日々雑記


御触書

2017-2-1

今日から入試。
古文書の先生とご一緒になったので、休憩時間に少し質問。

「仏像は3尺以上作ったらアカン!3尺以下でも10躰以上は許可が要るよ!」という寛政の御触がある。
『天保御触書集成』には載っており、『江戸町触集成』に同じ条文があるものの、京都、大坂の町触には見当たらない。長らくの間、なんで?と疑問。
先生曰く、「よくあることです。当該地域にあまり関係ないことや地域の実情を無視した御触は町触として出されません」と。

そういうことか。京都でそんな御触が出ようものなら、仏師は死活問題、本山までも巻き込むたいへんな事態になろうし、下手すれば寺社奉行のクビも危うい・・・。

東北地方に行くと、その時期の大きな仏像や十六羅漢像やら五百羅漢像などがある。大きな仏坐像(坐高が4.8m・丈六?)は、「京都仏師が頭だけ造って帰り、躰部は時の住職が造り完成させた」という説明を聞いたが、幕府の(ローカル)ルールに沿った説明だったのかと理解する。だから頂-顎2尺6寸(78㎝)の頭部を造り・・・となるのか。

でも、これって江戸仏師にとっては大打撃になるのじゃないの。

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調査

2017-2-2

朝から某所で仏像調査。有難いことに若い研究者も参加して下さることに。

某所では40年近く前に専門家による仏像調査が行われている。今回はその確認調査。この間、阪神淡路大震災もあったし・・・。

確認調査の対象件数は3躯。確認調査での見解は、

室町時代(16世紀)→江戸時代後期(18~19世紀)
鎌倉時代(13世紀)→平安時代後期(11~12世紀)
ただし元禄期に大修復、改変の可能性が大。
平安時代(9世紀)→室町時代(15~16世紀)
全滅。
「なんじゃ、これは!」と憤るのものの、推測するに当時は1日に7、8つもの寺院の悉皆調査を行っていたようなので無理もない。まして室町・江戸時代の仏像を検討する余裕もなければ判断材料もほとんどなかった。ざぁーと仏壇等を見回して、これとこれは江戸、あれは室町、そしておもむろに鎌倉時代以前の仏像の調査に取り掛かったのだろうか。

かつての報告内容を信じて疑わない地元にありのままを報告するのもいかがなものかと思い、口を濁す。報告に未掲載の仏像(17世紀初/写真)が新鮮にみえる。
ややくたびれながら帰途につく。

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とあるコンビニ

2017-2-3

乗換駅のそばにあったコンビニがサークルKからファミマに代わった。
アルバイトも全員変わったようでレジやコーヒーメーカーでかなりまごついている。背後にはエリア・マネージャーらしき男性の難しそうな顔。

場所がら、普通のコンビニ(のバイト)のようにはいかない。
すぐそばにある某コンビニは、中国系のRさんや中南米系と思えるMさんらが大活躍。
遅番のRさんは夜、レジに集まる(群れる)中国人観光客をもっぱら対応。現金のみならずICOCAやクレジットカードでも支払うが、銀聯カードはときたまレジに拒否られる。そこからひとしきりやり取りがあって、金額を確かめて群れるグループからお金を集めてようやく支払い。
そうこうするうちにレジ待ちの長蛇の列。
朝番が多いMさんは、まだ9時前なのにワンカップを持ったおっさんの「チンしてや」に対応。
会計を終え(年齢確認のボタンを押すのもMさん)、ビニールと金属の蓋を開けてレンジに入れ、チンとなったところでそのまま渡して、おっさんはワンカップを片手に店の入口で一杯・・・。
陳列棚にはブリックパック酒(1合)は殆ど置いていないが、燗もできず、ストローで飲まないといけないからだろうかと。

マニュアル通りにいかないコンビニであることをお忘れなく。

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イベント

2017-2-4

ある時期から研究会というのをあまり好まなくなった。
情報交換など大いに参考になることもあるが、近ごろは異分野の研究会などでトンデモなことが起こったりする。

発表後に質疑応答となるのだが、タブレットPCを持ち出して「『Wiki』ではこういう説明がされていますが、どうなんでしょうか?」と若手の研究者。そいつの発表はといえば、スライド写真隅に新聞社のクレジットがついている。なんや見てへんのかい。

