日々雑記


なあの大仏

2020-8-1


今日からサマーキャンパス。 多くの模擬授業・ミニ講義がWebで公開。
聞いている分には問題ないが、字幕を付けると大爆笑。

「はい、文学部芸術学美術史のですね長谷と申します。本日の模擬授業はですね。奈良の大仏の頭はなぜ黒いのかというテーマについてお話ししていきたいと思います」が、
字幕では
「はい、英文学部芸術学美術史のですね発生と申します 本日の模擬授業はですね なあの大仏の頭はなぜ黒いのかというテーマについてお話ししていきたいと思います」と盛大に誤変換。「なあの大仏」ってなんやねん。

他専修や他学部の模擬授業をみても字幕が"炎上"。
YouTubeの「自動字幕生成」に頼ったばかりに誤変換"祭"と相成る。怒りを超して、大爆笑するばかり。

確か、字幕の確認はなかったですよね。

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長谷川儀左衛門

2020-8-4

猛暑。

本州某所の金工品銘。
「願主/松前領エトロフ嶋/摠支配人/箱館住/長谷川儀左衛門/エトロフ/摠番人中/世話人」
ロシアが見たら、激怒しそうな銘記。

択捉島が「松前領」だったとは知らなかった。
総支配人である箱館住の長谷川儀左衛門は、『札幌百年の人々』では、「石狩に調役という上級の役人をおいて、改革にあたらせた。調役は初め水野正太夫、つぎが長谷川儀左衛門であったが、これといった成績はみられなかった。」としている。長谷川の後に調役となった荒井金助は、ちょっと有名。
荒井金助は、安政4年(1857)7月に石狩役所に就いているので、それ以前の製作らしい(メモ忘れ)。

「これといった成績はみられなかった」かもしれないが、名はちゃんと残している。

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神鹿と杜園

2020-8-6

猛暑続く。奈良にて所用。

所用も終わり少し日陰にと思ったが先客が鎮座。
鹿の横で少し横で涼む?も思い出したことがある。

昨日から小平市平櫛田中彫刻美術館で「生誕200年 森川杜園-平櫛田中が敬愛した彫刻家--平櫛田中が敬愛した彫刻家-」(~11月15日)、春日大社国宝殿では「芸能の美、杜園の心 ―奈良近代彫刻の名匠、森川杜園生誕200年にちなんで―」(10月1日~11月4日・11月6日~12月13日)が開催。
おひざ元の奈良県立美術館は「みやびの色と意匠 公家服飾から見る日本美」そして「ブラチスラバ世界絵本原画展」。
タイムリーな企画を外すとは、見事としか言いようがない。
同館での「森川杜園・竹内久一・平櫛田中」展(1981年)から40年近く経っているにも関わらず。

「諸外国の美術館と国際交流美術展を開催する一方、奈良にゆかりのある展覧会も開催しています。」(同館概要)って、前後が逆じゃないのか。
なんだかなぁと思ったり。

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平櫛田中コレクション

2020-8-08

井原市立田中美術館で「祈りの美 平櫛田中の仏教美術コレクション」が開催中(8/1~)。

同コレクションは2002年6月に笠岡市立竹喬美術館で「仏のかたち―平櫛田中コレクションより―」で展示されている。
破損仏が多いものの、神像や平安前期とみられる《阿弥陀如来化仏》も。
余慶寺像あたりを思わせる像容。

竹喬美術館での展示資料は、その後に小冊子で頒布。
残念ながら、田中美術館では竹喬美術館での頒布について触れられていないようだし、「大御輪寺旧蔵」なる大きな蓮弁もあるものの、誰も田中コレクションについて触れられていない。

市が異なるとはいえ、実にもったいない限り。

帰途、地下鉄堺筋線日本橋駅で人がホームから転落。堺筋線から御堂筋線経由で帰宅。久しぶりにやってくれました。

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パクリ

2020-8-10

こういうのは論外(7-20) だが、よく見ないと分からない「パクリ」もある。

上は、小坂勝人《夏》(1940年)。紀元二千六百年奉祝美術展に出品。
『夏』に描かれた雲は、アンリ・ルソー《風景の中の自画像(私自身、肖像=風景)》(1890年)をそっくり写している。もちろん、所蔵館はこのことを指摘済。

