日々雑記


強訴

2012-11-1

「強訴(嗷訴)」とは、延暦寺や興福寺が日吉大社神輿、春日大社神木をかざして宮中に押し掛けて要求を行い、要求が通らない時は、神輿・神木を御所の門前に放置し、政治機能を停止させるなどの手段のことである。
いまどき、「強訴」でもあるまいと思いつつ・・・。

良識ある人はちゃんと理解しており、ほっとひと安心。
抜いた宝刀を収め、帰途につこうとすると、「ちょっと見てほしいものが・・・」と。
あらっ、え゛~。

それにしても自治体の動きはほとんど止まったまま。一介の私大教員が騒いだとて別にどういうこともないという意識がまる見え。“国”がちょっと動くと、手すり足すりしながら動くのに。

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冬まじか

2012-11-2

遠山は昨日、初冠雪を迎えた。

午前中、塑像片を観察。大小のサイズはともにおおむね上下2層の構造。大きな土塊が心木に絡む?ためにはより粘性が高い荒土が必要とも。そのほか、じっくり見てわかることも多く、勉強になった。

帰途、某写真美術館に寄る。ちょっと関心を引いたのが「演出写真」。子供が写真に登場するが、様々なポーズや表情で写っている。ほとんどが「演出」。
展示解説には「子供はオブジェと化している」との旨。「ヤラセ」写真と忌避すべき人もいるだろうが、よくよく考えると、写真はすべて“演出”。
例えば、上の写真の右側には葬祭場がある。それを避けて撮影すること自体、「演出」された写真と言わざるを得ない。フレームを決めた時点で既に「演出」写真である。

土門拳のリアリズム写真のスローガンである「絶対非演出」って、究極的にはカメラのファインダーを覗くことすら許されない矛盾した理論(理屈)であるように思う。

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日向

2012-11-4

JAL2433便にて宮崎へ。30分遅れの出発。
案内されて、まずは木喰五智館。木喰には珍しい寄木造の大像である。頭躰を一木で彫り、左右材を寄せて「貫」を通す方法。膝前と裳先との接合も彫り込みをいれて組み合わせる。驚くべきは両腰三角材がなく、台座も正面と後面のみ。躰部材をそのまま台座後面に立てる。正面性のみが強調された造形。

道中、あれこれと会話。『日向記』に、天文20年(1551)に伊東義祐(天正遣欧少年使節の伊東マンショの祖父)が南都仏師源五郎兄弟を日向に招き毘盧舎那仏三尊を造らせたとの記事がある。宿院仏師の新たな作例(飫肥)も知られ、宿院仏師ではないにしろ南都仏師が日向に下向した記事自身を否定されると・・・との由。
確かに堺や越前から仏師が日向に来ているのでと言いながらも、では誰が?となると・・・。
目的地に着くが、鍵が開かずに観音像頭部を窓越しに見る。今回は“下見”なのでドンマイ。
越前大野からやってきた重厳・周兼が大永4年(1524)に制作した22尺の十一面観音像と14尺の聖観音像と勢至菩薩像。枕崎台風で倒壊し、部材は別に保管され、頭部だけが仏壇の上に。躰部材には「天文九年八月」「佛師周徹」などの墨書。天正13年(1586)には堺仏師が十一面観音坐像を制作している。

市内に戻り一献。
日向と関西は意外に近い。瀬戸内海経由で九州ということもあろうが、金剛福寺(足摺岬)の青銅製仏餉器は天文9年(1540)に堺の商人 奈良屋与二郎が寄進しており、どうも黒潮に逆らって太平洋側から行き来していたように思える。「だから、奈良の仏師が来て制作したと考えるのが・・・」と熱弁。「そう言われてもこちらも関西代表じゃないんで・・・」と。「いや、センセは関西大学なんで」。大笑いしながらも「日本大学」ならどうなると思ったり。

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西の正倉院

2012-11-5

今日はフリー。美郷町・神門神社へ。

奈良では正倉院展開催中で、平城京も地下の正倉院とされている。美郷町も神門神社そばに原寸大の正倉院を建てている。銅板の覆いも同じ。
内部は神門神社の宝物と地域の祭り「師走祭り」(百済王族が日本に亡命、日向に漂着し親子が対面する祭)を展示。

