日々雑記


ヴィナスを拵へ損つたやうなもの

2020-9-1

某所へ企画展(彫刻)を見学。あまりの酷さに驚愕。
見ているうちに荻原守衛の文が蘇ってきた。

近頃日本でも、余程従来の西洋崇拝を脱して来たやうでもあるが、猶未だ西洋崇拝熱に全然離れず、寧ろ之れに心酔して、日本の固有の美術に眞美の存ずることを知らぬ人々が澤山ある。甚だ憂しい事と思ふ。無暗に美人とさへ言へば西洋婦人を取つて来て、ヴィナスを拵へ損つたやうなものを作成するのは笑止の次第である。今少しく眞面目に日本の固有の美に留意して、研鑚努力して貰ひ度いのである。
「予が見たる東西の彫刻」『彫刻界』(1908年8月)

ほら、不勉強!怠慢!って、岡倉天心も怒ってるやろ。

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プロポーザルと仕様書

2020-9-4

つい最近、プロポーザルを行ったが、今日はプロポーザルの審査員。

プロポーザルの前には「仕様書」が配布され、それに基づく見積もり等を算出。
ところが、仕様書の積算根拠が示されていない。当然、丼勘定にならざるを得ず、その点についてプロポーザル審査員からの疑義。
プロポーザル中に松岡洋右並みに「退席しよう!」と思ったほど、腹立たしい。
仕様書の作成者は自身で試算してないから、審査員から指摘されて初めて気が付く。

今日はそういう「仕様書」のミスもなく、粛々と終了。

それにしても未だに怒りが収まらない。

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命を守る行動

2020-9-6

「特別警報級」の台風10号が九州接近。920hps。
九州全土で警戒態勢だが、避難所代わりにホテルを利用。いいアイデア。

確かに補強をした上での不安な家屋よりも、補強した上でホテルに避難するほうが安全。小学校や体育館などの避難所よりもプライバシーも保てる。

ただ九州(予想暴風域内)よりも広島以東のほうがなお良いと思う。
大規模停電にも遭わず、2、3日もあれば、最悪でも命だけは助かるのだから。
なにより「命を守る行動」が最重要。

被害の少なからんことを願うばかり。

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台座銘

2020-9-7

しばらく前に問い合わせがあった台座墨書銘。
「大坂 大仏師 田中 友之丞 内 浄慶」と読まれて、「田中友之丞」は田中主水なのか、浄慶は京仏師なのか、内は「弟子」なのかという問い合わせ。
(「中」の下にある「一」は墨汚れ)

その折は、師匠が俗名で、弟子が法名であることはなく、大坂仏師と京都仏師の関係も不審で、さらに田中主水は「大坂大仏師」と名乗っていないなどと述べた。
昨日、調査してもらっても構わないとの連絡。

気になる点がある。
森派の画人である森徹山(1775年~1841年)は、『浪速諸流画人名前家案内』では「よどや小橋」に居住していた。徹山の妻は田中弘教利常の娘ゑん、またゑんの姉 幸は、円山応瑞の妻となっている。徹山とゑんとの間には、蔵之丞、進之丞という男子がいたが、共に祖父「田中弘教」家の養子となり、兄蔵之丞は、京都・堀川に住み、弟進之丞は浄慶と呼ばれて京都・寺町に住んだとされる。

彫刻もさることながら「友(?)之丞」が田中弘教利常だと興味深いことになるのだが。

すかさず、調査希望。

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佐藤朝山

2020-9-10

しばらく、家人が上京。上娘に会いに行く。
上娘の定期券は、居住先⇔三越前。

「三越で、佐藤朝山(玄々)の天女(まごころ)像の写真を撮ってきてほしい」と切望。
「仏像(?)なんか、百貨店にあるわけないやん」と拒否される。

そう、誰も百貨店に近代彫刻があるわけないと思う。まして高さ10mを超える大作なんか・・・。でも見れば、度肝を抜く作品。
あれこれ話しているうちにこちらが上京したほうが早いと悟る。

