日々雑記


屏風岩

2012-9-1

午前中、猪名川木喰会による「屏風岩」魅力アップの講演会。『摂津名所図会』にみる川辺郡の魅力と題して。
屏風岩とは北摂一の名勝と称される奇巌。

木喰会のご尽力もあって150名ほどが聴講。多謝。会場外ではパネル展も。会員の熱心な探索による布ヶ瀧や鬼ヶ門の写真、戦前のボートを浮かべた古写真など。

今回の機縁は このあたり にあり。
秋里籬島・竹原春朝斎らによる『摂津名所図会』は現地取材をもとにしただけあって、彼らの足跡が判明する。講演では「足取りはほぼ今の能勢電鉄日生中央線沿いに・・・」と。大阪近郊の湯治場である平野湯など、あれこれ紹介しながら、『図会』のなかでも4枚続の挿絵は数少なく、そのうちでも往時の風景と現在の風景が一致するのは「屏風岩」しかなく、たいへん貴重であると。最後に口はばったく「関心がないと、人は忘れて、気がつけば失われてしまいます」と。

講演時間が少し余ったので質問を受け付ける。とある方が、「先生はTwitterで、『温泉大好き人間だけど、なかなか行けずテレビの温泉番組で我慢しています。』というコメントを知りましたが・・・」
いやいや、その方は(山口宇部市の)同姓同名の別人。私は残念ながらTwitterはしていません。
講演後は、聴講されていた能勢電鉄の方が来られてご挨拶。もっとPRすればよかった・・・。

午後松江に向かい、夕刻、松江駅前でのミーティングに参加。

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松江

2012-9-2

朝から松江駅前の「松江テルサ」で関西大学教育後援会地方教育懇談会が開催。

話題の水木しげる以外にもご当地には漫画家がいるぞとばかりにテルサ前には「ギャートルズ」。
園山俊二は松江市外中原町生まれ。島根大附属小・中学校から松江北高校、早大商学部へ。早大漫研の創設メンバー。

通い慣れた島根や鳥取で、こうした“地元ネタ”にはことかかない。昨夜は不思議がられるのを遠慮して「磯風清き六十里~♪」とか「(アサリほどの大きさの)『神西(じんさい)シジミ』があるじゃない」などとつぶやいていたが、学部懇談会では「自己紹介」もあって、本性?をあらわに。

それが受けたかどうかは知らないが、個人面談は実にスムース。
遠方からお越しの保護者から個人面談という順で、まずは「雲南市三刀屋」。
「(私は)三刀屋が(松江から)それほど遠いとは思えません。高速道路もあるので、鳥取あたりとそう変わりませんのに」と。保護者の方もわが意を得たりと、ご質問やご相談の数々。
もちろん出雲市の保護者には挨拶代わりに「出雲博、もう行かれましたか?」と。
昨日、お目にかかった役員のおひとりは「邑南町」からのお越しで、今日、就職体験を語る学生は隠岐、個人面談は三刀屋と。津々浦々に関大生がいることを実感。
ローカルな話題にも触れつつも、3時前に終了。

残暑残るなか もちろん延泊。ご当地に来ると、色々と・・・。

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国来、国来・・・

2012-9-3

『出雲風土記』冒頭に「くにびき(国引き)神話」がある。八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)が、初めて造った出雲国は小さく、大きく国土を広げようと沖合の島に綱を掛けて、「くにこ(国来)、くにこ」と引っ張ってきて(4回も!)、今の島根半島を造ったという。
引っ張ってきた島々が流されないように、大山と三瓶山を杭にして綱をくくり付けたとも。

朝から、平田・來間屋生姜糖本舗へ出向き、(写真中央の店舗)カミサンご所望の「生姜糖板」を買い求めた後、一畑電鉄沿いに松江、美保関へ向かう。もちろん在阪デパートでも販売しているのだが、ここは出雲和泉のカミサンの言うとおりに。

