日々雑記


マイクロフィルム

2019-10-1

午後、調べ物があって図書館で「大阪毎日新聞(マイクロ版)」を閲覧。

蔵書検索で「所蔵はありません」とあるものの「配置場所:B2書庫」とあったもの。
昨日は館員氏の手を煩わせて「マイクロ目録」を出し、当該号数を記入して、本日閲覧に至る。
閲覧票には請求記号もないので記入せず。不思議。

当該箇所を見出し数箇所コピーして、マイクロフィルムを返却。

その折に館員氏からアドヴァイス。「個人研究室からでもみることが出来るのですが・・・」と。
聞けば、図書館HPトップページ→「データベースポータル」→「毎索」で、閲覧可能(学内2回線のみ)とPC画面を見せて頂く。
だから「請求記号」がなかったのかと、合点、納得。

部屋に帰って、あれこれ閲覧。

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皇陵巡拝

2019-10-2

泊園記念会(東西学術研究所)からレジュメ(第59回泊園記念講座)締切日の通知。冊子にするらしい。
今月25日に小倉先生と小生が講筵。

依頼があってのち、小倉先生との雑談で「泊園(記念講座)、内容は何でもよいということでしたが、大丈夫ですかね?」と。
中国、漢学、藤澤南岳などのキーワードをはずしてもよいのかということだが、これまでの講座でもキーワードを外した講演者も散見され、「問題ないですよ」。
とはいえ、二人とも外すのはいかがなものかとも思い、こちらは藤澤南岳、黄坡に関する事項を予定。

レジュメの準備も1件残してほぼ完成。4~5頁しかないけど。

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Nara sacred images from early Japan

2019-10-4

昨日から大英博物館で標記の展覧会が開催。邦題は「奈良-日本の信仰と美のはじまり」展(~11月24日)。仏像・神像など15件19点が出品。

今年初め(1月23日〜3月18日)には、「ジャポニスム2018―響き合う魂」の一環としてフランス・ギメ東洋美術館で興福寺・地蔵菩薩立像、金剛力士立像が展示された。
奈良の仏像を観たければ、海外に飛べという時代になった。
もちろん関西以外の出品は、日常茶飯事。今夏には東京国立博物館で「奈良大和四寺のみほとけ」展、来年1月には特別展「出雲と大和」展、3月からは「法隆寺金堂壁画と百済観音」展。

不思議なことで、こうしたことに複雑な気持ちを抱かなくなった。
請われて大切に出品され、多くの人に感銘を与えられる像なら、仏像もそれで幸せであろう。老若男女、近くに仏像があっても観られることもないのは不憫である。

「あの時分で六、七万ドルだったが、今ならなんでもないけど、そのときは大きなものだった。だからといって、日本で出せないことはなかっただろうが、なぜ買わなかったのかと思ったものである。私は売りに出ているから買った。誰も買い手がなかったから買った。」と述懐した富田幸次郎の気持ちに似た感慨を抱く。

東京・上野にある「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」。
これに近い施設「奈良仏像館」が出来ることを予感する。
観たければ、ぜひ東京まで・・・来いと。

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見学会

2019-10-7

授業で、近代日本画の演習。

後半は近代京都画壇であるが、たまたま来月から京都国立近代美術館「円山応挙から近代京都画壇へ」展が開催。
授業予定に組んではいたものの、チラシに「前期後期で大展示替え!」とあるものだから、前期・後期とともに行こうということになって、予定を決める。

先月も興福寺見学だけで終わって、展覧会から足が遠のいていく昨今、ありゃありゃと思いながら、実作品を観る学生を見るのはけっこう楽しい。

昨年の2回生ゼミ見学はこの時期、高野山へ行った。
教室での授業よりも実際に出向いて(京都から高野山まで4時間かかったとは学生の弁)観るからこそ、大きな経験が出来るものと思う。

頑張って、前期・後期を制覇しましょう。

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信貴山縁起

2019-10-10

1回生の授業で「信貴山縁起絵巻」を“読んでいる”。

3巻あるうち、もっとも短い「山崎長者の巻」。詞書は「延喜加持」巻冒頭の5行ほど。
巻末の16紙(濃い部分)は錯簡だが、16紙の左端は10紙右端に直接繋がる。しかし16紙の右はどこに繋がるのだろうかとふと思う。
鉢を前に命蓮と長者が交渉する7紙の右側のように思えるも画面下の林とは連続しない。
もとは、もっともっと面白い場面があったのかもしれない。

こちらはわくわくしながら見ているが、発表者はそうでもないらしい。
わからないことが面白いのは大学ならではの学びと考えるが、まだ高校生の気分が残っているようにも思う。

