日々雑記


メモ

2012-4-1

午後から入学式。
文学部800名弱。学部案内(ガイダンス)は千里ホールA・Bぶち抜きの会場。
役員紹介のあと、保護者控室(別室)にて対応。日曜日ゆえ保護者や家族の参加も多し。4教室(大)はほぼ満員の態。昨年は400名なり。

スクリーンに映し出された千里ホールの状況を見ながら、ちょっと苦笑。
スクリーンでは「いいですか、ここは大事ですから・・・」と副学部長がパワーポイントを使って説明。おおかた、会場ではメモを取っている新入生などいないだろう・・・と思っていると、保護者の方が、すかさずメモ。「明日は『B201』『B202』に集合して下さい。」と画面。保護者席はやや戸惑い気味。「『B201』ってどこなの?」と質問を受ける羽目に。

そうした“温度差”は、会場からはわからないはずだが、最後に事務職員氏が「明日は学生さんだけお越しください」とも。

明日は迷子続出の予想。あっ、だから明日は開始10:30のところ、10:00までに大学に来るように言っていたのか。新入生は保護者のメモが頼り・・・。

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菊慈童

2012-4-2

午前中、大学院入学式・ガイダンス。夕刻、文学部主催新入生歓迎特別講演会。

合間を縫って博物館企画展「東洋のやきもの-日本・朝鮮・中国-」「南部靖之氏寄贈古硯と古墨」を見学。
後者は京都の某塔頭から南部氏、関大へと渡る。硯は端渓、墨は中国墨や古梅園など。筆洗や筆筒、墨床も。

前者は漢代の博山酒尊から餅花手の瑠璃大皿、赤絵「魁」鉢、宋の掻き落とし陶枕などなど。日本産では初期伊万里の鹿文皿や柿右衛門の水注などは逸品。地方窯も川名山焼、南紀男山焼、瑞芝焼、赤膚焼、鹿背山焼、赤膚焼、桜井里焼、古曾部焼などバラエティに富む。
写真は古清水《菊慈童香炉》。傍らの酒壺が香炉。

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暴風雨

2012-4-3

午前中、新入生履修ガイダンス。昼には、文学部の新任教員ガイダンス。

午後、合同研究室にもどると、台風並みの大荒れ。雨風猛烈。
「大阪モノレールは停まっているだろう」と某先生。交通情報を見るまでもなく、JR阪和線は全線「運転見合わせ」。並行して走る南海電車に「振替輸送」。相変わらずの「根性無し」。(結局、南海は空港線以外停まらず)
研究室に戻っても風雨は強くなるばかり。ガラスが割れる音も聞こえる。
夜半になってようやく雨風も止む。いつもなら満開の法文坂の桜も今年はつぼみのままで幸い・・・。

夜に外に出ると、1号館のガラス扉の1枚にべニア板が貼られている。午後のガラスが割れる音は、そばの1号館だったのか。4枚扉のうち1枚だけが割れているのもちょっと不思議。
何かぶつかったのだろうか。

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千里山で90年

2012-4-4

年史資料展示室「燦たる理想をめざして-大学昇格90周年記念展-」を見学。

大正9(1920)年4月に大阪府三島郡千里村にある1万5000坪の土地を購入。大正11(1922)年4月に千里山学舎が竣工、大学部、大学予科が移転。
6月には悲願であった大学昇格を果たす。6月5日は大学昇格記念日で旗日。
展示を見ながら30年前まで残っていた風景(保健管理センター〔元クラブハウス〕や第1グラウンド・正門)などがよみがえる。今となっては伝説となった「西村食堂」も見た、喰った経験あり。見ているものと脳裏に浮かぶ情景が徐々に離れつつ・・・。

1924(大正13)年には「専門部文学科」が開設、翌年には法学部を法文学部と改称され、文学科(英文学・哲学)の新設が決定、専門部文学科は国漢文専攻科と英文専攻科とに分離。
特別な意味もないが、実は文学部各専修の順番(英米文学、英米文化、国文、哲学・比宗・芸美…)はこの時以来の設置順に並んでいる。

写真は大正12(1923)年頃の「関大前(大学前)駅」。今日から授業開始。

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ほとけのハセ

2012-4-5

昨秋、まだ 修羅場 のなごりが残る頃に今年度のシラバス作成依頼。
備考欄に「講義中の私語や携帯電話の操作など他の受講生に迷惑となる行為には教室からの退出や成績評価からの除外を含めて厳正に対処します。禁止事項を守れない学生は受講しないこと。」と書いた。
効果てきめん。前年比7割減の80数名。静かな授業でなにより親切丁寧。

