日々雑記


松本楓湖

2014-02-01

稲敷市歴史民俗資料館から買った図録に「松本楓湖展」がある。同資料館の前身である「東町立歴史民俗資料館」から平成10年に出されたもの。電車を待つ間、頁をめくる。

松本楓湖は菊池容斎に師事した歴史画の大家。
授業でも《八岐大蛇》《日本武尊》などでおなじみの画家で、かたや「安雅堂画塾」を開き、ここから今村紫紅、速水御舟、小茂田青樹などを輩出した。彼等は自主研究会「巽画会」を結成。

こうしたことから松本楓湖はてっきり「旧派」に属すると思っていたが、明治31年(1898)、岡倉天心の日本美術院の創設に「正員」として参加、橋本雅邦と審査にあたっている。紫紅、速水御舟、小茂田青樹からみれば、師弟ともども日本美術院に入ったということになろうか。明治40年の文展でも横山大観、竹内栖鳳らとともに審査員でもある。
天心と楓湖との出会いを知りたいと思いつつ、ちょっと認識を新たに。

今日から入試。

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パクリ

2014-02-02

居並ぶプロパーを前にしてズブの素人が延々と熱弁をふるう。
はぁ?と不思議に思っていたが、疑問氷解。“パクリ”だったのか・・・。
うちらのギョーカイ、“パクリ”“二番煎じ”はあかんねんで。

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入試に出ない日本史 その1(寛喜の大飢饉)

2014-02-03

入試期間なので勝手に問題作成。

『吾妻鏡』寛喜2年6月11日条には武蔵国金子郷(埼玉・入間市)で「雪交りの雨降る。また同時に雷、雹降ると。」との記事。16日にも「去る九日辰の刻、当国(美濃)蒔田庄(岐阜・大垣市)に白雪降る」。同7月16日には「霜降る 殆ど冬天の如し」。8月6日には「甚雨、晩に及び洪水」、8日は暴風雨で「草木の葉枯れ、偏に冬気の如し。稼穀損亡す」。
この年の冬、『立川寺年代記』にはコオロギやヒグラシが鳴いたと記され、『明月記』には11月に諸国の麦が多く熟し、食用に用いられているとの噂さが伝えられ、定家自身、11月21日に麦の出穗を自ら見て、桜花開き、竹林には「筍」が出て来、郭公までが鳴き出し「如三月許」と驚き「草木之体今年多有非常違例事、尤可怖事歟」と述べている。この年は「客星出現」など天変も。翌年は大飢饉や地震。

こうなれば、座して飢えて死すよりも妻子や自分自身までも売却・質入。今でいう貧困ビジネス。「人倫売買事、禁制重畳、而寛喜飢饉之時、被相宥歟。」(『御成敗式目』追加法115 延応元年(1239))「而寛喜飢饉之境節、或沽却子孫、或放券所従、充活命計之間、被禁制者、還依可為人之愁嘆無沙汰之。」(同追加法142 延応2年)と幕府も容認。

さて世情が落ち着くと、妻子や自分自身を買い戻さなくてはならない。
寛喜三年餓死之比、為餓人於出来之輩者、就養育之功労、可為主人計之由、被定置畢。凡人倫売買事、禁制殊重。然而飢饉之年計者、被免許歟。而就其時減直之法、可被糺返之旨、沙汰出来之条、甚無其謂歟。但両方令和与、以当時之直法、至糺返者、非沙汰之限歟。(追加法112・延応2年5月1日)
寛喜3年の大飢饉の時には非常時の措置として認めた人身売買だが、今はアカン。とはいえ「減直之法」(飢饉当時の売価)で買い戻しを求めるのはいわれがない、と当時の売価か時価かで争い。ただ双方合意の上で「当時之直法」(延応元年の相場)で買い戻すのは差し支えないと。

下線部の頃に造られていない彫刻は次のどれか。
(1)富山・立山博物館男神像(2)山梨・福光園寺吉祥天・二天像(3)奈良・法隆寺金堂阿弥陀如来像
素人が作るとこうなる・・・。