こういうパクリには思わず唸ってしまう。
洋画→日本画にも驚くが、当時は分からなかったのだろう。今でも、小坂勝人《夏》をみて、アンリ・ルソー《風景の中の自画像(私自身、肖像=風景)》を想起する人は極めて少ない。

昔に比べて、情報量が多いのに今は安直すぎる。

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どうしたものやら

2020-8-12

10年前に大学で調査したところからメール。新たな資料が出てきたとの由。
当時の調査メンバーは退職、就・転職して残るはわたし1人。
取りあえず「伺います」とメールしたら、このご時世なので、当方で撮影した写真をお送りしますので、と返信。

甲冑などもあるとされるが、武具などは門外漢。手に負えない資料はその分野の専門家に聞くしかないが、どうしたものやら。

本来は地元の博物館や資料館への問い合わせが利便だが、最近は博物館や資料館でも「総合調査」など聞いたことがないし、他機関の「後処理」はきっと嫌がるはず。

住民の負託にこたえるのが使命ではないかと思ったりもするが、調査を手掛けた組織のひとりとして送られてくるであろう写真を見ながらその都度処理していかないといけないと思ったり。

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誤解

2020-8-13

朝井閑右衛門《通州の救援》(1937年)。
テーマは悲惨な事件だが、なぜか『戦争と美術』にも掲載され「戦争画」に分類されている。

大昔、「中央の母子は『聖母子像』に似てますね」と言ったら「戦争中はキリスト教禁止じゃないですか」と質問が来た。
「お馴染みのWikiを見てみなさい」と返事。
しばらくして「えっ~!」と、どよめき。

戦時中、日本基督教団と日本天主公教教団は、政府に求められて戦争協力を表明している(後に苦渋の決断であったと弁解)。1940年には「皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会」も開かれ、参加者はその後明治神宮まで参拝している。
ちょっと授業から横道に逸れていたので、「思い込みじゃなくて、疑問に思ったことは自分で調べて確認してください」と軌道修正。

この時期になると、この授業を思い出す。

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下見

2020-8-17

来週から山間部(山岳部)での調査。とはいえ、道が不案内。そこで朝から下見に出かける。

案の定、徐々に道は細くなり1車線の山道。
山岳部のためカーナビも時折、道から外れた地点を示している。
対向車が来ないように祈るも、正面から軽トラ。あぁ~。ガードレールはあるものの崖と谷間にあるギリギリ対向可能な道路(対向後、思わず擦り傷の有無、確認したわ)。
だからこの距離で1時間かかると言っていたのかと理解。

かなり遠回りながら大きな道路も入っている。これを基線に使うか、あるいは調査機材を別の車に積み替えて案内してもらうしかない。

調査は台帳作成のみ。報告書は出さない予定。

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移動

2020-8-19

仏像移動。この折(20200301) の事後処理。

観音堂もきれいに修復再建。やや早く現地に着いたので、晒布、綿ぶとんを外して改めて拝見。
未指定ながらもよい仏像だと思う。

地元の人たちの加勢もあってすんなりと観音堂まで移動。
ところが、再びどうしても光背が仏間天井に引っかかってお納めできない。そこでこちらの出番。先に光背を入れ、台座を入れて、なかで両方傾かせて接合するとなんとか入った。そこから仏像を立たせて完了。

納めた後は、三々五々、仏像とのツーショット・タイム。
見ながら、蓮茎と錫杖の取り付けを忘れていたことに気づく。

しばし歓談の後、観音堂を後にする。

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取材

2020-8-20

お昼前に中之島香雪美術館「茶の湯の器と書画―香雪美術館所蔵優品選」へ。

一般的な展覧会。変わったところといえば、『回也香合』の彩色が土佐光成によるもの。土佐派は香合の彩色も行っていたのかと。「楽道入」の展示はちょっと興味深かった。濃い緑釉をべったりと塗った『緑釉割山椒向付』はちょっと異色。
涼むなか、茶器や水墨画を見、復元「玄庵」を眺めながら、茶人?コレクター?とも思える微妙な感覚。

