日々雑記


御縁

2011-4-1

今日から4月。大学も入学式。法文坂の桜はまだ五分咲きほど。

しばらく休館であった総合図書館も大改造を経て開館。各新聞は地方自治体の職員異動を伝える。
かたや、神戸新聞によれば芦屋市立美術博物館への寄託者の8割が「作品引き揚げ」との由。
「信頼してきた学芸員がいなくなり、任せられない」というのが大方の意見。

寄託資料は自由に展示ができる半面、その「寄託」は学芸サイドと所蔵者の「御縁」で決まる。資料の行方からみれば、今日、各新聞の紙面を割く地方自治体の担当職員異動と学芸職員の異動とを同一に扱うのが、いつも不思議。
学芸員が異動して寄託資料が引き揚げられたこともあり、「どうしようもない(展示に耐えられない)」資料も、その職員がいるがゆえに収蔵庫の一角をいつまでも占める場合もある。
まぁ、そうした学芸職員の背中に背負った価値も知らずして機械的な異動を行うのが、地方自治体でもあるのだが。

新聞を読み終わると、いつも通りに地下1階の書庫に向かい、お籠り。

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袖触れ合うも・・・御縁(2)

2011-4-2

午前中、大学院の入学式・ガイダンス。

ガイダンス前、教室へと向かう途中、いつも懇意にして頂いているT先生から「この春、ドイツでTaさんという方にお会いしまして・・・」と告げられる。名前を聞いた途端、ひょえー!と血流逆上。
Taさんは前職での事務係長さん。同じ職階で共に汗をかいた同僚でもある。迷惑をかけた事も多く、退職時には一番に喜んで頂いた。
驚きと恥ずかしさのあまり、「人間、悪いことはできませんね。どこでどう繋がっているやら」と言うと、「いやいや・・・」とT先生はいつもながら微笑むばかり・・・。

ガイダンス中も、当時を思い出して、うわの空。
Taさんも3月末で退職したとの由。よい人がいなくなり、そうでない人がしぶとく残るのは、地方自治体の悪弊。「熱烈歓迎ムード」で行われる執行部の挨拶を聞きながら、「評価」を取り入れないからかもと、ぼんやり思う。

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大にぎわい

2011-4-4

朝より1年生専修別別オリエンテーション・履修相談。

1日に入学式を終えたと思えば、明日からはさっそく授業開始である。とりあえず仮時間割、せめて明日から今週いっぱいの時間割は決めておかなければ、いきなり路頭に迷うことになる。

サークルやクラブの勧誘や新歓行事もあって、学内には新入生・在校生でいっぱい。
ひょっとして、学園祭に次いで一番、学生が多い日なのかも知れない。

図書館から帰ると、先ほどの新入生。教室や曜限の問い合わせ。聞けば、抽選科目等もあってWebが繋がらない状態で、こちらも例年通り。諦めずに頑張るべし。

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抽選科目(抽出選別科目)

2011-4-5

今日より授業開始。
この1週間は“お試し期間”。担当する全学共通科目は既に200名強・・・。各先生方からは笑われる(叱責される)かもしれないが、授業が通常通り進行するとはちょっと考え難い。講座や講演会などは、休日を割いてまでも「聞きたい」という方がほとんどなので、300名でも400名でも安心、大丈夫である。
ところが、これは卒業するの必要な一群のひとつで、出席を取らないとか、先輩から“楽勝!”などと聞いて(「楽勝」ではない)履修する者がいないとも限らず、授業への姿勢がまちまち。
昨日も1年生からこの科目が「抽選科目」になったと聞いたが、授業中に「私語」「携帯」は厳禁、出席は取らないので、つまらないと思う者は来なくてよいゾ!など、不本意ながら初回でガツンとしないととんでもないことになる。

逆に「受講意欲満々」の学生が抽選に漏れることもあり得る。週に2回開講してもよいと思うのだが、様々な条件があってちょっと無理。授業自体は私が担当するが、そこに至るまで、多くの職員氏が「バックアップ」していただいている。その人たちをこちらの「気まぐれ」で巻き込むことはできない。

