日々雑記


江戸と明治のはざま

2014-12-01

高村光雲の話。

近代美術研究者からすれば、皇居前《楠公銅像》が東京美術学校に依嘱された作品にも関わらず光雲作とされ、《老猿》は米原雲海ら弟子を使って制作した(『光雲回顧談』)ことや長野・善光寺仁王像も純粋に雲海の作であることが、実に不思議らしい。

何の不思議でもない。工房を美術学校に“移して”制作したまでで、意識としては山田鬼斎、後藤貞行、石川光明、岡崎雪聲の名を記すこともやぶさかではなかったはずである。
しかし、時は近代。個人が重視されるのでトップである光雲の名だけが残っただけであると思う。幕末なら小仏師山田鬼斎、後藤貞行、石川光明、鋳物師岡崎雪聲とでも記したのであろう。

そんな些細な話題をしても詮無いので、『光雲回顧談』を引き合いに出して「功成り名遂げた」人物の回顧はまず眉に唾をつけて読まないと、絶対「後出しじゃんけん」に陥る可能性が大きいのですと。

最近、話のまとめが揺れすぎ・・・。

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ENPAKU

2014-12-02

朝から東京出張。早稲田大学坪内博士記念演劇博物館にて打合せ。演劇博物館の一角を借りての展示。“東京出開帳”の由。
その後、関西大学東京センターに移って、再び打合せ。

カニやらたこ焼きやらグリコなどでつとに知られる「道頓堀」だが、かつては芝居小屋が立ち並んだ芝居町。栄枯盛衰は激しく、いまや当時の面影はまったく残っていない。
芝居と言えば「歌舞伎」を示すことすらも、今日ではあいまい(ラジオで落語家との対談でわざわざ説明していたほど)。

芝居が生み出す文化を知る東京の人たちにとって「芝居」を前面に出し「道頓堀」色を薄めようと目論む。
これほど「東京」を意識したことは、今までなかったと帰りの新幹線でふと思う。

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長い修飾語

2014-12-04

京都にある某大学の車内吊広告。
「日本文化の源流として悠久の歴史を重ねながら、革新の息吹を世界に発信し続ける京都に全○学部○○学科」とあった。
京都にかかる修飾語が37文字。ちょっと長い修飾語・・・。その後の文章も118文字の修飾語がついて、体言止め。

時期的に添削する前の学生の卒論草稿のようである。
「これでは言わんとしている事がぼやけそうなのですが・・・」とつい赤ペンを・・・。

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タマではありません。

2014-12-05


年明けから始まる「田万コレクション 1」(1/10-2/8)のチラシ。

重要文化財の狩野宗秀《四季花鳥図屏風》(重文)を筆頭に洛中洛外図屏風や雪渓など。
チラシの猫は原在正《猫図》。

いつも大真面目な大阪市美術館のチラシではあるが、今回はややゆるいモード。

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検討課題

2014-12-06

午後、大学博物館で列品解説。

山田伸吉は「油彩芝居画」で新たな境地を開いたが、水彩画や版画でも「芝居画」を制作している。
色彩版画のほうは、今回版木が見つかったのでそれとわかるが、これまで「下絵」と称していた水彩画に印章も押され、どうも完成品のよう。今後、検討の余地あり。

貴重な当時の舞台写真からうかがえる女優達。
華やかな女優が登場しているが、わかるのは「三笠静子(笠置シズ子)」ぐらい、他はまったくわからない。

説明しながら、なんと多彩な活動であったかと改めて驚く。

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宗派の偏在

2014-12-07

プレ・スチューデントプログラムのため出校。

ひょんなことから丹波の宗教分布について語ることになる。「丹波は曹洞宗が多いですから」と。すかさず「なぜ?」と比較宗教学の先生。

「真宗は100人くらい集めないと、寺号がもらえず、寺が出来ないからです」と。嘘ではなく真宗の制法にもそう記してある。
浄土真宗が多い地域、禅宗が教線を拡大した地域など、地域は様々な事情によって宗派的に偏在する傾向がある。
しばし学生そっちのけで、質疑応答。