その後、向いのビルにて取材対応。
当初は大学で取材だったのだが、法定点検のため停電。やむなく大阪本社に来てもらおうと思ったのだが、別本社の記者氏「あまり行ったことがないので・・・」と。
大手企業になればそんなものらしい。

春先に取材依頼があり、コロナで流れ、ようやく本日に至った次第。
2時間ほど取材を受けたが、記事になるのはまだまだ先のこと。

炎暑厳しいなか、帰途。

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山岳地帯

2020-8-23

調査地への移動日。
山を越えつつ谷あいを走行。外気温は27℃まで下がる。大阪とは10℃差。
途中から車内のクーラーを止め、窓を開ける。もちろん携帯のアンテナには×印。

夕刻に宿舎到着。部屋にはクーラーがあるものの窓を開ければまったく不要。
明日からの昼のお弁当を依頼。どう見ても明日から登山に挑む風体ではないので(登山届もあった)、普通のお弁当をお願いする。コンビニなどあるわけない。

これには、別のところで経験済。
宿泊したまでは良かったが、同じく山岳地。昼になって、しまったと気づき、30分ほど車を走らせて「よろずや」で菓子パンを買って速攻で食べて、調査に戻ったことがある。そういうこともあって色々と持ち込んでいる。

缶ビールを飲みながら地図をみると、広い地域に小集落が点在。各集落には堂宇がある。地図のメモ書きを見ると、9時から調査開始。今夜の食事も19:00でラストオーダー。

田舎は朝が早いと聞いていたが、やっぱり。(写真は翌朝の風景)

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平安・鎌倉

2020-8-24

7:00朝食、8:00出発、9:00前に現地到着、調査開始。数十年経験したことのない健康的な生活。1日2箇所の調査。

告白しますが(することもないが)、私のコアな研究領域は“江戸時代の仏像”ですよ。朝から3尺の平安後期の立像が現れ、午後にはこちらの像が登場。
もちろん江戸時代の仏像もあるにはあるが、銘記もないので撮影・法量を計って特徴を記して平安・鎌倉時代の作品に集中。
浄瑠璃寺吉祥天像の再来かと思うほどの作風。驚愕。

山岳地帯なので暗くなるのが早い。調査をして本日の調査は終了と勝手に思い込み、帰る支度をしていたら、「こちらにも・・・」と付近の堂宇に案内される。見れば平安の二天像。結局、日没まで調査。
真っ暗な山道を走りようやく宿舎にもどる。(途中の林道で日本カモシカと出会う。)

ラストオーダーの頃に連絡を入れたので、夕食はなく、お弁当が用意されていた。

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秘境の仏像

2020-8-25

朝から再び調査。
さすがに日中は暑い。ホコリにまみれ汗だくになりながら調査。

そう大きくはない地蔵菩薩像。2枚の赤い前垂れを付け、頭にも手製の赤頭巾。赤頭巾はやや寸法が大きいようで、目深に被っている。
降ろしてそっと赤頭巾を外すとこの表情。鎌倉時代。銘記があってもちっともおかしくない作風。(なかったが)

この地域の仏像は半世紀ほど前に調べられており印刷物には小さなモノクロ図版が添えられているが、ここから制作時期を求めるのは難しい。また法量や製作時期が書かれていないなどやや不備がある。執筆者をみても美術関係の専門家はいない。おそらく他分野の方か地元に詳しい人が記したのだろう。

地区の会館を借りて昼食(3度目のお弁当)。その後は再び別場所にて調査。
16:00過ぎに調査終了。今日はなんとか夕食にありつけそうである。

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桃源郷

2020-8-26

調査3日目。朝の山道を走り調査地へ。途中、地元の軽トラと出くわす。あぁ~と思う間もなく、軽トラが素早くバックして離合。感謝。
朝から山道を走る他県ナンバーの車を訝しく思ったのか、「どこに行くのか」「〇〇〇です」「気をつけてな」。

