日々雑記


生きもの

2012-12-1

展覧会初日。開館直前に映像資料と地図が追加。慌てふためく。

午後、受付のスタッフが憤慨。土曜日なので府立H高校の学生と教員が見学。展示場で騒ぐわ、ソファーで寝ころぶわ、映像資料のパソコンは勝手に触るなどなど・・・、博物館や美術館でのマナーがなっていないと。しかも教員は見て見ぬふりだと。
いやいや、小学校から高校に至るまで教員自身がそうした常識や公共マナーすら理解(学習)の埒外と思っているので仕方がない。ちゃんと証拠(監視カメラ)もあるので、万が一の時は・・・。
ともあれ、「枯木も山の賑わい」(←H高校)もあって120名の来場。

夕刻、スタッフが松竹座の写真パネルを追加・準備していたので、松竹座正面の設計図面(青焼)を追加。産経新聞(地域版)にも展覧会が紹介されたが、記事中の写真が未展示。これも追加。

近現代の人物を取り上げた展示は、“お披露目”になってから、こういうことを知っている、こんな資料を所蔵していると、言葉は悪いが、“タレコミ”が入ってくる。
裏付けを取りながら、展示資料は追加され、展示内容は充実しながらも図録の内容とは離れていく。すでに追加展示の予定もあり、展示は生きものと実感。

学会シーズンの折、その後哲学会へ参加。

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想定外

2012-12-2

散々遊んだおかげで、既に締切から10日以上も過ぎても予稿集(の原稿)が出来ていない・・・。
実にマズイ状況。

昨日、大学からがっつりと本を持ち帰って朝より頑張る。が、あれもない、これもないと大学の研究室にも行かずに済ませようとしたのが間違い。『大和六大寺大観』等、大型本3冊も自宅へ持って帰ることなどあり得ない・・・と思いながら、知っておれば当該部分をコピーしたのにと悔む。
原稿の後半部分はあちらこちらで話した内容なので、こちらのほうを先行。

気がつくと夕刻。予定では午後からニサンザイの見学に行くはずだったのに。

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Gute Nacht

2012-12-3

厳寒。12月に入って急に冷え込む。

「冬」を描いた日本絵画は数多く、近代以前に限っても雪舟《秋冬山水図》や伊藤若冲《動植綵絵》、歌川広重《東海道五十三次(蒲原)(亀山)》、円山応挙《雪松図屏風》、など枚挙にいとまない。

個人的にイチオシなのは、与謝蕪村《夜色楼台図》。雪をはらんで暗く垂れこめる夜空のもと、京都東山と思える山並みに降りつもる雪と屋根に雪を抱いた家並み。そのいくつかはまだ灯りがともっている・・・。シューベルト「冬の旅 Gute Nacht 」を聞きながら、《夜色楼台図》を眺めていると、気分がぐったりと滅入る。

雑多なことも多く、夜になっても原稿は出来上がらない。大学通りにすっかりと人影がなくなった頃、帰宅の途に。Gute Nacht・・・。
あきまへんな。

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2012-12-4

学生の発表。
発表の順番は最初の授業で「くじ引き」で決める。「ぎゃぁ~、1番」と嘆くが、実は「1番」が一番ラク。
回を重ねるごとに、同級生やこちらの指摘が重ねられ、自ずとハードルは上がってくる。「前々回でも指摘したことだが・・・」と、同じ“過ち”は徐々に許されなくなる。

既に授業も後半。発表を聞きながら眉間に皺。苛立ってくる。
発表後、「これまで他の人の発表、ちゃんと聞いていたんのか!」と。学生からの質問もあり、こちらもあれこれ以前と同じような指摘をしながら終了。

終了後、発表者が泣きながら「も゛う~い゛っぺん、ぢゃんすをください・・・」。ありゃっ、やっちまった。
「まぁ、与えられたテーマだし、気にするな」と慰めにもならない言葉をかける。

今の学生は打たれ弱いというか、繊細というか・・・。
当人も事情を理解しているようなので、“お呼び出し”はないかも知れないが、こちらも困惑。
思わず、土田麦僊《罰》を思い浮かべる。

