日々雑記


謹賀新年

2012-01-01

明けましておめでとうございます。


12月中旬のとある日、家人より電話。
年末の大掃除(網戸や換気扇とかの掃除)等と繰りごとがあって、「六甲(山荘)、行っちゃう?」と。
はぁっ? こちらも“ネパール行”を人質に取られているだけに、無碍に断ることも出来ず、う、うん。

かくして年末年始を関西大学六甲山荘で迎えることに。(因みに写真は大晦日の夕刻)

管理人氏のご厚意で娘たちには洋室。ツインのベットに床暖房、バス・トイレ有。これまで和室しか知らなかったのでこんな部屋があったのかと思っていると、管理人氏曰く「ここは理事長さんの部屋です」と。

他には2組の利用者。神戸牛をつつきながらの忘年会。
食事後、神戸の夜景を見るために和室(我々)に来ては窓外を眺めるものの、すぐさま洋室へもどる(洋室からは神戸の夜景は見えない)。よほど居心地がよいらしい。

今日は有馬と元町巡り。商店街は半分くらいお休み。

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平清盛

2012-01-02

何気なく見ていたTVで「平家納経」が登場。見ていると今年の大河ドラマは「平清盛」。

『平家物語』によれば、清盛は治承5年(1181)閏2月4日夜に「あつち死」(高熱)で亡くなったとされている。叡山から汲んだ水風呂に清盛が入るとたちまち湯になったとも。

『玉葉』治承5年(1181)閏2月5日には清盛の死を知った九条兼実が「命、誠宿運之貴、非人意之所測歟、但神罰冥罰之條、新以可知」と。もちろん「神罰冥罰」は「磨滅天台法相之仏哉」の由。ところが、『玉葉』には高熱(死)とはどこにも書いていない。

まゆつば?
ドラマはまだ始まってもいないが、早く最終回がみたい(重衡の南都焼打ちも)。

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卒論提出

2012-01-05

昨日、今日とゼミ生の来室があり、今日・明日は卒論提出日。加えて授業再開。

学生にお願いして、卒論の受理票を入手。
3枚複写の受理票で、ピンクは学生の控え、ブルーは教務センターの控え、黄色は卒論に貼られる。これで「提出した、受け取っていない」のトラブルを防ぐ。

ごくまれに“虚偽報告”がある。卒論を指導教員が受け取らなかった、研究室のポストに放り込んだ・・・等。この受理票が貼られていないと全てアウトだが、親御さんは学生(子供)の申告を真に受けとめて、「なぜ受け取らなかった!」と怪気炎を上げて来学されることも。

みんな、ともかく提出した模様。

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占う

2012-01-07

午後より補講2つ。
今日の補講内容は試験に出してはいけないので「擬洋風建築」の話。
無意識にもかなり熱っぽく語る・・・。

「来日したブリジェンスは二代目清水喜助や高島嘉右衛門ら日本人と組んで明治の西洋建築を作りました。清水喜助は今の「清水建設」、高島嘉右衛門はお馴染みの「高島暦」の人です・・・」
後者についてはまったく無反応。念を押して聞いたが、なにそれっ? 今の学生にとっては「高島暦」も死語なのか・・・。
「個人(の将来)を占ってはいけない」との嘉右衛門の言もスルーして授業続行。

帰宅すると「中国企業、『てんびん座優先』で人材採用」の新聞記事。
これは当てにならない。 実はわたし、「おとめ座」と「てんびん座」との境の出生。誕生日で記す占い本は種類によって「おとめ座」であったり「てんびん座」であったりと、マチマチ。「金運:大いに散財。その分だけ実りとなって戻ってきます!」とあれば「財布の紐は固くすること。来週には大きな出費もやってきます」と、その評価も時には天と地ほどに異なる。
ほら、嘉右衛門の言葉は当たっているじゃないか・・・と妙に感心。