堂内にずらっと並ぶ仏像群。江戸、室町、江戸と目星をつけて調査の段取りを考えながら、端に置かれた地蔵菩薩像に目が留まる。「やっぱり・・・。」
後補の彩色が目立つものの、平安時代中期の作品。しかも一木造(内刳りなし)。

一般的な地域では、造像のピークは近世、平安・鎌倉時代の仏像はごくわずかである。しかしこの地域は逆。平安・鎌倉時代に造像のピークがあって、後は補完的に室町・近世の仏像が製作されたようである。
彫刻史研究者にとって桃源郷のような存在。

午後にもう1か所で調査。「桃源郷」から帰りたくはないけれど、調査終了後、やむなく大阪に向けて車を走らせる。

夜半、未だ蒸し暑い大阪に到着。なんか長い夢をみてきたような感覚。

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不思議な図書館

2020-8-27

大学図書館書庫を徘徊・検索すると、時折、えっ!と思うレアな資料に出くわす。

以前にも紹介したが、検索で「百万塔陀羅尼」と打ち込むと、「百万塔陀羅尼」(出版・頒布事項:神護景雲4.4(770))が普通に検索冒頭に出てくる。
流石に貴重書庫(禁帯出)だが、手続きをすれば閲覧することができる。あの時は院生が赤外線カメラで墨書銘を判読したように思う。

今日も「蔵書検索 KOALA」でぐだぐたと検索していると、日吉大社神像の法量を記した和本(写本)がヒット。どうも18世紀の修理に関して書きとどめたもののようである。
灯台下暗し。
幸いにも貴重書庫に架蔵されておらず、いつでも拝見可能。ただし禁帯出資料。 すぐにでも見たいと思ったが、大学のリモート会議(接続にまごつき事務方から督促)や溜まったメール等を処理しているうちにスコール。閲覧は後日と相成る。

おそらく、これまで誰も閲覧していないだろうと思うが、不思議な図書館である。

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岩瀬文庫

2020-8-28

旧科研メンバー(2020.3終了)と共に、西尾市岩瀬文庫 企画展示「好古~日本考古学のあけぼの~」(〜9月22日)を見学。
文庫長のご挨拶・学芸員氏の解説案内付。
深謝御礼。

考古資料なので見慣れぬ資料も数多く、また仄聞した資料も展示。

高力猿猴庵『尾張熱田宮全図』。名古屋市博物館に高力猿猴庵編『泉涌寺霊宝拝見図』『嵯峨霊仏開帳志』が所蔵される。資料叢書には、O氏による住吉蒔絵硯箱(名古屋市博蔵)の関係も論じられている。
ここでは企画の関係上、熱田宮は開被されず「断夫山(古墳)」周辺が開示。

文化5年『大日本天皇山陵図』(写本)も以前、発表した皇陵巡拝(前史)との関係をうかがわせて興味深い内容。
こうした新しい切り口の企画は他の博物館や資料館でも展示可能で、考古学の裾野の広がりを感じさせる。

メンバーを西尾駅まで送って帰路。暑い一日。

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老化or関西人

2020-8-31

月曜日。午前中、岩瀬文庫の方やメンバーとメール。
メールを打ちながら、展示場で書名を失念したやりとりを思い出す。

「これは長岳寺の子院。ほら、アレにも出てくる、東北大学図書館のアレに。」
「アレな。あそこにも子院名があるんかいな。」
「アレなぁ、何だったっけ?あぁ゛~、出て来ない!」
「何やったっけ?あの本のタイトル?」

アレとは、谷文晁『大和巡画日記』。昔、拙論で引用したにも拘わらず である。
齢とはいえ、もう老化が始まっているのか。

こちらは全く気付いていなかったが、関西電気保安協会「ある日突然「関西人」になってしまった男 EPISODE 06」にも登場するように、関西人は指示代名詞や擬音語を多用するらしい。(主人公が「西尾学」とはよくできた話)

根っからの関西人と関西居住経験者。
老化と違って関西人やからしゃーないかと、うそぶいている。

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