日々雑記


全快地蔵

2010-8-1

恒例の京都大学での会議に出席。
市バスを降り炎天下のなか歩いていると、京大病院の敷地内に「全快地蔵」があって、立派な看板も立つ。

京大病院と聞けば、、最先端の医療機器を備え、現代医学の牙城というイメージが強いながら、敷地の一隅に「全快地蔵」堂があり、供物や千羽鶴などが吊り下げられた風景を目にすると、やや奇異にも思う。
先端医療のその先が地蔵への「祈り」に向うというのは、現代医療への不信感からではなく、医療+願い(祈り)という「心(気持ち)」の部分が「治療」には必要なんだと思ったり。
そもそも「病は気から」とも言うし・・・。

この祠の前では患者さんや関係者が祈りを捧げるであろうことは容易に推測できるが、病院関係者も最先端に行けば行くほど、結果が予測できない未知の領域に踏み込んでいくので、そうした祈りにも近い感情が表れても不思議ではない・・・と思っていると、定刻の時間。
慌てて吉田南へと急ぐ。

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絵馬

2010-8-2

しばし書店や出版社の営業(飛び込み)が来るものの、欲しいと思う本はほとんどない。中には目の前の書架にある本を売り込みに来る猛者も・・・。

そんな中「センセにはあまり関係ない分野でしょうが・・・」と控えめな姿勢でカタログを差し出す人も。今の研究室はほぼ史学科の先生方の研究室エリアなので、そう思うらしい。
差し出されたパンフレットを見れば、『大絵馬ものがたり』(農文協)。「あっ、これ、買います」と即決し、帰りかけた営業の人も慌ててカバンから注文書を取り出す・・・。

絵馬は「境界の美術」である。民俗の分野で扱われることも多いが、「絵師」とか「画工」が出てくると、こちらへ問い合わせが来ることも多く、また有名な絵師も絵馬を手掛けているが、その関心は驚くほど低い。どうして「絵馬」を屏風や掛軸などと同列に扱わないのだろうかと不思議にも思うが、絵馬だけは市場に流通しないからだろうとも。
いま流行の「痛絵馬」はいざ知らず、絵馬に贋作やコピーはないはずで、しかも奉納年(制作時期)が明らかで、良好な資料であるはずなのだが。
(写真は、もちろん私が奉納した“痛絵馬”ではありません、念のため。)

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“自炊”

2010-8-3

「電子書籍」の話題が華々しいなか、自力でスキャナーを使ってPDF化なり、電子ファイル化することを「自炊」というらしい。そういえば、分厚い報告書などもいつの間にか消えてCDやDVDが送られてくる。(写真は「なにわ」の報告書と自己点検・評価報告書)

コンパクトに収まるので便利だし、PDFだと検索も可能となるので、あやふやな記憶をもとに捜索する時間も省力化できるのだが、本の背を裁断しないといけないらしい。また分厚い本はフラット・スキャナーでは読み込めない。
さすがに豪華貴重本はないものの、それなりの愛着もあって、本に刃物を当てるのはいささか躊躇する・・・と思っていたら、 こんなもの まで販売されている。V字形のガラス抑えがミソだけなのだが、キャノンEOS指定(別売・2台)で、$4,995。
むぅ・・・。

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無縁社会

2010-8-4

ここ数日、100歳以上の高齢者の所在不明が問題に。
マスコミも当初の家族の不正受給からいつの間にか失踪問題へと移行。このあたりの変節は抜け目なく、相変わらずの公僕パッシングに終始・・・。それほど社会的に重要な事態なら「お笑い番組」を自粛してでも民放各社あげて特別捜索番組でも組んだらと思うのだが。
「追っかけ」は得意中の得意なはず・・・。

老いた象は群れから離れるというが、人間も同じようなものかもしれないと思ったりする。姨捨山は文字通り山に捨てられるのだが、今は社会との繋がりを絶つだけで、いとも簡単に埋没してしまう。以前、NHKで放映された「無縁社会」と同じ状況が高齢化社会でも起こっている。住民票と現住所が合わないことは高齢者のみならず日常よくある話で、別にその整合性を糺される筋合いはない。