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生きもの(2)

2012-12-5

お昼に「卒論ゼミ分けガイダンス」を挟んで、夕刻に原稿提出。結局、15日遅れ。
恐る恐る某所へ原稿を提出すると、なぜか同級生と元同僚がいる(いてもまったく不思議ではない場所なのだが)。
「ブービーやな。でもまだ印刷(製本)には間に合うで。ラストは『差し込み(別資料で配布)』やねん」と。滑り込みセーフ。

しばし雑談のあと、博物館展示場で追加資料(特別展示)の展示作業。もちろん借用料が出せないので、受付で企業PRのチラシを配布。

(大学)博物館ゆえ、日曜休館、10時~16時、寒い日が続くという悪コンディションで入館者も芳しくないが、予想以上に情報や資料を持っている人が多く見学に来られる。期間中にそれらを把握して内容を膨らませ、どこかの博物館に「企画」を売り込みにいくとか(マタ、オマエハ ソンナコトヲ 考エテイルノカ)、調査報告書を作るとか(ズロクノ 売レユキモ カンバシクナイノニ)、妄想だけが膨らむばかり。

月曜日にはスタッフが 展覧会紹介 をしてくれた。もともと口コミで広がる展示会と思っていたが、そうした胸の内が見透かされたのかどうかは知らないが、少し会期延長との由。

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散蓮華

2012-12-6

御用にて某市へ。

待ち合わせの展示施設で、先方との時間調整で展示品を解説していただく。空調設備がないので考古資料がメイン(他に民俗資料)だが、驚くこと多し。

簡単に説明されたが、伊万里茶碗や土人形に混じって「散蓮華」。「散蓮華」とは、ラーメンを食べる時のスプーンである。呉須が濃く、泡立っているので中国・明か清のものだろう。東大構内遺跡からは清朝の「散蓮華」が出ているし、長崎や関東の城跡からはオランダ・マストリヒト製「散蓮華」も出土している。当たり前だが「匙」と「散蓮華」とはまったく別物。
ラーメンを初めて食べたのは徳川光圀らしいが、ラーメンやチャーハンを食べた江戸時代の日本人が他にもきっといたのだろう。

隣の展示室には黄色の釉薬が掛かった鉄絵の盤。盤と言っても小型の「盥(たらい)」のような形。見るからに古そうで11世紀から12世紀にかけての中国製。キャプションにはあまり聞いたことのない窯名が書かれていたが、完形品(破片の全ピースが残っている)。出土品では初めて見るタイプ。時期が異なるもの、こういうのが小型化されて黄瀬戸の向付になるのかと思ったり。

名残惜しくも時間となり御用に。16世紀の仏像ながら、脳裏には中国製陶磁器が浮かぶ有様。

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準備

2012-12-7

明日は山田伸吉のフォーラム。
始まる前から懸念材料が多く、悩ましいことも。

図録に玉稿を寄せて頂いた肥田晧三先生とセンター長との対談が予定されている。
肥田先生の講演を実際にお聞きになった方ならわかるが、先生は「この本の表紙を山田伸吉が・・・」と壇上で当該書物を掲げられるスタイルでお話しされる(予想)。
ところが、会場は500名収容の千里ホール。遠隔カメラがあるものの、なにぶん提示(予定)資料が小さいので、「見えへんやないか」とクレーム必至。そこで提示資料(既にお預かりしている)の表紙をスキャンして映し出すことに。「ここに・・・」と細部を示されるかもしれないので高解像度で。
戦前の資料ながら、先生の御宅には特別収蔵庫があるのかと思うほど美品である。丁寧かつ慎重にスキャンする。
その間も事務職員氏をはじめスタッフは明日の準備。午後8時を過ぎても作業続行。

ようやく準備が整い、こちらは明日の準備に。「調査報告」30分。スライドや話題を厳選しながら内容を考える。なんとか纏まったのは日付が変わる頃。相変わらず、どんくさい。

