日々雑記


丹醸

2013-3-1

某市文化財審議委員会の後、伊丹に寄り道。

伊丹は酒造の地。鴻池善右衛門が酒造を開始し、清酒発祥の地となる。それまでの濁り酒から清酒へ改良したのも伊丹。
きっかけは一人の丁稚が番頭にきつく叱責され、腹いせに酒樽に灰を投げ入れた(『摂陽落穂集』)とも。
伊丹酒のほとんどは江戸へ回送され、『剣菱』が御膳酒ともなる。今でも酒造は認可制だが、宝暦4年に届け出制、文化3年に自由製造(「勝手造り」)となり、水運に便利な「灘」「西宮」へと移行。
うまい酒は酒好きの文人墨客を呼び寄せる。対応するのは酒造家。富をなした伊丹は文化も栄え、俳人上島鬼貫、岡田柿衞などを輩出。

散策するうちに「白雪」(小西酒造)の長寿蔵。ベルギービールで遅いお昼と思ったが、風強く雲行きも怪しくなってきたので帰阪。

大阪につくと、暴風雨。

top


近世仏師事績

2013-3-2

科研費による 近世仏師事績データベース 構築。
一応は入力したが、典拠文献の再確認や同名異人、異名同人の表示にかなり難渋。なるべく一度検索して、次の検索では当該仏師の事績がヒットできるようにしたい。したがって典拠頁の仏師区分の部分は抜本的に変更しないといけない。
「佐田文蔵慶尚」「佐田浄慶」「佐田文蔵羯摩堂」、知らない人はどう見ても別人だと思う(確認できる地域でこれらを知らないとなれば、それはそれで問題だが・・・)。

未見の文献も多数存在し確認も急がれるが、不十分ながら使えるようなものになった。
本日も終日確認修正、鋭意入力中。

top


道明寺天満宮

2013-3-3

午後、道明寺天満宮へ観梅。はや八分咲き。本殿前の能楽殿では剣武奉納も。

枝垂れ梅もきれいに開花。
「桜切る馬鹿梅切らぬ馬鹿」といわれるように梅は剪定しないと美しく開花しない。光琳《紅白梅図屏風》のように大きな幹はないものの、見事に咲いている。屏風でも紅梅の太い枝がいくつも折れており、そこから若い枝が伸びて紅梅が咲いている・・・。
などと、ぼやっと考えていると知人とばったり出会う。

参道には「大仙陵掛」の石灯籠一対(明治16年)。
大仙陵(仁徳天皇陵)の濠の水は、海側の舳松村・中筋村・北之庄村・湊村に利用。ところが、大仙陵はやや小高い位置にあるので、水集めに苦労し、狭山池から導水しようと画策し、拒否される。その後も狭山池と大仙陵を結ぶ線上の各村からの“買水”で確保。
明治16年に狭山池惣代と舳松村・中筋村・北之庄村との間で狭山池満水後の分水について約定が交わされ、「狭山除川並大仙陵掛溝絵図」(宮内庁蔵)もできる。
裏面には「北野田村」「平尾村」「原寺村」など線上の村名もみえる。

でもなぜ道明寺天満宮に奉納されたのか理解できずじまい。

top


オーラス

2013-3-4

今年最後の入試。本日は理工系。
数学の問題は8頁4問。問題用紙を見ると後半の4頁は白紙で、計算用紙として使えと。
巡回しながら見ていくと、表や細かな計算式を書き込んでいる。

今年、近畿大学でネット出願すると受験料が3000円引になるという戦略。
「近大へは願書請求しないでください。」との駅広告も目を引いた。近大では13万部の願書セットを作成、うち約3万部は未使用のまま破棄。もちろん来年は使えない。3万部の紙ごみを処分するにも費用がかかる・・・。

今年も前年度微増なのでそこまですることもないが、実は関大でもネット出願が可能。受験料割引はないが、メリットも色々。なんとか紙ごみとなる願書類を減らす方向は取れないものだろうか。

