日々雑記


フィンランド・デザイン

2013-06-02

午後、1年次生向けの見学会。
今回は、不評の「東大寺・奈良国立博物館」を避けて、大阪市立東洋陶磁美術館「フィンランド・デザイン」展。
参加者は東大寺よりやや多め。

展示は基本的にガラス器中心。これがなかなか・・・。
そもそも、ガラス器がどのようにして出来るのか、原料は何か、着色剤が何かを理解しないと面白くない。学生時代、ガラスを勉強していてよかった・・・。
「真っ白い砂浜の『真っ白い砂』(珪砂)と運動場に引く『石灰』を溶かして・・・」と。後は「型吹きガラス」や「サンドブラスト」などなど。
展示はおもに20世紀以降のフィンランドガラスが主流。自然と家庭内に取り込むデザインは良いのだが、なぜ原色を多用するのかは理解できずじまい。「飽きがこない」とされるのだが・・・。
ポスターやチラシにも使われる『盆栽』。また変わった作品をイメージに使うものだと。

90分ほど鑑賞し、油滴天目茶碗を見て、お茶して解散。

top


ルソン壺

2013-6-3

文禄3年(1594)某日、大坂城西之丸広間にて。
居並ぶ諸大名の前にはステータスの象徴である茶壺(ルソン壺)が50個。すでにに千宗易(利休)が上・中・下と鑑定済。おもむろに利休は「いかがですかな?」と。利休は何と言っても秀吉の茶頭。
ひとり手を挙げて売却成立、続いてもうひとり・・・と、3つ残して完売。(『甫庵太閤記』)

実は、堺の商人菜屋助右衛門(納屋助左衛門)がルソンに渡り、唐傘、蝋燭、生たる麝香ともに購入した「真壺」。現地ではごくごく普通の日常雑器。菜屋助右衛門は差益で大儲け。
こんにちでも、似たような悪徳商法がはびこっているが、専門家でもある千宗易が関与している分、タチが悪い・・・。

いくら茶道具が「唐物」から「珠光青磁」や「三島手」など不良品、日常雑器を茶道具にする流れとはいえ、ちょっとやり過ぎ。秀吉はこの悪事を知っていたともされるが、秀吉は茶器に対してそんなに目が利く人物ではない。

「ものの始まり、なんでも堺」である。

top


マイスの頂上

2013-6-4

こうした利休に対して、興福寺尋尊は「近年新儀ノ道具共用意シテ、高直ニウル、マイス(売僧)ノ頂上也トテ歟」(『多聞院日記』天正19年(1591)2月28日条) と非難。

「新儀ノ道具」とは「惣テ茶碗ハ唐茶碗スタリ、当世ハ高麗茶碗、瀬戸茶碗、今焼ノ茶碗迄也」(『山上宗二記』)を示す。「今焼ノ茶碗」は楽茶碗のこと。
尋尊の茶は、村田珠光以来の「和漢この境を紛らわすこと、肝要肝要、用心あるべきことなり。また、当時、ひえかる(冷え枯る)ると申して、初心の人体が、備前物、信楽物などを持ちて、人も許さぬたけくらむこと、言語道断なり。」(『心の文』)であったのだろう。

振り返ってみると、堺を救った「松島茶壺」と「紹鴎茄子」は今井宗久にとって、すたれた茶道具だったのかもしれない。

top


憂鬱

2013-6-5

朝、新聞を読みながら歯を磨くのが習慣である。
歯ブラシをくわえ新聞を取ると、キッチンの家人、「アンタも気ぃつけや」と。はぁ?