境港の町並みが見えしばらくすると美保関。美保神社に参拝後、青石の石畳を通って、すぐそばの仏谷寺へ。

仏像は何度も見たが現地で見るのは初めて。
収蔵庫にある一群の仏像は中央とは別の理念によって造られた平安時代の一木彫で、「出雲様式」と称されている。
今しがた見てきた対岸の境港は鳥取県、境港と指呼の距離にある美保関は島根県で、境港周辺あるいは大山山麓にも「出雲様式」の仏像があるんじゃないかと憶測する。
確かに万福寺や禅定寺などの仏像と並べると「出雲様式」と思うかもしれないが、境港周辺や日野川沿いにもそうした作品がないとも限らない。
現行政区画をそのまま旧国にあてはめ、地方様式と規定するのはどうかと思う。考古学ではよくある話だが、同じ遺跡でも行政区域が異なると、別々の遺跡名が付されることもあった(最近は同一遺跡名に統合されつつあるが・・。)
来てみないとわからないことも多い。港の先をみながら、「仏像、くにこ、くにこ」とつぶやく。

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竹生島

2012-9-4

早朝に自宅を出て、長浜港から竹生島へ。宝厳寺唐門の写真撮影立ち会い。

二転三転した唐門だが、ここに至って唐門の高さ、幅とも切詰められた感じ。正面を飾る銅板装飾もかなり切り刻まれて、いかにもそれらしく新たに打ちつけてある。
見上げると七宝繋ぎ文が描かれているが、これも統一感はなく、どうも部材をいったん解体して再び、この敷地に合わせて組み上げたのだろう。
唐門から続く観音堂も豊国廟から移したものと伝えられており、壁面には同じような区画があり適宜、牡丹の透かし彫りが残る。
観音堂で手を合わせて内部をよく覗き見ると、おやっ。
桁行5間、梁間3間ながら、本尊宮殿(江戸時代後期)は、桁行4間の部分。内部の折上格天井には菊文など。
残暑厳しく脳内オーバーヒートなので妄想もいくつか。
豊国神社からは唐門・現観音堂の建築部材が解体されごっそりと竹生島へ移築。その部材と宝厳寺旧観音堂の部材を適宜、利用して宝厳寺唐門と観音堂を新築。唐門扉の構成(区画)は観音堂側面の壁面と同じなので現在の扉はもともと豊国廟唐門の扉ではなく、壁面部材を唐門扉に転用。
従って豊国廟の痕跡が残るのは、蛙股の透彫り彫刻や飾り金具の一部。
隣接する都久夫須麻神社本殿(これも伏見城日暮御殿を移したとされる)には正面扉、左右壁面も彫刻で飾られていることから、壁面を飾る牡丹や庇下の彫物を唐門にはめ込む・・・。
大胆な改造を大胆に妄想。

15:50の最終便で長浜港へ。それにしても暑い一日。

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会議

2012-9-5

恒例の如く、夏休み明けの会議。
定足数には達したが、さすがに少ない。全く秋を感じさせない天気だが、そろそろ夏休みも終わり・・・というか、今年はもう全開モード。

展覧会も正木美術館のみ。夏休み前に「タダやから行きなさいよ」と学生にすすめた大出雲展(京博)もまだである。週末に高橋由一展とセットで見る予定。

会議終了後、久しぶりに総合図書館へ。

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そんなん、あり?

2012-9-6

朝から選挙カーが連呼。
起きているとはいえ、さすがに寝覚め まもない時に「○○、○○をどうぞよろしくお願いします」と大音響で流されると、ボケッ!と叫びたくなる。
駅に着けば、狭小なスペース(駅前広場はない)にお伴を従えた候補者が3組も4組も並んで、再び大連呼のなかをくぐって改札へ。マジで通行の邪魔になってるんやけど・・・。

我が家でこの駅を使うのは私だけで、他は山手の私鉄駅を利用。
「見た、見た!」「今日もおったで~」と娘たちや家人。
私鉄駅前では、フルフェイスのマスク被ったまま選挙活動している候補者もいる。前職は覆面プロレスラー。候補者氏名もリングネーム。
知名度が低い田舎なのはわかるが、そういう目立ち方とは方向が違うやろと思ったり。