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日本民藝館

2012-01-08

昨日より大阪歴史博物館で「柳宗悦」展が開催(2月29日まで)。

民藝運動の拠点である東京・駒場「日本民藝館」の開館は1936年。
奇しくも大阪市立美術館の開館も同じ1936年。大阪市立美術館の開館記念展は「改組第1回帝展」。
既に建てられた東京府美術館、京都市美術館も同じように美術団体の展覧会場に。

コレクションありきのハコモノとハコモノだけあればよいとする方針は、なんだか現在の私立・公立の美術館・博物館状況が予想されるような展開。(ただし著名コレクションを核にした公立美術館は除く)

木喰仏も出品されるので、早く行かねば。

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スロー・スタート

2012-01-11

会議。いつものことながら仕事も溜まったところでようやく本格始動。今年はずいぶんスロー・ペース。何もかもがまだまだ…の状態。

上座部仏教の初期仏教経典『スッタニパータ』の有名な語句に「犀角の如くただ独り歩め」とある。
日本では古くから漢方薬として知られるが、実際に犀が歩く姿は長く知られず、谷文晁がヨンストン『動物図譜』を模写してから。ヨンストン『動物図譜』をそのまま引き写し、甲冑をまとったような体躯の表現がユニークである。
中国でも犀角品が有名だが、動物自体にまで関心が及ばなかったようである。
上座部仏教も日本に来ていないので、なにより?である。

そんなことも頭の片隅で考えながら、会議に臨む。

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黒田清輝

2012-01-12

「私は当年とつて正に五十歳になるが芸術にかけては一個の学生に過ぎぬ。年の割には画がうまくない。勉強する時間もいろいろのものに裂かれて比較的少なかつた。これからまあ大に勉強する所存である。」と黒田の言葉。(「私は斯う思ふ」『みづゑ』141)

同年の第10回文展評。
「一体にもう少し、スケツチの域を脱して、画と云ふものになる様に進みたいと思ふ。まだ殆んどタブロウと云ふものを作る腕がない。」(「文展の感想-スケツチ以上に進みたい 」『美術』1-1)

絵画に裂くべき時間も少なく、またその対価としての洋画界での「構想画」への無理解。

わかるわかるその気持ち。黒田清輝をちょっと好きになった。

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板極道

2012-01-13

わだばゴッホに・・・ならずによかったと思う。

棟方志功は、「師匠についたら、師匠以上のものを作れぬ。ゴッホも我流だった。師匠には絶対つくわけにはいかない!」と上京後も落選続き。第9回帝展入選の『雑園』もお世辞にも上手いとは言えない。絵画仲間から「デッサンが出来ていない」と揶揄されるのも無理からぬこと。
しかし、板画(版画)では別人が制作したと思える程の躍動感あふれる作品。ねぶたや仏教や民藝など様々な刺激を受けて、板画は昇華していく。この差はなんだろうか。

(発表した)学生の手元を覗くと、中公文庫『板極道』。来年度は「川上澄生」を卒論に扱う者もおり、こちらもしばらくは「板極道」。

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足で稼ぐ

2012-01-14

ネパールの宗教儀礼に関する学術論文。
読んでいると内容がぼんやり。分かっているような分かっていないような・・・。
幾つかの英書も引用されているが、翻訳もいまひとつで、具体的事例を記してはいるものの、なにか虚空を見ているようにも。

好意的?に読解していた途中で、はたと気付く。
この人はネパールやカトマンドゥに一度も行ったことがないのだろう。

そう思うと、これまで好意的に読んで納得したことがらも急に疑わしく思え、徐々に「見てきたような嘘」を積み上げたようにも思え、論文途中で放棄。
ネットをはじめ様々な情報から判断されることもあるが、やはり「直接見ること」に勝るものはない。「空気を吸うだけでよいから現地を見ろ!」というのもまんざらではない。
どんな研究も“足で稼ぐ”しかないのだと思う。

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初詣

2012-01-15

急ぎ仕事に取り掛かっていると、初詣がまだ・・・という声あり。もう「とんど」も始まったのに。
思案の末、松尾大社へ。まだまだ参詣人多し。おみくじは「第一番大吉」なり。

