Part20

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過去の「KSつらつら通信」

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<目次>

第724号 個人と社会(2019.12.28)

第723号 卒論指導をしていて見えてくるもの(2019.12.26)

第722号 「悟り」を辞めた日(2019.12.6)

第721号 ラグビーは人気スポーツになるか?(2019.11.4)

第720号 26歳で子ども43人!(219.10.25)

第719号 持明院統と大覚寺統(2019・10.22)

第718号 「普通」の溶解(2019.10.20)

第717号 勝手なIOC(2019.10.18)

第716号 さんまが「食卓」から消える日(2019.10.12)

第715号 社会学はブラック?(2019.9.23)

第714号 甲子園で阪神戦を観て思ったこと(2019.8.29)

第713号 大和、武蔵、信濃(2019.8.14)

第712号 「反社」って何だ?(2019.7.26)

第711号 G20で得する人はいるのかな?(2019.6.28)

第710号 アメリカとイランが戦争を始めたら、、、(2019.6.22)

第709号 投資とギャンブル(2019.6.14)

第708号 「忖度」安倍総理の接待外交(2019.5.31)

第707号 ビクトリア女王(2019.5.24)

第706号 皇室版ALWAYS〜三丁の夕日〜(2019.5.4)

第705号 女系天皇はいない?(2019.4.30)

第704号 「24時間時代」をやめにしませんか?(2019.4.12)

第703号 新元号発表に思うこと(2019.4.1)

第702号 顔認証はどこまでできるのか?(2019.3.14)

第701号 プロフェッショナル・ゼネラリスト(PROFFESIONAL GENERALIST)宣言(2019.3.11)

第700号 気づいたら20(2019.3.8)

第699号 国際的地位の低下した日本(2019.2.16)

第698号 四日市を歩く(2019.2.12)

第697号 アジアカップを通して見る森保ジャパン(2019.2.2)

第696号 児童虐待(2019.1.30)

第695号 大相撲界への提言(2019.1.25)

第694号 家族アニメはいつか終了に追い込まれないだろうか?(2019.1.18)

724号(2019.12.28)個人と社会

 個人の自由は尊重されるべきかと問えば、多くの人がそうだと答えるでしょう。しかし、個人の自由はどこまでも許容されるものでしょうか。そうではないということは、少し考えたら誰もがわかることです。

 「人を殺す自由」などという極端な例を挙げなくても、個人の自由には制限をかけなければ社会は成り立たないという例はいくらでも挙がります。日本で「三大義務」と言われる「教育」「勤労」「納税」も自由にさせたらやらない人がたくさん出てきて、社会の運営に支障をきたすことになるので、義務として定めているのです。ただし、この中で果たさなければ法的に罰せられるのは、納税だけで、学校に行かなくても、働かなくても、法的には罰せられません。しかし、もしも多くの人が勉強なんかめんどくさいと教育を受けなくなれば、国民の知的水準は下がってしまいますし、大多数が働かなくなれば日本は何も生み出さない社会になってしまいます。

 もともと個人と社会の求めるものは違います。個人は個人としての幸せを求めるのに対し、社会はその成員全員が暮らしていける保証を与えることをめざします。社会がより良くなるように考えて生きて行こうとする個人なんて、極少数の理想主義者だけです。それでも、これまで社会がそれなりに発展してこられたのは、個人が幸せを求めて行う行動が、結果的に社会にとって必要な行動になっていたからです。

 たとえば、しっかり勉強して知識と思考力を身に付け、生活が豊かになるように仕事に就き、一所懸命働きお金を稼ぎ、人生をともにする異性のパートナーと結婚し、子どもを持ち、車や家も買い、穏やかに少しずつ豊かに幸せになっていきたいというのが、近代的個人の求める生き方でした。そして、それは社会から見ると、社会成員が教育を受け能力を高め、生産物を生み出すために働いて税金を納めてくれて、次の世代の社会成員を生み出し育ててくれ、さらには消費もして経済を活性化してくれるという、まさに社会が期待する行動そのものだったのです。

 しかし、最近の個人の自由を尊重する立場は、こうした社会がその成員に期待するような生き方とは異なる生き方をおおらかに肯定するようになっています。曰く、学校も辛かったらいかなくていいよ、仕事も辛ければやめていいよ、結婚もしなくてもいい、子どもも持たなくてもいいとなってきています。本当にこれでいいのでしょうか?少なくとも、社会の視点に立てばいいはずはありません。このままでは、日本社会は100年後、いや50年後か下手をしたら30年後には存続が危ぶまれる社会になっている可能性は大きいです。

 このまま手をこまねいていていいのでしょうか。日本社会なんか自然消滅してもいいと考える人ならこのまま放置しておけばいいという結論になるかもしれませんが、日本社会が好きで、自分の子どもや孫の世代、いやそのもっと先まで、日本社会には生き残ってほしいと思う人なら、今の自由過ぎる生き方選択がOKとなっていることに疑問の声を上げるべきです。

 結婚や子を持つことが義務化されていなかったのは、かつてはそんなことはしなくても、大多数の人は結婚し、子どもを持ちたいと思っていたからです。現在のように、結婚しない生き方もありだよね、子を作らない生き方もありだよねという価値観が広まる時代においては、そうした生き方の自由に対して何らかの歯止めをかけるべき時代がきている気がします。

 具体案はいろいろあります。でもどれも今の時代においては過激な案として非難されそうなので、この誰でも読めるHPには書きにくいです。興味がある人に機会があれば個別にお話しします。

723号(2019.12.26)卒論指導をしていて見えてくるもの

 4回生の卒論執筆とそれに対する私の指導が、現在佳境に入ってきています。以前よりゼミ生の数は減ったとはいえ、17名の卒論に赤を入れて返す作業はやはりなかなか大変です。もっと手抜きで指導している教師も少なくないと思いますが、私は卒論は大学生活の集大成なのだから、しんどくても、そこは頑張ってやらなければと思い、厳しく指導し続けています。返してもらった学生の中には、あまりにもけちょんけちょんにコメントされていて一瞬ショックを受ける人も少なくないですが、しばらくすれば「これだけ一所懸命先生が厳しく指導してくれるなんてありがたいことだ」と思って、もう一度卒論にちゃんと向き合おうという気になってくれます。いい加減なレポートだと気づいても、「これでいいですよ」と言ってしまってよければ、教師も本当に楽です。しかし、それは教育ではないでしょう。駄目なものは駄目と言い、こういう風に直したらよくなるのではというところまで考えてアドバイスします。これがかなり大変です。「駄目」という評価だけ言って、後は自分で考えなさいという突き放すような教員もいるかもしれませんが、私は必死に学生の考えようとしていることは何かを見い出し、その土俵の上でどうしたら改良されるのかを考え、アドバイスします。なかなかいいアドバイスが思いつかず四苦八苦することもしばしばです。でも、プロの社会学教師としてそこは必死で考え、アイデアを捻りだします。真剣勝負です。いいアイデアが出た時は自分でも気持ちがいいものです。

 もうひとつ卒論の赤入れをしながら面白いのは、学生の能力が端的に見えることです。最近の就職活動はコミュニケーション能力ばかり問われているようですが、卒論の校正をしていると、コミュニケーション能力以外の能力がクリアに見えてきます。問題発見力、論理的思考力、調査力、文章力、まじめさなどです。私のゼミでは、3回生の12月頃から卒論テーマを決めさせます。まず、ここで社会関心の程度がわかります。これといったテーマを見い出せないという人は、社会で起きていることに日頃からアンテナを張っていない人です。まあしかし、決まらないと何も進まないので、私も最低限のアドバイスをして、社会学的に見て研究する価値のあるテーマを3回生の1月には決めさせます。ただし、テーマと言ってもまだ本格的な卒論タイトルになるようなものが決まることは珍しく、多くの場合は研究対象が決まるくらいのことになります。そして、4回生の春学期に2回報告をする中で、テーマをより具体的な問題意識に昇華していきます。4回生の夏休み前までにほとんどの人をそこまでたどり着かせたいと思っているのですが、こちらのアドバイスを消化できなかったり、きちんと自分で調べて考えようとしなかったりする人は、ぼやっとしたまま秋学期になって卒論を書き進めてしまいます。そんな状態で提出されてきた卒論は、問題意識がちゃんとできていなくてひどいものです。研究対象だけは決まっているが、それについて調べてどういう結論を導きたいのか、まったく自分で見通しもつけないまま書いているので、研究対象をめぐるエトセトラといった支離滅裂なものになっています。もっと必死で頭を使えと思います。こんなつながりのない羅列的な情報を並べて、何か意味があるのかどうか、自分でも読み直してみたらわかるのでは、と思います。

 自分で読み直さずに出す人が多いので、誤字脱字はもちろん、文章としておかしい、同じ文章を何度も貼り付ける――コピペ蔓延しています――、コピペのままなので意味がわからないままの語句をそのまま使うとかが横行しています。コピペはもちろんよくないですが、昔だって本を丸々写す人もいたので今の時代だけのことではないです。ちゃんと引用だということを明示して、自分で消化できたものを使う分にはあまり目くじらを立てることもできないなと思っていますが、実際は引用元も明示していない、自分で理解できていないまま貼り付けるという人がたくさんいます。そして、そのままのコピペはせずに、自分なりにまとめたり、自分の言葉で書こうとしている人の中には、あまりにも文章が下手で大学生のレベルに達していないという思ってしまう人もしばしばいます。まあ、今どきの大学生は全体に文章が書けなくなっているので、私の考える大学生レベルは一昔前なのかもしれませんが。それにしてもひどいものが多いです。読点がうまく使えない、改行のポイントがわかっていないため、文意が取りにくくなっているという人は多々います。本を読んでないからだろうなと思います。本をよく読んでいれば、文章のリズムというのが自然に身に付きます。今は、小説も含めて長い文章を読む習慣を失っている大学生が多いので、文章の書けない人もたくさん生まれているのでしょう。

 そして、まじめに地道にコツコツと目標に向かって努力のできる人がどうかということも卒論から見えてきます。やることは見えているはずなのに、なぜこんなに手抜きでやらないのだろうと残念に思う人も少なくないです。大学の勉強なんて、卒論なんて頑張らなくていい、私はバイトに遊びに趣味に忙しいのだから、ということでしょうか。冗談じゃないと思います。高い学費を払い、熱心に指導してくれる教師もいるのに、なぜ活かさないのか、と思います。今やるべき時にやるべきことをやれない人間は、社会に出てからもやるべきことはきっとできないので、使えませんよ。表面的なコミュニケーション能力だけで、長い人生は乗り切れませんよ。

 あるまじめに頑張っている4回生が、「こんなに赤を入れられて駄目出しされたのは人生で初めてです。最初はショックでしたが、これは先生の愛だなと思って頑張って直します」と言ってくれました。きっと他の人も同じように感じてくれていると信じています。もう卒論提出まで2週間程度しかありませんが、卒論発表会までなら1カ月以上あります。そこまで本気で卒論に取り組んでみてください。本気でやったら、必ず研究していることが面白くなるはずです。研究論文として素晴らしいものにならなくてもいいから、自分なりにやれるだけのことはやった、卒論でこのテーマに取り組んで面白かったと思えるところまでたどり着いてください。いい加減な卒論で終わらせて満足感を持てますか。なぜ大学に来たのか、なぜ社会学を学びたかったのか、最後に自分なりに答えをつかんで卒業してください。

722号(2019.12.6)「悟り」を辞めた日

今年の4月以降いろいろうまく行かないことが多く、悩みながら過ごしてきました。そして、その悩みの中から、もう来年は65歳になり高齢者の仲間入りだし、いろいろなことをこれまでのようには期待しすぎずに生きることにしようという「悟り」のようなものを秋頃になってつかめた気でいました。

しかし、その悟り生活をやめることにします。ほんの2カ月弱の短い悟り生活でした(笑)「悟れた」と思ったのは、妻が1カ月以上「冬眠」し――この1年間だけでも4回くらい「冬眠」しています(笑)―― 一切何もしないという生活を淡々と耐えられたからでしたが、起きだしてからは、そのルーズさに怒ってばかりで、まったく悟りの境地に達してないことが自分でもよくわかりました。

また、悟らないと辛いと思ったもう一つの理由が、最近の学生たちに私の指導の効果が出ないことでした。そこで、がっかりしないように期待しすぎないという「悟りの境地」に達したことにしようと思って、しばらくやってきましたが、学生たちとそんな薄い関わり方をしていると、教育自体が全然楽しくなくなってしまうということも実感しました。「喜怒哀楽」は連動しているようです。「怒」と「哀」だけ抑えられたらと思いましたが、「喜」と「楽」も小さくなってしまうのだということに気づきました。

そもそも、来年65歳になり高齢者入りするとは言っても、私はまだ体力も気力も十分あるのに、それらを無理に抑え込んで暮らすのは自分で自分を抑圧してしまうだけで、ストレスが急速に溜まるのを最近ひしひしと感じていました。自然体ではない生き方になっていました。自然体で生きることをモットーにしてきた私には似合わない生き方でした。

悟るのを辞めると、これからまたいろいろなことに腹を立てたりがっかりしたりもすることもあるかと思いますが、うまく行った時や結果が出た時の喜びや楽しみもまたたっぷり味わえるので、その方がまだ今の私には合っているようです。

ということで、悟り期間は、わずか2カ月弱で終了とします(笑)まだまだ気力も体力も充分あります。しばらくはあがいてみます。

721号(2019.11.4)ラグビーは人気スポーツになるか?