ともかく次回から発表。
いつものように三専修合同で行うのだが、通して出席できる教員はごくわずか。かくいうこちらも次回は欠席の由。

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同時発表

2014-12-08

過日の東京出張以来、すさまじいばかりのやり取りが交わされ、今日同時発表。
  関西大学大阪都市遺産研究センター

  早稲田大学演劇博物館
展示点数は多くないのだが、厳選の一品ばかりを揃えたつもり。
このほかパンフレット作成、集荷(今回は搬出)、早稲田での展示作業等々、まだまだ続く。もちろん通常の授業や会議は並行で進行中。

授業の後で「学芸員になりたい」学生の相談を受け、ガンバレ!と励ましたが、"現場"はどこでもこんなものです。仕事の傍らにふたつやみっつの別の仕事を同時並行で行うなんてのは当たり前。

しばらくは、センター内別室にて御籠りの由。

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墓穴

2014-12-09

「京都にある作者、制作時期のわかる金剛力士像を教えてほしい」との問合せ。
「わかりました。」と安請け合いしたものの、いざ取り掛かってみると極めて難渋。

作者や時期がわかる仁王像は各地に点在しているので、安易に考えていた。一坂太郎『仁王』を読み返しても近畿地方はかなりの名品揃い。江戸は二の次・・・。
すぐさま思い浮かぶのは、仁和寺金剛力士像(寛永21年・1644 運節)ぐらい・・・。丹波や丹後にもいくつか残るが、広隆寺や清凉寺も微妙。

こうして一から調べ直すことになって、結局自分の首を絞めていることに。
問題は京都限定というところか。「京都仏師作」ならいくつかは掲げられるのだけど。

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ガラス乾板

2014-12-11

とある所に文化財に関するガラス乾板が多数あるという。詳細はよくわからないが室戸台風の被害状況も撮影されているらしい。

過去にごく一部だが、撮影されたことがあると所有者。
「なんでも△△△が撮影したそうだが・・・」と同僚。
「えっ、△△△。知ってますよ。」とこちら。
知っているも何も、長期で一緒に仕事したことがある。

「でも所有者の話だと、●●●が撮影したと言っているのだが・・・」
「そうです。△△△のジュラルミンカメラボックスにはマジックで●●●と書かれていますから・・・」。
疑問氷解といった風で、さっそく連絡。

出来ることなら、また一緒に仕事がしたいものである。

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ひとりで育ったような

2014-12-12

常々、幕末の仏師たちと近代初期の彫刻家はもっと近接した関係であると思っているのだが、どうも“断絶”することが多く、そのことが近代の独自性を保つことにもなるという。

『近代日本彫刻集成 幕末・明治編』でも高田又四郎、田名宗経、新海宗松・竹太郎が取り上げられているに過ぎない。
新海竹太郎はもとより、高田からは山崎朝雲が生まれ、光雲のもとにも各地から多数の幕末仏師の師弟が集まってきた。光雲自身も晩年は江戸の幕末仏師を論評称賛することで自らの立ち位置を保持した。“断絶”は彼等の母胎を忘れたかのようである。

明日から山形・文翔館で東北芸工大文化財保存修復研究センターによる「ヤマノカタチノモノガタリ[地域文化遺産の保存と伝承] 」展が開催(~12/23)。 新海竹太郎の大日如来像などが展示。
体調芳しくないが、また“むちゃぶり”を思案中。

