日々雑記
木村徳応
2020-12-1
(11月)28日に某所で調査。仏像調査だけでなく仏画も拝見。
ほとんどが近世仏画ながら、なかに木村徳応の作品。
近世仏像もさることながら近世仏画の調査・研究も最近はやや進展をみせるものの、研究はあまり進んでいない現状である。
根本的な事情は仏像と同じく、作品が全国各地にわたり、専門とする研究者も少ないこと。
作品を見ながら、大学に身を置く者として現状のままでいいのだろうかという疑問が、いつものように湧く。
現状だと、そのうち近世仏教美術が消滅してしまうかもしれない。
誰だかわからない、参考資料がない、分からないままに、作品は消え、概説書の記述通り、近世仏教美術は見る価値もないほど低迷の一途を辿り、明治を境にやがて近代美術へと移行していく・・・。
本末転倒に気づいていないのが、異常な事態。
学生は自由人
2020-12-3
今日、大阪で重症者急増のため「非常事態」。
80名弱の授業。今日も出席は半分ほど。
秋学期は一部を除いて「対面授業」が実施。図書館などの施設も使用できる。
なのに、なぜ欠席者が多いのか。
私の授業だけでない。多くの先生が同じ悩みを抱えている。
不安な事情も考慮しているからこそ、授業もオンラインと対面の並行授業である。
春学期のオンライン授業では、「例年通りの授業が行われず施設などが使えないのに学費が通常通りなのは疑問」と学費減額の署名を集めていた(した)学生は、ちゃんと出席しているだろうと思うが・・・。
ビデオ撮り
2020-12-4
授業(卒業演習)を終えて、別教室へ。
プレスチューデントプログラムのビデオ撮り。
サマーキャンパス(模擬授業)以来である。
30分以内ということだが、終わってみれば18分ほど。まずいと思いつつ職員氏に尋ねると、O.Kと。10分ほどで終わった専修もあるらしい。
プレスチューデントプログラムは推薦等での入学者プログラム。
大学は高校と違う。それさえ理解しておれば、まずは問題なかろう。
何時、オンラインにUPするのか聞き忘れた・・・。
梅田の現状
2020-12-8
私事のため、21:00頃に梅田界隈を歩いていたがびっくり。
まぁ、夜中かと思うほど人が歩いていない。飲み屋も商店も閉まっており閑散としており、クリスマスイルミネーションだけが寂しく灯っている。
こういう状況が何時まで続くのだろうか。
身の回りの様々なことが通常通り進んでいくなか、ちょっと厳しい。
しばらく誰もわからない社会へと突入するのかと、不安にも。
空白の1日
2020-12-10
秋学期試験問題を作成。秋学期試験は1月22日からである。
・・・ということは、1月21日まで授業。
ん?数えると16回授業。珍しく?皆勤だったので、計算間違いかとシラバスと実施回数を数え直しても「予定コマ数終了で休講」ということはないはず。
授業範囲にない問題を作成すると、後々面倒なことに。
よくよく学年暦を確認すると、21日は補講日なのか、授業のない空白の1日。
ちょっと焦る。
模造模刻
2020-12-12
上京、某所へ。
道中、樹原アンミツ『東京藝大 仏さま研究室』(集英社文庫)を読む。
文中で語られるのは、主に「模造模刻」。模造模刻が重要だとは十分思うものの、なんとなく釈然としない。
明治15年に東京博物館(現:東京国立博物館)が竣工、明治22年には東京美術学校が開校する。同年には、九鬼隆一が東京博物館館長になり、東京美術学校校長を兼務する。
今では信じられないが、ここで問題となるのが、東京博物館の陳列品不足。
当時はおいそれと、京都や奈良から美術品を輸送できない。そこで編み出されたのが、東京美術学校の教員・学生が関西の仏像や仏画を模造模刻・模写し、東京博物館に陳列品として展示すれば、美術教育の向上とともに陳列品不足も解消するという算段。
計画のいくつかは完成したが(先日の「天平礼賛」展でも出品)、明治31年に岡倉天心が美術学校を追われ、模造模刻計画も頓挫する。
あとは新納忠之介や関野聖雲によって若干、継続。
「伝統」といってしまえばそれまでだが、なんだか・・・。
竹崎石見
2020-12-13
都内某寺へ享保20年(1735)竹崎石見の仁王像を拝見。
拙稿にも登場する仏師だが、事績だけでどのような作風なのかはほとんど知らない。
江戸京橋南伝馬町に住み、出自は不明だが、本格的な作風。
記録によると、4月に仁王像を注文、8月23日に人足6人と手代3人が派遣し夜五つ時過ぎに1体を搬入、26日夜にもう1体を運び込む。その後腹内に銘札が納入。