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入試に出ない日本史 その2(請医一件)

2014-02-04

承暦3年(1079)11月、高麗国礼賓省(外務省)から日本商人(「商客」)王則貞を通じて大宰府へ一通の書状。
「王(文宗)は数年前から風疾(中風)を患っているため、名医を送ってもらいたい。治療に効があれば褒賞を与える。まずは錦と麝香を送り、信頼の象徴としたい」との内容。書状は翌年2月に京都へ送られ4月からたびたび陣定(朝議)。(『朝野群載』)

当初は派遣の方向。しかしながら文面が「奉聖旨訪問貴国」と“上から目線”。「医師を派遣して治療が無ければ国の恥ではないか」「高麗王が死しても、日本には何の問題も無い」(源俊実の発言・『続古事談』)と方針変更。ついには関白藤原師実の夢枕に亡父頼通が立ち「反対」と告げたことで(!)、派遣しないことに。

困ったのが返諜(返信)。起草者の大江匡房は書状の文面が故事にそむくとか、一商人に託された私信であるとかゴネた文面を作成。11月に発送。文宗は1083年に亡くなる。

下線部の一族とみられる名を記した仏像は次のどれか。
(1)兵庫・東山寺薬師如来像(2)福岡・観世音寺十一面観音像(3)奈良・福源寺薬師如来像

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入試に出ない日本史 その3(黒船来航)

2014-02-05

「泰平の眠りを覚ます上喜撰たつた四杯で夜も眠れず」と狂歌にも詠まれた黒船だが、「上喜撰」(蒸気船)は2隻しかなかった。しかも燃料は石炭であったため、7日間ほどしか搭載できず、また燃料節約のため帆走することもあった。そのため大西洋・インド洋をまわって「黒船来航」。

1852年5月17日、上海を出たペリー艦隊は5月26日に那覇沖に停泊。6月6日に現那覇市泊に上陸、琉球王府は摩文仁按司を架空の「総理官」に仕立て対処。ペリーは首里城訪問を打診し武装解除したペリーと士官のみが入城。出迎えたのはわずか10歳の国王尚泰。
北殿で茶と菓子程度でもてなし、開国を促す親書が手渡される。その後、大美御殿で酒と料理で供応したが、グレードは冊封使以下。友好的に振舞いつつも下位の料理は拒絶のサイン。外交の常套。それでもペリーは感激したらしく王国高官を蒸気船「サスケハナ」に招待し、同行のフランス人シェフの料理を振舞う。
しばらくペリーは小笠原や父島を訪れ(貯炭地設置のため)、7月2日に那覇を出港、7月8日に浦賀沖に現れる。

ペリー一行が訪れた城(グスク)は次のうちどれか。
(1)今帰仁城(2)勝連城(3)中城城

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2014-02-07

大阪府は狭いようで広い。大学(吹田市千里山)で雨が降っていても自宅へ戻ると月夜で、路面も濡れていないことがある。比較的温暖な自宅周辺なので逆パターンは少ない。

大学を出る頃は寒さ厳しいぐらいで何ともなかったが、淀川を越える頃から外は雪や霰。寒いはずだと思って電車を乗り継ぎ、大和川を越えるとよこなぐりの“吹雪”。あらら・・・。

玄関で雪を払うと、「えっ、ユキ!」と一目散にベランダへ出て、雪景色を眺める女性陣。白い甍を眺めながら「テンション、マックスやわ」などと。君らは童謡に登場する「犬」か・・・。
まるで与謝蕪村《夜色楼台図》をみるよう。