その後に演習。初回はガイダンスであれこれ。
「“ほとけのハセ”って言ってますよ。」と学生。
「そうそう、わたしの専門は仏像で・・・。」
「いやいや、そうじゃなくて・・。」

和やかで身のある授業が進行。すっかり好々爺。

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(続)メモ

2012-4-6

1年生の初授業。朝、「まだまだ“高校生”なんだから、初回からガツンとしちゃダメ!ダメ!」と母子からきつく仰せつかったので、ひきつり笑顔を見せながらの講義。

基本的に黒板を「落書きボード」だと思っているので、高校の授業と同じく「黒板を写す」行為は通用しない。だから話しているこちらを見ているだけでは、理解はすぐさま雲消霧散。

授業評価アンケートでも「板書してください」と書く学生もいるが、社会で常に黒板(ホワイトボード)があって大事なことを丁寧に板書するところなどないやろと。こちらの会議も資料が配られ、それぞれがメモ。そういうのが社会なのだが、まだまだ高校生。

「人の話を聞く時には必ずメモする」というのが、第一歩。
なんで社会人は手のひらにメモを取っているのか理解できるかと思いつつ、眼前の学生はこちらをぢっと見るばかり・・・。顔には何も書いてへんて。

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スライドリスト

2012-4-8

ようやく桜も見ごろながら、昨日、今日と大学で書類など。

合間に過日、受講生から要請を受けたスライドリストを作成。
図版(スライド)をパワーポイントの印刷に回せばよいのだが、1回の講義で50~60枚を投影するので、すべてを印刷(学生分)するわけにはいかない。しかし、間引いただけでは理解度も低くなること必至。
そこで投影枚数を厳選し再編集。作業は夜まで及ぶ。

毎年のことながら、去年の分をそのまま転用とはいかない。かくして深夜に帰宅。

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弘法と筆

2012-4-9

新年度第1回目の定例会議。

俗に「弘法は筆を選ばず」というが、空海『性霊集』巻4には「良工先利其刀、能書必用好筆。刻鏤随用改刀、臨池逐字変筆。(良工、先ず其の刀を利くす。能書は必ず好筆を用いる。刻鏤、用に随って刀を改め、臨池、字に遂って筆を易う)」とあり、能書は必ず好筆を用いるとある。また同「奉献筆表一首」には、「狸筆四管」とあって、真書(楷書)、行書、草書、写書(写経)の各一管。また山窟で好筆を求めたが、見つからず「弱翰」で書いたが、文字が巧くなかったとも。

ちなみに筆を選ばなかったのは初唐の三大書家 欧陽詢。「詢は紙筆を択ばずして、皆得ること志の如しと。」

どこかに必ず誤解があると納得。でもだめだよな・・・と思ったり。

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無題

2012-4-11

会議。
皆お疲れの様子ありあり。卒業式や入学式、ガイダンス、授業突入でほぼ3月下旬から不眠不休?の労働。
「いいですねっ、趣味が仕事になって・・・。」とのたまう世間様が時折いるが、どれほど残業になっても残業手当はゼロですが・・・。
心身ともに疲れ気味のなか、定時で帰ることができた時代がなつかしく思ったり。

会議の後は、リレー講義(大学院)に出講。

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奇問

2012-4-12

講義のさなかに突如「奇問」を思いつく。

「釈迦(ゴータマ・シッダッタ)の宗教は何だったでしょうか?」
「日本美術史はいつから始まるでしょうか?」(正解は明治時代。「美術」という用語は明治から)以来の奇問(と勝手に思っている)。

ゴータマ・シッダッタの生涯はおおむねバラモン教(のちのヒンドゥー教)の「四住期」(学生期・家住期・林棲期・遊行期)に相当。
「出ないと、なかなかバラモン教世界のなかで布教していけまへんわ」と無駄口をたたきつつ、頭の中では既に釈迦在世の頃から「庇を貸して母屋取られる」在地宗教との融合(習合)があったのかと思ったり。