「通っても(当選したも)、あれ(覆面)で議会へいくの?」と家人。
「そりゃ、行くやろ。岩手県にもひとりおるけど、『品位を落とす』って議会でもめた」。

国・府はもとより市町村すら住民不在。「(国会・地方議員の)仕事はなんや?」と問うてみたくもなるが、さすがに田舎の選挙はひと味もふた味も違う。

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聞かぬが花

2012-9-7

9月に入っても暑い日が続く。

このところ不在が多く、ふと気付くとベランダに植物が伸びている。既に園芸用ワイヤーで添え木がなされているが、葉をみると朝顔ではない。なんやろ?と思いながらもここは聞かぬが花。
いくつか黄色い花も咲く。ますます不思議である。普段はプランターでハーブやらミントやら“草っぽい”(←こういう言葉遣いがトラブルを招く・・・)のだが、花が咲くとは。

今朝、その片鱗がわかった。よく見ると小さなゴーヤが実っている。ようやくのこと聞けば、「調理の時に出たゴーヤの種をためしに植えたのだが、ここまで育つとは。」とは栽培人の弁。
大阪もとうとう亜熱帯かと思っていると、顔に出たらしく「日本中どこでも植えているよ」と。

収穫まではもう少しかかることだろう。さて秋の実りとなる「我が家のゴーヤ」は誰が食べるのか。
やっぱり・・・。

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みるく

2012-9-9

昨夜遅くに沖縄のN氏より電話。
電話の後ろがざわめいており、かなりきこしめしているご様子。ちょっとハイテンション。琉球方言も混じって、よくわからないが、今大阪に来ているので、明日 会いたいという。場所は大正区の千鳥公園。えっ? はぁ? どこ?
詳しくは語らず、電話は切れる・・・。
家人曰く「今日、そこで綱曳きがあった」とも。???

大出雲展と高橋由一展をあきらめて、千鳥公園へ。
大正区区制施行80周年、沖縄の本土復帰40年記念の「綱・ちゅら・エイサー祭」。
仮設テント内でN氏と。「貫禄が出ましたね」「昔と変わりませんね」と久闊を叙す。過日の電話で大阪へ行くって言ってくれればよかったのに。「与那原大綱曳」は昨日行われ、綱は演舞場の結界代わりに。仕事の話は抜きで挨拶もそこそこにオリオンビールを飲みながら木陰でエイサーなどを見物。

演舞場にみるく、登場。
「みるく」といっても、飲むミルクではない。「みるく」とは、弥勒菩薩。見ての通り顔(仮面)は布袋様である。宇治・萬福寺の布袋像を弥勒菩薩像と呼ぶのと同じ感覚。手に団扇を持つところまで。

舞台の裏山は「昭和山」(33m)。1970年頃に大阪地下鉄建設で出た残土で貯木池を埋め立て、さらに盛り上げて作った人工山。

沖縄県民の大阪移住は、大正9、10年頃から昭和初年まで続いた沖縄での「蘇鉄地獄」(飢饉によるソテツ食用中毒)から逃れるためであった。昭和山麓?にはたくさんの蘇鉄が植えられているが、公園を造った当時、既に蘇鉄が大阪移住の一因であったことを知る人が少なかったのだろう。

再びN氏に挨拶をして3時過ぎ、帰宅の途に。結局、昼間から飲んだだけ・・・。

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校務多忙

2012-9-10

朝に大学博物館でセレモニーに参加後、踵を返して某府立高校へ。学校インターンシップ受け入れに対するご挨拶。

夕刻、帰宅すると コラム がUPされていた。大学はいろいろしないといけないとは覚悟するものの、最近本業がごぶさた。このまま秋学期に突入するのだろうか。
後は「関大通信」。13学部平等の折、200から230字。細かい字でがっつり揃えてもみにくいだけで、もう少し分けて連載してもよさそうなものだが。

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ご来学には及びません

2012-9-12

某所でお会いした大手企業の部長さん。「一度お伺いし、弊社の文化(文化財)セミナーにご尽力を」とご依頼。貴殿、ご多忙の由にて来学には及びません。詳細は郵便やメールで構いませんと快諾。ところが、「取締役社長が、一度ご挨拶を」と返ってきた。さて、どうしたものか・・・。