夕刻、梅田で一献。

top


広報デザイナー

2013-3-5

大阪市天王寺区が「天王寺区広報デザイナー」を無報酬で募集したところ、非難殺到で取り下げとの由。行政がタダで1年間、デザイナーを雇うという虫がよすぎる募集。
デザインとかキャッチ・コピーなどに金は要らん、けどよいデザインは欲しいという思い。市民公募や個々に入札すれば済む話を・・・。区長がNHK出身だから、広告とかデザインに金がかかるということを単に知らなかっただけなのだろうか。

巷にあふれ、人知らず消えていく「ゆるキャラ」の多くは、市民公募や市職員が生み出したもの。前者はプロのデザイナーに修正してもらわないといけない。
最近は、芸術系の大学と組むところも多い。学生は作品発表できて喜ぶ、大学もPRになる、自治体も市民公募のように手間・予算をかけずに済む・・・とよいことばかりのように思えるが、実はそうした貧しい風土が文化的不毛を生み出す。

デザイナーを目指すのに、自立の芽を削ぐような製作環境を作ってはいかんとは思うのだが。

top


泊園書院

2013-3-7

快晴、大学へ。

大学構内には泊園書院址の碑がある。もとは南区竹屋町9番地にあったもの。揮毫は藤沢桓夫による。

江戸時代後期の儒者藤澤東■(がい・田+亥)により開かれた私塾で、その後、藤沢南岳(長子)、南岳の長男黄鵠、次男黄坡と続き、家系は黄坡の義弟 石濱純太郎、黄坡の長男藤沢桓夫と続く。黄坡、石濱純太郎はもと関大教員でもある。その縁で漢籍をはじめ泊園書院にあった蔵書等が一括して図書館へ寄贈。

石濱純太郎の蔵書・資料は大阪大学(もと大阪外国語大学)に「石濱文庫」として入り、師である内藤湖南の蔵書も関大図書館に入るが、一部は杏雨書屋、京大人文科学研究所、大阪市立大学所蔵図書館にも所蔵。

手元にある『小出楢重の手紙-石濱純太郎宛書翰集-』(大阪市史史料第78輯)を見ながら、なぜか嘆息。

top


木を見て森を見ず

2013-3-8

古書籍のデジタル化が各大学で流行。
とはいえ、問題がないわけではない。単にデジタル化して公開するのはよいが、誰にさせるかが大いに問題。
右は江戸時代の「墨筆硯問屋」の一覧。うちではない大学が行った古書籍のデジタル化。“のど”の部分の問屋名がわからない。四角に「中」の文字ながら、見えない・・・。チャートを留めた押しピンの影も写り込む。

この他にも様々な定規や付箋などが写り込んでいる。たぶん業者に委託したものではない。何が求められているのか理解できずに、単に「言われた通り、撮影しました」「よしよし」といった塩梅。
UP主の大学は成果と思っているが、結局は使えないので、現物を確認する羽目になる。

ここ数年、展示ケースの内側が汚れている博物館に行く。受付も学芸も汚れているのが気づかないのだろうか。ガラスのような鏡面を曇らせる「ブンガノンくん蒸」では、こまめなガラス面のふき取りが必要であることを。いや、そうではない。紙製キャプションが斜め30度に曲がったままになっている。資料を並べた後は誰もが知らん顔なのだ。

なんか、最近こういうのが妙に目につく。

top


ないのか・・・

2013-3-9

午後、最後の入り口と出口の会議。その前にも会議2ケ。

2つ目の会議直前、とある先生から「大阪・道明寺聖徳太子像」の胎内文書についてご下問あり。
「どこにも、翻刻されていないんで・・・」と。「いやいや、『奈文研』から報告が・・・」と私。
会議終了後、部屋に戻ってコピーを探す。あった、あった・・・。
小林 剛・杉山二郎「道明寺聖徳太子像-聖徳太子像研究の中-」(学報第8冊)。

ぱらぱらみると、件の文書についてはまったく言及がない。不審に思って『国宝・重要文化財大全』『重要文化財(胎内納入品)』を見るとちゃんと出ている・・・。おや?と本を広げながら思案していると、事務職員氏から電話。
「はい。」「会議、『芸美』からまだ誰も出席されていないんですけど・・・。」
時計をみると、会議が既に始まっている。とるものもとりあえず、会議室へ急行。

終了後、継続するもやっぱりない。ま、この頃(昭和35年)はよくあることなんですが・・・。

top


T.P.とO.P.