一般自由参加も嫌。
なるほどと思う発表のあとに質疑応答。参加している一般の人が質問にたち、発表内容をほとんど無視して自説をとうとうと披露し、質疑応答の終了時間間際に「その点についてはどうなんですか?」と締めくくる。まずは人の話を聞け!と思うが、折角の発表が台無しで、コアな議論は望むべくもない。

トンデモな研究会はほとんどイベント状態。

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餅は餅屋

2017-2-6

現在の仏像修復は全解体して、いったん各部材をきれいに元の形が想像できるように並べて撮影する。間違っても手の部材を足元の部材の横に並べることなどはしない。

1970年代の修理報告書(修理設計監督者:美術院 施工者:仏師工房)をみてびっくり。
ひと山幾らの世界。
図版キャプションには「解体断片」と。胴部の半解体は茣蓙の上にごろりと置かれ、撮影。
たった50年近く前だが、すごい過去のことのように思える。

ダメ元で他の図版(コピー)ともども修復者に送ったが、それでもあらかた構造がわかるとの返事。さすがに餅は餅屋である。

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涅槃図

2017-2-8

旧暦2月15日は涅槃会。仕事がらあちらこちらで涅槃図を見ることが多い。

もちろん殆どが江戸時代。絵師・時代が判明するものがあれば、かなり傷みの激しい作品まで。

某所で仏像メインの調査で、帰り支度の折にこういうものもありますと涅槃図が広げられる。
どうも八相涅槃図のようだが、幾枚かのスナップ写真を撮るうちかなり異質な涅槃図であると思う。どうも内容が中国っぽいが、筆致からは典型的な日本人絵師による江戸後期の作品。再来を期しながら今日まで至る。誰も調査していないのも魅力。
江戸の涅槃図など普通すぎてあまり注目されていないが、かなり興味深い作品もたくさん存在する。

本日、入試最終日。

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ラッシュアワー

2017-2-9

午前中、雪。朝から口頭試問(卒論)。
恒例の時期だが、毎年早くて12日、通常は15日なのだが、なぜか今年は早い。

久しぶりに朝のラッシュアワーを経験。
雪で電車が遅れると、混雑に拍車がかかる。はやくホームドアを設置しないと、いつ誰がホームから落ちても不思議ではない状況。

さすがに2月に入って休みなしだと辛い・・・。
なにごともおこらなければ明後日は休めそうだが。

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ハンコ至上主義

2017-2-10

日本はハンコ至上主義。
どんなに立派な花押でも三文判には負け、どんな書類であれ署名がWordであっても押印は必須、それでも効力は生じる。ただしシャチハタはいかんとの由。

とある方が文化財審議委員会でハンコを忘れた・・・、それで押印のため職員が自宅へ伺うという。
数千円の市民税滞納のため、市民税課の職員が関西から九州某所へ徴収(出張)に行くことゆえその対応は決して間違っていない。
しかし、ハンコに限れば、近隣部署を見渡せば同姓の職員がいるのではないだろうか。
ハンコ至上主義ゆえ同姓の同僚職員に押印を依頼(強要)してもさほど問題にはならないはず。
もちろん虚偽報告はいけないが、当人の出席が確認できた以上、あとはハンコだけの問題。社印などは不可能だが、いざとなればハンコは百均で調達可能である。

ただし自己流の雅印を使う先生と沖縄の先生はことのほか難しい。
雅印を押印される先生はさすがに自宅へ伺い押印してもらわないといけないし、本土で「安座間」「佐喜眞」「比嘉」のハンコを百均で捜すのはほとんど無理。そこで那覇出張の折には印鑑屋を捜すことにも。

実は、「長谷」のハンコも学内で3、4本は転がっている・・・。

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戦友

2017-2-11

2017年度をもって博物館を退職される某氏(先輩)。“最終講義”ならぬ「最終特別展」の担当者。白鳳から江戸時代まで珠玉の作品を集めた展覧会の開催である。

以前、某氏と館長から協力依頼があって「梱包からバック布ひらひらまで、何でもします!」と快諾。ところが、依頼内容は特別講演会の講師。
「いや、(小生が)平安とか鎌倉の仏像の話、無理でしょ。」と難色を示すと「“近世”で結構です!」ときっぱり。
某氏とは、大昔からあれこれ近世仏師について意見交換した戦友ながら、“近世彫刻” について語ってもよいとは。古いところは「博物館講座」でご自身が語るとも。