久しぶりに娘と会って、地下からEVでお買い物だろう。親子水入らずの時間を潰してまで、こちらの要望を押し通すのもどうだか。

ねぇ、本館1階なんだけど、見てきてもらえないかな?。

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右近

2020-9-13

青森・弘前市最勝院金剛力士像から墨書銘が確認との記事。「承應貮年(1653)」「七条大仏師流/右近作」「巳 六月吉日」とみえる。

右近と名乗る仏師は複数いるので特定は難しい。また青森の仏像は京都仏師と江戸仏師の作品が混在している。
手掛かりは「七条大仏師流」の肩書と承應貮年という江戸時代でも早い時期。

「七条大仏師流」を肩書することから京都仏師ではなさそう。万一「七条大仏師流」を名乗っていることが知れたら、「七条大仏師二十五代」康知が黙ってはいない。
弘前市報恩寺十一面観音像には元禄14年(1701)の信入・源之丞(共に京都仏師)の修理銘に「十一像 恵心御作 鎌倉仏師民部作也」とあって、大意が読み取れないが鎌倉仏師の関与を伝える。

さらに「七条大仏師流」に近い肩書を持つ仏師として「南都住後七条流□大仏師」をもつ大夫慶雄などがいる。大夫慶雄は「東叡山之大仏師」とあり、関東一円に作品が残っていることから江戸仏師である。作風からも京都・仁和寺金剛力士像(寛永21年〈1644〉・運節作)とは隔たりが大きい。

右近は江戸仏師のような気もするが。

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まきでら長谷寺

2020-9-14

高知行。高知大学のM先生のお誘いを受けて、 夜須町羽尾の長谷寺・金剛力士を調査。
なんか由縁を感じる・・・。

高知駅から車で離合困難な山道(県道)を登り1時間余。晴れた日には足摺岬まで眺望可能の山岳地。
まずは寺近郊にあるよしだ造佛所に。

造形から見ると、15世紀末から16世紀にかけての制作と思われるが、部材矧ぎ面各所には「千切」。鎹は補助的に使用。
「千切」の使用は近世に入ってからのものと思っていたが、根幹材と同じ樹種(クスノキ)で制作。例によって京都では・・・と考えると、まず使用しない。
奥行5寸8分の材を前後に矧ぎ寄せて、背面材を寄せる前後3材矧ぎの構造。下半身に量感があり両脚2点での自立。
京都仏師の精巧な作品ながらも当初と思える「千切」を使用することから在地仏師なのか・・・。

こうした折、思うのが『八坂神社文書』明応7年(1498)、祇園社大仏師職を世襲した三条仏師に対しての仏師覚慶(支証不帯)の言上。
その子孫ことごとく田舎へまかり下り、しらう人ニまかりなり、たいてん仕り候
「たいてん(退転)」していないのは他例でも確認できるが、こうした「まかり下」った中世京都仏師の制作なんだろうかと考える。当地にあって京都にいる感覚で「鎹30本、入用!」と言われてもすぐには対応できない・・・。

中世土佐の金剛力士像は、南国市・禅師峰寺像〔(阿形)141.8cm、(吽形)145.6cm 正応4年〈1291〉仏師定明作・重文〕、土佐市谷地 法華寺(廃寺)像〔(阿形)204cm、(吽形)200cm 近世初頭?・県指定〕ぐらい。
吉田氏から大きな計測パスを借りて計ると211㎝。土佐が誇る中世の金剛力士像として特筆すべき基準作である。

頭部材の材質など、預かりとなった宿題もあるが、山の夕刻は早い。後ろ髪をひかれながら下山。
よしだ造佛所に懐中電灯とカメラを置き忘れてしまい、懇親会の折に持って来ていただく。あつく御礼。

(9月16日追記)
高知新聞(要登録記事)に掲載され、「高知県・某所」を「夜須町羽尾の長谷寺」、「修復工房」を「よしだ造佛所」に変え、それぞれリンクを貼りました。
(調査しているのだから時計は外そうよ、ハセさん)

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福田院卓

2020-9-15

市内に住む前住職、M先生と共に朝から長谷寺。

離合困難な山道にて大型ミキサー車と鉢合わせ。その先での県道擁壁工事の車両。こちら(前住職運転)がすばやくバックして離合。流石というべき。

本堂で仏像拝見。本尊十一面観音像は像高177㎝を計る一木造。朽損し頭体幹部を残すのみ。裳裾あたりに流麗な衣文が残る。
以前、東京のI先生、O先生も拝見に来られたとの由。 I先生曰く「奈良時代です」・・・。O先生、苦笑いしながら無言・・・。こちらも無言で苦笑い。