ただ、不思議な点がいくつかある。生きておれば別に問題はないが、万が一亡くなっている場合、「直葬」にしろ「散骨」にしろ、日本では火葬許可書がないと火葬が出来ず、火葬許可書をもらうためには、役所に「死亡届(死亡診断書とセット)」を提出しないといけない。(役場では出生・婚姻・離婚・死亡の届出は24時間365日、受付している)

どうしてここをスルーできたのだろうか。それが可能となる官報の「行旅死亡人」公告でも「推定年齢80~100歳」というのはあまり見かけない。

「無縁社会」といえども、最後は結局、社会のお世話になる。それは「野垂れ死」させてはいけないという人間の尊厳にも関わることである。この期に及んで他人や身内の世話にはなりたくはないという思いもわからないではないが、今では、それは難しい願いなのかもしれない。

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たいへん

2010-8-5

とある業者さんと打合せ。ちょっと部屋が散らかっているので、大阪都市遺産研究センター(旧なにわ・大阪文化遺産学研究センター)の会議室を借りる。

昨日、今日と博物館では「博物館なんでも相談会」。朝から子供たちが虫取り網を手に学内散策や、芝生広場で紙飛行機を飛ばしたりと様々なプログラム。
飽きた頃には、ロン(青龍)とタイガ(白虎)がお出迎え。炎天下のなか記念写真にも気軽に応じている・・・。

業者さんが来るまでセンターのRAらと雑談。
「あの“着ぐるみ”には誰が入っているの?業者の人?」「たぶん、学生さんやと思いますけど・・・。」
ひょぇぇ~!
「ビールで出張ったお腹をへこますために、替ってあげようかな。せやけど、終わったらもっと飲んだりして・・・」と私。後で事情を聞くと、「高松塚調査隊in吹田」のメンバーだそうで・・・。この猛暑のなか、本当にご苦労様です。

件の打合せ。「小学生が多いんですけど・・・?」と業者さん。「高校生(サマーキャンパス)が終わると、次は小学生(なんでも相談会)がターゲットなんです。」と冗談とも本音ともつかない会話。

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アロマトリートメント

2010-8-6

梅田経由で大学。
もはや迷路状態となった大阪駅、阪急梅田駅の通路を歩いていると、「センセ!」と背後から声。振り返れば、大学に移った最初の頃の女子学生(他専修)。「久しぶり~!元気?」と言いつつ、立ち話もなんなので近くの喫茶店へ。

「暑いなぁ、毎日。ところで、何してるの?」と近況を尋ねると、「今、アロマトリートメントを習っているんです。」と。聞けば、とある業種のアルバイトを長くやっていたが辞めざるを得なくなり、アルバイトなので「失業手当」も出ないので、ハローワークへ行ったら「緊急人材なんたらかんたら」(緊急人材育成就職支援基金事業)で紹介されたという。3ヶ月間の受講でタダ同然らしい。
「(日常)生活はどうしてんの?」とか「講座の後はどうするの?」と親御心?から心配にもなってくるが、「大丈夫ですって!」と屈託ない返事。どうも何か持するものがあるようである。

「(講座が)終わったら、一番に連絡しますから、マッサージさせてくださいね。」と。いゃ、いくらなんでもそれはマズイやろと思いながらも、「おぉ、待ってるで。」と返事。
猛暑で、しかも気が滅入るような世情のなかで、明るく快活に生きている姿を見ると、一陣の涼風が吹いたようにホッとする。別れ際に「暑いけど、体壊さんと、無理せんと、元気で頑張れ!」とエールを送ると、「絶対、連絡しますからね」と。
せんでえーよ、ホンマに・・・。

ところで、この「緊急人材育成就職支援基金事業」っていったい何?