その後、宝物館改め「神像館」へ。名称の如く件の三神像をはじめ21体の神像だけが安置。新聞報道では白木の宝殿に収まっており、あまり期待していなかったが、神像のみが展示。康治2年(1143)銘の女神像もあれば、笑みを浮かべた男神像も。三神像は独立ケースで四方から拝見でき、そのほかの神像もじっくりと。
「松尾大社絵図」(パネル)を見ると、松尾大社と月読社の間には神宮寺。堂舎は少ないが三重塔もある。

その後、清凉寺へ。狩野一信下絵、妙安(一信妻)彩色の五百羅漢図(10幅)を見ながら厨子をみると御開扉。周囲には誰もいないのに。「第一番大吉」?“三国伝来の釈迦像”に礼拝。

脇には狩野元信「清涼寺釈迦堂縁起」を元にした2幅の掛幅絵(江戸時代)や「五臓六腑」模型。掛幅絵の前で「にわか絵解き」をするものの、場面展開は一貫せず右往左往・・・。
仏後壁は同じく元信画から「造像場面」の拡大模写図。 筆者は明誉古澗(ヘンは石)とする。「これが正面の本尊です」という手書き解説も。

あぶり餅を食べて帰途。いわゆる「嵐山」はスルー。

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ソロバン勘定

2012-01-16

大阪市長が替って、なにかと話題の「大阪市立近代美術館」。

全面白紙から今度は大阪府庁舎を利用して・・・。もちろん南港のWTCビルへの庁舎移転が前提。
府庁舎から美術館への改修費を府・市予算を足して「200億円プラスアルファ」と府知事。
前市長の時は、建設費を280億円から122億円に削減(延床面積を2万4千平米→1万6千平米)としたのだが、今度は廃止から一転して移転・増額に。しかも建設費ではなくて改修費。
ソロバン勘定、合っていますか?

美術館・博物館には収蔵庫が必要ということも知らない人たちが、「美術」とか「文化」とか標榜すると、この有り様。
いつまでも醜態をさらすわけにもいかないなら、収蔵作品や職員ともども奈良県あたりに一括売却したらいかがか。トップは知識もノウハウもないんだから・・・。

大阪市立美術館も大阪市立東洋陶磁美術館も住友さんからの寄付。市民の寄付は大阪城天守閣と第4師団司令部庁舎。戦争が終わって、第4師団司令部庁舎は旧大阪市立博物館に。でも資料はゼロ。
文化果つる大阪らしい計算 思いつきである。

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南蛮ブーム

2012-01-17

大正から昭和にかけて「南蛮ブーム」。
1909年に北原白秋『邪宗門』が発表され、広辞苑で名高い新村出が『南蛮記』を著したのが1915年。1920年には茨木市下音羽の隠れキリシタンの民家屋根裏から「マリア十五玄義図」が発見。
こうした南蛮ブームは当時の画家たちも大きく影響されたはず。
いくつかの作品も思い浮かべるが、おそらく「南蛮」と「紅毛」の違いもあやふやだったのだろう。

学生の発表を聞きながら、長崎・福砂屋のカステラを思い浮かべる。
本社は長崎(オランダ)、商標は蝙蝠(中国)、カステラはボルトガル(南蛮)。
さすがに口頭でコメントするのは憚られたが。

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国際化

2012-01-18

東京大学が秋入学に移行へ。狙いは「国際化」。新聞によると旧帝大系も検討中とのこと。
間には「ギャップターム」も存在。なんやかんや云っても「東大」ですから・・・。
好きにすれば。

本気で「国際化」を考えるなら、それこそ幼稚園を筆頭に小学校・中学校、高校と教育機関すべてを秋学期開始にすればよいのに。そうすれば「受験競争の中で染みついた点数至上の意識・価値観をリセットする」ギャップタームなど設けなくてもよいのに。