紙面をみると「学芸員、痴漢で逮捕」の見出し。
名前こそないが、所属、年齢、採用年、専門分野までご丁寧に記され、最後まで読まずして、ひとりの人物が浮上。
「友達?」「う、うん。」

若い頃からの友人(学芸員仲間)。「調査で(近世の仏像)入れ食い」とか「『安立町』と読めてしまったのが運のつき」とか、交わした色んな言葉を思い出す。

犯罪に対して憤りを覚えながら「なんで、また・・・」という思い。終日、憂鬱。

top


治承・寿永の乱

2013-6-6

授業(講義)。ようやく「南都焼亡」。
受験で世界史や地理を選択した者は論外だが、なかなかこちらの言葉がうまく伝わらない。「源平の合戦」といってもわからない学生が多い。受験勉強でまったく内容が伴わなくても「治承・寿永の乱」と暗記しているからである。「大化の改新」は「乙巳の変」でもある。

いまや、いたせり尽くせり。参考図書をあげても読まない、(美術全集の)作品も見たこともない、授業も出てこない。それで「試験、どこがでますか?」などとよく聞けるものである。

閑話休題。
反平氏の方針である東大寺や興福寺。平清盛も事を荒立てたくないと思い、妹尾兼康を派遣、交渉事なので軽装備。ところが、興福寺大衆は妹尾の部下60余名を捕えて首を刎ね、猿沢池のほとりに並べた。ほうほうの態で戻った妹尾の報告を受け、「南都焼き討ち」が決定。

「歩みも得ぬ老僧や尋常なる修学者、児共女童は、もしや助かると大仏殿山階寺の内へ、我先にとぞ逃げ入りける。大仏殿の二階の上には、千余人登り上がり、敵の続くを登せじとて、階を引きてけり。猛火は正しう押しかけたり。喚き叫ぶ声、焦熱、大焦熱、無限阿鼻の炎の底の罪人も、これには過ぎじとぞ見えし。」「満月の尊容も、御頭は焼け落ちて大地にあり、御身は熔き合ひて山の如し。」(『平家物語』「奈良炎上」)

焼死者、大仏殿2階1700名、興福寺3500余名。

top


奈良絵本

2013-6-8

東大阪市民美術センター「奈良絵本・絵巻の美」展へ。

素朴な作品から狩野派絵師による本格的な絵巻(「異国」と題された屏風装)まで様々。知らない物語も多数。キャプションには名称だけが記され、まるで絵画史の練習問題である。作品を見ながら、「室町末」「江戸初期」などと(勝手に)想像。
こういったことは調査では日常茶飯事である。

絵巻や断簡には一応の解説書が配布されていたが、屏風や掛幅にはタイトルのみ。もとから掛幅装の作品もあって、「奈良絵本」とは、いったい何かということまで考えが及ぶ。

チラシは「一寸法師」。御伽草子の「一寸法師」はいわゆるジゴロ。家庭環境も大いに影響するが、原文を読めば、これまでのイメージが瓦解すること、間違いなし。

top


田植え

2013-6-10

拙宅周辺では昨日あたりが田植えのピーク。さっそく蛙の声も。

今はほとんど「田植え機」で行うが、どういうわけか曲がっている。「瑞穂」小学校の入学式の児童の列のように見えるのが不思議。
これから秋まで大きくなり、穂先が黄金色になるまでがたいへん。
早くも燕などが水田へ降下。

朝、眺めていると、田植え機は水田の周囲を避けて往復しながら植えていく。ほぼ植え終わると、今度は周辺を2周分植えこんで、既に植えた所を潰さずに田植え機が田んぼに入った個所に到着。
なるほど、と感心。

大学では「私は鳥になりたい」と言いながら、終日書類書き。
このところ、雨が降らずに蒸し暑い。

top


黒田の功罪

2013-6-11

学生発表、藤田嗣治。

藤田は東京美術学校卒業後、パリに留学。
藤田がパリで実感したのは、「我々の美術(西洋油彩画)」のぬるい模倣と堕した日本近代洋画への酷評と日本(伝統)美術への高い評価への現実。前者は黒田清輝らによる“ご指導”の賜物。藤田はパリの自宅に戻って、すぐに「黒田清輝先生ご指定の絵の具箱」を叩き潰したとも。

以後、東洋人・日本人として藤田はパリで活躍。
金屏風のような箔足のある画面や絵巻物の霞を思わせる中にモチーフを描き込む。正直なところ、藤田嗣治の主要作品を見るのは初めてで、これもあれもと日本美術の伝統にのる作品が登場。
発表はここまで。

