日々雑記


ヤフオク

2016-09-01

とある方からヤフオクで「徳川家斉」頭部等5点が出品されているとご教示。
見れば、ほかにも摩多羅神像頭部も。現在の入札額は15万。どうにも捻出できる額ではない。

首枘右に「御用方/七條左京康敬」、左に「助作/清水定運/量慶」の墨書銘。「御尊躰一尺二寸」とある。高さ(襟上)18.5cm(6寸1分)ということだが、ちょっと頭体のバランスが不思議。
もっと不思議なのは「天保十二丑年正月晦日」の墨書。家斉の死去は天保12年(1841)閏1月30日(『続徳川実紀』)。まだ存命…。

この細い書体は西願寺でもみた清水定運のもの。「天保十二丑年正月晦日」は家斉の没年を示したもので、製作はそれより後とも思われる。量慶は嘉永3年(1848)に西大寺釈迦如来像台座を修理しており、量慶(得意の)模刻だろうと想像。

(追記)9月4日 入札終了。421,000円也。はぁ?

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高野山

2016-09-02

朝から家人とともに高野山。明日の予習。

女人堂から始まり、徳川家霊台、壇上伽藍、そして奥の院へ。
壇上伽藍。根本大塔、御影堂、准てい堂、孔雀堂、御社(みやしろ)、西塔、そして六角経蔵と配置を確認。大塔は円形、西塔は方形…。

金剛峯寺では蟠龍庭を眺め新別殿でしばし休憩。そこへ法話の僧侶(布教師)さん。こちらを見るなり、「昨日、奥の院にいませんでしたか?」と。
昨日は8月32日、締切過ぎて苦悩真っただ中。
明日のネタ探しに大真面目に法話を聞く。先ほどから家人への説明で「金剛峯寺は青厳寺と別のお寺が合併して…」とド忘れ。法話の中で「金剛峯寺は…」と。きたきた!「青厳寺と別のお寺さんが一緒になって…」
あらっ。(興山寺!)
僧侶さんは播州のお寺さんで、最初の赴任先はハワイ。家人も大真面目。終わってからもこちらを気にかけてくださり、家人は大感動。誰だろうか…。

法話の後、不動堂、濱田屋(ゴマ豆腐)、金剛三昧院を経て奥の院。明日の後半部分。燈籠堂では「お大師さま宛」のはがき。裏面には胸の内を弘法大師にそっと聞いてもらいたい内容を記す。その後1年間ご加護を祈る作法をした後にお焚き上げ。
明日のネタに1枚。

バスに乗り霊宝館へ。
常設展示では、金蔵院愛染明王坐像、正智院不動明王坐像、執金剛神・深沙大将立像、持国天・増長天像などなど。高野山奥之院出土の陶磁器も目をみはる。
「高野山の名宝」展では、問答講本尊図や竜光院屏風本尊、遍照光院一字金輪曼荼羅図。
後期展示ゆえか、常喜院薬師曼荼羅図(明・隆慶6年・1572)、釈迦八相図(李朝・嘉靖14年・1535)、五坊寂静院弥勒下生変相図(高麗・至正10年・1350)など請来仏画が続々。

夕刻、名残惜しくも下山。
じっくり、たっぷりの高野山。これで明日はばっちり(なはず)。

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高野山in東京

2016-09-03

朝から関西大学東京センターへ。

プログラムは、小生、添田隆昭宗務総長、写経の3本立て。時間は3時間。今回のメインは南海電鉄との連携。
昨日の見学も功を奏して順調。が、パワーポイント入れたはずの《阿弥陀聖衆来迎図》が入っていないのが、痛恨。時間通り62分で終了。
添田宗務総長にバトンタッチ。
「人が死んだら何処にいくのか」という問いに始まり、「死生観」について。約90分。

その後、写経(般若心経)体験。40~60分はかかる写経で、多くの方がお持ち帰り。こちらも旧友と後ろで写経に没我。

夕刻、南海電鉄関係者と懇談。
「東京は人が多いだけではなく、高野山への関心も(関西に比べて)非常に高い」との持論。
昨日の僧侶さんにも「林間学校で高野山に来ましたか」と問われた。「(関西人の)多くの若い世代は経験がない、知らない、興味ない。ですから目指すは東京。」と。
今日は東京泊。