社会全体ではなく、大学(一部)の小手先を変えて「国際化」を図るというあたりが何とも滑稽・・・。
なんか勝手に「わが社はサマータイム導入!」みたいな感じ。

所詮、「象牙の塔」内での夢物語。

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修復現場

2012-01-20

本日で秋学期、授業終了。
1・2時限は試験本部待機、その後会議があって授業、合間を縫ってコメントカードにコメントを付す。

先週の授業は「文化財を守る、伝える」。
生っぽい現場の写真を多く見せたからか、あるいは調子に乗って「日本全国に仏像がいったい、何体あるのか、誰もわかりません」と暴言を吐いたからか? 好評。
調査をして修理をして後の時代に残す。当初の造形を出来る限り尊重し、出来る限り付け加えない、削らない(もちろん)という原則と、信仰の対象であるので配慮することも多いなどなど。

「多くは皆さんの同じような年頃の人が携わっています」という発言にも驚いていたようで、「頑固者のおじいさんが“下町”の職人技で修理していると思っていました」とも 。
芸術系の大学で行われている修復(授業)を見学しようかとも。ショックを受けることだろう、きっと。

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バックアップ

2012-01-21

朝より小雨。
午前中、プレ・ステューデント・プログラム(併設校用)。午後から3・4限と試験本部待機。

・・・と記すと忙しそうにみえるがそれほどでもない。まとめ&「到達度の確認」テストの担当者ながら、急病になることもある。あるいは電車が遅延することもある。そうなっても「到達度の確認」テストは実施しないといけないのでバックアップ要員(のバックアップ)。開始前に本部で待機し、無事送り出した後、研究室に戻り、終了前に再び待機。

「むん? 授業(試験)が終わっても、先生(回答用紙)が戻ってこない」と思っても事務職員氏が様子を確認される。戻った回答用紙を事務職員氏が検算して終了。最後になって、遅いご帰還?の先生がおられたが、小脇には「授業評価アンケート」。なるほど・・・。

今日までは「到達度の確認」テスト。あさってからは「定期試験」開始。試験本部ももう1階上のフロアに移動の由。

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鶴亭・照山元瑶

2012-01-22

午後、大阪高島屋グランドホール「隠元禅師と黄檗文化の魅力」へ。ヨコでは「大東北展」。

韋駄天像もまじかに見たが、ひさびさに照山元瑶(林丘寺宮元瑶)の後水尾法皇像や自画像も。
照山元瑶は後水尾院の第8皇女で養母は東福門院。師は卓峰道秀。こういう卓越した画家でも、「仏画」ゆえにあまり注目されない。
鶴亭「隠元八十歳自祝偈」の表装(群鶴図)はもとより《白梅鶯図》など逸品が展示。蘭渓若芝(河村若芝)《石灯籠図》も巧い。

チラシでは伊藤若冲を強調するが、こうした隠れた優品を目にできるのも百貨店ならでは。東京からの巡回展だが、最後の「謝辞」を見ると意外にも関西からの出品が圧倒的であることに気づく。

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生々しい現実

2012-01-23

朝から会議。その後、担当科目の定期試験。

どこかで「不正行為」があったらしく、各学部長名で警告文が掲示。
「不正行為をした者には即時試験の中止を命じ、当該試験期においては既に受験した科目についてはこれを無効とし、残りの科目については受験を許可しない。」という措置が講じられる。普通に計算して発覚時点で留年決定。割に合わない不正行為。

夜、恒例の卒論コピー。担当分25本。「神仏習合」とか「現代僧侶」などは主査・副査のローテションの関係から副査から外れる・・・。
「今の状況では想像でけへんけど、ここでは神前読経が」とか「そうは書いているけど、現場はそう、うまいこといかへんねん。」などと生々しい指摘を浴びるより、学生も安堵することだろう。