「某専修の学生に聞かせたい内容ですね。」とコメント。
戦争画には興味はないようで、その後の藤田の動向と戦争画、そしてパリ永住のことなどを補足。
「私が日本を捨てたのではない。日本に捨てられたのだ」との言葉で締めくくる。

21世紀の今日にあっても、黒田流を信じてやまない人がいかに多いことか。

top


安元年中

2013-6-12

午後、野村育世「運慶願経にみる運慶の妻と子-女大施主と阿古丸をめぐって-」(『日本歴史』2013年5月号)を読む。
タイトル通り、女大施主は運慶の妻、阿古丸は、○○丸というのが男の子を示すので後の湛慶(長子)との由。この時、湛慶わずか10歳。
織田信長の長男(織田信忠)は「奇妙丸」、二男(織田信雄)は「茶筅丸」と、今なら信長はかなりDQNな親ということにも。

肝心の「運慶願経」。
奥書によれば、安元年中に法華経書写を発願し色紙工を頼み、沐浴精進して霊水を汲んで準備を整えたが、時を経てしまった(「其後自然送年序」)が、その後、寿永2年(1183)に至り、女大施主・阿古丸の発心を得て、完成。

元号「安元」は元年から3年まで。
運慶は安元元年(1175)11月24日に大日如来像の制作を承り、翌年10月19日に完成し、寺へ奉渡している。法華経書写を発願したのは、円成寺大日如来坐像の制作とほぼ重なる可能性が高い。

その頃、運慶の身に何があったのだろうかと思う。

top


ハルカス

2013-6-13

「あべのハルカス近鉄本店」が先行オープン。
ハルカスは地上高さ300m(地下5階地上60 階建て)。横浜ランドマークタワー(296m)を抜き、日本一高いビルである。

東京スカイツリーは開業前からお祭り騒ぎで、今でも人気は衰えていないが、日本一高いビルのPRとしてはちょっと寂しい。堺屋太一氏も指摘するように、大阪の弱い発信力をみる思い。

この16Fには「あべのハルカス美術館」が入る。開館は来年春。
国宝・重要文化財も展示可能な美術館で、名誉館長は蓑豊氏、館長には浅野秀剛氏(大和文華館館長)で、ともに兼務。
学芸トップも高層ビル内での本格的美術館運営を手掛けた某氏が就任している。

美術館閉館の話題が多い大阪、久々の朗報。後はどれほどの人が入館するのかが問題。
今度は大阪の文化力が問われることに。

top


かりゆしウェア

2013-6-14

大阪は猛暑。昨日に引き続き、最高気温35度。那覇は梅雨明けしたといえども32度。
那覇で夏(休み)用に買った「かりゆしウェア」をさっそく着用して講義に臨む。大学教員は基本的にドレスコードはない。

「オスプレイ、反対。沖縄県知事の仲井真です。」と講義冒頭に笑いをとる。(←服で笑いをとるとはサイテー)
後は普段通り、淡々と授業。

自分で言うのもなんだが、見た目も実感としても非常に涼しげである。過日もK書店の営業さんと話をしていたのだが、大学や大阪で見る限り、若い男ほどファッションには弱い。シャツをだらしなく“アウト”するか、あるいはファッション誌から抜け出したような「いでたち」で現れる(残念ながら、基板が違うので自ずと“服が浮いている”)。あるいは炎天下、汗を拭きながらもスーツといった塩梅。

流行というものは、些細な部分やシルエットの移り変わりであると言ったのは高名な彫刻史研究者。ただし母集団が異なると、そうした変化を理解するのは難しい。女性は、常にそうした微細な変化を敏感に感じながら生活しているが、男性はかなり鈍感。極端でないと理解できない。

多くの女子学生(受講生)を前に、「百貨店の1階で皆さんが、彼氏に口紅の色を聞いても無駄です。皆さんにとって微妙な、しかも重大なピンクのバリエーションも彼氏の目には全て『ピンク色』にしか見えていません。『どれも一緒やん』と一言で終了~!です。」

