日々雑記


河鍋暁斎

2017-7-1

午前中、コンソーシアム梅田で講義。

JR北新地駅で河鍋暁斎展のチラシ。「ゴールドマン コレクション これぞ暁斎! 世界が認めたその画力」in 美術館「えき」KYOTO。

関西で河鍋暁斎展は珍しい。大昔に滋賀で開かれたが、それ以来。
正直「河鍋暁斎」の名や作品は関西ではほぼ無名に近い。歌川国芳・前村洞和―絵金・河鍋暁斎の系譜からして面白い作品が多数あるが、関心は低い。
こちらも美術館「えき」KYOTOについては、これまでの流れからノーマーク。
この頃の建築と美術は隣人。暁斎に弟子入りしたジョサイア・コンドル(ジョサイア・コンダー)、伊東忠太は画家志望。

7月23日まで開催との由。ぜひ見に行かないと。

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董其昌

2017-7-4

学生の発表は、時にドキリとすることがある。
今日は「池大雅」。池大雅あたりはなんとかクリアできるものの、発表で「董其昌」の名が出て「気韻生動」と。
むぅ、困った・・・。この点を学生から質問されると、どう答えようかと考える。

発表は「万巻の書を読み万里の路を行く」ということで旅の話になり、フロアも「気韻生動」に関して質問することはなく、無事(?)終了。
ほっ。夏休みにでももう一度、日本美術史のおさらいをしないと、以後、何が飛び出すのかわからない不安な心境で学生の発表を聞くのはちょっと怖い。

さすがに授業で「董其昌。もう日本人が手が出せないくらいに高くなりました・・・」とうそぶくわけにはいかない。

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スマホでは役にたたない

2017-7-7

1回生の授業を担当すると、勉強になる(驚くべき)ことが多い。

今の時期はそろそろレポート課題の発表。
試みに「メディア」関係科目で、課題をどうクリアしていくか、学生にPCを前に試してもらった。
まず検索窓に「メディア」と入力できない。「ディ」は「dhi」あるいは「de」「xi」とやればすぐさま出るが、分からない。(スマホではひらがな打ちで候補が表示)

ようやく打つことが出来、ググると、冒頭にはwikipedia。「それでは(レポート課題に対して)何の役にもたたんやろ。参考文献も示されているんやし」と注意。
そこで、受講生はひとつの文献を選び関大図書館で検索。残念ながら大学図書館に架蔵されていない。他大学では所蔵されているものの、紹介状などの手続きが必要で時間的余裕がないとアドバイス。
受講生はしばらく考えて「Amazon」を選択。新刊であるものの5千円近くする。レポート課題にあうかどうかも不明。・・・・GIVE UP。

教室の電源に百足のように連なるスマホを見ながら、PCが使えない、探すべき書籍に辿り着かない、まして何処にあるのかわかないのでは、いわゆる”情弱”ではないかと苦言。

授業のこととて、もちろん既に「どう知りたい情報、書籍に辿り着くか」を縷々説明したのだが、スマホでは何の役にもたたないことを再度強調。社会に出てPCが使えないのは”無能者の烙印”であるとも。

メディアやITの授業は、町のPC教室同様にさぞ大変だろうと察する。

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梅田キャンパス

2017-7-8

午前中、所用にて関西大学梅田キャンパスへ。初めて。

入るとすぐさまTSUTAYAとスタバ。タブレットを眺めている人たちが多数。場違い感、たっぷり。梅田キャンパスは、社会人活用、起業家育成・支援事業ながら果たしてその効果のほどは・・・。

予定の時間までちょっとコーヒーでもと思ったが、落ち着かないので3軒隣のコンビニで缶コーヒーを買い、店先のベンチで一服しながら佇む。
夜勤明けの報告と思しき人、商談を挽回(?)しようと携帯を握りしめる人など、週末ながら悲喜こもごもの人間模様がベンチ前で展開。
こうした路上観察が起業に必要ではないかと思いつつ、ゆっくりとタバコを吸って再び、梅田キャンパス。

TSUTAYAとスタバで、起業家育成が出来るとはまったく思えない。
実は、大学もそのことが分かっているような雰囲気なのかもと。

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そうだ 京都、行こう。

2017-7-14

不二越会長曰く、「富山で生まれて幼稚園、小学校、中学校、高校、不二越。これは駄目です」、「富山で生まれて地方の大学へ行った人でも極力採りません。なぜか。閉鎖された考え方が非常に強いです」と明言。一方で「ワーカーは富山から採ります」との由。

似たような話題。
パナソニック社長「門真発想では限界」「大阪中心ではマインド的に重い」「時代錯誤に陥りやすい」「昭和のカルチャーを変えられない」と。
共に物議を醸しだしているが、きわめて正論。

大阪人は東京一極集中と批判するが、「時代錯誤」「昭和のカルチャー」と言われてて反論できるかどうか。
アメリカン・ドリームならぬトウキョウ・ドリームは確実に存在し、所詮負け犬の遠吠えに過ぎない。なぜなのか。それは経済だけではなく文化面にも大いに影響していると思うのだが。