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ハードル高すぎ

2010-8-9

明後日より20日まで大学は一斉休業。事務室、図書館、生協もClose。普段は学生があふれかえっている生協前もこの有様。(暑いし・・・)夕刻前にひと雨あり。

最近は図書館入庫手続きも簡素化(IC化)されスムーズになったが、現在の懸案は書庫内でのコピー「申込書」であろうと察する。
4月から「複写申込書」の記入を義務付けられた。これは当然だが、記入項目が、日付、所属、氏名のほか、図書番号(登録番号)、書名、発行年月日(機関)、複写箇所(p○○~○○)、総ページ数、複写枚数まで。
それまで申込書すらなかったので、あまりにもハードルが高い。従って提出率はよくないとも。

最近、あちこちの図書館でお世話になっているが、普通は書名、複写箇所、コピー枚数(これは係員が確認するところと自己申告制のところもある)。最も簡略化された館は、氏名と枚数(自己申告制)のみ。コピーした後、申込書を出すとレシート(領収書)をくれる。
特に書式が決まっているわけではないのでもう少し簡略化すれば提出率は高くなると思うのだが。

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適正価格

2010-8-10

某所へ。駅からかなり歩かないといけない。
少し歩くだけでも汗がにじみ出る。途中、駅から少し離れた(端的に言えば場末の)喫茶店へ。
扉を開けると、カウベルが鳴る・・・。冷房が効いているものの、先客はおらず奥から親爺登場。アイスコーヒーを頼む。

ひとしきり涼んで、出ようと伝票を見ると「冷コ 1」としか書かれていない。「ごちそうさん!」と声をかけて奥から再び親爺登場。レジに行き千円札を出すと、お釣りが100円玉3枚。え゛っ~!
特段、特別なアイスコーヒーでもなく、ごくごく普通。だから開店休業状態だったのか・・・と悔やんだが後の祭り。「二度と来るか!」と思いながら再び炎天下のもとへ。

釈然としないまま歩いていると、よく似た経験を何度かしていることに気付く。
あれっ!と思うほどの入場料ながらさして広くもない展示場に、土器片や古文書などが並べられている「歴史民俗資料館」系の施設。無造作に置かれた民具に「これで、気が利いている(展示)とも思ってるのか!」とか「タダ(入場無料)やろ、これでは。」と、ガランとした展示場で叫びたくもなるが、展示ケースの汚れたガラスを気にする風でもない職員を見ると、「二度と来るか」と思うに至る。
何事にも適正価格というものは存在する。

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休日

2010-8-10

誰か一人を除いて全員、オフの日。
急ぎの仕事もあるが、やむなく貸切タクシードライバーと化す。

まずは兵庫県某市のショッピングモール。おいしそうなケーキ店と見紛う石鹸ショップ。
巨大スフレにしかみえなかった「みつばちマーチ」石鹸(25kg)。末娘の「買って~!」という声にほだされて、値札を見ると¥114,000。ありえん。

あれこれ“小物”ショッピングを重ねた後、神戸へ。夕食を取り、夜風を浴びながらハーバーランドを散策。
今年も“受験年”にあたっているが、皆年々お忙しくなるようで一堂に会する機会も微減の一途。

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千里山大改造

2010-8-13

阪急千里山駅を降り踏切を渡ると、千里山団地(霧ケ丘、星ケ丘、虹ケ丘)。久しぶりに通ると、街路樹がすべて刈り取られてフェンス支柱が並び、電柱のケーブルにも保護カバー。

いよいよ大規模団地の建て替え工事スタート。いくつか残るスターハウスもまもなく取り壊しの予定。
団地のみならず駅前からの周辺整備も同時並行で実施。団地際を通る道路(千里山佐井寺線)も幅員を倍増。駅前に広場と駐輪場を設け、駅舎を跨ぐ跨線橋線(道路)も設置。となると、現駅舎も改造ということになろうか。

千里山駅周辺をご存知の方は想像を絶する大改造であろうことが容易に理解できる。
たぶん無くなるであろうモノ。踏切を挟んだ六差路、線路下の地下道、千里山マーケット(移転)・・・。
工事完了は2014年。