不本意ながらも初回にガツンとするしかない・・・。まぁ、担当者や科目名ではなく講義内容で履修を決めるのが普通の選択だが、Web大混雑の今はちょっと無理かも。

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名誉回復

2011-4-6

会議の後、資料拝見。

見ながら「商業美術」とはいったい何なんだと思う。
美術家を目指すものの、生活や様々な条件で美術に専念できず、糊口をしのぐため色々な商業ジャンルで活躍。もとが努力家なのでそのジャンルでは功なり名を遂げるが、当の本人は「満たされぬ気分」と「失われた時間の回復」が常に漂い、以前にもまして奮闘。
でも世間は、功なり名を遂げた「商業美術」のみが注目され、本人が生涯を賭けて目指した「美術」はいつの間にか、「商業美術」からの余波(広がり)と見られがち。本人にとっては本末転倒な理解のような気もしないわけではない。

他の先生がたの期待もあり、俄然、「名誉回復」のため奮起。

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桜のもとで

2011-4-7

暖かな快晴。
千里山駅で降りて改札を出ずに反対側のホームへ。駅の桜もほぼ満開。電車を待つ人も思わず写メ。

駅周辺では道路沿いの公団住宅が撤去されて再開発進行中。計画では駅のこのあたりに高架道路が出来るので、早ければ千里山駅の桜並木も今年が見納めである。

久しぶりにスーツ姿に戻って学内をうろうろしていると、悲壮な顔付きで「E502教室って、どこですか!」などと教室の場所を尋ねる学生も多い。1号館角に地図、時間割が大書され職員氏も張り付いているが、「尋ね人」があまりにも多く大混雑。
法文坂の桜もほぼ満開だが、新入生はそれどころではない。

まぁ、この時期仕方ないかと思いながら、「実験実習・語学系教室(4)」での授業へ向かうと、教室には違うプレートが懸かっている。はて? さすがに学生や職員氏に聞くわけにもいかず、学舎内地図を学生と一緒に、にらめっこする羽目に。

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目をはなすな 手をはなせ

2011-4-8

「学びの扉」(初年時教育)。初回オリエンテーション。
新入生は見るからに肩の力が入りすぎて、表情も険しい。そのままだと、これからしんどいよ・・・。

テキストの概要を説明しつつ、「大学や社会は、中学、高校以来の英語・国語・社会といった3教科型思考ではどうにも対応できません。これからは常に領域の複合で考えるとわかりやすくなります」などと説明。なんとなく理解してもらえたような・・・。

「なかには『文学部に入って就職はどうすんのよ!』と言われた人(学生)もいることでしょう。」とも。思わずうなづく者も。「そんな醜い比較をしてどうするんですか!」とこちら。口あんぐりの学生。
「確かにパーセントでみれば違う。でも、もし『成績』で判断すれば、千人中、千人ですよ!経済学部では下から65番目までが就職できなくて、文学部では83番目まで就職できないとみると、千人中、下から数えて18名の差をもって『就職がよい』とは決して言えないはずですよね」と。

午前中、関大幼稚園の園児と保護者を見かけたが、こちらの説明にうなずく者もいたということは、大学生になっても、保護者はどうもその余韻をいまだに引きずっているような気がしてならない。
またPTA総会前にハセさんは過激な発言を・・・と危惧する向きもあるが、年史編纂室の展示テーマは「目をはなすな 手をはなせ」である。久井元理事長の記念展ながら、親心の要諦でもある。
大学もPTA総会前になかなかやるもんだと感心。

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奇石の世界

2011-4-9

大学博物館での用事を済ませ、「本山コレクション展」を見学。

江戸時代後期には人工、天然を問わず珍しい石をコレクションし、それぞれ奇石を持ち寄り語り合う世界があった。奇石のコレクターを「弄石家(ろうせきか)」、集まりを「弄石社」と呼ぶ。木村蒹葭堂もそのひとり。奇石は採取品ばかりでなく高額でも売買。マーケット(市場)の誕生である。

供給の少ない奇石の需要が高まると、自ずと「贋物」も作られて、売買されて弄石家のコレクションに納まる。「狩野探幽」や「若冲」などの掛軸とまったく同じパターンである。
贋物・真作が混じりあった研究資料のなかでの学問研究は、明治・大正頃まで延々と続く。これも同じ。「奇石」の世界は今では専門家や科学的判断によって一刀両断だが、ビール瓶の破片から「漢代の蝉形ガラス」を作るほどに贋物作りの技術も高まるなかで、美術の世界は今なお真贋の判別がつかない世界であるのかも。
右の図面は柏木貨一郎「石器寫図」。

