日々雑記


栄西

2014-03-01

昨夜、ほろ酔い加減で東京駅ホームに立つと東京国立博物館「栄西と建仁寺」展の大ポスター。

「国宝“風神雷神”5年ぶりに参上」とある。大阪なんか2000年の久保惣美術館以来、来てない・・・と思いながらも、む?
よく目を凝らしてみると「栄西」に「ようさい」とルビが小さく振られている。

「叡尊」を「えいぞん」と読む人もあり、「えいさい」ではなく「ようさい」とも読む人もいるのだが・・・。

ちなみに『岩波仏教辞典(第二版)』では、「栄西 えいさい〈ようさいとも〉.」。
なんだか「ようさい」派に国がお墨付きを与えたようで、少し不思議。

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香久山

2014-03-02

昨夜来の雨もあがり、曇天ながら暖かな日。

明日香村へ行き、その後香久山。万葉集にもよく詠われており、天香久山とも記される。麓には天香山神社や天岩戸神社がある。すぐそばには奈文研藤原調査部。
天香久山神社境内には「ひさかたの 天の香具山 このゆふべ 霞たなびく 春立つらしも」(柿本人麻呂)の万葉歌碑。原文の漢字で書かれている。揮毫は末永雅雄。よくみると「天芳山」とある。「芳」はかぐわしいとも読み、芳山で「かぐやま」と読むのか。

少しまったりとした時間を過ごす。

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パソコン到来

2014-03-03

今年度最後の入試。

デスクトップパソコン到来。さっそく接続。苦難の末、見つけ出したドライバーCDを動かしてあれこれセット。ディスプレイ画面も大きく、これまで文章を打っていても文章全体をみることが出来なかったストレスも解消。

これでがっつり原稿を書ければ申し分ないのだが、それは当人の努力次第。

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孤高の峰

2014-03-04

現代美術家Y氏と会う。初対面でスキンヘッドなのでてっきり年上の方と思ったが、同年齢、うちの大学出身=学舎のどっかで会っているはず。吉原治良賞美術コンクール展や昭和シェル石油現代美術賞展など受賞歴をもつ。

「ほかに(本学出身の)芸術家っておりませんか?」と尋ねると、「○○会や○○展などをフィールドにしている人は素人集団であると、ボクの先生は言っていました。ボクもそう思います。ま、鳥海青児だけは別ですけど・・・」と。

深くうなづきながら、同じ匂いがすると感じた。
苦労も多いが、孤高の峰なりの自由さが心地よいのである。誰それが・・・と言う世間がいかに煩わしいことか。

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わすれたこと

2014-03-06

ふたつ。
今日、メールボックスを覗いたら分厚い封筒。開けてみると書類。昨日、会議だった由。手帳にも記してあったがすっかり失念。
夜、帰宅すると「今年、お雛様、出していない!」と。
ここに至ってややお疲れ気味。

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熊野詣

2014-03-08

十数年ぶりに熊野。日根野から特急に乗り新宮へ。遠い~。

神倉神社に登った後、熊野速玉大社へ。参詣を済ませ宝物館へ。神倉神社裏手から出土の銅鐸片や経塚遺品、国宝の古神宝類をみる。

京都国立博物館に旧摂社阿須賀神社の古神宝類が所蔵される。明徳元年(1390)、久しく途絶えていた遷宮(33年ごと)が足利義満の沙汰により復活、神宝も調進され摂社の阿須賀神社にも神宝が奉納。古神宝類は朱塗り唐櫃に納められて神殿内に安置。
阿須賀神社古神宝類は明治30年、32年に旧国宝に指定、速玉大社宝物殿に移管収蔵される。
昭和20年7月の空襲で阿須賀神社社殿は全焼、翌年の南海大地震でも被害。その後、社殿再建のため某会社に古神宝類売却の話もでたが、国へ譲与となり、昭和30年6月、新国宝に指定。
熊野速玉大社は明治16年9月に炎上、古神宝類は救出される。宝物殿の再建は同41年。この間、社家に古神宝類を寄託するも蒔絵手箱、彩絵桧扇、朱漆唐櫃が行方不明となる。
文化財の数奇な運命と文化財の保護とは何かなどと考えてしまう。