昨日、演題を提出。
こちらの講演はともかく、G・Wは心して空けておくように。

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河内屋利助

2017-2-12

お持ち帰り仕事が難渋し気分転換に根来寺へ。

根来寺大門。左右に立つ金剛力士像は、弘化4年(1847)山本茂祐の作。さすがに背面に像を支える2本の支持鉄棒。京都仏師の名を恥じぬようなんとしても3点保持は避けたい・・・。

その後、岩出市歴史民俗資料館「第2回根来寺所蔵宝物展 近世の根来版-」へ。聖教類の展示。
元興寺 では「いまいましい/摺にくい」「此板摺にくし」「こんな/しごと/いやなり」とあれほど文句をいっていた河内屋利助。その前年(文化2年)にはご機嫌に根来寺の版木を摺っている。

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一乗閣

2017-2-12

根来寺からの帰途、旧和歌山県議会議事堂(一乗閣)を見学。

明治29年(1896)創建。正面玄関に唐破風が付く典型的な和風建築。
基本設計はどうも芝居小屋のような・・・。
2Fは傍聴人席。傍聴人席の先は記者席。議場奥には唐破風のある舞台大きい床の間を前にして議員がU字状に参席。

ここで突然、クエスチョン。
唐破風付の床の間は何に使われたのでしょうか?
(1)明治天皇臨席用のスペース
(2)国旗と和歌山県の旗が並ぶ
(3)国旗と盆栽が置かれる
正解は画像にマウスオン。
時代とはいえ、いやはや・・・。
議長の右には県知事、内務部長、警察部長がならぶご時世。

当時の和歌山県議会は議長候補が同数の場合、くじ引きで決めた(くじ引き箱も展示)。くじ引き箱は要らなかったが、初代県議会議長は『稲むらの火』で有名な濱口梧陵。
想像だにしなかった・・・。

色々と眼からうろこの一乗閣。

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国境の仏像

2017-2-15

愛知へ。

東海の仏像は、正直よくわからない。東日本に多い鉈彫り像もあり、また中世には「奈良方」なる仏師も登場、近世に於いても江戸仏師の作品がままみられる。とはいえ独自の作風を持つに至ったわけでもなさそう。

依頼のあった近世の仏像調査を淡々と済ませて説明(銘記なし)、御礼を述べて早々に豊橋美術博物館「普門寺と国境のほとけ展」。

考古・文書・建築・美術等の総合調査報告。
さすが大学教員主体の調査報告(の展示)だから一般の人にはやや難解かも。解説ボランティアも四苦八苦。
普門寺本尊木造聖観音立像(10~11世紀)。後世に若干手が入ったとされるが、それは「本尊等造立木札」(天文11年)の時期かもと。また「十王像造立木札銘写」(天和2年)もありながら十王像の出品はなし・・・。

仏像は平安~鎌倉時代の作品で指定品が中心。平安時代の仏像は京都の影響、鎌倉時代の仏像は鎌倉の影響、ときれいに(ボランティアが)説明されていたが・・・。
ともかく国境(くにざかい)の仏教文化の断絶や交流について色々と考える。

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論社

2017-2-16

午前中、大樹寺へ。
徳川家康3回忌(慶安元年・1648)にあわせて造られた家康像が安置。像高47.0㎝。周知の通り「左京法橋康以」の書状が付属。

福岡・警固神社徳川家康像(慶安5年)は41.7㎝、福井・龍泉寺徳川家康像(寛永11年・1634)は97.5㎝、知恩院像は103.0㎝と40㎝程の小像グループと1m前後の大像グループに分けられ、大樹寺像は小像グループ。
徳川氏(松平氏)菩提寺なのになぜ、と思ってしまう。重要な家康像だが手持ちの資料も少なく、じっくりと拝見。
そのほか歴代将軍の位牌、冷泉為恭の障壁画群なども。