2013-3-10


5mの津波

河内湾2(縄文時代後期)

7mの津波

河内湾1(縄文時代前期)

3・11を前に記すのもどうかと思ったが、左上は、 Flood Mapsでの5mの津波浸水予想図、左下は7mの浸水予想図。右上は河内湾2の時代(約5000~4000年前)、右下は河内湾1の時代(約7000~6000年前)。あんまり変わらんというのが実感。

ところで、津波の予想値は国が行っているのでT.P.(Tokyo Peil :東京湾平均海面)での計算値。ところが、大阪の防潮堤などの設計はO.P.(大阪湾最低潮位)で計算されている(たぶん)。水準を引っ張ってくる時もいつもO.Pからであった。
O.P.=T.P.+1.3mなので、大阪湾は鼻っから1.3mは高い潮位。その差を踏まえた予想潮位なのか、考慮されないままに東京の机上で出した値なのか・・・。
人命がかかることだけにより詳しい説明がほしいと思うのだが。

top


和田呉山

2013-3-12

大阪歴史博物館「和田呉山と仏の絵画」展へ。
摂津西成郡曽根崎村の生まれ。森徹山に師事。梶木町淀屋小路に転居、絵を生業とする。呉服問屋今津屋十兵衛の次女圓子と結婚、子供も設け『続浪華郷友録』に掲載されるほどの画家。順風満帆の生活。

ところが、天保12年(1842)5月に森徹山が亡くなり、9月には圓子も亡くなる。11月に呉山と三男千萬吉は出家、空相月心、智満空心と名乗る(後には二男角次郎も出家、「覚樹空願」)。心の痛手は徹山より“かぁーちゃん”の逝去である。

以後、呉山は高井田・長栄寺に入り「金剛窟と号シ梵字を楽シム」。いうまでもなく梵字がミソ。その後、鳩居堂熊谷蓮心の依頼で親子で京都・神光院に移り、冷泉為恭や太田蓮月心とも親交を深める。明治3年8月21日没。

作品は「仏画」ではなく「仏の絵」。逆手の阿弥陀のような印相を持つ地蔵菩薩像は乗雲を蓮弁に見立てた一品。そのほか鉄斎の着賛がある《化城図》など、創意ある呉山の作品が展示。伊藤若冲《五百羅漢図》や紀広成、呉春と長山孔寅の合作なども見ごたえあり。

作品は少ないもののたぶん2度とない展覧である。
どうでもよいが、「八尾の長栄寺」と記すあたりが、大阪歴博らしいと、ひとり苦笑。

top


大仙古墳

2013-3-13

検定ブームも下火。お寺検定公式テキスト「お寺の教科書」誤植のお詫びと訂正。
p.98 最下段 5行目
×観智院(京都府)に伝わる五大虚空菩薩像(国宝)
○観智院(京都府)に伝わる五大虚空菩薩像(重要文化財) ←これも誤り

◎観智院(京都府)に伝わる五大虚空菩薩像(重要文化財)
むぅ、訂正後も間違っているとは・・・。
無論、大学入試では許されない(ありえない)。

よく大学入試(予想)問題で「大阪府堺市の中百舌鳥古墳群の中心をなす日本最大の前方後円墳で、仁徳天皇陵ともいわれている古墳の名前を答えよ。」とか「仁徳天皇陵は別に何と呼ばれるか、答えなさい。」とかの問題がネット上に流れる。
もちろん前者は問題自体が間違い(×中百舌鳥古墳群→○百舌鳥古墳群)。

回答としては、「大仙古墳」「大山古墳」「仁徳陵古墳」「仁徳天皇陵古墳」「百舌鳥耳原中陵」など、正解がいっぱい。正答が3つも4つもある記述問題が出るわけはないと思うのだが、なぜか大流行。

