日々雑記
再び見学会?
2018-6-1
金曜午前中の彫刻史(授業)。半数は学芸員資格取得。
受講生は少ないながらもおおむね好評。巷間に出回っていないX線写真や業界の裏話や学説まで持ち出しているからだろう。
授業終了後、PCを片付けつつ居残っている学生に学科を聞くと「国文」。「じゃ、絵巻のほう(講義)が良かったですよね」というと「仏像のほうがいいです!」。
つい調子に乗って「じゃ、興福寺でも自主見学に行きましょうか」と。
座学よりはホンマモン見たほうがずっと勉強になると思うのだが、それを許さない昨今の大学事情。
万難を排して
2018-6-2
夕刻、ポストに行くと、「恩師」からの手紙。
こちらは“調査現場”育ちなので、恩師と呼ぶべき先生は長年、現場を共にした方しかいない。
若い頃、各地の現場参加へのお誘いを頂き、時には厳しく、優しくご指導いただいた。しばらくして先生が遠方の大学に移られまたこちらも大学に移るなどあって、音信も途絶えがちであった。
なんだろうかと若干緊張ながら開封すると、某所の調査で近世仏像が沢山あるので手伝って欲しいとの由。
世が世なら、平民身分の中間が城主に呼ばれる状況。恐れ多いこと至極。
「万難を排して」登城する覚悟。間違いないように関連資料を整える。
悪書
2018-6-3
この文庫 。構成・内容とも最低。
例えば、柳が小宮山清三宅で木喰仏を初めてみたのは、「一昨年大正十二年の正月九日のことでした」(16頁)とあるが、『木喰上人略伝』には「今年の正月九日のことであった」(31頁)。
『略伝』の末尾には(1924・7・20)とあって、1924年=大正13年。
正しいのは『柳宗悦全集』7(1981年 筑摩書房)解題にあるように1924年で、明らかに柳の誤り。
詩人か文芸評論家か知らぬが、「ひとつのマドレーヌがプルーストの無意識から全的な幼年時代を開示したように、あるいは夢から覚めた現実や錬金術による変性物質や廃墟からの足跡線となって…」という自己陶酔で何が言いたいのかまったく分らぬ解説に延々と紙数を費やすよりも、筑摩の解題をそのまま転載したほうが、よほど読者に親切であろう。
こんなんやから、日頃読むべき本を選べと厳しく言うのだが、マンガと同じ感覚では文芸書の刊行もおぼつかないと思いますが。講談社さん。
粟野頼之祐
2018-6-4
粟野頼之祐(1896-1970)。関西学院大学文学部教授。
青山学院高等部卒業後、1927年渡米、アメリカ・ウエスレアン大学でB.A.、コロンビア大学大学院史学科でM.A.を取得。その後ハーバード大学にて古代ヘレニズム史の研究を継続、一時期ボストン美術館東洋部にも勤務。1916年帰国、1951年4月の関西学院大学文学部史学科開設に伴って文学部教授に就任、67年まで尽力。50年には『出土史料によるギリシャ史の研究』を刊行、翌年これにより学士院賞を受賞。(『関西学院事典』より)
経歴だけ見ると、古代西洋史の泰斗であるが意外な一面。
戦後郷里を中心とした「北摂郷土史学会」を立ち上げ、月刊「北摂郷土史学新聞」を刊行、同僚の武藤誠教授(考古学)からも一目置かれる存在。ここから木喰仏の発見と繋がり、さらに「池田郷土史学会」の再興へと繋がる。郷土史の重鎮。
日本史関係の公開講座で、専門の西洋分野についてとうとうと語り、「呆れ返って何をか言わん」(関係者の愚痴)教授とは、器がひとつもふたつも違う。 ひとつの分野ですら大変なのに。感嘆至極。
入試広報課、早う取材!
2018-6-8
遅ればせながら図書館で資料熟覧の手続き。
耳鳥斎「地獄図巻」だけでは学生の関心はもたない。取扱いも含めての授業とはいえ、本間六曲屏風一双では、図書館員も困る。(掛幅類は授業開始時には既に懸架された状態)
考えた末、耳鳥斎の“地デジカ”、森二鳳「稲荷図」、森狙仙、川崎巨泉(描表装)の5件を熟覧。教室も確保し、安堵。
森狙仙が入るだけでずいぶんアカデミック。授業は25日午後です。
入試広報課、早う取材!
