日々雑記


再開

2019-7-1

5月、6月といろいろあってしばらく休止しておりました。本日より再開。

光陰の如く2ヶ月が過ぎ去ったが、最大のイベントは6月下旬の専修合宿。

女子学生(3回生)ばかり11名で、明日香村。夜は稲淵のホタル。
”ホタル~のひ~かり♪”と夕食後に集まったが、これまでホタルを見たことがない学生が大半。
キャキャとホタルを見た後はお約束の”懇親会”。夜遅くまで続く。(左端は引率の先生)
翌日は岡寺まで歩いて、塑像(如意輪観音像)などを拝観して、解散。
さすがに疲れた。

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西田立慶

2019-7-2

抱えた難問のひとつに京都仏師の西田立慶。

資料が少なく難渋しているが、生没年が判明。和歌山市三葛の身代地蔵堂徳本上人像の台座に「文化八年九月、西田立慶六十五歳」「男 僊治 信則廿一歳」とある(塩路善澄『徳本行者を慕いて-郷土での足跡-』青山社 2009年3月)。

立慶、延享3年(1746)生れ、僊治(信則)寛政2年(1790)生れ。

僊治が生れるまで、立慶はどこで何をしていたのやら。
難問はますます深まるばかり。

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藤山ゆう

2019-7-4

図書館書庫で『私の履歴書』文化人 』14 巻を立ち読みしていて、瞠目。

藤山一郎、といってもご存知ない世代が多いが、戦前・戦後に活躍した歌手。国民栄誉賞も受賞している。

藤山一郎の生母は、「ゆう」さん。
「ゆう」さんは、竹内右門(孝吉)の長女で、呉服商専之助の養女になって明治のはじめに上京。

えっ、竹内右門(孝吉)は紛れも無く、仏師系図を明治33年に当時の帝国京都博物館へ寄贈した竹内右門八世ではないか。
藤山一郎は竹内右門の孫にあたる。残念ながら藤山一郎は1993年に死去。

大昔、京都の仏師宅へ「渡辺康雲」を尋ねに行った折も、「もぅちょっと早かったら(20年ほど前に来たら)、知ってる人もいたんやけど・・・」と。 「その頃は(こちらは)まだ小学生ですやん」と談笑したことを思い出す。
時既に遅し。

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学修時間

2019-7-4

もう春学期の授業も数えるほど。

恒例の授業評価アンケートを配布。問20「授業時間以外で、この科目の授業1回当たりの平均的な学修時間はどの程度ですか?学修時間には、予習・復習・課題のほか、レポート課題作成、プレゼンテーションの発表準備、休み時間に関連事項のディスカッションをした、通学時間に関連事項を検索したなど全て含みます。」と選択肢を提示せよとのお達し。

最初「学修」は「学習」の誤字?とも思ったが、どうも違うらしい。「学習」が「ただ学ぶこと」なのに対し、「学修」は「学び身につける」ことだそうで、大学教育では一貫して「学修」だそうである。

点と線の理解ですか。
あまり字句に拘る必要もないようにも思えるのだが。
授業終了後に提出。

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琴棋書画

2019-7-6

とある飲食施設にて。床に半双の屏風。

落款・印章が左側にあるので、左隻とわかる。画面は右から書を読む人、書画を観る人、「琴棋書画」の典型。

この前に座っている人はまったく関心もなく雑談に興じている。ま、わかる人にはわかるだろうが、殆どの人は関心がない"ただ"の飾り物。

たぶん右隻もあるだろうが、痛みも目立つので(左隻もかなりある)仕舞ったままだろうか。

出された定食を食べ、雑談の終わった人とほぼ同時に退出。今度は屏風の前に鎮座してゆっくり見ながら食事をしたいと思う。

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祝 世界文化遺産

2019-7-7

世界文化遺産に「百舌鳥・古市古墳群」が登録。

本学でも7月15日に「シンポジウム「世界文化遺産へのあゆみ 百舌鳥・古市古墳群と関西大学」が開かれるが、当日は祝日ながら授業日でもある(しかもこちらはフル3時限)。

かつて大仙古墳の東側の三重堀のそばを歩いて通勤していたが、到底"鍵穴型"がわかるはずもない。
これからの課題のひとつだろうか。
朝より大学院入試に出向く。

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真宗の阿弥陀仏

2019-7-9

13日より龍谷ミュージアムで『龍谷の至宝-時空を越えたメッセージ-』展が開幕。
チラシ(表)には「須弥山儀」。以前、狩野一信『五百羅漢図』第39幅(天道)で「なんで山が逆さまになっているのですか」と問われ、妥当かどうかわからないが「須弥山儀ですよ」と答えたことを思い出す。
チラシ(裏)には個人寄贈の渡辺康雲作阿弥陀如来立像。典型作である。ま、西本願寺だから当然といえば当然だが。

