婚して年月が千年もあり、それによって多くの子供が生まれているわけです。その結婚を無視して日本の文化は語れないわけですよ。結婚が悪いといっても千年の事実ですからね。私はこの結婚が悪いとは思いませんが」と。
そう考えると「出会い」の場は山岳(信仰)で、「本地垂迹」はさしずめ世帯主の問題なのか。確かにその子供とも思える「神仏混淆像」も多く存在。ならば「遷宮」はリフォームかとおバカな発想も。
後は「秘すれば花、秘せねば花なるべからず」(『風姿花伝』)からの展開・・・。

やや多岐にわたったが、場外乱闘?にもならずに無事終了。安堵しながら帰宅の途に。

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六角紫水

2010-11-14

近代漆芸家の六角紫水(1867~1950)は東京美術学校美術工芸科漆工部1期生。
キリンビールのラベルデザインが学生時代の紫水の作と伝えられる。 紫水は、明治29年~36年にわたって古社寺保存会の委嘱を受け、天心ともども国宝指定調査のために全国行脚。
その調査日記が公刊(吉田千鶴子・大西純子『六角紫水の古社寺調査日記』東京藝術大学出版会)されているが、作品に対峙した折の感想がありのままに記されており、滅法面白い。

「此程ノモノニテハ是迄見タル内最モ古ク且宜シキモノ 国宝トスヘキ価値アルモノト認ム」と大絶賛する作品もあれば、既に国宝に指定されている作品(今も重要文化財指定)でも「既ニ国宝指定済ナレドモ甚ダ拙作」と容赦ない。
この意見には私も同感するものの、調査記録に書けるかと問われれば、さすがに躊躇する。なかには「殊ニ元信ト称スル屏風ノ如キハ嘔吐ヲ催スヘキモノ」と全否定の作品も。

全国を駆け巡りながら眼前の作品を一刀両断していく様は痛快。指定作品のラベルしか見えない者への必読書でもある。読みながら、かつて調査した作品も登場。やや不安気に下した判断に間違いはなかったと六角先生のお墨付きもいただく。

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Kan-Dai1セミナー

2010-11-16

午後より奈良市立一条高校にて出張講義。

予定より少し早くに着いたのですぐ傍の海龍王寺へ。
本尊十一面観音立像をまじかにで拝観。彩色や截金、金泥がよく残る作品である。堪能した後、脇にある不動明王、愛染明王坐像。愛染明王像は永享12年(1440)「椿井丹波公」の作品。不動明王坐像は康尚風の作品だが、膝前の衣文がどうもそぐわないような気も。
脇にある毘沙門天立像は素地像、彫眼。平安末~鎌倉とされているもののそうは思えず、ひょっとして仙算?とも思ったが、これもまた違う・・・。南都はいつも難しい作品が多い。

そうこうしているうちに予定の時間。50分×2回の模擬授業。少しアレンジしたが、5分ほど前に終了。残った時間を利用して文学部の紹介。ここが肝心(本筋)。高校生とはいえ、大学を出た後の就職も大きな不安材料。しっかりフォローして、担当の先生から「ナイス!」(とはさすがに仰らなかったが)と、ねぎらいの言。

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研究例会

2010-11-17

東西学術研究所日本仏教研究班の研究例会。
達磨彫像についての発表に次いで、『続日本後記』、『血盆経』関係の台湾儀礼。

『洛陽伽藍記』(547年)に「西域の沙門で菩提達摩という者有り、波斯(ペルシア)国の胡人也。」とあり、ソグドの人とも。少なくとも中国の高僧ではない。これほど有名にもかかわらず近世までの日本彫刻としては奈良・達磨寺像、京都・円福寺像のみ。実に不思議にも・・・。

3本の発表が済むと既に日没。有志で駅前で一献。

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博物館実習展

2010-11-19

関西大学博物館実習展。
今年のテーマは粟おこし・化粧・上方浮世絵・ひなまつり・タバコ。
いつもながら実習展開催にあたり、出品や資料提供など企業様、個人の方より多大なご支援、ご援助を賜う。深謝しきり。