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フォーラム

2012-12-8

朝から雨風強し。千里は雨は降らないものの終日寒い。朝からスタッフが準備に大わらわ。午後1時開始。

まずは「調査報告」。スライドを厳選したもののやっぱり早口。65年間の生涯を30分で話すというのはどうしても無理が生じる。

次いで肥田先生の対談。センター長がパワーポイント、肥田先生が雑誌の表紙を提示と、スクリーンに映し出す操作が輻輳するので、壇上からそのまま隅の操作卓に移動する。対談が始まり、肥田先生の手元をよく見ると、「(資料の入った)風呂敷包み」がない。
杞憂だったかと。

対談の冒頭、展示と図録についてお褒めの言葉を頂く。「山田伸吉つぁんは『絵描き』になりとうて、東京まで行った人なんです。墓場でさぞや喜んでいると思います」と。生前の山田伸吉を知り、没後の「偲ぶ会」の発起人のひとりである方からの言葉を頂き、操作卓の陰でちょっとウルッとしながら、肩から力が抜けるのを感じる。

その後、パネルディスカッションがあり、終了後は展示解説。終わってみるとすっかり夜の帳が下りていた。研究室に戻り、今度は こちら の準備。「師走」である。

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板子一枚下は地獄

2012-12-9

初雪舞う大阪。大阪歴史博物館「平成22・23年度 大阪市の新指定文化財」へ。

写真パネルが多いものの、16世紀の在銘鐘(朝鮮鐘の影響)や一心寺結縁経、一運寺阿弥陀如来立像、生根神社天神像(文明14年・1482)、一心寺縁起絵巻などは実物が展示。

なかでも、西願寺(住吉区)一字金輪三尊像は延享5年(1748)に大坂廻船問屋商人の飯田直好(苫屋久兵衛)が発願、大坂「彫刻師」の草花政信・正信が製作した像である。中尊、愛染明王像の彩色は新しいが、18世紀彫刻の特徴を示す好例。

近世大坂商人は、先が読めぬ経済の動向を「追い風」とするため、意外にも神仏への造詣が深い。難破・遭難などの危機に直面する廻船問屋はなおのこと。各地の港近くにある神仏に対する援助も並々ならぬものがある。この大坂商人の敬虔な信仰心が覆るのが山片蟠桃の『夢の代』以降。
大坂の「節操無き"ゼニ儲け"」はここから始まる。

「あの、お聞きしたいことがあるんですが・・・」と尋ねてこられたのが十数年前。この間に2本の学術論文を発表され、ここまで至ったかと感慨深い。

常設展では、耳鳥斎『忠臣蔵』や近鉄アベノのタイルなど。普段は見ることが出来ない特別展示室のシャッターには小澤華岳の《蝶々踊り図巻》(部分)。グット・アイディア。

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雪だるま

2012-12-10

仏像移動のため、某所へ。
梱包もしないといけないと思い、予定時刻より早くうかがうと、梱包は既に済ませたとの由。見れば、このとおり雪だるま状態。
とりあえず担架から離れることはなく短距離の輸送中は動かないが、むぅ・・・。この頸元のさらし紐はどこに掛っているのかとつい、確認。
なんか、論題も読まずに適当に書いて提出されたレポートを読むような なんともいえない気分。だから呼んだのじゃなかったのか。

作品梱包や展示技術がおろそかになって、「専門」と称する分野のみ扱うことができるが、それ以外はまったく出来ないという地域の資料館も少なくない。古文書ならずっと古文書、考古資料ならずっと考古資料の展示って、当人にとっては興味深く、面白いのだが、果たして見る人にとっても面白い展示と考えているのだろうか。
専門分野の採用がないと愚痴るが、まずは自ら汗して努力しているのだろうか。同じような内容を展示されても入館者は離れるばかりで、閉館になっても住民の誰も文句は言わない。あ、あそこかと。困るのは、専門に固執し馘首される学芸員だけ。

後ろの防火扉を見ながら、自業自得じゃないのかと思ったり。

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赤富士

2012-12-11

作品は何度もみるべし。

出雲旅行でのこと。古代出雲歴博での「ミニ企画 神在月と縁結び」を見ていた時、歌川芳艶《出雲国大社縁結之図》が目に留まった。

巨木の向こうに障子が閉じられた広間。障子に人(神)影が写る。縁結びの相談真っ最中。お付きの者は障子に耳を当て、左側には覗き見をする者もいる。右手には神々が乗ってきた猪や狐。
以前見た作品だと思って左側を見ると、なんと「赤富士」。右側には宝永山が描かれているので確かに富士山だろう。
気付かなかった・・・。

