日々雑記
還暦同窓会
2021-12-1
今日、学内某所に食事会(昼食会)の予約。
プチ同窓会後、女子学生がお互い連絡を取りつつ来年2月に大学で同窓会を開くことに。
某所のパーティースペースを押さえたものの、参加者は女子学生のみ。辛うじて知っている男子学生に連絡を取るも、「そんな先のことはわからん」と一蹴。
過去にメールのやり取りをしたIさんやOさん(共に女性)も繋がらない。
哲学科美学美術史は現在と同様に女子学生が圧倒的に多かったものの、哲学科の括りでは男女、ほぼ半数ずつ。未だ、杳として行方が知れない大半の哲学科男子学生。
酸っぱい思い出はさておき、参加希望者は、長谷まで連絡のこと。
土田麦僊「大原女」
2021-12-2
ゼミ発表。土田麦僊「大原女」。
「大原女の配置は、マネ《草上の昼食》にヒントを得たと言われています」と。
発表が終わり、「確かにものの本にはそう書いてありますが、あなたはちゃんと作品を確認しましたか?」と。
「似てないでしょう。もっと見るべきところはありませんか?」「・・・」。
「大原女を囲む木々の表現がめっちゃくちゃ細かいでしょう。葉っぱ1枚1枚を丁寧に描いているでしょう。この葉っぱに対する執着は、マネよりもルソーの作品に表れていませんか。
麦僊は大正10年(1921)にヨーロッパに行っているでしょ。もう藤田嗣治も既にパリに渡っています。当時、藤田がパリで目にしたのは、印象派ではなく、ピカソなどのキュビズムやシュールレアリズムでしょう。ピカソはルソーを高く評価してますよ。麦僊もパリにわたって同じように思ったかも知れませんね・・・。」
普段より厳しい批評に、久しぶりに教室が凍りつく・・・。
猫とロボット掃除機
2021-12-5
家人がロボット掃除機を購入、試運転。
ストーブの前で寝転がっている猫はこわごわ逃げながらも興味津々の様子。時には掃除機が猫を追っていく。
掃除が終わり格納場所に自動的に戻っていく。
もうちょっと遊ぼ、動いてみて、といわんばかり掃除機と向き合う猫。
あまりに面白いので、家人は動画で撮影。
これからの掃除タイム、どんなバトルが繰り返されるのかちょっと気になる。
一度、上にのせてみようかとも思ったり。
2番目の娘・息子
2021-12-6
某授業終了後、見知った学生(芸美専修)が教壇に来て「助けてくりぃ~」。
別授業のレポート課題について、アドバイスが欲しいとのこと。課題を聞くと、浅からぬ縁のある事項。
しばらく考えて、「よっしゃ!おっちゃんに任せとき。(課題に応えるよう)ええようにアドバイスするから、しばらく待って。」と返答。
「はい!でも、もうひとり(芸美専修・こちらも周知の学生)いるのですが・・・。」
「了解。アドバイスを2つおくりますので、それでよろしいな。」
「はい。もちろん」。
専修教員と専修学生はいわば、親子同然。
子が困っていれば、親は手を差し出す。頑張っていない時は叱咤しつつ励ます、頑張り過ぎていると「まぁ、そんなに無理せんでも」と励ます。
専修の学生は、年老いて出来た子供のよう。
そういえば、実娘が大学生の頃、履修した「東洋美術史」の課題で、范寛「谿山行旅図」のレポートを手伝ったことがある。
それを思えば、再びやってきた「2番目の娘・息子」たち。
少人数の専修だからこそ出来る学生との近い距離感。
しかし、このことに気づく文学部の学生は意外に少ない。
「レポート」提出
2021-12-7
プレ・スチューデントプログラムの課題提示。
今年も課題提出はオンライン。
タイムラインにUPできたものの、担当部局からアドバイス。
関大LMS「教材を作成する」→「レポート」のほうがよいと。確かに指摘通りで、あげてみると「ファイル形式が違います」(scvのみ)と。
アドバイスを受けつつも上手くいかなかったので、別件で担当部局に寄った折、その旨を話すと「僭越ながら私がしましょうか」と。感謝至極。
授業を終えて確認すると、「レポート」の項にUPされていた。
深く感謝しつつも、とうとうIT関係からも脱落しそうな危機感。