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奈良志向

2010-8-15

歌舞伎『勧進帳』(DVD)を見る。
ご存知の通り、東大寺再建に向う山伏に扮した弁慶に関守の富樫左衛門が「勧進帳」を読むように命じられる。
然るに去んじ 治承の頃焼亡しおわんぬ かかる霊場の絶えなん事を嘆き 俊乗坊重源 勅命被って 無常の観門に涙を落とし上下の真俗を勧めて かの霊場を再建せんと諸国に勧進す 一紙半銭奉財の輩は 現世にては無比の楽を誇り 当来にては数千蓮華の上に座せん
能の『安宅』に由来した演目。歌舞伎としては、元禄15年(1702)2月に江戸・中村座で上演された『星合十二段』、現在の姿になったのは、安永2年(1773)11月に江戸・中村座で初演された『御摂勧進帳(ごひいきかんじんちょう)』。前者はまだ公慶上人が勧進していたタイムリーな演目ながら、後者は?と考える。

『仮名手本忠臣蔵』。
I氏によれば、ここにも奈良の影響。 「鶴が岡兜改めの段」で「それこそは私が明け暮れ手馴れし御着の兜。義貞殿拝領にて、蘭奢待といふ名香を添へて賜はる」と。江戸の庶民は東大寺(正倉院)に蘭奢待があり、既に切り取られていたことを知っていた・・・。
初演は寛延元年(1748)8月、大阪竹本座。

18世紀中頃の「奈良志向」というまではまだまだ資料不足ながら、この頃奈良に何があったのか。
興福寺が大火に遭い、寛保元年(1741)に南円堂がようやく再建したところ・・・と、思っていると、ふと気付く。東大寺大仏開眼(752年)から千年、正倉院に聖武天皇遺愛の品を奉納(756年)して千年。ミレニアム・ブーム?

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理解できない

2010-8-16

「企業は、若年既卒者も新卒者と同枠で採用対象とすべし」とお偉いさん方の提言。要は4年卒業時を境にその“前後”で就活時期を設けろということ。その分、学業への支障は軽減されるとも。
そりゃそうなのだが・・・。

企業の人事異動は毎月1日ながらもっぱら4月1日に集中。日本のあらゆる「年度」開始も4月1日である。件の記事では4月1日以後しばらくの間は「就活」期間の許容範囲に含まれている。
A君は在学中に就活しX社に採用、4月1日から勤務。B君は卒業後に就活し、X社に10月1日付で採用。「試用期間」を3ヶ月とすると、A君は夏に「寸志」、冬には「規定の賞与」、B君は冬に「寸志」で、「賞与」は翌夏から。同期と思っていたB君はなんだか釈然としない・・・。

11月某日。A君は緊張した面持ちで会議室でクライアントと打合せ。B君は試用期間中のため先輩社員と企業周りの相談。訪問先でも商談をリードするのは先輩。先輩の「お供」と思ってはいけないが、今はどうすればよいのか分からない・・・。そのうち、ことあるごとに「格差」を感じることも。
提言ではこれが数年スパンで続く。

採用する企業にとってこの提言のどこにメリットがあるのか、教えて欲しい。今やどこまで行っても企業は「採用数に満たなくても求める人材レベルは下げない」のである。求められているのは量ではなく質なのである。
「所詮、学者先生のたわ言」と一蹴されないように、「彼氏と海外旅行にいくので、コピペで早くリポートを出したい」とのたまうバカ者を即座にキックアウトさせるぐらいの気概は持てないものか。

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ビミョーに方向が・・・

2010-8-17

学生より暑中(残暑)メール。
(その1)「センセ!今年も『空也上人』でした!(コミケ78)」
むぅ、昨年は阿修羅ブームで『乾闥婆』か『迦楼羅』あたりと思っていたのだが・・・。「この暑さでは被り物は無理ですって(笑)」とのこと。「理解してるんだ(笑)」。「( ̄∇ ̄*)ゞ」

(その2)「『けいおん!!』の「瀧エリ」って、仏像にハマっているそうです」
『けいおん!!』は4人ぐらいと仄聞するものの、そんな名前はあまり聞いたことがない。誰それ?。
歳近い娘に聞くと、「3年2組山中先生のクラスで、いま、琴吹紬の隣に座っている子」。
はぁ・・・。