葛飾北斎『琉球八景』にも富士山(赤富士)が描きこまれているが、こちらのほうが宝永山がある分、富士山らしい姿。

芳艶は国芳の門弟。それにしても“江戸っ子”の富士山好きは関西人の想像を超えるものがある。
解説パネルはなく、これもグッド。展示は12月17日まで。

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天平物

2012-12-12
〔1911年8月12日 奈良〕 かつての僧院アサクラインの近くに彫師が工房をかまえ、どうやらよからぬことをはたらいているらしい。すなわち、この男は石膏、木材を用い、あの正倉院のうつくしい伎楽面、法隆寺の有名な木彫像などの模造品づくりをしている。しかも手本はオリジナルではなく、なんと写真や絵だ。模造の鳳凰が、つまりあの法隆寺金堂の天蓋にはばたく華麗な鳳凰の偽物が、まるで野鳥の肉屋の店先におかれた山鶉(やまうずら)のように、わんさと一束もぶらさげられていた。…断じてあってはならいないと思うが、残念ながら現実には贋造がはびこっている。
『明治日本美術紀行-ドイツ人女性美術史家の日記 』(講談社学術文庫)
廃仏毀釈を経て奈良博覧会(1874年)の後、奈良時代や奈良からの出土品ブームが訪れコレクターの需要が高まる。そこで見合うだけの供給?が行われる。俗にいう“天平物”“奈良物”である。
今でも地方の骨董屋の店先には「興福寺千体仏」と称した平安時代後期風の両腕のなくなった仏像の胴体が売られているのを目にする。須恵器の平瓶も花入れに使う分にはかわいらしいが、個人コレクションの展覧会場でみると、おやおやと思う。
割れたものを敢えて繕いましたというのは確実に危ない(贋作)。割れたことを隠そうと上手に繕うのが人情だろう。真贋がわからないと学問以前の問題に(というかプロじゃないだろう)。

会議終了後、ちらりと見せてくれた図版から漠然とそんなことを考える。

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自由と想像力

2012-12-13

そろそろ「成績評価」(レポート、筆記試験の問題)も考えないといけない時期。
とある授業では、レポート課題の要領を配布しながら「・・・について自由に論じなさい」と。ところが、翌週「『自由に』ってどういうことですか」と質問。「いや、テーマに関して好きに論じたらいいですよ」と。「ふむ・・・・」と理解できない様子。

正解があって正答か誤答かのパターンはレポートでは通じない、どういう方向で書いていけばよいかわからない、選んだ方向が正しいのかどうかもわからない、そういった雰囲気である。
要は授業中にあれこれ喋っているが、それを聞きながらどんなことを想像しているのかを問うている(聞いている)問題だけなのだが、改めて問われると困惑するらしい。かくしてこちらの講義のまとめにみたいなものが出来上がる。(誤解も数多し)

社会に出れば、日時茶飯事のことながら「想像力を働かせる」といったことが苦手のようにも思える。

余談ながら、大学院に進学すればするほど一歩先を読む「想像力」の欠如は重症化。単に言われたことだけしておればよいのだと。周りの空気も読めず、置かれている状況も理解できない。もちろん「目配り」・「気配り」の行き届いた院生もいるが、少数派である。では、マクドナルドのようにすべてに関してマニュアルでも作ろうとすると、今度は「自由」がないという。
いったい、どっちやねん。

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多忙

2012-12-14

午前中授業、午後には「山田伸吉」の関係者来訪があって案内、見送った後踵を返して研究発表会(学内)に顔を出し、その後新聞社の対応、授業。夕刻までその間隙を縫ってか? 議会や審議会を控えた自治体からの電話やメールが追い打ちをかける。夕刻から懇親会(研究会)に参加、懇親会終了後に研究室に戻って、明日のシンポジウムのスライド準備。
どたばたの一日。明日は9時30分に集合との由。