美術を支えてきたのはいつも女性であるとの思いもひとしお。

top


アカマツ

2013-6-15

久しぶりの雨。

過日、お会いした研究者(植生学)(ご自身曰く「木を切れという植生学者」)の話が興味深かった。

史跡などに伴う本来あるはずのない樹木は大いに伐採すべきであると。
例えば、城郭は本来は見通しをよくするため、郭内には一本の木もなかったはずで、今や伸びた幹や枝で石垣を崩したり屋根を壊したりで文化財破壊の元凶になっている。「大径木」になると感情論が先行してなかなか切れなくなるが、切れるうちはどんどん切ったほうがよいとの由。

大仙古墳も明治初年には墳丘に木がなかったことを告げると、「それこそバッサリ切るべきです。」
木が生長すると根が広がって墳丘内部を壊し、台風で倒木すると根元が浮き上って墳丘も崩れるという。むしろ寺社境内地に本来からあった木を惜しげもなく切りながら、「都市のなかの緑を守ろう」という論理は、実は(文化財の)破壊行為を傍観しているだけである。
植生学では、アカマツはハゲ山の植生が回復する初期に生じる樹木で、もともと「ハゲ山」であった古墳の墳丘にアカマツが生じるのはごく自然であるそうな。

この際、古墳の木はすべてばっさりと・・・。

top


オープンキャンパス

2013-6-16

再び猛暑のなか、今年第1回目のオープンキャンパス。
文学部相談コーナーに座る。執行部が気を利かして?「文学部 総合」の窓口を作ったので、長蛇の列を眺めながら、こちらは閑古鳥。
失礼ながら、高校生や父母からの質問ぐらい誰でも対応可能と思うのだが、並ぶ方はそうではない様子。

初等教育のシステム、英米文学・英米文化(加えて外国語学部)の違い、社会学部と文学部の心理学の違いが「質問御三家」。もうQ&Aでも作って配布するなりすればよいのに。午後、飯抜きで対応している執行部をみかねて「芸術学美術史」のボードを伏せる。

英語はしょせんツール(道具)。英語を使って何をするんですかと、問い詰めたかったが、自宅を出る前に家人・娘から厳しく、厳しく説諭されたので、無難な回答に終始。よもやコミュニケーション能力を高めて「趣味は何ですか」「日曜日には何をしていますか」と問うわけでもあるまい。
「何が学べますか」と聞く前に「何が学びたいのですか」と問うてもみたかったが、これも禁句御法度。

2~4年までの各専修での必須科目(縛り)が14単位+卒業論文。卒業単位は124単位。わずか1割の科目(専修)で必死になっている姿は痛ましいほど。専修提供科目をすべて取っても卒業できないことをはっきり伝えるべきだと思うのだが。

top


マゼラン・チェスト

2013-6-17

「マゼランの櫃」(マゼラン・チェスト)がフランスで発見され、アムステルダム国立美術館が9億5,000万円で落札したとの由。授業にも登場するおなじみの箱で、とうとう見つかったのかとの思い。

1640年代に作られ海を渡った日本漆器。フランス王ルイ14世の宰相 マザラン枢機卿が所有していた2個1対の櫃。ひとつはイギリス・ヴィクトリア&アルバート美術館に収まったのだが、もうひとつは1916年のオークションカタログを最後に行方不明。それが今回見つかった。

海を渡ったJAPANとしては南蛮漆器が有名だが、平蒔絵、螺鈿を主とした簡略な技法。これは南蛮船の停留期間に大量の発注がなされたためとみられる。鎖国後、長崎・出島にオランダ商館が出来たので、オランダ側は日限を切らずに発注することが可能となった。京都の蒔絵師がじっくりと時間をかけ様々な技法を駆使した上質な作品がヨーロッパにわたる。

授業で使うスライドもさっそく変更。

top


モノクロフィルム

2013-6-18

業界では名だたる業者さんと雑談をしていて「関西でモノクロフィルムの現像所はもう数えるほどになってしまいました。(こっそりと)うちも外注してますから・・・」。今、36枚のモノクロフィルムを現像・紙焼すると2500円ほどになるらしい。