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馬の美術

2016-09-04

展覧会の端境期。
三の丸尚蔵館「駒競こまくらべ―馬の晴れ姿」展へ。
こちらも蒙古襲来絵詞、厩図屏風、小栗判官絵巻は前期展示のみ。

帝都には「騎馬像」。
皇居前に「楠正成公騎馬銅像」(高村光雲ら・1897年)、有栖川宮記念公園に「有栖川宮熾仁親王騎馬像」(大熊氏廣・1903年)、上野公園には「小松宮彰仁親王像」(新海竹太郎・1912年)、国立近代美術館工芸館そばに「北白川宮能久親王像」(新海竹太郎・1904年)、九段坂に「大山巌」(新海竹太郎・1918年)。なぜか「馬」の後藤貞行の作品はない・・・。

展示は永井香浦《春江洗馬図》や瀧和亭《柳蔭馬之図》など。後藤貞行の《各馬置物》もあったが、すべて裸馬。騎馬には関心ない模様。
瀟洒なやまと絵風の《犬追物図衝立》。誰だと思ってキャプションをみると、狩野芳崖。明治15年(1882)頃の作品。驚き。
こういう作品があるから尚蔵館は侮れない。

午後、帰阪。

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福井の仏像

2016-09-08

福井市立郷土歴史博物館より「福井の仏像」展のチラシと割引券等が送られる。深謝しきり。
割引券は散華形。

もう秋の特別展シーズンなんだと実感。
白山を仰ぐ土地がら、チラシをみてもみたい仏像ばかり。9世紀から14世紀にかけての34躰が出品予定。歴史の厚みを感じさせる。

添状には「美術史を研究されている学生」にも書かれており、割引散華も20数枚。
博物館でもたまに日本美術関係の授業もとらずに「美術館の学芸員になりたいんですけど・・・」とやってくる学生がいるが、いったい何を考え、どこに就職したいのか分からぬ者が多い。授業で配ろうと思ったが、無駄になることは間違いない。行きたいと思う学生などに配布の予定。

希望者は申し出るように。

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老化

2016-09-11

このところ、仕事が極めて遅い。その遅さは我ながら目に余るほど。

時系列に出来事を並べ、その矛盾を(一般の方向け)に説明する資料を作成中。史料を並べて記してもよくわからない。あれこれと弄るうちに表形式へと変化中。
明確な資料が出来ないということは何をいわんとしたいのかが、自分自身で把握できていない証拠である。
それにしても(気付くのが)遅すぎる。

キーボードを打つ手を休め、しばし天井を仰ぐ。
ほんまやったら、ささっと片づけて、和泉市いずみの国歴史館に行くつもりだったのだが。

最近、すっかり老化したような脳内。健康診断も近いことだし、しばらく断酒でもしてみるか。
(「しばらく」では断酒にならない)

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金人

2016-09-13

1956~57年にわたって奈文研による飛鳥寺の発掘調査。
塔と北金堂(中金堂)は切石基壇、東・西金堂は玉石積と乱石積による2重基壇。
翌年には発掘調査報告書が刊行され、国内最古の寺院が高句麗系一塔三金堂の伽藍配置。

それから10年後。
M1氏が塔と北金堂(中金堂)は596年(『日本書記』)、東・西金堂は605~609年(『元興寺伽藍縁起幷流記資財帳』)と2時期にわたる造営論。しかも「金人=仏像」として、現存しない東西金堂の丈六仏が鞍作鳥の作と。
1972年にM2氏が反論。1974年3月にはB氏がM1氏の論を支持し、四天王寺式伽藍配置が1期、2期では一塔三金堂の伽藍配置に改造したと発展。改造の痕跡すら検出されていないのだが。筆舌あまってM2氏に難癖までも。すぐさま同年9月にはM2氏が再反論。
途中、K氏の論考もあるが、1976年に0氏が、史料(誤字脱字多すぎ)の筆跡鑑定や文意から「金人」とは読めないこととなり、結局、M2氏、0氏の論が基本的に通説に。

この泥仕合のような論争はいったい何だったのだろうかと、不思議に思う。

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蛸島

2016-09-14

移動日。

10:12サンダーバードに乗り大阪から七尾へ。七尾到着14:01。
七尾(14:08)から「のと鉄道」で穴水(14:49)。
穴水(15:10)から路線バス(穴水珠洲B線)で「飯田栄町」(17:32)。そこから徒歩で旧蛸島駅近くの宿へ。