平安後期(12世紀)の仏像が多数安置されるなか、関心を引いたのは行基菩薩坐像。精巧也。

行基菩薩坐像は唐招提寺像(鎌倉)が有名だが、行基菩薩坐像の多くは近世に製作されている。18世紀初頭から前半、元禄をちょっと過ぎた頃にかけての制作。

近世長谷寺と関係する仏師は、ふたりいる。
ひとりは関係者が「新蔵さん」と呼ぶ「清水新蔵」。
幕末期にかけて県内近隣に多数の作例を残す。京都六条出身で阿波・宍喰に居住。
もう一人は「洛陽大宮方大仏師」を名乗る「福田院卓」。
「長谷寺観音仏彩修記」には、院卓は「京都より此地に来た」としており、また『土佐国堂記抄録』には、宝永初年に五台山竹林寺の開帳に伴って京都仏師が下向したことを伝え、下向した京都仏師が福田院卓かと記している。
しかし貞享3年(1686)には「洛陽大宮方大仏師」を名乗る福田右近康和が竹林寺金剛力士像などを修復しており、どうやら福田院卓は福田右近康和の子息のようである。
「京都仏師」の看板もあるし、厳しい近世京都の造像界を抜け出して土佐で活躍するほうが自由だったのかも知れない。この時期から京都仏師が各地方へ進出する事例が増えるのもむべなるかな。

お昼を頂きながらこれまでの修復記録を見せていただくと、知己の修復工房の名。
別件の問合せで伺った修復工房内で一瞥した仏像の記憶が甦ってくる。あの時の御像だったのか・・・。

夕刻前に山を下り、関係者からの宿題や疑問を反芻しながら高知駅から帰阪の途につく。
また参ります・・・。

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呼ばれているうちが華

2020-9-16

長谷寺金剛力士像拝見の折、2社の新聞記者も同席。色々尋ねられ、昨日の下山時にも連絡があった。近々、新聞記事に載るのだろうかと漠然と思っていた。

朝、今朝の高知新聞にさっそく「羽尾の仁王像を『文化財に』 香南市長谷寺で関西大教授ら修復前調査」と掲載(要登録記事)。ちょっとびっくり。

そばでタブレットをのぞき込んでいた家人。
「なっ、いつも言ってるように呼ばれているうちが華やろ」「(他所で)悪いこと、でけへんな」と。
「いや、別に(仏像を)見に行っただけやし、なにも悪いことしてないし・・・。」
「せやけど、地方紙は強いよな」
「そうかな・・・」ととぼけながらも、確かに。

久しぶりのメールを開くと、幾つかの問合せや調査依頼。
もうすぐ秋学期の授業が始まるのにと思いつつ、やっぱり「呼ばれているうちが華」なんだろう。
頑張らねば。

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ホームページ・リニューアル

2020-9-17

関大のHPがリニューアル。慣れていないのでまだまだ使いにくい。

というか、HPの主な閲覧者が誰なのかと疑問にも思う。
在学生にもっとも必要なリンクが右上のメニューで下から2番目の「各種情報システム」、メール(ITセンター)は「教育・研究」で閲覧できる。
なかなか即時性に対応できないので、諸々を「ブックマーク」し、次いでに「サイトマップ」も。

なんか、受験生向けに特化した模様。

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「樽(廻船)」とは酒樽也

2020-9-18

某市でのWeb会議。

通常の開催場所に来てもよいとのことで、開催場所へ赴く。そろそろZoomの背景設定をしないといけないと思いつつ、つつがなく会議終了。

そのまま帰宅するのもどうかと思い、香櫨園の西宮市郷土資料館 特集展示「樽廻船と西宮」を見に行く。日本遺産認定「『伊丹諸白』と『灘の生一本』下り酒が生んだ銘醸地、伊丹と灘五郷 」に伴う展示。常設展の一部で構成されるが、興味を引いたのが「新酒番船」。

毎年 11月頃に伊丹や灘などの新酒を積んだ樽廻船が、江戸到着を競った年中行事。
通常は12~20日間ながら「新酒番船」では5日前後の航海。寛政2年(1790)年には、西宮から江戸まで58時間で到着している。
江戸へ一番に到着した「惣一番」は名誉で、積載した酒も高値で、「惣一番」の乗組員が着た赤い法被も展示。
下火とはなったが、現在のボージョレ・ヌーヴォーと似た現象。
日本酒で蘊蓄を深めたい人には、必見の展示。