神社に奉納された銅鏡33面のうち、奈良・正倉院にある唐花六花鏡と同一品が含まれることから「西の正倉院」と呼ばれる。鏡は三角縁神獣鏡や八花鏡、海獣葡萄鏡など古い鏡が多いが、その多くは「踏み返し鏡」である。

圧巻は本殿天井裏から見つかった1006本の「鉾」。「鉾」といっても木の柄が長く、扁平な錐のようなものだが、柄には長禄3年や天文9年、慶長9年の墨書がある。日付はいずれも12月で「師走祭り」と関係するようである。頭の中では出雲・荒神谷遺跡の358本の銅剣もちらりと。
そのほか板絵や神像(江戸)、狛犬なども。
最終便で伊丹へ。なにしろ美郷町は遠い・・・。

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学習環境

2012-11-6


「不認可」とされた大学のひとつに秋田公立美術工芸短期大学。

反論するなかで、確かに北海道、東北に美術大学は少ないとの由。そうした地域で「美術」をやるには非常に大変である。なにもアート制作だけではない。美術史もそうである。

我々が「そしたら今度の土曜にでも東大寺を見に行きましょか。」とは簡単にはいかない。アルバイトをして資金を貯めて「関西古美術ツアー」を組まないといけない。今の相場からすれば、大英博物館も平等院も同じじゃないかと思う。恐らく一生、法隆寺を見ることもないままに過ごす人もいよう。

ゆるゆるの発表を聞きながら、相変わらず、どうしてこの環境を生かさないのか不思議に思う。

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*(アスタリスク)

2012-11-7


終日、図録用の原稿書き。締切の5時には間に合った。それにしても世情はなんと誤解曲解が多いことか・・・。

一息つきながら、写真の補正などしていると、さっそく訂正を思いつく。
今回の展示は自前と他所1ヶ所。いちいち所蔵先を明示するのも面倒なので、他所所蔵分は図版隅に*を付けて、凡例で示して・・・、と思っていたがすっかり忘れていた。
初校があがってきた時に付けるとするか。

どこが「完全原稿」やねんと反省。

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高松塚と太安万侶

2012-11-8

学生と雑談(他の分野)をしながら、こちらが知らないことを教えてもらうのは正直、赤面の思いながらなるほどと思うことも。

白石太一郎氏らによれば、キトラ→石のカラト・マルコ山→高松塚との古墳の編年となるらしい。そこで高松塚の築造時期は720年頃ということに。平城遷都も済んだ時期となり、古墳壁画は奈良時代。
なにより太安万侶の墓誌(養老7年・723)とほぼ変わらない時期に旧宮都のそばに作られるというもの。

なにぶん、こちらの知識は「聖なるライン」から止まったままであり、てっきり藤原京時代に築造されたと思っていたが、むぅ・・・。それにしても高松塚は何とオールド・スタイルなのか。
たいへんよく勉強になりました。(写真は関大壁画展示館のもの)

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求む 体育会系

2012-11-9

大阪府警は来年度からの採用試験で、哲学、物理、英語など人文・自然科学系の教養問題を廃止し、国語、数学、一般常識といった基礎的な学力に加え体力検査を細かく点数化し、柔・剣道の段位を持つ受験者に加点するなどの方向に。
上下関係などの規律を重んじ、体力もある体育会系は「大歓迎」とするが、批判を承知のうえで言うが、大阪府警はバカでいいんだ、体力さえあれば。

常識とされる物理の法則を知らない者が鑑識課に配属され、機器特有の誤差も理解できないのが「ネズミ捕り」担当になれば、冤罪や誤認逮捕の増加は免れず批判は高まるいっぽう。
「こいつ、どうみても犯人なんで・・・」って言われても、法曹試験を経た検察は頭を抱えるばかり・・・。

市役所職員と同じ感覚で受験する者もするほうだが、そこに合わせてハードルを下げるほうもどうかと思う。警察と言えども、昇進試験はある。検挙率ではなく、刑法や行政法、一般常識の筆記試験。そもそもあかんやろ。かくして、府警は知能犯には対応できず、凶悪犯も証拠不十分で不起訴処分。
犯罪の町 大阪バンザイ。