さっそく、ティラウラコット (ネパールのカピラ城)東門の写真を見せながら「向こうのフェンスあたりに老人がいたんです」と見てきたような?嘘をいう。

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布施

2012-4-13

講義はこのところ、ブッダや仏教東漸。

授業開始前、前に座っていた学生が「アメリカのディズニーランドに行ってきました。お土産です」とくれる。
ありがたく頂戴して講義を始めながら4月に入ってまだ休みがなく、疲れもピークで表情に表れているのかもと。

「釈迦は体を痛めつけたり断食などの苦行を行っても悟りに至ることははなく、“何事も極端に走るのではなく中道が肝心である”」と断念し、山を降ります。そこで牛飼いの娘スジャータが釈迦にミルク粥を与え、釈迦は再び悟りへの道に再チャレンジします・・・。」

疲労がピークになった頃、ひとりの娘がミルクチョコレートを与えてくれます。そこで元気を取り戻して、授業に励みました・・・・。
お名前も存じませんし、牛飼いの娘ではないとは思いますが、どうもありがとう。

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米子

2012-4-14

早朝に自宅を立ち、米子へ。
プレス・リリース。
既に大学へも数社から問い合わせがあった。大学広報課のNさんも「いったい、なにごと?」。
こういったことに相成なった次第で。

席上で宮司が発見秘話。本殿奥でネズミが騒ぐので入ったところ、何かにつまづいた。よく見れば「木箱」が数箱。そこで蓋を開けてみると、あらあら・・・ということで、知人を介してこちらに相談があった由。
席上で、元博物館のKさんにお会いでき、望外の幸せ。
記者氏に配布資料も渡して説明するも、決して難しい話をしているわけではないのに、いつもの如くこれがなかなか通じない。「12世紀というと鎌倉時代も入りますねぇ・・・。」(質疑応答を)やめて大阪へ帰るぞ!

午後から埋蔵文化財センターの方や関係者と、関係しそうな遺跡や上淀廃寺などを案内してもらう。上淀白鳳の丘展示館(旧淀江歴史民俗資料館)内には復元三尊仏像(8世紀中頃の改修時)。精巧にできているので、復元金堂(これも実寸)内がかなり狭い。窮屈なほどの迫力こそがひとつの魅力だったと。以前、見た国分寺の仏頭を思い出す。上淀廃寺での確実な塔は2基だが(もうひとつ心礎もある)、軒が接するような配置。これもどこかで見たが思い出せない。

ホテルでみたネットニュースでは記事がさっそく流れる。情報化社会もある意味、善し悪しである。

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表裏一体

2012-4-15

朝から神事が行われ、その後氏子への公開、引き続き一般公開。本格的な神事は初めてで、興味津々。
「巫女萌え」。(バカな大学教員です)

新聞をみて遠方からお越しになった方もおられ列品解説を務める。途中、国会議員も来たが好きな人種ではないのでスルーして、横におられた地元のお婆さんとしばし「神社談義」。多くの方が見学 参拝に来られた。

夕刻、無事に終了し(巫女さん曰く、「ご苦労様でした。11回(の解説)でした。」)、持ってきた綿枕、薄葉紙、晒などを本殿へ運び込み、梱包。預り状を宮司に渡して、神社にある神像・仏像いっさいを某研究機関へ運び込む。公開以前に既に「御霊」は他のヒモロギに移してある。
なにより「盗難」が心配。一般公開と盗難は表裏一体である。ネットで情報が流れる世の中、どこから悪意を持った人が現れても不思議ではない。

すべてが終わってホテルに着くと、さすがにぐったり。

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退廃的

2012-4-17

ゼミ生(女子)、オフィスアワーに来室。
椅子に座るなり、ぐすっ・・・。
「話は聞く(相談には乗る)。が、とりあえず、ここ(研究室)では泣くな~!」。
落ち着いた頃に「相談」。聞けば、就活でちょっとアンニュイ。
小一時間ほどあれこれ、聞きつつ励ましながら、「すっきりしました。」と退室。ふぅ~。

私がいうのも憚れるが、大学で学んだ専門的知識がそのまま実社会に役立つとはあまり思えない。たとえ、生かした職に就いても「問題」「悩み」は自ずと沸いてくるようである。

それは海外の学生でも同じこと。掲示板(How many of you went to college, got your degree, and ended up doing something totally unrelated to your major?(英語):どれだけの人間が大学まで行って学位をとり、そして結局、専攻とまったく関係ないことをしているのだろうか(仕事に就いているのだろうか?)) ではこんな会話がある。

化学→アラビア語の翻訳者(Chemistry degree. Arabic translator)

ジャーナリズム+副専攻(フランス語・ドイツ語) → 幼稚園の先生。
(Journalism degree. Minored in French and German. Now I teach preschool)

物理と天文学の学位→農家。
(I have a degree in physics & astronomy. I am a farmer. )

2010年5月に英文学の学位→ホステス(選択の結果ではなく、市場原理から)
(I got an English degree in May '10 and I just got a job as a hostess... But that's not by choice. Woo job market!)