仏像に興味をもってくれるのはよいものの、なんか方向が微妙に違うように思うのだが、授業ネタを提供してくれたので、よしとするか。
「暑い日が続きますが、くれぐれも体調管理に気をつけて楽しい夏休みを過ごして下さい」。

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聖徳太子の棺

2010-8-18

柏原市立歴史資料館「群集墳から火葬墓へ-河内の終末期群集墳-」を見学。

いつものように企画展示を拝見すると、おっ、おお~!という資料がこともなげに展示。終末期古墳からわずかに出土する「夾紵棺」。仏像でいえば、脱活乾漆技法で作られた棺片。幅47×長さ94cmという大型サイズ。
驚くのはサイズだけではない。通常、夾紵棺の素材は「麻」か「苧麻(からむし)」。ところが、これは「絹」製で45枚も貼り重ねられている。取り扱った職員氏曰く、「木板のように重い」とも。端に直角に曲がる部分が残ることから夾紵棺の小口部分と見られる。棺の幅が94cm!である。

件の夾紵棺は、諸事情や棺台の寸法からみて、太子町の「叡福寺北古墳」から出土した可能性が高いという。はぁ?それって「聖徳太子磯長廟」のことでないの。
国内に例を見ない「絹」製、しかも45枚(厚さ3cm)にも及ぶ丁寧な造りの夾紵棺といえば、もはや「聖徳太子」の棺に違いぬわぁい! と興奮。「断片は(磯長廟を管理する)宮内庁にはないの?」と職員氏に問うと、「ないと思いますけど・・」という返答。

そっけない厚い板のようにも見えるが、貴重な資料。9月5日まで。

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満身創痍

2010-8-19

昨日、某所での文化財審議会はあまり発言しなかった。理由は奥歯の痛み(既にぐらついている)。
喋ると歯の噛み合せで痛みが走るので、なんとも間抜けな発言に。「ふぁい、わたひぃにひぃりょうをくらぁはい」みたいな返事しかできない。

朝、家族お勧め?の歯医者へ。365日、8:00~21:00(以前は24時間)、往診も可、というところ。
問診表があり、「(問題の歯を)残す方向で治療」や「抜いてほしい」とか「今は問題となる歯だけを治療」(「この際、すべてを治療したい」という選択肢も)などと書かれており、親切かつ丁寧。
他の歯科医ではこれまでかなり曖昧であった内容で、何時(治療が)終わるのかと疑心暗鬼にも。

しばらく待った後、診療室へ。「かなり(歯が)動いてますので、抜きます」とのお見立て。レントゲンで確認した後、麻酔を打ち、ポコッと抜歯。抜け跡を縫合し、完了。後は消毒と抜糸のみ。

8月に入り、バテバテ状態と頭痛が続き(「熱中症」?)、ようやく元に戻ったら「夏風邪」を引いて鼻をぐすぐすさせていたが、今度は歯痛。
満身創痍みたいだが、これでひさしぶりに滑舌すっきり。

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季節とはいえ

2010-8-20

猛暑続き。今日もピーカン。
今日も35℃を超えたが夕方になっても日差しが和らぐ風でもない。

ターミナルに出ると、早や「秋物バーゲン」である。
いかにも秋らしい装いとディスプレイが目につくが、汗を拭きながら見る光景ではない・・・。ふと販売員をみれば、秋物をまとったうえ、ブーツ姿で対応。いくら地下街とはいえ、これは酷やろと思いつつ通り過ぎる。

まだまだ夏物衣料が売れそうにも思うが、今陳列されている商品は既に春には製造しており、その頃に、こんなに猛暑が続くとは誰も思ってもみなかった。とはいえ、しばらく倉庫に置いておくと保管料も膨れ上がる。
かくして「予定通りに」秋物バーゲン&夏物最終プライス?が開催され、そのしわ寄せが店員に来るのかとも思ったが、店前を通るとひときわひんやりとした空気が流れ、涼しい店内(でお買物)のPRか店員の自衛策かはわからない。
ひと雨降ればと願うが、大阪では当分無理なようである。