大きな「雛掛軸(掛軸雛)」(大正時代)にまずは驚き。横長の掛幅。画面上段には天幕、下段には白砂青松が描かれている。画面には留金がいくつか付いており、この部分に布製押絵で出来た男雛・女雛を引っ掛ける。冠などは別製。下段は神功皇后と武内宿禰、その従者たち。
学生は気付いていないようだが、上は桃の節句、下は端午の節句である。岡山にある資料で、当時は「天満屋」で売っていたという。大正期とはいえ、ずいぶん珍しい資料に驚くも、いとも当たり前のように説明する実習生。こちらが知らないだけなのか・・・。
大阪名物 粟おこしの商標である「梅鉢紋」が「道明寺糒」に由来していることやカレンダーの引札、「日立ミシンおこし」など珍しいものを見た後はタバコ。

「敷島」の特大箱や戦時中のゴールデンバットである「金鶏」や「鵬翼」、東京五輪の「オリンピアス」「TOKYO64」の外箱・・・。キャプションにはレプリカとあるものの、あまりの精巧な出来ばえを不審に思い、借用先を尋ねると「タバコと塩の博物館」。どうぞ、どうぞと一方ならぬご支援・ご援助を賜う。
このご時世、「タバコは文化である」といっても無理だろうが、深謝しながらも博物館の行く末に一抹の不安も。
へビースモーカーが禁煙した後に嫌煙運動の旗手となるのも自由だけれど、勢いあまって近・現代社会や世相、文化の指標となる歴史的資料までを抹殺しようとするのはいかがなものかと思ったり。
予想に反して?実習展で大いに学ぶ。

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卒論と就活

2010-11-20

とある先生のゼミ生(おそらく3回生)から「卒論に関するアンケート」。卒論の素材とするらしい。
うちの大学では文学部のみが卒論必修である。既に提出したが、なかには面白い設問も。果たして卒論作成は社会に出てから役立つ(と教員は考えている)のかと。私は選択肢のうちの「役立つ」に「ハナマル」を付けた。

卒論提出に至るまで、「調べる」「考える」「発表する」「書く」という作業が続く。講義では「聞く」ということも。教員はそのどこがまずいのかを指摘し、アドヴァイスを行う。自分が目指したテーマだから、なおのこと他者に理解してもらえるように工夫しないといけない。これは社会でもまったく同じこと。

卒論演習は、社会人となる準備作業でもある。
アドバイスを受ける、よく調べる、ちょっとした気遣いや機転があり、自分の意見がよく分かるように説明できる、文章化する・・・。就活で問われる「明確な志望動機」や企業が求める「出来る能力」と同じじゃないかと思う。もちろん共にコピベや美辞麗句では通用しない。器は違えども、こねる生地は同じである。

以下、偏見。
新幹線新大阪駅ホームや伊丹空港国内線ロビーの書店には、様々なビジネス書が並ぶ。なかでも池上彰『伝える力 「話す」「書く」「聞く」能力が仕事を変える!』が最近の売れ筋との由。こちらからすれば、現役ビジネスマンも学生の頃は、卒論をサボった、あるいは書かなかったのかと思ったり。それすら、努力しない人は「FXで月100万円儲ける決定版 」「大富豪の教え 幸せな金持ちになる秘訣」などいかにも安直な本へ手が伸びる。
大学の授業で学ばなかったのか、「この世に正解など存在しない」ということを。

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“范”権所有者

2010-11-23

奈良国立博物館へ。

東大寺法華堂金剛力士立像をじっくり。まじかでみるため法華堂内にあった時より大きく感じる。
じっくり眺めた後、やはり気になるのは、胸甲や前楯等にみられる縁飾り。乾漆を盛り上げて菱十字文や花文などを表したバラエティに富んだものだが、これらは、スタンプ(文様木型:范)による型押し成型(成形)を連続して作られたものと思っている。

