日々雑記


好きにするがよい

2011-5-1

過日、猪名川町でお会いした人々が一様に驚いていたのは、うちのゼミ生の研究テーマ。とりわけ今年は多彩で、貴重?な「仏像」ゆえの特別サービスでもある。

「仏教美術だけかと思っていましたw・・・」。いやいや、今の大学でそんなことしたら、確実に馘首になりかねない。
お仕事ですから・・・。
教員と学生とが、ともかく意思疎通が図れるうちはよしとしないといけない。

時折、留学生などが授業を受けると、正直、どこから説明してよいのか戸惑うこともある。
例えば、上の浮世絵は誰もが知る葛飾北斎《神奈川沖浪裏》。様々な見方があろうし、講義で扱う時にはいくつか紹介もするが、彼らが持つベーシックなところは、 こうした理解 がごく普通。新聞記事自体は思いつきの発想かもしれないが、一応は同じアジアの有力新聞である。その内容もなかなかのものだが・・・。エイプリール・フール?

「この地震はいつ起こりましたか?」って講義後に質問されても、はぁ?と言うしかなく、講義内容は理解しているのだろうかと、教壇を降りながら著しい不安に襲われることもあり得ないわけではない。
国際化・グローバル化といっても、“現場”では、この種の悩みは尽きない。「面白い発想!」という人(教員)もいるが、欧米で「Osaka is a Yakuza city」が共通認識であるのと同様、こちらにとっては「レベル7」である。

ともかく、意思疎通が図れる研究テーマにあっては、「好きにするがよい」。

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歌川国芳

2011-5-3

大阪市立美術館「歌川国芳」展へ。

「史上最大級」とあってその数の多いこと。全421点。ある程度予想していたとはいえ、これほどとは。
展示構成は役者絵、風景画、戯画といったジャンル別。混雑気味なので、お目当ての主要作品を拾い見しながらじっくり。

《源頼光公館土蜘蛛妖怪図》《相馬古内裏》《龍宮玉取姫之図》《里すゞめねぐらの仮宿》等々。影絵というか、お座敷芸(襖芸)というか、猫による「しゝ・みゝづく・はんにゃめん」もユニーク。国芳の頭が柔らかいこと、このうえない。

あまり難しいことを考えず楽しく見ていたが、《近江国の勇婦於兼》《東都富士見三十六景》にニューホフ『東西海陸紀行』のパネルがちょっと興ざめ。無粋。
最近の成果を採用したのだが、《於兼》なんかは「『馬』じゃなくて、そっちのほうか!」と思った次第。《東都名所浅草今戸》や《唐土廿四孝》にはそれ(西洋書の挿絵)がなく入れると展示構成が崩れるために苦肉の策とも。

2階では小工芸品と根付・印籠、西国三十三所展、それと大木平蔵と山川永徳斎の五月人形展。
西国三十三所展では滋賀・檪野寺と田万コレクションの観音像がペアで展示。吉野・長谷寺遊楽図屏風もみごたえあり。市美の蔵(収蔵庫)の深さを思い知るばかり。

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モラル

2011-5-4

休日の大学。

日頃、学生へ各方面からその旨の警告、指導を行っているにも関わらず、放置自転車やらバイク、咆哮?など、近隣周辺住民に多大な迷惑をかけているのは、200%承知しているものの、これはちょっと・・・。

大学構内は休日も開放されており、日曜日などは芝生の上で親子でボール遊びや犬などのペットを散歩させる光景も。ただ、「ふん」の後始末が杜撰。通路の隅っこにそのまんまで、中には「手ぶら」で散歩させる人も。

日頃のこちらの“弱み”もあるのだが、せめてビニール袋ぐらい持参すればよいのにと思う。

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似たような話

2011-5-5
ウサマ・ビンラディンの隠れ家のそばには、パキスタン政府の軍事施設。「知らんかったわけはないやろ!」とマスコミの突っ込み。
頂いた報告を読みながら、似たような話もあるものだと。

とある施設のそばにある有名古刹。脇間には室町やら南北朝時代の仏像。その施設に長く勤めていた者は見ていたにも関わらず、話題にもならず。
担当者が代わって、その話題を持ちかけると調査に及んだようで、銘記は出てくる、寺院創建や地域史に関わる資料がどっさりと。
こちらの“お見立て”に間違いなかったと自負する一方で、前任者はいったい何やってたんだと疑惑の念も浮上。