対面基本と考えていると、取り残されてしまう現状。
これ以外にも何につけて最近は脱落感が著しい。普段にも増して滅入ること多し。
洛中洛外図屏風
2021-12-8
佐渡妙照寺がほぼ全焼のニュース。
市指定の「洛中洛外図屏風」と涅槃図(「雪舟八代長谷川等玉信雪筆」)が所在確認できないとのこと。
失礼ながら佐渡に洛中洛外図屏風があったとは知らなかったが、考えてみれば、地方にあっても全く不思議ではない。
そもそも「洛中洛外図屏風」が京都にある必要性はないに等しい。上杉本のように地方の人々がこの屏風を見て、あぁ、京都にはこういう大きな寺があるんだ、四季折々、こういう活気のある生活をしていたのだとイメージさせることが重要であったはず。
無事であることを願うばかりだが、なぜ博物館に寄託しなかったのだろうか。
教科書:聖書
2021-12-10
頑張ってこの1年間は西洋絵画を勉強。
なんとか中世から近代までを繋ぐことができた。
痛感するのは、聖書(旧約・新約)の知識不足。
当たり前だが仏教の知識なくて仏教美術は語れない。同様に聖書(旧約・新約)の知識がほとんどないまま西洋美術を見ても、ちっとも面白くない。
逆に見れば、背後にある物語を知っているからこそ、これは誰だとか、だからこの人物をこういう表現にしているのか・・・と、絵画が“わかる”。
別に西洋絵画だけでなく、絵巻物や仏教絵画、ひいては歌舞伎や能、落語も背後の「物語」を知った上で、楽しむものである。物語を知らずして絵だけを見ても、安っぽい鑑賞にしかなり得ない。
さっそく来年度授業のシラバス作成。
教科書、参考書の欄があるが、キリスト教絵画は聖書が読めない人への布教道具であったとも言われているので、「教科書:聖書(旧約・新約)」としてみようか。
なぜ、天使は男の脇腹に蹴りを入れているのでしょうか?などと。
あまりにも美術作品を安直にみているのではないか。
今度は書類
2021-12-13
メモパッドでほぼ要件を忘れることはなくなったが、今度は提出書類。
鏡(依頼文書:締切等が記入)ともども消える・・・。
昔、執行部にいた頃に必要書類を会議資料に挟み込み、会議終了後にそのまま退出してしまい、事務室に運ばれたコンテナ3箱分の廃棄資料のなかから探し出したこともある。
このところ、オンラインで添付ファイル(閲覧のみ可も)と紙ベースの書類が混在されて配布。業務煩雑、作業時間の増加など、もう完全な業務効率低下の典型。
ぶつくさ言いながら山となった書類をしばらく捜索するも、行方不明のまま。
続 金継ぎ
2021-12-14
同僚の先生が授業で使う金継ぎのスライドを送っていただいた。感謝。
なかにYee Sookyung(イー・スギョン)の作品。
一見、サッカーボールようなオブジェだが、見る限り、高麗・李朝の青磁片である。白磁バージョンもあるらしい。
もう美的修復としての「金継ぎ」は単なる接着剤になり果ててしまう今日の美術界。
”青磁サッカーボール”を見ながら、学生の頃に神戸・三宮ガード下や東寺弘法市で、ワゴンのなかに500~3000円程の青磁の破片が山積みされていたことを思い出す。当時はいったい誰が買うのかといぶかっていたが、こういう風に使うのかと納得。
ポン・タヴァン
2021-12-15
初年次授業のスライド準備。「ポール・ゴーギャン」。
ゴーギャンは、ゴッホと共同生活を行ったアルル時代やタヒチ時代が有名だが、ポン・タヴァン時代は意外にも知られていない。クロワゾニスムと総合主義を確立した重要な時代である。
左翼夫婦の間に生まれ、船員や海軍の経験もあり、除隊後はパリ証券取引所の仲買人。デンマーク人の奥さんとの間に四男一女の子供、休日に絵画を描く”日曜画家”。
絵も上手く、サロンに入選したり印象派の展覧会に出品、作品も売れるなど、堅実な生活を送るブルジョワ。
1882年にパリの株式市場が大暴落。ゴーギャンは証券取引所の仲買人を辞めて絵画制作で生活することに。
ゴーギャン、なぜ大不況の折に絵画などを買う者がいると思ったのか?