時ならぬ“雪国”出現。

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源氏物語手鑑

2014-02-09

昨日より久保惣記念美術館で「(平成25年度)重要文化財指定記念 麗しの源氏絵-土佐光吉の細密画-」が開催。

周知の通り、いくつかの画面には「土佐久翌」の印が押され、土佐光吉の制作による。詞書筆者は18名の公家衆からなり、このうち半数は血縁や姻戚関係。
『言緒卿記』慶長17年(1612)7月30日条に「先度従中院少将来ル石川主殿(忠総)源氏ノ色帋書候而遣了□ 一 花散里… 一 わかな… 一 はしひめ…」とあって「…」が久保惣本と合致。加えて『言経卿記』慶長11年5月15日条には、冷泉為満邸で月次和歌会の記事。参席者は庭田重定、四条隆昌、烏丸光広、船橋秀賢、冷泉為頼らと石川忠総。
「源氏学」の権威 三条西家の実条も加わり、かくして石川忠総が製作依頼し、中村通村が斡旋、土佐光吉画、公家衆18名の詞書からなる「源氏物語手鑑」が慶長17年に完成。
徳川方の「源氏物語」制作(しかも土佐派による)は新たな時代の幕開けを告げている・・・。

展示替(前期は3/2まで)もあって、この展覧会用のフリーパス券も発行。見咎められるかもしれないが、虫眼鏡は必携の由。(古地図コーナーに常備の虫眼鏡を持ってくるのはさすがにはばかられる・・・)
なにしろ光吉は最新の虫眼鏡を使って描いたとも・・・。

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保護・修復

2014-02-10

JCPによる本学での「文化財保存修復セミナー」の案内。

内容はいまひとつ。座学39時間、見学は民博3時間のみ。「大学生で文化財保護に強い関心を持ち学ぼうとする者」と謳うが、どれほどの(潜在的)学生がいるのだろうか・・・。

それぞれ様々な思惑があっての開催だろうが、それこそインターシップで各修復保存工房へ1ヶ月でも送り出すほうが、よほど現実を知ることになろう。
日本での修復作業は正座が基本。まず2時間の正座に耐えてこそ第1関門突破・・・など、もってのほか(正座は体罰に抵触する可能性大)。もとより、こういう「職人気質」は今の教育機関に向いていないことは自覚済。
屏風一隻、掛軸一幅、触ったことのない、もっと言えば、日本画と洋画の制作技法や用語の違いもわからない学生や大人(過日、日本画で「『支持体』は何ですか?」と尋ねて来た現職が居た。「『紙本』ですか?『絹本』ですか?」と聞けばよいものを・・・)をどう育てるのかわからない。

大人おひとり様20,000円也。(「セミナーの詳細」(国際文化財・文化研究センターHP)では「参加費無料、参加予約不要」となっているが、これはきっと間違い)
早くも混乱気味。

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御礼

2014-02-11

(大学)図書館には「相互貸借」という制度がある。他大学図書館の書籍をうちの図書館へ送ってもらって閲覧できるシステム(要送料)。ところが、「雑誌」は相互貸借の除外(当該頁のコピーは可能)。どうしても雑誌(研究紀要等)が見たいとなると当該図書館に出向くしかない。
それで夜行バスで山形・東北芸術工科大学へ。

朝、山形駅前に着き、ひとここちしていると駅前に「芸工大行」の直通バス案内をする女子学生。父兄や学生に混じってバスに乗る。芸工大に着くと「東北芸術工科大学 卒業/修了研究・制作展」。
本日から開催。

美術史の発表もあるが(こちらも卒論コピーを持参)、保存修復の発表が始まるまで展示された修復作品を見学。18世紀後半の大日如来像や草花文のモスリン染めを表装にした涅槃図等々。そろそろ保存修復の発表があるだろうと会場へ向かうと、N先生とばったり。

そこでO先生やM氏を紹介され、そのまま発表会場から文化財保存修復研究センターへ案内される。いや今日は資料のコピーで・・・。
色々と修復資料を見せていただく。お昼に蕎麦をごちそうになり、研究紀要もいただく有様。その後、(発表も終わってしまったので)図書館でいくつかのコピーを取り、いったんホテルへ。