「では、お待ちしています」と答えれば、「オレ(部長)では、役不足ってか!」と思うかも知れないし、肩書で右顧左眄する者と思われては、こちらの姿勢とも相反する。とはいえ「来学には及びません。」とすれば、平等ながらも、社内での部長の立場も辛くなろう。

メールをみながら嘆息していると、横から「(研究室に)来てもらったらええやん」と。
黒塗りの大型セダンが研究棟そばに横付けされて、社長一行ご来学。プリントや書籍類が散乱している個人研究室へお招きし、プリント類を片側に積み上げて座席を確保。お茶も出ないし、ソファーに座りきれない部長などは立ったまま。やっぱり、ありえん。

ふと本社近くに美術館があることを思い出して、「某美術館の展覧会を見に行く予定ですので、その折にでも御社へお伺いしたいと思います」と思ったり。それでも展覧会カレンダーを眺めながら社長の動向予定を調整する部長の光景が目に浮かぶ・・・。

なんとなくすっきりしないので、返信メールは保留。どうしたものやら。

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根拠なき自信

2012-9-14

在職初の「成績発表に関する質問」(直筆なので別名「直訴状」とも)。

「穴埋め問題8割、『簡単な論述』2割だったと思うのですが、…穴埋めはきちんと正しい答えを(で)埋めたと思う。論述はひとつは少し自信がないものの、全体的には6割(合格ライン)をとれたと思うのだが、不可とはいかなることぞ」と。(推測の配点からして間違い)

質問者(文・法学部にあらず)の答案用紙をみると、
鳥獣人物戯画は東京の個人などが(住吉家伝来模本)と呼ばれる絵巻の一部分を所蔵し、東大寺南大門仁王像吽形像からは湛慶・(運慶)の名を記した経巻が出て、更に「南無阿弥陀仏」と称した(定覚)の名前もみえる。足利将軍家の道具控えとしては(銀閣)があり、足利(義政)は牧谿筆《瀟湘八景図》を掛幅装に改変する。長谷川等伯は堺の町衆がパトロンとなっていた京都の古刹である(狩野松栄)との関係を深め、天正18年には狩野派の棟梁である(狩野栄徳)が急逝。京都町衆の必須の古典教養は『源氏物語』よりも(本阿弥行状記)・・・。(カッコ内は回答。もちろん全て誤答)

どこが「きちんと正しい答え」なんや?、と思う以前にその「根拠なき自信」はいったいどこから湧いてくるのだろうかと不思議に思う。回答からみて授業の後半は出席していない模様。もちろん「簡単な論述」も推して知るべし。「10人」とか書いているうちは得点の埒外。成績は変わらず。

二十歳過ぎて「京都の古刹である(狩野松栄)」と書いているうちはアカンやろ。
バカ丁寧な回答書を作成する。

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慧燈大師

2012-9-15

某所で調査。“お東さん”のお寺。

いろいろと調査しているうちに「慧燈大師」と。はて、誰だ?
小事典を持参していた関係者がおり、「蓮如」との由。明治15年(1882)に明治天皇より「慧燈大師」の諡号を追贈されている。
ということは、「慧燈大師」と書いてあれば、明治以降の製作と判断できるのか・・・。

住職が戻ってこられて調査概要を説明。説明するうちにあれこれと文書を出してこられる。撤収した機材を再び取り出して追加の撮影など。

各分野で調査方法があろうものの、現場では古文書や絵画、彫刻といったこちらサイドの事情はまったく関係なし。仏像調査で「棟札」や「古文書」が出てくるのは日常茶飯事で 、写真だけでも撮って後は各分野の先生に任せるのが一番妥当と思うのだが「独断専行」という非難が出てくる始末。学者先生たちが考えていることはよくわからん。

どうでもいいことながら、一度、近隣の状況を視察したほうがよいと思うのだが・・・。

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KU‐ワークショップ

2012-9-16~17

KU‐ワークショップ in 六甲山荘。
今回は、ドイツ・ベルギー・中国・韓国・日本の大学院生。教員はS先生、O先生と私。総勢20名弱。合宿形式で研究発表会。発表内容も西洋絵画や言語、ドイツの就職事情や名付け、地域とアイデンティティなどなど。使用言語も日本語と英語。朝から夕刻までびっしり。