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働くからこそ休まれる

2010-8-21

某ゼミと共催して今春卒業したゼミ生たちと同窓会。

「この日だけを楽しみにして生きてきました・・・(笑)」とのメールも飛び交うなか、皆元気でなにより。職場の話やゼミが終わった後の雑談の延長みたい話が続く。勤めを終えて駆け付けた人もおり、なかなか現実(の社会)は厳しいと実感しているご様子。

職場で困惑、理不尽に思うたびに「あぁ、ハセセンセが言うてた通りやわ~」と思うらしく、「そやろぉ!」と言いながらも当の本人はいつ、どんな発言をしたのか、あまり覚えていない・・・。どうせ与太話の類いだったのだろう。
2次会もおとなしくケーキでお茶して解散。

今宵の話題にも登場した「沖縄ツアー」を懐かしく思い出し、帰宅途上、寄り道してオリオンビールを買って帰る(もちろん飲んだ)。もうずっと昔のことのようにも。

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国勢調査

2010-8-23

役場(役所ではない)でちらりと覗いた会議室に、どさっと積まれたダンボール類。
あれは何ごとと尋ねると、「今年は(西暦末尾が)ゼロの年ですから、国勢調査の準備なんです。もう忘れましたか?」と。おっと、そうだったか。
末尾がゼロだから(大)[大規模調査]のほうである。(末尾が5なら「簡易調査」)

いやはや、たいへん。
拒否られる、愚痴られる、不備のシート山盛り、クレーム多数・・・(との予想)。
雇用状況が厳しい若い世代の拒否、未提出も大いに予想され、「京都(府)では啓発キャラクターがアニメの『けいおん!!』ですよ。『けいおん!!』って知ってますか?」と同世代から問われる。
あまりの勢いに、「いやぁ、ま、知らないこともないけど・・・。」(また「けいおん!!」か)

地域コミュニティ(村の連帯)がまだまだ強いと思うところですら、早くも愚痴ぽい。個人情報の塊みたいなのでアレルギーも強いが、国勢調査を拒否しながら「高齢者不明」で役所は高齢者情報の把握がなっていないと批判するのはいかがなものかと、私が言った(ことにしておきます)。
(訪問)基準日は10月1日。

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次の一手は・・・

2010-8-24

子供たちとコスモタワーから見ながら「押したらダメ。店員さんがくるでしょっ!」と冗談を言っていた大阪市立海洋博物館「なにわの海の時空館」。

4階建ての内部には実物大に復元された菱垣廻船「浪華丸」など、大阪の海運関係資料が展示。

ここが大阪市の「事業仕分け」で廃止と判定。
2000年に開館したが入場者は開館当時の半減(それでも10万人)、今は大阪ガスの子会社が指定管理者となっているが、次期指定管理が不調となり廃止、管理費2億3900万円を削減するとのこと。
この春にも学芸員募集があったのだが・・・。

今回も「大阪府の博物館を支援する会」はもちろん行動されるのでしょう。「弥生博」がダメで、「時空館」はやむを得ないというのは矛盾していると思いますので。少なくとも橋本知事じゃないからとか、サイト・ミュージアム(遺跡博物館)でないからとかの言い逃れだけは聞きたくないと思う。
それにしても10万人の入場者でも廃止ですか・・・厳しいよぉ、現実は。

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リストラ第1号

2010-8-26

某日、某所にて外部者(そのうちのひとり)を交えてのリストラ回避・再建計画のような会議。
(「なにわの海の時空館」 とはまったく無関係です。念のため)
くやしいが、敵方は働く人の顔ではなく、出される「数字」しかみていない。これに対抗するためには、「数字」(現実の数字を短期間にいかにアップすべきか)しかない。
ところが外部者のひとりは「お客様とのコミュニケーションを深めて」とか「多様な社会のニーズに応えるべく」とかの“お題目”ばかり。それでリストラが回避できれば誰も苦労はしまい。それすら、出来ていないことも問題なのだが・・・。

