日々雑記


悪夢再来

2019-8-1

定期試験最終日。午後3時から。

朝から会議があり、定期試験を終えた後も会議が続行。ハンバーガー状態。
試験を終えた後、「3、40分で答案をお渡しできますので・・・」と聞かれたが、会議が長引き、答案の引渡しに四苦八苦。
試験本部は閉室、放置しているといっそう話がややこしくなるばかり・・・。
大学各所に問い合わせ、会議の休憩時間に速攻で取りに行く。
今年は曜日の関係で、試験が8月に食い込むし・・・。

会議が終了し、色々と雑務をしていると、もう終電も近い。

相変わらずのドタバタながら、なぜこうなるのか、ちっともわからないでいる。

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調査

2019-8-2

終日、奈良にて研究者による調査に同行。「恩師」も参加。

こちらの専門とは対極にある資料群。資料を扱いながらお手伝い。
時折、素人ぽい質問を投げかけながらも終始じっくりと資料観察。

終了後、駅前にて一献の後、解散。
別れてから駅に立つと、緊張が解けたのか熱中症ぽいのか、少しクラッと。
用心のため、特急ではなく普通にて帰阪。車内で寝込む。

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文化財調査報告書

2019-8-3

昨日、ご恵贈いただいた某町の文化財調査報告書。
調査を経て文化財の保存、活用、そして地域振興へと結びつける施策である。

全件、カラー図版もさることながら寺社名、所在地は防犯上の理由からすべて非公開。
これからの調査報告書はこういう体裁が一般的になるだろう。
また調査財源は「ふるさと納税」。こういう使い道があったのかと驚く。

ただ、業務委託先が美術工芸に精通していないため、真宗本尊などは現状写真。台座、須弥壇から下ろしての調査ではないので足枘などの銘記も確認されていない。半世紀ほど前の調査状況とあまり変わらない。
施策実行のプロセスに研究(成果)がないため、どう位置づけて活用するのかも覚束ない感じである。

「ふるさと納税」厳格化のため先行きも不安そう。

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飛鳥史学文学講座

2019-8-4

今回は「大和の神道美術」。
猛暑のなか約120名が受講。この時期の開講にしては多いとの由。

対学生では散々な評価だったが、講座はおおむね好評。こちらと世代が近いためでもあろうか。

関西の小・中学校での修学旅行や林間学舎といえば、伊勢神宮や吉野山、高野山が定番であった。それも無くなって久しい。

初詣、お宮参り、七五三、神前結婚など、人の歩みとともに神社が寄り添う。その文化を知ることも大事ではないかと思うのだが、教えてもらった記憶はあまりない・・・。

終了後、「千寿会」から別件のご依頼、もちろん快諾。

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岐阜

2019-8-6~7

岐阜某所で調査。
研究者と教育委員会の方と合同で基礎調査。撮影と計測観察等に分かれての調査。

羅漢像ながら像高や作風、構造からみて精粗あり、ひとりの仏師(工房)による制作でないことが推測。施主は記された地名から見て近在の人たちが主。

内陸(海無県)のことゆえ猛暑。奈良や山形内陸と同じ状況。
作業で動くと、たちまち汗が滴り首から巻いたタオルも汗とホコリであっと言う間に雑巾と化す。

主に写真撮影を担当。立ったり中腰の姿勢が続き、終了する頃にはやや腰痛。

学生同行。よく働いてくれたので、帰途、自宅近くまで送り届ける。

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小川翠村

2019-8-9

小川翠村(1902~1964)は泉南郡日根野村生れの日本画家。旧制岸和田中学に進学するも画業のため中退、大正9年(1920)京都の西山翠嶂に師事した。

西山翠嶂は師である竹内栖鳳の女婿。
大正9年の第2回帝展に「朝」が初入選し、第6回「庭園晩秋」、9回「老園逢春」、10回「残る秋」が特選となり、昭和5年には第11回帝展で推薦となる。

この頃、小野竹喬や村上華岳が既に国画創作協会を立ち上げている。その影響を受けた作品もあるが、画業はあまり知られていない。

何が原因で、「忘れられた」画家になってしまったのだろうか。
写真は翠村使用の顔料(一部)。

久しぶりに大学。答案等をお持ち帰り。

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大失態&大きく凹む

2019-8-10

岐阜の調査を纏めようと、カメラを探すとない・・・。
車に行って何度も探すもカメラバック(布製:紺地にハイビスカスの花)もなく、部屋をくまなく探してもない・・・。
慌てて、お寺や同行の学生、研究者に問い合わせるも知らない、ないとの由。