 ラグビーW杯が終わりました。始まる前はまったく盛り上がらなかったのが、日本チームが予選ラウンドを全勝で勝ち抜いたことで、一気に注目度が増し、自称「にわかラグビーファン」が急増しました。私自身も最初は日本戦すら録画していなかったのに、最後の方は日本戦でなくとも録画して観ようとしていました。まだ興奮冷めやらぬという感じで、テレビでは毎日のようにラグビーの話題を取り上げています。

 さて、ではこのままラグビーは男子サッカー並みの人気スポーツになっていくかどうかについて考えてみたいと思います。最初に結論を言ってしまうと、無理だろうと思います。「にわかファン」はやはりあくまで「にわか」であって、日本チームが活躍していたので関心を持っていたというだけで、ルールやラグビー自体の本当の魅力がわかって応援していたわけではないので、次のW杯で日本チームがまた活躍するまで関心を持たずに過ごすことになるでしょう。実際4年前に、ラグビー史上最大の番狂わせと言われ大きな話題となった南アフリカの勝利と、五郎丸人気で一時盛り上がったラグビー熱も1年もしたらすっかり冷めていて、今回の自国開催のW杯なのに、事前には紹介番組や盛り上げもほとんどないという状態だったという事実があります。

 ルールがわかりにくいからという声もよく聞きますが、それ以上にラグビーの世界的普及の程度とシステムの問題が、サッカーに比べるとかなり劣っているのではないかと思います。まず普及についてですが、ラグビーは、基本的にはイギリス連邦のみで人気のあるスポーツというところから脱していないように思います。今回のW杯に参加した20か国中、もともとはイギリス連邦の一部だったというチームが13か国です。イギリスに至っては、イングランド、スコットランド、ウエールズ、アイルランドと4か国も参加しています。サッカーの強い中南米からは、アルゼンチンとウルグアイだけ、アジアからは開催国の日本だけです。これでは世界的なスポーツとは言えないのではないでしょうか。WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)が世界的に盛り上がっていないのと一緒でしょう。実際、オリンピックでは15人制のラグビーが採用されていないのも野球と似たような位置づけだということの表れでしょう。

 そして、このオリンピックで正規の15人制をやらないことで、それなりに盛り上がる世界的大会が4年に1度しかないこと、それに出るための予選や親善試合への注目が集まらないことも、今後「にわかファン」を「固定ファン」に変化させるうえでのネックになっています。サッカーだと4年に1回のW杯に加え、その間に4年に1回のオリンピックがあり、ともに世界中のほとんどの国がそのいずれへの参加もめざして切磋琢磨し、ファンは始終自国のチームを応援するチャンスがあるという形になっています。クラブチームによるリーグ戦はサッカーでもなかなか観客動員を集めきれないチームもあるくらいですから、ラグビーのクラブチームが観客を動員するのはより難しいでしょう。コアなファンは別ですが、にわかや流行に乗りたいというファンは、やはり国の代表チームへの応援という形を求めます。これが適宜あることによって、少しずつ「にわか」も固定化されていくものですが、ラグビーにはその仕組みがありません。

 もうひとつ指摘しておきたいのが、ラグビーはかなり危険なスポーツだという印象を吹っ切れないことです。今回のW杯の盛り上がりで、ラグビー教室に通う子どもたちが増えているらしいですが、親――特に母親――からすると、ラグビーはできたら避けてほしいスポーツでしょう。タックルという形での肉弾戦はどう見ても、他のスポーツ以上に怪我の可能性が高いと思ってしまいます。また、野球選手やサッカー選手の体型と比べると、ラグビー選手に必要とされる体型はどう見てもスマートとは思えず、あの体型になっていくことを母親の立場から喜べるかと言えば、やはり本音では喜べないというのが正直なところでしょう。相撲の次くらいに、息子にやらせたくないスポーツと思っている母親はかなりいることでしょう。(将来お金になるかという点で言えば、相撲より下かもしれません。)今や、少年野球も草サッカーも、母親たちの支援なしにはなかなかものになりにくい時代のようですから、母親たちの警戒感が取れないラグビーのすそ野は広がりにくいと思います。

 最後に、黄色人種である日本人だけでは、どう見ても勝てる体型の選手のそろったチームは作れず、黄色人種でない日本人――見た感じが多くの日本人と異なる人たち――が不可欠であり続けるだろうと思います。今回のW杯では、そうした様々な出自の選手が「ワンチーム」を作り上げたことが高く評価されていましたし、それは素晴らしいことと思いますが、見た目が多くの日本人と違う人がどんどんチームの中心、多数派となっていった時、どこまで日本人は本気で応援できるのかというのも疑問です。サッカーでも、ヨーロッパのチームなどで、黒人選手が多数を占めたりしていると、「本当にこのチームは我が国のチームと言えるのか?」といった議論が湧いてきます。日本のサッカーが人気があるのは見た感じも典型的な日本人という選手たちがほとんどで構成されているという要素もある気がしてなりません。国を本気で開く気がない日本人も、スポーツで素晴らしい成績を出す見た目が日本人っぽくない人が現れると、「すごいねえ、日本人」とか言っていますが、どこまで本気で日本人と思って応援しているかは怪しい気がします。本当は、ラグビー日本代表のあり方は、今後の日本社会の進むべき方向を示している素晴らしいあり方だと思いますが、本音で言うと、なかなか受け入れられないという日本人は多い気がします。

 以上の分析から、日本でラグビーが一気に人気スポーツになることはないというのが私の結論です。

720号(2019.10.25)26歳で子ども43人!

 タイトルを見て何かの比喩かなと思った人も多いでしょうが、本当にそういう人がいるのです。昨日の朝、「とくダネ!」というテレビ番組で古市憲寿の新コーナー「1パーセントの社会学」で紹介されていた方です。どういうことかというと、ボランティアで精子を提供したため、その結果として、この人のDNAを引き継いだ子どもが43人も生まれているそうです。もう一人、同じように精子の無償提供をしている40代の男性は15人の子どもがいるそうです。もちろん、一緒に住んでいるわけではないし、養育の義務も将来の遺産相続もないということを、事前に契約した上での精子提供だそうですが、話を聞きながら、こんなことが広まっていいのだろうかという、疑問が強く湧いてきました。MCの小倉氏もコメンテーターたちも首を傾げながらも、全否定はしにくい時代だという、もやっとしたコメントをしていました。

 これまで日本では、夫が無精子症で子どもができない夫婦に、許可された大学病院などで、匿名の男性の精子を人工授精するという処置がされていましたが、しかし、近年子どもの人権擁護の立場から、成長した子どもから要望があった場合、精子提供者の氏名などを明らかにしないといけないことになり、精子提供を申し出る人――多くの場合、医学部の学生だったようです――が大幅に減ってしまったそうです。その一方で、同性婚で子どもが欲しいなど、新たな家族の形に合わせて精子需要は増しつつあるようです。その結果として登場したのが、上で紹介したような自分の精子を無償で提供しますという男性たちだったわけです。40代の男性は、最初は知り合いに頼まれたと言っていましたし、話からすると知り合いが多いのかなという感じでしたが、26歳の男性の方はどうもネットで情報を流していたように感じました。ちなみに、40代の男性は既婚者で子どももいる人で、妻には内緒でこのボランティアをしているそうです。26歳の男性は「自分は悪いことは何もしていないのだから」と、結婚した相手にも伝えたそうです。奥さんは理解できないと泣いたそうですが、その段階ではやめなかったようですが、今、その奥さんとの間に4カ月の子がいて、気持ちが変わってきて、今は新規提供はしていないと言っていました。

 アメリカなどでは大分以前から精子売買がされていると思いますが、このままで行くと、日本もそうなりそうです。本音を言えばこういうことが行われるのには反対したいのですが、どうしても精子需要があるということなら、日本もきちんとビジネスにした方がいい気がします。こんな奇妙な無償「ボランティア」で、ある男性のDNAを受け継いだ人が自分の父親が誰かわからないまま、50人、100人と生まれてしまうのは恐ろしい気がします。精子需要があるなら、きちんと法的ルールを決め、きちんとした企業や医療機関が責任をもって契約をした方がいいと思います。精子を求める人からは費用を払ってもらい、その一部を精子提供者に払う。ただし、精子提供者は、将来成長した子どもが父親が誰かを知りたいと望んだ場合には、名前は明かされることを了解する。遺産相続や扶養の義務などは相互にないものとする。あと、同一人物の精子は最大でも10人しか人工授精できない。最低限こんなルールが必要ではないでしょうか。

 それにしても、現代社会は、子どもは自然に生まれるという考え方ではなく、子どもは意図的に産むという考え方になっていますよね。まあ、医療技術が発展し、それが可能になってしまったのだから仕方がないと言えば仕方がないですが、自己都合で子どもを産む人は、子どもも1人の人間として育ち、人格を持ち、悩み、考えながら成長していくのだという認識をちゃんと持っているでしょうか?最初に紹介した2人の男性から精子提供を受けた女性たちは、生まれた子どもたちが将来父親のことを知りたがった時に、どう答えるのでしょうか?

719号(2019・10.22)持明院統と大覚寺統

 即位礼正殿の儀で休日になった本日、テレビで天皇家関係の報道を見ていて一番気になったのが、新天皇が若き日に天皇家の歴史を調べ、特に花園天皇が後継者に残した言葉を大切にしているという映像を見て、「花園天皇って誰だろう」と気になって調べ始めたら、非常に面白かったので、ちょっとここでも紹介させてもらいます。

 花園天皇は第95代の天皇で、皇位を譲られて次の天皇になったのは、鎌倉幕府を倒し建武の新政を敷いた後醍醐天皇です。しかし、二人の間柄はふたいとこに当たり、近い関係ではないです。花園天皇が言葉を伝えたかった後継者とは、後醍醐天皇ではなく、甥で後の北朝初代天皇となる光厳天皇です。つまり、花園天皇は南北朝に分かれる前の最後の持明院統の天皇だったのです。花園天皇と後醍醐天皇の曾祖父にあたる後嵯峨天皇の息子2人――後深草天皇と亀山天皇――の子孫が持明院統と大覚寺統として天皇を交互に出し合う両統迭立という奇妙な皇位継承慣例がこの時あったのです。持明院統の花園天皇は慣習通り大覚寺統の後醍醐天皇に譲位したわけですが、後醍醐天皇は持明院統に皇位を戻す気はなく、そのまま子、孫に引き継いでいきます。これが南朝吉野の天皇たちになります。

 慣習を破られて納得のいかない持明院統は、足利尊氏の支援を受けて、京都で天皇としての正統性を唱えます。明治期以降、南朝が正規の天皇で、京都にいた持明院統(北朝)の天皇は正規の天皇ではないという位置づけになってしまいましたが、果たしてこの頃実際にどちらが正統な天皇と見られていたかは不明です。ただ、京都にいただけ、現実的には持明院統の方が天皇としての祭事を行えていたのではないかと個人的には想像していますが。いずれにしろ、天皇家にとっては非常に難しい時代で、あまり詳しく知られない方がよさそうな時代の天皇について関心を持ったということを興味深く思いました。

 さて、今まであまりちゃんと考えてこなかった持明院統と大覚寺統の2系列に分かれたのはなぜなのかについて、この機会に調べてみました。そうすると、これも非常に面白く、鎌倉幕府と朝廷の関係に関わってくるのだということがわかりました。どういうことかというと、鎌倉幕府の初期に、後鳥羽上皇が承久の乱を引き起こし、息子である土御門上皇と順徳上皇とともに流刑になります。この戦いで、鎌倉幕府――実質は執権・北条氏――が皇位継承にも口を出すようになります。土御門にも順徳にも息子がいましたが、鎌倉幕府としては自分たちに逆らった上皇の子孫に天皇家を継がせたいはずはなく、後鳥羽上皇の弟であった守貞親王の子である後堀川を天皇に立てますが、若くしで亡くなり、さらにはその子どもである四条天皇も12,13歳で亡くなり、結局、後鳥羽上皇系列に皇位を継承させるしかなくなり、土御門の子であった後嵯峨天皇が即位することになります。

 そして、その後嵯峨が亡くなった時に、どうせ幕府が勝手に都合のよい人間を天皇にするんだろうと後継指名をしなかったため、その2人の息子の系統がともに正統性を主張し、持明院統と大覚寺統が交互に皇位を継承するという奇妙な慣習ができ、さらには南北朝の戦いまで引き起こすことになったわけです。この両統の対立が終わるのは、足利3代将軍義満の時に南北朝の統一がなるまで待たなければならなかったわけです。そして、もしかしたら今でもくすぶっている南朝(大覚寺統)が正統な天皇であるなら、現在の天皇まで続く北朝(持明院統)の系列は本当に正統なのかといった隠れた重大問題を生み出したわけです。。

 「花園天皇」から調べ始めて、いろいろ知識が増えました。ああ、歴史は本当に面白いです。

718号(2019.10.20)「普通」の溶解

 10年ほど前からじわじわとそういう感じだよなと思い始め、最近は間違いなくそうなってしまったなと思うのが、「普通の生き方」という基準がほぼなくなってしまったということです。1955年に生まれ、60年代、70年代という時代に価値観を形成してきた私は、「普通」の人には「普通」の生き方があるということを信じて疑いませんでした。学校を卒業して社会に出たら、仕事をまじめにコツコツ行い、人生のパートナーを見つけて結婚し、子どもを持ち、その子たちをちゃんと育て上げること、それが「普通」の人の生き方だと思っていました。そして、その生き方をすることは、個人としての幸せを得られる上に、社会への貢献にもなる生き方だと思って生きてきました。今でも、個人的にはそういう生き方を続けていますが、最近の若い人たちに、「これが普通の人が幸せになる生き方だよ」と言えるかというと、もう言えないような気がしています。

 「普通」なんてない、というのが今の時代の見方でしょう。一所懸命働くことも、結婚することも、子どもを持つことも、たくさんある選択肢のひとつに過ぎず、別にそうしなくてもいいと、時代は囁いています。組織に入ってしんどい思いをしてまで働く必要があるのか、ユーチューバーを代表に、無駄に人に関わらずに、趣味でお金を稼げたりする選択肢もたくさんあるんじゃないか。結婚なんて制度になぜ縛られなければならないのか。永遠に愛し合うなんて無理に決まっているし、実際不倫も蔓延しているじゃないか。大体、好きになる相手は異性でなくてもいいはずだし。子どもなんて、自分の自由を制約するだけの存在じゃないか。子どものためではなく、自分のために生きたい。子どもを持っている人の子育てを見ても、本当に子どものためになると思っているのか、自分の人生を豊かにするための「道具」にしてたりしないか。「就職」「結婚」「子育て」を押し付けられる理由はない。

 でも、本当にそうなのでしょうか?社会にとっては、という見方を導入するなら、果たしてこのまま「普通」が溶解して行くのを、そのまま見守るべきなのか、ということには異なる結論が出る気がします。社会の一員である個人の自由はどこまでも許容されるべきなのかどうか、きちんと議論されてもいいことだという気がします。