「そうだ 京都、行こう。」と言っても、はぁ?という関西人は多数。

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考えて仕事していない

2017-7-15

このところ、院試や面接などで土・日に出勤すること多し。

昨日、某所から文化財審議委員会の日程に関して電話。
ご都合をお伺いする表をお送りしましたが、いかがでしょうかと、上司。
口頭で都合のつく日を伝えたのだが、部下が送ってきた日程表は、土曜日・日曜日・祝日関係なく午前・午後を問う。
ホンマに日曜日や祝日の午後でもええんやな、その折には必ず教育長か部長かが出てきて挨拶しはるんやろな。

単にエクセルで表を作って、午前・午後に分けて送りましたけど、ご都合は?と聞かれても答える気にもならない。バイトでもわかる日程ががなぜ正職員には分からないのか。
真剣に手帳を繰る気も起らず、そのまま放置。そして上記の電話。

いっぺん、委員全員で休日午後しかダメなんですと画策してみようか、大人げないけど。

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高野山霊宝館

2017-7-16

高野山霊宝館。鍋谷トンネルのおかげでR480線経由で高野山まっしぐら。

高野山は、さすがに涼しくヒグラシが鳴いている・・・。
霊宝館では昨日から始まった「正智院の名宝」展。

おなじみの不動明王像や初公開の阿弥陀三尊像。善集院本尊像も脇侍(勢至)像は近世ながら、鎌倉・南北朝と並べられるとさすがに見劣り・・・。小田海僊筆道範像や各種版本をみて、旧館(本館)へ。
仏画は紅玻瑠阿弥陀像、普賢延命菩薩像、八字文殊曼荼羅図に始まり、狩場明神像、四社明神像などなど。陶磁器類も柿右衛門の金彩色絵牡丹文水注や仁清の双耳水指、明(15世紀)青磁劃花雲龍文壺が展示。

満足しながら最後の部屋。谷上大日堂関係の仏像が並び、最後の最後で琉球漆器(文箱)。作品もさることながら付属の書状等をじっくり。

奥の院にも寄らず「みろく石 かさ國」でくるみ餅を買って下山。

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犯人ながら・・・。

2017-7-20

美術に無関心、いわば猫に小判の環境ながら、小判と分かった目が効く者だと思う。

ニュースでみたが、白髪一雄「作品B」が飾られていた場所が失笑。
「セブンティーンアイス」の自販機、清掃用具入れと思しきロッカーの横。

小さなボルトで止められていたそうだが、5000万が埃舞う改札に無造作に掛けられておれば、悪知恵を働かせてなんとか盗もうとする者が現れて当然。

「えっ、毎日見てたのに」と思う方もおられるが、正確には絵の前を通り過ぎていただけ。誰も京阪へ「あんなところに(作品を)飾ったらアカンやないか」といったクレームはこれまでないはず。

貰い物だから売却できないが、せめて大阪市立近代美術館建設準備室へ寄託でもすればいかがか。
今年に入って白髪一雄は受難続き。

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暁斎展

2017-7-21

授業終了。後は定期試験と採点のみ。
授業を終えて、京都駅 美術館「えき」KYOTO「これぞ暁斎!」展。 思えば、2008年春に京博でも暁斎展が開催。その時なぜ暁斎に気づかなかったのだろうか。
そのことを覚えている方も多く、ぎっしり展示された作品約180件を見る人たちで会場は大混雑。

色々と面白く興味深い。
蛙が擬人化されることなどで「鳥獣戯画」や「百鬼夜行絵巻」などを想像しがちだが、《月に手を伸ばす足長手長、手長猿と手長海老》などは近世以降のパターン(手長猿・牧谿猿)をひとひねり、ふたひねりしたもの。《象の戯遊(たわむれ)》・《家保千家(かぼちゃ)の戯れ》・《雀の書画会》などは師歌川国芳へのオマージュとも見受けられる。
《地獄戯画・蕎麦を食べる閻魔と付き人》は、地獄の裁きを終えて、一息つく閻魔や冥官、獄卒、人頭幢。麺が白いので素麺だろうか。

晩年は霊雲寺法弟となり「如空」の号。 出山釈迦を睨む(叱責する)達磨や寒山拾得など。達磨や観音にみられる内衣(腹当?)の表現はなんだろうか。かと思うと、大真面目な山水図なども登場。 多彩(マルチ)な画技に脱帽。

既に飽和状態の部屋で、図録は極力買わずにと思っていたが、購入。
ただ、やむ得ないものの解説は貧素。《不可和合戦図》など明治10年、前原一格(「追原一脚」)などから西南戦争を取材にしたものと思われるが、そうした世相との関連は語られない。
国芳と同じく、世相との関連で多く語ることが出来そうなのに。