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「田中、タイキック~!!」

2011-4-10

各大学で授業も始まり、サヴァティカル明けの小生も混じって、夕刻から同業他社の人と一献。久闊を叙した後、ボルテージ上昇の頃に、他校での虚々実々の四方山話。
再び、このセンセイ登場。話題は「謝恩会」。

卒業式後の「謝恩会」。基本的(表向き)には、こちら(教員)は無料ご招待。
気付いたのは、宴たけなわの頃。学科の学生がやや少ない気がして、傍に来た幹事(卒業生)に、「ちょっと、(学生が)少ないような気もするが・・・」と声をかけると、学生曰く「○○ゼミなんです・・・」。
「えっ、○○先生なら、あそこでサンドイッチ、パクついて・・・」って言うと、人差し指を唇にあて「しっ!!」。

「それからや。水割りのグラスと皿、取上げられて、会場の外へ拉致られたんや。妙に静かな会場の外で、何事かと思って聞けば、「○○先生には『謝恩』するほど指導してもらってません!だから全員、(謝恩会は)ボイコットします!」と、言われたそうや。それでひとり会場でパクついていたのかと。

そこからがユニークな同業者。
「会費(学生)は教員の負担分も含めて1万円。花や記念品も含めると、教員1人当たり1万2、3千円はかかる。仮にそれをゼミ生10人で割ると、学生一人あたり1200円ほど。1年で割ると1回の授業が40円。○○先生のゼミ指導は40円にも満たへん内容というわけや。事情を聞いてるこっちがホンマ、情けのうなってくるわ・・・。もう、『田中、タイキック~!!』 やで~。がははぁぁ~!」。

オドロキの展開の後「オチ」があったようだが、誰もわからず。隣人が、カバンからi-Padを取り出して「田中 タイキック」と検索する始末。

はぁ?な「オチ」ながら、件の問題教員とこれからも同じ学科におられると思うと、少しかわいそうにも思え、無碍に突っ込むことも出来ずじまい。豪放磊落な笑いとは裏腹に、一瞬だが一抹の悲しさも。
笑えぬ話というわけだったのか。
(ちなみに○○先生は「田中先生」ではありません。念のため。)

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明るい妖怪

2011-4-12

卒業演習。妖怪系で複数。
昨年1回休みなので、各人のテーマを知らない。

内容を聞きながらも「今も昔(近世)も一番怖いのは人間」と。
妖怪を描いた作品を観る者とそれを描いた者も、あっけらか~んである。いわば、遊園地の「お化け屋敷」のスタッフと観客に近い感覚。観客にしても「めっちゃ怖かったやん!」と笑いながら話をしている。もとより「見えないもの」に対する畏怖など、子供はともかく近世以降は微塵にもない。
やっぱり、本当に怖いのは、明日の我が身にも降りかかりそうな人間の業や情念なのだと思ったり。

泰平の世にこそ、妖怪は流行ると思うのだが、どうも違うらしい。

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スローガン

2011-4-13

今年度初の会議。朝から会議が5ケ・・・。
朝刊をみると、関大生(レスリング部)逮捕の記事。すみませんです・・・。

ちょっと続くような胸騒ぎがして、なんとなく厭だ。
なにしろ数年前までのスローガンは「強い関大」。
だ・か・ら、そういうのをスローガンにすると、アイススケートの活躍をみて、頭を鍛えずして体だけを鍛えて、勘違いして入ってくるのがいるんだ、これが。
もちろん万事がそうではないが、 過日の雑談 でも「入学はクラブが目的→怪我で不参加→不登校」というのがいるんや、これがまた・・・」と仰る人の話もあり、他人ごとではない。

今度のスローガンは「『考動』する関大人が、 世界を拓く」。
法人・組合うち揃って、いらんことに金と時間と知恵を使うな、もっとほかにすることが・・・、と会議中にぼんやり思っていると、顔色に出ていたのか、仕事がドカン、ドカン、ドカンと舞い込む。
やっぱりスローガンは禁物。