あまりに自明なことで、瑣末な事がらゆえなのかも知れないが、どこにも縁取りの乾漆盛り上げは「范」によるものとは書かれていない。同じ法華堂四天王像にも縁取りには范が使われている。たまたま押し間違ったのか、制作が急がれたのか、1箇所、天地逆に押された箇所もある。 同じ「范」が使用されるということは同じ工房で同じ時期に作られたと推測できるのだが、残念ながら同じパターンは見当たらない。
「怒髪、天を衝く」阿形像もあまり例をみない。「本当に1対の金剛力士像なのか。」と卒論で書いたら「じゃ、何だ?」と口頭試問で聞かれ返答できなかったことも甦り、予想以上に長く“滞在”。

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ゼミ希望者へ

2010-11-24

恒例の卒業演習ゼミ選択ガイダンス(弁当付)は12月1日との由。
あいにくその日は先約があり、出席できない。

そこで事務連絡。
長谷ゼミ(卒業演習)を希望する者で、相談などのある学生は、個人研究室で応じます。事前連絡は不要ですが、もし来訪して不在の場合は改めてメールでアポをとってください。
(12月1日以降も当分の間)
なお、昨夏に個人研究室が移動しました(新B1F→旧4F)ので、不安な人は哲学合同研究室で確認してください。

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鳥居古墳

2010-11-25

鈴鹿市考古博物館「土の中に眠っていたほとけさま」展へ。三重県下を中心とした塑像、セン(土+専)仏など。

セン仏は図様のみに注目していたのだが、センの厚さも気になるところ。薄いのから平瓦並みの厚さまで。
基本的に「レリーフ・タイル」(buddhist images in relief on clay tile)なので厚さも重要。つまり厚さが違うセン仏で同じ壁面を飾ることはできない・・・。とはいえ、天花寺廃寺の変形六角形セン仏は並べても壁面を埋めることができず、ちょっと異質。しかも結構肉厚。
遠江国分寺出土の塑像頭部は頭頂に至る長方形の木心をすっぽりと抜き去った痕跡も。きれいに木心が抜かれているので縄は巻いていないのかも。

チラシにも使用された鳥居古墳出土の「押出仏」。
火頭形で、縁には魚々子文。日本で打った魚々子なのでやや乱雑。中尊首元より下は欠けているのでその断面を見ると、まぁ!中尊頭部+ベース面の厚さを加えると2cm近くはあろうか。固定台で隠れてよくわからないが、少なくとも見える範囲では押出仏特有の凹面が見えない。脇侍像の表面も一部欠損しているが、穴は開かずに地金が露呈。細部は曖昧で表面も荒れている。
観察した限りでは、鋳型に銅を鋳流した「鋳造」による仏像レリーフ(銅板鋳出仏像)にしか見えないのだが、皆、自信?をもって「押出仏」とされる。展示では見えない裏面に表面の凸面と対応した形で凹みがあるのだろうか。
これを「押出仏」とする根拠を本当に知りたい。

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麒麟

2010-11-26

午後、院祭の発表を聞きに行く。
「頭が虎のようで角があり、体には鱗のある龍身で・・・」と映し出されたスライドから即座に思い浮かべたのが、某ビールのラベル。
コイツも確か王が仁政を行うときに現れる瑞獣・・・。

発表を聞きながら、どうも中国でごじゃごじゃした図像がある時期に整理統合が図られたように思えてならない。
例えば宇治・万福寺韋駄天像。創建期に作られた像は合掌した手の上に水平に宝棒が載る。ところが、現在の天王殿弥勒(布袋)像の背後にある韋駄天像は康煕43年(1704)頃に清で製作、請来されたもの。軽く体をひねり、躰部左前の長剣に右手を添える「見得を切った」ポーズ。旧像はさほど破損もしていないが“選手交代”。このタイプは中国でも確認済。