しかしながら「公式テキスト」ひどすぎ。

top


草間彌生

2013-3-14


午後、天王寺の書店へ。

美術館(16F)も入る「あべのハルカス」(高さ300m、60F)もいよいよ来春にはオープン。JR天王寺駅はいまだに工事中(耐震化?)で、阿倍野歩道橋の架け替え工事も現在進行中。迂回路や新しいビルも建ち、梅田にも増して阿倍野界隈も分かりづらくなった。
昔、りそな銀行のあったあたりも再開発されて高層ビルも立つ。なにげなく壁面の絵を見ると画面隅に「YAYOI KUSAMA」と。よくみると絵のあちこちにドット。草間彌生の作品。

帰宅後、「阿倍野nini」(絵のある場所)の話をしていると、TVからはSoftBankのCM。どうも樹木希林が草間彌生に見えるのは私だけではないらしい。

top


職人の店

2013-3-17

朝から好天、すっかり春。
恒例の“産直”も、小ぶりながらもタケノコが登場。“産直”の周りには「菜の花」も咲く。

「近世仏師事績DB」(言い訳)。
設計段階で仏師名を「完全一致」か「部分一致」かで迷ったが、問題はあるものの「完全一致」に。
今でも「左京」で検索すると、鎌倉を除いて江戸、奈良、富山、京都などの「左京」が混在している。
もちろん「七条左京」家の各仏師は敢えて除外している。「部分一致」ではもう収拾がつかず、本来の意図から離れる結果になりかねない。

どちらにするか決めあぐねていた折、業者さんから「“職人の店”にしましょう」と。「はぁ?」
「フツーのお店で「ハンマー」といっても1つぐらいしかありませんが、“職人のお店”では、用途ごとにたくさんあるじゃないですか。『完全一致』だと地域別に出てくるはずです。そうしましょう!」と。
「はぁ。でも、それはズラッと並んでいての話で・・・。」

ともかく、かような次第に。

top


モレリの鑑定法

2013-3-18

春一番、午後から荒天。某所で調査。

カメラのファインダーをのぞきながら一見、室町風。正面、斜め、横と撮影しながらもなんだかしっくりこない。背面に来た時に証拠を“みっけ”。江戸時代・・・。
小ぶりな像で、もとは厨子にでも入っていたのだろう。誰も見ないと思って気を許したのであろうか。ところが我々は見るのだ・・・。
「快慶の耳」でおなじみの“モレリの鑑定法”。

本尊阿弥陀如来立像は須弥壇から降ろさずに撮影。同行の方が「足ほぞには「康雲」の作者銘が・・・」と説得されていたが不許可の由。康雲の阿弥陀如来像とは違う(江戸時代の)作風だったので、こちらも無理強いはしなかった。
台座は新しくされて不思議な装飾も付いている。近世ではもちろん「吟味」「改造」の対象となろう。
今出来の不思議な光背や台座、木仏が最近多すぎ。

top


卒業式

2013-3-19

午後、卒業式。

式次第は卒論優秀者表彰、成績優秀者表彰、卒業証書授与、祝辞、諸連絡。今年も「呼び出し」。

滞りなく卒業証書授与まで済み、祝辞。
もう“毒舌”なお年頃ではなく「今までの友人もそうだが、これからの同僚や友人を大切にしよう」と。これは最近、痛切に思う。「通り過ぎた」人だと思っても、再び登場し、あれこれとお世話になっていることが多い。

花束をもらい記念撮影。終了して研究室でひと心地ついていると、事務室から電話。
「教室(授与式)の鍵、まだ戻っていませんが・・・」。
相変わらず、詰めが甘い・・・。

top


多田寺

2013-3-20

ようやくのこと龍谷大学「多田寺」展へ。

注目の3体は会場中心に置かれ、360度から観察可能。日光菩薩(十一面観音立像)は胸・腹・脚部に至るまで抑揚がほとんどない。裾を瓔珞できゅと絞っているのが魅力的。四天王像(平安時代前期)は体幅を生かし、重量感がありながら激しい動き。

