日々雑記


石見の仏像

2015-11-01~02

久しぶりに石見へ調査。

左写真奥に見える孔は頭部に至る矧ぎ面の孔。えっ?と想像されるように菩薩像の上半身と下半身が切断。下半身は一木から彫り出されており、上半身と下半身の違和感はまったくない。いわゆる“胴切り”の典型例。

グラントワの展覧会も拝見。
圓福寺十一面観音立像は、意外なほどの小像である。医光寺釈迦如来坐像は以前から気になっていた像だが、応安4年(1371)銘が出てきたと報告された時には驚いた。教西寺阿弥陀如来立像の背面に付属している桟状はいったいなんだろうかと時に思案。萬福寺二天立像など久しぶりにみる仏像も数多く出品。

ここ10年近くで石見地方の仏像の豊かさ、歴史性にずいぶん蓄積が出来てきた。展覧会にいまだ出ていない気になる仏像がたくさんあるのだけれど、それはまた後日のお楽しみといったところである。
久しぶりに“仏像三昧”。

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複雑

2015-11-04

今日は創立記念日。
学年暦の関係で授業日である。しかし学園祭のため休講措置となっており、理屈からすれば、休講とはいえ通常日と変わらない。
従って午後には定例の会議。

「フランクフルト」「焼きそば」などの看板を首から下げ、学園祭を満喫する学生たちをすり抜けて会議へと向かう。

この時期、ゼミ生を引き連れてゼミ旅行に行ったのも昔語り。

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土地公

2015-11-06

知己の研究者より問い合わせ。漂着仏像だが、これは何の像かと写真を添えて。

髭など稙毛もあり、日本の仏像でないことは明らか。
以前、台湾国立歴史博物館で買った『台湾媽祖文化展』(2008年)図録をくると、台中萬和宮に件の像と同様な図像の像が掲載され、名称は「木雕土地公」とある。(左写真)。
そこで土地公像でググると、出てくる出てくる・・・東博にも所蔵されている。
件の土地公像は波に漂い劣化しており、時代は決めかねるが(東博像は19~20世紀)、台湾からの漂着仏であることは間違いない。

返事をしたためながら、もとはどこに安置されていたのだろうかと想像する。

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世尊寺

2015-11-08

吉野・世尊寺で講演会。
神田先生の十一面観音像の報告、講演がとても興味深い。

現状、背面肩口から大腿部まで鋸を引いて背板風に切断した後、躰部を刳る。刳り面には大きな干割れが3筋ほど。もとは一木造であるため、改造前はこの干割れが頭部にまで及び著しく面部の造形が損なわれていたとする。そこで、上のような改造を行い、頭部を新たに製作したと。

しかしまだ問題が残る。『奈良県総合文化調査報告書』(1954年)によれば多数の律宗関係の文書、経典が収められていたとされ、そのなかに寛文2年(1662)の大御輪寺高覚による「造立之時納之」の願文。これをどう解釈すべきか・・・。

『現光寺縁起絵巻』には伏見天皇の頃の話として、比曾の一老媼が家に秘して供養していた沈水香の観音を再び現光寺の本尊として迎えるとある。阿弥陀如来像が記録から消えるのと、ほぼ一致。

終日雨模様ながら定員を超える50名の方が参加され、4時過ぎまで熱心に聴講。深謝の限り。

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呆然自失

2015-11-10

某社で“博士”の学位をもつ新人社員を交えて相談ごと。
ところがメールで書類を送ってもフンともスンとも連絡がない。仕方ないので知人(上司)に「あれはどうなったの?」と尋ねると、知人も???既に進行していると思っていたらしい。

後日、再び打合せ。件の新人社員は欠席。
打合せ後に柱の陰に引き込まれ、手を合わせて泣かんばかりの謝罪。
なにごとかと聞けば、新人社員、平然と「ボク、名刺に刷られたメルアドは使ってないです。連絡はこっち(gmail)です。」と。知人、呆然自失。

個人的資質に拠るところが最大の要因だが、こちらの立場上、社会からみて“博士様”が皆、こうであると思われたくはない。
今は隔離中との由。嘘のような現実がおこる自体、上司ともども頭が痛い限り。