ことの推移を知らずして中国から時代遅れの旧像がもたらされ請来手本となったり、新様を従来からの伝統とみなしたものもあるだろう。必ずしも日本と中国とでは、最先端の状況がシンクロしないことにどれほどの人が気づいているのだろうかと思う。室町人が愛してやまなかった牧谿は12世紀後半の画家で、なおかつ同時代の中国ではボロカスに批評・・・。

学術発表の場でビールラベルを思い浮かべるとは、質疑応答の資格なしである。

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何も考えていない

2010-11-27

ネットを見ながら、「これって間違ってるよね」と末娘。
はぁ?と見た画面にはネットの記事をそのまま引用して、冒頭や最後に
「このニュース、ふ~んって感じでしたけど以外と気になる人も多いんですかね? 」と記すブログ。
アンダーラインを引くまでもなく「以外」は「意外」である。

「ちょっと(PCを)貸してみぃ。」と。
"このニュース、ふ~んって感じでしたけど以外と気になる人も多いんですかね?"と 「 " 」で括って、ググると、76件がヒット。“~意外と気になる人~”で検索すると、ゼロである。
「漢字書き取り零点!」と言いながら、「最近ニュースみてるとほんと凄い勢いで世の中うごいてるなって思うんだよね。」で検索すると、86件。
「後の『今見てたニュース載せとくよ!』も一緒だ!」と末娘。

「だから本とか新聞をちゃんと読まないと、人は考えることをやめてアホになる」ともアドヴァイス。

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首のすげ替え

2010-11-28

やんごとない雑事の後、同行者(関東人)を東大寺大仏殿へ案内。

「関西の人はお金(拝観料)がいるから、中門の前で写真撮って、帰る・・・」と相変わらずの減らず口。
かくいうこちらも久しぶり。

以前、大仏殿の傍でも発表したが、江戸時代、大仏殿では脇侍(如意輪観音像)→盧遮那仏(大仏)光背→脇侍(虚空蔵菩薩像)と復興事業が進んでいく。
ところが記録では如意輪観音像の造立が始まると、如意輪観音・虚空蔵菩薩の頭部のみをまずは製作。確かに顔の表情は瓜二つ。1体ずつ個別に製作していない・・・。
またまた・・・(実際に言われたが。トホッ)と思うこと勿れ。

傍らの四天王像も、多聞天像は下地に金箔や彩色、広目天像は素地のまま、増長天像と持国天像は頭部(素地)のみで、大仏殿の一隅に置かれている。時計を逆回転させると、まず四天王像の頭部を4躯分作り上げて、その後1躯ずつ躰部の製作と仕上げに移行。
(この仮説が)ちょっと不安だったが、後にT大学による目黒・五百羅漢寺の調査(悉皆調査!)でも同様の事項が指摘され、近世の群像はこうやって作ると、今や自信をもって説明。

大仏殿を出る頃には同行者も納得の表情。

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手ぶら

2010-11-30

喪中はがきが来るなか、高校の同窓会の案内。32年の歳月を隔てて8年ぶりの開催。

正月に地元で・・・ということながら、決して「正月に成人式」を行うような地方では、ない。むしろ相応の年齢ゆえに一堂に会するのが難しいのかもと。

「持参品」として写真やグッズなど32年前の思い出の品々を持ってこいという。
いやぁ~、そりゃ無理やろと個人的には思う。

“酸っぱい”思い出の品でなくとも歳月を経ていつの間にか周りから消え失せている。それこそ「手編みのマフラー」などが今頃ひょっこりとタンスから出てくるようなら血の雨(?)が降る・・・。
いや、こちらの記憶にはないものの、実家に行けば何かしら出て来るような気配。
「高校数学 Ⅲ」のテスト用紙(18点)なら笑えるが、「共伴遺物」として、手紙とかが出て来ると非常に厄介・・・。

既に察したのか「同窓会(案内)のハガキを見て何むずかしい顔をしてるのか」と家人。
思案したあげく、返信ハガキに「手ぶらでも出席可能か?」とひとこと。

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