電車に乗り夕刻まじかな熊野那智大社へ。青岸渡寺本堂と熊野那智大社本殿は塀ひとつ挟んで建つ。本堂には役行者像も。那智大社宝物館では鏡類など拝見。

大慌ての熊野詣だったが、“実際に現地に立ってみる”ことが大事と実感。
今度は余裕をみて・・・。

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会議

2014-03-09

日曜日ながら代理出席も含め昼から会議が連続して4つ。卒業査定も。
今は春休み(学生は2月1日~)で授業はないものの(だからメールも見ないのかと合点)、用務や会議などに追われる。これも年々増すばかり。大学教員はいいですねと言われることもあるが、それはそれはたいへん。
来年度からは忙しさに拍車がかかる模様。

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コンビニ

2014-03-10

久々にメール便(複数)、発送。

宅急便だと電話一本で集荷に来るが、メール便は最寄りのコンビニか営業所まで持ち込まないといけない(以前、電話で頼んだらドライバーに露骨に嫌な顔をされた)。
コンビニが一番近いのだが、不慣れな店員が対応すると1通でさえ右往左往、他の客に大迷惑必至。かく言うこちらも公共料金の振り込みなどをみると、隣のレジへすぐさま向かう有様。
そこで大きな紙包みをふたつ持って最寄りの営業所へ向かう。
誰かの 何かのお役に立てればよいのだが・・・。

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唐寺

2014-03-11

ANA161便にて長崎。まずは興福寺。

長崎は寛文3年3月の大火に見舞われ、江南・江西・浙江の出身者が帰依した興福寺も再建。大火直後に范道生が造像再建に携わる。大雄宝殿安置の釈迦三尊像や韋駄天像は彼による制作。媽祖像、関帝像も。
長崎に中国人仏師が来て唐様彫刻を造像するのは当然ながら、間断なく明清の仏工が長崎に居たとは思えない。一時帰国した范も上陸を拒まれ客死している。そこで次善の策として浮上するのが長崎仏師。そのあたりの事情は有木氏の論考に詳しい。考え方としては在地仏師の範が京都仏師にあるとすれば、長崎仏師の範は唐人仏師(短期間ながら)にあるとみればよいのか。
唐様彫刻はどれも堅牢な造りなので外見から中国人仏師、日本人仏師、いずれの手によるものかの判断は難しいが、構造的には一目瞭然。
仏像を見ながら唐様はまさに”一陣の唐っ風”であったと実感。

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唐寺2

2014-03-12

崇福寺。今年は隠元が長崎に来て360年。

崇福寺・釈迦如来坐像の体内から“見いだされ”(1935年の修復時に既に発見)慶事との由。

十八羅漢像や関帝像(共に延宝5年)などをみると、明末清初の木造仏像の特徴がみえる。練物(漆喰様のペーストによる眉や髭の表現、植毛、チューブ(ケーキの絞り袋のようなもの)で盛上げの界線を引き、内部を砂?交じりの金泥で装飾。

”一陣の唐っ風”といえば、韋駄天像。崇福寺・興福寺にある韋駄天像は合掌する手の上に宝棒を横たえるが、萬福寺天王殿の韋駄天像は宝棒を左足前に立て腰をひねるポーズ。これは宝永2年に清・浙江省湖州府で制作。長崎・聖福寺にも同様のものがある。