ゴーギャンはあっという間に貧困生活へと大転落。パリでは食えなくなって、ブルターニュのポン・タヴァンに行き、若手画家にたかる毎日・・・。
最悪の状況で最悪の選択をしたゴーギャン。
小倉亀遊・片岡球子が限界
2021-12-16
近代日本画のゼミも終盤。
これまで受講生が10名前後だったので問題はなかったが、今年度は16名も受講。前半はオンデマンドだったので、後半(対面)では2名ずつ発表。
上村松園まではよかったが、どうしても近代日本画家3名の追加発表(小倉遊亀・片岡球子・東山魁夷)、それに伴うスライド準備も必要。
こちらも艱難辛苦の末にスライドを準備したが、学生の発表はちょっと難しそう。
『三彩』『みづゑ』『美術の窓』など雑誌が中心で、生前や没後間もない評論は、作家を”よいしょ”する提灯記事ばかり。選ばれた作品もちょっとこれは・・・と思う。
なんなら北野恒富にすればよかったと後悔。
「棺の蓋が閉じて初めて、人生は定まる」が持論なので、学生の発表がちょっと苦しそうに思えたので、変更ありとするか・・・。
かつて片岡球子を卒論に取り上げたゼミ生がいたが、こちらがよく知らない文献まで引用していたので、きっと球子が好きだったのだろう。
(12月23日 追記)
片岡球子は「川合玉堂」に変更となりました。
カオスな大学院進学
2021-12-17
このところ、大学院進学を希望する不思議な者たちが続く。
東京の某有名大学法学部在籍中に司法試験に合格し、現在は司法修習生(自称)。
仏像が好きで休日中に京都・奈良の仏像を見学、大学院修了後は研究者を目指す気はなく(当たり前)、調査や見た仏像についてSNSで発信、一般の人に仏像の魅力を伝えたいとの希望。
大学院入学後、司法関係(検事・判事・弁護士)はどうする?なぜ?と思うしかない。
もちろん“お祈りメール”。
中国からの留学生。
「来舶画人(日本に渡ってきた清時代の中国画人)の研究」をしたいとの希望。父は中国美術学院の美術史教授との由。アメリカの大学で建築学を学び、副専攻でも西洋美術史の研修に参加した経歴を持つ。現在は建築会社に勤務。
こちらの専門が「仏教造像」と知りながらの希望。「仏教美術以外の学生も多い」と記すが、あくまでそれは学部まで。
そもそも、なぜ勤めている会社を辞めてまで、しかも日本の大学院で初めての「来舶画人」を研究するのに、まずは「中国美術学院の美術史教授」の親爺に相談しないのか。
作品も中国に多数所蔵されているのに。
こちらも“お祈りメール”。
だんだんとカオスな大学院進学希望者が増えつつある。
不思議なクリスマス
2021-12-21
授業終了後、とある学生が「世間の人は聖書も知らんけど、とりあえずクリスマス・イブですか」と。聞けば、鶏肉屋?で短期アルバイトしており、超多忙との由。
最初は洗礼を受けた学生かと、ちょっとビビる(授業で扱ったため)。
「そもそもクリスマスにチキンというのは、ケンタの陰謀。本来はターキー(七面鳥)でしょう。それも伝統ではないし・・・」とバイト多忙の鬱積がこちらに。
「まぁクリスマスケーキも食べることだし、お誕生日ケーキと思えばいいんじゃないの」となだめつつも、「まずは教会へ行って礼拝してこい、です。」と、尚も意気軒高。
クリスマス・イブに七面鳥を食った経験はこれまでないし、せいぜい子供とクリスマスケーキを食べたぐらい・・・。
確かに学生が言うように、世間にとって「神父」と「牧師」の違いもあやふやながら教会で結婚式を挙げたいという人も多く、あやふやな知識の学生ほど留学したいとも願う。
学生の「まずは教会へ行って礼拝してこい」と言うのも無理はない・・・。
不思議な日本のクリスマス。
仏像ひな型展
2021-12-23