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受け皿

2014-12-14

午後、投票を終える。夜8時になってもワクワク感、期待感はまるでない。

「与党はいやだ・・・、でも何処に投票すれば?」ととある人が呟いたようにまるで「受け皿」がないのが実情。そもそも何が争点なのかかも分からない。

それはちょっと、困る・・・。

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事前補講

2014-12-16

ハラハラしていたが、ようやく卒論らしくなってきた。

「(卒論)提出後の授業はあるのですか?」と質問。
「『口頭試問対策講座 その1』でもしましょうか?」。
・・・・・・。

もちろん12月26日~30日までは“卒論ゼミ”。いわば事前補講。
結局、例年通り、御用納めまでは出校することに。

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展示作業中

2014-12-17

お昼前に早稲田大学演劇博物館へ。既に昨日から作品確認に来ていた同僚らと合流。
今日は数少ない演劇博物館休館日=展示作業日。

大きな「幻の浪花座模型」を3階展示室まで搬入。演博スタッフの手を借りて3階まで運び上げる。

早稲田大学演劇博物館は坪内逍遥の古稀と『シェークスピヤ全集』全40巻の翻訳完成を記念して1928年に建てられ、建物自体が新宿区有形文化財。柱一本傷を付けるわけにはいかない・・・。
かなり緊張。
その後も資料各種を展示。

さてパネル類。
普通だと虫ピンで打ち込むのだが、打ち合わせに来た時に見たパネルはすべて虫ピン留めではなかった。両面テープ?それでは跡が残るし・・・、不思議なパネルの貼り方だと思っていたが、氷解。

壁面仕上げは、おおむねフェルト状の起毛。パネルの裏に裏ノリの着いたマジックテープを貼って、壁面に接着。これだと微調整も簡単だし、壁面の汚れ、傷もほとんどない。ひとつ勉強になった。

後はキャプションを置き、解説目録も届いて、なんとか時間内に終了。
(写真は演劇博物館のFacebookから)

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私立大学戦略的研究基盤形成支援事業

2014-12-18

朝、早稲田大学演劇博物館のオープンを見届けた後、山形へ。

この“東京出開帳”のもとになっている「道頓堀研究」(大阪都市遺産研究センター)は、平成22年度〜26年度文部科学省私立大学戦略的研究基盤形成支援事業によるもの。
同じ名称を冠した東北芸術工科大学文化財保存修復研究センターが文翔館で5年間の成果(「複合的保存修復活動による地域文化遺産の保存と地域文化力の向上システムの研究」)展が公開中。こちらの文翔館も国重要文化財。

2階、3階のスペース(普段も貸出ギャラリー)8室にわたって青苧と和紙・絵馬と獅子頭・高橋源吉と山形・中世から近代の仏像・旧湯殿山仁王像・御沢仏群像・現代美術作品・高畠石に関する成果が展示。資料の多くは露出展示。各室の隅には学生が座っている。
平日にも関わらず多くの人が来場し展示資料をみている。

科研費を筆頭に外部資金を使った研究は、「社会還元・貢献」が強く叫ばれている。
多くはシンポジウムやパネルディスカッションの開催にあてられるのが常だが、なかには専門(高度化)過ぎて、一般の人にはなかなか理解できない企画もある。大阪のおばちゃん曰く「誰がこんなんに関心、興味をもっているんやろね」という“研究者同士の狭い「空中戦」”を見せつけられることもある。

「東京出開帳」にしろ「ヤマノカタチノモノガタリ」にしろ、公開展示という手法は研究成果の公表や「社会還元・貢献」にとって、最たる手法ではないだろうか。
もちろん不向きな分野もあるだろうが、一般の人にもよりわかりやすく何を研究してきたのかを目に見える形で示すことのできる「展示」の可能性はまだまだ大きいと思われる。

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ヤマノカタチノモノガタリ

2014-12-18

さて、展示。(写真は文翔館隣の旧県会議事堂)

獅子舞を伴った形ではなく獅子頭のみが奉納される獅子ヶ口諏訪神社の獅子頭や奉納絵馬。岳斎筆《獅子頭奉納絵馬》は三宝の上にまるでメガマックのようにうず高く積まれた獅子頭が描かれる。獅子頭もいくつかに分類されている。本殿外壁に記された「落書き」も研究の対象。近隣だけでなく若狭や江戸、会津あたりの人も落書き。幕末明治に集中的に記されたとの由。天井画は、地元の西塔太原をはじめ、太原の門人たちが多く名を連ねる。太原が谷文晁の弟子であることから、京都画壇よりも江戸画壇を重視したとも読み取れる。