「まったく仏像はわかりましぇ~ん」なら仕方がないとも思うが、地元では「仏像博士」と呼ばれるほどの(一応の)有識者。
とうに終わったんです、鎌倉時代までの仏像だけが「仏像」だとみなす時代は。ま、その「鎌倉時代の仏像」もあやういものだが。要はもう「仏像」がわかんないのでしょう、きっと。

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扶桑茶話

2011-5-6

終日授業。

学生から福沢諭吉『ひゞのをしへ』のなかに桃太郎は、鬼退治と称して鬼の宝物をとってきた「強盗」で、その宝物を、桃太郎に送り出したおじいさんとおばあさんに分けたというのは「計画的」であるとの話を聞いて、笑ってしまった。
一寸法師も原作「御伽草子」に従えば、「詐欺師」の物語になるという。

ちょっと悪知恵。
明治初年にドイツ出身の眼科医ヨンケル・フォン・ランゲッグがお雇い外国人として京都に出てくる。もちろん合理的精神の持ち主。それまで、ふぅ~ん・・・で済まされていた事柄にひとつひとつ合理的解釈を求めている。
摂津国居住と思われる一寸法師が京都へ行くのになぜ伊勢・鳥羽を経由する(これは原文にある)のか、合理的解釈?では一寸法師の「冒険心」と「伊勢神宮参拝」。もともと、原作がややこしい詐欺絡みの話になお、合理的解釈に基づく記述を加えたので、逆に抱腹絶倒。

奥沢康正(訳) 『外国人のみたお伽ばなし-京のお雇い医師ヨンケルの『扶桑茶話』』 (思文閣出版)が出所元。高額なので図書館でどうぞ。
こういう人の前で、慰みにと思って「御伽草子」を語った人の苦労がうかがわれる。

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法然展

2011-5-7

午前中、京都国立博物館「法然」展。

メインは「法然上人絵伝」。皆、絵伝に首っ引きでみている。絵伝の間にある聖衆来迎寺《六道絵》閻魔王庁図の前はほぼ無人。これも国宝なんだけど。

絵伝はほとんど見ずに、混雑していない他の作品を集中的に。
知恩院の「早来迎」。連台を持つ観音の姿は、いかにも時間間際に駆け込んでくる宅配ピザの兄ぃちゃんのよう。速度感を増すために白雲が微妙にうねる。

同じく知恩院の善導大師像。爪が長く、この時代はまだ下半身を金泥塗としていない。五臓六腑納入。《二河白道図》。発遣の釈迦、来迎の阿弥陀の間の白い道。いつ見ても、「進むも地獄、退くのも地獄」としか見えないのだが。
最後は誓願寺十王図(平等王)。巻物を一方にぶら下げた天秤を持つ冥官が合掌する(命乞い?)人に指差して「ええか、ようみておけ」と指差し確認。
地獄も極楽も、現代人の目には水族館の水槽で泳ぐ鯛や鮫を見るような視線である以上、地獄の方が断然面白い。

名残惜しくも、午後からの京都の大学での会議に急ぐ。

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識字運動

2011-5-8


過去の遺産と化した感がある学生運動。凋落ぶりがゲバ字に顕著に。しかも日本屈指の大学構内。書いていて、なんか違うとは思わなかったのだろうか。せめて赤枠の時に気付けよ。

名誉のために付記するが、これがここにあると言って、書いた学生がこの大学の学生とは限らない。多くはいわゆる「外人部隊」である。大学で「恥!」と思って撤去しようとしてもモノがモノだけに容易にできるわけではない。
それにしてもひどいよ、これは。

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 プリント

2011-5-9

文化財写真関係の人と打ち合わせ。
新聞では、泥をかぶった写真(プリント)の泥落としのボランティアが報じられていると話題を向けると、フィルムではねぇ・・・と表情を曇らせる。

ネガに直接、泥水が被ると、雑菌などでフィルムがゼラチン状に「腐る」らしい。水道水でも塩素を含んでいるので、厳しいことにも。もっともよいのは「精製水」だそうだが。
プリントも泥を落として乾燥させてすぐにデジタル化しないと、そのままの状態ではもたないとも・・・と暗い話題に。インクジェットやコンビニのセルフ・プリントも難しいとも。