今週さえ乗り切れば、あとは・・・。

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裏山シンポ

2012-12-15

シンポジウム「飛鳥・川原寺裏山遺跡と東アジア」。
考古学系のシンポなので、懐かしい方と旧交を温める。

考古学、文献史料、金属製品、美術史と、「塑像」ひとつ取り上げても興味深い報告や内容が並ぶ。

我彼の伝播(影響)関係を考える時、「来たモノ」「来なかったモノ」を念頭に。でないといくら「来なかったモノ」をそれぞれ並べられても影響関係はもとより歯車(議論)はかみ合わない。
洛陽・永寧寺(北魏)にみる「ネジ式塑像」(頭躰別製、頸部分に差し込む)は韓国扶余・定林寺までは伝播。しかし日本には来ていないのはなぜかなどなど。

もうひとつは「選択」。多様性と類似性を孕んでの影響関係。(文化の)受け手はそれらをすべて吸収するのではなく、自ずと「取捨選択」が生じる。美術でいえば「美意識」という物差しで、技法でいえば「手抜き」や「変容」。(久保智康氏のコメントを借りれば「ポジティブ」と「マイナー」)。
いずれも報告内容は豊富で30分間の報告では難しい。金属製品のなかには三鈷杵片も。川原寺は平安時代が面白いとは雑談の成果。夕刻には懇親会。

疲れや酔いもあってか、帰りの電車内で爆睡。下車駅(乗換駅)をはるかに過ぎてお目覚めの態。
あやうく高野山に行くところだった・・・・。なんとか無事帰宅。

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お身拭い

2012-12-16
大学生のとき、メジャーと懐中電灯をもって、「美術史演習」という名の授業に参じたことがある。先輩たちは、お堂に入るなり、懐中電灯の光で仏像を隈無く照らしだした。仏像を蓮台から降ろし、寸法を測り、ノートに記録した。仏像がそこにすっぽりとおさまっていたであろう場が、たちどころに、ずたずたにされていく。こんなことをすべきではないという直観が走った。このようなことをするのが必要だとしても、その前になんらかの儀式かせめて挨拶のしぐさでもあるべきではないか。しかしそうしたことは無頓着で、先輩たちは後輩に範を示すことに必死であるように見えた。村の小さなお堂に観音さまがまつられていて、近所のおじいさんやおばあさんたちが腰をかがめてお参りにくる。その姿を見るとほっこりする。そのような光景に比してメジャーと懐中電灯がつくりだす光景はメスが光る外科手術室のようで、なにかおそろしい光景であった。
梅原賢一郎『カミの現象学』(角川書店 2003年7月)
むぅ・・・。
著者は確かにそのような体験をしたのかもしれないが、現実は違う。調査前・後の礼拝はもちろん、調査前に30分も40分も寒いお堂の中で読経されることもある。調査が始まっても、ほとんどの仏像はまず寸法計測とはいかない。どういうことをするのかは、「汗をかき、ほこりにまみれ、フンを掃く」を読めばわかる。お堂に上がってさっそく計測というのは、頻繁に博物館や美術館に出品される仏像ぐらいしかない。

今年もあと少し。新年を迎えるにあたり、仏壇(須弥壇)は顔が映るほどきれいにされるものの、仏像の肩には相変わらずホコリが満載。「お身拭い」というのもごく一部のところでしかない。
一度でいいから、「外科手術室」のような仕事をしてみたいものである。

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若冲ブーム

2012-12-17

プライスコレクションといえば、言わずと知れた若冲。今や「若冲」の名を知らない人はいないほど。
ところが、プライスコレクションの若冲作品はわずか十数点のみで、世間が、プライスコレクション=若冲というほどには所蔵していない。

1985年春に、大阪市立美術館で心遠館コレクション(プライスコレクション)展が開催されたが、この折の若冲作品は13点が出品。東京国立博物館「若冲と江戸絵画」展(2006年)では17点で、20年間で収集点数が伸びたとも思えない。