仏像は圧巻。寛永19年(1642)「大仏師治部卿法橋」(康看)と天海銘のある不動明王立像。江戸時代を代表する像と言っても過言ではない。飽きることのない造形。
永昌寺十六羅漢像と金勝寺十六羅漢像が並んで展示(このほか庄司覚太作の十六羅漢像も)。永昌寺像は驚くほど唐様(長崎様)が濃厚。文化年間「七条左京」の作。
京都七条仏師が影響を与えた在地仏師の林治作・文作・治郎兵衛の作品の数々。この林家と新海宗慶(宗松)、竹太郎との結びつきは深い。

旧湯殿山仁王像は明和3年(1766)山形横町の後藤新吉による制作。神仏分離によって流転した経緯も興味深いが、気になるのは構造。会場に大きなX線写真があり、仁王像を比べると(よくあのギャラリーに運び入れたものだと感心)、頭部は前後矧ぎながら吽形像は面部前面を上下に矧いでいる(2か所か)。これは面部の刳りとも関係。躰部は典型的ないわゆる「箱作り」。中には横桟を入れて頭部を支える(たかった)。
問題は下肢。両足とも膝以下が一材(足の甲は別材)ながら躰部の「箱」と膝下の脚部を繋ぐのは細長い板材を何枚も寄せた裳裾、下肢部。桶の一方のタガが外れたような構造。もちろんX線では空洞となっている。よく持ちこたえているものと思いながら観察していくと裳裾の端が地面に付いている。両足、裳裾の“3点保持”で全体を支え、自立しているのである。
奈良・岡寺仁王像と同様、おそるべし在地仏師の仁王像。

塩田行屋の御沢仏(おさわぶつ)。「御沢駆け」の踏査結果との対比も興味深いが、新海宗慶と竹太郎の作品比較(解説図録に掲載)は仏師と木彫家の境をみるよう。「中世・近代の仏像」室にも新海宗慶・竹太郎の仏像が並ぶので行ったり来たり。

気が付くと夕闇、閉館迫る時刻。名残惜しくも急ぎ大阪へ戻る。
展示を中心とした解説図録あり。68頁。無料。

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辻褄合わせ

2014-12-24

今日は水曜日ながら火曜日の授業。明日は月曜日の授業、明後日は土曜日の授業とめまぐるしく曜日と授業曜日が錯綜。
ハッピーマンデーの辻褄合わせ。

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図録切断

2014-12-26

午後から卒論ゼミ補講。
美術史の論文なので「図版」も命。スキャナーを駆使して図版作成。

大型美術書は不向き。とはいえ、小さいものも困りものである。展覧会図録などを引き出してスキャンしている。

ある程度スキャンできると欲が出てくる。図録の喉元がぼやけて困るなどと・・・。
仕方なく全体が1頁に収まった図版を探すが、そうそうあるものではない。

困ったゼミ生の顔。
やむを得ずカッターナイフを取りだし、こちらが所有する図録を切断。
あっ、と声を上げるが、どのみち必要だし・・・。
刃をあてながら、「間違っても、他の(自己所有でない)本を切ってはいけません」と。
あとはレイアウトを残すのみ。

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御用納め

2014-12-29

午後にゼミ生来室。卒論の最終段階。
まだ1回、ゼミの授業が残っているので、なんとかなりそう。

ああだ、こうだと赤ペンで指摘しながら「長い人生、1回ぐらい正月がなくってもいいんじゃね?」と。
とんでもないといった表情だが、そうしたことは往々にしてある。
カウントダウンにUSJへ遊びに行く人は楽しいだろうが、そこで働く人は正月もない。元旦朝4時出勤ということも十分あり得る。最近ではかなりの店舗が元日から営業している。

学生が去った後、仕事を“お持ち帰り”して仕事納め。

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過去ログ