各地の展覧会をあれこれみていると、東京国立博物館「新収蔵品」展でも個人寄贈の江戸時代の阿弥陀如来立像(おすすめ)が展示。ちょっと康雲より古そうである。改めて出品目録をみると「木仏裏書(阿弥陀如来立像付属文書)」もある。 「木仏裏書」があるということは本願寺系統。

よっしゃ、いくでぇ!と意気込んだが、展示は15日まで。アカンやないの。
東博でこうした作品が展示されるとはちょっと意外。

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引札

2019-7-10

知人から引札の画像が送られてきた。

京都にあった旅館の引札である。ただし見出されたところは、京都から遠く離れたところ。
例えで言うと、大阪の拙宅に札幌のホテルのカレンダーが送られてくるようなもの。

考えられるのは、近い過去に仕事などで札幌のホテルに泊まった経験があり(なければ、家庭内で刃傷沙汰)、今後ともよろしくといった感じである。今でも書中見舞いや年賀状が来る旅館と同様。

上に刷られた暦は明治25年とご教示。
何のために札幌 京都へ行ったのか。そこが知人の疑問を解く鍵となるかもしれない。

明治のこととて刃傷沙汰にならないとは思うが。

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出席

2019-7-11

正月頃にシラバスを書き、「評価:出席50パーセント、レポート50パーセント」としたところ、事務方から「出席だけでは評価となりません」と返却された。
文章表現が苦手だが真面目に出席して一応の理解をしている学生もいるのに、と不本意ながら修正。
面倒なので「出席 → 中間テスト」とした。
4月に入って授業が始まり、もちろん抜き打ちで出席も取った。

某日、某リレー講義を担当。事務方の指摘を、身をもって体験し大いに納得。

最前列はもとよりちらほら、講義も聴かずにスマホをいじっている。聞く気がないなら帰れよと思いつつ授業進行。
SAがカードリーダーで出席を取る間、「スマホをいじって聞く気がないなら、出て行って下さい。出席もとったことですし」と。しばらくして3人ほど教室から退出。

一度でいいから こんなこと してみたいと思う教員は管見の限りでも少なからずいる。
出席票をフルカラーで揃えておく、隅を適宜切っておくなどは昔語り。

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グローバル

2019-7-12

過日、面談希望のメールが来た。「卒業論文では餓鬼草紙を扱った。これから(大学院)、宗教絵画(特に浄土真宗)を研究したい」と。
これが日本人学生なら「あ、そうなの。頑張って」で済ますのだが、相手は欧米の男子学生。

知己の先生から小生を紹介されたらしい。メールはきれいな日本語ですごく丁寧。最初、女性かなと思ったほど。

いやいや、どうなっているんだ、「グローバル」やないか。末端研究者のこちらでなくとも・・・。
うちのゼミ生でも「餓鬼草紙」なんかおらんぞ。
メールで「(こちらは)近世仏教絵画には関心があるが、それでもええか?」と返したら、オーケーだそうで。

欧米の美術館、博物館にも近世仏教絵画がたくさん所蔵されている、日本の研究者はきわめて僅少・・・、真面目に調査・研究すれば、研究者になる可能性もあるかもと。

しばし考え、後日面談することに決める。さて・・・。

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ひまわり

2019-7-14

ぐずつく天気のもと、家人と小野・浄土寺へ寄る途中、道沿いに広大なひまわり畑。38万本。

小学校の全校集会よろしく、太陽の方向に向かって前のほうはきちんと向いているが、後ろのほうはやや花が横を向いたりしている。

このところしばらくお疲れモードだったので、ちょっと元気でそう。

結局、浄土寺は次回のお楽しみにということで。
秋には380万本のコスモスとの由。

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海の日 山の日

2019-7-15

祝日(海の日)ながら通常通りの授業。

学生と雑談していたら、来月もこの頃に連休?と。確か8月は連休はなかったはず・・・。
「『山の日』ですよ。私らには関係ないんですが」と。「山の日」ですか・・・。
「海の日」は7月第3月曜日、「山の日」は8月11日(固定)。

こちらは、ただいまその頃に行う山岳修験の話とパワポの作成中。

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理屈じゃないんだ

2019-7-16

夏季休暇が近づくと、決まって博物館実習がらみの相談がやってくる。

こちらとしては展示ケース2、3つ分なので特段難しいことはないが、学生にとっては、初めて企画案を作成。

戸惑うパターンの多くは、ストーリーが先行して、ストーリーが固まって後に収集すべき展示品が僅少であることに、はたと気づく。
まずは始めるのは展示品の収集リスト。大きな枠で収集(リスト)しながら、ストーリーを組み立てながら取捨選択していくと、破綻は少ない。