普段の講義でもその片鱗は感じる。講義も佳境になった頃、さも当たり前と遅刻してくるジャージ姿の学生。どかっと鞄を置いて、がっつりと終了のチャイムまで寝込む有様。「上下関係」は体育会系のみで通じる話で、一般常識にはほど遠い。「文武両道」は机上の空論。

そうしたバカを応援するのはいかがなものかとの声もあって(かどうかは知らないが)、正門左右の垂れ幕(「○○さん、ユニバーシアード△△優勝」の類)もご法度。ええっこっちゃ。

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白描図像

2012-11-10

大和文華館「清雅なる仏画」展へ。
密教には数多くの仏像がおり、それらは図像として表され、また図像のバリエーションも豊富になってくる。そこで、鎌倉時代には僧侶や願主の思想によってばらばらになり(経典の規範から解放)再構成されて、新たな仏画が誕生するプロセスを展示。
仏画では、善女龍王像(金剛峯寺)や薬師十二神将像(桜池院)など。

華厳五十五所絵の邪鬼は大津絵にみるようなコミカルな姿。いくつかの白描図像には「高山寺」の印が押されている。岩座(毘沙門天像・根津美術館)の線を見ていると、まさに鳥獣人物戯画の線描を思い出す。図録をみると前期にはMIHO MUSEUMの断簡が出ていたらしい。なるほど。
かなりマニアックな展示だが、見どころは多い。展示ケースの前を行ったり来たりで充実のひと時。

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博物館実習

2012-11-12

昨日より博物館実習展。保護者の方々がわが子の“解説付”実習展を見るために、昨日(日曜日)から開催。
今年のテーマは「絵本」「陵墓」「制服」「鬼」「書く」。
「それではゼニ(木戸銭)が取れんゾ」と思いながらも苦労しつつ一生懸命に展示と格闘しているところに好感が持てる。

展示ケースなどを見ながら、実習展の後の展示プランを考える・・・。実習展の後はこちらが展示を行う予定。

過日、格闘した図録原稿の初稿が出来上がってきた。さっそく校正とチェックに取り掛かろうとすると、事務の方から「あの、今度の図録、売ることになりました」と。はぁ?
これまでこの類いは無料で配布していたし、そりゃ、冗談で 「これぞ、外的(研究)資金の獲得」 って言いましたけど、まさか現実になるとは。既に関係部局の調整も済んで、原価負担ということになりそう。

決して(研究の)資金繰りに困っているわけはないが、無料配布が原則のなか有償配布になるとは考えてもみなかった。責任重大。心して校正に臨まねば・・・。

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情報化社会

2012-11-13

図録の校正をしていると「八面六臂」と既に朱筆で校正。原稿では「七面六臂」と書いていた。
間違えた。どおりで、すぐに漢字変換しなかったのか・・・とプチ反省。

そうした話題をゼミ生にしていると、「『八面六臂』って仏像から来ているんですよ」と。はぁ?
阿修羅は三面六臂だし該当する仏像も浮かばないので、「『八面六臂』の仏像ってないんじゃない。」と反論。「えっ?でもここに。」と電子辞書(大辞泉)を示す。
返事に困っていると(情けない・・・)、別の学生が「『八面六臂』の仏像はないって書いてますよ。」とスマホを差し出す。なんかの質問箱のようだ。

それぞれ、複雑な思いを抱きながら授業へ。
情報(錯綜)化社会の一現象。

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葬送儀礼

2012-11-14

昨夕遅く、親爺から伯父が亡くなったとの報。電話の向こうで、ごじゃごじゃとなにやら・・・。
取り留めのない話を聞いているうちにピンと来た。要は明日(葬儀)、送ってくれないかと。伯父の住まいは公共交通ではかなり厳しいところ。親爺も数年前に運転免許を返上し、足腰も弱る老夫婦。

荒れ模様の天候のなか、朝から田舎へ。もちろんまるっきり運転手とはいかない。葬儀にも参列。
「南無大師遍照金剛」と書かれた軸・遺影の前に僧侶・脇僧登場。真言が唱えられ、散杖(棒)が六器(小碗)を叩き、散杖は棺の上を何度か舞う(加持香水)。読経は何経?と耳を澄ませていると、「不殺生戒、不偸盗戒、不邪淫戒・・・」と聞こえた。ヲイヲイ、故人はもう死んでいるぞと、いぶかしく思っていると、「戒名」が読まれる。そうか、戒名を授かる前には「授戒」せねばならぬのだ。
読経は「理趣経」のようだが、わからない。焼香も済んで、いよいよ最後の対面。木製五鈷杵が棺の上に置かれて(納棺)、僧侶ら退出。