記憶を辿るも、調査終了後、あれこれと調査関係資材を車に運び入れたが、カメラバックを入れた記憶はあまりない(カメラバックはいつも助手席か後部座席)。
60数躯のデータ及びコンパクトカメラが行方不明。
最寄りの交番へも尋ねるも該当物件はなし。取り敢えず紛失届を出す。

紛失したのは何処だろうか。記憶を辿っても思い至らない。
齢なのか、疲れているのかわからないが、(たぶん両方が作用)大失態。

終日各所からの連絡を待ったが、音沙汰がない。
改めてお寺様にお願いをして再撮影となろうが、諸々の準備が必要。そもそもカメラを再購入しないと・・・。
お盆を前にして大きく凹む。

頼む、何処でもいいから、データだけでもヒョイと現れてくれ。お願い。

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HASE.LAB

2019-8-12

盗難か紛失か・・・。
猛暑のなか静かな時間だけが過ぎ、あせるばかり。

やむをえず、ヨドバシ梅田でカメラ(一眼レフ&コンパクトカメラ)購入。
想定外の大出費。

真新しいカメラを持っていたジュラルミンケースに入れて、立ち直りの第一歩。自戒の念を込めて、ケース上部に落書。
「HASE.KANSAI-U.」とするか「HASE-KEN」「長谷研」とするかちょっと悩んだだが、結局「HASE.LAB」。

横で事のいきさつをみていた家人。「鍵、掛けないでいいの?」。
「いやぁ、鍵、失くしたら元も子もないやん。」

あれ以降、何度も記憶を辿るが、60歳まじかの記憶ではいかんともせず。

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親馬鹿

2019-8-13

上娘が昨夜、帰省。

仕事の成果品をいくつか見せてくれる。
何度か転職した後、現在は都内一等地(通勤定期は「三越前」)界隈のデザイン会社に就職。
時折、試作をみせては意見を伺うが、こちらからのアドバイスも既に織り込み済。

「もう古美術系なら、全国各所にいっぱい散らばっている穴場あるんで教えるし、しんどいけど頑張りや」と。
「父たん、言われんでも期待してるから。」
なんとなく嬉しい。

今日は紀伊半島の端で、カフェ&お風呂。 娘が帰ってきて、少し気分も回復。

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会議

2019-8-14

午後から某市の会議に出席。

構成メンバーが地元、行政、有識者の総勢20名弱の会議となると、こういう日程にならざるを得ない(それでも1名欠席)。

会議が終了し、EVで某委員と雑談。学生と明日からどこかへ調査に行くようだが(関空集合)、接近中の台風が気になるご様子。
雑談している間にも、帰省中の学生から「今日中に(関西に)もどりますから」との連絡。
うちではそんなことはあり得ないので、なんとなく羨ましい。

会議終了後、某博物館のリニューアル会議。
管理職は出向していた頃の元同僚。当時の面影は全くなく(こちらも同様)、老成した風貌。
全く気付いていない。
名刺交換しなかったが、ま、いいか。

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タイトル・演題

2019-8-16

しばらくメールを開いていないとたいへんなことに。

世間はお盆休みながら、博物館、行政は通常通り勤務。お昼過ぎに電話があって「メール、ご覧いただけたでしょうか」と。聞けば、来春の講座のタイトル。
はぁ、と思いながら口頭で了承するも、PC画面に現れたポスター(PDF)にはこの秋からの一連の講座が掲載。こちらは最後。
そういえば、別件で来春の研究発表のタイトルも求められていた・・・。

7か月先の内容なんか想定外だと思うものの、世間では普通なのだろうか。
外出せずにおとなしく9月初旬のレジュメを作成。

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再び岐阜

2019-8-20

岐阜某所で2度目の調査。

冒頭、カメラ紛失を詫び、再撮影をお願いする。
午後から教育委員会の方が財政課との折衝があるため帰庁するとのことで再撮影。
頑張った甲斐あって4時頃にすべて再撮影完了。ひとまず安堵。