世の中、便利になった反面、脆いものに大きく依存していると思ったり。

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上意下達

2011-5-11

会議。
これまで「青天井になること」に制御がかかっていたが、なんとなくうやむやになりそうな気配。
以前なら、そのようなことがあっても何らかの負担減の措置が講じられていたが、今はまるでなし。
どことなく「わが身ここにあらず」といった態。

他にも訳分からないこともあり、「上意下達」するだけのことでどれほどの時間が費やされているのかと、つい愚痴も。

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忘れ物

2011-5-12

最近、教室を出ると はて? という忘れ物が多い。

携帯電話+定期券、ハンドクリーム、今日は弁当袋と傘。
雨の日は傘が多いのはわかるが、その他は・・・とつい、授業内容と重ね合わせて考えてしまう。

携帯電話+定期券。
「もう、訳分からんこの授業は!」(そんな授業はしていない!)と、憤って教室を中途退出。机には携帯電話と定期券。駅に至るまでに早晩、気づくだろう。
ハンドクリーム。これは机の下棚にあったので、下を向きながら、授業を聞きながらのスキンケア。「では、今日はこれで・・・」と聞くや「帰ろっと!」とそのまま退室。蓋が開きっぱなし。
弁当箱+弁当袋。
持った時に軽かったが、よもや授業中に飯は食っていないはず。いくらなんでも、それぐらいは教壇からわかる。空いている席に置いて授業を聞き、終わったと思ってそのまま退出・・・。

すべての忘れ物は授業支援ステーション(一部はメディアライブラリー経由)へ。
もちろん今どきの学生は御礼もなし。教務関係からは「授業評価」の問い合わせがやってくる。
なんか不思議な感覚。

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鳥海青児

2011-5-13

博物館をいったりきたり。合間に授業。気がつけば、日も暮れて・・・。

現役学生にとっては、桂三枝や文珍ほどにも存在が知られていない関大OBの鳥海青児。「知らんか、《夜のノートルダム》を・・・」とぼやく相手は史学科の学生。無理もない。

資料の中に唐招提寺境内を歩く鳥海の写真。
鳥海青児は油絵画家にも関わらず、知る人ぞ知る日本古美術コレクターである。ジャンルを超え、時には真贋すら気にせず、自らの目を信じるのみで、専門家、好事家なら一瞥しない作品も大いに買った。秘蔵の高野山月上院玄証本薬師十二神将像をはじめ、貞観仏(天部像)、乾漆弘仁仏、僧形八幡神像、行道面、稚児大師画像、天啓赤絵徳利や光琳乾山の合作香合、光悦色紙、法華経見返し絵、はては国宝とは逆向きの如拙《瓢鯰図》などなど。

日本画家ならいざ知らず、油絵画家にして骨董漁りは珍しい。
鳥海ならきっと私の授業を一番前で聞いてくれるだろうと、大いに妄想。

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講座・講演

2011-5-14

午前中、久しぶりに梅田・コンソーシアム大阪で「大阪近世・近代の美術」を講義。世間の流れに棹さす動きはなかなか残りにくいもので・・・などと。

終了後、大学に向かい、今度は登録有形文化財記念企画展講演会を拝聴。博物館実習生も参加、事情を知らない見知った学生は「あれっ!」という表情。後ろの方で業界人が固まっていたでしょ、あの一群はOB・OG。

全国、数ある大学博物館でも、外(建物)も内(本山コレクション)も登録有形文化財に指定(登録)されたのはここだけと関係者は話されていたが、京都大学文学部陳列館もそうであったように、現在では・・・というところだろう。今後の研究も、と 釘を刺す 叱咤激励を受ける。

「飯でも一緒に食おうや」と言われ気を利かせたつもりが、逆に「挨拶」などつまらぬ雑用を増やしたようで猛省しきり。次の折には学外でゆっくりと。

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教育後援会

2011-5-15

午後より教育後援会。昨年は不在、一昨年は島根(インフルエンザ)、久しぶりの感。
好天に青葉がはえて美しい大学構内。

3専修合同で、教員紹介。皆、居住まいを正してのご挨拶。
学生向きの「自己紹介」とはひと味もふた味も違う。我々と近い世代の保護者の方々だが、既に経験してきた社会も大学も変わり、御子息・御令嬢へのアドバイスも難しい。
「仰りたいことは、たいへんよくわかります。私たちもそうでした。でも今は・・・」というところが無責任かもしれないが本音かもしれない。