号泣の場面はあったものの、ほどなく蓋が閉じられ、釘を石で軽く2回打ち、葬儀場の人ががっつり打ち込んで霊柩車へ。若い?ので担ぎ手のひとりに。載せる直前に棺を3回転(棺まわし)。出発時に「ファ~ン」と重い長いホーンが鳴らされる。さすがは8ナンバー。お約束通り、茶碗も割られる。

火葬場では簡単な読経の後、焼香。扉が閉められ待つこと約2時間半。その間、葬儀場に戻り食事。久しぶりに親戚、縁者らが集まり、さっきの号泣が嘘のよう。
再び火葬場。皆神妙な面持ちに戻り、まだ熱を感じる炉の前で2人1組で骨上げ。親族の位置関係でちょっと混乱気味。見知らぬ女性とペア。係の人が横で「ここ(の骨)」と指示を出す。近親者から順に足元から上げていくが、指示があればこそ、喪主らが喉仏に至ることができるという配慮。

白木の箱や位牌とともに再び葬儀場。葬儀と同じように着席して「初七日法要」が行われる。あらっ、閻魔王の前までなんと、早いことか。焼香が済むと終了。「精進落とし」。

寝ている老夫婦をバックミラーで見ながら、帰阪の途に。

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似たもの同士

2012-11-15

いい歳をして、ハラハラドキドキすることがある。

確認することがあって総合図書館へ。誰もが読みそうもない全書を探す。巻数を見ながら、ひょいと取り出すと当該記事がない。不審に思って表紙を見ると次巻(26巻)。あらっ、間違えたと思って隣の巻を取り出すと前巻(24巻)。稀に違う巻の間に挟まっていることもあり、探すも目指す25巻はない。端末で検索すると「貸出中」。
貸出ラベルに多くのスタンプが押されているものならともかく、『続真言宗全書』(42冊)。そのなかでたった1冊だけが貸し出しとは・・・。ついてない。気を取り直して菅野洋介『日本近世の宗教と社会』(吉川弘文館)を端末で探すと、これも「貸出中」。その他の書籍も同じく「貸出中」。

同じ人が全て借りているとは考えられないながら、3冊が交わる内容は自ずと限られてくる・・・。
同じような内容を研究(勉強)している者がいると思うと、ちょっと不安(汗)。

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扇面画

2012-11-16

リレー講義は「扇面画」(もちろん私ではない)。
最後尾で講義を聴講。講義はエミール・ドガの「扇面画」に移る。たしか久保惣記念美術館にも西洋の画家が描いた扇面画があったことを思い出す。確か、地図展示の向かい側に・・・。

講義終了後、雑談で「久保惣にもドガか誰かが描いた扇面画があったと思うんですが・・・」と。
「えっ、そんなところに」と意外な反応。「ドガかどうかは知らないですが・・・」と返事。

部屋に戻って調べると、やはりドガの扇面画。しかも踊り子。
意外なこともあるもんだと。

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墓碑

2012-11-17

終日雨天。東京へ。

都内の有名人の墓がある墓地に向かい、とある絵師の墓へ。
明治の文献には記載されているものの、都内のこととて寺・墓地も移転し、東京大空襲もあって、墓があるかどうかは行くまでは判らなかった。霊園をさまようことしばらく、墓を見つける。
墓碑も移され、また新たな墓碑も建つ。明治の文献では系譜が途絶えたとするが、遺族がいるのかと思う。
傘をさしながら、墓碑に刻まれた数代の戒名と没年を書き写す。見覚えのない名前や女性の戒名も見えるが、ともかく筆写。当たり前ながら、この戒名と過去帳(これから交渉)とで、絵師一族の系譜が出来上がる。この墓碑に氏名のない者は弟子筋にあたる者と推測。

厚い雲に覆われ暗く、降りしきる雨のなか墓地にいるのはさほど気持ちのよいものではないが、明治以来のフィールドワークのように思え(ともかく当該研究論文がひとつかふたつという状態)、文献にない者も確認。作品についても概ねめぼしい作品はピックアップしている。