龍谷ミュージアムから「仏像ひな型の世界Ⅲ」のポスター・チラシをいただいた。ポスターをさっそく個研の扉に貼る。
仄聞では、ひな型展ファイナルである。今回は1月9日からの開催。
ひな型は畑治郎右衛門が所持していたものだが、康乗などの七条仏師たちが作ったひな型が大半。チラシには総数420件とあって、大仏師系図と並ぶ重要な資料群。
チラシにも山王神(日吉山王神)が掲載されているが、こちらも七条仏師関係である。
今から待ち遠しい展覧会。
チラシのひな型を見ながらひな型を制作している仏師を想像していると、ふと高村光雲が仏像を彫っている写真を思い出した。
オンラインゼミ演習
2021-12-24
金曜日が卒論ゼミなので1月7日(金)が最終ゼミ・・・と思っていたところ、1月7日(金)は月曜日の授業。卒論提出は確か1月10日頃。
・・・ということは、今日が最終ゼミ。
事情を知らなかったこちらに比べ、ゼミ生はかなり必死。
普段は「調べてきます~」と色よい返事がくるものの、今日は「(典拠は)どこにありますか?」「ここの繋がりは大丈夫ですか?」と多数の質問。
なにしろ年末年始、大学図書館はもとより公立図書館もそろそろ年末休館。こちらも午前中、公立図書館で図書を閲覧・コピーしたばかり。
なおも「作品名は「 」でとじるのですか、《 》ですか?」と。
本文中で統一できておれば、どっちでもいいんじゃないと思いながら「《 》で統一して下さい」と。
この調子では、年末年始にオンラインゼミ演習になるかもと、若干危惧。
仕方ない。年末年始はこまめにメールチェックするか。
リベンジ
2021-12-26
過日、ようやく年末・・・と思っていたところ、沖縄県立美術館・博物館から講演依頼。
前回、コロナで中止となった講座のリベンジとの由。
日時はあまり変わらないが、タイトルが「琉球の仏教美術」でとのこと。
ちょっとビビったが、幸か不幸か沖縄には内地でみるような「仏教絵画」はなく、石彫、木彫、工芸品が主。木彫品にしてもなかなか現存しているのは少ないが、鎌倉芳太郎氏の古写真を見ると、立派な仏像が残っていたことがわかる。
最後?のご奉公として快諾。
爾来、大慌てで、知名定寛『琉球仏教史の研究』を読み返している。
ジャストサイズ
2021-12-28
家事手伝いの合間を縫いながら、年明け〆の原稿に執心。
手元にあの資料がない、この資料もないと大学へ向かう。
帰宅後に宅配便。添状に「梱包の箱がリサイクルですみません。ピッタリサイズだったので」と。全く問題なく、むしろ感謝。
書籍等を送るのに、いつも梱包箱に新聞誌を丸めたモノやわざわざエアーキャップを裁断、丸めて隙間を埋めたりして、見苦しい贈呈本に陥ってしまう。
こういうピッタリサイズの箱はと、箱に貼られた目隠しのガムテープを丁寧に剥がして確認。この箱だとA4サイズの書籍がピッタリ入るのかと。
今回は共著者として、18世紀から1900年あたりまでの京都仏師の動向について記述。
年明けには、Web上でPDFにて公開される予定。
ご笑覧の上、ご意見等を頂ければ幸いに存じます。
お詫び
2021-12-30
残すところ今年もあと1日。
今年は秋学期開始早々から稀にみる多忙が続き、たまに来る他大学の学生からも、病気?行き倒れた?ホームぺージ辞めた?死んだ?と揶揄される始末でした。
なかなかアップロードする余裕がなく、ずるずると授業準備、学務などに追われながら、ようやくアップいたしました。
ながく更新しない状態が続いたことを深くお詫び申し上げます。また、これに懲りませず今後とも長い目でご覧いただきますよう何卒よろしくお願い申し上げます。
皆様、寒気一段と厳しい折ながら、なにとぞよいお年をお迎えくださいますように。
家主敬白