717号(2019.10.18)勝手なIOC

 東京オリンピックまで300日を切った今頃の時期になって、IOCがマラソンと競歩を札幌で実施することに決めたと発表しました。なんで今頃になって、というのが多くの日本人の気持ちでしょう。8月の日本が暑いのは最初からわかっていたことです。日本でも暑さ対策をどうするか一所懸命考え、スタート時間を早朝にしたり、道路の舗装を温度の上がらないものに変えたり、なんとか8月の東京でマラソンができるように金と時間をかけて考えてきたのです。それがここに来て、札幌実施に変更なんて、あまりにも開催国の意向を無視しすぎです。変えるなら、オリンピックの開催時期こそ変更すべきです。1964年の東京オリンピックは、開会式が1010日でした。「スポーツの秋」と言われる一番気候のよい時期です。今回だって、その時期にしておけば、なんの問題もなかったのです。それを欧米の都合で酷暑の78月開催に決めてしまったわけです。

 そして、こんな時期になってアスリートの健康が心配だから札幌にしろというわけです。おかしいでしょ。オリンピックは都市開催で、立候補したのは札幌でなく東京です。男子マラソンなんて最終日に行われる超メイン競技です。それを東京で行わないなら、東京オリンピックと言えるのかと疑問を提示してもいいくらいです。真夏にやらなければならないことが前提なら、酷暑になることがわかっている都市での開催なんか決定しなければいいのです。開催地に選んでおき、日程や競技の場所すらIOCが決めるというなら、全部IOC負担でやればいいのです。大事な問題で開催地の希望が通らないなら返上すればいいのです。

 でも、日本という国は結局唯々諾々とIOCの決定に従い、必死で準備をするんでしょうね。ああ、無駄金です。「やめてしまえ、東京オリンピック」と私は言いたいです。でも、そんな風に思う人は極わずかなんでしょうね。

716号(2019.10.12)さんまが「食卓」から消える日

 秋の風物詩のサンマの水揚げ量が減って食卓に上がりにくくなったというニュースが少し前に流れていましたが、ここで語ろうと思っているのは、実は魚のサンマの話ではなく、お笑いタレント明石家さんまのことです。「お笑いモンスター」とも言われ、20歳代前半から40年以上テレビに出続けてきた明石家さんまですが、そう遠くないうちに干されるか、自分で引退して、テレビに出なくなるのではないかという気がしています。特に、家族が食卓を囲むゴールデンタイムの番組からは完全に消えていくのではないかという大胆な予想をしています。

 こういう予測をするのは、今の彼の芸風を時代が拒否し始めているのではないかと思うからです。彼の芸もいろいろ変化してきました。若い時は、時には奇天烈なキャラクターに扮してみたり、ある時はスマートな若者になったりしていましたが、徐々に天然ボケの素人やタレントをいじる「ツッコミ芸」が、彼の主たる笑いの取り方になってきました。そして、それはツッコミどころの多い人ばかりでなく、特におかしなことをしないタレントにも同じように向けられるようになりました。すでに終わってしまった番組ですが、彼が30歳くらいから始まった「さんまのまんま」という番組は、番宣でやってきたタレントを相手に、そのツッコミ芸でトークを展開する番組の典型でした。時には、さんまのきつすぎるツッコミに涙を流す女性タレントや、嫌々ながらさんまのツッコミ芸に付き合うタレントの困った顔を何度も見てきました。それでも若い時は、同じようにツッコミを入れていても、自分も落として笑ってもらおうという姿勢も強く、それほど偉そうな感じではなかったですが、タモリ、北野武とともに「お笑いBIG3」と言われるようになってきた、ここ20年前くらいからは、大物タレントがその立場を利用して偉そうにしているという印象を受ける人が少しずつ増えてきていました。

 長く「好きなタレント」のトップを維持していたのを、サンドイッチマンに抜かれたのが23年前だったでしょうか。当然の結果というか、むしろ遅すぎたように思います。今の時代は、彼のような芸風は、芸ではなく、ただの「ハラスメント」ではないかと見る人が増えてきている気がします。さんまの発言は、セクハラではないか、パワハラではないかと、誰か影響力のある人が言い始めたら、その意見が一気に広まるような気がします。そして、テレビ局はテレビ局自身が批判されることを怖れて、出演料もべらぼうに高い明石家さんまを切るという判断をしそうな気がします。そして、さんまはどんどん番組を切られていくのを潔しとせず、自分からテレビからの引退を選ぶのではないかというのが私の読みです。

時代に愛されたマスメディアの寵児が、時代に見捨てられるという事態が生まれるのではないかと思います。今の時代に合わせたお笑いがどういうものになるべきかはわかりませんが、間違いなく時代は変わってきており、少なくとも明石家さんまの芸風はもう受け入れられなくなっていると思います。

715号(2019.9.23)社会学はブラック?

 先日、某国立大学の社会学者とお会いした時に、その大学では最近「社会学はブラックだ」という評判が立ち、社会学を希望する学生が減って困っていると話しておられました。一瞬、「えっ、なんで社会学がブラックなんだ?」と思いましたが、いろいろ話を聞いているうちに、なるほど今どきの学生からしたら「社会学=ブラック」という論理も出てくるのかもしれないとなあと思えてきました。

 どういう論理かというと、社会学は何を学ぶのかが明確でなく、自分で問題を発見しなさい、その方法も自分で見つけなさい、さらには正解もひとつではない、といったことを当たり前のように言うわけですが、これが今どきの何でもローコストで済ませたい学生からしたら、「わけわかんない。なんでそんな手間をかけて正解のない研究をしなきゃいけないの?」ということになるのでしょう。

 そういう手間のかかること、面倒くさいことを、今どきの若者はすぐに「ブラック」と言いたがります。「ブラック企業」「ブラック・バイト」「ブラック部活」etc. 確かに、中には世代を超えて「ブラック」と言わざるをえないケースもあるとは思いますが、他方で、ちょっとでもしんどければ「ブラック」と言って、頑張れない、頑張らない自分が悪いわけではないと自己正当化しているケースも多いように思います。楽だけして得られるものなんてたいしたものではないと信じている私のような価値観は、今の若者から見たら古臭いのでしょうが、そこは、私は譲りません。

 私は、ゼミはもちろん1回生の基礎研究クラスですら、深く考えずに安易にレポートの形だけ作ってしまえばいいと考えている学生には厳しくダメ出しをします。自分で考え悩み調べるから、知識も思考も身に着くし、視野も広がるのです。ネットから関連しそうなグラフや表を見つけてそれをとりあえず並べてレポートとしているのでは、学生は成長できません。しかし、こういう厳しい指導をする教師は、今どきの学生からしたら、「ブラック」なのかもしれません。かつては、私の基礎研究を経てもっと私の下で学びたいとゼミを選んでくれる学生がそれなりにいたのですが、ここ最近はそういう学生は非常に減り、「熱い指導なんて要らない」と避けられているように思います。

 社会学を身に付けたら、物の見方が広がり、生き方選択でもミスが減ります。こんな素晴らしい学問を「ブラック」と言ってしまう学生たちが残念でなりません。関西大学社会学部社会学専攻の学生でも、イメージが湧きやすい(=ブラックでない?)心理学やメディアの方が面白そうと思っている人は多いと思います。違うんだけどなあ、わかってないなあと、最近は日々忸怩たる思いです。

 卒業後も、社会学を学びたいという社会人と「片桐“社会学”塾」というのも作っています。そこでは、いかに社会学が社会に出てからも役に立つかという声がたくさん届いています。ぜひ一度その声だけでも知ってみてください。「塾生の声 PART2」(http://www2.itc.kansai-u.ac.jp/~katagiri/jukusei2.htm)  「社会学部タイムライン」(http://www.kansai-u.ac.jp/Fc_soc/timeline/detail.html?uid=168) 

714号(2019.8.29)甲子園で阪神戦を観て思ったこと

 大阪府民になって36年以上経っていますが、初めて甲子園で阪神戦を観てきました。私は長嶋茂雄に憧れた野球少年でしたが、長嶋がユニホームを脱いでからは野球にすっかり関心がなくなり、新聞で結果を追う程度になってからもう長いです。今回は4回生ゼミ生が、男子で甲子園に野球を観に行こうという企画を立てて、私も誘ってくれたので行くことにしました。

 前半はチャンスらしいチャンスも作れない試合展開でしたが、こんな試合でもファンって楽しめるんだなと感心しました。それなりの選手が出てくると、その選手を応援する応援歌の歌詞が電光掲示板に示され、多くのファンがその歌を大きな声で歌い、両手に持ったプラスチックのミニバットを振り打ち鳴らします。特に、私の席の後ろにいた小学校3年生くらいの男の子たち45人と、前の席にいた金髪にタオルで鉢巻したお兄さんはずっと声を出していました。

 なんか球場全体でイッキ飲みのコールをしているような気がしました。うちのゼミではイッキ飲みは絶対にさせませんが、近くの席でやっているコールとかを聞くと、飲む順番の人を対象にみんなで歌って盛り上げてやるというのがルールのようですが、選手に対する応援歌もまるでそういう感じでした。きっと後ろの席にいた小学生は、将来イッキ飲みのコールとかも上手にやっているんだろうなと思ってしまいました。

 そしてあと感じたのが、ここは非日常を味わえる「祭」の場なんだろうなということです。試合がある日、ここに来てユニホームを着れば、あっというまに、ほんの少し前までの日常を忘れ非日常を楽しめる場なのでしょう。食べ物も飲み物も、まさに祭の屋台で食べられるようなものを食べて大きな声を出し、ストレス発散になっているのでしょう。

 今は甲子園だけでなく、どこの球場もこんな感じなんでしょうね。私はこの手のノリにはついていけない人間なので、心の中で強いアウェイ感を持ちつつ、両隣にいた選手の情報に詳しいゼミ生の話を聞きながら分析的に観ていました。結局0-1で阪神は負けましたが、後半はチャンスを作っていたので、それなりに楽しんで観ていました。両隣の2人は、私がいたためにノリに入っていけなくて楽しみきれなかったのではないかと申し訳なかった気もしますが。でも、甲子園名物の音のなる黄色い風船がどのように用意され、どのように放たれるのか、そしてその片付け過程も直接観られて、個人的には興味深かったです。あと、テレビには映らない守備の選手のカバーリングの動きとかは、なるほど合理的だなと感心しながら観ていました。

 まあでも、球場はやはりノリに入っていける人が行くところですね。たぶん私はもう行かないだろうと思います。まあ野球だけでなく、サッカーでもオリンピックでもライブでも、私は会場に足を運ぶことにまったく惹かれない人間です。テレビで観ているのが一番楽だし、よく見えていいです。つまらない人だなと思われそうですが、あの大衆の一部になって快感を得るということは私にはできません。でも、そういう感覚を持てないことを、自分では全然残念に思っていません。むしろ、そういう人間にならないように自分を作ってきたのですから。

713号(2019.8.14)大和、武蔵、信濃

 最近NHKBSの再放送で、日本海軍が誇った「大和」「武蔵」そして「信濃」に関するドキュメンタリー番組――ドラマ仕立ても一部含む――を見ました。大和と武蔵という戦艦は有名ですが、信濃という船のことは知りませんでした。最初、大和、武蔵と同型の3番目の戦艦として横須賀造船所で造られ始めたそうですが、航空戦が重要性を増した上に、ミッドウェー海戦で主要空母を失った日本海軍の事情から、急遽航空母艦に変更された船です。そして、この船は、竣工からわずか10日で、横須賀から呉に回航される途中で沈没させられてしまったという悲運の船です。船命がわずか10日で一度も戦いに赴いていない船ですから、私が知らなかったのも仕方がなかったかもしれません。番組でインタビューを受けていた元乗組員も、大和や武蔵の場合は元乗組員だったことは自分の人生のよき思い出になっている人が多かったですが、信濃の元乗組員は、信濃は何も活躍していないので、国民から忘れられたままでいいと寂しげにつぶやいていました。

 それにしても、日本海軍の巨艦主義は、かなり時代認識がずれていたんだということが改めて確認できる3部作でした。日本海軍――というか陸軍も含めた日本軍全体――の戦略はたぶん日露戦争のイメージだったのだと思います。大国アメリカと長期戦になったらとても勝てないが、1年以内ならそれなりに勝負ができるので、その間に、かつてバルチック艦隊を破った時のように、戦艦同士の戦いで相手の戦艦を打ち破り講和に持ち込むという絵を描いていたのでしょう。しかし、20世紀初頭とは時代は異なっており、もはや巨艦は無用の長物と化していました。日米開戦の直後に完成した大和ですら、結局これといった戦いをまったくしないまま、最後は沖縄に向け特攻出撃し、目的地の沖縄のはるか手前鹿児島の西南で敵の飛行機に攻撃を受け、最後は自分の船に積んでいた火薬や砲弾に引火し、大爆発・沈没をしてしまったわけです。武蔵も、大和より約半年ほど前に、こちらもこれといった活躍もしないまま、フィリピン沖で沈没、こちらも大爆発をしたのではないかと思うほど船体はバラバラにになって海底に沈んでいるそうです。

 こうした時代遅れの巨艦にかけた金を別の軍備の増強に使っていたとしても、アメリカに勝つことは不可能だったでしょうが、戦争というものの難しさとむなしさを感じることのできる良質の番組でした。

712号(2019.7.26)「反社」って何だ?

 吉本芸人の「闇営業」問題以来、反社会的勢力(反社)という言葉が日常用語のように使われていますが、こんな言葉はいつできたのでしょうか?私は、今回の事件が起きるまで、こんな言葉はほとんど聞いたこともなく、使ったことは一度もありませんでした。みんな、どういう人々が「反社」なのか、しっかりしたイメージを持って使えているのでしょうか?

 今回の一連の事件で「反社」として登場してきているのは、詐欺犯罪集団と暴力団のようですが、彼らの活動のどの辺をもって「反社」と言っているんでしょうか。詐欺犯罪にはいろいろなものがあります。今回の場合は、「オレオレ詐欺」のような高齢者を騙す詐欺集団が典型で考えられているようですが、投資詐欺なんかもちょくちょく起きますが、そういう人たちも「反社」なんでしょうか?結婚詐欺は「反社」?暴力団も様々な活動をしていると思います。ギャンブル、風俗などの業界には暴力団が資金を出しているお店は山のようにあるでしょうが、そうした活動もすべて「反社」になるのでしょうか?