偏見かもしれないが、絵師研究の場合、必ずといってよいほど墓が登場するのはなぜだろうかと。

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今も昔も

2012-11-18

雲ひとつない好天。
都内某所に行き、午後、東京国立博物館。

特別展は「出雲」と「中国王朝の至宝」。前者の入館料は800円、後者1500円。後者は「出雲」が無料観覧。 待ち時間前者30分。後者はゼロ。いまさら「出雲」もあるまいに、常設展へ。東洋館、表慶館は休館中。

浄瑠璃寺伝来の十二神将像や愛染明王像・厨子、泉湧寺伝来の阿弥陀如来像をしっかり観察。
ちょっと関心を引いたのが、 1F16室の「昭和の博物館―戦争と復興―」。どこの博物館・美術館でもそうだが、毎日「業務日誌」を記している。戦時中の東博「東京帝室博物館学芸課日誌」が展示。
例えば12月7日。
月 晴 本日、学芸課に移(ママ)動あり。野間監査官が列品課絵画部主任になられ、其のかはりに書蹟の三条西監査官が学芸に移られた。
翌日には「本日は大東亜戦争起ってより一周年の記念日にあたり…」とあって1942年と知られる。戦局悪化の折、東博の収蔵品が京都北桑田郡へ疎開との由も。

面白かったのは菱川師宣《歌舞伎図屏風》 。舞台を背にして講釈しているおっさんが・・・。横では煙草を吸う編笠の男。この横では同じく舞台に背を向け、子供に乳をあげる母親も。左隻では相変わらずのバカ騒ぎ。昔も今も変わらんじゃないかと思ったり。
十時梅厓《山水図屏風》は浪華にて描かれた由。

地味で、誰もケースの前で止まろうとはしないが、叡尊直筆《願文》(文永6年・般若寺蔵)や明恵《夢記》も展示。「奉造白檀丈六之像」と。
トーハクの常設展は原則、撮影可能(フラッシュなしで)だが、作品資料にカメラを向けている人はほとんど資料など見ていない。見ているようで見えていないことの典型である。だから、地味だが重要な文書にも気付かないでいる。もっともおかげで堪能するぐらい、書写できるくらい、ゆっくり見ることが出来るのだが。

夕刻、追い出されるように退館。特別展開催中は6時頃まで開館していると思ったのだが。後ろ髪を引かれるように帰阪。

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いよいよ

2012-11-19

終日、山田伸吉関係。
詳細は こちら ながら、12月1日(土)~15日(土)の「特別展」と8日のフォーラム準備。
展示資料はすべて「ヒラモノ」ばかりなので、展示にはひと工夫必要ながら、妙案はなし。出品資料も確定しているものの、追加もなきにしもあらずとの由。もちろんフォーラムはまだまだ手つかず・・・。

こんな話がいつの間にこういう話になったのだろうかと振り返る。
ともかく来週は授業の合間はすべて展示作業となるだろう。

多くの人は山田伸吉、誰それ?という人物なのかも知れない。戦前の松竹座ポスターのデザイナーといえば、思いつく人もあろう。が、今回は全否定。ヲイヲイ、大丈夫か。画家山田伸吉の多彩な一面を知っていただければ幸いである。
詳細は秘守義務ながら、フォーラム(500名)がお得かも。

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カウントダウン

2012-11-20

卒論ゼミ。
「今日は11月20日。(卒論提出日まで)残り50日。毎日、原稿用紙1枚ずつ書いていってもまだ間に合う。頑張れ」とエール。「ひょえっ~!」などとの声あり。

普段はそうした長い文章を書いていないので、「感情や結論じゃなく、証拠や資料提示を述べるんだ」と長くする術を教えたはずだが、まだまだ・・・。「ここで結論でたら、後(残り)どうすんの?」などと。

かくいうこちらも“変化球”で45枚程度という依頼があり、かなり苦しんでいた。学会の投稿規定でも本文・註を含めて20000字以内というのがMAX。だらだらと書くのもどうかと思い、先に刊行されたものをみると、45枚には足らない人も多い。安心しつつ、また“変化球”に苦しみながら、学生に向けた言葉を思いながら脱稿。