次いで、もう1か寺に伺い、仏像を拝見して帰途につく。
以前、恵贈いただいた論文に改めて感謝。
山本ラクさん、再び
2020-12-14
知人から問い合わせ。
「『ジョージ(?)』って仏師、知ってますか?」「はい、知り合いです。」
姓は塩釜、名は浄而。育ちは「京都・綾小路東洞院東ヘ入」とふざけていたところ、近世仏師事績データベースに漏れ発見。
文政9年(1826)京都・長岡京市寂照院金剛力士像修復。
追加して、ググると北海道・弘法寺十一面観音像(文化2年)にもある。勿論大正2年に徳島県出身の山本ラクがもたらせた御像。山本ラクの生涯については、 こちら 。
以前も淡路・伊与源右衛門政家作の弘法大師像が弘法寺にあることを知ったが、山本ラクは私財を投じて仏像(西国三十三観音像)を制作・寄進しただけでなく、徳島から北海道へ徳島にあった仏像をもたらせている。
仏教辞典に載っていてもまったく不思議でない。
失せ物
2020-12-16
昼休みにゼミ分けガイダンス。
事前に「菱田春草」を扱う学生がいると聞いていたので、以前買った「菱田春草没後百年記念特別展-春草晩年の探求- 」(飯田市美術博物館)を差し上げようと書架を探すも見つからない・・・。やむなく手ぶらで、ガイダンスに向かう。
なんか個研もかなり(充分すぎるほど)散らかってきた。年末に大掃除しないといけないと、学生をみながらやや反省。
どこに行ったのだろうか・・・。
よいかげんな事なり
2020-12-18
卒論演習で『熊野観心十界曼荼羅』を扱う学生(女子)がいる。
周知のとおり、『熊野観心十界曼荼羅』には「血の池地獄」「両婦(ふため)地獄」「不産女(うまずめ)地獄」が女性だけが堕ちるとされた地獄が描かれている。
「血の池地獄」は偽経『血盆経』に基づき、「両婦地獄」もなんとかクリアした、残るは「不産女地獄」。
盤石に生えた竹の根を灯心で掘る地獄である。
あまりに真剣に考えているので、中川喜雲『私可多咄』にこんな話があるよと、ちょっとアドバイス。
熊野比丘尼が「不産女地獄」について絵解きをし(聴衆は主に女性)、子供を産まなかった女性は死後に灯心で竹の根を掘ると説明。
絵解き終了後、聴衆が「質問がありま~す!」。
質問:「子供を産んだが、育たなかったのは「不産女」と同じでしょうか?」
熊野比丘尼:「罪は浅いので、竹の根を藺殻(いがら)で掘らせる」と回答。
それを聞いていた中川喜雲は「よいかげんな(いいかげんな)事なり」と。
件の学生は、腑に落ちたようで「やっぱり・・・。」と。
もう12月半ば。早く結論に導かないと。
緊張と難渋
2020-12-19
先般、とある辞典が版を重ねるようで、確認・修正の依頼が来た。
こちらが執筆したのは長めの1項目のみ。ハイハイと気軽に返答したが、送ってきたゲラをみると6項目もある。
各項目冒頭には印刷用の記号とともに、末尾には執筆者の苗字。いずれも斯界の大研究者ばかり。かなりご高齢で、なかには逝去された方も混じる。
辞書には冒頭に執筆者一覧が記してあり、誰がどの項目を担当したのかはわからないようになっているが、拙稿のゲラを学生が確認・修正するようなものである。
そのまま確認したということで済ませばよいのだが、人によって文体も異なる。
あれこれと調べながら、恐る恐る加筆・修正。
「1か月を目途に返却せよ」とのことだが、なかなか進まず難渋。むぅ、困った・・・。
続「鎌倉・江戸仏師勤方取極」
2020-12-21
「鎌倉・江戸仏師勤方取極」(2020-9-29)については既に記したが、誤解していたことも。
「鎌倉・江戸仏師勤方取極」は「卯(享保20年)三月」ながら、鎌倉仏師三橋氏発給の「享保二十一年四月 鶴岡八幡宮仏像修繕帳(清帳之写)」〔加納家文書〕、鶴岡御宮付仏師の(加納)伊織と(三橋)宮内による「鎌倉仏師鶴岡八幡宮仏像修復請負願」は、「辰(享保21年)二月」。
時期順に並べると、「鎌倉・江戸仏師勤方取極」→「鎌倉仏師鶴岡八幡宮仏像修復請負願」→「鶴岡八幡宮仏像修繕帳(清帳之写)」となる。
鎌倉仏師が「鶴岡八幡宮仏像修復請負願」を提出する以前に、既に江戸仏師は、鶴岡八幡宮の仏像が修復されることを知っており、談合取り決めを行ったことになる。
それを踏まえた上で鎌倉仏師は修復請負願を提出。
江戸仏師はいつ、どこで鶴岡八幡宮の仏像修復の件を知ったのであろうか・・・。
文化財には指定されていない?