四輪は良きこと哉
2018-6-10
昨日、上娘が帰郷。
電話ではほぼ毎日家人と話しており声は聞くものの、顔を合わすのは久しぶり。
姉妹楽しく語らっている。久しぶりに4人で食事。
大和文華館
2018-6-12
終日、どんよりと曇り、時おり雨のうっとおしい天候。
片岡球子じゃないけれど、「朝、亭主に叱られた奥さんが見て気分がスカッとするような」絵がみたいと、副題の「雪村作品一挙公開!」にも誘われ午後から大和文華館「大和文華館の水墨画」へ。
いやはや圧倒。乾山・光琳《錆絵山水四方火入》のお出迎えに始まって、文清《維摩居士像》や可翁《竹雀図》、教科書クラスの名品。
途中に光琳筆上嶋源之丞宛書状。「雪舟之絵毎日 五七幅つヽ見申候 随分写申候」と冒頭の《錆絵山水四方火入》とリンク。
悪ふざけだが、書状前段に「酷暑之節 屋敷方へ参 数幅之画書候事 色々の事を好被申時ハ 何の因果ニと存候事」と。雪舟の絵を見たさに大名屋敷で画をえがいたが、あれやこれやと難癖をつけられたが、ここは雪舟の絵を写すまでは「忍」の一字で耐え忍ぶ。(あくまで個人的妄想)
雪村作品は《自画像》《呂洞賓図》《花鳥図屏風》など。《孔子観欹器図》は斜め前に光琳工房《鶴図》があったので、近世絵画と思ってしまい題箋に「雪村」とあってびっくり。
途中に昭和35年9月16日の銘板がある朝倉文夫作「種田虎雄」胸像。この1週間後に隣村で私が誕生。
野村源光
2018-6-14
群馬・曹源寺、文化財保存計画協会から『群馬県指定文化財 曹源寺さざえ堂保存修理工事報告書』をご恵贈いただいた。関係各位にあつく御礼申し上げます。
3階建てのさざえ堂は1階が秩父三十四観音、2階が坂東三十三観音、3階が西国三十三観音、計百観音の仏像があり、秩父三十四観音(昭和5年)の本尊魚籃観音像には「東都/三代目/源光/野村 濤慶 廿三才」の銘記がある。
同報告書によれば、野村源光は馬喰町三丁目に住んだ後稲荷町に移り、震災後の行方が分からないとされたが、曹源寺大権修利菩薩像(昭和16年)に「埼玉県本庄台町 仏師野村源光」があり、現在も本庄市に「野村仏具店」があるとされる。ところが、同店には情報や作品が残っていないという。
もう驚き。幕末仏師が所在地を変えつつ現在も末裔が仏具店を営んでいるとは。浅子周啓もたしか最近まで神輿店を営んでいたはず。
またデータベースの誤りも指摘いただき、感謝至極である。
東京・関東にもう少し同好の士がいたら、幕末明治の動向がよくわかるのだが。
学会
2018-6-16
久しぶりに学会。しかも美術史学会ではなく初めての「文化財保存修復学会」。
学会が異なると、こうも違うものかと驚嘆。
ISSEY MIYAKEのマネキン(七彩)から高松塚古墳壁画、仏像、石棺、セウォル号回収の紙資料など、内外の多種多彩な”文化財”の保存や修復に関する発表とポスターセッション。実は私も名前があがっている。(P023 琉球王国文化遺産集積・再興事業における旧円覚寺仁王像の自然科学的な調査を踏まえた復元制作に関する研究)
善寳寺五百羅漢像修復や岩倉神社仁王像の分析など(ポスターセッション)もあって興味津々。
大真面目に全ての発表を聞いて、ポスターセッションも見た。
違う意味で驚いたのは、「沈没船セウォル号から回収した紙資料の応急保存処置」。発表はすべて英語だったが、質疑応答で「処置した紙資料のアーカイブはどうされますか?」という質問に対して「将来的には”破棄処分”します」と。はぁ?