もちろんこちらの専門とは遠く離れたテーマながら“一応” 教員なので、コメントや質疑を発しないといけない。的外れなことを言って失笑を買うのも資質的に問題なので要旨をみながら頭フル回転。
でも院生とはいってもまだまだ学生である。こうすりゃ、もっと趣旨がはっきりするのにとか、基本情報がないなど、それなりの穴が見え隠れ。でも普段は聞けない(知らない)テーマ・内容も満載。

コンパもあったが、お酒も控えめにして「大真面目な」日々を過ごす。


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卒業式・修了式

2012-9-16~17

台風の影響で六甲山上は昨夜より大荒れ。
ワークショップは引き続き「発表総括」となるが、「早退」で8:30に六甲山荘を出て10時過ぎに大学到着。スーツに着替えて、3学舎C404にて「(文学部・文学研究科)秋学期卒業式・修了式」に臨む。

普段は行きもしない学舎なのでひたすら迷うことに。携帯が鳴る(「始まったぞ!はよ来い!」)なか、さんざん迷って到着。着いた頃には部長祝辞の途中。落ち着いたのも束の間、「修了証書」の授与。
本来は指導教員が授与するが、まだまだ「夏季休暇」で幾人かの先生は欠席。その代行。

院生(修士)の多くは海外からの学生。彼地の卒業は秋だから当然と言えば当然。
引き続き、学部卒業式。こちらはそれぞれにそれぞれの事情があって・・・。

午後からは打ち合わせ。スーツ姿ではまだまだ蒸し暑く、Tシャツとジーンズ姿にもどる。
いやぁ、これでも仕事しとるんよ・・・。

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理屈よりも資料

2012-9-19

朝は大阪都市遺産研究センターで、午後からは執行部新旧交代の打ち合わせ。明後日からは授業突入。

この時期限定の学生からの相談。博物館実習生。
ご丁寧にも企画コンセプトが示されるが、展示内容は全くといってよいほど関係ないもので、そこで「こんなモノ、お持ちですか」とやってくる。
「玩物喪志。私の周りには何もない」と返事。

関大の「博物館実習」は外の博物館・美術館へ実習に行かずに、実際に作品を借りて来て大学博物館で展示。安直なのは、企業の資料室などからごっそりと資料を借用。ただし業界全体はみえない(ライバル社の動きなど)。そうでないものは「企画」から練るものの、理論だけが先行し借用展示可能な資料はゼロ、という事態に。そうなると、展示ケースは解説パネルだらけにも。パネル展では木戸銭とれまへんで。

少しコンセプトを平易にするだけで、学内だけでも多くの資料があるのにとアドバイス。いっそのこと、作品を集めてから理屈をつけたほうがいいのに思うが、そこは“現代っ子”。この企画のどこが間違ってるんだとばかり、頑として修正しない・・・。どのみち、展示可能な資料は皆無に等しい。
理論(理屈)よりも事実(作品)である。

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じぇねれーしょん・ぎゃっぷ

2012-9-21

大阪市と大阪府が所有するモダンアートコレクションの中から投票による「ザ・大阪ベストアート」展。
1位 佐伯祐三《郵便配達夫》、2位 モディリアーニ《髪をほどいた横たわる裸婦》、3位 佐伯祐三《レストラン(オテル・デュ・マルシェ)》、4位 アンドレ・ボーシャン《果物棚》、5位 小磯良平《コスチューム》と。7位には森村泰昌《肖像(ファン・ゴッホ)》、福田平八郎《漣》も10位に。

アンドレ・ボーシャンが4位に入っているので画家の名前だけで選んだだけではなさそう。

小・中・高校(2校)・大学のベスト3も公表されているが、中学部門第1位の靉光《花(アネモネ)》は、小学、高校(B)でも第2位(一般投票38位)。
小学・中学の第3位は共に岡田三郎助《甲州山中湖風景》(一般32位)。高校(A)第2位は赤松麟作《裸婦》(一般27位)、そして小学生第1位は鍋井克之《兜島の熊野灘》(一般52位)。
ナイス・チョイス。