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反省

2019-10-11

昨日の教養科目(294名受講)で私語があまりに酷かったので注意してもなお止まらなかったので、特定人を示して注意したのだが、これが完全な人違い。

速攻で抗議のメールが来た。当たり前だがマスクをしていたので私語できる訳はない。
すぐにお詫びのメールを返して、来週の授業冒頭でも詫びないといけない。

いつもとは違う狭い教室でのほぼ満員状態。なぜか教壇に立つと眼がしょぼしょぼする。
なんだか、いつもの1回生とは雰囲気が異なるように感じるこの頃。

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台風19号

2019-10-12

朝から風と雨が強い。

昨年の台風では、屋外駐車場に止めてあった他の車に被害が出ていた。小石が飛んでガラスがすべて割れていた。 幸いこちらは後ろのビニールハウスが障壁となって被害がなかったが、昨夜のうちに駅前の立体駐車場に避難。
今日は窓に養生テープを貼る予定だったが、外をみているとそれほど強い風でなさそうなので、様子見。

終日、TVと外をみながら自宅謹慎。
午後から深夜にかけて関東、東北、長野地方に大きな被害が報道。

近頃の台風は、ちょっと異常。

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断念

2019-10-15

授業の合間を縫って夜遅くまで18日締切の報告書の原稿を書いている。

報告書総体としては建築重視ながら、大寺院なので、寺内の仏像は最近に至るまで相当に各堂宇の間を移動している。
もちろん事情あってのことながら、仏像の制作時期=建築の創建時期ではない。それにしてもちょっとたいへん。

見通し暗く、締切には到底間に合わない。
現実的には2、3日の猶予があろうと、週末に託す。

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頂上対決

2019-10-16

通勤途上、吊り広告をみると興福寺南円堂、北円堂の特別拝観(明日~11月10日)。

揺られながら、この親子は仲がよかったのだろうかとつい思う。
康慶最後の事績は、建久7年(1196)の東大寺大仏殿の脇侍像・四天王像の造立。脇侍(虚空蔵)は康慶と運慶父子で制作し、四天王像は持国天像が運慶、増長天像が康慶。
お互いの史料、作品の初見を20歳と仮定すると、建久7年では康慶64歳、運慶40歳。
そう考え改めて吊り広告をみると、やはりライバルか。
ひょっとして高村光雲・光太郎のように互いの苦手な分野で融通していたりして・・・。

妄想しているうちに乗換え。

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いくらですか?

2019-10-18

文学部初年次生向きの講義(分担)が終了。

各回、講義での質問を書かせるのだが、「価格」を問う学生が少なからずいる。

イギリス・ヴィクトリア&アルバート美術館のファン・ディーメンの箱(日本漆器)の話をしても「いくらですか?」、鳥獣戯画の話でもニューヨーク・個人蔵の断簡(ブルックリン美術館)は「いくらで購入したのですか?」、東大寺大仏・大仏殿の江戸時代復興に関しても「再建費用はいくらですか?」などと。

かなり辟易。もちろん講義はほとんど金銭的な話はなく、唯一したのはアムステルダム国立博物館が購入したマゼラン・チェストの購入代金のみ。
頭のなかが美術的価値=金銭のようである。

そんなことなら、文学部ではなく商学部か経済学部に行けばよかったのにと思う。

吉本・粉モンの関西人のDNAは着実に受け継がれていることを実感する。

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郵便局

2019-10-21

週末、頑張ったにも関わらず、夜までずれ込んだ原稿が完成し、郵便局へ。
今回は大阪中央郵便局だったのでまだ軽度で済んだ。

大阪中央郵便局は、大阪駅前第1ビル地下1階にある。JR「北新地」駅から赤ら顔のサラリーマンが集う居酒屋群を抜けて投函。

ただ21:00で終了するので、重度の場合は阪急中津で降りて大阪北郵便局に向かう。24時間営業で便利だが、帰りがたいへん。下手すると終電に間に合わず、大阪駅前のネカフェを利用することにもなりかねない。

この頃、遅延が常態と化しているので、ついでにレターパックを大量に買い込む。

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黄櫨染御袍

2019-10-22

仕事の合間に「即位礼正殿の儀」を見る。
高御座の御帳が開かれ、黄櫨染御袍を着した天皇が登場。

この黄櫨染御袍も、東寺に行ったのかと、ふと思う。

東寺では、今も1月8日から14日までの7日間「後七日御修法」が行われる。
8日朝、勅使から天皇の御衣が東寺本坊へ届けられて、唐櫃に納められ灌頂院へ運ばれ、灌頂院で鎮護国家、五穀成就、国家豊饒が祈願される儀式。いわば御衣が天皇の分身。
そう考えると、黄櫨染御袍は東寺には来ていないとも・・・。