懇親会も出ずに、東藝大・東北芸工大の学生や卒業生、教員らと遅くまで痛飲。
路面電車背後の丸い建物が学会会場の「高知市文化プラザかるぽーと」。
高知
2018-6-17
学会2日目。
朝一番目からS先生を含む「関大組」が発表。無知を承知ながらS先生以外、発表者も含めて誰も知らない。
その後ツタンカーメン王木製品の移送の具体的事例の発表があり、X 線 CTや藤黄の発表などマニアックな発表が続き、ひと足早くポスターセッション。こちらもマニアック。
新潟・長徳寺義士堂蔵「木造四十七士像」は明治の浪曲師・桃中軒雲右衛門旧蔵のもので1913(大正2)年に新発田に寄贈。新発田市指定文化財。部材の接合にホゾとか色々使われており、大工の作品と思う。
午後から牧野隆夫氏の「神仏分離150年後の仏像 ―保存・修理・継承の現状と新たな動き―」を聴講して、学会終了。
会場入口(2階)横には隣接する「マンガ館」の垂れ幕。こういうものもゆくゆくは文化財になるのだろうかと思ったが、既に昨日「マンガ原画の予防保存を目的とした多変量解析による用紙のコンディションチェック」という発表があった。
既に文化財。
行きもそう感じたが、高知は大阪から何気遠いような気がする。
揺れた!!
2018-6-18
7:58分頃、突如「キュイーン、キュイーン、地震です」と携帯がなると同時に大きく揺れる。全員飛び起きて、ドアを開け、各自臨戦体勢。猫は押入れの中に自主避難。
揺れが収まり、TVを付けると「大坂北部 震度6弱」。こちらは震度4(+α)。
実家へ安否確認した後、風呂場に水を張り、家人はおむすびを作り(今は食べてはいけない)、末娘は出社予定のため情報収集。
JR・私鉄全線見合わせで10時に休校決定となり、近くのスーパーへ買い出し。地震でEVが止まり11階から階段で降りる・・・。
スーパーでは、何もなかったように普通の日常。やや人が多いが商品が無くなるというわけでもなく、特売セールまで催している有様。
青果・果物コーナーにスイカが並ぶ。なぜか家人が興味津々。
横で見ていると1玉取ろうとしているので、
「いや、なんで?」「おいしそうやから」「今日?なぜ今なん?悪いけど別に日にしてくれへん。横にカットのスイカがあるやろ。」と阻止。
誰がスイカぶら下げて、11階までの階段を登るんや・・・。
買い出しを終えて、あとはネット、TVに釘付け。
研究室がかなり心配だが、どうすることも出来ない。また明日から調査に出かける・・・。
トモダチ?
2018-6-19
昨日からSNS関係でお会いしたことのない方からも安否・お見舞いを頂きましてあつく感謝申し上げます。
朝から調査のお手伝いに出向く。
十一面観音像(平安後期)に始まり近世彫刻のオンパレード。
十一面観音像は仏面や髻の一部が近世で、大きく腰を捻っており、もとは横川中堂像のように聖観音像だったかもしれない。
某像は台座に「元禄14年」とあって人形のような面相だが、構造はやや古めかしい。丁寧に構造図を描く。
そして等身立像(18世紀)。幸い頭部が抜けたので、横にして首から内部に片手を突っ込んでコンパクトカメラで闇雲にシャッターを切る。引きあげて確認すると「宮嶋龍慶」。
「誰それ?」と仰ったので大坂の著名人ですと答えておいた。
以前も「和田浄慶」銘が出た際に同じ質問があって「ハセセンセの友達だって」と説明されたことがある。
夕刻、本日の調査が終了。
違う世界なのかも
2018-6-20
お手伝いしている調査には、若い研究者の方もおられる。 何を専門にしておられるのか、不徳にも知らなかったのでググると鎌倉時代彫刻。過日も古代金銅仏を研究されている若手研究者にお会いした。
胸中を察すると、えらく遠いところまできたものだと思っているかもしれない。 現場では山ほど近世の仏像仏画が調査対象となり、著名な仏師の作品や研究対象となるような作品はまず出て来ないという現実。
それでも研究を続けなければいけないというたいへんな世界である。
「調査を嫌がる研究者も増えてきた」という某氏の発言も、最初は「そんなアホな。」と聞いていたが、なんとなくわかる気もする。
ひとり宝の山に入って喜々として調書取りを手伝うわたしはやはりヘン。
異次元というか
2018-6-21
朝よりソッコーで調査。たまたま通夜も入って昼過ぎに調査終了、大急ぎで震度5強の大学へ。
ただでさえ学内最古級の研究棟・・・。
3時過ぎに大学着。個人研究室の鍵を回し、思わずひと呼吸。ドアを開けると、おゃ?