見え隠れしてきたことがいくつか氷解。その後、腹前の結び目を見に晧台寺へ向かう。

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ド・ロ版画

2014-03-13

聖福寺。以前来たことのある唐寺。

天王殿(宝永2年)、山門(元禄16年)は堺の豪商京屋宗休の寄進。材木は堺で切って海路で長崎に運び、藪本次兵衛ら堺の大工が長崎に来て建造。その折、堺で焼いた瓦も運んでおり、瓦塀に残ることは十数年前に指摘済。
写真を撮ってももう遅い・・・。

その後長崎県立長崎図書館へ向かうが、さしたる図書はなく、大浦天主堂に。
堂内に掲げられた「二十六聖人」の油彩画は1869年に「トウレイ」が描いたものと説明が流れる。明治2年・・・。

驚いたのは、隣接する旧羅典神学校に展示された版木。斜め方向に4~5枚重ねて1枚の大きなキリスト教版画に仕立てている。「ド・ロ版画」と呼ばれるもので明治10年頃に制作。近世仏教で刷られる祖師絵伝などとまったく変わらない技法。こちらも手彩色。掛け軸として表装されているところも面白い。
その後、空港まで向かい、ANA168便にて大阪。

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辛辣

2014-03-14

「未熟な研究者」「論文の体をなしていない」「論文としてもはや存在すべきではない」とニュースで話題。(上司から)辛辣な言葉がいくつも投げつけられる。

ニュースを見ていて、あっ!と思ったのは論文のコピペとされる画像。英文の箇所が赤くマーキングされており、ここがコピペ箇所。これは某社のコピペチェックソフト。
一度、査読か何かの会議で、カラープリントされたペーパーが配られたことがあり、“色目”がよく似ている。その時はもちろんバツ。確か上には「コピペの割合」が表示されていたように思う。

TV画面に映しだされた、殆ど“桜色”に染まった英文をみながら、やっぱりバツだなと思ったり。

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切り口と見方

2014-03-15

午前中、プレ・スチューデント・プログラム。

とある先生のアドバイス。
その見方は××学からのアプローチで、○○学とは違う。××学は○○学の成果を完全に無視している。対象をナイフで切るのか、ナタで切るのか、ハサミで切るのかで、その断面も千差万別。ひとつに対して様々な見方が出来る・・・というようなことをわかりやすく説かれていた。
大学生活を過ごすのに非常に重要なこと。

ほぼ毎年、卒業前の高校生を見ていると、妙なことだが、高校の右往左往ぶりがよくわかる。

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貴様のおアカウント

2014-03-16

めったに開けない自宅のメール。久しぶりに開けると228通。

ざっとみると、「スクウェア?エニックス公司」から「証拠によっておアカウントが係争中の引き取りに繋がること」なるメール。もう、「公司」時点で問題ないものの、一応娘たちに「ドラクエ、やってる?」と呼びかける。無言。即削除。
通販からのメルマガが続くなか、「三菱東京UFJ銀行」。我が家のメインバンクではない。みれば「貴様のアカウント」。
送信日が古いうえ、こちらも削除。ホンマに「貴様のアカウント」と送ってくれば、今頃TVCMなど流れているはずはない。

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たこシャン

2014-03-18

某文化財保護審議会に出席。

帰宅すると、夕食は「たこ焼き」。女性陣、丸くきれいに窪んだ鋳物の鉄板を囲んでわいわいと。「ガス式のほうがいいだけど・・・。」と家人。みれば、鉄板と着脱可能なカセットボンベ式器具。

夕食が「たこ焼き」である自体、典型的な大阪の家庭だが、ビールを飲みつつ女性陣の雑談を聞くと、カセットボンベ式ではなくガスホース直結型のほうがよいだの、鉄板は鋳物で四角、丸いのは“おもちゃ”だの、とかなりのこだわり。
スーパーに行くと「たこ焼きソース 業務用」もあり、大阪の飲食店では時折、「たこシャン」(限定生産)にも出会う。「タコのシャンプー」ではなく「たこ焼きにあうシャンパン」である。
以前、物珍しさで飲んだことを話すと、“持って帰ってこい”とか“(ネットで)注文しろ!”とか無理難題。