バスの窓から広がる七尾湾はいたって静か。
なぜこうなったのかを後々考えると、金沢からの特急バスを見逃していたこと。
北京よりも遠かった・・・。

10年前なら鉄道で1本だったのに。

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金剛力士像

2016-09-15

終日、某寺で金剛力士像の調査。

ご住職夫妻を挟んでの休憩時の話題。「夏前に来られたWのOさんは…」。「私の知人です。」同行のOさん(別人)も「仁王さんを修理したのは私の恩師です」と。
修理報告書や当時の修復写真も拝見させていただき、益するところ多し。

ところが、某所から仁王像のあんな修理はダメだと評されたらしい。ふたり顔を見合わせながらはぁ?と。
20数年前の修理ながらしっかりと施工されており、素人目からみてもほぼベストの水準。「これがダメならどういう修理がよいのか」と憤る。どうも某所の意向を受けた修理者でなかったことに拠るものらしい。
いろんな意味でなんと狭い世界なことかと、帰路の道中にて。今夜は高岡で泊。

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綺麗で早うてガラアキ

2016-09-16

朝から瑞龍寺再訪。

山門の仁王像は修理したようで、真新しい仁王像。文政3年(1820年)に山門が再建されており、仁王像もその頃の製作。「碧眼の達磨像」は不在。

その後帰宅の途に。
北陸新幹線が開通し、高岡から金沢まであいの風とやま鉄道・IRいしかわ鉄道に分割。新幹線が出来て「綺麗で早うてガラアキ」な新幹線の駅ばかり出来てどうするんやろかとやや残念にも思う。

それにしても金沢駅舎及び駅前は醜悪の限り。

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「引き算」と「足し算」

2016-09-18

某寺の調査でのOさん。
イタリア留学経験もあり、俊才という言葉がふさわしい御仁(ちょっと過激だが)。

夜の一献でのこと。
イタリアの文化財指定は大きく網を被せてから、これは指定にならない、これもちょっと難しいと「引き算」の指定。日本はひとつひとつ指定していく「足し算」の指定であると。

納得しながらも、「引き算」で弾かれた作品は再び浮上することは難しいものの、三尊像のセットで指定がバラバラ、ひいては修復の際の所蔵者負担も大きく異なるということにはならないらしい。どちらがよいのやら・・・。

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ドン・キホーテ

2016-09-19

今週から授業が始まる。
過日の雑談で思い出したことがあり、授業のマクラに。

左の絵は京都の大晦日を描いた作品です。何時描かれたものでしょうか。
(1)1918年(2)1938年(3)1968年

今では統一感のない雑多な建築、縦横無尽に空中をはう電線や電柱。
50年近くたってこの絵から要法寺以外、すべて消滅してしまった。
この風景を壊していったのはほかでもない日本人。

この50年間で美しい自然や建築や町の風致を破棄することに、全力を挙げているのが日本の現状で、問題はこのことに日本人は気付いていないことにある。
そのことを教えるのも大切なのだが、今ではまったくもってのドン・キホーテ。

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台風襲来

2016-09-20

午前中に打合せがひとつあり、自宅を出たが、途中台風襲来ゆえに延期との連絡があって帰宅。昼過ぎには暴風雨。

来月開催の東京での講座は、さほどPRしていないように思ったが、申し込みは430名強、当選者は217名という高倍率。
もちろんこちらは前座で、メインは早稲田大学名誉教授。そのあとのパネルディスカッションという対談が75分も。
務まるんかいなと今から不安いっぱい。

仏教彫刻ながら、こちらの専門からは最もかけ離れた作品である。

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自由の身

2016-09-21

今日から秋学期。残す会議も3つ。そのうちのひとつ終了。
学期早々のトラブルもあったが、特に異論もなく、心配された案件も無事通過。

実は今抱えている学務関係はすべて任期を終える。
あれこれと振り出した“手形”処理は残るものの、我ながらよく頑張った。
来月からは自由の身。

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無茶振りか抜擢か

2016-09-23

今日から授業。最後の会議も。

地下鉄天神橋筋六丁目駅構内には、件の広告。

進展せずに引きあげたことからの僻みなのかもしれないが、下のコピーが気に入らん。
「大人だからこそ」無茶振りってわかるんやないの。「この事態を“抜擢ぃ!”って、無茶振り以外の何物でもないやんか!」うまく対処しても、「大変やったなぁ。ゴクローサン!」で終わる可能性大。