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随意契約

2015-11-14

授業準備で官報を眺めていると、10月26日付官報で額安寺・乾漆造虚空蔵菩薩半跏像が文化庁購入予定物件に(もちろん随意契約で、契約の相手側も額安寺)。あら。

周知のように奈良時代末頃の製作で、弘安5年(1282)に叡尊のもと仏師善春や絵師明澄に修復させた由緒もある重要文化財。

現地にはRC造の収蔵庫(虚空蔵堂)もあるが、かつては虚空蔵菩薩半跏像と文殊菩薩騎獅像が並んでいた。文殊菩薩像は既に2009年に同じく文化庁へ売却されており、今となっては何を収蔵・保管する虚空蔵堂かわからない状態。

事情はよくわからないが、本尊の十一面観音像(室町時代)だけが寺に残り、寺史・由緒を雄弁に物語る国宝や重要文化財指定の文化財が悉く国に売却される事態に複雑な感を抱く。

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阿弥陀半跏像

2015-11-18

もう何が何だかわからないほど多忙かつ疲労。明日無事に過ごせるかどうかが最大の問題。
とはいえ、突然“仏像”のボールが投げ込まれることもある。こちらも大至急との由。

阿弥陀如来半跏像の作例について。
大慌てでかき集めてみると、多くは東日本に集中している。もちろん近世の作品が多い。
何故だろうと考える余裕もなく、コピーを取って現状報告。

ここしばらく仕事が粗いが、止むを得ない・・・。無念。

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明治の仏像

2015-11-23

祝日ながら授業。

東本願寺御影堂門楼上の釈迦如三尊像(1879年・37世田中紋阿・38世田中文阿作)が一般公開(~28日)。脇侍は通形の阿難と菩薩形の弥勒。両手を腹前に合わせ五輪塔を持っている。『仏説無量寿経』に依拠した三尊像。

明治12年ながら江戸時代後期の作風。当たり前のことだが、近世の仏像は明治になってもしばらく続く。

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栖鳳と東本願寺

2015-11-24

東本願寺ネタをもうひとつ。

竹内栖鳳は明治18年(1885)に東本願寺法主厳如上人の上京巡錫の折、幸野媒嶺のお供として随行。この旅行中に栖鳳は法主の孫である大谷光演(句仏師)(1875-1943)と親しくなり、その縁で栖鳳は後年、東本願寺の大師堂門天井画に《飛天舞楽図》という天女の絵を描くことになる(天井画は未完成)。
その折、東本願寺の一隅で湯を飲んで休息する若い女性をスケッチし、大正6年(1917)の文展に《日稼》として発表。画面左上には真宗でよくみる阿弥陀如来画像の光芒が描かれている。

ところが、モデルとなった女性(町屋の娘)の親族が「若い娘を隠し描いた上、野良着のような装束に描き替えられ、無断で発表された」と抗議し、栖鳳は、今後一切公表しないと約束。

公表されたのはごく最近のこと。

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上村松園

2015-11-29

奈良国立博物館・東大寺の見学会が流れたため(補講・参加者ゼロ)、踵を返して学園前にある松伯美術館「美の発見~日本画の冒険者たち~京都国立近代美術館所蔵作品を中心に」へ。

松園《楚蓮香之図》《虹を見る》をはじめ土田麦僊《大原女》、橋本関雪《木蘭詩》5幅、下村良之介《鳥不動》などを見る。《楚蓮香之図》は対面に下絵も展示。

意外に思えたのは甲斐庄楠音《横櫛》《裸婦》《舞う》が展示されていたこと。
第5回国画創作協会展に《南の女》《歌妓》《裸婦》《女と風船》を出品するが、「きたない絵は会場を汚す」として《女と風船》は麦僊から陳列を拒否される。
麦僊《大原女》の斜めに《裸婦》が掛かっていたが、この情景を麦僊はどう思うのだろうか。

傍を通るご婦人「こんな絵、好きやないねん」と。美術館に来るだけまだましかと。

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取材

2015-11-30

始業チャイム同時に教室へ駆け込むとドア前に居並ぶ「関西大学」の腕章を巻いた関係者。はぁ?と一瞬考え込むも「入学案内」の取材だった。

どうもうちの専修は写真写りがよいらしく(絵になるようで)、時折授業風景を撮影される。
スクリーンいっぱいに画像を写し、その前で身振り手振りを交えながら解説している教員。真剣に聞く学生・・・。
何カットかシャッターが押され終了、取材陣退室。以後通常の授業に。

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