日々雑記
謹賀新年
2019-1-3
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
やはりというべきか、とうとうと言うべきか、31日午後に「胃痛」をおこしてダウン。
「病院、行く?」と家人共々病院で大晦日を迎えるという過去の悪夢もよみがえるほど。(かなりビビったぁ)
今回もまた何が原因かさっぱりわからない。
新年の挨拶回りなどすべて家人が代行。新年から誠に申し訳ない限り・・・。
まだ、雑煮も食していないが、無理は禁物。
雪
2018-1-5
終日寝ていると、空気が悪くなる。
窓を開けると、朝からの雨も上がり、夕刻には葛城・金剛山系は全山雪景色。
笑われるかもしれないが、温暖な場所がら、ちょっと感動。
正月は、完全に寝正月であった。
ようやく回復。
九郎と四郎
2018-1-7
ようやく回復。雑煮はまだながら、初詣。和歌山・丹生都比売神社へ。
本殿・楼門の檜皮には過日来の雪。授与所には犬の九郎君と四郎君。
戌年なので、金色限定バージョンも。
今年もそろそろ始動。休日明けには授業再開。
来週は休講
2018-1-9
授業再開。卒論指導も最後。
明後日、明々後日が提出。諸々の助言を行う。
我ながらよく頑張りました。
授業終了後、最後のやり取りをメールで行うと「来週もよろしくお願いいたします」と。 いやいや、明後日、明々後日が提出日なんでしょう。そりゃシラバスには来週も「口頭試問対策」と書いてあるが、そこは大人の事情。 大学サイトの授業予定表にも来週の授業は消えている。
「来週は休講です。よく頑張りました。」と労いのメールで〆る。
奈良の大仏の頭はなぜ黒いのですか
2018-1-11
一般教養の授業に向かう際、いつもとある部署の前を通る。
「留学したことを後悔している人に会ったことがない。」などのデジタル・サイネージがある部局。摺りガラスを通して欧米留学生と邦人学生が楽しくコミュニケーション。
教室に向かいつつ、「kyoto」「Nara」の話題になると、ボロボロだろうなと思う。「ご飯とお味噌汁は好きですか」とか「普段の日曜日は何をしていますか」などと、初めてホームスティを受け入れた高校生の会話はできるだろうが、「八坂神社は誰を祀っていますか」「奈良の大仏の頭はなぜ胴体に比べて黒いのですか」などと質問されると、もう全員がぼろぼろ。さっさとその場を逃げ出そうと思う人が大半。
ただ英会話は必須。ようは何について英語で話すのかである。
別に大学がECCやAEONの真似せんでもええのに。
新年早々、授業のマクラに使う。
日本武尊の冠
2018-1-14
所用の帰り、大津・建部神社に立ち寄る。
祭神は日本武尊。参道に建部神社の年表が立つ。家人を待つ間、みるともなしに眺めていると、本殿が旧千円札の図柄に使われたらしい。横には日本武尊の肖像。ハート形の冠姿はどっかで見たことあるぞと記憶を辿り、石見美術館の展示だと思い出す。
旧千円札(兌換紙幣)は。昭和16年(1941)に製造開始、昭和20年(1945)8月17日~翌年3月2日までの短命紙幣。 いっぽう石見美術館「神々のすがた 古事記と近代美術」で見たのは安田靫彦『草薙の剣』(1973年)。
もう少し探すと、安田靫彦『吾妻はや』(1971年)や小堀鞆音『酒折宮連歌図』(大正8年・1919)。いずれも日本武尊が主題。
小堀や安田の日本武尊の冠は、と調べると、明治13年と同39年に調査された福井・二本松山古墳の鍍金冠(現東京国立博物館蔵)。