夕刻はN先生やY先生、A氏らと一献。手紙や抜刷だけでお会いしたことのない方の名前が続々。楽しいひと時を過ごす。

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再び修復のこと

2014-02-12

好天。昨日に引き続き「芸工大」。掛幅の修復発表を聴講。発表者(修復者)は主に学部4回生。

発表を聞きながら、いくらプロの指導教員がいてもこれは大変(「胃が痛い」)という印象。修復資料は各寺社などから預けられた資料。もちろん学部生であっても「あぁ゛~失敗」では済まないし、大がかりな修復ではなかなか技術が追いつかない。とはいえ、補助的作業だけだと学生はスネる(うちの場合だけど)、その兼ね合いが難しい。
それでもモスリン染めを表装にした涅槃図(2900×1800mm)は学生2人によるクリーニング、剥落止め、折れ伏せ、表装一式の補強、太巻芯の作成とひと通りのことを行っている。
聞きながら感嘆の連続。
関西にもこういうところがあればと思いつつ、やっぱりまずは正座だなと思う(東洋絵画修復室はやはり畳敷きであった。立体彫刻は板間)。

その後、再び図書館。うちとは違い、図書記号700番(芸術)の書籍がズラリと並び圧巻。その後も山形市立図書館。要領が悪いとも見えるが、思わぬ書籍を見つけ思わぬ発見をすることがある。

食事を済ませ再び夜行バス。窓すべてがカーテンで閉め切られており、どの道を通って山形に来たのか分からずじまい。

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リアリティ

2014-02-14

昨夜より雪降り続き、おもわぬ積雪。バス50分、電車40分遅れで大学。会議あり。

バス停で来る気配すらないバスを待ちながらも、緩やかな群れとなって無言で立つ人、スマホを触る人など、それぞればらばらの状態。道路でも自転車で転倒する人、ノーヘルでバイクを運転する若者などがいる。これがリアル。
例えば、この光景を映画のワンシーンに見立てると、バスの標識を先頭に全員同じ向きに一列に並んで、それぞれの所作を行うという風になるだろうが、こちらは「リアリティ」。
写真も同じこと。入江泰吉の写真にはゴミどころかホコリひとつ落ちていないという。

そう思っていると、ようやくバス到着。
普段より倍ほど時間がかかり、会議にギリギリセーフ。

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口頭試問

2014-02-15

朝より口頭試問。今年は芸術学美術史のみの主査、副査。
それでも終了は18時過ぎ。

以前は、哲学倫理学、比較宗教学の副査というものが芸美の試問の間にあって「専門外ですが・・・」と“息抜き”(失礼!)もあったのだが、美術史や芸術学だけだとそれはそれでしんどい。哲・宗の論文題目をみると「AKB」やら「廃仏毀釈」などもあって、それはそれでなかなか良かったなぁと懐古する。

終わるとさすがにぐったり。

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蓮弁

2014-02-17

過日、見た大日如来像の蓮弁が気になる。

江戸時代後期の蓮弁は、教科書でみるようにシャープな形にはなっていない。蓮弁の両端が外側にくるっと折り曲げられている。

江戸時代後期ということは理解できるものの、いつ頃からこうなったのかはあまりわからないし、なぜそういう流行になったのかも不明である。
ひとつ考えられるのが、蓮弁を1枚ずつ彫って、膠で貼り付けていくという手法を採用しなくなったこともあるだろう。現場でよく蓮弁がいくつか脱落した台座を見かけるが、そうしたことを防ぐためなのかも知れない。

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おまかせ

2014-02-19

昨日、今日と事情あって写真撮影の立会い。
バック紙の前であれこれ資料をレイアウトし、仮撮影を確認し、本撮影の間、次の資料の配置を考える。時にはテーブルに資料を並べて指でフレームを作って覗く。そしてそのままバック紙の前に置き、カメラマンの小修正を経て撮影。
時には資料のサイズや立体、平面を考え、どのような順番で撮影するかを相談。

「ボクらもプロですから、(資料が出てきて)「はい、お願い!」って言われると、一応、取りますけどね・・・」と撮影後の雑談。
「(仮撮影)後で、『ちょっと(資料の)配置がおかしい』とバック紙の前で小一時間ほど、右往左往するんでしょう」と私。「立体ならなんとか取れるんですが、平面だと加減(ビューポイント)がわからないです、ボクらは」。