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どっちでも・・・

2011-4-14

1年生向けのミニッツペーパー。

「ここ(芸美専修)とA専修で迷っています。どっちがいいですか?」
はぁ? 何をしたいとも書かれておらず、「そんなもん知るか!君の勝手や」である。

と、そのまま書くとまた厄介なので「1年間じっくりと関心を深めてください」と記す。
プロパー(大学教員)ですら、関心事に違う刺激があるからこそ、意欲が深まり、感覚が鋭くなるのだが、大人も交えて一部は、そうは思っていないらしい。

硬い頭だと、こうした扇絵すら理解することはできない。
「本来は詩文を記すところ、多忙の折、期日まで作詩できませんでした。ただいま詩を作っている最中です。」と見たが、如何。

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こま切れ

2011-4-15

いつも通りにこれを授業に。教卓側を冒頭にして教室の後ろまで座席1列分を要してすべてを広げて、まずは“見る”。
今年からオールカラー&原寸大。これまで使用したものよりわずかに大きい。

「はい、どうぞ。」というと、教室後ろに学生の列ができる・・・。おいおい、困ったなぁ。
こちらは邪魔だと思って教卓をわざわざ隅に寄せたのだが、サインは無視。いつもは前から行儀よく順番に見たり、「猿の逃亡劇」あたりで、列が鉢合わせしたりしていたのだが。
困惑しながら様子を見ていると、左から見終わった女子学生2人が、巻物を繰る仕草。
「反対ですよねぇ、わたしら」「そうそう」。しばらくは全滅かと思ったわ。
その後、右から左へ見ること、それでも本来は肩幅に広げて一人での「ガン見」をまずは話す。

終了後、講義を聴いて「すっきり」した顔をみながら、「これまで、『細切れ』しかみたことがないから、どこから見てもいいと思っているにちがいない」と、ほぼ確信しながら巻き戻す。

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博多

2011-4-16

博多・鴻臚館跡展示館へ。

唐・新羅との迎賓館兼対外公館。
当初は筑紫館と呼ばれ、持統2年(688)2月10日に新羅国使全霜林をもてなしたのが初見。円仁『入唐求法巡礼行記』にも登場し円珍の帰朝の宴もここで開催。9世紀には貿易が官から民に移り、永承2年(1047)「大宋国商客宿房」への放火犯4人を大宰府が捕縛した記事が最後。

その後、人々の記憶から忘れさられ、江戸時代には福岡城、戦後は平和台野球場が建設。外野席改修工事、球場の移転による発掘調査により「鴻臚館」が確定。
写真は1987年の現地説明会。

遺構の一部を覆屋で囲み周囲を展示室にした施設。
越州窯青磁・長沙窯長胴水差し・荊窯白磁皿・新羅高麗陶器・イスラム青釉長胴壺など多数展示。ざっくりと磁器溜りも展示。
展示パネルにはやたら「籌木(ちゅうぎ)」「トイレ」が強調。それほど強調するほどの遺構・遺物でもあるまいに、と思って閲覧図書を眺めると・・・、
(以下、食事中の方はご注意下さい)

土壌分析の結果、寄生虫から判断すると、豚や猪などを常食する外国人用トイレと、日本人用トイレが別々に設けられており、しかも男女別だそう。(なんでわかる?)
また遺構の上には一部建物復原。ぼうと見ていると、軒丸瓦と軒平瓦がバラバラ。はぁ?
迎賓館といえども大宰府のお下がり?と思ってしまう。

その後福岡市美術館へ。東光院仏教美術室でしばらく仏像を見た後、常設展示へ。岩佐又兵衛描く《三十六歌仙》はどことなく、五月蝿そうな親爺の集団にも。小野小町はおやゆび姫のように小さい。本阿弥光甫の作品や抽象画のような円山応挙《龍門登鯉図》を見た後、ポール・クローデルと親交のあった富田渓仙《御室の桜》(本画・下絵)を拝見。金泥による「隠し落款」ならぬ「隠し桜名」。
2Fでは「ハンブルグ浮世絵展」。常設展でも関連企画で、カンディンスキーなどの木版画。吉田博《帆船》による摺りの工程も・・・。
むぅ、関連とは言いながら、浮世絵の摺師、彫師、絵師の分業体制はどこにもないじゃないかと憤るも、先ほどの富田渓仙の年譜を思い出す。富田渓仙は大観らと共に改組帝展に抗議して昭和11年6月に帝国美術院会員に辞表を叩きつけ、翌月に脳溢血で急逝している。近代美術だからと、諦観。