前々から少し気になっていたことがある。埋蔵文化財にしろ博物館資料にしろ、10年ほど前までは、モノクロ・ポジフィルムが主流。埋蔵文化財センターや博物館などには大量のモノクロ・ポジフィルムが資料用、記録用として保管されている。
紙焼があればスキャナーしてそれを保存することが出来るかもしれないが、当時のモノクロの紙焼はベタ焼が基本。むぅ・・・。

「近い将来、モノクロフィルムはガラス乾板と同じような扱いになるでしょうね」とも。

ことは重大。今更、自己現像するにも設備もないし。あっても廃液の問題も・・・。

top


天人五衰

2013-6-19

聖衆来迎寺《六道絵》「天道幅」。

天道での庭園を散策したり、舞台での舞を踊ったり、池で沐浴したり(日本最古のヌードか)と、蝶よ花よと楽しみながら天女は時を過ごしてきたが、死期が近づくと冠の花飾りも萎れ、加齢臭を放ち、日々の生活も楽しくなくなってくる。
中央に描かれた片肘をついて嘆息をつく、老齢なる天女はその行く末である。左に描かれた天女は鼻を押さえ、老いた天女はそのことを気にも留めていない。中央の宮殿には主(帝釈天)のいない、空の玉座だけが描かれる。

つまり、天道は天女、天人の世界ではなく帝釈天の世界であるのだ。
男性目線で描かれた天道世界ながら、現実にも起こりうる光景。

top


女子会

2013-6-20

授業では「屏風」の話。狩野秀頼《高雄観楓図屏風》。

橋を渡った5・6扇では男どもが酒を囲んでのバカ騒ぎ。1・2扇では女性と子供たち。乳飲み子に乳を含ませる女性も。話しながら、「なんで男女が分かれているのか」と疑問。1・2扇は女子会?

スライドには登場しないが、狩野長信《花下遊楽図屏風》右隻も女子ばかり。

女子会の起源もこのあたりにあるのかと思ったり。

top


関東地方の仏像

2013-6-22

佐野公民館で講座。今回のテーマは運慶・快慶を軸にした「鎌倉時代の仏像」。
常連の方や初めてお越しになる方もあり、以前ざっくりと鎌倉時代の仏像について話をしているだけに内容もひと工夫。

瑞林寺地蔵菩薩像や願成就院、浄楽寺の仏像も登場するのだが、反応はいまひとつ。

運慶の名は知っていても伊豆・韮山や横須賀の仏像は知らないのが当然。もとより興福寺や高野山の話が関心を呼ぶ。
日頃からあちこちで仏像を見ているだけあって、関東の仏像の話題はさほど・・・。北円堂や南円堂の仏像のほうが関心は高い。

講座終了後の質問で「(関東地方の(慶派仏師の)作品は、見学することができるのですか」と。
次回、追加資料(見学案内)を配布。

top


福田曽平

2013-6-25

(備忘録)
愛媛県松山市太山寺本堂厨子側板墨書写
天保12年(1841)
「天宝第十二竜舎<辛丑>年春従三月廿一日至四月廿五日、奉開扉本尊再興京師大仏師一運法橋末福田曽平修復畢」
『愛媛県史資料編 古代・中世』p873

top


どちらが子供なのか

2013-6-26

民間公募の大阪市立小学校校長が昨日付で退職。
「今の学校の課題は基礎学力の向上だった。英語教育に力を注げる環境ではなかった」とか「若いからといって、各学年1学級しかない小規模校に配属され、給料も経歴に関係なく最低級。年功序列だ」などとと説明。

あきれるの一言。
市教委も「経歴も能力も、グローバルな人材育成という市の教育方針に合致していた。」とはいうが、教育というのもを全く理解していない。

企業も「グローバルな人材」を求めすぎると、こんなトンデモ人材がやってくる。
「挨拶と礼儀、一般常識さえあれば後は努力次第。給料日になって『こらっ、そこの(窓際の)主任!新聞読んでて、その給料はなにごとや』って普通言いますかね。」とは営業に来られた方の弁。