明日は、残りと他の仏像の調査。
カメラケースを何度も確認しながら駅前のホテルへと向かう。
暑さもあって疲労困憊。

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素人

2019-8-21

調査続行。

頭体根幹部が平安時代の阿弥陀如来坐像(膝前部以下は江戸時代)。
像底をみると、根幹部がやや扁平に湾曲している。真っ直ぐな膝前部を膝前材を寄せるため左右に小材を挟みこんでいる。
他の研究者が「12世紀ですね」と仰ったので、つい「いや、11世紀頃でしょう」と言ってしまう。
まずかったと思い、すぐさま「いやぁ、こちらは平安時代(の仏像)は素人同然、12世紀かも知れませんね」と訂正。
ちょっと気まずい状況を作ってしまった・・・。

その後も、在銘近世肖像彫刻も出てきて、個人的に大いに盛り上がる。
これまでの仏像同様、他の研究者が「江戸時代後期、19世紀?」と問われたので、「18世紀初頭、京都仏師の作品です」と返事。
躰部に墨書銘があって、正徳3年、京都仏師の名前。

昨年、見た時に御礼の際に教育委員会の方に告げていた仏師名、横で「おっ~!」と感嘆。

夕刻に撤収、しばしば休憩しながら帰阪。

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那覇

2019-8-22

朝6時過ぎに出立、JTA01便にて那覇。
通路側、那覇まで殆ど爆睡。
空港で他の人と待ち合わせ、おもろまちで「沖縄そば」を食して、午後から博物館。

十数年ぶりで、円覚寺各彫刻資料を熟覧。
調査しなかった(当時、見出せなかった)資料もあり、じっくり拝見。
釈迦三尊像は頭部亡失(釈迦・普賢)ながら巧い、実に巧いと感嘆。
光背も一部は接合可能。

長い年月が経ち、思い出もひとしお。
「朝、博物館に伺うと鉄扉を開けて地下に降りていき、薄暗い電灯をつけるとバタンと鉄扉が閉まる。ひとりで写真を撮り調書をとって、お昼になると、鉄扉を開け電灯を消し、午後からも同じ作業。2日か3日ほど続きました・・・」。
当蔵町の旧県立博物館でのひとコマ。もちろん空港もアジアンチックな旧那覇空港。

行政側の会議メンバーが総入替となったので、夕刻は懇親を兼ねて一献。
投宿後、倒れ込むように寝る。風呂は明朝・・・。

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組踊

2019-8-23

高温多湿。朝に一時強雨があったものの、晴れ、湿度高し。
朝から会議。順調に進むも、後半にやや難渋あって午後に喰い込む。

美術館では「ジブリの大博覧会」。既に11万人突破との由。
こちらは会議終了後、遅い昼を済ませて博物館へ。 閑散とした博物館なので、常設展ではボランティアスタッフが絡んでくる。正直、ウザい。

「組踊上演300周年」とのことで、企画展「THE KUMIODORI 300~組踊の歴史と拡がり~」。首里城でも組踊の企画展。
沖博の小冊子を見ながら展示を見ていくと、うちの某先生の初学生向きの十八番「翻案」という授業を思い出す。

「(玉城)朝薫の五番」でも「二童敵打」は歌舞伎の「曽我兄弟」、執心鐘入は「道成寺」、銘苅子は「羽衣伝説」、「女物狂」は狂女物、「孝行の巻」は孝女物、と”大和”歌舞伎の翻案ではないだろうかと思うが、その点について小冊子は何も言及されていない。
それについて触れなくてと思う人も多いだろうが、琉球という環境を考えると、どこが翻案されて、どう変容したのかを指摘することも必要ではないだろうかと思ったり。

いつもはJTAで帰るも満席のためANAで帰阪。
離陸前の「機内安全ビデオ」は「歌舞伎」バージョン
見ながらなお一層、組踊の展示を反芻。

帰宅は23時過ぎ。

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ごなんちょう

2019-8-25

午前中、所用あって吉野某所へ。

学生の頃、この辺りを調査に参加した際に地元の方が言う「ごなんちょう」という言葉がわからなかった。ごくごく普通に出てくるので「難聴」ではないのは確かだが、何を示すのかまったく分らず、相槌を打つだけであった。
後年、調査成果が掲載された村史を読むと「後南朝」であることを知った。
吉野の中世地域史は、「南朝」「後南朝」を抜きにして語れない。

帰途、後醍醐天皇を祭神とする吉野神宮へ参拝。たまたま宮司さんとの会話?に及び、心和む。
夜半、夜行バスにて鶴岡へ。

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善寳寺

2019-8-26
朝に鶴岡到着、羽前大山から善寳寺。
東北芸術工科大学文化財保存修復研究センター・芸術学部文化財保存修復学科学生による善寳寺五百羅漢修復プロジェクトに参加。
外部からは色材研究者と小生。