 よくわからなかったので、ネット上の「日本大百科全書」で調べてみたら、「暴力や威力、あるいは詐欺的な手法を駆使し、不当な要求行為により、経済的利益を追求する集団や個人の総称」と書いてありました。この定義が正しければ「経済的利益を追求する」ために不当な手段を使う人たちということなんですね。これは、マートンの適応様式の類型で言えば、社会の文化的目標は肯定するが、認められた制度的手段は否定する「革新」のパターンです。今は、こういうパターンを「反社」というのでしょうか?

 昔なら、金を儲けようとする文化的目標(=資本主義の価値観)を否定する人たちが「反体制」と呼ばれ、その自分たちの目標を達成しようとするために非合法な活動すらする人たちを「過激派=非合法な反体制勢力」と呼んでいたので、こういう人たちこそ「反社会的勢力」なのではないかとずっと思っていたのですが、、、

 今の「反社」の基準を緩めに適用するなら、社会的に批判されるような動画をアップしてお金を稼いでいるユーチューバーだって「反社」じゃないですか?経歴詐称という詐欺をして多額の収入の得られる国会議員になった人も「反社」じゃないのでしょうか?「暴力や威力」というところに比重を置いたとしても、最近増えている恫喝するクレーマーも「反社」の定義に入るのではないでしょうか?「暴力や威力を日常的に使う集団」が典型だと言われたらまさに暴力団ということになるのでしょうが、それなら「暴力団」と言えばいいのにと思います。でも、暴力団の経済活動が日本経済の活性化の一翼を担っている部分もかなりあったりすると思うので、本当に反社会的勢力なのかもよくわかりません。「反社」というあいまいな言葉の問題性を指摘せず、ひたすら「反社会的勢力との関係は断ち切らない」と言っている人たちのアバウトさが気になります。

最近は政治家も、吉本と反社との付き合いはまずいと発言し始めていますが、彼らも自分の選挙区なんかでは、かなり怪しい勢力ともお付き合いしていることが多いのではないかと思いますが、そこは大丈夫だという自信があるのでしょうか?日大の田中理事長も、写真週刊誌に、その筋の人たちと写真に写っているのが掲載されましたが、いまだ辞任もしてないですよね。現在言うところの反社会的勢力は、日本社会の隅々まで浸透していますので、完全排除は難しく、本気で調べ始めたら、社会的立場のある少なからぬ人たちが、怪しい「反社」と付き合いがあったことがばれて大変なことになるでしょう。自民党政治家も本音のところでは、もうこの問題は早く終わってくれないかなと思っているのではないかと思います。

711号(2019.6.28)G20で得する人はいるのかな?

 ついにG20が始まりましたが、厳しい交通規制の行われている大阪の街は死んだ街のようになっています。タクシーも飲食店も開店休業状態です。G20が開催されて誰か得する人がいるのでしょうか?各国首脳が宿泊するホテルとかは儲かるのかなと一瞬思ったりもしますが、各国代表団で全室が埋まっているわけではないでしょうし、一般の客は泊められない、結婚披露宴もパーティーもできないとなれば、通常の時より儲からないのではないかと思います。せめて世界にホテルの名前が売れてくれれば価値はあるかなと思いますが、どの国の首脳がどこのホテルに泊まっているなどという情報は、安全のために公開されないので、世界どころか日本に名を広めるチャンスにもなりません(終了後は、うちのホテルには○○国の大統領が泊まっていたと宣伝はするのでしょうが)。また、会場周辺に住む住民は、最寄り駅が閉鎖され長く歩かされたり、買い物に行くのにも身分証明書の提示を求められたりという日常生活で大きな迷惑を被っています。会場近くでなくとも大阪市民の中には、学校が休みになったために子どもの面倒を見なければならず、無理に有休を取った人もたくさんいることでしょう。こうした経済的損失や迷惑に対する補償を、政府は全くしてくれません。みんな、「仕方がない」の一言で受け入れていますが、一体それだけのマイナスを我慢して開催するべき価値がG20にあるのかと言えば、私はおおいに疑問です。

 たった2日間、たった20か国の首脳を一堂に集めたからと言って、何も決められるわけがありません。なんとなく、「今世界の中で中心的な国だよね、この20か国は」という感じで選ばれていますが、意味があるのでしょうか。今本気で国際問題を解決しようと思うなら、イランの首脳も呼んで、アメリカとイランの喧嘩をみんなで止めるということをすべきです。イランを呼ばずに、アメリカとイランの問題を話し合ってもなんの意味もありません。強いてあげれば、米中貿易戦争は当事者同士がいるので、それを他の国々の首脳も含めて話し合うことはできるわけですが、みんなでトランプ・アメリカの暴走をやめさせようとならない限り、事態に進展はないでしょう。特に、議長国の日本がアメリカの意向に逆らうようなことをするわけはないので、米中貿易戦争は平行線のまま終わることは見えています。そもそも、国際問題の解決をめざすなら、国連でやるべきです。そのためにつくった機関じゃないですか、国連は。

 G7サミットも含めて、こんな会議は各国の首脳がマスメディアの注目を浴びるために行っているパフォーマンスとしか言えません。そのために、べらぼうな国家予算を使い、市民生活に悪影響を与えているのです。なんで、この馬鹿馬鹿しい会議をやめろと、もっと声をあげる人が出てこないのでしょうか。安倍総理は、来年4月には、習近平を国賓として日本に招くと約束したようですが、またも多額の税金を使うわけです。なんで自分が外交に強い――と言っても、何も獲得できていない――総理大臣だということをアピールするために、我々が払っている税を彼が勝手に使えるのでしょうか。いい加減にしてくれと叫びたい気分です。もっと税金を使うべきところは他にあるはずです。無駄な公共施設の建設なんかはマスメディアも批判しますが、こういう無駄な外交パフォーマンスについてはちっとも批判しません。日本国民はもう少し怒りの声を上げるべきではないかと思います。

710号(2019.6.22)アメリカとイランが戦争を始めたら、、、

 トランプがイラン攻撃を命じ、その10分後に中止を指示したということを自慢げにツイッターにあげているようですが、本当にどうしようもない人間です。今回のことは、アメリカの無人偵察機がイラン軍によって撃墜されたことの報復として考えられたことですが、もともとこんなにアメリカとイランの緊張関係が高まったのは、トランプが大統領になってから、オバマ時代の政策を何でも否定するために、イランとの間に結ばれていた核合意を勝手に離脱したことによるものです。別に、その時点でイランは核合意を破るようなことは何もしていなかったのに、トランプが無駄に緊張を高めたのです。

 先日、安倍総理がイランを訪問している際に起きた日本のタンカーが攻撃を受けた事件も、アメリカはイランがやったと言っていますが、私は信じられません。日本の総理大臣を迎えている最中に、何の必要性があって、日本のタンカーをイランが攻撃するのでしょうか?むしろ、イランを犯人に仕立てあげて国際的な圧力をかけたいアメリカの謀略と見た方が納得が行く気がします。そして、今回の無人偵察機の撃墜事件です。アメリカは国際空域を飛行していて領空侵犯はしていないと言い、イランは領空侵犯があったので撃墜したと主張しています。たぶん、どっちが正しいかは永遠に闇の中でしょうが、なんとなくこれまでの流れからすると、アメリカがわざと挑発的行為をしたと見た方がいいと思います。もしも国際空域だったとしても、イラン領空のすぐそばのはずで。そんなところに偵察機を飛ばすこと自体、アメリカによるイランに対する挑発行為以外の何物でもないでしょう。

 今やアメリカとイランの関係は一触即発です。アメリカがイランを攻撃したらイランもそれなりに反撃するでしょう。戦争状態となった時、日本は集団的自衛権の行使を求められ、イラン攻撃に加わらなければならなくなるかもしれません。日本自体は、イランとの関係が悪いわけではないのに、日米安保条約の履行を求められ、集団的自衛の範疇に入ると論理を作られたら、アメリカとともにイランと戦うことになります。そして、中東からの原油輸入は止まり、長引けば原油不足による支障が生活にも現れてくるでしょう。日本にとっては百害あって一利なしの戦争です。

 5月にトランプが来た時に、安倍総理は、アメリカとイランの仲介役を買ってでたはずですが、その役割をまったく果たせないばかりか、万一アメリカの同盟国としてイランと戦うことにでもなった日には、戦争が終結した後も、イランばかりでなく中東各国と日本の関係は悪くなり、原油の確保は難しくなるのではないかと思います。トランプのアメリカに振り回される日本であることは危険の方がはるかに大きいです。アメリカから独立しなければ、日本の未来は危ないです。

709号(2019.6.14)投資とギャンブル

 年金だけでは暮らせない、2000万円は必要だという金融庁ワーキンググループの作った報告書が物議を呼び、金融庁長官を兼ねる財務大臣・麻生太郎は、この報告書を受理せず、なかったことにしようとしています。参議院選挙を前に与党に不利になることはすべてなかったことにしようという、みっともないほどわかりやすい作戦です。この自民党と公明党の姑息さにはあきれ返るばかりですが、実は、金融庁としては報告書をなかったことにされてもすでに十分目的は達成したとほくそ笑んでいるのではないかと思います。

 一見すると、自分たちの努力がなかったことにされたようで腹を立ててもよそうなものですが、今回の報告書は、むしろ、年金だけでは生活が困難だということを国民に広く知らしめ、今「タンス預金」として眠っている資金を投資に向けさせ、株式市場をはじめとする金融市場を活性化させようというのが狙いだったはずなので、その目的は「2000万円足りない」というニュースが大きく取り上げられることで、狙い通り動き始めたと思っていることでしょう。実際、この「2000万円問題」が話題になってから、投資セミナーに通う人が急に増えたというニュースもやっていました。

 「タンス預金」と言われる日本人の「眠れる資産」は数兆円はあるそうで、それが投資に回されたら、マクロ経済レベルでは活性化が生み出されるのは確かでしょう。ただ、投資というのは単なる儲け話ではありません。儲かる場合もあれば、損する場合もあるのが投資です。株だって、安値で買って高値で売り抜けて儲かる人もいれば、必ず高値で買って損する人もいます。ずっと株価全体が右上がりを続けていたら、儲かる人の方が多いでしょうが、そういうわけにはいかないということを、バブル経済の時代を知る人は経験としても知っています。

 投資というとなんだかかっこいいですが、要はギャンブルです。どの株が上がりそうか、どういう先物取引をしたら儲かりそうか、一応考えて投資するわけですが、それは本質的には、どの馬が勝ちそうか、どのスクラッチを削ったら当たりが出そうかを考えるのと変わりません。ギャンブルなんか恐くて手を出せないと思っている人に、投資をさせるのは非常に難しいことです。いくら「投資しましょうよ」と言っても投資をしない日本人中高年に投資に気持ちを向けさせるために思いついた言葉が「年金だけで90歳代まで生きようとしたら2000万円不足」です。

この2000万円不足の根拠になったのは、厚労省が2月に発表した定年後の家計分析で、その時点で月に55000円ほど不足するというデータは出ていたそうです。その時はほとんど話題にならなかったこの数字に、金融庁ワーキンググループは12カ月を掛け、さらに30年をかけることで、1980万円という数字を出し、「2000万円不足」とセンセーショナルに受け止められる数字にして見せたわけです。月に55000円不足では動き出そうとしなかった国民が、30年で2000万円不足と聞いて、急にバタバタし始めたわけです。これで投資をする人が増えてくれたら、金融庁の狙いは見事に当たったということになるわけです。

ただし、上に述べたように投資はギャンブルです。マクロに見た場合、投資額が増えることは国としては単純にプラスと考えられるかもしれませんが、個々の国民レベルで見た場合、大損をする人も出てくると思いますが、そういう人に対して、国は何もケアはしてくれません。投資はあくまでも自己責任というタテマエですから。金融庁(=国)が悪魔のような囁きをして、国民に投資をさせるように仕向け、損をする人間が出たとしても、一切責任は取りません。ただ、株価は上がっているとか、金融市場は活性化したと喜ぶだけです。いつか金融庁の口車に乗って、投資をして、老後資金を失ったと言って自殺する人とかが出てくるのではないかと心配します。また、急に投資を始めようとする人を引っかけようと、投資詐欺犯罪もたくさん生まれてきそうです。今回の「2000万円問題」は長く尾を引きそうな気がします。

708号(2019.5.31)「忖度」安倍総理の接待外交

 令和初の国賓として、アメリカのトランプ大統領が来ましたが、あまりの接待ぶりに日本人として嘆かわしくなりました。6月にG20で訪日することが決まっていたトランプが今日本に来る意味は、トランプ側にはほとんどなかったはずです。天皇が代替わりし、注目を浴びる最初の外国の国賓との面会ということになれば、日本が一番関係性を重視しているアメリカ大統領以外いないだろうという安倍総理を中心とした政府の、天皇に対する忖度の結果、トランプを招待することになったのだろうと思います。

 日本側の都合で来てもらったため、基本的にひたすら接待をしていたような3日間でしたが、日曜日の「ゴルフ→大相撲→炉端焼き」はひどいものでした。特に、大相撲観戦は、ここまで慣例を無視してサービスするかと腹すら立ちました。大相撲を観戦する場合、天皇でも前半戦と後半戦の休憩時間に2階に設置されている貴賓席に着くというルールを守り、相撲の流れを止めないようにしているのに、今回はトランプのために最前列の升席を4つも壊し、そこにソファーを設置するという特別対応をした上に、たった5番の相撲しか見なかったので、本来なら間が空かないはずの時間帯に、トランプ夫妻と安倍夫妻を迎えるために10分以上相撲の流れが止まりました。土俵下で出番をひたすら待たされた力士はたまったものではなかったことでしょう。相撲が大好きだった昭和天皇も升席で相撲を見たいと要望を出したことがあるそうですが、警備が難しいという理由で要望は通らなかったそうですが、トランプに対してはここまでするのかとあきれました。相撲について詳しく知らないトランプが升席で見たいなんて言うはずはないですから、これも安倍総理のトランプへの忖度でしょう。そこまでしてあげたけれど、トランプはちっとも楽しそうに見ていませんでした。そして、もうひとつ私が非常に気になったのは、こんかいのトランプ訪日に合わせて作られた「アメリ大統領杯」です。形が天皇賜杯に似すぎています。もしも、アメリカ以外のどこかの国がこんな形の優勝トロフィーを作って授与すると言ったら、日本政府は必ず別の形にしてくれと修正要望を出したことでしょう。今回もきっとトロフィーを見て日本政府と相撲協会は真っ青になったことと思いますが、アメリカのやることには一切文句を言えない日本は、これもやむをえないと認めたのでしょう。