夕刻、授業の準備をして帰宅。

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茶道具とゴテ物

2011-5-16

朽木ゆり子『ハウス・オブ・ヤマナカ-東洋の至宝を欧米に売った美術商』(新潮社)を読みながら・・・。

(清朝末期の光緒31年(1905)、開封と洛陽とをむすぶ隴海鉄道(ベン洛鉄道)の敷設工事中、洛陽北の唐墓群を破壊。彩色された首のない陶製の人形や異形の獣などざくざく。「唐三彩」の発見。
作業員らは薄気味悪がって工事は中断。
また1911年には辛亥革命がおこり、清朝皇族や貴族が没落。彼等が所有する美術品はとにかくでかい。

こうした茶道具に不向きな大型品(ゴテ物)や明器(副葬品)に目を付けたのは日本人古美術商某。
「ゴテ物」は茶道具に拘らない欧米の美術館へ、明器はまだ中国に行ったことのない学者への研究資料として、また近代画家の中国的モチーフとして売却。

いっぽう、日本は大戦景気による成り金や金融恐慌など経済は乱高下。こうした経済的変動に対応できない寺院や旧大名家が没落し、「某家売立目録」が多数発行される羽目に。ここで売買されるのは「茶道具」中心。
佐竹本三十六歌仙絵は「掛幅」に切断され、中国的色彩の強い「吉備大臣入唐絵巻」は「茶掛け」に相応しくないので、ボストンへ。

近代の東洋美術は「茶道具」を軸に見るとわかりやすいのかも。

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昔とった杵柄ながら・・・

2011-5-18

某先生より「お呼び出し」。最近は素行もよくなり、ビビることも少ない・・・。「はて?」と思いながら研究室へ伺う。

「ちょっと、学内で展示会を企画してくれんか」との仰せ。
快諾した後、「ところで、どのくらいの(展示準備)期間がかかる?」と聞かれ、展示スペースを思い浮かべながら「ひと晩。」と。
「『ひと晩』って。別に夜中に展示しなくてもよいから。」

楽勝、楽勝と思いつつ、展示期間が恒例の博物館実習展と重なることに気付き、学生の前で醜態をさらすわけにはいかないと、にわかに奮起。
「貼パネ、まっすぐ切れるやろか」と早や不安材料も。

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暖める

2011-5-19

「こういうテーマで研究したいと思っていたのですが・・・」と学生。「やってみれば。」と私。
あれこれと関連作品や資料の話をしていると、なんとなくわかっていない様子。「何か関連する本を読んだとか、作品を見に行ったりしないのか」と問うと、「まだ」とか「これから」とかの生返事。

以前は、詰め込んできた清濁混在した情報を、鼻息も荒く開陳する学生もおり「おいおい、そう結論を急ぐな」と抑制する側に回っていたのだが、最近はなんとなく「指示待ち」の学生が目立つ。
「私がしたいこと」に対して教員側からあれこれとケチ?を付けられるのを嫌って文字通り抱きかかえたまま「暖めて」いたのだろうか。

以前はこうせぃ、ああせぃと丁寧にアドバイスしたが、この頃は逆に崖っぷちに追いやる。
「今まで何もしていないというわけやな。そしたら何をやってもゼロからの出発やから、そんな夢物語みたいなことせんと、『仏像』をせぃ。仏像を」。
多くは「えっ!そんな、無茶な」というわけで、ようやく動き出す。
無茶はどっちなんや。

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卒論ラボ

2011-5-20

今年度より1号館5・6Fに「卒論ラボ」が開設。専任教員やTA(博士課程後期の院生)も配置されている。
名前こそ「卒論」だが、卒論以外の各学年のゼミ課外レポート、発表原稿、レジュメ作成など、各学年に応じたアカデミック・ライティングへのアドバイス。