盛り上がる大阪人の“たこ焼き談義”の前で、「買ってくればいいものを・・・」というのはタブー中のタブー。黙って静かにビールを飲む。

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地黄

2014-03-19

午後から能勢電鉄セミナー。昨年に引き続いて「能勢編」。

能勢町に「地黄」という地名がある。お馴染み「地黄」は漢方薬草の一種。地元では地名に因んで「地黄」の栽培も。 能勢町地黄の傍は「野間」。野間神社(能勢町地黄)は式内社で、大昔(推古13年・605)に大和国布留宮(石上神宮)の御神体である「勾玉」を奉祭したと伝える。古くは「地黄布留大明神」、「布留社」とも。野間は「大ケヤキ」で知られるものの、『摂津名所図会』に大ケヤキは登場しない。広辞苑では地黄の別名を「佐保姫」としている。春の女神らしいが、典拠は示されていない。

話題が複雑になるのでカットしたが、京都との結びつきが強い地域にあって“奈良色”が濃いのは不思議。

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学生証

2014-03-20

卒業式。あいにくの雨天。

卒業証書授与のあと、祝辞、諸事項の連絡。
「『学生証』ですが、卒業式が終わっても3月31日までは「学生」です。31日までは映画や学割など、大いに利用しきって下さい。そのあとは各自で鋏をいれるなりして、自己処分してください」と。

たかが学生証、されど学生証。
この1枚で恩恵を受けることは夥しい。定期券はもとより美術館、博物館もしかり、パソコンソフトも「アカデミック版」が購入できる(我々も教職員なので「アカデミック版」が購入可)。卒業とはこうした恩恵から外れるということでもある。

「『学生証』の話題が出ましたが、まだ就職が決まっていない人は、いまのうち“(ビデオ)レンタルショップ”の会員登録しておくように。」と別の教員。「無職だと、店によってはパスポートか保険証持ってこいとか、面倒な店もあるようなので」と経験談も。
その後、写真撮影しながらお流れ解散。

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“仕事”には厳しい

2014-03-21

夕刻まで大学。そのあと“謝恩会”in梅新。

雑談。話題は直近の「口頭試問」。
寝不足だったのか、卒論の出来(?)が悪かったのか、午前中の試問学生からみると、どうも厳しかったらしい。 学生曰く、
「朝からすぐさまLINEで、『厳しいのは、よもやまさかのハセセンセ!』と回ってきました」。そうやったかな?ととぼけると、あとは尾ひれはひれが付きながら、絶賛?拡散していった模様。

確かにそうした雰囲気があった。普段通りに対応していたはずだが、こちらが質問を向けると、見たことのないこわばった表情の学生が幾人もいた。

「ま、“通過儀礼”やからな。いつもニコニコしているとは限らへん。」「どうして、『ハセセンセは“仕事”には厳しい』と言ってくれへんの」と。
花束貰いながら、これからも頑張れと励ます。

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阿修羅のごとく

2014-03-22

夕刻から某所で旧友と一献。夜半、かなり出来上がった頃にひと言。

「(ハセさん)かなり、喧嘩強いね。」 はぁ?
争い事は好まず、よほどのことがない限り、怒りも内に込めるほうだと自分では思っている。
「えっ?」という言葉をさえぎり、「なぜ興福寺の阿修羅像は憂いを秘めた表情をしているのか、分かっているやろ」と。
「えっと、・・・」。

授業のマクラで時折、「阿修羅はヒンドゥー教の戦闘の神で、釈迦率いる仏教軍と戦い、負けてしまった。その時に『今度、(仏教に)刃向かったら、命はないと思え』と恫喝され、いつもヒット・マンに狙われているような存在となってしまった。そこで阿修羅は抵抗心をまったく失い、憂いを秘めた従順な表情なのです」と与太話をしている(仏教学的に正しいかどうかは別)。