大阪市美の図録に付せられた脇坂淳氏の概説もさほど熱を帯びたものではなく、芦雪や抱一などを交えて淡々と。
出品目録 作品データの最後にプライス氏が当該作品を購入した年代が記されている。《葡萄図》1955-60年、《紫陽花双鶏図》1965年などと。
若冲作品を購入歴順にみてみると1970年代には若冲の購入歴はなく、芦雪や抱一、国井応陽などの作品を購入。ちなみに1971年秋には東京国立博物館で特別展観「若冲」が開催。

巷間の話題を避けると、いろんなモノが見えてくるのかも。

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お疲れ

2012-12-18

12月25日(火)は土曜日の時間割だから、火曜日の授業も今日で年内最後。
まだあれこれと雑務も来るが、フォーラム・シンポジウムも終わってほっとひと息。

山田伸吉の展示(延長)も明日で終了。いよいよ撤収、返却である。

授業でも「年内はいつまで大学に来るのか?」(ゼミ生)との質問もあったが、今年はまっとうに年末年始を迎えたい・・・と弱気の発言。
ちょっとお疲れの態。

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御礼

2012-12-19

本日、千秋楽。

「芝居画家」と名付けたのはスタッフながら、お見事なり。芝居の背景と役者を共に(油彩で)描いたのが特徴で、「芝居画家」でググると、たいてい山田の名が出てくる(「(紙)芝居画家」というのも引っかかるが)。

“いけず”して「芝居絵師」でググるとこちらは「絵金」。
絵金も背景と役者を共に描いている。とはいえ、「近代の上方絵金」とするのはやぼったい。
スタッフの列品解説を聞いていると、「どの作品も顔が描かれていません。これは同じ演目であっても“贔屓の”役者の顔が想像できるように配慮したものです」と。納得。

終始あれこれバタバタと、また混乱もしたが、16日間、860余人の入館者を得、来館の皆様をはじめ特別展示にご協力いただいた方にあつく感謝申し上げます。
また「老兵」をサポートして頂いたS氏、Sさんを初めととするスタッフやセンターの職員氏にも御礼を申し上げたい。

名残り惜しまれて展覧会を終了するのが、何よりの祝辞である。

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額装

2012-12-20

朝から資料撤収。
午前中に返却する資料もあって、一部はスタッフが昨夕に資料を撤収。紙モノばかりなので午前中には概ね終えて、午後にはサイコロを収納。借りた場所(博物館展示室)は借りる前よりきれいにして返す・・・のが鉄則。

資料を撤収しながらやり残したことを思い出す。特別展示で借用した額縁入り作品。この資料写真を撮れなかった。
正面はガラスが嵌っており、作品は額から外さないといけない。額の裏面はネジで留めてあり、ネジの頭は錆び付いている。ドライバーで開けるとネジ頭の+の切れ込みが潰れてしまう恐れ大。
思案しているうちに会期終了。

洋画の展覧会も担当したこともあるが、その時は既に撮影された写真があった。
どうするんやろ?と、ノウハウなしでは動こうにも動けない。不本意ながらそのまま梱包、返却。

その後はスタッフに託して、授業へ。

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大阪中央郵便局

2012-12-21

今日で授業終了。なぜか(ドンくさいので)各授業10分遅れのどたばた。

旧大阪中央郵便局庁舎保存(といってもエントランスのみ残っているようで、他は更地になっている)の判決で「原告適格がない」として請求却下との由。

ほとんど更地になっても「重要文化財に指定するよう求める」方も求める方だが、判決も厳しい。
「文化財保護法には、研究者の研究上の利益などを保護する趣旨はなく、研究者らに指定を求める資格がない」と。
その通りだとは思うが、ちょっと文言に引っ掛かりを覚えたので、旧大阪砲兵工廠の写真でも再び貼ってみる・・・。