十二神将像(江戸時代)はキャプションでは承応2年(本尊阿弥陀如来坐像の修理)以降か文化4年(金堂再興)とするが、おそらく前者であろう。そのほか文亀3年の阿弥陀如来像(金ぴかで残念)など興味深い作品も多数。龍谷大学蔵の《春日鹿曼荼羅》《多武峰曼荼羅》も意外といえば意外。

階下では、大谷光瑞が雍和宮を訪問した機縁で、西本願寺へ寄贈された大清大蔵経や野村栄三郎収集のカラシャールの塑造菩薩頭部、など、「兎王の本生」(捨身行)興味深い資料も並ぶ。

top


無欲

2013-3-21

ニューヨーク州の人が2007年にガレージセールで白磁碗を3ドルで買い、リビングに飾っていたが、価値がどれほどか知りたくなり、専門家に鑑定を依頼、サザビーズによる競売で222万5千ドル(約2億1千万円)で落札との由。

無欲から出た「定窯」の掘り出しもの。
フリーマーケットあたりで「おっ、『定窯』じゃないのか」と凝視する人に、天使は降りてこない・・・。

研究者にとっては、2億の完全な白磁碗よりも白磁破片や不良品のほうが気になるところ。釉薬の厚みとか胎土の状態などが観察できる資料として貴重である。
しかし、そんなことは一般の人にとってはどうでもよく、形姿がきれいであるとかが大事。資料館によくある○○遺跡出土の白磁片、青磁片もそうした価値を持つのだが、そんなことはお構いなし、今日もホコリをかぶってみずぼらしい限り。ひとつぐらい形が分かるように復元すればよいものを。
写真は本場 定窯の白磁碗(不良品)。

top


ハイ よろこんで

2013-3-22

新聞には「首相動静」欄があって、安倍晋三氏の毎日が分刻みで記されている。
首相動静-3月21日
6時48分、東京・赤坂の居酒屋「日本海庄や赤坂通り店」。遠藤利明衆院議員、木村首相補佐官、小野寺防衛相ら自民党の東北選出議員。別席で古屋拉致相ら。
えっ「日本海庄や」? あの居酒屋かと思わず確認。よもや「生、お代わり!」などとは叫ばないだろうし、もちろんVIP個室だろうけれど、「国会議員になったので高級料亭へ行ってみたい」とのたまった元議員もいただけに意外といえば意外。

その後「午後8時15分、同所発。同24分、東京・六本木の六本木ヒルズ森タワー着。同タワー内の会員制クラブ「六本木ヒルズクラブ」で米コロンビア大のスティグリッツ教授らと会食。」と続き、なぜか、ほっとする。

top


文化財受難

2013-3-23

和歌山県立博物館「文化財受難の時代」展。

対馬の仏像問題を見てもわかるように、文化財にとって大敵は自然災害よりも「人間」である。

会場にも盗難にあった仏像写真や不動の足先が展示される一方で、押収品ながら未だ所蔵者が判明しない仏像も展示。延宝6年に「大仏師深阿弥」が修理した弁財天像や享保19年に「高野山大仏師左京」による弘法大師像、天明7年「仏師南紀安示川市場村」に住む栄助作の阿弥陀如来像などをみると、忸怩たる思い。「近世の仏像だから・・・」で済まされる問題ではない。

小冊子『未来に伝える私たちの歴史-文化財を守るために-』には当たり前ながら忘れ去られつつある事柄が丁寧に述べられており、貴重。文化財を守るのも「人間」しかいない。

top


春日大社

2013-3-24

好天、春日大社へ。

鹿が神使いであるのと同様に「春日山」の木々も神意を表すものとして扱われていた。《春日権現験記絵》にも大和に地頭を置いたことに神は怒り、「樹木たちまちにか(枯)るべし 我当山をさりて天城にかへりましますとしりべし」と記される。
もちろん、ここには春日神木と同様に政治的意図がなくはないが、病虫害の「山枯れ」現象を神の意志とみるのは興味深い。
中門の吊灯籠(近衛篤麿奉納)金具には若葉の装飾。「枯れていない」ことを表したのだろう。
細見美術館《金銅春日神鹿御正体》の鞍上の榊にも虫食いの跡。虫食いの跡を敢えて表すことで「生きた」ものであることの証。