「ケンカする時は、相手が二度と立ち上がれないまで叩く。中途半端に叩くと、相手は再び反撃の機会をうかがうし、こっちも以前、勝ったという安心感もあって、必ず負けてしまう。アンタの顔をみると、修羅場をくぐり抜けた阿修羅の顔(表情)に思えるんやけど。」
「八部衆像はみな童顔ですよ。それに合わせただけじゃないですか。おねぇーさん!このひと、酔ってま~す。」
「まぁまぁ。ここ一番の時はしっかり打ちのめすというのが、アンタのモットーというわけや。」
慌てて出てきたおねぇーさんに、ヤツは「お勘定!」

君はいったい、いつから部長から町の占い師になったんや。というより、会社でなんか嫌なこと、あったんか。

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産みの親

2014-03-24

午後から都内某所で彫刻資料の調査。

木箱に納められたり、薄葉紙で包まれた資料を開けながら、あれこれ。写真や法量は既に済んでいるので、大方の資料をみることができた。

資料を見ながらぼぅと考えていたことは、親に反抗した高校生前後の頃のこと。
「自分ひとりで大きくなったような顔をして・・・」「誰に育ててもらったと思ってるの!」などと。
自身がそう思う年頃になって、初めて言葉の意味がわかるようになったのだが、学問の世界も一緒だと。生まれた時から「いい子」ではなく、親が苦労して「いい子」になったのである・・・。

調査も終わり、ふと暖炉の上にある小さな写真立てを見る。調査を行ったこの部屋が映っている。よくみると、当主と思しき人物と皇太子時代の天皇・皇后。いましがた薄葉紙を広げていたテーブルで茶話されている。え゛~、あかんやろ、それは。
最後に超ど級のサプラズ。
夕刻、帰阪。

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鼎談

2014-03-25

午後、大学の御用で、とある新聞社(梅田)にて鼎談。

様々なことにチャレンジしてきたが「鼎談」というのは初めて。どうして君なのかというのは、大人の事情である。

進行役がおられ、それぞれに問いかける形ながら、他のお二方の話を話を聞いているだけでは済まないと思い、途中からまさに「鼎談」となった。終了後、もう少し話したほうがよかったのか、しばらく静観するほうがよかったのかなどとあれこれ思う。

面白かったのは、大きな展覧会で資料を見る時、ざぁ~とみて「『このなかでひとつ、プレゼント』と言われたらどれを選ぶか、という見方のほうががけっこう真剣に資料を見るのです」ととある方が仰るが、それは我々も同じ。これよりあの資料が面白いなどと、不遜なことを考えてしまう。

春休みながら大学も様々な企画(仕事)を用意してくれている。

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院達

2014-03-28

最近、見知らぬ方(なかには要件のみ記した方もいる)から「『院達』ってどういう人?」というメールが頻繁に来る。開けるともっぱら一般の方のようである。
最初は丁寧に対応しつつも、日に4、5件届くようになって、最初の対応文面をコピペする自堕落ぶり。なにゆえ「院達」なのか、とかなり不審がっていたが、今日、某HPで判明。

東博「「栄西と建仁寺」展で六道珍皇寺・小野篁・冥官・獄卒像が出品されており、元禄2年(1689)仏師院達の作とのこと。マニアの方が調べたらしい。

その話を若い同僚にすると、「『院達』でググれば、センセの論文(拙稿)がでますよ。」と。試しにググるとなるほど・・・(HPへの掲載許可は依頼もなければ、許可もしていないが、私企業なのでドンマイなのか)。

とある書籍には、文化庁の方の名前も出ているが、そちらは敷居が高いのかも知れない(メールの方、曰く)。「そうなんですか。是非一度(東博)へ伺わねばなりませんね。」と返信するものの、明庵栄西坐像や話題となった蘭渓道隆像(延宝4年・1676)もあるではないかと思ったり。