午後より近郊の某神社へ。
石標には「村社 式内 ○○○神社」とある。「村社」の文字はセメントで塗り潰されている。石標は明治35年9月に建立。
某社は論社問題の渦中の社。いったんは式内社に認定されずに、参道近くにある別の石標「延喜式□社二十六坐内」の□が削除され、新たに「村社 ○○○神社」の石標を建てたが、その後決着がつかず、「村社」の文字を塗り潰しその下に新たに「式内」と刻む。「延喜式□社二十六坐内」の□にも「神」の文字。

三河の地は論社問題が多く発生。その後、別の神社へと。

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寺尾誠斎

2017-2-18

昨日は大学院の出口(修論)今日は入口(入試)の試問。

業務の合間に知人からの問合せに対応。
「大坂法華大佛師 寺尾誠斎」(文化12年・1815)なのだが、日蓮宗関係の記録等をみてもまったく分からない。
この時期は林如水の全盛期。
台座銘を眺めていると、本当に大坂の人?と疑ってしまう。「大坂」はあまり肩書には使われない。普通は「摂州」でしょう。しかも住所無。林如水も1例だが、「皇都法華大仏師」と名乗っている。
どこかで林の肩書をみたことがあって、俺も名乗ってみるかなどと・・・(居所を明記するとばれる)。作品は典型的な19世紀だが記名がなんかコピーっぽい。
安い「adidas」のパーカー買ってよくみたら「adidos」だった、そんな感じ。

公開捜査ということで一応晒しておく。

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円成寺

2017-2-19

ふらりと奈良・円成寺へ。好天ながら冬場ゆえ訪れる人もまばら。

多宝塔内の大日如来像坐像をゆっくりと眺める。雑事をあれこれと考えていない純真な若き運慶の姿が投影。持参の単眼鏡でじっくり。
その後、春日堂・白山堂を拝見して本堂へ。誰もいない・・・。本尊阿弥陀如来像もさることながら、ぺたんと座しながら、本尊光背、来迎柱(室町)を拝見。外陣には藤末鎌初(←これは逃げ)の十一面観音立像、延慶2年(1309)の南無仏太子像、平安後期の薬師如来像(金銅製透彫光背付)をゆっくりと眺める。

これまで幾度と訪れているが、いつも南都郡部の仏像は心をなごませてくれる。

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弾かれる文化財

2017-2-20

小春日和、好天。午後から某市文化財審議会。

始まってすぐさま、いきなりコメントを求められる。事前に資料を渡されていたとはいえ、しどろもどろ。でも“他分野との関連性”や“イタリア方式” で指定の網を張るのは大いに良いことだと思う。なにより地元が積極的。

様々な事情で“弾かれてしまう”文化財も多いと聞く。
今回の案件も圧倒的な異論が大多数であれば、辞任を引換えに強行する腹づもり。
個々の文化財も有機的結合(←意味不明)をもつ。決して文化の「ミッシング・リングになってはいけないと。
否決されるのではないかと思うものの、杞憂に終わる。
解散後、夕刻の空がまぶしい。

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春は神像とともに

2017-2-22

混迷の度合いを深める職場、かたや千載一遇の神像調査の機会。相手方もあることもあって後者を選択。原稿を書くのも現地調査を行うのも同じという職場。しかしこちらは生身の人間相手が存在(こう言うと先方も編集者がいると反発)。
いやもう、疑いなく後者。

調査終了後、座ったり立ったりの反復で大腿部に激痛を感じながら、心は至福そのもの。
10数躯の仏像等を調査しながら、次に調査するのは50年後か百年後になろう(どちらにしろ、こちらは鬼籍)。大局を忘れてはならない・・・、いま千載一遇の調査機会を逃すと、次の機会は私には残っていない。

夕刻まで調査。境内を見渡すと春の訪れはすぐ傍まできている。
春は神様とともに。

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ドーナッツ・ボックス

2017-2-23

午前中、近隣市で絵画調査。そのまま翌日の調査&会議のために直接、伊丹空港へ向かう。このところタイト。なんとか間に合った・・・。
空港そばの駐車場で、最小限の調査道具をカバンに移して空港にてセキュリティ。