2020-12-23
朝日新聞に「後を絶たない(仏像)盗難被害」の記事。
いったいどういう訳で、盗難にあった高さ1メートルほどの厨子入地蔵像1体、約40センチの観音像2体は「いずれもつくられた時期がわからず、文化財には指定されていない。」と記事に記せるのだろうか。
かつて盗難仏像についてコメント(2013-10-25)したが、行政も地域住民も何も理解していない。
腹立たしさを過ぎて呆れるばかり。
こうした記事からは、指定されていない=文化財ではない、と世間は思い込む。万一発見されても証拠(写真)がないため、引き渡しは難しい・・・。
これほど仏像盗難が頻発するなかで行政は、なぜ文化財の「戸籍台帳」を作らないのかが非常に疑問。行政の怠慢なのか、文化財と思っていないのか・・・。
難しいことはないのだ。正面写真1カット、像高等を計って台帳にすればよいだけなのに行おうとしない、近隣市町村や県にも聞こうともしない(隣村では実施済)。
盗まれた後に「防犯カメラを設置」してもあまり意味はない。それよりも戸籍台帳があれば、盗難後の対応が可能。
これだけヤフオクなどに怪しげな仏像が出品されているなか、あまりにもお粗末。
今年も調査
2020-12-25
授業(卒論演習)かつクリスマスながら、今年も某所で調査。
報告書では、木組みが細かく複雑なので「鎌倉中期」の作とされている。確かに全体の印象からは鎌倉時代ともみえるが、「渦文」や下鎧の造形は鎌倉時代にもあるのかと疑問に思う。
台座には江戸時代の紀年銘と仏師銘。報告書では台座の新調とされる。
今秋に見た和歌山・西方寺二天像の宮内法橋による修補を彷彿とさせる・・・。
複雑・不規則な木寄せは何らかの原因でバラバラになり、それを江戸時代に再組立て、失われた部分を復元したのかもと想像。でないと、貼り付けたような材は存在しない。
しっかり日没近くまで調査。
卒論演習(補講)は、12/28・12/29・1/6の予定。
”お焚き上げ”回避
2020-12-26
以前、調査させていただいた折、「先祖ながらも誰だかわからないので、菩提寺で『お焚き上げ』にしようとも思っている」在銘肖像彫刻。
その際「『お焚き上げ』にするなら、大学で『学習教材』として利用するので下さい」と返答。
本日引き取りに伺い、夕刻、無事資料室に搬入。
江戸時代後期(18世紀末~19世紀初頭)の作品ながら、頭部は抜け、玉眼留めも観察可能、像底の観察からもほどよく木寄せが理解できる・・・。
キャビネットに収めて改めて見ると、少し笑っているようにみえた。
補講
2020-12-28
久しぶりに冬期休暇中の「補講(12/25)(卒論演習)」。
今年は学年暦の関係で、生協販売の卒論表紙は冬休み前に購入、卒論提出は授業再開前の1月7日・8 日。
典拠(古典)を引用しないと思いつつ学内外の図書館はほぼクローズ、困り顔の学生。
そこで「国立国会図書館デジタルコレクション」で検索。
あ、あった!1925年の出版だが、やむを得ない。
慌ただしいが、全員なんとか形にはなった・・・。
受付・受領書には「芸術学美術史(7)」と記入するように連絡して年内の授業は終了。
提出直前の1月6日にも補講の予定。
この1年
2020-12-29
少し早いですが、今年も色々とありがとうございました。
明年も皆様にとって良き1年でありますように。