神学(修士号)→同性愛ポルノの仕事
(Masters in Theology. Now doing gay porn.)

いずこも若者の悩みは同じようである・・・。

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嫁ぎ先

2012-4-18

夕刻、EU‐日本学リレー講義。シャーマン・リー( Sherman Lee(英文))やハリー・パッカードの話題に続いて、つい無駄口。
「モノ(作品・資料)は、人と同じで、評価してくれる所に嫁ぎます」と。
脳裏には、柏原市立歴史資料館で開催中(~6/24)の「中家文書から見た 中甚兵衛の生涯」展。

大阪では有名な大和川付け替えに尽力した中甚兵衛。
「中家文書」は付け替え反対派や幕府との交渉、掘削や新しい河床となる土地の移転保障などからなる膨大な文書群で、近世の土地改良にかかる重要な史料群である。
中甚兵衛の末裔は柏原市外に居住。ところが、文書(中家文書)を一括して柏原市立歴史資料館に寄託。では、なぜ市外の資料館に寄託されたのか。

学芸員氏(専門は考古学だが)が、毎年必ず1回は中家文書や大和川付替えに関する企画展を開催・継続しながら所蔵者の信頼を得たからである。寄託に際しても「住いのある地元はもちろん、様々な自治体から“預からせてほしい”と言ってきましたが、柏原市さん以外に考えられなかった」とは所蔵者の弁。

凡庸な人には理解しがたいことかもしれないが、所蔵者(市外)のご意向に些かでもこたえる形で、中家文書は今年「柏原市指定文化財」に。
何事も信頼関係からなる。

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グラデーション

2012-4-19

今年は横着をして、TAを通じて各教室にパソコンとプロジェクターを配置してもらう。授業が終わってすぐに離れた別室で会議ということもあるのでパソコンを持ち歩くには何かと重い・・・。
ところが初回から映し出された画像は全面ピンク色のグラデーション。えっ~!
どうもパソコンとプロジェクターを繋ぐRGBコードに問題(不良)。すぐさま取り換え。

ところがである。ほぼ毎回すべての授業でパープルのグラデーションや青のグラデーション。
今日はさすがにブチ切れて、責任者を呼びつけ今後「設置後の確認」までを求める。

文字だけを映し出すならモノクロでもパープルでもいいが、「この仏像は・・・」って説明しながら、提示した仏像はすべて赤外線で撮ったようなグリーンと黒からなるグラデーション。

美術史の授業で、映し出した作品が単色系グラデーションではどうにも具合が悪い・・・。

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駆け出しの頃

2012-4-20

学芸員になりたての頃、先輩学芸員とともに懇意にしている作品所蔵者宅へ出品交渉。
挨拶も済み、交渉もうまくいった頃に「君は何を専門にしているのか?」と質問。「はい、工芸です。」
(この頃は仏教美術、絵画の担当者が既にいたので、専門分野は「工芸」である)

「そうか・・・」と所蔵者は奥に引き込み、染付の大皿を持ってきて前に置き、「本邦初公開や。これはいつ頃のものかわからへんやろか(わかりますか)?」と質問。
見れば呉須が泡を吹き、高台は砂目。16世紀末から17世紀初頭の中国製青花大皿。
「16世紀末から17世紀初頭の中国製と思います。」と返答。
「やっぱり、そうか。○○さん(他の美術館の学芸員)も同じこと、言うとったわ。」「はぁ・・・。」