授業の行き帰りに「卒論ラボ」の前を通るのだが、この頃はなかなかの「繁盛」ぶり。
4月最初の頃は、閑古鳥が鳴いて「まぁ、期末レポートや卒論など、学生も切羽詰まってくると、整理券を配らないとあかんような状況になるから・・・」と励ましておいたのだが、“適正”な参加者でなりより。

うちのゼミも参加。「なんやこの文章は・・・」などと赤ペンもって修正することは今年はしない。
こういう「おいしい(役立つ)話」は少ない人数のほうが効果が上がる。利用する学生としない学生、その差は3年間で大きいはずだが、気付く人が少ないのはなにより。
それにしても「大学」は親切になったものである。隔世の感。

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文化的景観

2011-5-21

「奥飛鳥の文化的景観」が「重要文化的景観」に選定。

世界遺産もそうだが、最近は「景観」「バッファーゾーン」が重要視される。
ドイツ・エルベ渓谷も生活確保(交通渋滞確保)のために架橋を選び、世界遺産登録抹消ということになった。
「見学するだけならよいが、そこに暮らす人のことを思う」時、景観というものはなかなか難しい問題をはらむ。

来週は、恒例の飛鳥合宿。稲淵のセミナーハウスで「(携帯の)電波が届かない!」(事実、届かない)という学生に対して、「文化的景観」はケ・セラ・セラなのかも知れない。

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大学院入試

2011-5-22

大学院(学内)入試。何を思ってか朝9時から。
厳選主義で臨む。そのほうがお互い(教員・院生)楽しい大学院生活になるはず。

「学部生に劣る学力」「言い訳は一流」「明日から、明日から頑張るから」「オレもやればできるんだという妄想」「オレがこんな生活なのは社会のせい」「話かけないで。今忙しいから」・・・。

数年先にニートと同じようなこと言ってどうするんだ!と思う。ぐちゃぐちゃ云う暇があれば勉強しぃやと。大学院はネカフェでもサロンでもない。

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有機的結合

2011-5-24

しばしば、はぁ?という言葉に出くわす。今日は「有機的結合」。化学の授業ではあるまいに。

あれもこれもひとつの事柄に分け難く結びついているということを言いたいのだろう。
例えば、茶道部に入りながら現代アートというのは、そもそも「結合していない」。あるいは三角縁神獣鏡を勉強するのは、史学科(考古学)以外の選択肢はほとんどないと思われるのだが。
茶道部なら茶室の間取りやらガラス器などを用いる近現代の茶道、茶道具に関心をもつのが「有機的結合」とはいえまいか。

最近、なんでぇ?という組み合わせに驚くことしばし。

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親展

2011-5-25

会議ディ&給料日。

どんな会社でも給料日は嬉しいものである。
内容は熟知しているものの、明細入の封筒を開ける時に思わず「お疲れさまでしたっ!」と叫んだりもする。ささやかな楽しみ。

昨年は授業をしていないので給与明細は自宅へ郵送されていた。4月になっても郵送され、そして今月も。なんと今日見た時には既に開封済。同居人に隠し事はない(つもり)とはいえ、がっくり。
「『親展』って書いてあるので開けたら・・・」とやや反省顔の家人。「いや、『親展』って・・・」とこちらは不満タラタラ。
「ほら。」と取り出してきたのは今までの明細書・封筒の束。確かに封筒には「給与等支給明細書在中」と。

「昨今のご時世、そんな文言が刷り込まれた封筒が郵送できるわけはないやろ」と思いながら、4月に人事課へ連絡しなかったこちらにも非がある。そろそろ訂正の連絡をしておこう。

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未完の大器

2011-5-26

授業が終わった後、京都国立近代美術館「青木繁」展(内覧会)へ。青木を見い出したのは、こちらの2代館長である河北倫明。

階段を上がると、まず最初に《わだつみのいろこの宮》。そのあとは年譜順に作品や手紙が展示。1904年から07年ころには日本だけでなく旧約聖書などに基づく神話をモチーフにした作品。中村吉蔵『旧約物語』(金尾文淵堂)の挿絵となった原画は、《ボジョレーの娘》を所蔵する「ニューオオサカホテル」蔵。当時の(挿絵)印刷技術が災いするのかのか、原画にみる人物の顔もぼやけた表現。《海の幸》は芝居の書割のように升目あり。教科書に載るほどの名品中の名品。じっくり。

