日々雑記


新年あけましておめでとうございます

2021-1-1

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

午後、たぶん人出が少ないと思うので、“初詣”に行きたいとのことで吉野神宮へ。

明治25年(1892)社殿竣工、大正7年(1918)吉野神宮と改称。祭神 後醍醐天皇。明治期創成神宮のひとつ。

日頃は少ない参拝ながら、本日は駐車場も満車、傍らには露店も並ぶ。今年はゆっくり歩みたい・・・と祈願。
参拝後は恒例の御籤。家人(大吉)を除いて小吉。

「今年も奈良からスタート・・・」と思いつつ、帰途につく。

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大掃除

2021-1-5

年末の残務整理のため初出勤。

ともかく掃除しないと、何処に何が置かれているか見当もつかなくなった”汚部屋”。
3時間ほどかけて大掃除。欠席者の授業配布プリントなど45Lビニール袋1個分のゴミ。ようやく仕事スタンバイ。

まずは冬休み中の学内向け対応(回答)メールや年末に御恵与頂いた本の御礼状など。
ところが、御礼の送付状がない・・・(封筒は既に破棄)。初めての方なのだが、表紙の氏名に間違いがあったはず。あわてて探すも見当たらず、よもやと思っても45Lビニール袋を再び開ける気にもならない。
仕方ないかと諦めて、別の仕事ファイルを取り出すと送付状が挟み込んであった。

大事なものだから処理が済むまで別置してある。そこに別件が入ると、すっかり別置したことを忘れてあたふたとしてしまう。これが何時もパターン。

「菱田春草没後百年記念特別展-春草晩年の探求- 」も本棚からひょっこりと出現。

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自然休講(補講)

2021-1-6

快晴。明日から卒論提出(2日間)。今日は直前の補講日。

授業再開前なので、美学美術史資料室に行って暖房を入れ、諸道具一式揃えて待機。
5分、10分・・・。誰も来ない。

諸道具にパソコンがあるのでひと仕事。気が付くと40分をとうに過ぎた。自然休講。

大丈夫なんだろう、と思って部屋に戻り仕事を再開。
夜半からかなり冷え込んできた・・・。

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昨日来ればよかったのに

2021-1-7

卒論提出。 朝、ゼミ生からLINEがあって「『副本』は必要ありますか?」と。

口頭試問が近づくと、合同研究室に一覧表が貼りだされる。各自の卒論タイトルの横に主査・副査の氏名。厳重保管中の卒論を読む時、取り出すと氏名の上に「/」、読了後、返却した際には「\」印を付ける。
ところが、私は全ての論文を両面コピーしてバインダーに綴じそこに直接書き込むので、副査の先生はほとんど原本だけで済む・・・。
「本来は必要ですが、教員は3名なので必要ありません。今日中に提出してください。」と返事。

寒波なので、早い目に帰宅しようと思っていた頃、再び別のゼミ生からLINE。
「註と参考文献が・・・」についての質問ながら要領を得ない。自宅にいるとのことで、非情にも大学へ呼び出す。
1時間後、完全防寒のゼミ生が現れ、質問の趣旨を聞くと、「参考文献は全て註に含まれており、記す参考文献がないのですが・・・」と。
「いらないでしょう『論文』なんだから、普通は」と。そのほか2、3の質問も。

「寒いなかご苦労さん。昨日来ればよかったのに・・・」と送り出して、こちらも退散。

なんでも今シーズン最大の寒波、到来中。

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大下康清

2021-1-10

『甲斐国志』に仏師大下浄慶の件が記されている。

一大仏師 八日町二居ル大下次郎右衛門其ノ先ハ西岡宰兵衛ナル者武田家二仕へ後、摂州多田大下村ニ在リテ大下作左衛門康清ト号ス其ノ孫浄慶ト云フ者ノ時ヨリ仏師職トナル

ところが、摂津国多田(河辺郡)には「大下村」は存在しない。

甲斐国・仏師といえば、恵林寺不動明王像などで有名な「京仏師康清」である。『甲斐国志』などには、信玄が京から仏師康清を招聘し信玄と対面して彫刻させ、信玄自らの頭髪を焼いて彩色させたものであると伝えている。

思うに大下浄慶が甲斐・八日町で仏師を始めた折に武田(信玄)に関わる点と”上方(摂津)”出身を結びつけたのではないだろうかと。

摂津に出自を求めるのは、江戸の絵仏師神田宗庭も同様。慶長の頃に大坂表に居住しており、家康が大坂に陣を張った折に「御用の御絵」を仰せつかったとされる。
両者に共通するのは、摂津と時の権力との関係。彼等からすれば、摂津も京都も”上方”である。
(画像は大英博物館蔵「御絵所宗庭末葉軏房」大日如来像 1715年)