見た目、何も変化なし。空のリングファイル6冊、散華入額(ガラス板無傷)、昔に買った唐三彩馬(土産物)が落下粉砕、三彩馬の落下でプリンター2台の用紙受け皿破損。 以上が被害。
本棚自体が転倒せず、本棚から本が飛び出す事も無く、ほぼ無傷。
10分ほど落下物を片付けていると、馴染みの某書店営業氏。
ドアを開けた途端、「もう片付いたんですか?」と。被害というほどの被害ではなかったと言うと、「(場所によって)エライ違いますね」と。某研究棟では扉開けっ放しで、本が廊下に山積であるなどと。被害の多くは本棚転倒。
営業氏が本棚を見ながら、「この逆方向の本棚はまず倒れています」と。マッチ箱を横に立てたような建物で、短辺方向に本棚が並ぶ場合、本は圧縮されるが棚から落下することは少なく、建物長辺方向に本棚が並ぶ場合、揺れて本が飛び出し、本棚も転倒。確かに本は右や左に傾いている。
あの研究棟ではこんな被害、この研究棟でもこんな被害と、逐一報告。
偶然の幸運と思いながら、営業氏退出後にメールチェックすると、「ドアが開かない場合・書架転倒の際にはまず書籍を箱詰め(箱は配布)し、その後取りまとめで書架固定」等のメール。
なんだか異次元。
チラシ
2018-6-22
午前中の授業が終り、昨日落掌した東北芸工大文化財保存修復研究センターの紀要類。なかに公開講座のチラシ。 行こう!と思いきや、今日の夕刻から。
無理無理・・・。
研究紀要をみると「畑」や「福嶋」の銘記。20年に及ぶ大修復事業。修復完了時は、こちらがそろそろ危ない年齢。
完了時に生きておれば、鶴岡まで飛んで行って、吉本新喜劇よろしく修復完成したばかりの羅漢像を前に杖をブンブン振り回して、あーだ、こーだとコメントするので、よろしく。
ちょっと悔しいので、さびしいチラシを前に私製チラシを作成。「芸工大」の名が泣くよ。
掛幅鑑賞
2018-6-25
博物館より矢筈3本を借りて図書館で掛幅鑑賞と取扱い。閲覧室に入ると、外箱が並ぶ。
博物館実習受講生に掛けてもらう。恐る恐る、取り扱う学生。これが現実。
狙仙「猿猴図」は上質。外箱に入った短冊には「酒井家伝来」と。最後に巻子装の耳鳥斎「別世界巻」を広げる。
閲覧を終わってから一応、掛幅を巻いてもらい授業終了。写真は別世界巻「そば切好の地獄」。
作品への執着もあまりなさそうな雰囲気で、三々五々、閲覧室から退出。
紐の結び方も間違っていたりしているので、掛幅を再び掛けて巻き戻して外箱に納めて、本当の終了。
香ばしい学生
2018-6-28
一般教養も残り3回。授業評価アンケートも回収。
片づけを終わって帰ろうとすると学生が教卓に来て
「『就活』でおとといまで東京に滞在していたので、授業のプリントをもらえますか?」と。
「大学のサーバーに過去4週分まで上げているので」と返答。
「その他の授業はどうしてたん?」と問うと、「ほかの授業も出席取らないし、ゼミも出席取らないし・・・」「ま、後は頑張れ」と。
この子だけは絶対に通したくないなぁと思いつつ、部屋に戻って定期試験の問題を作成する。しかも禁断の図入り問題も。
この時期になると香ばしい学生が出没。
専門科目です
2018-6-29
こちらは平常点での評価での授業。真剣に受講している学生とそうでもない学生が2分。
プロジェクター不調で、途中で教室変更してもらったので、教室真ん中あたりの列が空白の“緩衝地帯”となっている。
そろそろレポート課題を提示しないので、これまで取り上げた内容に関する参考文献のうち「MUSEUM」から論文1篇を選んで、内容を要約せよとの課題。
専門科目なんだから専門をしないといけないしという思いが再燃。
専門論文を読みこなせるかが評価の基準。「佛教藝術」「美術史」「国華」などではやや荷が重いだろうとの親ごころ。
レポート提出を説明している際に、教室の後方で小さくどよめきが起こったが、特に問題はなかろう。