「助かりました」と言われ、「おまかせで文句を言ってきても『そんなんしらんわなぁ』」とカメラマンを擁護。最近多いらしい、この手の人が。

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入道

2014-02-21

とある文を読んでいたら、(近世仏師が)仏門に入り『入道』と称したと書かれていた。辞書では「入道」とは剃髪を意味するらしい。転じて仏門に入るとも。

このあたり、実は難しい。「康猶」などの仏師名は法名。形式的には準僧侶扱い。職人尽絵でも頭巾を被った大仏師がみえ頭巾の下はもちろん剃髪。
東寺大仏師職である志水某は東寺へ継職願いへ行ったが、 有髪であったため「髪、剃って出直してこい!」と怒られる始末。逆にみれば有髪で法名(仏師名)を名乗る者もたくさんいたはず。

法橋左京入道(東京・実相院 薬師三尊、十二神将像)、緒方久高入道(肥後)、左京入道勅法印康祐、入道康甫(高知・釈迦如来坐像)、心月入道(肥前)、伊豫入道宗悦(鎌倉)、田中主水入道康朝(浪花)などなど。
単に年老いて頭をまるめただけなのかもと思ったりするが、「入道」と称する仏師は何かの事情があったのだろう。

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微妙

2014-02-22

学部が済んで、今度は大学院。過日は口頭試問、今日は大学院入試。

来月22日には「あべのハルカス美術館」がオープン。開館記念特別展は「東大寺」展。
む~ん、微妙(それでも見に行くが・・・)。大阪市立美術館では4月8日から「山の神仏展」も。

もっと微妙なのが、それから。「ミラノ ポルディ・ペッツォーリ美術館 華麗なる貴族コレクション」「デュフィ」「新印象派 光と色のドラマ」「高野山の名宝」と。
大阪のおばちゃんメインと割り切っても、微妙。もうちょっと、度胆抜くような展覧会が並ぶのではと期待したのだが。

(近鉄)いっぽうの雄?大和文華館は黒川古文化研究所・泉屋博古館と連携して「松竹梅」展。「歳寒三友」ということなのかと合点(何が寒さなのかは言わずもがな)。

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大捜索

2014-02-23

3月に新しいパソコンを投入予定。
老眼のためにラップトップの画面では作業がしづらくデスクトップ(やや大型モニター)に変更。導入が決まって気になることがひとつ。

パソコンには今繋いでいるスキャナーとプリンターを接続する予定。ドライバーはダウンロードできるものの、それぞれの付属品であるCDが見当たらない。CDがないと繋がらないのである。
ともにかなり以前に購入したシロモノ。
私のような人もいるらしく、メーカーではCDを販売しているが1枚4~5000円もする。

そこでCDケースはもちろん、ここにもない、あそこにもないと大捜索する羽目に。
ようやくのこと1枚(スキャナー)見つかり、残り1枚も書籍の間から出現(なんで?)。
これで準備完了。

見つかった後は原稿の校正でもしようと考えていたのだが、大捜索で疲れたので帰宅。

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何乎望無知者

2014-02-24

洋風画家のひとり司馬江漢は多くの富士山図を描いているが、《駿州矢部富士図》(個人蔵)に面白い款記が記されている。
昔雪舟遊于支那而所画冨嶽景何乎望無知者
余登於駿陽矢部補陀洛山上始観之
(昔、雪舟の支那に遊びて画くところの富嶽の景、何(いづ)れより望みたるか知る者無し。余、駿陽矢部補陀洛山上に登り、始めてこれを観る)
雪舟が描いた富士の絵がどこから(見た)描かれたのか知る人はいなかったが、久能寺観音堂に登って初めて分かった。ヤッター!とは近年の解釈。
従来は「何乎望無知者」を「何をか望まん無知なる者」とし、目の前にそびえる富士山(の実景)を見ずに雪舟は富士の絵を中国で描いたというのだが、バッカじゃねーの と読み(読めないが)、たいていは永青文庫 伝雪舟《富士三保清見寺図》あたりが提示される。