架空の人物や事績に実物資料が加わると、現実の人物や事績と錯覚してしまう好例。安田にはそうした意識はあまりないが、小堀の時代はさもありなん。
初調査
2018-1-18
某市にて本年第1回目の仏像調査。
真宗寺院ながら小ぶりの阿弥陀如来坐像(鎌倉時代)を調査。
調査後に旧本尊(阿弥陀如来立像・御内仏)を拝見。現本尊(室町時代)は既に指定済。御内仏は近世ながら衣に金泥装飾。
「ちょっと、いいですか?」と許しを得て台座から仏像を“抜く”と、足ほぞに焼印。
居合わせた一同、「お~!」と。近世でも古いタイプの真宗本尊木仏。
「なぜ、わかるんですか?」とご住職。偶然ですよとお茶を濁す。
こちらは近世真宗初期の像が御内仏だったとは驚き、なぜこれほど古い仏像が集中しているのかと。
帰途、頂いた名刺をみるとご住職は前宗務総長。なんとなく納得してしまう凡夫の自分。
京都の分業制
2018-1-17
早朝より愛知に向かい、某所で小規模な研究会。
彩色について。江戸時代の銘文にはよく「細色」と出てくる。
研究者によると、近世の“色パレット”は確立していないらしい。黒なのか、ベロ藍(発色はよいが、すぐに黒くなるらしい)なのかも科学的分析を行わないと難しいらしい。近世には群青+藍も使用。
議論白熱のなか、こちらに「(仏像の彩色は)誰が行ったの?」と牽制。絵師や彩色師だろうと。例外ながら著名な絵師が仏像の彩色を行っている例をあげ、分業のなかで彩色師が存在すると言いながら、塗師とは違うのかとふと疑問。彩色像にもかかわらず塗師のみ氏名があがる例も多数。
高村光雲が非難した「京都の分業制」についてはまだまだ未解明な点が多い。
霊廟関係資料
2018-1-19
徳川霊廟関係資料の教示を頂いて思ったこと。
現存するのは、
東京・光明寺四天王像(旧江戸城紅葉山大猷院〈家光〉霊廟)
神奈川・泉澤寺四天立像(旧江戸城紅葉山常憲院〈綱吉〉霊廟)
東京・有章院〈家継〉霊廟二天門二天像
増上寺・二天像(旧江戸城紅葉山厳有院〈家綱〉霊廟)
増上寺・四天王像(旧江戸城紅葉山文照院〈家宣〉霊廟)
浅草寺・二天像(旧上野寛永寺厳有院〈家綱〉霊廟)ぐらい(日光を除く)。
徳川歴代御影像をはじめとして、霊廟関係の仏像や節目の忌仏など多数の作品があったはずなのに、ほとんど現存しないのは明治維新、戦災のためだとされるが、それにしても現存作品が少なすぎる。
忌仏などは、かつてM先生が書かれた「モノ化する仏像」なんだろうと想像。一回の法要のためだけに造られ、使用されて法要が終われば“お蔵入り”する仏像。 法要後、きっとどこかの寺に下賜されたと想像するが、行方は全くわからない。
写真は東京芝・有章院〈家継〉霊廟二天門二天像。
『集古十種』
2018-1-20~21
『集古十種』関係で東北某市へ調査。
浄土宗画僧 白雲に関して。
松平定信に画才を認められ、後に『集古十種』編纂のため、寛政11年(1799)と翌年、巨野泉祐(画人)とともに山城・大和・摂津・山陽道に赴いて美術品等の調査を行っている。
白雲・巨野泉祐も20年近く論考が出ていない。福島県博「定信と文晁 松平定信と周辺の画人たち」(1992年)などわずか。 明誉古礀(門+日)にしろ、浄土宗から画僧が生まれる環境はなんだろうかと思う。
さすがに関西から東北へは遠い。
寒い・・・
2018-1-23
極寒のなか某所で調査。
水盤も仏前のお水も凍っている。
暖かい部屋を用意して下さった所蔵寺院の方に深く感謝。御礼の気持ちを込めて丁寧に仏像のホコリを払う。