ともかく期間中に見に行かないと・・・。

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博士論文

2014-03-29

今、渦中の人である小保方晴子氏が早稲田大に提出した博士論文についてあれこれと報道。
報道をみながら、心配顔に家人曰く、「アンタは大丈夫なの?」と。
恥ずかしながら最終学歴は学部卒、最終学位は博士(文学)である。

博士の学位取得は二つの方法がある。ひとつは大学院博士課程に進み、博士論文を提出して学位審査に合格する者と、わたしのように学位論文を提出し、大学院に在学しないまま学位審査に合格して取得する者の2つのパターンがある。前者は(甲)、後者は(乙)と分かれている。
ちなみに1991年以前に取得した人は「文学博士」となり、それ以降は「博士(文学)」。

勤務しながら子育ても(多少)手伝い、深夜の子供の夜泣きにも一番に対応し(フン!)、一時は離婚の危機(家族のクリスマスよりも論文が大事、と暴言)にまで至ったほどの論文の数々。
しかも発表後は激励も多いものの、時には辛辣な批判が多数来る・・・。こうして書きためた論文を取捨選択、修正しながら博士論文に。(だいたい、家人はあの論文の時にはこういう家庭不和があったとかの記憶しかない。)
博士論文(乙)をなす論文は発表した時点で、あれこれ叩かれている。「(乙)やから、大丈夫。安心しぃ。そもそも、(論文を書いていた時期にネットはなく)『コピペ』なんかあり得ない」との返事も嘘ではない。
博士論文(甲)も今後の伸びしろには大いに期待するものの、叩かれることはさほどなく「”下書き”の博士論文」とか「他者論文の無断盗用(コピペ)」などの疑惑も浮上する可能性も起こらないとも限らない。

懇意にしている同僚や後輩の多くは、博士論文(乙)である。(甲)では第2の小保方氏が出ないようにしないと思っていると、家人からダメだし。
「ホンマに大丈夫?」。思わず、「どっからでもかかってこんかい!」と元同僚の捨て台詞を吐く。
所詮、一介のサラリーマンですから・・・。

不思議なことに、文科省は「博士論文(乙)=論文博士」を廃止して課程博士(甲)に一本化する方向との由。

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トイレットペーパー

2014-03-30

4月1日から消費税が8%になり、TVでは買い溜めする光景が幾度も流れている。
大型家電や高級ブランドならならともかくトイレットペーパーや洗剤といったモノまで買い溜めしているが、いったいいくらの負担になるんだと思う。

1973年にオイルショック(原油価格高騰)の折、トイレットペーパーが買い溜めとなった騒ぎがあった。どうも千里ニュータウン(千里中央)が発生源であったらしいが、それを新聞があおる記事を書いて、全国各地に飛び火する。政府もトイレットペーパー確保を訴えたが、騒動は便乗値上げによる物価高を引き起こす。
子供の頃に開店前のスーパーに並ばされた記憶がある。

来年秋には10%になる予定だが、買い溜めする人たちはもとよりマスコミも8%を語るばかり。
家ではそろそろ全面広告ばかりが目立つ新聞を取るのをやめようかと真剣に思っている。

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穴場

2014-03-31
大学にて終日、仕事。
学内の桜もほぼ満開である。入学式前後の日曜日の大学構内は、ちょっとした花見の穴場。

東京で申し訳ないが、花見の穴場は東京国立博物館の庭園。大混雑の上野公園を過ぎて東博へ向かい、開放された本館北側の庭園へ向かうと静かな花見ができる。佐竹本三十六歌仙を切断したもと益田鈍翁の応挙館や徳川綱吉が法隆寺に寄贈した銅製五重塔、第二回内国勧業博覧会の碑など、みどころも多い。
普段は開放されておらず、お得な花見ともいえる。

既に桜樹の下には各サークルの勧誘看板も乱立。
毎年のことながら大混雑、大混乱のもと今年も5日から授業開始。

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