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渋谷

2017-7-22

東京・國學院大學へ。

渋谷駅周辺は大改造工事中で来るたびに通路が変更。梅田地下街なみに毎度迷う。
プレ研究会。
一応の方針が立てられ、それぞれが目指すべき成果(予想される成果)を開陳。
今回は日帰り。深夜に帰宅。

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矢野橋村

2017-7-24
大阪と言ふ處は美術家を殺しこそすれ育てる處ではない、という言葉は誰言うとなく心耳に刻まれて居るものがある、或はそうかも知れぬと思ふ事は再三再四ではなく感じさされて居る事ではあるが然らば何故それがと言ふ事は研究して見る程の人も無いらしい。只そう言う事を感じさされた人は次から次へと此の大阪の土地から離れていくのである。そうして此大阪の美術の畑は荒廃して行くのであろう。とり残された足腰の立たぬ老人に依って此荒地が如何に耕されるものであろうか?
矢野橋村「我等の使命」『大阪美術学校校友会月報告』創刊号(1927年)

橋爪節也編著『大大阪イメージ : 増殖するマンモス/モダン都市の幻像』(2007年12月)からの引用。
矢野橋村は大正13年(1924)に天王寺区悲田院町に大阪美術学校を設立。
耕されないままに90年。世代でいうと3世代。

ことさら授業で「親御さんと美術館に行ったことのある人?」と挙手を求める気もない。既に大阪のDNAにしっかりと刻まれている。

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小出楢重

2017-7-25

再び、橋爪節也編著『大大阪イメージ : 増殖するマンモス/モダン都市の幻像』から。
学術、文芸、芸術とかいう類の多少憂鬱な仕事をやろうとするものにとっては、大阪はあまりに周囲がのんきすぎ、明る過ぎ、簡単であり、陽気過ぎるようでもある。(中略)気の利いた芸術志望者は多少大阪よりは憂鬱である東京へ逃げて行く。それで、大阪は常に文芸家、実に芸術家は不在である。水のないところでは魚も呼吸が困難なのであろう。
小出楢重「陽気すぎる大阪」

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北野恒富

2017-7-26
私は大阪の画壇が、東京京都に比して、著しく後れて居ることを甚だ遺憾とする。
大阪の人は大体に於て、絵を理解しない。然し現代大家の絵に、莫大な金を投ずるものは、少くないやうであるが、それは絵に興味を(ママ)有つたといふよりも、評判によつて買ふのであつて、多くは後に価格がのぼるであらうという利心から来るのである。
まづそれは、現代一般の幣風として見逃が(ママ)すとしても、次に述べるやうなことは、大阪の恥辱である。
人が揮毫依頼に行くと、ある画家は粉本を並べて、これは何円、それは何円、これは特に手がかかるから、何円でなければ画けぬと、臆面もなく述べ立てる。然も依頼者はこれを尤なるとして、己の好む図を指して、頼んで行くといふことである。芸術に就て、やかましくいはれて居る大正の聖代に、かやうな人が大阪にあるとは歎ずべきである。
北野恒富「大阪の画壇」『美術画報』39編-巻10(1916年9月)

大阪での美術(教育)の厳しさをしみじみ。

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2年縛り

2017-7-29

携帯電話の契約に「2年縛り」というものがあった。

朝からコンソーシアム大阪。学生が替わるとはいえこの授業も基本「2年縛り」である。
受講生は大阪所在の他大学の学生。
来週(8/5)に最終回。ようやく「2年縛り」が終わる。

講義を終えて昼食、その後に大学。
午後からは春学期卒業(予定)の卒論口頭試問。

夏休みはもうすぐそこまで。

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頓阿作人丸像

2017-7-31

各地に頓阿作とする柿本人麻呂像が点在する。

曰く、頓阿がこの像を百体(三百体?)造って住吉大社に奉納したと。頓阿法師(1289~1371)は鎌倉末期の歌人で、そうしたことはあまり考え難いが、福島・白河市指定文化財にもなっている像《木造柿本人麻呂像(伝)頓阿作》は松平定信『集古十種』に「柿本人麿像陸奥國白川鹿嶋社蔵」として掲載される。

「頓阿作人丸像」は、大田南畝『壬申掌記』(文化9年・1812)に「楽山楼ニ頓阿作ノ人丸像アリ。蓋ニ、文化九年壬申 月 日、神祇伯資延王トアリ」とみえ、また、住吉社への奉納は、幕末の随筆家・雑学者の山崎美成(1796年~1856年)の『海録』に「頓阿法師古今伝授すみし時、手づから百躯を彫刻して住吉の浦へ流せし由」に由来。

静嘉堂文庫には、頓阿以外に「為家作」の像も所蔵。「為家作」の人丸像の右手は膝上で握られて筆を立てるもの。東博にも酷似した像(C-489)があるものの、右手は膝の上の置き、掌を伏せる。
最近はヤフオク(写真)にも出品。高さ5寸5分。

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