画像:西宮市郷土資料館蔵 一蕙斎芳幾(落合芳幾)「新酒番船入津繁栄図」(慶應2年)
にしのみやオープンデータサイト
(https://archives.nishi.or.jp/04_entry.php?mkey=26161)

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秋学期開始

2020-9-21

4連休ながら今日から授業開始(明日も)。

登校する学生を見ながら、本来の大学の姿にもどったという印象。1年生にとっては初登校。構内案内図を見ながら教室を探す学生も。

教卓には、対応機材(消毒スプレー、ペーパータオル、ビニール手袋、ごみ袋)がセット。
普段よりも大きな教室で学生も間隔を空けて後方に集中、分散している。

いよいよ、対面授業開始。

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2020-9-23

 「道」 清沢哲夫

此の道を行けば どうなるのかと 危ぶむなかれ
危ぶめば 道はなし
ふみ出せば その一足が 道となる その一足が 道である
わからなくても 歩いて行け 行けば わかるよ
(1951年10月『同帰』所載)

決して平坦な道ではなかったが、なんとかここまで歩いてきた。
これからも歩みを止めることなくもう少し歩いて行こうと思う。
道が続く限り。

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大龍柱

2020-9-26

焼失した首里城に残っていた大龍柱が修復のため移動。 この議論 が再燃するとは思っていたが、やはり・・・。

1993年に初めて沖縄で調査した夜、西村先生に初めてお会いし、首里(だったと思う)の飲み屋で、真新しい抜刷 を渡されて、延々と力説されていたことを思い出す。
当時はまだ見てもいないのになんとも・・・と思ったものである。

それから幾度かお会いしたが、「大龍柱正面向き説」を聞くことなく首里城が焼失。

今回こそ徹底的に議論すべきであろうと思うのだが。

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何事に依らず御談合

2020-9-29

とある事情で、「鎌倉・江戸仏師勤方取極」(『鎌倉市史』近世史料篇第一)を確認。

「卯三月」とあって享保20年と思われる。鎌倉・鶴岡八幡宮の仏像入札。
鎌倉仏師からは宮内と伊織、それに対して江戸からは采女・石見・左京・宮内・右近・光清・利京・大部の8名の仏師。宮内と伊織は代々「鶴岡御宮付仏師」。前年には八幡宮の仏像の修復請負願を出している。

文書には「御用之内十人心を合」せて務めるべきとしながらも、利益は11等分にして、江戸仏師が8、鎌倉仏師が3を取ることに。一見、鎌倉仏師が得のようにみえるのだが、考えてみれば「鶴岡御宮付仏師」が3というのは理不尽このうえない。
入札、製作修復など「何事に依らず御談合づく」で行われた。

なぜ鎌倉仏師がホームグランドである鶴岡八幡宮で理不尽な待遇なのか。
前年の文書では「此度御神宝方合式請負願人御座候由承知仕候」とある。「御神宝方仏師」とは、日光山のメンテナンスひいては幕府関係の準御用仏師。鎌倉仏師も大変な仏師たちに絡まれたものである。

現実には「半沢直樹」のようにはいかない。

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懸案事項

2020-9-30

阪急関大前上り(北千里行)ホームの拡幅工事。

夏頃に吹田駅上りホームの外壁工事をしていたので、すっかり同じ工事だと思っていた。
登校時のラッシュどきに告知をみると、ホームの拡幅工事。

ホームすぐ横に幅1mに満たない水路があり、その横は府道。府道際までホームを拡幅。

西門に向かうホーム幅が狭いこともあって登校時のラッシュはすさまじい。電車が到着しホームいっぱいに学生があふれ、まだ改札口への行列が収まらないうちに次の電車が到着。去年か一昨年かの春に学生がホームに落ちたらしく、目撃者捜しの立て看板が駅前に立っていた。

昔、阪急技術部出身の方と雑談(2013-5-15)した時にも、関大前駅上りホームの拡幅は難しい事業と仰っていた。

幅1mながらいよいよ、ホーム拡幅。

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過去ログ