日々雑記


無名でいいのかも(2)

2015-09-01

再びもめている東京五輪。今度はエンブレム。

デザイン業界もそうだが、往々にして他人のアイデアを借用、転用するのはアートと称される業界でも同じこと。
なぁに、"パクリ"とクレームが付けられたなら笑って「オマージュです」といえば寛容な雰囲気が出てくる(ような気がする)。

最近、雑誌に掲載された沖縄離島での“アート展”。一目瞭然、「おばぁ」をモチーフにアンディ・ウォーホル風に仕上げたもの。これだけなら「オマージュ」と思えなくもないが、その横にキャンベルのスープ缶を積み上げている。さすがにこの時点でアウトっぽい。(雑誌のライターもまずいとは思わないのも頭が痛い)

写真の下には「アートは楽しむもの。むずかしく考えず、まず見て、感じたい」とのキャプション。性根が曲がっているのだろう、「"パクリ"をみて、どこが楽しいのやら」と。
アーチストの苦悩も小説家の苦悩と同様にある種のハクだとは思うが、当の本人たちはそうは思わないらしい。
もっと苦悩しないといけないのではないだろうかと思う。

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康湛

2015-09-03

『郡山郷土史』(平成18年3月発行)は鹿児島市と合併した郡山町の記録である。合併後に刊行されたので「発刊のあいさつ」は鹿児島市長。

そこに花尾神社の宝物の記載があり「勢至菩薩一体(厨子入) 康湛作/法橋七條左京康敬の極状あり/弘化四年(一八四七) 藩主斉興奉納」と。
法橋七條左京康敬の極状もさることながら、康湛作とは。
康湛は室町期の七条仏師。系図によれば運賀の四代あと。康俊妻の甥にもあたる。文安3年(1446)に没。

『郷土史』を読む限り、廃仏毀釈の激しい鹿児島にあってまだ勢至菩薩像は現存しているようにも思えるのだが。
要確認。

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ミュージアム講座

2015-09-04

関西大学博物館ミュージアム講座の案内。
前宮崎県知事ではないが、「どげんかせんといかん」と思う百舌鳥・古市古墳群。そこで各専門家に着ていただきご講演願う企画。
第1回 10月24日(土)徳田誠志(宮内庁書陵部)「関西大学考古学研究室による百舌鳥・古市古墳群の研究史」
第2回 10月31日(土)十河良和(堺市世界文化遺産推進室)「百舌鳥・古市古墳群における近年の調査成果」
第3回 11月7日(土) 山上 弘(大阪府教育委員会文化財保護課)「百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産登録にかかる大阪府の取り組み」(敬称略)

ほんまやったら「世界遺産バンザイ!」で盛り上がったところで、講演会にもっていきたかったが、仕方ない。

ところで、夏休み中にゲラ・チェックをしていないが尚文館マルチメディアAV大教室で80名募集というのはいかなることぞ。

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小林一三

2015-09-05

今日からNHKで「経世済民の男」「小林一三」が始まった。

見ていると、茶人が続々。三井銀行大阪支店で掛軸などに囲まれていたのは高橋義雄(箒庵)。麿赤兒演じる藤田傳三郎も写真とそっくり。
「箕有鉄道」予定地で牛を引っ張っていたシーンがあったが、あれはご存じの通り「池田」(池田の牛飼い)。

後半は主に宝塚の話題となるが、次回シリーズも「電力の鬼」松永安左エ門(耳庵)。
登場することもないだろうが、TVを見ながらいつ茶席が出るのか密かに期待している。

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鬼怒川

2015-09-10

鬼怒川決壊、茨城・常総市で大水害。

近隣市に知己の方がおり、栃木も同様。当該市は「避難勧告」ではあるものの、終日心配。

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東大寺

2015-09-12

東大寺ミュージアム「江戸時代の大仏開眼・大仏殿落慶供養」を見学。

《大仏開眼供養図》では、南大門東側に見世物小屋あり。輿に載る公慶上人のほか正面階段左右に高僧と束帯姿の人物、大仏前の登高座にも僧侶2名。回廊(予定地)外では車座の宴が2組、《大仏殿落慶供養図》では回廊西側では倒れている老人と駆け寄る人びと。大仏殿は落慶したが、まだ完成していない中門と回廊が描かれている。中門は享保元年(1716)頃に再建。兜跋毘沙門天像と多聞天像は京仏師山本順慶一門。

再び踵を返して千手観音菩薩立像や日光月光菩薩像、閻魔王像などをゆっくりと見て回り、手向山八幡宮、法華堂、二月堂を巡って南大門。既に金剛力士吽形像の修復が始まっている。

その後、奈良博にて白鳳展再訪。

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飯3斗

2015-09-15

このニュースを目にして思ったこと。
一、梨子原町に総の者 宿を仕ける 河内国の者とて4人来て泊まる 宵・朝両度に飯を1斗を食す、亭主 大いに驚き、大分の損亡しけり、又勝南院町にて 河内国の者7人宿す、宵・朝両度に飯3斗食す、宿を営むも利得をせん為なり、此両家は如何なる先業ありてか、かかる損亡する事よ、此両家の客 河内の国よりと聞くもの 泊まり人来るごとに殊の外 念を入れて問いけるとなん
これも元禄5年(1692)の大仏開眼会の話題。
今も昔もいっしょ。