脅しておくが、キャプション・解説パネルの展示か、と思うほど隙間なく並べるのは絶対よくない。平面であれ立体であれ、ある程度の空間を取ることが大切。

もっとも、うちの博物館は、内部完結(他館の借用品なし)でやっているので、交渉のテクニックは皆無に等しい。

手持ちの学内の資料リスト(図録等)を渡し「まぁ、これでいっぺんやってみたら」と助言。

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肖像画の右向き、左向き

2019-7-19

土曜日の校務で、肖像画について質問があった。
寿像(生前)は向かって右向き、遺像(示寂後)は向かって左向きという説に関して。

よくわからないと保留したものの、気になることを思い出した。「神護寺三像」。

米倉迪夫・黒田日出男両氏の見解では、足利直義像(伝源頼朝像)、足利尊氏像(伝平重盛像)は康永4年(1345)に神護寺に奉納後、観応の擾乱(観応元年・1345)を経て足利尊氏像(伝平重盛像)に替えて足利義詮像(伝藤原光能像)が新たに奉納。

向かって右向きの足利直義(文和元年(1352)没)像、左向きの足利尊氏(延文3年(1358)没)像は、康永4年(1345)に於いて正しい向き。しかし足利尊氏像(伝平重盛像)に替えて足利義詮像の製作となると義詮没年の貞治6年(1367)以降となり、黒田氏の観応2年4月か5月の23日、二頭政治の開始頃とする。

やっぱり右向きか左向きかでの寿像・遺像の判断は俗説かとも。

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関東の京都仏師

2019-7-20~21

関東地方某所へ。都心を離れ、ほぼ地平線しかみえない関東平野は果てしなく広い。

京都仏師の仏像を拝見。七条仏師の作品とされているが、膝前の衣文も少し煩雑すぎてちょっと違う感じ。京都仏師には間違いないが。
七条仏師も幕府御用で江戸には来ているが、他所の造像を手掛ける余裕はない。京都の工房では京都での幕府御用もあって何時、棟梁が帰洛するのかたいへん気になるところ。
江戸を離れた所で、ちょっと他寺院の造像、修復などありえない・・・と思ったが、康祐だけは別。あちこちで手掛けている。でも康祐の作風とも違う・・・。
翌日も同様。17世紀中ばから末頃の像。だから京都出身の江戸仏師がいたんじゃないか・・・と。ちょっと残念。
大阪を出る頃にすみだ郷土文化資料館の展示を知り、時間があれば・・・と思っていたので、東武で「とうきょうスカイツリー」駅へと向かう。もと何駅だったのだろうと思っていると、駅前の古書店が「業平橋駅前」。

資料館2Fは東京空襲の体験者による体験絵画展。3Fでは企画展「黄檗(OBAKU)―牛頭山弘福寺の絵画と墨蹟―」。

兆溪元明「五百羅漢図」と喜多元規「隠元」「木庵」「鉄牛」、狩野重信の作品など。小さな展示だが、充実の限り。3期に展示替。
図録はないが、墨田文化財叢書第8集『牛頭山弘福寺の絵画と墨蹟』(2500円)で販売。

充実しながら帰阪。「虚しく往きて実ちて帰る」。

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初体験その1(ネカフェ)

2019-7-23

今日は大事なプレゼン。
プレゼンを受ける側はもあるが、行うのは初めて。
受けていると、何となくミニミニ講義風な感じ・・・。
昨夜遅くまで手を加えて確認したハンドアウト。
車内で確認していると、むっ?
グラフっぽい表。横軸はH27、H28、H29、R1。
なんかおかしくないか。
慌ててスマホで確認すると今年は「平成31年」。
パニック。

USBだけ持ってきたので修正せねば・・・。ターミナル駅で下車しネットカフェを探してかけ込む。

「初めて(の利用)です。パソコンを使用したいです。」とまるで“初めてのお使い”状態。
受付前で会員登録(スマホ)を済ませ、ブースへ。

パワーポイント修正。ところが互換性のある某ソフトしか入っていない。過去にビジネスホテルで利用したので大丈夫だろう。
H27、H28、H29、R1をH28、H29、H30、R1と修正。

ほっとしてブースを出ると、マンガの本棚以外にも雑誌、新聞、シャワールーム、ドリンクコーナー、カップラーメンなど(有料)もある。
「ホテルがないので、今日はネカフェ」というのも頷ける。
支払いを済ませていると、老人が来店。「喫煙で」と。タバコも吸えるのか・・・。

大急ぎでターミナル駅へ戻る。

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初体験その2(プレゼン)

2019-7-24

ターミナル駅から再び電車に乗り、プレゼン先へ。

待っている間、ハンドアウトを見直し、いざ。
パソコンに繋ぎタイトルが映し出されて「準備できました!」。ところが、スクリーンには思いもよらぬ画像。

四角枠で括った縦文字は四角枠からはみ出ているし、縦書きの「データ」も「デ|タ」と。
顔は引きつり、苦笑しながら口頭で訂正しつつ、プレゼン開始。
つい早口になってしまい、時間もかなり余らせてしまう大失態。
その後の質疑応答も元気よく回答するが、所詮虚勢、頭のなかは真っ白・・・。