「俺って、期待されてる?」と入社まもない社員ならそう考えるかも知れない・・・。
勘違いですよ。

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大阪地下鉄限定

2016-09-24

某日、博物館実習室でのこと。

「このポスターのセンスはやる気なし。」「これは面白いが・・・」「○○美術館のような上品なポスターでは人目を引かない!」「いや、大学なんだから矜持を正さないと・・・」と喧々諤々の熱中した議論が進行中。

結局、捨てがたい効果はあるものの大学がどう言うか・・・と議論が纏まったものの、不安いっぱいの表情。
「これでいきましょ。クレームやお叱りが出たら、謝りに行きます。」と館長の一声で決定。
通勤途上、車内で見るたびにその時のやり取りが甦る。他人がポスターを見ているとどうしてもその表情が気になってしまう。

創立130年という大きな広告効果ありとみているのだが。

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上から目線の大阪

2016-09-26

東京圏の若者(大学生?)らを呼び込もうと、大阪府が昨年度、1億1000万円で委託した「UIJターン促進事業」で、府内で正社員として就職したのは、目標の150人を大幅に下回る6人にとどまったことが、26日公表の府監査委員の監査でわかったとの 新聞記事(夕刊)。

何を勘違いしているのか、大阪は中央だという上から目線の意識がありあり。事業開始が学生の就職活動がほぼ終了する8月と遅れたためと弁明する(弁明になっていない)が、「東京の方が企業が多い」「大阪は治安が悪い」との理由があげられていることから、そもそも大阪の街に魅力がないのだろう。
大きな地方都市であるとの自覚がない限り、大阪が浮上することはあり得ない。

かたや、「万博よもう一度」と考える人たちもいる。予定地は五輪敗北でできた「夢洲」。一過性の万博では会場アクセスが問題なので、カジノ特区の構想も。
結局ギャンブル頼みなのか・・・。

真面目に働く人たちを顧みない大阪である。そりゃ、企業も逃げるわな。

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緋毛氈

2016-09-27

勝連城跡の発掘調査で、ローマ帝国とオスマン帝国の金属製の貨幣(コイン)計5点が出土とのこと。
ネットでみながら、思わず笑ってしまった。

過日の南城市サキタリ洞遺跡での世界最古の釣り針と同じく緋毛氈。

なんで、発掘調査から出土した貴重な!遺物ほど、緋毛氈、赤毛氈を敷いて撮影するんだろうかと。
これはほぼ全国ほぼ同じ傾向。青銅鏡であれ土器であれ、ともかく貴重なモノは何でも。
紺やグレーという発想はないのか。いまどき、激安アクセサリー店だって緋毛氈、赤毛氈敷きで売っているところはない。失礼ながらアホのひとつ覚えである。

文化庁も「発掘された日本列島」展を企画しているんだから、研修会、講習会で一度、ばしっと言ってやらないと。結局、苦労する(写真の撮り直し)のは文化庁なんだから。

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感謝

2016-09-28

夕刻より淀屋橋にて博物館の職場研修会(追いコン)。

ご多分に漏れず、任期満了にて博物館館長も今月末で終了。
振り返ると、職員氏・スタッフに様々な無茶を言い、自らも動いた1年半。現代美術やガラス展など伝統ある博物館にとっては初体験のことが多かった。
こちらも久しぶりの展示作業や交渉、折衝など懐かしいやら戸惑うことやら・・・。たいへん勉強になった。

感傷に浸っていると、「オープン前日には必ず“チェック”にきてください」「はい、ぜひとも」。

なんとなく、来月からもふらりと立ち寄りそうな塩梅。
写真は博物館一同より頂いた花束。

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講堂

2016-09-29

明後日の最終確認。分からぬことだらけ。

ひとつは飛鳥寺講堂の配置。他の堂塔はきちんとした配置(中軸が揃う)になっているのに、講堂だけがやや中軸線にピタリとのらない。時期が異なるかと思い、『飛鳥寺発掘調査報告』(1958年)をみても同時期のものとされている。なぜ講堂だけがという疑念は消えない。講堂には平安時代、「丈六白檀十一面観音立像」が安置とも。

もうひとつは久野論文。背面の挿図には、右腰奥に穴が開いている。久野氏曰く『太子伝玉林抄』に伝える盗賊が吹子で破った跡ではなく、型持が取れた跡とされている。なんか根拠にいまひとつかける・・・。

よくわからないまま、明後日に突入の見込み。

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過去ログ