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河内学講座

2015-09-19

午後より大阪商業大学「河内学講座-河内の宗教世界-」へ出向く。コーディネーターを務めるI氏や商業史博物館のA氏も参加。

I氏は30年ほど前に一緒に仕事をした仲間。色々と面倒を見て頂いたこともあり(今回の講師も)断るわけにはいかない。A氏も大学博物館等でお世話になっている御仁。人と人との付き合いは、どこでどう繋がるのか分からない。

東大阪埋文センターW氏による「土仏」の話に続いて登壇。河内の仏像について話す。河内から流出した仏像・仏画もことのほか多い。

夕刻、I氏、A氏、事務局のIさんと小阪で一献。痛飲。

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ジョン・C・ウェバーコレクション

2015-09-20

昨日は車で実家まで向い(そこから大商大まで徒歩)、痛飲したので電車で帰宅。午前中、実家まで車を引き取り。
そのままMIHO MUSEUM「ジョン・C・ウェバーコレクション」へ。

縄文土器から中国青銅器・レンブラントのエッチング(第2ステート)まで展示されているが、中国青銅器とビザンティン美術はメトロポリタン美術館蔵。その他はウェバーコレクション。
日本美術もあれこれあるものの、心に響くのは《吉原風俗図巻》や国芳《地獄太夫図》ぐらい。なんとなく“ぴりっ”としない。
戦前の染織品も多く、《ミッキーマウス模様捺染一つ身綿入れ長着》なるものも。
なんとなく不完全燃焼な気持ちを見透かされたかのように、別室でコレクション展と類似の館蔵品(陶磁器、漆器)が展示されている。

在外コレクションといえども今はこれぐらしいか残っていないのかと思ったりするが、すべて日本から出たもの。複雑。

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達身寺

2015-09-23

快晴。久しぶりに丹波・達身寺へ。

達身寺といえば、腹部がかなりメタボな仏像群(説明曰く「達身寺様」)が有名で、また兜跋毘沙門天像も数多く残るところ。

手渡されたパンフレットには十一面観音像の写真。しかも髻部にはなにやら拱手する女神像が載っている。誰かの論文で読んだような気もするが、今は思い出せないが、やはり気になるところ。そうした目で収蔵庫の破損仏群をみると、髭を長く垂らした老相の坐像や四角い神像も交じっている。

いつもながら壮観な光景。1躰1躰丹念に見ていく。両脇には仏像片。如来像背面材や頭部材など。

特別収蔵庫には件の十一面観音像があるが、まずは薬師如来坐像や地蔵菩薩坐像、また建久三年(1192)銘の薬師如来坐像を拝見。人が少なかったせいか、「どうぞご自由に」と勧められ、特別収蔵庫でもじっくり。吉祥天像の面部は孝恩寺の仏像ともよく似ている。
件の十一面観音像もじっくり。

建久3年といえば、快慶が醍醐寺三宝院弥勒菩薩坐像を作った時期。こうも作風が異なるのは、単なる〝田舎〟だけでは済まない。長い伝統に依拠したとみられるものの、不思議である。

連休終了の大渋滞に巻き込まれ、深夜に帰宅。

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西行坐像

2015-09-27

24日から授業開始。会議も続々。
某科目。春学期では履修者0で、9月に入っても0のままだったので安心しきっていたら、24日になって履修者が223名。もう一つの科目は春秋同一科目ながら春70名、秋261名と もうなにがなんだかわからない。

大慌てで準備をしていると、『伊勢参宮名所図会』「西行谷神照寺」の項に俗伝ながら一夜にして自刻像を彫刻した旨が記載されている。

そこで思い出したのが、伝頓阿作西行坐像。少なくとも4躯現存し、1躯は東京国立博物館にある。東博像は箱書が付属し蓋には「頓阿作/西行法師」「文政四年/松岡文庫」とあり、文政4年頃の製作とされる。松岡辰方の旧蔵品だったのだろう。
4躯はいずれも同形同寸。もちろん南北朝時代の頓阿作ではない。
柿本人麻呂像も同様に頓阿作の伝承があり、こちらも複数現存している。配り物なのか・・・。

いつまでも集中できずに時間ばかり過ぎ去り、解決せぬままに終わってしまうのだろう。
最近、めっきり老けたような気がする。

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ひとまず安堵

2015-09-30

帰宅すると、美術出版社からの封筒。えっ、民事再生手続したのに?

いぶかしく思いながら封を切ると、8月1日からTSUTAYAなどを傘下に置くカルチュア・エンタテインメントの子会社となり“新 美術出版社”として発足したとの由。旧会社から全事業を引き継いだようである。
重版する際にはよろしくという。

「ARTを媒介としたソリューションを、お客様の課題に応じて企画する、提案型企業になる」そうだが、TSUTAYAの店頭にも美術関係の本が揃うのだろうか。

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