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黄檗彫刻

2011-4-17

太宰府の九州国立博物館「黄檗」展へ。

宇治・万福寺の仏像はもとより福岡・佐賀・長崎などの“黄檗仏”も展示。初めてみる仏像もかなりたくさん。嬉々として見学。

キャプションなどではあれもこれもと「范道生作」がかなり強調されている。宇治・万福寺の一群は確かに彼の作品だが、そのほかはホンマかいなと思う。
日本では仏像の作者が重視され、今日でも作者(仏師)=作品評価 に繋がるのだが(時には=でない場合も)、中国、特に明・清では「仏工」名が記録にあらわれることもなく重視されている風でもない。一職人さんという位置づけである。
しかも現在の華僑にとっても「同郷意識」は非常に高い。范道生は「泉州」出身で、木庵も同郷。なんとなく黄檗宗での師弟関係プラス同郷意識で、仏工は動いているようにも思える。

隠元が来日し「梵像、はなはだしく如法にあらず」と言い放つ。巨大和食街のど真ん中で油こってりの中華料理店を探し、「俺の口に合う料理はない!」というのに近い。傲慢な態度にみえるかもしれないが、時の幕府や大名が彼をこぞって後押し。だからこそ、万福寺に出入りした日本人仏師も七条仏師ではなく、傍流仏師たちである。
「やっかいな客なんで、ちょっとお前、中華料理手伝って来いや!」と親方に言われる・・・。

そんなことを考えながら、図録に「木寄せ」を鉛筆(しかもわかるように鉛筆の頭に消しゴム付)でメモしていると、突如、監視役?のおばはんが「スケッチはやめてください!」と傍らで怒号。
「これのどこが、スケッチや!」とこちらも声を荒らげる・・・。「じゃ、他の係員にも伝えておきます!」と言い捨ててふたたび座席へ。はぁ?
「すみませんでした」の詫びもなく、あんなん、座らせておいていいんか、九博(の委託業者)さん・・・。

飛び入りで講演会にも参加。楠井氏の講演を聞きながら、白衣観音坐像のX線写真などメモする。日本にあっては所詮「唐っ風」だったのかもしれないとも。
退館後、家人御所望の「梅が枝餅」を買って帰阪の途に。

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「手を振ってのご声援、ありがとうございます」

2011-4-18

実は、歩いているこちらと目が合い、シッ、シッシッ!と手で払いのけるしぐさをしたのだが、選挙カーのうぐいす嬢ならぬ「カラス女」がこう言い放つ。

大学がある吹田市は市長と市会議員とが選挙期間中。目が合った場所は日頃行き交う小学校前。階上の教室からはリコーダーの音がする。只今授業の真っ最中。その傍の道路で、件のカラス女が「吹田の明日をしっかりと考える○○、○○。○○をどうぞよろしくお願いします」と連呼。(○○は候補者名)
小学校の授業中、すぐ横でスピーカーで連呼しているのが、授業の妨げになるとは考えていないのか?それで目が合ったので、シッ、シッ!と追い払ったのだ。バカな候補者&カラス女。

小学校の授業を邪魔して、何が「吹田の明日」だと思う。こういう候補が間違って市会議員になると、目先の利益にすぐさま結びつかない教育や文化の面でバッサリと予算を削減し、さも市の財政削減に貢献したかのように振舞い、あとは自らの議員生命の延命策しか考えないようになるのだ。
財政削減の基本はバカな候補者を当選させないことが肝要だと思うのだが・・・。

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金気(かねけ)

2011-4-20

御堂筋にある富永直樹《ボジョレーの娘》が台座(石製)から切断され、放置された由。
富永直樹は2006年に没しており、設置は2008年なので、他の作品と同様に“死後鋳造”作品。《ボジョレーの娘》は心斎橋のホテルでみたような気もするが、定かではない・・・。