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既読感

2021-1-12

辞書の件で、編集担当者から連絡。監修者より「伊藤若冲、長谷川等伯、葛飾北斎などにも触れてほしい」との意見が出たという。項目は「近世の仏教美術」。

若冲、等伯はなんとかなるものの、北斎?
「北斎大達磨絵」ぐらいしか思い浮かばない。

そこで帰途、本屋に立ち寄り、辻惟雄『あそぶ神仏-江戸の宗教美術とアニミズム-』(ちくま学芸文庫)を購入、車中で読書。

80頁を過ぎたあたりから、なんか既読感。巻末を見ると「2015年4月 初版」とある。気にせず読み進めていると、この文章、絶対読んだことがあると確信。

改めて巻末から見ると、「本書は2000年8月、角川書店より刊行された『遊戯する神仏たち-近世の宗教美術とアニミズム』を文庫化したものである」。
架蔵本の文庫版か・・・。
幸い「北斎の信仰と絵」は文庫化に際して加えられたが、これも『図説 日本の仏教5 庶民信仰』に所収された「庶民信仰と個性」。

道理で既読感があるはずだと嘆息。

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久しぶりに

2021-1-13

朝、最寄駅に向かっていると、「阪和線遅れているよ」と末娘からLINE。「了解」と。

駅の案内板は軒並み遅れ45分以上。でも動いているので大丈夫。遅延理由は「架線の確認」。10分ほど待ったが、つつがなく出発。
ところが大和川を超えたあたりから停車の連続。「新今宮~今宮間で車両の確認」。
こうなるとたいへん。天王寺到着まで1時間以上。

今朝はJR西日本にとって厄日なのかしれない。

(9:30現在 黄色は遅延路線)

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思い出すこと

2021-1-14

阪急百貨店梅田店前を通ると、ショーウインドウに「意匠変更中 1月15日(金)から」と貼られてこの状態。

20歳前後の頃、洋菓子店やサティ・マイカル系に出入りする広告会社にアルバイトしていた。

両社とも10月から7か月間は繁忙期で、10月(七五三)、11月(お歳暮・クリスマス)、12月(迎春)、1月(バレンタインデー)、2月(ひな祭り)、3月(新入学)、4月(子供の日)と続く。

洋菓子店では、店からの指示で京都ポルタ地下街で「コルネ」持って知らぬ男の名前やハートを書いたり、閉店と同時に店に入って天井からポスターを吊り、翌日開店間際に店舗から大学に行くこともした。

最終仕上げ前のショーウインドウを眺めながら、色々と思い出すことも。

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仏像ひな型 第2弾

2021-1-16

龍谷ミュージアムで「仏像ひな型 第2弾」(2月20日~3月28日)が開催。
最新情報では久七・康寿の「加茂明倚像」が紹介。畑治良(郎)右衛門伝来のひな型420件のひとつ。

恐らく康教が亡くなる明治15年(1882)前後か、あるいは康彦(彦一)が明治32年(1899)に佐世保へ移住する前の譲与だったと思われる。
康教が所持していた大きな雛形(京都大仏雛形:明治5年京都博覧会に康教所蔵「大佛殿釈迦佛様子」として出品)も明治30年には吉村宗雲から竹内久一に譲与されているので、前者の可能性が高い。

康教や康彦(彦一)が知る七条仏師系の現役仏師は、畑治良(郎)右衛門しかいなかったのだろう。

前回のひな型展にも増して墨書等があって七条中仏所の活動を知るうえで必須の資料。

何はさておき、日参の覚悟である。頂いたポスターを合研前にも貼っていただく。

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白澤

2021-1-19

最近、某新聞記者と某寺で見つかった「白澤」でやり取りしている。
「白澤の根拠は?」とか「獏との違いは?」に始まって、あれこれと質疑応答。
胴部に眼が表されているじゃありませんかなどと。

以前、沖縄で城間清豊(自了)の「白澤之図」を見せてもらったことを思い出す。

Wikipediaによると、「三眼以上の眼を持つ姿は(鳥山)石燕以降と推測され、それより前には三眼以上の眼は確認できない」とあるが、この作品で根拠を失う。だって延宝年間の製作だもの。 (学生諸君、Wikipediaを信ずることなかれ)

記事になるのは当分の先だというので、今も質疑応答のラリーを繰り返している。
「近世日本彫刻史」ながらも本来、蟇股彫刻は彫物師の担当である。

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タオル

2021-1-23

私事の帰途、ちょっと面白い展示をみてきた。
歴史館いずみさの「タオル誕生-和泉木綿の紡いだ軌跡-」(1月23日~3月21日)。

泉佐野市は、ふるさと納税返礼品で「Amazonギフト券」など何かと話題になるが、返礼品には「タオル」も大看板の返礼品。
実は泉佐野はタオル発祥の地でもある。

展示をみるまですっかり舶来品だと思っていたが、明治20年(1887年)里井圓治郎(里井浮丘の親縁者?)がドイツ製タオルを見てこれを浴用手ぬぐいに用いることを考案し、ループ状の細かい糸(輪奈)の打出機を発明、タオル生産が開始された。
そしてそのもとになったのが近世以来続く「和泉木綿」。いわば木綿の近代化である。

