日々雑記


廃仏毀釈

2022-2-1

正木直彦『十三松堂閑話録』に、
永久寺廃寺の検分に役人が出向くと寺僧は還俗した証拠として、役人の眼前で薪割りを以って本尊の文殊菩薩を頭から割ってしまった。さすがに廃仏毀釈の人もこの坊主の無慚な所業を憎みて坊主を放逐した。そのあとは村人が寺に闖入して、衣類調度から米塩醤鼓まで奪い去った。しかし仏像仏具は誰も持っていかず、役人は庄屋中山平八郎に命じ、中山の困惑にも関わらず、預賃料年15円で預からせた。年月とともに、これ等は中山の個人所有になっていった。今藤田家で所有する藤原期の仏像仏画の多くは中山の蔵から運んだものである。
とみえる。

廃仏毀釈での内山永久寺の顛末だが、明治元年(1868)頃と考えて、正木直彦はわずか6歳。地元に長く伝えられた事件だったのだろうか。迫真の記述ながらちょっと不思議。

今日から入試。

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剽窃

2022-2-4

必要があって1983年刊行の仏像調査報告書を参照。
ちょっと寺院の歴史が気になり、当該市史(1979年)を閲覧。その後、たまたま市史の文化財の項目を見ると、仏像調査報告書と全く同じ記述を見出す。
がっつり”剽窃”。

有名な研究者であっただけに逆にびっくり。

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三十三間堂ぽい

2022-2-8

某所で調査。

膝前に天衣が二重に掛かる。なんか三十三間堂の千手観音立像を見ているような・・・。
同行の若手研究者は若干、疑心暗鬼。
「こんな修理、江戸でしますか?」。
「しないと思います。躰部外側に掛かる天衣は江戸だけれど、膝前はいい(当初)かもしれません」と私。
安堵したようで、引き続き調査続行。

江戸の修理だと「え、躰から浮かしますの?無理とは言わんが、高くなりまっせ」と言われそう。

こうした作品が現在に至っても残っているのが奇跡かもしれない。

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古像

2022-2-9

引き続き調査。

一木造、内刳りなしの仏像。小像ながら重い・・・。
足首以下が後補で、膠かボンドで接合されているだけで接着はかなり劣化。須弥壇から降ろしたものの怖い状態。
秘仏扱いなので大地震がない限り大丈夫かも知れないが、危うい状態。

材質はヒノキではなく、どうもケヤキっぽい。
調査しながらも、よい御像だけになんとかしなければならないと皆、思うばかり。
立ち会って頂いた教育委員会の方もご住職もよい人がらだったので、猶のこと。

明日は口頭試問(学部)のため、いったん戦線離脱。

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鳥仏師の再来ならず

2022-2-11

戦線復帰。
現地へ向かう途中わからなくなり、地元の老人に現地(寺)の所在を乞う。仙人めいた風貌也。
お蔭様で無事辿り着き、調査開始。

仏像は立像。台座からすんなり外れたが、台座に板光背が釘打ちされている。しかも台座幅が厨子の間口より大きく、厨子天井までほぼ余地なし。斜めにして回転させども、厨子から出せない。 最初は「鳥仏師の再来」などと冗談を言っていたが、結局、諦めて仏像のみ調査。
台座が厨子から出せない状況は、稀にある。立像だとちょっと厄介。

色々あったが、本日にて一応終了。帰阪の途に。

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体調不良

2022-2-14

気の緩みからか、熱はないものの倦怠感。昨日より鼻水が止まらない。
定例の会議を終え、早々に帰宅。

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陰性

2022-2-18

昨夜より37.2℃の発熱。
普段は35.8とか36.4℃なので、ちょっと辛い。
ヤバいかもと、品薄と聞いていたのでちょっと不安だったが、薬局でPCR検査キットを購入。
CとTに線が2本出ると陽性。検査後しばらくすると線が1本。陰性。

午後から大切な用件があったが、やむなくキャンセル。
安静にしながら、顔を近づけて検温する機器はいったい何度で反応するのだろうかとふと疑問。

検査の結果、陰性とわかり、”風邪引きか~”と安堵する家人。
終日、寝込む。

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凡ミス、多発中

2022-2-20

ようやく回復。もうあれこれ無理は出来ない齢。

昨秋実施の山岳地調査報告書が完成。ようやく全台帳が整う。
昨年は持参したが、病み上がり&積雪のため各所で通行止め・冬タイヤ必須なので、宅急便にて発送。

報告書はレターパックにて調査参加者にも発送。
ポストに入れていると、保管用シールをはがさず投函していることに気づく。
まぁいいやと思いつつ、近頃はこの手の凡ミスも多発中。