あとは「維新の会」から議員にでも立候補すれば。でも「給料も経歴に関係なく最低級」って言いかねないか。

top


評価

2013-6-28

仏教彫刻史の授業。2時限(午前中)、30名ほどが受講する講義。
この時期、恒例の「授業評価アンケート」。マークシート用紙は回収後そのまま学内某所に運ばれるが、「自由記述用紙」はこちらの手元に。

授業後、見てみると「静か・図版多数・丁寧」とあって気をよくする。
各タイトル?の下にコメントが付され、「大人数(の講義)がよいとは思わなくなりました」などと。

1時限目終了後、大教室から吐き出される学生をかき分けながら教室に行くのだが、書いた学生もその中にいるのだろうかと思う。

top


癒し

2013-6-29

佐野公民館講座2回目。もっぱら興福寺と東大寺の再建。
終了後、受講者の方とボストン美術館弥勒菩薩像について「あの初々しさがいいんです。見ているだけで癒されます。」などと雑談。

「この表情、実に上手ですね。見ているとホント癒されます。」などと口走ることもあるが、実のところ、仏像を見て癒されたという経験はあまりない。

過日もゼミ生が最終面接で落ちて(自分でも理由は分かっているらしい)、「仏像を見に行き、とても癒されました」と。
興福寺へ行ったようだが、肝心の堂や仏像の名前を覚えていなかったので、「“仏像”じゃないの?」「はい。お坊さんでした」「立っていた?座っていた?」「立っていました」と聞き出す始末。
挙句の果てに手に包みを載せるポーズまでして「これか!」「それです!」と。無著像か・・・。

仏像を見ると、色々と考えるためか、雑念が多いのか分からないけれど、「癒される」までには至っていない・・・。

top


六波羅蜜寺・建仁寺

2013-6-30

3回生の見学会で六波羅蜜寺・建仁寺へ。見学先は私のチョイス。

四条から六波羅蜜寺に向かって歩くと「ゑびす神社」に「茅の輪」がある。今日は夏越祓。「今日は1年のちょうど半分。心も体もリフレッシュ」などと説明しながらみんなで「茅の輪」をくぐる。

六波羅蜜寺。宝物館には薬師如来坐像・四天王像をはじめ地蔵菩薩立像(鬘掛地蔵)、弘法大師像(長快作)、空也上人像(康勝作)、京都市内に現存する唯一の運慶作品である地蔵十輪院地蔵菩薩坐像、運慶・湛慶像など、平安・鎌倉時代の名品が揃う。
他の人もいるので、小声でひとつづつ丁寧に説明。空也上人像のところで係の人が「仏像を勉強している学生さんか?」と聞かれて「仏像をやっている私の授業の学生です」と答えると(このあたりがツライ)、小さな懐中電灯を貸してくれ「玉眼の説明を・・・」と促される。上から光をあてて説明。
康猶の「奪衣婆像」や井伊直政像も個人的に関心はあるものの、今日は封印。

しかし、入口横にある京都・観音寺十一面観音像(奈良時代)を模した銅像はなんとかならないものか。本尊が秘仏なので多くの人(学生も)が本尊もこれだと思ってしまう。「ぜんぜん、違いますっ!」

見学とはいえ1時間以上も立たされている(?)と学生はしんどい。建仁寺へ向かう。
境内を歩きながら、塔頭と方丈の説明。

方丈の襖絵(海北友松)はほぼ高精細複製品にかわり「撮影可」となっている。橋本関雪の作品は眠蔵の「深秋」ぐらい。広縁では、学生たちが休憩。

その後、潮音庭、大書院や「○△□乃庭」を回遊。唐子の間は写教場となっている。田村月樵「唐子遊戯図」。正面には読書をする唐子や絵を描く唐子が描かれる。学生は「○△□乃庭」に関心。
その後、法堂に行き、建仁寺いち押しの小泉淳作「双龍図」や仏像を拝観。学生から建物構造(「斗?(ときょう)」の質問あり。両手を使って肘木と升について説明。

夕刻、雑踏の四条に戻り解散。

top

過去ログ