もっと驚いたのは、担当がてっきり民俗の学芸員だと思っていたが、実は「醍醐寺における『僧兵』の実態」などの論文がある日本史学の若手研究者。
なんと柔軟な思考なのかと、脱帽。
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レシートは大切

2021-1-26

依頼(至急)があって関東某所へ日帰り調査。
公共交通を使っての日帰り調査のほぼ限界地。寺院に向かう途中、たまたま見つけた「出羽三山」の供養碑。遠くまで来たことを実感する。

到着直前、経理担当部署から「(調査に)行った?」とのお尋ねメール。非常事態宣言下、出張中止になるケースが多いらしい。多くは研究会などだが、こちらは先方あっての調査。

阿弥陀如来像を調査。仏師は権大僧都光祐法印と法橋吉田兵部藤房。
光祐は、元禄7年には大胆にも?「七条大仏師法印光祐」と名乗る仏師。その後に上京し「京七條大仏師 権大僧都 光祐法印」と。以降関東地方を中心に活躍。その後浅草寺で活動を行った吉田兵部藤房とタッグを組んで日光輪王寺でも造像。このあたりの事情や情報は詳しくなく、返答にもやや苦慮。

念のため、帰途、東京駅で弁当とビール(←もちろん共に私費)を買ったレシート〔事実確認のため〕を保管。

深夜に帰宅。

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御腹内悉く金箔

2021-1-27

体内漆箔とは、仏像の像内を漆箔あるいは金泥で仕上げる加飾法である。

中世以前の作例については、一覧がある〔武笠朗「安楽寿院阿弥陀如来像について」『佛教藝術』167〕ものの、近世においても、管見では11例ほどの体内漆箔像が存在する。
宗派は2例(曹洞宗)を除いて浄土宗。中世以前の作例では納入品奉籠あるいは像内装厳にその事情を求められるが、近世では適応できない・・・。

たまたま浄土宗関係の論考をみていると、祐天上人像について
御腹内悉く金泊六字名号并開山及ひ師親等之号、又、自之誓願之文書之、(「開山真影之事」『祐天寺史資料集』1上)
とあった。
〔巖谷勝正氏「増上寺第三十六世顕誉祐天の肖像彫刻とその信仰」(『佛教論叢』61 浄土宗)2017年3月〕

祐天を手掛かりに、近世体内漆箔像の理解のヒントがあるように思える。

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事故なし

2021-1-28

筆記試験(秋学期)も終了。
日頃、書類の不備等でお世話になっている研究支援課の事務職員氏が補助。

もう受験者の数は数える、答案回収にも励むなど、日頃のご迷惑を補うべく試験会場を動き回る。ところが、事務職員氏との受験生の数が合わない・・・。再度確認すると、当方のミス。足し算もできひんのか・・・。

終了後、「センセには一度メールしたことがあるのですが・・・」と。
ちゃんと覚えています。
同じ書類を使いまわしているので、時折、起案日が12月××日なのに、出張予定が4月〇〇日~×日になっていたりする。
ま、試験が事故なく終了しただけでも良としよう。

10年以上もたって、未だ書類が書けないとは、情けない。

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旧車修理

2021-1-31

時折、YouTubeで「旧車修理」を見ている。
旧車とはハコスカとかサニーなどのクラシックカー。

見た目、何でもないような錆の盛り上がりがあるだけだが、本来分離している所が接合してあったり、外装のパネルを外すと、3層に及ぶ鉄板(これも朽ちている)の上からパテを貼って整形してある。
修理している自動車整備士曰く、「15万くらいはかかるやろね。それを2万でやって欲しいと言われれば、こんなこと(パテ整形)せざるを得んわな。オレは絶対、せんけど。」

なんだ、仏像修理と同じじゃないか。
「この額だけしかないので修理、お願いします。」と言われたら、そりゃ、紙貼泥地にしかならんと思う。

多くの研究者などは近世修理がまずいと言うが、施主は、いったいいくらの額を提示したのだろうかと思う。修理者の近世仏師を叱責するが、その額で最上の修理を求めるほうがおかしい。
大切な仏像、確かな修理者と確かな金額提示が必要なのではないだろうか。
同じ近世仏師の修理で、えっ!と思うほど、修理施工の違いがあるのは、依頼者側に責があることに他ならない。
なんか、旧車修理に比べ仏像修理の非難の矛先が間違っているように思える。

YouTubeを見ながら「もう『千円札渡して、金色ラッカースプレー買って自分で修理しなはれ』と退席しようと思ったわ」と語った修理者を思い出す。
(当り前だが、金色スプレーでは2度と再修理が利かない・・・)

安物修理の銭失い。

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