アカンがな。

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諦観

2022-2-21

知人を介して某教育委員会より調査の依頼。
「天正」ということなんですが・・・と。
ともかく一度拝見するということで了承。

最近、近世より遡る時代の仏像調査がやや多い。
現場からすればこちらに依頼する事情も分からないではない。幾ら近世から遠ざかってもほぼほぼ妥当な評価は可能。
そりゃ、現場的には「いい作品ですが、制作時期については何とも申し上げられません」と逃げた専門家と呼ばれる人も現実に存在する。

ミレーは、歴史画・宗教画で評価されたかったにも拘わらず、Alfred Sensier La Vie et l'œuvre de Jean-François Millet(井出洋一郎訳『ミレ-の生涯』)のおかげでで、農民画家としての評価が定着。
得てして、得られたい評価は得難い、往々にして別のところで評価されるということに。
しょうがない。評価されるだけでも良しである。

最近、ずいぶんと諦観の境地。

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北村西望

2022-2-23

某神宮に参拝。ともかく厄除け(後厄も済んでいるが)。

ちょっと変わった狛犬1対。細身の体躯で、精悍というべきか。由緒書には、戦前に北村西望が原型制作とある。

北村西望は、1955年に郷里の長崎平和祈念像の制作者である。某神宮狛犬は戦前の作、長崎平和祈念像とはかなり違和感。

北村西望(1884年~1987年)は、京都市立美術工芸学校彫刻科を経て東京美術学校彫刻科を首席で卒業。
戦前は「報国芸術会」を指導し、大政翼賛会に集って戦艦献納の挙国運動に邁進。
やっぱり・・。

こうした彫刻界の総括も必要じゃないかと思ったり。

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造佛舎

2022-2-24

某所からの問い合わせ。首枘底面に「造佛舎」。
それよりも大胆な木寄せに驚く。

察するに近世の墨書銘ではないと思う。近世なら工房名ではなく親方(棟梁)の名を記すはず。
市川銕琅「南都最勝精舎」(2021.4.3)のことを思い出し、気になることがあって図書館へ。
色々と書籍を見てみるが、地方の事例ゆえに「造佛舎」には至らずじまい。
像内なんだからもう少し落書きしよう・・・。

久々の敗北感。
仏像の製作時期が現在にどんどん近づくにつれて、実は分からないことばかり。

どう返事しようかと悩んでいると、会議の時間を思い出し大遅刻。
またや凡ミス。

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胸像

2022-2-25

再び、龍谷ミュージアム「仏像ひな型の世界Ⅲ」へ。

仏像ひな型は、ほぼ七条仏師系の作品。
僧侶の肖像ひな型(胸像)も多数展示されている。なかに長雲寺和尚肖像、龍雲寺開山和尚胸像のひな型。
長雲寺は「出羽庄内/長沼/長雲寺」、龍雲寺は「羽州米沢掛石中山/龍雲寺開山像」の墨書銘。共に山形に実在する寺院。
・・・ということは、両寺に肖像彫刻があれば七条仏師の作品と考えられる。

長雲寺は天台宗寺門派、龍雲寺は曹洞宗なので康伝か康音か、是非とも調査してみたい。
早く春にならないかなと思いつつ、大学へ。

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調査

2022-2-28

九州某所へ。知人と某教育委員会の方と調査。

一瞥しながら「近世に入りますかね」と知人。
ともかくデータ採取。像高2尺7寸。見ると、簡略な岩座+蓮肉(蓮弁なく鉢状)と共彫り。賓髪1条耳に掛かるものの、面相はやや近世ぽい・・・。
光背裏にはかすかに「天正拾□」「観世音」の文字。

判断に悩み、いつものように「近世ではこうする、ああする」と考えつつ吉祥天風の像を観察。
出た結論は平安後期から鎌倉時代。
面奥は深く、かなりの体幅。衣文も近世ぽくない。たぶん職業仏師ではなく僧侶系の作者だろう。とは言え室町時代ではもう少し端正に製作する。 「天正拾□」は光背の補作時期と。どうも神仏習合像のような・・・。

意外な回答に知人や教育委員会の方がびっくり。「近世彫刻史の者が言うので、たぶん合っていると思うのですが」と変な返事をする。

夜、ホテル近くの居酒屋で一献。
知人はどうみても天正頃の作品かと思っていたのですが、違いますか?などと抵抗の態。

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