いつものように会場内をふらふらしながら見ていくが、後はこれといって印象に残る作品は少ない。なんとなく(作風が)地に足が付いていない「ふらふら」した感じのままで全作品(見学)終了。時には《朝日》(絶筆)や《秋声》など「うわ滑った」作品もまみえる。「青木繁って、大したことないじゃないか」と思いながら2巡目突入。

気が付いたのは、再び《海の幸》の前に来た時。
青木は28歳で夭折。展示された作品は、若き時代に試行錯誤した作品や失意のうちに描いた作品で、こうなり名を遂げた大家の展示ではないのだ。そう思って作品をみると、「ふらふら」した作品が悲痛な叫びにも聞こえてくる。
「未完の大器」展也。

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合宿

2011-5-28

雨天。恒例の三専修合同合宿。
教員併せて50名弱の参加。今年は時期も遅く、参加者も少ない。

いつも通りに先遣隊。雨天ゆえ到着した頃はガイダンスが既に始まっている。しばらくして教員紹介。昨年は授業をしていないので見慣れぬ顔ばかりである。
ガイダンス後、食事&風呂。
急用で帰られる先生を送り、懇親会。こちらはいつも通りに2時過ぎまで。ようやく就寝。廊下を通ると各部屋からは談笑。
外は風雨激しく、明日はそのまま帰宅となる見込み。

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明々白々

2011-5-29

台風接近。朝食後ガイダンス(続)。

この時期に台風とは珍しい。晴れておればあれこれと考えていたが、雨天では仕方ない。(こちらの)盛り上がりが欠けたまま、解散。帰宅。

過日、1970年に明日香川や甘樫丘が史跡指定に答申されたにも関わらず、現在まで指定になっていないとの記事。実は1975年頃にこのあたり(柏森・西部)に高さ56メートルの堤防をもつ「飛鳥ダム」建設が計画された。「50年に1度の大雨を想定」した治水目的だが、2000年に計画中止となった経緯がある。ダムが完成しておれば、蛍が飛び交うこの集落も水没していたもしれない。

今回の大地震からしても、「何十年に一度」というセリフ(呪文)が、現在ではまったく通じないことは明々白々。

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手持ち

2011-5-30

深夜、昨日録画しておいた日曜美術館『安宅英一・狂気と礼節のコレクター』を見る。

見ながら、伊藤郁太郎氏が、ロンドンのオークションで落札した壷(法花花鳥文壺?)の箱を両手で抱えて飛行機の座席に座り日本に持ち帰ったとの講演話を思い出す。
これを業界用語で「手持ち」という。

普通は美術専用車で借用、返却に伺うのだが、比較的小物で1点だけ(突然)中途返却やルートから外れた所などの場合、よいことではないが「手持ち」で対応。下関まで掛軸1本借りに行ったことがある。
その頃はまだ新幹線にも「個室」があったので快適だったが作品から離れることはない。新大阪からはタクシーにて。同業者では重要文化財(掛軸)を山手線の網棚に置いた“ツワモノ”もいる。

画面をみながら、作品を扱えない人たちが多い中、今でも「手持ち」ってあるのかと思う。馘首覚悟ながらいちばん安上がりな運搬方法。名札を首からぶら下げている者(学芸員)はもちろん論外だが。

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1951年のピカソ

2011-5-31

1950年に開館20周年を迎えた倉敷・大原美術館は翌1951年6月にアンリ・マティス展を開催し、10月にはパブロ・ピカソ展を開催。翌年にはジョルジュ・ブラック展も。1951年8月には日本橋・高島屋で読売新聞社主催の「ピカソ展」が開催。
1950年1月創刊の『芸術新潮』も、1951年5月には「特集:アンリ・マチス展」、9月・10月には「特集:ピカソ」「特集:ピカソ展」が組まれる。以後、ゴッホとならんでピカソの作品は人口に膾炙。

パブロ・ピカソの名や作品は戦前でも知られていたようだが、市井の人たちに迎えられるのは、この時期あたりと(勝手に)推測する。

キュビスムやフォービスムなどに悩まされつつ、ふと、仏像屋さんがなんでこんなことを・・・と思ったりするが、これもお給料のうち。
先月「紺屋(こうや)の白袴(しろばかま)」を記したばかり。ほら、鏡・鏡・・・。

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