基本は羅漢像を安置している安置段から降ろして、気付いた点をメモ、写真撮影。採寸や細かな点は保存修復研究センターに搬入してからとのこと。
それでも「弐百弐拾七番」「二月 中村」などの墨書銘が続々。京都仏師の作品は実に巧い。

かつて拙稿でも述べたが、この時期、京都周辺では大きな仕事が減少し、京都仏師は新天地を求めて山形へ。
「なぜ山形?」という疑問は「財政的に潤沢であり、京都ブランドを求めた」からだろうと思う。 この時期の京都仏師は関西よりもむしろ山形や日本海側と強く結びついていたと考えられる。
あれこれお手伝いしながら、つい動いてしまう。
「学生さんがメインでしたね。」とやや反省。

夕刻、善寳寺龍王殿。
燈籠に「松前領エトロフ嶋/摠支配人」、寄進の扁額は「北海道後志國高島郡祝津村」の文字。善寳寺五百羅漢堂が日本遺産「北前船寄港地・船主集落」の構成要素になったのもむべなるかな。

午前中は疎遠であった学生らも夕刻にはあれこれ質問。
現状では不分明な点もあって、スマホで資料を提示。名残惜しくも善寳寺を後にする。
善寳寺五百羅漢修復プロジェクトの完了は2035年。以後も出来る限り参加しようと思う。

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打合せ

2019-8-27

朝、OCATに到着、帰宅。シャワーを浴びて、再び出立。奈良県南部某所へ。

初顔合わせ&仏像調査の打ち合わせ。
集中調査2か年の予定。20分ほどで終了。ここでも既に盗難被害発生。

帰途、寄り道をして高野山。根本大塔は亀腹の営繕中。不在がちのお詫びかたがた浜田屋の胡麻豆腐を買って帰る。
強雨のため恐る恐る下山。
これで「長期ロード」もひとまず打ち止め。

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千差万別

2019-8-29

仁王像の口からハチの大群が!文化財ゆえ駆除難しく...住職も頭抱える とのニュース。

この仁王像はたしか田中主水の製作だったと思う。

一度、奈良県文化財課から相談があったような。
「修理ですか?」「いや、ハチの巣が・・・」と会話したことがある。
解体修理しても頭部のなかには蜂蜜がべったり・・・。
修理するとしてもちょっとひく状況。文化財(仏像)の問題も千差万別。

午後から大学で早くも会議。仕事1件、終了。

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奈良散策

2019-8-31

天候不順の折、家人を連れて奈良散策。連れて行くのにはもちろん理由がある・・・。

まずは興福寺中金堂へ。不肖、初めて。
堂内は赤尾右京の釈迦如来像と薬上、薬王菩薩立像と南円堂から移された四天王像、それと大黒天、厨子入吉祥天像(厨子は閉扉)。
観ていると、「大黒天さん、怒ってはる」と。
そうきたか・・・。
「大黒天はもともとインドの神さんで…(中略)…怒ってる大黒天さんをみかけたら、連絡するように。」と。
四天王像もしげしげと眺めている。四天王像への質問の回答はややこしくちょっと長くなるなぁと、脳内で整理中。身構えていると「上手やね」と一言。

引き続き国宝館。こちらもリニューアル後初めて。仁王像頭部は撤去されている・・・。 厨子入弥勒菩薩半跏像を眺め、仏頭(西金堂、旧山田寺)をみて、華原磬(復元された台座(大理石)が天川村産と知って驚く)、千手観音立像。
「こんな大きな像、誰が造ったの?」と。そう来るわな・・・。
十大弟子、八部衆像は疲れたのか、感動したのか、ほとんど無言。
ミュージアムショップの「手ぬぐい」に「興福寺 悪僧」とあるのは自虐ネタか。

その後、春日大社へ向かう。
家人は参拝、こちらは参拝もせずに国宝殿。1Fはインスタレーションの空間と鼉太鼓。2F(撮影禁止)は、復元の蒔絵箏(原品:平安時代・蜂の巣が描かれた箏)や銀琴と舞楽面が並ぶ。あと春日験記絵(模本)。 定慶作の散手など舞楽面をじっくり。

雨が強くなって、バスでJR奈良駅へ。
車中、「どう、下見になった?」と問われる。・・・バレていたのか。
来月、このコースで案内役を仰せつかっている。今日はその下見。

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