場所や時刻からみて、おおかた酔っ払いか腹いせに引き倒そうとして、台座から離れたのだろうが、それにしても無茶な話である。

以前も、とある資料館で、モニュメントとして現代に鋳造された梵鐘がそっくり盗まれたことがある。いまだに出てこないのでおそらくスクラップとして売られたのだろうとの噂。となるとこういった事件が起こるたびに「大阪は文化不毛の地」と思わざるを得ない。今回は像が放置されたので売る気はないようだが、「金気(かねけ)」のものを見ると、銭にしか見えないのは困ったものだ。

そう考えると「美術作品や文化財は大切です」と学ぶ(学ぶ以前の問題だが)時期は限られているのだが、老いも若きも目先のことばかりで、なかなかこれが・・・。

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責任回避の楽園

2011-4-21

講義は、ほぼ同じレジュメやスライドを使いながらも、折々の気分で強調すべき力点が異なる。

しばらく前まで、荻原碌山がロダンに「日本へ帰れ(そして仏像を見よ!)」と言われた事を強調し、「留学や国際化も良いけれど、まずは足元の日本を知らなきゃ」というような事を思っていたのだが、今日の某朝刊で「昭和戦争の過誤」が掲載。見出しには「責任回避の楽園」。ほら、鏡、鏡・・・。

午後からの講義。
「朝日新聞社は昭和3年に刊行した『天平の文化』を昭和17年に重版しています。特にベストセラーでもない本をなぜこの時期に重版したのか。「重版に際しての序」を読めば一目瞭然です。そこにはこう書いてある・・・」。
「惟ふに、皇國の隆替と東亜の興亡を賭したる決戦下、八紘爲宇の大旆の下に、日本精神を昂揚し日本文化を宣揚することの喫緊なる今日より切なるはない」
「おわかりでしょうか。美術は決してきれいだけの存在ではなく、時代の生き証人でもあるわけです。そうした視線で日本の仏像を見ると・・・」

熱く語ったので、きっと「ここは試験に出るぞ」と思ってアンダーラインを引いた学生もいるだろう。
今日の講義の「肝」はそうした部分ではなく、大局の話なので、ゆめゆめ勘違いしないように。

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迷子

2011-4-22

5時50分迄の授業が延び、学生からの質問もあったので、大学を出たのが6時20分。7時から梅田・第3ビル南側あたりで在外研究から帰国された先生の歓迎会がある。

阪急梅田駅からまっすぐ行って地下街を進めば、第3ビル・・・。
梅田駅に降りたのが7時5分前。幹事に電話するも繋がらない。「あ゛っ、もう~!」と思いながら急ぎ足。
今、阪急百貨店が工事中なので迂回し地下街に入る。フコク生命ビルも新しくなったので、以前の面影はなく、どこでどうつながっているのか皆目見当がつかず、そのうち本当に迷子に。

仕方なく地上に出て現在地を確かめていると、「今、どこ?」と幹事から電話。「お初天神です!」と思わず答えたが、本当のところは、自分がどこにいるのか全く理解していない。「駅前第3ビルはどこですか」と道を尋ねることは、大阪在住40数年のプライドに賭けてもしたくない。しばらく行くと高架道路が見えてようやく理解。南に行くべきところを東へ歩いていた・・・。週末の雑踏をかき分けて25分の遅刻。

帰途、見覚えのある建物をみるとホッとする。この道が帰り道であることは間違いないはず・・・。

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ガンダム系

2011-4-23

大学。授業も3クール目。プリントの再配布分を忘れたり(今日初めて出席したので全部下さいというツワモノも)で、あいかわらず。

かと思うと、「インフルエンザで休んで、初めて出席したのでプリント全部下さい。診断書要りますか?」と尋ねる2年生も。「診断書はいらん。プリントは全部揃えて来週持ってくる」という、心やさしい?一面も。
1年生からは熱っぽいので休みますという丁寧なメールも届き、「出席とらないのでお大事に」と返信したら夜にも再びメール。「インフルエンザでした」との由。また「インフルエンザ」が流行っているのだろうか?