 安倍総理は世界の首脳の中でトランプ大統領と一番仲が良いということを日本のメディアも自負していますが、あんな乱暴で「アメリカ・ファースト」しか考えていない、世界で全然尊敬されていない人間と仲がいいということは、長い目で見たらプラスどころか大きなマイナスになるのでないかと危惧します。今回は、トランプのご機嫌取り以外にほとんど意味のない接待外交ですが、唯一安倍総理がポイントを稼ごうとしたのは、拉致被害者家族とトランプを会わせ、自分が如何に拉致問題に真剣に取り組んでいるかを見せることだったでしょう。トランプは、これまでに金正恩に会うたびに拉致問題を話題に出してきたと言ったようですが、じゃあそれで何か事態が動いたかといえば何も動いていません。言うだけで感謝されるなら、口先三寸の商売人トランプは言うだけは言うでしょう。安倍総理の見せかけのパフォーマンスに付き合うのは、トランプにとって簡単なことです。

 他方、トランプ側からすると、わざわざ日本に来てやったのだから、何か成果を持って帰らないと、アメリカ国民に「大統領はただ日本に遊びに行っただけなのか」と批判されることになるので、自分の票田にもなる農業関係者が喜ぶような農産物の関税引き下げの話などをしたようです。ただし、その結果は、今は明らかにしない。なぜなら、日本に不利な貿易条件を安倍が飲まされたとなると、参議院選挙で安倍が不利になるだろうからという配慮をしてやったのだということを、思い切りわかりやすく、「選挙の後の8月にいい話があるだろう」と共同記者会見で発表したわけです。安倍総理は、そこまで具体的な話はしてないよなという顔をしていましたが、選挙に不利にならないように配慮をしてもらったという妙な借りだけは作ってしまったわけです。

 本来なら、アメリカの日米の貿易不均衡是正要求は、非常に勝手な論理で出来上がっていますから、突っぱねてもいいようなものです。日本へのアメリカの農産物の輸出が今後厳しくなると予想されるのは、アメリカがトランプ大統領になってからTPPを勝手な論理で抜けたからです。TPPが発効された今、日本はTPP加盟国であるオーストラリアやカナダから農産物を輸入した方が、アメリカから輸入するよりはるかに安く輸入できるわけです。勝手に抜けたくせに、トランプはTPPに加盟していないことの不利益を日本との関係においては帳消しにしようとしているのです。また、トランプがよく出す日米貿易不均衡の例である、日本車はアメリカで売れるが、アメリカ車は日本では売れないというのは、何か日本が不当なことをしているわけではなく、消費者の好む車を作りだせているからです。アメリカの自動車会社も、日本の消費者の嗜好性にあった車を作ることができたら売れるはずです。実際、ドイツ車などは日本で高級車としてよく売れているわけですから。

 もしも日本がアメリカの農産物に関する関税を引き下げないなら、日本車に対する関税を引き上げるという噂が出ていますが、勝手にやらせればいいのです。日本車が高くなって一番困るのは日本車を買いたいアメリカの消費者なのですから。むしろ、日本も中国のように、アメリカが勝手な政策を打ち出すなら、対抗措置を取るくらいのことをすればいいのです。核実験だって、アメリカ以外の国がやったら日本政府は必ず批判するのに、アメリカがやった時は何も言いません。今のままでは、まるで日本はアメリカの51番目の州のようです。「日本よ、アメリカから独立しろ!」と叫びたい気分です。

707号(2019.5.24)ビクトリア女王

 今クールのNHKドラマで、「女王ビクトリア」が放送されていますが、ご覧になっている人は少ないでしょうね。今クールは第2シリーズですが、私は第1シリーズからずっと見ています。それ以前には、メアリ・スチュアートを主人公にしたドラマもやっていて、これも楽しみに見ていました。ただ、メアリ・スチュアートは、16世紀から17世紀はじめの人なので、少し時代が現代とは離れており、昔話として楽しんだ感じでしたが、ビクトリア女王になると19世紀後半の人なので、現代とのつながりも大きくなり、つい今の世界とのつながりも考えてしまいます。

 ビクトリア朝というと、イギリスの栄光の時期で、なんとなくビクトリア女王も名君だったように思いこんでいましたが、ドラマを見て、その後いろいろ調べていると、名君どころかかなり感情的で人の好き嫌いが激しく、政務を投げ出したりする、かなり問題のある女王だったことがわかってきました。むしろ、そういう人物だったからこそ、この時代に「君臨すれども統治せず」というイギリス王室のあり方が自然と出来上がってきたのだということもわかりました。ビクトリア女王が即位した頃はまだ王権はかなり強く、もしもビクトリア女王が自らを律して政務に励める人だったら、あるいは能力の高かった夫君のアルバート公が42歳という若さで亡くなってしまわずもっと長生きをしていたら、「君臨すれども統治せず」という慣習はできていない可能性が高そうです。

ビクトリアは18歳で即位し、20歳でアルバートと結婚し、その年から17年間の間に9人の子をなし、アルバートがなくなった後は、10年ほど政務を放棄するという人生を送っています。この間に、イギリスは世界中に植民地を増やし、「日の沈まぬ大英帝国」を築き上げます。イギリスの強引な中国侵略政策の一環であるアヘン戦争もビクトリア女王時代の出来事です。他にもインド支配下においたり、アフリカや中東への侵略、幕末日本への圧力もすべてビクトリア朝の出来事です。こうした侵略的行為をビクトリアが主導したとまで言えないかもしれませんが、政務を放棄し、大臣たちにすべてを任せた結果、こういう事態が起きたのですから、制度上の最高権力者としての責任は免れないでしょう。イギリスにとっては栄光の時代かもしれませんが、世界的に見たら、その後の世界の混乱を引き起こす構造的誘発性を生み出した第1等の戦犯がイギリスであり、ビクトリア女王であったとも言えると思います。

9人も子ども産んですべての子が夭折せず成人しましたので、ビクトリア女王の子や孫が20世紀のヨーロッパの王室におり、ビクトリアは「ヨーロッパの祖母」とまで呼ばれたのですが、結局、孫たちが相争うことにより、第1次世界大戦が勃発します。血縁・姻戚関係だから仲良くしようとはできなかったわけです。第1次世界大戦でもっとも激しく戦ったイギリスとドイツの国王はともにビクトリアの孫です。もしもビクトリアが生きていたら、どういう気持ちで見守ったことでしょうか。ビクトリアとアルバートは2人の間ではドイツ語で会話をしていたくらいドイツ系の王室ですし、5人生まれた娘たちのうち4人がドイツ国王や貴族と結婚しています。イギリスとドイツの戦争だけはやってほしくなかったというのが正直なところではないでしょうか。

ジョージ1世から始まるハノーヴァー朝は、ビクトリアの長男であるエドワード7世が即位した時から、ビクトリアの夫君であったアルバートの家名をとって「サクス=コバーグ=ゴータ朝」となり、第1次世界大戦中に、敵国ドイツの王朝名はよろしくないということで、現在の「ウィンザー朝」に変わります。ウィンザー朝への改称は政治的な理由ですが、「サクス=コバーグ=ゴータ朝」への改称は、やはり父方が変わると、血筋が変わったように思う考え方がこの頃あったんだなと思わせます。今後、エリザベス2世が亡くなり、チャールズ皇太子が国王になった時は、エリザベス2世の夫であるエジンバラ公の家名を取って、「エジンバラ朝」の始まりと言うのかどうか注目してみたいと思います。

706号(2019.5.4)皇室版ALWAYS〜三丁目の夕日〜

 令和に入りましたね。この間4月終わりから5月初めにかけて、天皇家に関する報道がたくさんなされていましたが、今回改めて考えてみたのは、「日本国および日本国民統合の象徴」という言葉です。上皇になられた先の天皇が退位の意向を示されたのも「象徴の務めを十分果たせなくなるのではないか」と危惧されたゆえですし、新天皇も「上皇陛下のなされてきたことをよく学び、象徴としての務めを果たしていきたい」と言っていました。しかし、この「象徴としての務め」とは何かということについて国民はよく考えたことがあるでしょうか。かく言う私もあまり考えてはきませんでした。改めて、この「象徴としての務め」という言葉を何度も聞きながら、一体国民はこの言葉をどのように受け止めていたかを考えてみたくなりました。

 上皇の退位を希望する発言を聞いた時に多くの人が思ったことは、高齢になられているのだから、今までのように外国や被災地を訪問されるのは大変だろうから、退位させてあげた方がよいということだったと思います。その際に、念頭に浮かんでいた「象徴としての務め」とは、実質的な「国家元首」として外国元首と会う務めと、弱者に寄り添い励ます務めだったはずです。しかし、戦前の大日本憲法下なら、天皇は間違いなく国家元首でしたが、日本国憲法の下ではあくまでも象徴で国家元首ではないことになっていますので、前者のような認識の仕方をしてはいけないはずです。後者の務めの場合だと、有名人などが被災地訪問をして激励をするのと根本は変わらない活動のようにも思えます。もちろん大事な務めだとは思いますが、「象徴としての務め」かと言われると、クエスチョンマークがつく気もします。この被災地訪問の活動は、現在上皇夫妻となられたお二人が積極的に始められたことで、昭和天皇夫妻はあまりこういう活動はされていませんでしたし、それでも「象徴としての務め」を果たしていないとは誰も思っていなかったと思います。

 昭和天皇は日本国憲法ができるまでは、国の元首であり主権者としての地位を持っていましたから、憲法が新しくなったからと言って、急に「象徴としての務め」を理解し行動することは難しかったと思います。上皇が初めて日本国憲法の下で象徴天皇として即位され、上皇后とともに象徴天皇の姿を形作ってきたわけです。この30年、いやお二人が結婚してからの60年の間に作られてきた象徴天皇像とはどのようなものと国民にイメージされているでしょうか。

 私は、お二人に国民が見ていたものとは、「頑張って仕事をする夫と、その夫を支える一歩引いた優しい妻、そしてそうした妻の心配りに感謝の気持ちを言葉にもできる夫」という仲睦まじい理想の夫婦像で、実はこれこそ平成の「象徴天皇」の姿だったのではないかと思います。でも、この夫婦像はまったく平成っぽくなくて、お二人が結婚された昭和30年代の理想の夫婦像です。それは、ちょうど映画「ALWAYS〜三丁目の夕日〜」の時代で、上皇夫妻の生き方は、その時代の夫と妻のあるべき姿そのものです。この時代に結婚した夫婦がめざしていたが、現実には実現できなかったまさに理想の夫婦像をお二人は60年にわたって見せてくれたわけで、こういう美しい夫婦像を通して、国民はまさに「日本国および日本国民統合の象徴」と無意識に感じていたのだと思います。もしもお二人の夫婦関係がぎくしゃくしていたら、国民は上皇が「象徴としての務め」を見事に果たされたとは思わなかったのではないかという気がします。

 令和の新天皇と新皇后に、上皇夫妻が示してきたような「昭和の夫婦像」を演じ続けさせるのは無理がある気がします。しかし、男女の役割が変わり、男女間での婚姻の必要性さえ疑問視されるようになった平成の価値観を反映した新しい「象徴天皇像」が果たしてどういう形で作れるのかはなかなか難しいように思います。多くの国民は、ほんのちょっとだけおしゃれになってもいいけど、根っこは「皇室版ALWAYS〜三丁目の夕日〜」のままの世界を求め続けるのかもしれません。天皇になれるのは直系男子のみという皇室典範が変わらない間は、「夫唱婦随」が天皇夫妻の理想像のように思われ続けそうです。

705号(2019.4.30)女系天皇はいない?

 平成最後の日ですね。つい振り返りたくなりますが、テレビでそんな企画がたくさんやっていますので、私が中途半端にやっても面白くもないでしょうから、やめておきます。でも、なんか元号や天皇がらみのことを考えたくなってしまいます。そんなことを考えていたら、ふと思いついたのが、女系天皇は本当にいなかったのかという問いです。

 男性のみが天皇になれる現在の皇室典範を維持すべきだと主張する保守派の論客が、過去に女性天皇はいたではないかと言われた時にしばしば主張するのが、確かに女性天皇はいたが、女系天皇はおらず、もしも今単純に女性が天皇になれるとすると、女系天皇が生まれてしまい、それは日本の歴史で一度もなかったことで絶対にすべきではないということです。女系天皇とは、夫が天皇ではない女性天皇の子どもとして生まれた人が天皇になることを言います。つまり、保守派の議論としては、父方はずっと天皇家の血筋だったという主張になっています。

 でも、保守派が信奉する古事記や日本書紀によれば、天皇家は天照大神という女神の子孫で、女系ということになるわけですが、このあたりを保守派どう解釈しているのでしょうね。神話の世界は歴史としては認めなくてよいというところでしょうか。その場合、歴史はどこから始まるのでしょうか。今上天皇で125代ということを保守派は絶対否定しないでしょうから、神武天皇からは歴史ということになるのでしょうね。ただ、神武天皇は天照大神の5代の孫――ひ孫の孫――となっているのですが、これは継体天皇が即位したときに応神天皇の5代の孫で血縁であると主張したのと同じ関係で、結構近いとも言えます。また、初代の神武天皇からから9代の開化天皇までは平均で100年以上生きないと10代の崇神天皇につながらないので、歴史としてはかなり疑わしいのですが、、、また、12代の景行天皇の息子である日本武尊のエピソードなどもとても実話とは思えないもので、歴史というのは厳しい気がします。それゆえ、神武天皇以降は史実で、天照大神は神話で、女性の子孫ではないと言い切るのはどうも腑に落ちない感じです。

まあでも、女性天皇や女系天皇を認めるかは国民の受け止め方次第なんでしょうね。一般論としては、どう考えても男女差別にあたると思いますが、どうも天皇家のことになると、最近の国民世論は非常に保守的で、今の慣習のまま天皇家が維持されるのが一番よいと思っている人が若い人も含めて多数派を形成しています。悠仁親王が結婚し男子を何人も作ってくれたら、すべて解決すると漠然と思っている人はかなりいるでしょう。でも、そんな子を産むだけの存在としてのみ期待されるポジションに気持ちよくついてくれる女性が果たしているのでしょうか。万一見つかったとしても、そんなにうまい具合に男子が生まれるものかどうかはまったくわかりません。雅子妃だって結婚した当初は男子を含めて3人くらいは子どもを産んでくれるのではと期待していた国民は多いでしょうが、そうはならなかったわけですし。天皇制度を続けたいなら、女性天皇も女系天皇も認めないと難しいのではないかと思うのですが、、、平成から令和に変わるのをただのお祭りと捉えずに、こういうことも含めて真剣に考える機会にしてほしいものです。

704号(2019.4.12)24時間時代」をやめにしませんか?