眺めてみると、世代のギャップがありあり。でも大学(大阪芸大)は立体がお好き。

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五趣生死輪

2012-9-20

授業開始。3コマ+会議。
概ね初回なので「ガイダンス」ながら、その後も確認しておかないといけない。シラバスは10カ月ほど前に書き、内容も忘却の彼方。

とある講義のひとコマに「五趣生死輪図」とある。ん?
おぼろげな記憶を辿ると、ネパール行を直前にしていた頃シラバスを書きながら、そうそう これ(五趣生死輪図)も、と追加したもの。

平安時代の『七大寺巡礼私記』には奈良・興福院の中門に掲げられていたと記されるが、日本古代・中世の作例は皆無。ネパールでも数多く見かけたし、アジャンター石窟や中国・大足石刻(宋時代)にもあるが、日本には作品がないため論文は梅津次郎が書かれたものぐらいしかない。
ところが、天保3年に江戸駒込・西教寺潮音が印刻し、解説として『五趣生死輪縁由』を著す。以後、潮音印刻本をもとにした五趣生死輪図は明治まで流行する。

なぜ潮音以前の日本に作例は皆無なのか、各国の図ともよく似ているが、潮音は何をもとに描いたのか(経典ではなく図像のうえから)など疑問は多い。
参考書も少なく講義を聴く学生もたいへんだが、こんな作品も世の中には存在すると理解するのが、「講義のねらい」。

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祭り

2012-9-22

祝日ながら各種入試で出校。

夕刻になると、あちこちで「祭り囃子」が聞こえる。有名な岸和田だんじり祭りは15日に終わったが、あれは岸和田城下町。その他のエリアは10月の第二土・日に行われ、明日は試験曳き。ただいま「祭り囃子」の練習、真っ最中。
既に電柱には“危険防止”の紅白幕も巻かれている。

この地車(だんじりの正式名称)は平成に新調したもの。勇壮な祭りにふさわしく、彫り物も武者関係が多い。ところが、武者に混じって聖徳太子童子像も座している・・・。彫りは富山・井波。

当地の公的委員会の委員になられた先生が「決して“だんじり”の話はしないで下さい。」と市職員から釘をさされて、「なぜですか?」とこちらに尋ねられたことも。
いやぁ、審議案件そっちのけで、「祭り」の話題で盛り上がり委員会終了となってしまうはず・・・。

地元はしばらく「祭り」一色。

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奇書

2012-9-24

調べごとがあって図書館で『鹿苑日録総索引』。特別蔵書(鬼洞文庫)なので貸出できず、当該項目を見ていくと、見開き頁が真っ白な部分がかなりある。頁数もなにもなく単なる白い紙。
最初は印刷ミスで単に空白頁が挟まったのだろうと勝手に思っていたが、あるはずの とある項目がない。ノンブルも飛んでいる・・・。
ちょっと困るなぁと思いつつ、『鹿苑日録』(本文)を見ることに。

新規購入を希望しなきゃと思いながら、よくまぁ、これまで誰も指摘しなかったものだ。出口神暁氏もこうした「奇書」だから蒐集したのかもと思ったり。

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アブナイ授業

2012-9-25

今の学生は小さい頃に古事記など日本神話を読んだ、読んでもらったという家庭はごく僅かである。
だから「国産み」「天岩戸」はもとより「素戔嗚尊」も知らない。

過日より50人弱の小さなクラスで日本神話と美術の講義。
「大学では真面目な講義が一般的ですが、ここでは少し違います。『イザナギとイザナミの二柱の神が矛で渾沌とした地面をかき混ぜて、矛の先から滴り落ちたのが淡路島なんです』と知らない人が廊下で聞くと「アブナイ授業」と思われるかも知れませんが」と。

意外に学生受けするネタに「水木しげる」と宮崎駿のアニメ「トトロ」「千と千尋の神隠し」。尾形月耕〈伊邪那岐・伊邪那美〉や月岡芳年〈神武天皇〉も好評。ただし共に長い髭をたくわえた長髪姿なので、見た目、「麻原彰晃」そっくりなゆえ。(「アブナイ授業」を無駄に補強)