この時(1981年5月11日)の新聞には「もめる前にやれ(潰せ)!」や「金もうけの街に古い物いらん」と大阪市議のコメント。文化庁の調査指示も出ていたのに。

今の維新の会やらを踏まえると、この30年間、大阪は進歩がないというか、大阪らしいというか・・・。

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サンタ

2012-12-23

昨日はほぼ爆睡状態。今日は早くも年末の買い出し。寒さゆえに渋っていると「去年は一人で重い荷物抱えて、ブツブツ・・・」。「へ~い」。

ちょっと遠方まで出掛けた帰りの阪和道、前方で一斉に減速。「事故?」と思いながら減速のまま走っていると、サンタ姿のライダーの一群。ざっと30台はいるだろうか。なかには後部に大きな白い包みを積んだバイクも。第2走行車線を行儀よく並んで走っているので(暴)ではないようだ。写真は家人撮影。
ピザ屋の大量注文か・・・などと冗談いいながら、なんだったのだろう。

気がつけばこういう季節になっている。今年も数えるばかり・・・。

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銃刀法

2012-12-24

アメリカでは小学校乱射事件を受けて銃規制の議論。

日本には銃刀法があり銃を管轄するのは都道府県公安委員会(警察)。しかし明治維新以前に製作された「銃(古式銃)」は教育委員会文化財課。警察か教育委員会かの目安は「薬きょう」が必要かどうかである。「薬きょう」が不要となると美術品・骨董品と認められて所持可能。ただし「登録証」が必携。新規登録の場合、審査会(年2回)に出席し、発行までが約7~8カ月。
古式銃を所蔵している美術館・博物館へもちょいちょい、地元の警察官が来て員数チェックとか改造していないかの確認に来る。これは銃刀所持の例外規定で、博物館や美術館は古式銃やライフルも所持できる。(但し夜には無人になるような資料館はかなり難しい)

教育委員会で却下されるような銃ならすぐさま警察へ。例外規定で「銃」を所持できるのは博物館・美術館のほか、警察官や自衛隊、猟師、クレー射撃関係者、猟銃店、猟銃専門の古美術商。これら以外の者が所有することは殆ど不可能。「こんなん、土蔵から出てきましたけど、いりまへん」と言えば、穏便に済む。たとえ、拳銃や実弾を密かに持っていても自首すれば、懲役の軽減、免除が必ず伴う。

「町に熊が出没!」で、必ず登場するのが猟友会のメンバー。彼らは狩猟免許(第一種:ライフル銃・散弾銃・空気銃、第二種:空気銃)が必要。
昔のニュースで、町に熊が出て、追いかけた警官に「さっさと撃てよ」と言った人がいたが、警官は熊を撃つことは出来ない。有害であれ無害であれ「鳥獣」を撃つことが出来るのは「狩猟免許」を所持する者だけで、警官は「狩猟免許」を持っておらず、対動物では猟友会メンバーしかいない。

と、銃の規制は厳重だが、刀剣は頭が痛い・・・。なにしろ刃渡り15cm以上の刀や刃渡り5.5cm以上の剣は、鎌倉時代であろうと昭和であろうと、すべて届出制。「登録証」の無いものも多数。「まずは、警察に『発見届』を出して下さい。逮捕されたり、尋問されることは一切ありませんので」と説得したり、「このままにされると『不法所持』で罰せられますが・・・」と脅したり。

不時発見の際には、まずは文化財へご一報。

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仕事納め

2012-12-25

今日は土曜日の時間割。明日から一斉休業。

珍しいことに研究室の掃除を済ませ、いくつかの雑務をこなして仕事納め。あれこれ残るが、殆どお持ち帰り。
こんなに早く大学を終えるのもたまにはよいか、というか初めて。自宅の徹夜も無理、大学での“お泊り”も激減。能力も衰えつつ・・・。どうする、自分。

というわけで、ここも年内最後の更新となります。今年もご覧いただきまして本当に有難うございました。寒さが厳しいですが、皆様どうぞよいお年をお迎えください。まずは年末の御礼まで。
(↑ これも今日で年内最後。昨夜も灯っていました。)

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和暦・西暦

2012-12-26

図録では西暦・和暦の誤りがいくつか指摘。
昭和は大丈夫(でもなかった)だが、平成に入るとさっぱり。ゆえあって、西暦・和暦が入ったデータの処理をしていたら無茶苦茶。明和5年(1768)がなんで1656年やねんと、自己嫌悪。
処理中に「寛文14年」(延宝元年)あたりはかわいらしいが、中には「宝永12年」というのもある。報告が間違っているのか、そう書いてあるのか・・・真偽不明。