 41日は新元号発表の話題で一色になりましたが、その陰で、「働き方改革関連法」が施行されました。通常業務の人なら、残業時間に上限が設けられたり、有給休暇を会社が指定して取らせるなど、多少働き過ぎに歯止めをかける法律になっています。ただし、「高度プロフェッショナル」とされてしまうと、まったくこの上限が適用されないという制度になっており、この「高度プロフェッショナル」とはどういう職業の人なのかがあまりはっきりしていないという問題があるので、乱用されたらいろいろ問題が起きそうです。また、通常業務の人でも、申告せずに残業すれば上限に引っかからないことになるので、そのあたりどの程度きちんと制度が機能するか怪しいところもあります。特に、自分たちに大きな関りがあるこういう制度が始まったことすら知らずに生きている人はいいように使われてしまうかもしれません。「令和」ではしゃいでいるだけでなく、働き方に関する法律がどう変わったかをちゃんと認識しておかないといけないですよ。

 しかし、こうした通常勤務の人とは異なるところでもっと深刻な働き方問題が存在します。それは、24時間営業をしている飲食店やコンビニです。一部のファミレスが24時間営業をやめたり、コンビニ・オーナーが24時間営業の中止を進言したりする動きが少しずつ出てきていますが、まだまだ十分ではないと思います。特に、コンビニは本部の方針がいまだに原則24時間営業を崩していないので、苦しんでいるコンビニ・オーナーがたくさんいるようです。ここで私が問いたいのは、そんなに24時間営業は必要ですかということです。

24時間営業が広がっていったのは1980年以降で、それまでは24時間も営業しているお店などほとんどありませんでした。でも、それで困っている人はそんなにいませんでした。今はグローバル化しており、もう時代が違いますよと言う人もいるでしょうが、実際に深夜の利用者はほんのわずかしかいないというのが現実です。24時間営業ではないことが前提になれば、もしも夜何かの都合で起きていなければならない人はお店が閉まる前に必要なものを買って準備しておくはずです。

 まあ病院も各地域に1か所くらいは深夜でも対応するところがありますから、コンビニも多少は24時間営業をしているところがあった方がいいかもしれませんが、少なくとも今のようにすべてが24時間営業である必要はないと思います。基本的に、日が出ている間は活動し、日が沈んだら休むというのが健康的な人間らしい生き方です。必要性から夜活動しなければならない人は別として、必要性がない人は夜は寝て朝から活動すべきです。1980年代後半くらいから「24時間時代」という言葉がなんかかっこいい時代のように言われ始めましたが、私はちっともいい時代とは思えません。「24時間時代」なんてもうやめませんか?

703号(2019.4.1)新元号発表に思うこと

「令和」になりましたね。音の感じとしては、「平成」の時よりは違和感がないです。「平成」の時は、「へーせー」ってなんか間が抜けた音のようにみんな思ったものですが、「れいわ」は、「へいわ」に音が似ているので、聞きなれた感じがするからではないかと思います。万葉集から取ったというのは、安倍総理らしいです。中国の文献ではなく、日本の文献からという発想は、安倍総理が強く推したのではと思います。まあでも、元号と漢字を使う限りは、中国からの伝統を受け継いでいるわけですが。「和」を使うというのも、「昭和」がつい最近だったので、使わないのではと考える人が多かったと思いますが、「昭和」が好きな安倍総理なら構わないと考えそうな気がします。あと「わ」で終わるのは納まりがいいので、その点でも選ばれやすかったのかもしれません。

まず私が気になったのは、「令」という文字はどう書くのが正しいのかということです。印刷活字では、「ひとやね」の下は、横棒+カタカナの「ア」に近い形ですが、手書きだと「ひとやね」の下は、点+カタカナの「マ」と書く人がほとんどだと思います。どっちがより漢字の原点に近いのだろうと思い、漢和辞典を調べてみたら、「人」+「一」で人が集まる状態を示し、その下の「ア」のような「マ」のような形は人がひざまづく形だそうです。要するに、ひざまづいて神意を聞くという意味で、命ずる、いいつけるという意味のようです。もともとの象形文字の形としては、「ア」に近かったです。ちなみに、私が調べた漢和辞典には手書きの書き順が出ていたのですが、そこには、「ひとやね」の下は、点+カタカナの「マ」と書くように指示が出ています。でも、先ほど下の名前が「令和(のりかず)」という名前の鎌倉の男性がテレビでインタビューを受けていたのですが、その人の名前は鎌倉八幡宮の宮司さんがつけてくれた名前で、本当は「ひとやね」の下は、点+カタカナの「マ」と書くのだけれど、その文字は日本の漢字にはないということで、名刺などは「ひとやね」の下は、横棒+カタカナの「ア」に近い形の活字にせざるをえなかったと言っていました。ということは、手書き文字でも、点+カタカナの「マ」と書く指示はすべきではないと思うのですが、、、今後「令」をどう書くのが正しいのかは議論を呼びそうな気がします。

次に思ったのが、これだけのネット時代にもかかわらず、なんで新聞社は号外を出すんだろうということです。号外などというものは、ネットどころかテレビもラジオもなかった時代の遺物だと思うのですが、、、まあでも、すごい人だかりでみんな号外をもらおうと殺到していましたから、それをテレビが撮ってくれたら話題になるからでしょうか。でも、号外を出す新聞社なんて、今更名前を売らなければならないような企業ではないはずなので、人が殺到する状況を作り出すのが面白いからなのかなあ。いつも新聞なんか読みもしない若い人も号外だけ欲しがるのは希少価値があるからなんですかねえ。どうせ多くの人はその辺に置きっぱなしにしてすぐなくしてしまいそうですが。こんなに号外を欲しい人が多いなら、1100円くらいで売ったらどうなんですかねえ。そうすると誰も欲しがらなくなるのでしょうか。

もうひとつ思っていることが、新たに生まれてくる子の名前にどう反映されるかです。かつて「昭和」が始まった頃、「昭二」「昭三」「昭」「昭子」といった「昭」が使われた名前がたくさん付けられましたが、それ以上にたくさん生まれたのが「和子」さんです。「和子」はこの後、昭和20年代まで新生女児の名前ベスト1をほぼ毎年のように取り続けました。今回もまた「和」が入ってきているのですが、今の時代ですから、「和子」がたくさん生まれるとは考えれませんが、「〇和」といった名前の女児は増えそうです。シンプルに「れい」の漢字を変えて「麗和(れいわ)」ちゃんなんて増えそうな気がします。

いずれにしろ、明治以降では天皇の崩御とセットでない形で元号が変わる初めての機会なので、みんな単純に新元号発表を楽しんでいます。なんかこのやり方が盛り上がっていいよねということで、このやり方は今回だけと言っていたのが変わり、今後天皇の生前退位が一般化していきそうな気もします。まあでも、とりあえずあと1カ月は平成です。終わる日を国民みんなが知っている元号というのも初めてではないかと思います。さてさて、どんな最後の1カ月になることやら。

702号(2019.3.14)顔認証はどこまでできるのか?

 最近はいろいろなところで顔認証システムが使われているようですが、コンサートにもテーマパークにも行かない私にとっては、唯一やっているSNSであるフェイスブックで、時々「タグ付け」がされる時に「へえー、こんな小さな写真でも認証されたりするんだ」と思う程度でした。先日書斎を掃除していたら、11年前に13期生が開催してくれた謝恩会の集合写真が出てきて、この写真をフェイスブックにアップすることにしたら、何名くらいフェイスブックは正確に顔認証するのだろうかと気になって確認してみました。その写真に写っていた21名中12名(私を含む)と私はフェイスブックでつながっていますが、7名が正確に認証され、1名がまったく異なる人として認証されました。11年前の写真で、集合写真なので顔も大きく写っていないのに7名も認識するとは、フェイスブックやるなあと思いました。

 面白くなってきたので、一体フェイスブックはどのくらいの変化だと見抜くのだろうかといろいろ実験してみたくなってきました。上記の集合写真に写っている13期生で認証されなかった人5名に関して、より顔がはっきりわかる最近の写真で試してみたところ、2名は認証されましたが、3名は認証されませんでした。フェイスブック上で写真があまりないからかなとも思いましたが、最初に認証されたうちの1名もほとんどフェイスブックを使っていないし、写真もほとんど出ていないのでそれだけではないのかなとも思えます。どういう情報がネット上に存在すると認証されるのか、もうひとつよくわかりません。

仕組みを考えるのは無理そうなので、とりあえずフェイスブックの認証能力実験をしてみようと思い、非常に認証されやすい自分を例にして実験してみることにしました。私は上記の13期生との集合写真も含めて、かなりピンポイントで顔認証される人なので、まずはいつもとは違う状態を作ろうと思い、メガネを外したバージョンと、メガネはかけたままでマスクをしたバージョンで自撮りして、フェイスブックが私と認識するかを試してみました。メガネをかけてないバージョンは認証され、マスクで顔の下半分を隠したバージョンでは認証されませんでした。

次に、昔の写真を引っ張り出してきてどこまで認証されるか試してみました。11年前の52歳の顔は余裕で認証されていますので、きっと40歳代も楽に認証されるだろうと思い、思い切って29歳の時の写真から始めてみましたが、なんときっちり認証されてしまいました。次に、27歳の時の写真でチャレンジしました。実は、この写真には当時54歳だった父親が一緒に写っています。私と父親は顔がよく似ていると言われ、孫はうちに飾ってある私の父親の写真を指差して「じいじい(=私)」というくらいです。孫の顔認証システムでは同一人物と思われる父親ですし、現在の私の年齢に比較的近いので、私の方を認証せずに、父親を私と認証するかもしれないと思い試したわけですが、フェイスブックはきっちり27歳の私を「片桐新自」として認証しました。

ほう、これはすごい、どこまで行けるのだろうかと思い、今度は毎年1回生向けの基礎社会学の授業でも見せている大学1年生、19歳の時の写真(メガネなし)でチャレンジしてみましたが、さすがにこれは認証されませんでした(笑)とすると、今の私とつながっているとフェイスブックが認識できるのはこの間のどこからなのかが気になり、次々に写真を確認してみました。27歳も行けたのだから、26歳も行けるだろうと思ったのですが、26歳のほとんどの写真は認証されませんでした。唯一認証されたのが、当時よくかけていた度付きサングラスのメガネではなく、銀縁メガネをかけてスーツを着ている写真でした。メガネの雰囲気が違うと認証されにくいのかなと思い、銀縁やわりあい最近のものに近いメガネをかけている写真を探し出して、さらに確認したところ、24歳の時に旅先の奈良で撮った写真でも認証されました。しかし、同じメガネをかけた同じ24歳の時の証明書用写真は認証されませんでした。とりあえず、この奈良で撮った24歳の写真が現時点で、私と認証されたもっとも若い時の私です。

もっともっと調べてみたかったのですが、やりすぎたせいなのかよくわかりませんが、フェイスブックのタグ付けが機能しなくなり、最近の写真で確認しても顔認証してくれなくなり、実験はここで終了しました。また、タグ付け機能が復活したらさらにチャレンジしてみたいと思いますが、これを読んで興味が湧いたみなさんもぜひチャレンジして、結果を教えてください。ああ、ちなみに無許可のタグ付けは結構迷惑ですので、実際にアップする際にはタグ付けをしないでアップしています。みなさんもぜひそうしてください。

701号(2019.3.11)プロフェッショナル・ゼネラリストPROFFESIONAL GENERALIST宣言

 「プロフェッショナル・ゼネラリストPROFFESIONAL GENERALIST)」という概念は20年ほど前からずっと私の頭にあった概念です。社会学を自分なりに会得できたと思った頃から、私のめざす社会学者像に一番ぴったりするのは、この言葉ではないかと思ってきました。幅広い様々なテーマについて社会学的に分析することで、人々の認識を変え思考力を高めさせること、それこそが自分が一番やりたい仕事だと確信したからです。特に、社会学が細かい専門分野に分かれて「蛸壺化」してしまっているのではないかと強く思い始めた頃(「社会学を考える」第4章 連字符社会学の発展と社会学の危機(2000.1.20)参照)から、自分のやりたい社会学はそんなものではないし、そんな方向に社会学が進んでしまうことを誰も疑問としないのはよくないと思い始めた時、この言葉が頭に浮かんできました。

しかし、学者・研究者という存在は、世間一般では何かのスペシャリストとして価値があると思われているので、堂々と「ゼネラリスト」(=「何でも屋」?)を名乗るのにはちょっと躊躇がありました。また、その名に値するほど幅広い知識を持っているという自信もなかなか持てなかったので、ずっと心に秘めたまま20年ほど経ってしまいました。でも、もう60歳も大分過ぎ、社会学教育を大学という場で行う期間もあと7年くらいになってきました。いまだに、何でも語れるほどの博識になったという自覚はないですが、きっとこの点はいくつになってももうこれで十分だと思える日は来ないのではないかと思いますので、もうこの点に関しては完璧を求めずに行くことにしようと思います。「スペシャリスト」として評価されたいという意識はとっくのとうにないし、そうならないことが私にとってはよい社会学者としてのあり方だと思っていますので、開き直りさえしたら何の問題もありません。ということで、ことここに至って、特段のきっかけがあったわけでもないですが、「プロフェッショナル・ゼネラリスト宣言」をする次第です。