担当のコピーを取りつつ、一瞥すると、「現実はちゃうねん!」とすでに愚痴。

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地元びいき

2012-01-24

朝、博論の公聴会。

堺市金岡町に「金岡神社」がある。ここの祭神は巨勢金岡。平安時代前期の画家ながら確実な作品は残っておらず、伝説の域を脱していない。
しかしながら地元には、巨勢金岡の肖像画が残るほか、巨勢金岡32 代を名乗る巨勢隆栄が描いた仏涅槃図も残る(共に江戸時代)。加えて《役行者13歳像》を《行基菩薩像》とした絵画も。

近世までは、作品にはふさわしい絵師や作家を当てはめるのが通例(「弘法大師、一刀一彫の不動明王像」など。もとより学術的根拠は皆無。)だが、そこには「地元びいき」のバイアスも大きい・・・。

内容についてはなかなか興味深い指摘がいくつも散見。

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数字

2012-01-25

終日、会議。

この時期になると、気になるのが入試の「志願者数」。すでに入試試験会場の案内板も学内にたつ。
大学総体としては前年度比86.6パーセントながら、文学部は97.7パーセント(いずれも今日付け)。文学部は最優秀。(喜んでいる場合ではないのだが)
92や96が並ぶなか、前年度比65とか68といったパーセントも。
なんとなく各学部に課せられたノルマのような感じのようにもみえる。企業なら「廃止」とか「解雇」とか文字が浮かびそう・・・。リストラというのはこういう数字がまず出てくるんだろうなと想像。

大学はそう簡単には潰れない。「や~めた」と廃止“宣言”しても在学生がいる限り、存続の方向。現に廃校に傾いたものの、思いのほか出費がかさみ、衣替えをしてそのまま存続している大学もある。
うちだって2003年に2部(夜間部)、2006年には文学部もフレックス制を廃止したが、まだ在学生がいる模様。

とはいえ、私立大学は数字が“命”。
万が一、文学部で65とか68などの数字が出た日には“非常事態宣言” “臨時緊急会議”である。
個人的には、それだけはなんとしても避けたい。
(追記)
1月26日では、文学部は102.8パーセント。それでも他ではまだ68なんかの数字もあり。

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答えられません。

2012-01-26

毎度おなじみの全学共通科目(筆記試験)。
200枚ほどのレジュメを刷って、いつも4~50枚は余る授業だが、試験教室は2か所に分散。300名ほどが受験。2つの教室を行ったり来たり。もちろん教員・職員氏も参戦応援。

「参照条件:一切許可」ながら、問題に対する疑義からも質問した学生は出席していないことがばればれ。

「東大寺南大門金剛力士像は、かつて作風や史料等から阿形像は( 1 )、吽形像は( 2 )の作とされたが、解体修理の結果、吽形像の体内納入品から湛慶と( 3 )の名前が確認された。」
対する学生からの疑義。「『( 1 )』は一人ですか、二人ですか?」
そこに2人の名前を記すと、残りが答えられないんだけれど・・・。

出席を取らないのでレジュメを揃えただけでは解けない問題も多い。とはいえ真面目に出席すれば全てが解ける問題にしてある。
いつも最前列に座っていた韓国からの留学生が、先週(最終講義)はものすごく不安がって「漢字が難しいし、作品もあまり(実際に)見ていません。どんな問題がでるのでしょうか?」と訴え、「大丈夫、大丈夫!あなたなら大丈夫!」と無視して不安を煽ったが、答案回収時にふと目があってにっこり。
ほら、嘘じゃなかったでしょ。

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帰参改派

2012-01-27

「日頃の行いよねぇ。」と見送りを受けて富山某所へ。

相談を受け、いつものように「あ、(現地へ)行きます。」と対応。その時は、よもや寒波が来るとは・・・。
車道を一歩外れると、もうどこまで田んぼで道なのか分からない状態(特に側溝が危ない)。

富山は真宗王国。
真宗十派を代表するのはお東さんとお西さん。東や他派から西に移るのを「帰参」とよび、西や他派から東へ移るのを「改派」と呼ぶ。末寺は上寺に対して様々な義務・負担を負う。あまり厳しいと末寺の帰参改派につながり、上寺も慰留につとめる一方で、本山からも教線拡大から帰参改派の寺院に対して義務・負担の減免など優遇措置が講じられる。