2月に末娘もインフルエンザにかかり登校禁止となって「リレンザ」のお世話になった。変わった用法で、服用している時に「おっ~、『ガンダム系』!」と叫んだ結果、鼻から“白煙”を噴き出してしまい、「ころす!」と言われた。

今日は終日冷たい雨。皆様、どうぞご自愛くださいませ。

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名残りの桜

2011-4-24

桜もそろそろ終了。土手沿いの桜をみながら地元で地域の会合(町内会)へ。細い桜木ながら、毎年たわわに?咲きほころぶ。

会合では今しがた見てきたばかりの桜が話題に。どうも工事で幾本かが切られるらしい。見納めだったか・・・と思いつつ説明や意見を聞いていると、微妙な按配。

綺麗に咲く桜を毎春楽しみにしている住民もいるので、伐採するのはしのびず近くへ移植せよとの意見。一方、僅か2週間ほどのことで、秋には虫なども付いて苦情もあり、工事は住民全体に益することなので、伐採は止むを得ないとの意見。説明がやや下手なので、少しばかり険悪な雰囲気にも。

しばらく、ことの成り行きを見ていたのだが、とある人が折衷案を提示。移植は大掛かりで、移植先で開花する保証はない。そこで移植費の半分ほどで新たに桜木を購入して近くに植えようと。思わず、大学1号館前の桜を思い出す。確かに・・・。

その旨で了承され、散会。
折衷案を出した、やや日焼けした顔の人を見ながら、きっと造園関係の“その筋”の人ではないかと思う。見事な手さばき(?)に感嘆。

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紺屋の白袴

2011-4-25

学生向きに説明しておくと、紺屋とは藍染め屋のことである。藍染め屋の主人は客の袴を染めることに忙しく、自ら履く袴は紺に染めることが出来ずいつも白袴であるとの由。

譬えが少し違うが、自分が好きなことがそのまま他人に受け入れられるということは殆どない。酒屋の主人が、酒豪であることは稀で、むしろ下戸のほうが多い。起業を思う人の多くが抱く「自らが好む(良い)モノは、他人にも通じる(勧めたい)」という発想はかなり危険である。

学部の講義でお馴染みのネタながら、自分(作者)の趣向がそのまま他者へ受け入れられる事は極めて稀で、その殆どはクライアント(施主)の意向に沿った方向へあらゆることが進んで行く。送り手である者は、何時の世にあっても極めてシビアに受け手(市場)の動向を見ているのである。

その講義にも出ていたはずの見知った元学生の現況を、偶然にも知り、行く末を案じるばかり。残念ながら早晩、頓挫するだろう、きっと。

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会議

2011-4-26

昨日、今日とワーキングランチが続く。
授業があるので、会議ディ以外は、昼食を食べながらお昼休みに会議。グダグダと議論していては、午後からの授業に差し支えるので、口をモグモグさせながら書類に目を通す。意見も幾つか出るが要点のみで、ご飯粒 泡沫飛ばして、白熱する・・・というのはあり得ない。問題となるべきところは、事前にすり合わせ済。

会議とスピーチは短いほど良いというが、重要案件だからといって会議の時間を多く取っても、議論は混乱の度合いを増すばかり、果ては混乱に拍車をかける余談も登場し、結局長い時間をかけても、無駄話多くして結論を以後に持ち越すことも少なくはない。

長い会議の一因は背もたれのあるやや上等なイス。すわり心地がよいので会議が長引こうにも苦にならない。
立ち飲み屋にあるような丸テープルの前で立ったまま会議をすれば短く終わる・・・ということを旧職で呟いたが、「はぁ?」「それは打合せ」「(立っているのが辛くなる)後半では議論が荒れる」等々で却下。しかし「長い会議が不毛の結論を導く元凶である」ことは皆知っている・・・。
なぜふかふか椅子に固執するのか、よくわからんが、長い会議は「香ばしい」発言も殊のほか多い。もちろん、議論も脱線・転覆へとまっしぐら。

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研究機関

2011-4-27

出勤前に大和文華館へ寄り道。リニューアル後初めての来館。「開館50周年特別展 女性像の系譜」を見学。

《本多平八郎姿屏風》《湯女図屏風》は終了したが、《輪舞図屏風》や《舞踏図屏風》(京都市蔵)をじっくり拝見。もちろん《松浦図屏風》も。

《松浦図屏風》も最近はこうした流れで考えているのかなどと思う。ひと頃は消されたロザリオや描かれたガラス器、ウンスン歌留多、はてはボッティチェッリ「ヴィーナスの誕生」を反転すれば・・・という意見も出されていたが、当の大和文華館が寛永年間頃の作としたためか、おおむね納得できる見解へと修正。浮世絵作家や祇園井特などの作品も見ごたえ十分。