ただの「ゼネラリスト」ではなく、「プロフェッショナル」を冠するところは、プロの教育者としての自負です。「プロ大学教師」という概念も私が密かに抱いているものです。社会学の見方に立って様々な問題について分析的に語り、聞く者の考え方、ひいては生き方に刺激を与えること、それが私が歩んできた道で、これからも歩み続ける道です。

700号(2019.3.8)気づいたら20

 このHPを開設したのは、199935日のことでしたから、なんともう20年も経ちました。開設した当初のデザインのまま変えていないので、今どきのデザイン性に優れたサイトとはまったく異なる、アナログかと思われてしまいそうなサイトですが、それでも時々読んでくれる人がいて「刺激を受けました」といった連絡をくれたり、大学院で勉強したいと考える留学生が、このサイトを見て「きっとこの先生はいい先生に違いない」と確信して連絡をしてきてくれたりしますので、こんな素朴なサイトでもそれなりに存在意義はあると思っています。

 それにしても20年は長いですよね。その頃生まれた赤ちゃんが成人になるわけですから。ちょうど今度4月から新ゼミ生になる子たちが産まれた頃から続いているサイトということになります。「ゼミ生の声」は4900本を超え、この「KSつらつら通信」はこれが700本目です。20年で700本!1年平均35本書いてきたわけです。「よくそんなに書くことがありますね」と言われそうですが、社会学的に興味深い事態は次から次に起きるので、ネタが尽きることはありません。ただ、最近はすぐにネット上で非難が飛び交う時代ですので、こんなに注目もされていないサイトに書く際にもかなり気を使います。特に、世の中の動きがある方向に偏っているなと思うことに関しては逆の意見を言いたくなるのですが、それが炎上を引き起こしそうな気が少しでもすると、やめておこうかなと考えてしまいます。昔はかなり思い切ったことも書いていたのですが。

 なんか気持ち悪い社会になりつつある気がしてなりません。「一億総監視社会」という言葉が浮かんできます。防犯カメラ、車載ドライブレコーダー、誰もが持っているスマホによる撮影で、なんでも記録されてしまうし、ネット、マスメディア、あるいはちょっとした会合での発言も全部チェックされ、しばしば文脈から切り離して非難の対象になったりします。余計なことは言わない方がいいのかもしれませんが、そういうもの言わぬ人間ばかりになってしまったら、民主主義は死んでしまいます。様々な意見を出しあえて、それが非難の応酬ではなく建設的に議論できる、そういう社会でなければならないのですが、どうも今の日本社会はそういうあるべき姿からどんどん離れて行っている気がします。健全な批判精神ではなく、攻撃的な非難感情ばかりが大きくなってきています。

 健全な批判精神に基づく意見の食い違いなら話し合う中で落としどころも見つかるでしょうが、攻撃的な非難感情に基づく意見のぶつかり合いは、互いを非難するだけで落としどころなど永遠に見つからないでしょう。それぞれ価値観は違うのですから、意見の違いはあるのが当然です。それを認めた上で互いに譲れるところは譲って意見をまとめなければならないのです。それができなければ喧嘩になります。国と国なら戦争になります。違いを認め合うこと、一方的に正しいと思いすぎないこと、譲り合いの気持ちをもつこと、が大事です。

 なんか人間関係の話のようになってしまいました。でも、顔を合わせてのコミュニケーションなら、今言ったようなことも意識して発言する人が多いのに、匿名のまま意見表出ができるネット上では、上の3条件を無視したコミュニケーションがよくとられているように思います。自分の存在はばれない、自分は攻撃されないと思うゆえに、過激な言辞を吐くことができているという人も多そうです。匿名であるがゆえに温かい手も差し伸べられるという人もいるでしょうから、匿名がすべて悪いわけではないでしょうが、他者を非難する隠れ蓑にするのは卑怯だということを意識してほしいものです。非難ではなく批判を、そしてするならきちんと自分が誰かを名乗って批判する。そんな社会になってくれないものでしょうか。学校へのスマホの持ち込みも認める方向に流れは変わりつつありますが、ぜひこうしたリテラシーこそ教育してほしいものです。

699号(2019.2.16)国際的地位の低下した日本

 最近の日本を取り巻く国際情勢を見ていると、しみじみ国際社会における日本の地位の低下を感じます。直近では、韓国との関係がひどい状態です。2015年暮れの「慰安婦問題に関する日韓合意」が何ひとつ履行されないばかりか慰安婦像はさらに増え、大統領が代わってからは「合意は正式のものではない」などと国家間合意を勝手に白紙に戻され、さらには「徴用工判決」「レーダー照射問題」「天皇謝罪論」まで出てきています。80年前なら国交断絶、戦争が始まってもおかしくないほどの状況です。韓国だけではありません。ロシアとの関係でも、これまで日本政府としては断固として受け入れられないとしてきた「北方領土2島(先行)返還」でも構わないという姿勢を安倍総理がプーチン大統領に伝えたのか、急にそういう話が出始めたと思ったら、どうやら「先行返還」でもなさそうだし、「2島」ではなく「歯舞諸島」だけのようだし、そもそも「北方領土」という言い方すら認められないとロシアが言いだす始末で、ロシアの態度はどんどん強気になっています。愛国派の安倍総理なのですから、こんなになめられたままでは平和条約は結べないと断固たる態度を表明してもよさそうですが、プーチンが怖いのか、はっきりした態度を示しません。さらに北朝鮮との関係においては、拉致被害者の問題について、安倍総理が発言しても、北朝鮮は最近は反応すらしない感じになっています。

 こんなに近隣の国々からなめられきった状態になっている直接的原因は、日本がアメリカの言うことならなんでも聞く子分だとみなされているからです(参考:「KSつらつら通信 第257号 スネ夫のような国・日本(2007.9.20)」)。北朝鮮が典型ですが、アメリカとの関係さえうまく維持しておけば、日本は交渉相手にする必要もないという認識でいるのでしょう。拉致問題にしても、トランプが「シンゾー、米朝の関係改善のためにあきらめてくれ」と言ったら、それで終わると思っていることでしょう。その時に、安倍総理は「冗談じゃない。そんな不当なことを言うなら、日米関係が悪くなっても、日本は独自に交渉する!」と言えるのかどうか、はなはだ疑問です。

 しかし、日本がアメリカの顔色を窺う国になったのは、昨日、今日のことではないので、日本に対する近隣食国の対応が高飛車になったのは、それだけが原因ではありません。私が思うのは、日本の国力が低下し、国際的な地位がどんどん低下してきているからです。1970年代あたりから、日本の工業技術力は高く評価され、どこの国も日本の製品と技術を欲しがったものです。国民総生産でも、アメリカに次いで第2位というポジションにいました。日本とよい関係を保ち、優れた製品と技術を導入したいと多くの国が思い、日本に対して敬意ある態度で接してくれるようになっていたと思います。その高い技術力と生産性は、戦争で焼け野原となった日本を立て直すんだという強い気概の下に勤勉努力が国民精神となり支えていたものでしたが、今の日本人にはその気概はなくなりました。結果として、経済的に見ても、日本は魅力的な国ではなくなりました。

 最近の日本が国際的に評価されているものと言えば、よくわからない「クールジャパン」というものです。結局これは何かと言えば、マンガ、アニメ、ゲームといったものでしょう。あと外国人から評価されているものと言えば、おもてなし精神や日本の伝統を味わえる観光地、ドラッグストアで買える生活用品とかくらいでしょう。もちろん、素晴らしい技術をもった人、会社はあり、知る人ぞ知る世界はあると思いますが、1960年代〜1970年代頃に世界の知日派に知られていた「奇跡の復興を遂げた技術大国・日本」「ジャパン・アズ・ナンバーワン」「もっともうまくいった隠れた社会主義国家(=貧富の格差の小さい国)・日本」といったイメージは、今の日本にはまったくありません。「おもてなし上手のマンガ・アニメ大国・日本」では、どこの国も日本のことを重視しません。

最近の近隣関係の悪化には、こうした日本の国際社会における影響力の低下、地位の低下があると思えてなりません。そして、これからの日本社会を支えていく若者たちを見る限り、この趨勢はこのまま悪化することはあっても、逆転して改善していくことはないように思います。まあ、国際社会でなめられても「日本は優しい人が多い良い国ですね」とか言われる方が、今の若い人の望む日本社会のあり方なのかもしれません。ただ、いつか「いい人(国)」であることに耐えかねて、爆発する日が来たりしないか、少しだけ心配なのですが、、、

698号(2019.2.12)四日市を歩く

 ちょっと時間ができたので、どこか町歩きをしようと思い、「そうだ、四日市に行こう!」と出かけてきました。「四日市?どこですか?」とかいう若い人もいそうですね(笑)名古屋から、JRあるいは近鉄で30数分で到着する三重県北部の都市です。一般の人の頭に浮かぶのは、「四日市公害」くらいでしょう。正直言って、私もつい最近まで似たような知識と関心しかなかったのですが、何かで話をしていた時に、I先生が「四日市には、軽便鉄道が走っていていいですよ」という情報をくれたので、それ以来四日市に行って、その軽便鉄道に乗ってみたいと思っていました。

 軽便鉄道とは、要するに鉄道幅(軌間)が狭い鉄道のことです。新幹線や阪急は1435mmJRの一般路線は1067mmに対し、ここ四日市で走っている「四日市あすなろう鉄道」はなんと762mmしかありません。新幹線の約半分です。現在日本で営業しているのは、この「四日市あすなろう鉄道」以外では、三岐鉄道北勢線と黒部峡谷鉄道だけだそうです。黒部峡谷鉄道が典型ですが、軌間が狭いので急カーブにも対応できるので、山間部とかで活躍してきた鉄道です。しかし、この四日市あすなろう鉄道は普通に町中を走る鉄道です。どんな感じだろうとワクワクしながら乗ってみました。写真に見られるように、確かに小さいです。窓際に1列ずつ座席を作ったら、真ん中の通路は人がぎりぎりすれ違えるくらいの幅しか残りません。でも、乗り心地は意外によかったです。

 この鉄道は四日市駅を出て2駅目の日永駅で分れるのですが、とりあえずまずは1駅だけの短い支線の終点・西日野駅まで行ってみました。この駅から歩いて行ける範囲に、かなり立派な近代建築物が残っていて、それらを見て歩くのが目的でした。もう使われなくなってしまった建物もありましたが、このあたりがかつてはかなり栄えていたんだろうなと想像するのは容易でした。旧東海道を入ってすぐのところなので、往来も多く栄えていたのだと思います。

 で、次は日永駅に戻り、線を乗り換えて1駅先の南日永駅まで行き、そこから降りて2駅先の追分駅まで歩きました。2駅分歩くことにしたのは、ちょうど旧東海道がすぐそばを通っており、この道を歩きたかったからです。日永一里塚跡石碑や名残松など、わずかにここが東海道だったことを思わせるものがありましたが、今となっては国道1号線の抜け道としてしか思われていないようで、歩道もないため、わざわざこんなところを歩く酔狂な人間は現地の人も含めてほとんどいませんでした。説明書きには、この道幅は旧東海道時代からほとんど変わっていない約5.5mと書かれていました。江戸時代にはにぎやかに人の往来があったであろうところが、今や車がすれ違う時は歩行者も歩けなくなるような狭い抜け道と化していました。

 追分駅に行く手前に日永の追分という場所があります。ここは三叉路になっていて、右が東海道、左が伊勢街道という場所です。京・大坂に行く人だけでなく、お伊勢参りに行く人もここを通ったのですから、江戸時代、いや明治時代でもさぞやにぎわっていたことでしょう。

 追分駅から四日市駅に戻り、四日市市立博物館と同じ建物内に併設されている四日市公害と環境未来館に行きました。私は初めての土地に行ったら、基本的にその地域のことを紹介する博物館、資料館があれば、必ず行くようにしています。博物館の方は割とあっさりしていましたが、この四日市という場所が古代から交通の要衝であって、四日に市が立つようになって、四日市と呼ばれるようになったという基本の知識を得ました。あと、イオンの前身である岡田屋は四日市から出たのだということも知りました。三重県だというのは知っていたのですが、四日市だったんですね。その岡田家から出たのが、かつて民主党や民進党で代表を務めた岡田克也ですが、彼の影響力が強いのだと思いますか、「民主連合」に所属する参議院選挙の立候補予定者と思しき人物のポスターをあちこちで見かけました。「民主」を初めに関する組織はなくなったように思っていましたが、この三重を含め、いくつかの都道府県で「民主連合」という組織があるんだということを改めて認識しました。

また、この博物館には四日市出身の作家・丹羽文雄の記念室も作られており、これもじっくり鑑賞しました。丹羽文雄は名前を知っているだけで1冊も読んでいないのですが、戦前にはその艶っぽい小説が時局に合わないと発禁処分も受けたことがあると初めて知り、改めて丹羽文雄を読んでみようかなという気持ちになりました(笑)また、丹羽文雄は四日市の浄土真宗の住職の息子で、本来なら跡を継がなければならなかったのに、それが嫌で家出したという事実も知りました。60歳代以降で『親鸞』『蓮如』を執筆するのは、そういう過去の自分を改めて見つめなおしてのことだったのでしょう。この丹羽文雄の実家もそうですが、西日野を歩いていた時にも、真宗の寺院を多く見ました。そう言えば、すぐ隣の桑名市の長島は、かつて織田信長がなかなか鎮圧できなかったほど一向一揆が強かったところだということを思い出し、やはりこのあたりは浄土真宗が強い地域なんだなと、歴史がつながった感じがして、ちょっと嬉しくなりました。