日本が太陰暦から太陽暦に変更したため、明治5年12月3日をもって明治6年1月1日に。したがって明治5年のクリスマスはなかったと、昨夜、子供たちが話題にしていたが、明治5年12月4日以降に生まれた人が続々登場。
だから、明治生まれの生年はあやふやなのかと、図録を見ながら思ったり。

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苦手

2012-12-27

この齢になっても苦手なものは苦手。

そのひとつ。悪筆。
出来る限り、手書き(文字)は晒したくない。ワープロが発明されなければ、きっとこんなに文章を書くような仕事には就いていなかったと思う。

そのふたつ。電話(発信)。
先方がどのような状態か全く分からず、言葉のやり取りが苦手。見ず知らずの相手にお願いなどの電話など、考えるだけでも気が重くなるばかり。
手元に用件(会話文になっている)を書いたメモを置いて、受話器をもって深呼吸してイヤァ!と勢いつけてダイヤル。不在であったりすると、再びエンジンはかからない・・・。
過日も「まだ(研究室で)授業中です!」と怒鳴られたこともあった。一日憂鬱。
かかってくるのはなんともなくなったが、かけるのは未だに苦手。出来る限り丁重なメールのほうが気がラク。

学生の誰もが信じないけれど、「人(前)で話す」のも苦手だった。「だから、収蔵庫の屏風や陶磁器と“対話”できる学芸員に・・・」。今ではすっかり克服(しないとやっていけない)。

かなり問題のある社会人。これでよくまぁ、生きてこれたものである・・・。
でもやっぱり苦手は苦手。

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巳年

2012-12-28

来年は巳年。
すでに某所からの“夏休みの宿題”でヘビを集めたので年賀状素材には困らない。

近鉄阿倍野店の「福袋」には弥生博物館のバックヤードツアー。「館蔵品」の何を観賞するのかがお楽しみ。弥生土器ではお値段に合わないような気も。

この記事をみて思いついたのが、「アルフォンス・ミュシャ館の福袋」。サラ・ベルナールからの依頼でミュシャがデザインした「蛇のブレスレットと指輪」の特別観賞会。金、エナメル、オパール、ダイヤモンドで出来ており、「金運」アップ間違いなし(←違う)。
・・・と考えついたが、ブレスレッドは先月下旬から2月末までドイツ・プフォルツハイム宝飾博物館へ出張展示中。残念。
2025年「福袋」用に、高島屋へ売り込みに行こうかしら。

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画像でふりかえる2012年

2012-12-30


冬の富山

入試説明会

早春の大山

神事

教育後援会(個別相談)

台風襲来

住吉大社展示

ウズベキスタン

「摂津名所図会」講演会

避難訓練

西の正倉院

山田伸吉フォーラム

相変わらず、どたばたな1年。

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給湯器

2012-12-31

「あ、うあ゙ぁ~!」という家人の叫び声で目が覚めた。なにごと?

もぞもぞ起きだして聞くに、「(給湯器から)お湯が出ない」とのこと。みれば、電源ランプが消えている。ひと頃、近所では給湯器の交換(耐用年数超過)が盛んで、我が家ではここまでよくぞ動いていたと思うものの、「逝く」のが何も「今日」でなくともと思う。

タウンページをめくり業者さんに来てもらう(我ながらよくぞ探した)。お見立てでは修理も難しく、耐用年数のこともあり、今日や明日には直らない。「交換」といえど同類機種は受注生産らしく、早くて5日に発注との由。加えて「一度、電源を抜いてみてください」とアドバイスを受けて、電源を抜くと、全室停電。あらっ?
再び関西電力に電話をし、作業員の方に来ていただき、部屋中の電源を抜いてテスターで確認してもらうと、問題はやっぱり「給湯器」。その電源を抜いて電気は復旧。

直面する問題はなんとか回避(先送り)したが、問題は「お風呂」。ネットで年越し営業している銭湯を検索。しばらくは銭湯(スーパー銭湯)通いとなる模様。

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過去ログ