像内に墨書銘あり。「〇〇寺■作□」云々と記載。すらすらと読めたのだが、寺の次にくる文字(■)が明確に判別できるのだが、頑張ったが、最後まで読めなっかたのは悔しい限り。
夕刻には時折吹雪く空模様。気温はマイナス2度。
定期試験
2018-1-24
ちょっと悪寒がする。午後3時より定期試験。189名受験。
高校の「日本史資料集」を持ち込んだ者、出題ミスと質問した者、各1名。
後者は「出席してたか?問題をよく読みなさい。」と。
開始30分後にぱらぱらと提出。毎年のことながら、奇答、珍答もちらほら。 終了後、答案をもらってさっさと帰宅。風邪っぽい。
消耗品
2018-1-27
このところ携帯電話が不調で、朝に販売店へ。
調べてみるとバッテリーがへたっているとの由。別売のバッテリーも昨春に製造中止。
思いあぐねていると、販売員の次のひと言にカチリ。
「携帯(電話)も消耗品ですから・・・」
「消耗品?!」
決して安くないローンを組んで買う携帯電話のどこが消耗品なのか。
店内で声を荒げるわけにいかないが、消耗品ならもっと安くすればよいのに、ちょっとしたパソコン並みの価格である。
消耗品という意識だから、電車内でゲームに夢中になる老若男女のアホがはびこるのか。
黙って店を出て、ガラケーか格安スマホにするかなどと思いつつ大学へ向う。
午後からプレスチューデントプログラム。
再び徳島
2018-1-30
再び、徳島 へ調査。
等身大の薬師如来像。内刳りが大きいが、ご住職・副住職の手を借りて移動させて調査開始。
鼻周辺を少し後世に彫り直しているがおおむね良好。夕刻まで写真撮影や調書作成。
背面に刺さった、ほとんど効いていない2寸の鉄釘(針金止めの後補の光背留め)を抜く。キリスト磔刑像でもあるまいに。
伝来・伝承は、近傍の某寺薬師如来像(文治5年の伝承あり)と同木で造られたとも近在の庵寺から移されたとも。文治5年(1189)とはいい年代観である。
これで寺にある全ての仏像調査が終了。機材を片付けていると、春の彼岸会で檀家さんの前で調査成果を話して欲しいとのこと。快諾。
ちょっと日没が遅くなって、まだ明るいうちに帰阪の途につく。
口は開けるが誰も動かへん
2018-1-31
委員ではない某文化財審議会からの相談。
真宗高祖画像とセットで近世初期阿弥陀如来像(1600年ごく初頭・『木仏之留』に掲載)を指定候補にしようとしたら、歴史分野の委員(中世史)から、「当該期、本願寺からの木仏下付の全国的状況」「当該地域での近世初期真宗の動向」の資料提示が求められたという。
悉皆調査もしていないし、そんなこと誰もやってないし、わからないし、「近世初期真宗阿弥陀如来像」の市町村指定ってありますかなどと担当者大困惑の態。
しばらく考えたあげく、あっさり仏像は「参考資料」に留めて今後の調査研究の伸展に委ねましょうよと。
最近、歴史分野の委員からの無茶ぶりが目立つ。「お寺に仏像が確かにあるが、(仏像に比べて)お寺の歴史が浅いため、もともと何処に安置されてどうしてお寺に移動したのかがわからない限り、指定は難しいでしょう」といった発言が目立つ。そりゃそうだけど、そんな細かいところまでわかるなら誰も苦労しないはず。
「そんなこと言ったら、堺市博の檀像(隋代)なんか、未来永劫、指定にはならんでしょう!」と声を荒げたこともあったが、このところ諦めムード。
そういや、10世紀の本地仏(観音立像)も如上の理由で2年ほどペンディングの状態。
その中世史の先生に真宗文書の総合悉皆調査でもしてもらって結論が出たら「考え直しますわ」って、うそぶいたらと。
しゃーないやん。口は開けるが誰も動かへんねんから。