偉そうなこと言っているけど、学生とあまり変わり映えはしない・・・。

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高野山麓

2012-11-21

午前中、和歌山県立博物館「高野山麓‐祈りのかたち‐」へ。
高野山を支えたヒンターランドである山麓の文化財展。慈尊院や丹生都比売神社などを含んだ地域なだけに、神仏とも質・量を誇る文化財が残っている。

東寺五菩薩像を彷彿とさせる菩薩像を見ていると、担当学芸員氏は団体の案内中。朝からたいへんである。
法福寺の阿弥陀如来二十五菩薩像は、10世紀の宝冠阿弥陀坐像が平安時代後期に二十五菩薩像が付加され欠失した菩薩像が高野山市左衛門が補作。
あと個人的関心からすれば、写真パネルでの普門院・弘法大師像。長谷川康安作。普門院像は64歳(宝暦10年)で235体目の制作。ところが、佐賀・実相院の弘法大師像は63歳(宝暦9年)で237体目である。まともに考えればおかしいのだが、当人はどう考えたのだろうか。

なにより平安時代の作品がたくさん出品されるなか学ぶべき点もまた多い。「千と千尋の神隠し」に登場するカオナシのような獅子(平安時代)にも苦笑したが、高野山を支えた文化力がよく理解。

かなり遅くなったがその後大学へ。

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メイキング・オブ 展示(その1)

2012-11-22

博物館実習展が終わった後の展示場。
「そのままにしておいてください」と学芸員(博物館)の方に言ってあったので、展示資料が撤去された展示ケースの中にはサイコロ(展示台)がいくつも残る。

順路の順に、展示ケースからサイコロを出して、ここに、この資料を展示して・・・とイメージ。どうすれば、資料が見やすくなるのかと。もちろん図録掲載順に。
高い位置に資料を展示すると、(観覧者の)目の位置と資料は近くなるが、背の低い人には見づらくなるし、まさに“並べている”単調さは免れない。低い位置にすると、「背高」のケースなので、ケース壁面が白く、ぽっかりとした空間が上に出来上がる・・・。
学芸員の方が移動式ケースの件で来られ、試作展示台A(h=150mm)とB(h=300mm)を見てもらうと、やはりAのほうがよいとのこと。しかし、ベースになるサイコロがそれだけ確保できない・・・。やむなく種々物色していると、展示台C(h=200mm)が出来上がった。これならAとの違和感はあまり感じない。
展示台(C)を設置していくと、なんとなく東博の「浮世絵」展示に近い雰囲気に仕上がる。バランス悪そうにみえるが、意外にしっかりしているし、資料も見やすい(はず)。

展示ケースひとつを残して時間切れ(授業のため)。残りは来週に。

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出雲

2012-11-23~25

関西大学古代史研究会の出雲旅行に同行。詳細は後日。

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メイキング・オブ 展示(その2)

2012-11-26

今日から展示作業開始。
男性スタッフに指示しながら資料を並べる。「テキトーでよいから」と。今微調整しても後からどんどんと動く。作品が占める空間が知りたいのである。
展示ケースに数点しかない部分もあるが、気にしない。

独立ケース(行燈ケース)に作品を展示。背面にも文字があるため考慮したのだが、まるで計ったようにぴたりと収まる。油彩で「夜のホテルロビー」を描いた作品だが、褐色系なのでどことなくキリストが登場する晩餐場面が描かれているようでひときわ異彩を放つ。

夕刻に、風呂敷もって図書館の借用に出かける。
画商でも骨董商でも独立起業の当初は、何でも風呂敷に包んで行脚していた。かつて風炉先屏風や掛軸(箱)を包んで「見計らい」で持ってきた骨董商もいた。そうした光景を数多くみていると、風呂敷の扱いひとつで業者の良しあしが判る。よく知る業者が資料を持ってくる時に使うのは隅に「美」と染め抜かれた茶色の一反風呂敷。眩しいくらい誇らしげに見える。

借用資料はそれぞれの位置に並べられ、時には上部の空間を誤魔化す?ために資料を立てて展示する。あまり目線が上下するのはよくないが、そうでもしないと展示にアクセントがない・・・。

6時過ぎには8割がた展示ケースが埋まるものの、窮屈なケースがあるいっぽうで、数少ないケースもある。続きはまた明日・・・。

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 メイキング・オブ 展示(その3)