仕事が終り、夕刻、駅前の立ち飲み屋で先輩と一献。
大皿の一件が腑に落ちず、何だかタヌキ(親爺)に化かされた感じで、「なんなんですか、あの人は。先に○○さんが(作品を)見てるじゃないですか。どこが『本邦初公開』なんですか。」と不平タラタラ。
「そう、かっか するな。」と前置きして先輩曰く
「あれは君が試されているんやて。いくら博物館の学芸員で専門は工芸ですというても、彼(所蔵者)にとってはどこの馬の骨かもわからん。せやから、君の“実力”をちょっと試さはったまでや。
こっちはそばにおって君が『上等な皿ですね』『古いと思います』とか当たり障りのないこと、言うたらどうしょうかと、ドキドキモンやったわ。「君んとこはあんなド素人が学芸員か。あの話(出品交渉)はなかったことにしてくれ」って言われたら、それこそジ・エンドや。とりあえず、“合格”みたいやったな。まぁ、飲め。」

社会に出ても、どこで「実力試験」が待ち受けているかわからない。
その時は、よもや後年、彫刻、絵画、工芸など美術全般を担当するとは想像だにしなかった・・・。

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スカウトマン

2012-4-21


夕刻より大荒れとの予想に反して日中は穏やかな天候。大学で諸々。

新学期になり、昼休みの放送(放送部)に聞きなれぬ曲が流れる。「かんさいだいがく」って連呼しているが、学歌のようでもなく、はて?
今日、とある人に聞くと「関大のマーチ」だとの由。新学期から大学もPR活動である。

過日も大学広報誌の撮影があったのだが、各学生モデルは先生がたからの推薦。こちらも授業開始前に、「(大学広報の)モデルをお願い出来ないでしょうか。」と学生をくどきながら?スカウト。
いまどきの大学教員、色んなことをしないとイケナイ。

撮影終了後、とある先生と雑談。
「いっそ、学内にモデル事務所を作りましょうよ。大学広報のモデルになりたい学生を事前登録して、撮影の時に授業のない学生に出てもらうようにすれば、学生(の授業の合間)の調整もいらないですし、教員がいちいち学生集めをしなくても・・・」。
笑っておられたが、そうでもしないと大学教員も街頭に立つスカウトマンの区別もつかない有様。

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神像 余波

2012-4-23

終日好天にて会議。
夕刻、研究室に戻りメールを開けると、一覧トップに匿名氏からのメール。「黙っていて、専門家として恥ずかしくないのか!」。
はぁ~!?
見ると、匿名氏のメールが朝から何通も届いている。こちらは朝10時から会議に入り終了は夕刻5時過ぎ。今しがた今日初めてメールを開けたところ。

メールを次々に開いていくと、新聞にあった「山陰最古級」の神像は11世紀であるのに対して、島根・青木遺跡出土の神像は8世紀なので、件の神像が「山陰最古級」であるのは間違いだ!訂正しろ!との内容。ご丁寧にも島根県埋蔵文化財センター のリンクも貼られている。
午後からのメールでは塩津港遺跡の記事リンクなどが貼られ、返事の来ないことにも苛立ち気味。そして3時過ぎに上記のメール。

はっきり言っておくが、青木遺跡の神像は平安時代後期です・・・。
それを意識してプレスリリースしたのだが、考古学マニアのジジイ(と思われる)からの思わぬ抗議。

青木遺跡の神像は池か沼状のところから出土。発掘調査ミスとまでは言わないが、遺物を層位順に取り上げたが、それらを「(同時代の)一括遺物」とみなした点、また神像を専門家に見せなかったのが致命的なミス。うちらの業界では、「国内最古級」については黙殺(瞬殺)ですが・・・。
京都府八幡市・上奈良遺跡の井戸(室町時代)からは仏像の坐像の膝前部(平安時代後期)も出土している。池や沼遺構での発掘層位と出土遺物の関係はことのほか難しい・・・、と業界裏話をしても「現説おじさん」には分かるまい。

さすがに「逝ってよし」(←古っ)とは書けないので、「あれ(過日の報道発表)以降、島根県埋蔵文化財センターからは何のクレームや抗議も来ていませんので、こちらが正しいのでしょう。島根埋文へ問合せたらいかがですか」と。

日頃、良好な関係の島根県ながら、花火を上げるのはいいが、ちゃんと後始末(訂正)ぐらいしろよ。
まったく。

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小互の目乱れ

2012-4-23

お昼に大学博物館運営委員会。
寄贈を受けた刀剣や刀剣製作過程見本を見る。鋼を芯に三方に鉄板。これを打ち伸ばして刀剣が出来上がる。もちろん“トンカチ”している間に、鉄の元素が同じ方向を向いて強度が増し、不純物も除外され、鋼と鉄の境目が「刃文」となる。
日本彫刻史を専門にしながら、「赤羽刀」活用のための文化庁主催「第1回 美術刀剣取扱講習会」の研修修了者でもある。でもさすがに「真剣」なので、現場で取り扱ったことは2、3度ばかり。