「へぇ~、林檎の木もあるんや」と弊殿から奥(有料エリア)へは入ったことのない同行人があれこれ感激。典型的関西人。

top


ハンドブック

2013-3-27

新学期を控え、「文学部新入生のためのガイドブック」をはじめ様々な配布冊子。なかに「HANDBOOK 大学要覧 2013」も。
4月からの新入生にはそれこそ束になって渡され、大学生活に慣れた頃には気がつかぬまま、どこかへ消えていく。

他の冊子はどうなってもよい(!)が青表紙のハンドブックは卒業時まで保管厳守。これは大学とのいわば「約款」。“いつも同じ”ようにみえるが、各入学年次によって卒業や単位に関わる事項が微妙に異なっている。書架には2009~2013年分。
さっそく3回生の履修相談で引き出して頁をくることにも。

午後、会議(臨時)。来週末には早や授業。毎年のことながら3月は殊のほか早く過ぎる。

top


リレー講義

2013-3-28

夕刻、非常勤をしている旧友と蕎麦屋で一献。

「あれ、なんとかならんか?」と。あれとは、複数の教員が担当するリレー講義(の評価)。
任意の講義を取り上げてレポートを作成する課題(講義担当者が採点)だが、講義初めの担当者は答案が3枚程度ながら、講義終了間際の講義(旧友)は40枚ほどになる。同じコマ数ながら負担が異なるというわけである。
「まぁ、レポート課題に気付いて(学生は)初めて講義を真剣に聞くしな・・・」と。

この手の授業は関心の度合いにもよるが、あまり真剣に聞いていない者が多い。
以前、「大阪の美術館・博物館行政のありかたについて」というレポート課題を与えたのだが、皆、判を押したように「民営化」「民間力の導入」と書いてくる。講義でも、サントリーミュージアム天保山や大阪出光美術館の例をあげながら、もともと採算が合わないうえ、民間だと不採算になるとすぐさま閉館になると言及したにも拘わらずである・・・。

「理由をつけて講義順序を変えてもらったら」と。後は常勤がなんとかするだろう。こちらは連休中の平日であろうが、非常勤の都合で講義予定の変更など、まったくお構いなしなのだから。

top


婆娑羅

2013-3-30

好天。桜、菜の花、桃は満開。畔にも土筆。春本番。
近くの山沿いを走る国道を少し外れてプチ花見。

貞治5年(1366)3月4日、佐々木道誉は管領斯波高経がセットした将軍御所での花見をドタキャン、仲間を率いて大野原・勝持寺での花見の宴を催す。

寺の高欄を金襴で包み、擬宝珠には銀箔を被せ、橋板には中国製の毛氈や蜀江錦など敷いてある。そこに散る桜の花はまるで橋板に雪が消えずに残っている風情であった。藤の枝には、それぞれ平江帯で青磁香炉が吊り下げられ、香が焚かれている。
本堂前の庭には十抱えもある桜花の樹木が4本あって、根元には一丈の真鍮製花瓶を取り付けて一対の立花に見立て、間には二抱えのほどの大香炉で名香をおびただしく焚く。
幕を張り、山のように積み上げた褒美の品を前に「百服」の闘茶。その後は酒宴へ。

さすが「婆娑羅」。

top


魂ふり

2013-3-31

大学へ。
法文坂の桜も満開。体育館には「関西大学入学式」の大看板も取り付けられ、明日からの準備も万全。1号館のカフェテラスもなにやら突貫工事中。

桜やモクレンを愛で、緑が美しくなった学内を歩きながら気持ちを再生。滅入ることの多かった2月・3月も今日で終わりである。
借りたまま、あまり精読できなかった図書類も貸出期限まじか。幸い「予約」がないので延長手続をし、散乱した図書やプリントを珍しく片付ける。なんだか大晦日のような塩梅・・・。

元気づけられるように幅108×高さ137の写真を110×120で表示したHPを発見。少し“太った”肖像写真で小笑い。

top

過去ログ