そして最後は、四日市公害と環境未来館です。ここが、あすなろう鉄道とともに、今回の町歩きのハイライトです。「四大公害裁判」として名前だけよく知られる四日市公害問題ですが、四日市の石油コンビナートからの排煙でぜんそく症状を発症した人が多く、裁判になったというくらいしか知らず、水俣ほどには知識を持っていませんでした。ここに来て、改めて四日市での公害問題がどういう経緯で起きたのか、どういう裁判過程だったのかがよくわかりました。見ながら、ひとつ謎だったのは、なぜ他の地域のコンビナートでも同じような問題が起きていたのに、四日市だけが四大公害の一つとされるたかということでしたが、これは後で調べてみて、要するに訴訟が起こされた時期の問題なんだろうなという結論にたどり着きました。川崎でも尼崎でも千葉でも、ぜんそく症状に対して企業や産業界の責任を問う訴訟は起きていますが、いずれも1970年代以降です。それに対し、四日市では、四大公害訴訟は環境関連法が整備されていない1960年代後半に訴訟が起こされ、1970年代初めに勝訴します。このパイオニア的位置を持つがゆえに、四大公害訴訟として4地域の公害問題がクローズアップされるのでしょう。

他の3地域の公害問題は、「水俣病」「新潟水俣病」「富山イタイイタイ病」とかなり特殊性もあるものですが、四日市の場合は工場排煙によるぜんそく問題ですから、「四日市病」などという言葉は存在しません。もしも四日市ではない他の工場地域が1960年代後半に訴訟を立ち上げていたら、四大公害のひとつは入れ替わっていたことでしょう。大気汚染防止法をはじめとする法整備を進めさせ、日本の環境問題を改善するために、重要な意義を持った四日市公害訴訟ですが、結果として四日市と言えば、「ああ、公害のあった所ね」としか認知されていないマイナスイメージをずっと引きづることになってしまったのは、四日市の不幸かもしれません。しかし、逃げずに堂々と、こういう公害問題を知れる資料館を力を入れて作っていることに私は拍手を送りたい気分でした。ちなみに、この日の四日市の空は青かったです。

最後に、今、外国人観光客も含め、日本全国どこもオーバーツーリズムに悩まされる時代ですが、今回の私の町歩きしたところでは、日本人も含め1人の観光客らしき人に出会いませんでした。通しか楽しめない穴場を見つけた感じで、大満足の1日でした。

697号(2019.2.2)アジアカップを通して見る森保ジャパン

 決勝戦、残念ながらカタールに負けてしまいましたね。準決勝のイランがアジア最強で日本は不利と言われていたのに勝ったので、みんな決勝戦はなんとなく当然勝つものだと思っていた節がありますが、そうならなかったですね。チーム力としては日本の方が上だったような気はしますが、しっかり守備を固められると、なかなか日本のサッカーはゴールをこじ開けられません。前半はこれといったシュートも打てませんでした。他方、カタールはチャンスが少なかったものの、決定力が抜群でした。オーバーヘッドキックでゴールが決まる瞬間をオンタイムで見たのは初めてでした。それでも、後半は日本ペースで1点返した時は、同点も見えた気がしましたが、吉田のハンドですべては終わりました。まあでも、日本もイラン戦で同じようなパターンで1点もらい勝っているので、文句は言えませんが。

 優勝できなかったのは残念ですが、7試合たっぷり楽しませてもらえたので、満足感はあります。この大会を通じて、若手選手が森保ジャパンの核になっていく世代交代が始まったことがはっきりした大会でした。特にCBの冨安は大きな怪我でもしない限り、これから10年くらい、日本の守備の中心選手であり続けるでしょう。同じ学年の堂安もすっかりレギュラーとして定着しました。ただし、攻撃陣の層は厚いので、このままずっと堂安が冨安のようにレギュラーで居続けるかどうかはわかりません。今回の日本チームは怪我人が多かったのも痛かったです。決勝戦も、ボランチに、ポジショングがよくボール奪取率が高い遠藤がいたら、前半の展開は違っていたのではないかと思います。ボール供給役のボランチ柴崎は、守備を中心としつつもバランスの取れるボランチと組ませることで初めて輝きます。塩谷もいい選手ですが、やはりもともとディフェンスの選手なので、攻撃――攻撃的守備――の面ではやや弱くなり、柴崎との連携がもうひとつでした。その意味で、遠藤の怪我は非常に痛かったです。でも、ここのポジションは山口蛍や井手口もできるはずなので、彼らの再招集にも期待したいと思います。柴崎が不調なら青山をと思っていたら、青山も途中で怪我のため戦線離脱してしまいました。

 攻撃陣の方では中島がまったく出られなかったので、森保ジャパンのベストの攻撃陣にはなっていなかったですね。テクニックのある中島がいたら、大迫、南野、堂安ももっと輝いたのではと、どうしても思ってしまいます。原口もタフで悪くはないですが、攻撃の仕方はやや単調で、ボールをキープできる選手ではないので、なんか他の3人としっくり来てない感じでした。大迫が出られなかった時は武藤にすればいいのにと思っていましたが、森保監督はわりと北川を多めに使いましたね。今回使ってもらった選手の中で一番結果が出せなかったのが北川だと思うので、次の代表には呼ばれないだろうと思います。武藤の方が当面森保ジャパンで定着するでしょう。乾はもう少し出場時間を多くしてほしかったです。中島が戻ってきたら、また呼ばれなくなりそうです。

 GKの権田ももうひとつポイントを稼げなかったですね。パスミスを2度くらいやらかしましたし、守護神としての信頼感を勝ち取るに至っていません。東口の怪我(体調不良?)が治ったら、東口に戻すつもりかもしれませんが、個人的にはシュミット・ダニエルを正GKにしてほしいなと思っています。2m近い身長とあの手足の長さはやはり魅力的ですし、足元も意外にうまそうです。もう27歳になるようですし、若手というほどの年齢でもありません。使い続けたら、よいGKになりそうな気がします。あと、SBのレギュラーも長友と酒井に決め過ぎずに新戦力を試してほしいと思います。右は室屋でいいですが、左の佐々木はないですね。森保監督は選手選考が比較的公平だとは思いますが、やはりかつて自分が指揮を執ったサンフレッチェの選手には幾分評価が甘いように思います。左SBは長友が元気とはいえ、歳も歳なので、早く長友にとって代わるような選手を見つけたいものです。

 さて、最後に森保監督自身ですが、彼は基本的にはよい監督だと思います。どんな試合でも冷静で、怒りや失望の感情を出さないところが素晴らしいです。そして、なんといっても日本の監督なので、選手とのコミュニケーションやその心理をよく理解できています。外国人の監督にはわからない選手の感情の機微といったものも理解できるのは重要なことです。ザッケローニなんかはわりと紳士的でしたが、トルシエ、ハリルホジッチなんかは最悪でした。フランスW杯予選の加茂監督の失敗で、日本人監督はまだ時期尚早だとなっていたのでしょうが、オシムの後を受けた岡田監督とハリルホジッチの後を受けた西野監督がともに本大会で決勝リーグまで駒を進めたことで、日本人監督もきちんと結果を出せるという評価になったのでしょう。まあでも、日本人なら誰でもいいわけではないです。内に秘めた情熱を持ちながらも、感情をコントールする力を持った人物でなければだめです。その点で、森保監督は資質があると思います。あとは、選手の選考と起用法でさらにレベルアップしてくれたら、このまま森保監督で、次のW杯は行けるのではないかと思います。

696号(2019.1.30)児童虐待

 最近のニュースで、父親が小学校4年生の娘を虐待で死亡させたというニュースが流れていました。乳幼児ならイライラしてということも時々ありますが、小学校4年生の娘なら、もう話をして折り合いがつけられそうなものだという気がするのですが……。この手の児童虐待でよくあるのは、実の娘ではないというパターンですが、そういう情報も出てきてないので、たぶん実の娘なのでしょう。一体、何が気に喰わなくて、いい年をした父親が娘を虐待で死に追いやるほどの気持ちになるのでしょうか。

ここまでひどい事件はそんなに頻発しているわけではないですが、心理的虐待を中心として児童虐待の相談件数はこの30年ほどの間に急速に伸びています。こういう統計数字が出てくる背景としては、ちょっとしたことでも「虐待」ではないかと親の方が思いすぎる心理も働いている気がしますが、他方でやはり親としての自覚が足りない「大人」が増えているのではないかという気もします。自分の生活を楽しみたいのに、この子がいるからそれができないなんて思い始めると、可愛く思えなくなるという悪循環に入ります。

 昔は、子どもに手がかかって仕方がないなんて時期は長くて数年と考えられていたのですが、最近は妙に手をかけすぎるのか、ずいぶん長くなっている気もします。それでも、手をかけることをずっと楽しめるならまだいいですが、途中で、なぜ自分の人生はこの子のためにこんなに制約されるのだろうとか思い始めたら危険です。この「つらつら通信」に何度も似たようなことを書いていますが、子育ての目標は子どもの自立心を養い、将来親の庇護なしでもちゃんと生きていける人間を作ることです。その目標を忘れずに実践していたら、子育てもどんどん楽になるはずだと思うのですが……

 もうひとつ言っておきたいのは、「個」として輝きたいと思いすぎない方がいいのではないかということです。結婚し子どもを作って、その子を無事に育て上げただけでも、十分大きな社会貢献です。それだけでも自分の人生には意味があったと自負していいはずです。実は、このことは、この「つらつら通信」の第1号(半分「個」・半分「類」として生きてみたら」(1997.6.10))に書いたテーマです。21年以上経っていますが、もう一度同じことを言いたい気持ちになっています。

695号(2019.1.25)大相撲界への提言

 60年近く相撲を見てきたベテランファンとして、最近非常に気になっているのが、力士の致命的な怪我が多いということです。稀勢の里の引退も2年前に土俵下に落ちた時に負った大胸筋の断裂が導いたものですし、他にも今場所土俵上で怪我をしてそのまま休場となった力士が幕の内だけで数名います。相撲に怪我はある程度つきものですが、昔より怪我の起きる頻度が増していると思います。

その原因として考えられるのは、力士自体の大型化とガチ相撲の一般化です。前者の大型化に関しては、この20年ほど急速に進んでいて、力士本人がその体重を十分支えられる足腰を作れていないということがあります。解説者の舞の海は、最近の力士は太り過ぎではないか、そこまで太り過ぎない方がいいのではないかと指摘しています。確かに、それは一理ありますが、やはり周りが大型化してパワーで向かってくるわけですから、どの力士も少しでも体を大きくしたいという気持ちを変えさせることは難しいでしょう。

2のガチ相撲の一般化ですが、これは数年前に八百長問題が発覚してから顕著になりました。以前の相撲界では。「星の貸し借り」や「無気力相撲」がしばしば見られました。それは神聖な競技としてはあるまじきことですが、時として無理をせずに負けたりすることで、無駄に怪我をせずに済んでいたという側面もありました。しかし、これも昔のように、怪我しないように適度に手を抜いてというわけには、今はもういかないだろうと思います。

では、このガチに相撲を取らざるをえない大型力士時代の今、少しでも怪我を減らす手立てはないのでしょうか。そこで私が提言したいのは、土俵の構造と土俵周りの安全対策です。具体的には土俵の高さを低くすること、土俵下にマットを敷くことです。こうすることで、土俵下に落ちた時の怪我はかなり減らせると思います。

この提言をしても伝統を重んじる相撲協会はすぐには受け入れないでしょうが、土俵上の構造を変えようということではないので、本当はこの程度の改革はあってもいいはずです。これまでにも、実は土俵の大きさが変わったり、仕切りに制限時間が設けられたり、勝敗の判定にVTRが用いられるようになったり、同じ一門の力士が対戦するようになったりと、相撲界の伝統もいろいろ変わってきているのです。土俵下に落下した時の危険度を下げるために、土俵を低く作ること、土俵下にマットを敷くことくらい、本質にかかわらないよい改革だと思うのですが、、、

694号(2019.1.18)家族アニメはいつか終了に追い込まれないだろうか?

 1回生の基礎研究で取り上げられた「家族アニメ」についていろいろ考えていたら、そう遠くないうちに、家族アニメが批判にさらされ放送中止になる日が来たりするのではないかという疑念が湧き上がってきました。

「えっ、何でですか。家族アニメなんて無難なものばかりで、子どもにも安心して見せられるものばかりで、批判に晒されことなんかないのではないですか?」と思う人が多いでしょうね。でも、よく考えてみてください。家族アニメで出てくる家族はすべてお父さんとお母さんがいて子どもがいて、料理や家事は専業主婦のお母さんがほぼやっていて、お父さんは家事をほとんどしない、そういう近代家族の性別役割観に基づいた設定ばかりです。こういうアニメが何本もゴールデンタイムに放送され、小さなうちから、こういうアニメを見て育つ子どもたちは、こういう形が家族の形だと強く心に植え付けられることになるのです。

「それが何か問題なのですか?」と多くの人は思うでしょう。しかし、今の時代は多様な性のあり方、多様な家族形態を認めるのが正しい方向だとなりつつあります。同性同士で夫婦になってもよい、子どもも作らなくてよい、小学校の名簿からは性別を記載しないようにしようという動きもあるようです。公的機関がそういう方向に進もうとする中で、子どもたちに強い影響力がある家族アニメが、昔ながらの家族形態と性別役割分業観に基づいた家族像を見せ続けるのは正しくないという主張を、明日にでも誰かが言い始めたとしてもまったくおかしくない状況です。

こういうことを主張し正していく動きは「ポリティカル・コレクト」と呼ばれ、1980年代くらいから、様々な分野で活発に主張され、男女限定的だった職業名が変更されたり、特定宗教のみを想定させるような言葉が変えられたり、「肌色」という言葉が使われなくなったりといろいろ変えられてきました。そういう流れの中で、絵本や童話において、性別役割が当たり前のようにキャラクターによって演じられていることも批判の対象になりました。実際、それを意識して、女の子の主人公が冒険活躍をする「政治的に正しい童話」なんていうのも生まれました。この20年間くらいの間に作られたディズニー・アニメで、有色人種を思わせるヒロインが増えているのも、この「ポリティカル・コレクト」を意識してのことです。白人の女性だけが美しいと思わせないようにという配慮です。

日本ではこの動きは比較的に静かなのですが、それでも上記に述べたような、多様な性のあり方、多様な家族形態を認めるのが正しいという空気になりつつありますので、家族アニメが批判され、放送中止になる日もそう遠くないうちに来てしまうのではないかと危惧するのです。しかし、こうした方向は本当に「正しい」のでしょうか。生き方の指針を子どもに示せない社会は、一体どんな社会になるのか、私には不安しかありません。