日本刀の解説は、「肉髻珠」「耳朶」など専門用語が羅列する彫刻解説も青くなるほどのマニアック。
例えば、「鎬造り、庵棟、表に腰樋掻き流し、裏に護摩箸掻き流す。鍛え、杢目混じりの板目肌流れて詰み、地沸え付き地鉄良好。刃文、直刃調小互の目乱れ、刃縁小沸え付き、柔らかな匂いに覆われて、砂流しかかり、金筋入り、匂い足入る。帽子、掃きかけて僅かに返る。茎生大摺り上げ、先栗尻、鑢浅い勝手下り。」となる。
専門解説が理解できな~い、展示しても解説書けな~い。

寄贈・購入資料のいくつかは既に展示場に展示中。「ちょっと、授業で(博物館へ)来ました~。」などと脳天気なことを言わずに、事前に見学申請をして「博物館」の実績をつくらねば・・・と反省しつつ、授業へ。
さすがに博物館へは行けずに座学のみ。

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ペンローズの三角形

2012-4-25

昼より会議。夕刻より人事に伴うプレゼンテーション。

なにごとにも「戦略」(赤)「作戦」(青)「戦術」(黄)がある。上位にいくほど視点が大きくなる。
例えば(ホンマに譬えです)、「関大文学部の受験生をひとりでも多く増やす」というのは「戦略」。それを受けて、「作戦」(青)が練られる。例えば、とある地方では私立大学の数が少なく、親元を離れる学生が多く、とはいえ、東京へ出る学生が多いので親御さんも心配・・・という「現状分析」が行われ、それに対応する形で「作戦」が練られる。
この時、とある地方は人口が少ないし、東京まで飛行機が飛んでいるので仕方ない、という考えは現状分析を無視して逆効果。「敵を知り己を知って百戦危うからず」である。「戦略」の成功は正確な現状分析を踏まえた「作戦」のみ成立。

かくして「戦術」では、その地方出身の教員(「故郷を錦で飾る」というべきか)やご当地にゆかりのある教員を送り込んで、あわよくば・・・。

プレゼンではそうした「戦略」「戦術」「作戦」が問われるのだが、質疑応答を経るうちに「ペンローズの三角形」であることもしばしば。
ましてや某芥川賞作家のように「もらって当然」などの発想はそうした階層をも無視する暴挙(「徒手空拳」というべきか)。いくら「たいへん」と言われてもねぇ。

このあたりの皮膚感覚は社会では当然のことながら、大学(教員)ではかなり希薄な人もいる。確かに正論ではあるが、そこはちょっと口を濁さんと・・・というのはよくある話。

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ミッフィーちゃん

2012-4-26

「演習発表」後の会話。次々回に発表予定の学生と。

「『ナントカカントカ』という絵本作家について発表したいのですが、参考文献がありません。」
「(その作家は)死んでいるのか、生きているのか? どこの (国の)人や?」
「生きています。ドイツです。でも日本語の文献がないんです!」
「じゃ、頑張って“やれば”。ドイツ語の文献ならたくさんあるんじゃないの?」
「ハイ。ドイツ語なら少しありますが、(私の)第2外国語は『中国語』で・・・。」
「むん・・・。とりあえず発表出来る人(日本語の参考文献がある作家)を選んだら。例えば、ミッフィーちゃん(ディック・ブルーナ)とか。ま、その『ナントカカントカ』はライフ・ワークやな。」
「はい・・・・。」

ドイツ語を初歩から習得して、ドイツから雑誌などを取り寄せて、考察して発表できるようになるまで2、3週間の期限しかないというのは、いくら優秀であってもムリ。

読者諸賢ご高察のとおり、こんなん、日常茶飯事。
(決して「今まで何しとったんじゃ!」と怒ってはお呼出しを食らう・・・。)

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マルチ商法

2012-4-27

大学(学生センター)から急告。
府下で、就活中の学生をターゲットに「大きなビジネスをしないか」「すごい人脈を持つことができる」等のメッセージを切り口に、投資ソフトの購入・競馬ソフトの購入・占いセミナーの参加を50~100万円程度で購入させる悪質なマルチ商法が頻発しているとの由。
「んなもの、現実なら、他人に絶対紹介せんわな。」と思うが、“洗脳”という言葉も浮かぶ。
ちなみに通販大手A社で「絶対 儲かる」で検索をかけると、新旧合わせて53冊もヒット。古書が含まれているので「儲からなかった」のだろう。(当たり前!)

