河北省
円明園 2007-3-1
康熙帝が後の雍正帝に与えた庭園。乾隆帝は長春園、綺春園と拡張し以後全体を円明園と呼ぶ。長春園の北にイエズス会士のブノワ、カスティリオーネ(郎世寧)が設計した噴水施設と「偕奇趣」「大水法」「海晏堂」「観水法」「遠瀛観」などの西洋建築を配した西洋式庭園。乾隆12年(1747年)に造営開始、24年(1759)にほぼ完成するも1859年、英仏連合軍の北京侵攻によって破壊され、今日に至る。
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康熙帝が後の雍正帝に与えた庭園。乾隆帝は長春園、綺春園と拡張し以後全体を円明園と呼ぶ。長春園の北にイエズス会士のブノワ、カスティリオーネ(郎世寧)が設計した噴水施設と「偕奇趣」「大水法」「海晏堂」「観水法」「遠瀛観」などの西洋建築を配した西洋式庭園。乾隆12年(1747年)に造営開始、24年(1759)にほぼ完成するも1859年、英仏連合軍の北京侵攻によって破壊され、今日に至る。