あぁ~、これならネカフェで修正しなきゃよかったと大後悔・・・。
帰宅、「大学のセンセなんやから」との慰めの言葉も聴かずにビール飲んで布団被ってふて寝。

夜、遅きに失したが、末娘が使っていたパソコンを譲り受ける。

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梅雨明け

2019-7-25

昨日に近畿も梅雨明け、いきなり猛暑。

午後に1件、会議を済ませ、最終授業。
教室後ろ出入口に一番近い机にレジュメを置くのでいつもそこは空席となるのだが、学生が既に着席。穏便に座席の移動をお願い。久しぶりに来たようである。
淡々と授業を済ませて、来週(8月1日!)に定期試験。

この後も調査や会議などが続いてしまった今年の夏。
天神祭の花火大会終了と重なって、帰途の電車は軒並み遅延。

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面談

2019-7-25

好青年であった。

初対面で「近世仏画、どやっ?」と言われてもたじろぐことなく、対応。
日本語は既にN2取得で、現在N1目指して勉学の最中。

一般的な仏画を考えているらしく、もう一度、(こちらの)知己の先生と面談するとのこと。ひと通りの流れを説明した後、うちの大学院なら最終決定は年末あたりかと。

せっかく来てもらったので、お土産代わりにダブっていた福岡市美術館『近世の絵仏師展』(2004年)を贈呈。
私ではなく、渡邊氏が執筆したことも強調。

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九州北部

2019-7-27~28

展示替えのところ、某所へお邪魔。

水谷作之進、宝暦12年(1762)の作品。 付属文書に「京佛光寺通室町東入 □□□大佛工 水谷作之進 四十五才ニして」「宝暦十二年九月吉日」とある。 水谷作之進方昭である。生年は享保3年(1718)。これだけでも有力な資料である。

翌日は福岡・戒壇院。
盧舎那仏像(平安後期)を中尊に、脇侍像の剃髪の文殊菩薩・弥勒菩薩像(元禄12年・京照暁)が付属。
脇侍像の剃髪の文殊菩薩・弥勒菩薩像はすでに考察済み。

像完成後、照暁も戒壇院に来て指揮指導。漆塗りは福岡の弥兵衛と十右衛門、箔押しは翌年に佐田仏師の長左衛門と又四郎。 なぜ、赤漆下地なのか。でも面部は黒漆。
箔との関係をじっくり観察。
管見では、金銀の使用制限があったと思われるだが不明。照暁がわざわざ福岡にきたのもそのためであったとも思える。

調査後、閉館間際の九州国立博物館を見て、帰阪。

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肖像受難

2019-7-29

昨日は大急ぎで九州国立博物館「室町将軍- 戦乱と美の足利十五代-」展を見たが、圧巻は京都・等持院の歴代将軍像13躯。
ここだけ定位置からの撮影可。

室町から江戸とされるものの、よくわからなかった。

一部の将軍像との「文化6年」「法橋一運末/大黒町/御佛師/清水恭慶」とあるが、義勝像が江戸時代か・・・と漠然と思うだけで、よくわからない。

旧会津藩士山川浩が松平容保の京都守護職在任中の行動を中心に著した『京都守護職始末』(明治44年・1911)に次のような記述がある。

文久3年(1863)2月22日夜、浪士が等持院に侵入、「逆賊」として尊氏、義詮、義満の「木像の首」を取り、三條橋の下にさらし、その下に位牌を掛け、「鎌倉以来之逆臣一々遂吟味可誅戮之処此三賊巨魁たるに依て先醜像へ加天誅者也」の板札を置いたという。

「木像の首」は等持院に戻ったのだろうが、おそらく無事に済んだわけではない。きっと修理しているはず・・・。

なんとなくわからなかったのは、この受難のためであったのだろうか。

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法徳寺の仏像

2019-7-31

猛暑のなか奈良国立博物館「法徳寺の仏像-近代を旅した仏たち-」へ。

五髻文字菩薩坐像は善円風の作品ながらちょっと違う。
図録には「13世紀第2四半期」の「善円と活動時期と範囲が重なる別の仏師」とも。

興福寺旧蔵地蔵菩薩立像(平安時代後期)、橋本関雪旧蔵銅製観音菩薩立像、興福寺千体仏、持国天像、増長天像等々、じっくり拝見。
法徳寺は奈良町どまんなか(十輪院町)にあり、到底古刹ではないのだが、人を介して仏像が集まることに驚き。

久しぶりに仏像館もじっくりと拝見。
ちょっと夏休みモード。

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