ところが、カバンがセキュリティに引っ掛かる。
「開けてよろしいか」と警備員。ライターが2個あったのかなぁ(1個はセキュリティ申告済)と能天気にも思う。
「刃物状のものが確認されましたので・・・」と係員がいうなり、「あぁ~」と思い当たる節。
カバンのなかにある調査道具袋には、光背や仏像本体の傾斜を抑える小積木を細工するために肥後守や彫刻刀、ごみ取りなど意外な場面で役立つ千枚通しが在中。
長年愛用している諸道具、簡単に「破棄」とはいかない。「優先ゲートパス」をもらって再度カウンター。犯罪用にも転嫁できる上記の刃物は、丁寧に梱包されて機内荷物室へ。

到着空港で出てきたのは“ドーナッツ・ボックス”ならぬ“刃物ボックス”。箱の表面には「CHECKED/BAGGAGE(ANA)」。
普段なら事前に気が付くのだけれども、疲れているのか・・・。

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麦漆

2017-2-24

某所。午前中に調査があり(セキュリティで引っ掛かった道具は結局不要)、引き続いて会議に出席。会議にて辛辣な質問にビビる。

「多くは麦漆で部材を緊着するが、麦漆で継いだ場合に再修復の際には(当初部材が)剥がれることはないのか」と。
考えてみればなるほど。

多くの仏像を見てきたが、確かにおおむねね部材の接合は釘や鎹で留める場合が多数。
X線画像でみても、釘・鎹でがっつり留められ、膠や麦漆はあくまで補助的なもの。ただし近世は“芋付け”と称される膠だけで留めていることも多い。
そこで修復の際には「麦漆」を使うのだが、果たしてその修復が万一違っている場合の再修復には、麦漆は「可逆性」を担保しない。
作品(仏像)が後世壊れるものと前提すれば、決して「麦漆」を使うわけはない、むしろ「可逆性」に富む膠が使用されるのはごく当然であるのではないかと。好意に解釈すれば紙貼りも膠の脆弱性を踏まえた措置だったのかも。

「ハセセンセはそのあたりをどうお考えですか」と。むぅ、そんなこと、これまで考えたことがなかった。そもそも「麦漆」が不可逆性であることも・・・。
まだまだ修行が足らぬ・・・。

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『このミス』大賞

2017-2-27

大学からの帰途、中村啓『美術鑑定士・安斎洋人「鳥獣戯画」空白の絵巻』(宝島社文庫)を購入。著者は『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞受賞者。
ところが、読み始めた途端にがっくりである。

京都の古寺にある仏像の胎内から「『鳥獣戯画』(正式名称『鳥獣人物戯画』)に酷似した十幅の断簡が発見されたという。」(28頁)。あら。続いてご丁寧に「掛け物や軸物の数えは“幅”である。」とも。どういうことかまったく理解できない。
掛幅装の断簡が10本も仏像の胎内に入るんかいな・・・。

そりゃ現在の断簡はすべて掛幅装になっているが、もとは一紙。

著者は「料紙」という言葉を知らないのだ、だから「現在の甲巻は二十三枚の絵紙から成り」(同頁)と記したのかと思ったが、「複数枚の料紙が欠落している」(33頁)と記すあたり、分かっているのだろう。

ミステリー以前の段階でミステリーの連続。
50頁過ぎたあたりで放棄。
ストーリーを構想する前に絵巻に関する基本的知識を整理してから執筆しましょう。

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予定

2017-2-28

某市文化財審議会。5名の先生がたからなる委員会だが、予定が合わない・・・。

かなり前からカレンダー仕様の予定表(午前・午後)を頂くが、マルとしていても確定ではない。さっさと開催日を決めないと、この時期には各所からどんどんと予定が入り、早い者勝ちである。
似たようなケースも他所であってなかなか決まらず、敢えて締切を過ぎても放置していた。そこで案の定、連絡があって「この日の午後はどうですか?」と連絡。偶々予定が入っていなかったのですんなり開催に。

年度内開催は不可能ということで、新年度4月の予定を聞かれる。
授業も始まるのでなおのこと困難を極めるのではないかと。
2月も終わり。

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