そんなことを考えながら久しぶりにTVを見る。

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やっちまった

2019-10-22

授業や仕事に追われ、展覧会も行けず、様々なことに振り回されて、くたばり気味。

書類を提出したところ、訂正があって返却されてきた。
以前使った様式をそのまま修正して出したのだが、冒頭の印鑑(氏名がワードなので印鑑が必要)をはじめ、日付も以前の日付のまま、出発時間等々訂正印が5箇所も。

部長の印が既に押してあるので(以前ならここで、まず返却再提出なのだが)、改めて出すこともできず「長谷」の印鑑だらけの書類を再提出する。

ちょっと休息したいのだが、このまま年度末まで行きそうな按配。
「悪夢の再来」。

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泊園記念講座

2019-10-25

午後より学内で第59回泊園記念講座。
小倉先生に続いて講筵。

「千里山学報」(後の「関西大学学報」)も引用しながらの「皇陵巡拝」。

現在のクラブ・サークル活動報告にあたる「学生彙報」冒頭に陸上競技部、相撲部などを差し置いて「千里山皇陵崇敬会」の報告が掲載。
時代とはいえ、時には写真入りの報告も散見。背景に時の総理事であった山岡順太郎の意向も漂うような気もする。
後には専門部にも「参陵会」が発足。

レクリエーション、行楽、クラブ活動としての「皇陵巡拝」。

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おかしいほど分らん

2019-10-26

明治10年4月に上野で第1回内国勧業博覧会が開催され、高村光雲は白衣観音像を出品するが、「博覧会というものが、まだ一般その頃の社会に何んのことかサッパリ様子が分らない。実にそれはおかしいほど分らんのである。」と記している。

おととい夜に科研費申請に際して代表研究者から研究分担者として大至急「本人承諾」「機関承諾」を求めるメールがきた。たしかe-radにあったような・・・。早急にアクセスするものの、該当する項目はない。
昨日、研究支援課へ電話でアドバイスをもらいながら、e-radをあけると、「研究分担者承諾」が出現。研究支援課にお詫び。

今朝メールを開くと、別の研究者からこちらが代表者となっている研究期間全体の配分総額と次年度の配分予定額を尋ねる旨。
配分総額は公表されているものの、今年度は申請額の13%減額、次年度の配分予定額も申請額の13%減額でいいのだろうか。

光雲が初めての内国勧業博覧会を「実にそれはおかしいほど分らん」と評したのは無理もないが、勤続15年、科研費に関して「実にそれはおかしいほど分らん」のは、研究者としての資質が欠けているとしか思えない。

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頭隠して尻隠さず

2019-10-28

月曜日なのか、様々な問い合わせがくる。

20年前以上に関係した方の連絡先。頂いた名刺を探す。当時、すでにご高齢だったのでご存命かどうか微妙。失礼ながら、GoogleMapストリートビューで調べると、門柱の表札が外されている・・・。
ともかく報告。

授業を終えてひと息つくと、今度は仏像の名称。
「お寺では『善女龍王』とおっしゃっているのですが・・・」と。
長谷川等伯の善女龍王像は女童形、ほかの像も頭部に龍を載せる、手の形も宝珠の皿を持つものなどさまざまで、いったい何像なのかと不安に。
送って頂いた写真を見ると、外れているが裾裏には龍尾がある。善女龍王像に間違いないと回答。18世紀後半ごろの制作。

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逆手の天部像

2019-10-29~30

某所で調査。

小さい天部像ながら戟を持つ手が逆手。
ほほえましくも凄みのある姿勢である。こうした類例はあるのだろうかと考える。
そんな地方でもないが、いつものことながら平安時代の仏像は難しい。
そのほかの像も台座銘があったり、鎌倉時代の阿弥陀如来像があったりで、調査の時間もどんどん過ぎていく。

地元の方も、涅槃図や昔に撮影されたモノクロ写真などあれこれと出してこられるなかにガラス乾板が数枚。
若干カビも生えており、思い切ってデジタル化を計ることにし、手書きの預かり証を発行する。

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悲痛

2019-10-31

朝、家人の「首里城、燃えてる!」との声で飛び起きる。

悪夢をみるかのような気持ちでTVの画面に釘付け。正殿が猛火につつまれ、崩れ落ちる。
正殿に隣接して黄金御殿特別展示室、南殿2階には特別展示室があり文化財も展示。正殿内にも扁額、絵画、彫刻などさまざまな工芸品が満ちている。
今年2月にようやく復元工事が完了したばかりなのに。

夜のニュースでは、「正殿」は文字通り灰燼に帰してしまっている。「北殿」「南殿」なども全焼。茫然自失。
夜遅く、美ら島財団から「(今進めている)集積再興事業への影響は少ないものと考えます。」とのメールが来たが、あまりに衝撃が大き過ぎてどう返事してよいのかわからない。

灰燼と化した正殿の前に立っている大龍柱。
泣きそう。

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