大学へ行き、講義の合間に雑談。
某先生曰く「とある公立博物館は予算もなく独自の展示企画もおざなりで、地元の美術愛好団体や小・中学生の作品展で糊口?をしのぎ、図録や研究紀要も出していない。そこが持っている資料の調査を依頼したが、『わたしたちも研究機関ですので・・・』と、言って(断って)きよった。」
「天下?の東博ですら、「研究」という言葉がはばかられるなか、“田舎侍”が何勘違いしているんだ。(貴重な)資料は、市の職員(学芸員)が、異動もなく定年まで、のほほんと過ごすための人質か!」と、いたくお怒りのご様子。

見てきた展示内容を話しながら、研究機関と言うのは大和文華館のようなところを示す言葉であり、先生が仰るような博物館は学習意欲、成績とも極めて不良ながらプライドだけは高い「困った学生」と同じであると同調。
「そやったら(学生と違って)つぶれても構わんということか」と茶目っ気に。「仕方ないんじゃないですか、自業自得だし。」とひとまず返答。ホンマに仕方ないと思うのだが。

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木喰仏

2011-4-29

久しぶりにゼミ生で「仏像」(木喰)を研究テーマにする学生が現れたので、日頃、懇意にさせていただいている「猪名川木喰会」の方にお願いし、学生ともども東光寺、天乳寺などが所蔵する木喰仏を拝見。

各仏像を細かく熱心に説明していただき、こちらもふむふむ・・・。
作品をみながら木喰と作仏、作品に関わる知識や特徴、見方などが、シャワーのように降り注ぐ。
なにしろ各地の木喰作品を見ているセミ・プロパーなので、学生もかなりたじろいだはず・・・。

世間では円空とともに「儀軌」を無視した造形といわれるが、むしろ逆だろう。ありとあらゆる仏像の見た末に、仏像の像種が何であるかが理解できる限界まで、そぎ落とし絞り込んでいったと思う。揺れ動く世にあって、市井の人々がまず必要とすべきは「落ち着き」や「安寧」である。そのための「微笑」に行きついたとも想像。

授業よりも濃い内容や情熱、エールをもらい「頑張ります」と気丈に答えていたが、さすがに帰りの車ではちょっと、うとうと・・・。

GW中でのご厚意にあつく御礼申し上げるとともに、それに応えるべく我々も頑張りましょう。

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いやはや・・・

2011-4-30

午後、家人の希望で奈良散策。
もちろん、家人はこちらが先日、大和文華館に行ったことなど知らない。知らぬが花である。

餅井殿商店街から なら町、飛火野を経て春日大社に至り、奈良博を横目に見て(また後日、密かに来るつもり)、興福寺に出ると、この有様。左の男性がもつ立て看板は「入場規制中 最後尾」とあり、下のボードには「10分」と(10分ではちょっと無理っぽい雰囲気)。

長蛇の列が目指すのは興福寺国宝館。もちろん、お目当ては「阿修羅像」(と思う)。
以前のガラーン!とした国宝館は何処に、と目を疑うばかり。いやいや、ここに並ばなくても北円堂も特別開扉して、運慶最晩年の傑作弥勒菩薩像や無著・世親像も見ることができるぞ!阿修羅だけが興福寺の仏像じゃない!と呟きつつも、家人曰く「人が並ぶからには、きっと(以前の国宝館にはなかった)何か新しい仏さんが並んでいるに違いない!」と俄然、興味津々。
あのね、(大阪)ミナミやキタのバーゲン・セールじゃないんだから・・・。

東博、九博での特別展終了後も、リニューアルした国宝館に長蛇の列が出来ていたことは仄聞していたが、さすがに今なおこうした状況を目の当たりにすると、さすがにびっくり。

勘違いしてはいけないのは、この行列をみて、「“仏像ブーム”は続いている」と思ってはいけない。少なからぬ人にとって「ホンモノの阿修羅像を見た」という奈良観光の土産話のひとつに過ぎないのであって、不遜な言い方だが、喧騒が消え去ったあと、「通」は再び静かに楽しむのだろうと思う。

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