こちらが現実の数字を交えて切迫した状況を説明しながら、やんわりと議論の軌道修正をはかると、気に入らないらしく、「(具体的な数字をあげるなら)それじゃ、ここで何人馘首にするかという議論になるじゃないですか」と気色ばむ。
あのなぁ、あんたが何でここに呼ばれているのかわかってるのか。リストラ会議じゃなくて、アンチ・リストラ会議。ついには「リストラ案を無視して再建策を・・・」とのたまう始末。それじゃ、坐して死を待つだけの自殺行為やろ。

この人も同業者(ビジネスマネジメント)。はぁ? まずは、こいつが「リストラ第1号」。

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ゲンケイ

2010-8-27

まだまだ猛暑。研究室の外はこういう感じ・・・。

問い合わせあり。たぶん思考が止まってるようで、「1677年、元禄の頃、松雲元慶が云々・・・」と聞きながら「はいはい」と返答。
電話を切った後で、あれっと気づく。1677年は延宝5年。元慶は、江戸に出たか出ていないかの微妙な頃である。
あわてて返信。「(作者を)元慶だとするには無理です。」と。はぁ、そうですか・・・と落胆の声。

でも、そうがっくりくることもないかも。延宝年間に千葉や埼玉など関東で活躍した「洛陽大仏師法橋玄慶広峯」がいる。住所は江戸・小伝馬町3丁目。「江戸武州之時、之を作る」とあるので、京都からの移住組と考えられる。江戸時代は、「音」が通じればOKなところもかなりあって「定朝」にしても「常朝」「定潮」「常長」など無茶苦茶な表記もある。

「また不明なことがあれば、メール下さい」と言っておいたので、ここも見るだろう。「『みね』は山へんでしたか、山かんむりですか?」などの問い合わせがないよう、ここに晒しておきます。

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ホウレンソウ

2010-8-29

〆切を過ぎた校正。
基本データを送ったのだが、どうも短い「説明」が必要らしく、先方でデータ加工したのだが、ちょっと日本語になっていない・・・。「寄木造で、腕は肩、肘、手首で継ぐ。台座は後補。」確かに記述自体には間違いはないのだが、なにが重要項目なのかがわからない様子。地元のことゆえかなりの大胆な推測も混じる・・・。後で「上げ足」を取られても知らんぞ、と思いながら抹消。
小さい文字なので、次第にぐじゃぐじゃになり、仕方なくパソコンを開いて一からミニ解説を書く始末。

ようやく書き終えた後、プリントアウトして短冊状に切って、校正に張り付け、ミニ解説をフロッピーに落として、「コピペしてください」と同封。気がつくと既に夕刻。
なぜ「解説」が必要ですと伝えてくれないのだろうか。「ホウレンソウ」(報告・連絡・相談)は、大丈夫ですか・・・。

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休憩中

2010-8-31

某所にて仏像のお仕事。
炎天下の野外ではなく堂内にいるにもかかわらず、5分もたたないうちに汗が噴き出てくる。仕事がひと段落して束の間ながら「至福」(休憩)の時間。じっくり拝見。

内側から連珠をたるませ、花びらを留めるため半裁した花形を挟んだ華やかな「臂釧」(ひせん・アームレット)である。
もちろんこうした装飾品にも流行などが反映されている。京都でこういうのが流行ればすぐさま各地の仏像にも伝わる。
天冠台はどうかとゆっくり銅製の宝冠を外すと、意外にそっけない。こだわりの「臂釧」だったのかなどと思いつつ再び正面にまわって拝見・・・。

しばらくすると「休んでくださいよ」と背後から声。「はい」と言いながらも件の仏像をみているが、仏像から離れないこちらがいると、周囲はどうにも落ち着かないようで、諦めて車座のなかに。

若い頃からのくせなのか、「休憩」と聞けば仏像に近寄って「熟覧タイム」となるが、当の本人はこれでも休憩中。車座で雑談を聞きながらも顔は再び仏像のほうを向いたまま・・・。せっかく忘れていた暑さもぶり返したような。

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