実景を目の前にしたいつわざる発見の感動。
「ネット(画像)ではだめですか?」っておかしいと思わんか。(とぶつぶつ・・・)

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アリバイ横丁

2014-02-25

梅田のアリバイ横丁が歩道拡張のため無くなるという。

関西以外の方に説明しておくと、大阪駅前の阪神百貨店前地下通路に各都道府県の名産品が売っている。そこで「出張」と偽ってムフフ・・・となって、自宅には出張先でさも買ってきたかのようにお土産が・・・というのが世間の誤解。正しくは「阪神百貨店ふるさと名品街」。
ちゃんとしたコーナーや店舗ではなく、間口シャッター2枚分、奥行60センチほどに各道府県別に名産品が並ぶが、今はわずかに3、4県。

少し行くと、古書の「萬字屋書店本店」。店頭ワゴンに並んだ端本を漁っていた頃が懐かしい。
しばらく進むと、昼から酒の匂いが漂う、立ち飲み串カツ屋の「松葉」(もちろん二度づけ厳禁)。横の階段を上がればJR大阪駅に。

昭和の大阪がまたひとつ消える。
消えるたびにランドマークを失い、梅田で迷子になることおびただしい地元民。

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墨菊図

2014-02-26

会議ディ。

会議とはまったく別の話だが、額のマットに黒色やグレーを使おうとしたら、「黒は葬式を思い出すので、アカンらしいのです」と。バカも休み休み言えと思ったが、昔、「墨菊図」を展示したら、こんな「悲しい」絵は見たことがないと感想を述べていったおばさんがいたので、 そう思う人(クレーマー)もいるだろうと、躊躇。
「“お迎え”が近いから、そう連想するんや」と思ったものの、美術鑑賞以前の問題であほらしい限り。

大阪の資料館、博物館の端境期 恒例展示「どき」「はにわ」展なんかどうなんねん。「木棺」や「埴輪」、時には「歯」などを展示しているが、クレームなんか聞いたことがない。そやのになんで「墨菊図」や黒・グレーのマットがあかねん。

大阪の文化不毛はもはや伝統と化している。

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東京出張

2014-02-28

月末。大学御用で東京出張。

昨年4月に新装あいなった歌舞伎座タワーにギャラリーがオープン。冬の企画展「歌舞伎 雪景色から早春へ」展を見学せよとのご下命。大学もいろんな仕事がある。
地下の木挽町広場(物販関係)や1階正面玄関も大賑わい。同じご下命を帯びた者を正面玄関で待ち合わせすると、「本日休演」の札。 ギャラリーは休館?といぶかりながらも人の多さに驚くばかり。観客も「見る人」という客体ではなく役者同様に芝居を担う大きな主体者のひとつであることを実感させる。

ギャラリーに入るとご下命の意味がわかったが、正直、さほど参考になると思わなかった。実は同じようなことを既に行ったことがあるが、お気づきでなかったらしい。 限られた資本をどこに投入するかで、内容はよくも悪くもなる・・・。ギャラリーの展示はそれを教えてくれるよう。
それでも、小1時間ばかりあれこれ“見学”し、その後、東京国立近代美術館フィルムセンター「小津安二郎の図像学」展へ。今年は生誕110年、没後50年。学生の姿もちらほら。

平面資料の展示方法が有益。基本は“立てる”。
小津安二郎の映画にはさりげなく名画名品が登場するらしく、岸田劉生《小流春閑》や會津八一《秋日》、梅原龍三郎《萬暦赤絵》などが出展。しかも自作の映画に自作の絵画もこっそりと忍ばせることも。
最後の『蓼科日記』を観ながら、同行者と「気合、抜けたんやぁ、ここ(の展示)は」と。
ともによく“学習”しました。

夕刻、同行者と一献傾け、最終の新幹線で帰阪。

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