そうした動向を静かに語るのが宮殿内の阿弥陀如来像。背面の銘文が付加されたり「康雲拝見」の墨書等。
分らなかったことも多いが、説明をしてともかく大筋は納得していただいた。“その筋の人”ですから・・・。

足にはミニカイロ+靴下2枚履き。それでも寒い。時折、陽も差すがすぐまた吹雪く。この分だと明日もかなり積もるらしい。冬の調査はたいへん。

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富山・前田家

2012-01-28

教研集会(日教組)が開かれているらしく、各所で物々しい警備(警察)と街宣車。朝から降りしきる雪のなかどちらもたいへんである。

富山市郷土博物館へ。企画展「前田利長」(後期)展。
前田利長像(魚津市教委)は山口・赤間神宮「平資盛」像と酷似との由。
木村立嶽《高徳公(前田利家)御影図》(画稿)も款記によれば、七尾・長齢寺の神像を移したものとされるが、氷見・光禅寺《前田利家像》と同じ。なんとなく箱書や伝聞に基づいた気もしなくもないが・・・。

富山城主初代前田利次の菩提寺は曹洞宗(光厳寺)。ところが、2代正甫は日蓮宗に帰依したために大法寺(日蓮宗)が菩提寺。以後5代目まで日蓮宗が続き、その後は曹洞宗と日蓮宗が交互に。徳川将軍家と一緒。
6代利與の葬儀(曹洞宗)ではマニュアルもなく、きっと右往左往したことだろう。

その後、佐藤記念美術館「海をわたったやきもの-青磁と白磁を中心に-」。青磁・白磁のほか染付や東南アジアの陶磁器も。“かせた”資料が多かったが、「海揚がり」なのだろう。黒褐釉盤口瓶(タイ・11~13世紀)が秀逸。書院・柳汀庵では、松永耳庵が佐藤助庵に贈った「和敬清寂」の軸物も。なるほど・・・。
和 過ぎれば押さえと為り
敬 過ぎれば諂い(へつらい)と為り
清 過ぎれば頑と為る
寂 只是耳(ただこれのみ)

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汗牛充棟

2012-01-30

大学図書館に行って論文コピーを受領、その後書庫へ。
まだ試験期間中であり学生もかなりいる。図書館も大改造を受けて、これまで事務室やレファレンスカウンターであったところが閲覧席に。

一見無駄のようにも思えるが、大学図書館はある種のステータス。暖かい休憩場所と思っている学生と勉強したい学生が同様に利用できる環境を整備することが大学の役割でもあり、評価の基準であると思う。
大学によっては、はぁ?図書室?と思うような貧素な大学図書館(えっ!と思う書籍もあるが、残念なことにその重要性に気づいていない)もある。そうした施設面はあまり指摘しないが、大学生活を送るにあたって非常に重要。学術論文を読みたいと思っても毎回、送料とコピー代が請求されるということにも。

とはいえ蔵書や寄贈図書も得手不得手があり、うちでは宗教美術や宗教関係の一部はあまり揃っていない。揃えさせるというのも教員の役割。

2月からは工事のため暖房も止まるが、汗牛充棟のなか、あれこれと調べ物。

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整理整頓

2012-01-31

年末には掃除もせず、年が明けて早々に授業や補講、試験があって研究室内散乱の態。
呼び出しがあって「(個人研究室へ)おうかがいします」と言うと、固辞される先生もおられるが、その気持ちは分からなくもない。でも今こちらに来られても・・・。

左の写真は、アインシュタインの机。アインシュタインが亡くなった日に撮影されたもの。
(出典: Crack Two〈英文〉

いくら黒板に難しそうなことが書いてあってもこんな写真はイヤだ。学生の学籍番号や氏名が書いてあったりすると、違うところ(警察)からお呼び出しが来るかもしれない。

でも、似たようなデスクを見つけ、なぜかほっとする。しばらくこのままにしておくかとも。

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