1年生授業冒頭の「枕」でこの話題を持ち出したが、「ようわからん」の表情がちらほら。こちらの顔も険しくなり、「正直に手をあげてください。『マルチ商法』『ねずみ講』を知らない人?」。
若干名だがいる。

黒板を使ってその危険性を訴えたが、知らない人がみれば「その手のセミナー」に見えなくもない。「ようわからん」の表情が曇ったころに、さっと黒板を消して、本題へ。
「今日、ハセセンセは授業でマルチ商法の説明をされました」では、ただ事では済まない・・・。

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神像 余波(その2)

2012-4-28

大学。昼より3専修合同の2回生歓迎会が開催。
部屋に戻ると、メールで「Inquiry」(問い合わせ)。んっ?
何だか月曜日の再来のような・・・。

恐る恐るメールを開くと、アメリカ東海岸に住まう日系の方より神像の問い合わせ。当たり前だが、新聞(Web版)に掲載なら、世界中に「拡散」する。
さすがに「あ、(現地へ)行きます」とも言えず、写真を送ってもらう。

このところ、授業で「これはボストン(美術館)に」「今、ヴィクトリア・アンド・アルバート ミュージアムに所蔵されています」とかの話題が多く、辟易しているところに問い合わせ。どうも京都の古道具店で「二束三文」で売られていたらしい。
朽ちているとはいえ、立派な男神像。

説明の後、「どうぞ大切にしてください」と。
「(吉備大臣入唐絵巻を)日本では誰も買わない。早く安住の地を見つけてやらなければ、あれだけの名品に気の毒だ。そう思って引き取った途端にけしからんと国賊呼ばわりされた」との富田幸次郎のぼやきもむべなるかな。

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白ちゃん黒ちゃん

2012-4-29

朝より近所の産直店。もちろん例の御仁も。

好天。帰途「どっか連れて行け!」「人が少ない“パワー・スポット”やな」と連休初日からの難題。んなもん、知っているわけないやんか。
結局、山をひとつほど越えて和歌山・かつらぎ町にある丹生都比売神社(世界遺産)へ。

山間の集落にある神社。反り橋を渡ると本殿。
「なんか、“別格”。でも、なんでパワー・スポットなん?」。知らんというておろうが・・・。

弘法大師が唐に留学し、帰国してから修行にふさわしい場所をと、中国から「三鈷杵」を投げた。日本に帰って修行を続けながら「三鈷杵」の行方が気になり、ここに来た時に老いた狩人に出会った。行方を尋ねると狩人は「知っている」と答え、連れていた犬の四郎と九郎を道案内に、大師を高野山へ連れていくと「松」に「三鈷杵」が引っかかっていた。実は狩人は狩場明神(高野明神)やったというわけ。ほら第二殿に「高野御子大神」と書いてあるやろ。この神さんや。

参拝後、慈尊院・丹生官省符神社へ。 もちろん弥勒仏坐像は秘仏で、多宝塔も修理中。弥勒堂の周囲には「おっぱい(絵馬)、いっぱい」。「はいはい、慈尊院とは・・・。」

人出も少なく、こちらも安堵。

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鬼に訊け

2012-4-30

曇天。大学で諸々。

貞慶展や契丹展など気になる展覧会も多いが、いま最も気にかかるのは映画『鬼に訊け 宮大工 西岡常一の遺言』。現在、大阪・十三の 第七藝術劇場(通称 ナナゲイ)で上映中。

マニアックな映画館なのでマニアが集い、そのためにチケット販売も特殊。開館時より当日上映の全作品の整理券付チケットを販売し、上映10分前に再度集合との由。『鬼に訊け』の上映は16:45とか17:05。
通勤前に十三に寄ってチケットを買い夕刻再び現れることになるが、平日は授業と重なっている。手帳を見ながら思案中。いっそ学生を率いて「十三」へ?

かつての上司が「幸福の神様は後頭部ハゲ。目の前に来た時にさっと前髪を掴まないと逃げて行ってしまう・・・」とのたまったが、『鬼』もまた然り。
この後、神戸・三宮のシネリーブル神戸でも上映予定。むぅ・・・。

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