もちろん、以後では神仏習合といったテーマも扱う計画。

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会議

2012-9-26

色々と残っているが、任期最後の会議。我ながらよく頑張りました。
リリーフの半期1年ながら、さすがに「勉強させてくれ」と叫びたくなることもしばしば。忙殺の元凶も身をもって理解できたが、今は秘守義務。次期はそんなに忙しくない・・・。

夕刻、天満で新旧の懇談会。

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情けないやら、腹立たしいやら。

2012-9-27

とある氏子が「鑑定団」に御像を出品依頼し、役員会で出品が決まったと連絡。まんざらでもなさそうな声で「センセのコメントが欲しいのだが・・・」と。要領を得ないと思ったら、傍にいるTV局スタッフと交替。

「出ていただけませんでしょうか」「(断固)お断りします」「なぜですか?」。
普段、授業(余談)で言っているように作品の価値を値段でしかみることができない下品極まりない番組だからとはさすがに言えず、「信仰の対象ですから」と。

調査で仏像の首を抜く者が言う科白ではないのだが、なぜ所有者がそう言わないのか、猛反対しないのか理解しがたい。御像の首に値札をぶら下げることがどんなことなのかを全然理解していない。
電話を切った後、あきれるやら、情けないやら。
調査もし、あれこれ動き、説明もしたが、なんのことはない。結局、値札が欲しい連中だったのかと。

値札をぶら下げられる御像が可哀そうで、可哀そうで、たまらない。
深酒しながら、世も末と思う。

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学生気質

2012-9-28

秋学期1週目終了。

恐れていた全学共通科目(一般教養)150名弱も無事に終了。教室は前後に扉があるので、講義中に後ろから退出。以前は講義している私の前を横切って前扉から退出する者もいた。全般的に静か。

1年生(秋)はちょっと異様。使用頻度があまり多くないAV教室にて開講。前時限に授業がないため電燈は消灯。別教室から飛び込んでくると、暗い中皆座っている。電燈ぐらいつければよいものの、誰も点けようとしない。
あまり自分勝手な者も困りものだが、指示待ちもかなり困る。専修に分かれていないので仲間意識が希薄なのかもしれないが、「ちぃすー」「センセ、日焼けすごい。バイト?」「何のバイトや」とやり取りする講義の後だけに調子もちょっと狂う。
(もちろん写真は関大の机にあらず。肥後守で「山口二矢」「岩下志麻」などが刻まれた年代物)

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たそがれフォーラム

2012-9-29

学会もあるが、原稿締切がかなり切迫しており欠席。

どの学会もそうだが「若手研究者」向けの研究発表がある。「若手研究者」といっても、定年後に一念発起されて、研究を続ける院生もいるので、見た目で判断してはいけない・・・。

ところが、昨年、学会で「たそがれフォーラム」が開催。一線を退いた研究者による懐古談のようにも思えるが、自虐的なタイトルとは裏腹に、発表者はいずれも現役の重鎮。誰が、発表に対して質問できるんだ? と危惧の念。いつも「ご質問の前にお名前とご所属を」と司会が聞いておろうが・・・。

昔、最前列に座っていた重鎮を目の前にして、その重鎮の論文を名指しで批判し、自説を展開した若手研究者がおり、周囲が青ざめたこともあったが(今も立派な現役研究者として活躍しています)、なかなか「たそがれ」を直截に批評するのは難しいと思う。

おかげで原稿のほうもようやく光明が差してきた・・・。

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マグダラのマリア

2012-9-30

台風接近で終日荒天。
風雨おさまった夜に家人・娘らと散歩。「花代」の提灯がぶら下がる・・・。なぜ「花代?」と。

「お夏清十郎」で有名な兵庫・室津に遊女の元祖友君の墓がある。友君は木曽義仲の第3夫人(山吹御前)。
流れ着いた室津で遊女となって舞いを見せ、客は寸志を渡すが、「これは『(木曽義仲への)花代』に、『線香代』に、」と渡したことによる・・・。
「トリビア!」「常識!」「なんで“花代”が常識やねん!」と激しく突っ込み。

うざくなるので、話はしなかったが、讃岐に流罪された法然は友君に会っている。自身の罪深さに苦しみ、いかにすれば救われるかと法然に尋ね、称名念仏すれば救われると説いて歌を贈っている。
「和風 マグダラのマリア」。

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