2012-11-27

朝から展示続行。

甲冑が2領ほどはすっぽり入るであろう、高さ・奥行とも大きい巨大ケースが2列。勝手に“大壁面”と呼んでいるケースをどう扱うか・・・。あちこちの展示ケースで、資料を展示・調整をしながら、考える。
思いついたのは壁面を埋めてしまうということだが、資料は多数のポスター。もちろんピン打ちはご法度。

こういう場合、最近の博物館は透明アクリルの板や棒で壁面の間に挟み込んでしまうという方法を採用するのだが、各ポスターを上下あるいは左右に挟み込むと、アクリル板(棒)の展示会と化してしまう。
そこで考え付いたのが、写真の“三角耳”。さっそく「百均」でカードフィルム(100枚100円)を買って、スタッフに三角形に切ってもらう。裏に両面テープを貼り、ポスターを“貼っていく”。1列1段分だけを貼り終えて授業へ。後は男性スタッフに任せる。

授業終了後、覗いてみると、なかなかよい感じに仕上がる。“三角耳”もガラスケースを通すとあまり目立たない。よい仕事をしてくれたと深謝。

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メイキング・オブ 展示(その4)

2012-11-28

手紙や葉書は基本的に白地なので、白地の展示ケースに入れても目立たない。グレーの低い“サイコロ”を一部では使うものの、適当な高さのものが少ない。そこで黒の画用紙を“座布団”代わりに敷いてもらった。
また書簡の折り目がきつく付いているので、原稿用紙や便箋はすぐに反ってしまう。
一般的には「卦算(けさん)」と呼ばれるガラス棒で押さえるのだが、数が多いので、これまた「卦算」の展示会に陥ってしまう。一部では卦算やアクリルパーツを使ったが、多くの便箋類はやや見づらくはなるものの(鑑賞者の立ち位置と照明の関係)、透明フィルムに入れて展示。原則、展示資料以外のもの(展示補助具)が目立っては困るのだ。

次は額装の作品。環には紐が付いているが、ワイヤーで紐を吊るすと、2日もたたないうちにバランスが崩れてせっかく水平を合わせたのに既に傾いている。ワイヤーのフックを環に直接 懸けると額がきしむ・・・。しかたなくテグスで輪を作り、環に通してそこにフックを懸ける。

後は各展示ケースの微調整。男性スタッフには出来上がった解説パネル(章パネル)を壁面に打ちつけてもらう。これでずいぶん壁面の白地が緩和された。
展示ケースの資料はもう触らない予定。

残す仕事は、キャプション製作、挨拶文と特別資料の展示。そのスペースも確保済。
展示作業中、知り合いの院生(歌舞伎ファン)から歌舞伎の場面(演目)を教えていただく。多謝。

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メイキング・オブ 展示(5)

2012-11-29

朝から展示ケースにキャプションを入れる一方で、撤収(後片付け)作業。

ひと作業を終え、“大壁面”前にソファーを移動。
博物館展示場のソファーは“休憩処”と見られがちだが、実は、担当者がじっくりと見てほしい作品の前に置いてあることが多い。ぜひ座って目の前の作品をみるべしである。
(えっ、この作品?ということもないではないが・・・)。

展示場が円形で、展示ケースが基本的に放射状に並ぶため、それまでソファーがあった中央にぽっかりとした空間ができている。頭で描いたイメージでも気にはなっていたが事務職員氏からも指摘。「なんか立体(モノ)ないの?」と。
そこで独立展示ケースを中央に移動。空間としてはまとまったが、このケースの照明(電源)は・・・?
よくあるのが、延長コードを床に這わせ、ガムテープで貼りつける方法。これだと日を追うごとにガムテープが剥がれて、最悪の場合、来場者が転倒することにも。とはいえ、床の至るところにコンセントがあるわけもない。
上を見上げると微妙な位置にトップライト。脚立に上り、スタッフをケースの前に立たせて、影にならないようにライトの角度を調節。やや正位置からずれるが、天井から照明をとる。

午後には挨拶パネルと特別展示も仕上がり、ひとまず完成。
明日はケース内の埃取りと展示目録作成、夕刻には内輪だけの内見会。
昔取った杵柄ながら、なんとかオープンにこぎつけた・・・。

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過去ログ